2021年1月27日水曜日

2021.01.27 わが友に贈る

他者を思う祈りから
智慧は無限に湧き出る。
あの友 この友の状況に
寄り添い続けながら
励ましの声を隅々に!

種種御振舞御書 P925
『されば鹿は味ある故に人に殺され亀は油ある故に命を害せらる女人はみめ形よければ嫉む者多し、国を治る者は他国の恐れあり財有る者は命危し法華経を持つ者は必ず成仏し候、故に第六天の魔王と申す三界の主此の経を持つ人をば強に嫉み候なり』

【通解】
そもそも鹿はいい味があるために人に殺され、亀は油があるために命を奪われる。女人は器量が良いと妬む者が多い。国を治める者は他国にすきを狙われる恐れがあり、富める者は強奪に遇い勝ちなので命が危うい。法華経を持つ者は必ず成仏するゆえに六天の魔王という三界の主が此の経を持つ人を強烈に嫉むのである。

名字の言 "二人の母親"への恩返し 2021年1月27日
広島の爆心地の真北、同じ東経132度27分に、中国平和記念墓地公園の「世界平和祈願の碑」がある。6体のブロンズ像は、世界中の被ばく者を追悼するために建立された▼像の一つに「後継の像」がある。母に高く掲げられた幼子が、大空に向かって両手を広げている。制作者のルイ・デルブレ氏は「未来を担い、大いなる希望をもって『成長していく人間』の姿を幼児として表現しています」と語った▼1歳11カ月で被爆した広島の壮年部員には、"二人の母親"がいる。生みの母は原爆で命を落とした。育ての母も爆心地から1・5キロで被爆。体が弱かった継母は、その体験をほとんど語らずに亡くなった▼二人の母の生涯は、壮年に原爆の悲惨さを痛切に感じさせた。核兵器の恐ろしさを語っていくことが母への恩返しになると、壮年は二人の母への感謝と、自らの被爆体験を語り続けてきた。命ある限り平和を叫ぶ——それが自身の使命と決めている▼22日に発効した「核兵器禁止条約」。広島平和文化センターの小泉崇理事長は、「人道的観点から核兵器を絶対悪として禁止する道筋をつけた」(毎日新聞1月20日付)と。母の命を奪い、思い出したくもない苦悩を母に背負わせる——その一点で、核兵器は「絶対悪」である。(子)

寸鉄 2021年1月27日
地域から世界変える学会の平和運動こそ理想形—事務局長。民衆の力は大
東京・豊島婦人部の日。さあ希望拡大!三代有縁の天地の太陽は不撓不屈
青年幹へ『新・人間革命』の研鑽進む。澎湃と躍り出よ!新時代の山本伸一
本紙通信員制発足の日。心伝わる写真と文。同志鼓舞する言論闘争に深謝
今の感染状況を救うのは若い世代—専門家。3密避けうつらず、うつさず

☆明日を照らす テーマ:地涌の使命
法華経では、大地の底から無数の「地涌の菩薩」が涌出し、末法における妙法弘通を誓ったことが説かれています。
池田先生は「地涌の菩薩とは、われら創価の民衆群像である。苦悩する人びとを救おうと、あえて五濁悪世の末法に出現したのだ。辛酸と忍耐のなかで、たくましく自らを磨き上げ、人生の勝利劇を演じ、仏法の偉大なる功力を証明せんと、勇んでこの世に躍り出たのだ」とつづりました。
今回の「明日を照らす」は、「地涌の使命」をテーマに学んでいきます。

◇諸法実相抄
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや』(御書1360ページ)

◇広宣流布の不変の原理
【通解】はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、そこから二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである。未来もまたそうであろう。これが地涌の義ではないだろうか。
        ◇
いかなる悪世にあっても、断じて苦難に負けず、人間革命のドラマを演じながら、広宣流布の誓願に生き抜く。これが、私たちに具わる尊極の「地涌の生命」です。
今や世界192カ国・地域に広がる創価の連帯も、師の励ましを受け、地涌の生命を自覚した「一人」が立ち上がり、次なる「一人」を励まし、希望の灯をともすことによって築かれてきました。使命に目覚めた一人から一人へ——この広宣流布の方程式を示されたのが本抄です。
文永10年(1273年)5月、日蓮大聖人は本抄を流罪地の佐渡・一谷で著され、最蓮房に与えられたとされています。
大聖人はまず、「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と仰せになり、末法において題目を唱える私たちが、久遠から広布を誓って生まれ合わせた地涌の菩薩であるとの、深い宿縁を教えられています。
そして、大聖人が、ただ一人、唱え始められた妙法が、一人からまた一人へと唱え伝えられていくことこそ「地涌の義」であると示され、「未来も又しかるべし」と、この原理は永遠に不変であることを示されています。
この大聖人のお言葉を、事実の上で証明してきたのが、「地涌の陣列の教団」である創価学会にほかなりません。
世界広布の潮流は、信心の歓喜を目の前の「一人」に伝えることから始まります。2030年の学会創立100周年を目指し、わが地域から自他共の幸福のスクラムを広げていきましょう。

◇大悪大善御書
『各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか』(御書1300ページ)

◇歓喜踊躍の勇気で前進を
【通解】あなた方は何を嘆くことがあろうか。(必ず大善がくるとの喜びに)迦葉尊者でなくても、舞を舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。上行菩薩が大地から現れた時には、まさに踊り出られたのである。
        ◇
本抄は、災難が続き、社会が騒然とする中で、苦闘する門下を励ますために認められたと考えられています。
掲げた御文の前で、日蓮大聖人は「大悪をこれば大善きたる」(御書1300ページ)と、大悪は、大正法が広まる大善の前兆であるとの御確信を述べられます。
そして、釈尊の弟子である迦葉や舎利弗が成仏の法を聞き、大歓喜して舞い踊ったように、また、上行菩薩(地涌の菩薩の上首)が末法の広宣流布のために大地から踊り出てきたように、苦難の中にあっても、喜び勇んで広布に前進していくよう教えられています。
私たちは皆、一人一人が広布を誓願して、悪世末法の時代に自ら願って踊り出た地涌の菩薩です。ゆえに、現実が困難であればあるほど、使命に生きる喜びにあふれ、生命の底力を発揮していけるのです。
65年前、池田先生は「大阪の戦い」で、関西の同志と本抄を拝しながら、異体同心で広布に走り、未曽有の拡大と民衆勝利の金字塔を築きました。
先生はつづっています。
「いかなる試練にも、地涌の菩薩の大生命を燃え上がらせながら、立ち向かい、歓喜踊躍の勇気で、智慧で、忍耐で、勝利の舞を堂々と示し切っていく。これが学会精神です」
私たちは、今一度、広布に生き抜く偉大な使命を自覚し、誇りに燃えて、時代変革の立正安国の行動に打って出ようではありませんか。