◇今週のことば
希望そして勝利は
我らの「一念」にあり。
さあ「月月・日日に」
法華経の兵法で征け!
誓願の力走を誇らかに。
2021年1月4日
妙一尼御前御消息 P1254
『大月輪の中か大日輪の中か天鏡をもつて妻子の身を浮べて十二時に御らんあるらん』
【通解】
(亡くなったご主人は)大月輪(月)の中か、大日輪(太陽)の中か、天の鏡にあなた方、妻子の姿を浮かべて一日中、見守っておられることでしょう。
名字の言 大躍進した創価大学駅伝部 2021年1月4日
「駅伝にまぐれはない」とは、前・早稲田大学駅伝監督の渡辺康幸氏の言葉。「必要なのは粘り強さ。地道な練習で、環境に左右されない足作りが必要」と(3日付スポーツ報知)▼本年の箱根駅伝は、その言葉通りの創価大学の走りだった。上位10人の1万メートルの平均タイムは出場21チーム中、13番目。昨年の全日本大学駅伝では、上位8人のタイムによる書類選考で落選。その悔しさをバネに「目標は箱根一本」と団結したことが、大躍進の一因となった▼榎木和貴監督は「あらゆる条件の中で、100%自分たちの力を発揮するということを、練習の中でも取り組んできた結果」と振り返る。明確な目標と、それに向けた地道で堅実な練習が、出場4回目での往路優勝、さらに総合2位の快挙につながった▼創大に限らず、出場した選手一人一人の力走に、勇気づけられた人も多いことだろう。筆者も"選手たちに負けないよう、自分も新しい挑戦を"と決意した一人だ▼池田先生は「祈りとは本来、『誓願』である。『必ずこうする』という誓いであり、明確な目標に挑み立つ宣言である」と。「希望・勝利の年」が開幕した。師弟共戦の祈りと誓いという"襷"を胸に、栄光のゴールを目指して、勢いよくスタートしよう。(巍)
寸鉄 2021年1月4日
創大が箱根駅伝で堂々の準優勝。歴史築いた一頁。皆が感動、皆が大喝采!
断固として一緒に戦おうじゃないか—戸田先生。立正安国の大理想へ勇躍
誠実が人を人らしくする—文豪。仏法は人の振舞。爽やかな挨拶を自分から
寒風の中、希望を届ける無冠の皆様ありがとう!使命の道を絶対無事故で
目標を持つと「やる気」も向上—心理学。具体的な祈りから新春をスタート
☆〈箱根駅伝〉 創価大学が往路優勝・総合2位
◇開学50周年飾る快挙
おめでとう! 開学50周年を飾る歴史的快挙!
第97回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が2、3日に行われ、創価大学が同校初の「往路優勝」を成し遂げ、堂々の総合2位に輝いた(復路は5位)。4度目の出場での往路制覇は戦後最短の偉業。総合タイムは10時間56分56秒だった。
チーム一丸で駆け抜けた「217・1キロ」だった。
2日の往路。1区の福田悠一選手(4年)が区間3位の好走を見せる。エースが生んだ勢いを、2区のフィリップ・ムルワ選手(2年)、3区の葛西潤選手(同)が加速させ、2位の好位置でタスキをつないだ。
4区・嶋津雄大選手(3年)は5・5キロ過ぎで先頭を捉え、ついにトップに。山上りの5区を任された三上雄太選手(同)がそのまま独走し、史上19校目の往路優勝を果たした。
3日の復路では、山下りの6区を濱野将基選手(2年)が粘りの走りで駆け下りると、続く7区の原富慶季選手(4年)が区間2位の力走。8区・永井大育選手(3年)も堅実に首位を保った。
2年連続の9区となった石津佳晃選手(4年)は「区間1位」の好記録をたたき出し、勝負の最終10区へ。アンカーを託された小野寺勇樹選手(3年)は強豪・駒澤大学に逆転を許すも、チーム全員でつないだ赤と青のタスキを身にまとい、過去最高の総合2位でゴールテープを切った。
☆心に御書を 第100回 第一線の尊き宝友に最敬礼
<御文>
『過去に法華経の結縁強盛なる故に現在に此の経を受持す、未来に仏果を成就せん事疑有るべからず』(生死一大事血脈抄、1337ページ)
<通解>
過去世において、強盛に法華経に結縁していたので、今世において、この経(御本尊)を受持することができたのである。未来世において、仏果を成就することは疑いない。
<池田先生が贈る指針>
妙法を受持し広布の第一線を走る宿縁が、どれほど深く尊いか。
なかんずく、地区部長・婦人部長をはじめ、苦難の一年、友を守り、地域に尽くされた各地の幸福責任者を、最敬礼して讃えたい。
すぐに結果が出なくても、未来の仏果は絶対に間違いない。新たな年も勇気に燃え、希望そして勝利の因を共々に!
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第21回 如来寿量品第十六(上)
◇永遠の生命を信じ、生きて生きて生きぬくのが寿量品の心
■大要
「従地涌出品第十五」での弥勒菩薩の質問に対して、「如来寿量品第十六」では、釈尊の真実の成道が久遠の昔であること(久遠実成)を明かし、常に娑婆世界で衆生を導いてきたと述べます。
さらに「良医病子の譬え」を通して、仏が入滅を現じるのは衆生を教え導くための方便であることを語ります。それでは内容を追ってみましょう。
◇
その時、釈尊は、菩薩や一切の大衆に告げます。
「如来が語る真実の言葉を信じ、理解しなさい」
再び大衆に呼び掛けます。
「如来が語る真実の言葉を信じ、理解しなさい」
さらに重ねて大衆に語ります。
「如来が語る真実の言葉を信じ、理解しなさい」
この時、菩薩や大衆は、弥勒菩薩を先頭に、合掌して仏に言います。
「どうか、如来の真実を説いてください。私たちは、仏の言葉を信じ、受持します」
この言葉を3度繰り返し、さらに重ねて願います。
「どうか、如来の真実を説いてください。私たちは、仏の言葉を信じ、受持します」
その時、釈尊は、菩薩たちが懇願を止めないことを知り、告げます。
「明らかに聴きなさい。如来の秘密、神通の力を」
そして続けて語ります。
「天界、人界、修羅界の衆生は、"今の釈尊は、王宮を出て、伽耶城から遠くない道場で修行し、阿耨多羅三藐三菩提(仏の完全な覚り)を得た"(始成正覚)と思っている。
しかし私は"実に成仏してから、無量無辺百千万億那由他劫という長遠の時を経ている"(久遠実成)」
釈尊は本来の境地を明かします。始成正覚という仮の姿(迹)を発いて、久遠実成という真実の姿(本)を顕したので、「発迹顕本」といいます。
続いて釈尊は、"どれほど長遠の昔に成仏したか"、すなわち久遠を譬喩によって表現します。
「譬えば、ある人が、五百千万億那由他阿僧祇という無数の三千大千世界をすり砕いて細かい塵とし、その塵を持って東の方へ行き、五百千万億那由他阿僧祇という無数の国を過ぎるごとに、その塵を一粒ずつ落としていく。
このように、東へ行き、この塵を全て落とし尽くしたとする。この間に通り過ぎた世界の数は、どれほどあると思うか。その数を知ることができるだろうか」
弥勒菩薩たちが、釈尊に言います。
「今語られた世界の数は、無量無辺で、計算して知ることもできません。また、心の力も及びません。
一切の声聞や縁覚、そして不退の位にいる菩薩であっても知ることができず、ただ無量無辺としか言えません」
その時、釈尊は、菩薩や大衆に告げます。
「今まさに、はっきりと語ろう。
この多くの通り過ぎた世界、すなわち細かな塵を置いた世界も、置かなかった世界も、ことごとく、また砕いて塵とし、その一粒の塵を一劫(劫は、計りがたい長遠な時間の単位)として数えよう。
私が成仏してから、現在に至るまでの時間は、また、これよりも百千万億那由他阿僧祇劫も多いのだ」(ここで表現された久遠の時を、最初にすりつぶす五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界にちなんで「五百塵点劫」といいます)
さらに釈尊は、如来の真実を説いていきます。
「私は、久遠の昔に成仏して以来、常に、この娑婆世界で人々に法を説き、教え導いてきた。
他の百千万億那由他阿僧祇という無数の国土でも衆生を導き、利益してきた」
具体的に、過去の振る舞いを述べます。
「(久遠の昔から今に至るまでの)この中間において、私は燃灯仏などのことを説き、また、涅槃に入るとも言った。このようなことは、全て方便を用いて説いたことである」
なぜ、方便を用いたのか。
「私は仏眼によって、衆生の信や機根が鋭いか鈍いかを明らかに見て、救うべきやり方に従って、それぞれの所において、自ら異なった名前や種々の寿命の長さを述べ、『まさに涅槃に入るだろう』と言い、種々の方便を用いて如来の真実の妙法を説き、よく衆生に歓喜の心を起こさせてきた」
「多くの衆生が、低い教えを好み、徳が薄く、煩悩の垢が重いのを見て、『若い時に出家し、初めて無上の覚りを得た』と説いた。衆生を仏道に教え導くために、方便として説くのだ」
「如来が説く教えは全て、衆生を救い覚らせるためである。
"あるいはわが身を説き、あるいは他の身を説き、あるいはわが身を示し、あるいは他の身を示し、あるいは自分の事を示し、あるいは他人の事を示す"」
「このようにして説く全ての教えは真実であって、ウソではない。その理由は何であろうか。
如来は如実(あるがまま)に三界(衆生が生死流転する現実世界)の相を知見しているからである。
生や死というが、この三界から退き去ることも、この三界に出現することもない。また世に在る者、滅度した者という区別もない。
この三界のありさまは、真実でもない。だからといって虚妄でもない。"このようである"ということもない。"このようではない"ということもない。
如来は、三界を、三界の衆生が見ているようには見ていない。如来は三界を明らかに見ていて、誤りがないのである」
「衆生には、さまざまな性質、欲求、行い、観念や判断の違いがあるから、全ての衆生に全ての善根を生じさせようと望んで、多くの因縁、譬えや言葉を用いて、さまざまに教えを説くのである。
その仏の行いは、いまだかつて瞬時も止まったことはない」
((中)に続く)
【『法華経の智慧』から】 この一生を勝利
生きるか死ぬかという瀬戸際に、人間として何を語れるのか。そこに真の「哲学」がある。
◇
人生は長い。晴天の日だけではない。雨の日も、烈風の日もある。しかし何が起ころうと、信心があれば、最後は全部、功徳に変わる。
戸田先生は言われていた。「信心さえあれば、ことごとく功徳なのだよ。信心なくして疑えば、すべて罰だよ」と。
「永遠の生命」を信じて、この一生を生きて生きて生きぬいていくのです。この一生を勝利しきって、その姿でもって「永遠の生命」を証明するのです。それが法華経です。寿量品です。
何があろうと、生きて生きて生きぬくのが「寿量品の心」なのです。
◇
大生命力で生きぬくことです。永遠にして宇宙大の「大いなる生命」の実在を明かしたのが寿量品です。
その「大いなる生命」を、現実の我が身のうえに顕していくのが寿量品の実践です。
(普及版<中>「如来寿量品」)
【コラム】秘密と神通力——人を救う智慧と力
「如来寿量品」で釈尊は、「汝等よ。諦らかに聴け。如来の秘密・神通の力を」(法華経477ページ)と、弟子たちに宣言します。
秘密は何か特別なもの、神通力は超能力のようなものを想像させます。しかし、誰も知らないようなことを知っていたとしても、超人的な力をもっていたとしても、それだけで幸福が決まるわけではありません。
法華経での秘密と神通力は、一切衆生を成仏へ導くために現じてきた仏の偉大な力と深い智慧のことです。人を救う力です。
日蓮大聖人は「御義口伝」で「成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」(御書753ページ)と仰せです。皆が平等に、凡夫のままの姿で成仏できる——これ以外の「秘密」の力、「神通」の力はないのです。
ゆえに大聖人は、御本尊を顕され、誰もが実践できる唱題行を確立し、自他共の幸福の大道を開かれたのです。いわゆる神秘主義とは対極にあるのです。
☆箱根駅伝 初の往路優勝を果たした創価大学・榎木監督へインタビュー
第97回箱根駅伝で初の往路優勝を果たした創価大学駅伝部。往路ゴール直後、榎木和貴監督にオンラインでインタビューしました。
——創価大学史上、初の往路優勝、大変におめでとうございます。選手たちが往路の全ての区間で、6位以内の安定した走りを見せました。勝因は何だったとお考えですか?
あらゆる条件の中で、100%自分たちの力を発揮するということを、練習の中でも取り組んできた結果が、実際に、一人でも後半にも崩れず、しっかり走れたというところに、生かされたと思っています。
——監督が運営管理車から選手たちに訴えたことは?
しっかりやってきた練習を100%出し切ることに集中させていたので、特別、やってないことをやらせるよりも、練習でやってきたことをしっかり出し切るということを伝えさせてもらいました。
——選手たちの見事な走りを運営管理車から見守る中、監督自身が往路優勝を意識したタイミングはいつでしたか?
4区の嶋津に(2位で)渡って、すぐ前(1位)に追いついて引き離しにかかった時に、この勢いだったら、(5区の)三上の状態も良かったので、4区の10キロ地点から往路優勝もいけるのかと考えていました。
——実際に往路優勝を果たした今、どのようなお気持ちですか。
総合3位にたどりつくためには、往路で3位以内というのが、選手たちに求めていたところだったんですが、それ以上に、選手たちがきょうは力を発揮し、誰もミスすることなくつないでくれて、私からすると予想以上の走りをしてくれたかなと思っています。
——もし、一人、選手をあげるとしたら、どの選手が勝利を導いてくれた要因だったとお考えですか?
誰がというよりも、きょう走った全員が100%以上の走りをしてくれました。それぞれの選手が適材適所で、自分たちの良さを発揮してくれたと思っています。
——明日の復路の意気込みをぜひ、お聞かせください。
復路に関しては、どれだけ耐えられるかというところの勝負だと思います。復路のメンバーもいい練習ができていますので、往路のメンバーがつくってくれた2分以上の差をどこまで守り切るかという走りに徹してほしい。
また、往路と同じように。今までやってきた練習の成果を100%出し切る走りに集中してほしいなと思います。
——聖教新聞の読者の皆さんに一言いただけないでしょうか?
皆様方の温かい声援のおかげで選手たちもこのような走りをすることができています。また、明日も沿道での声援は控えていただき、テレビの前から熱い声援を送って、総合優勝を目指す選手たちへの後押しをお願いいたします。
明日も全力で頑張りますので、ご声援、よろしくお願いします。