2021年1月28日木曜日

2021.01.28 わが友に贈る

危機の時代にこそ
失敗を恐れず
挑戦を重ねよう!
全てを成長の糧とする
逞しき楽観主義で前進!

日女御前御返事 P1244
『此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり』

【通解】
この御本尊を決して他の所に求めてはならない。ただわれら衆生が法華経(御本尊)を持って南無妙法蓮華経と唱える、胸中の肉団におられるのである。これを「九識心王真如の都」というのである。

名字の言 医療従事者の方々と、その家族に思いをはせ 2021年1月28日
太平洋戦争末期の実話を基にした映画「ハクソー・リッジ」は、沖縄・浦添市の前田高地にある"のこぎり崖"で、75人の負傷兵の命を救った衛生兵の物語である▼米陸軍の兵士デズモンド・ドスは、武器を持たず戦地へ赴いた。銃弾の嵐の中、彼は米軍兵だけでなく負傷した敵兵も手当てする。"どれほど言っても武器の所持を拒否した。そんな彼こそ最も勇敢だった"——彼に命を救われた上官は証言した▼次元は異なるが、コロナ禍で奮闘する医療従事者を思った。ある婦人はコロナ患者を受け入れる病院で、看護師長を務める。彼女の夫が胸の内を明かしてくれた。日々、命を救う最前線で力を尽くす妻の無事を祈り、帰宅のたび最敬礼する思いで迎えている、と▼今この瞬間も、敢えてリスクを背負いながら、逼迫する医療現場に立つ人がいる。その方々と、ご家族の心労は計り知れない。私たちはその状況に思いをはせ、一日も早い終息を祈り続けたい▼国境なき医師団の加藤寛幸会長は本紙のインタビューで、自分のことを「大勢の中の一人」と思わず、「自分の助けを必要としている人がいる」と考えてほしい、と。自分のできる感染防止に努めることが、友人を、医療現場を、社会を救う——今一度胸に刻み、行動したい。(首)

寸鉄 2021年1月28日
会長のアジア初訪問60周年。地涌の同志が陸続と。仏法の大光は輝き増して
目先にとらわれず信心をやり遂げよ—戸田先生。祈り抜く人が最後に勝つ
「根の弱きは・たうれぬ」御書。青春時代の労苦は生涯の土台に。誓い貫け
子のゲーム依存に悩む親の相談急増と。ルールを決め、守る。大人が模範に
企業の偽サイト等に誘導する詐欺、4倍に増加と。偽のメールに皆で警戒を

〈社説〉2021・1・28 きょう「アジア初訪問」60周年
◇理想を掲げ勝利の一日一日を
きょう1月28日は、池田先生が1961年、初のアジア歴訪の平和旅に出発した日である。
今、アジア各国・各地のSGIの発展は目覚ましい。インドには25万人、タイには20万人を超える創価のスクラムが築かれ、各地に地涌の同志が誕生。国家行事への出演要請が政府から寄せられ、SGIの平和行事に各界の著名な識者が出席するなど、創価の仏法哲学と行動への賛同と称賛が相次いでいる。
60年前、池田先生が香港やインド、ビルマ(現ミャンマー)、タイなど5カ国1地域を初訪問した際、メンバーはほとんどいなかった。そこから、これほどの発展を遂げた要因とは何か。一つのヒントが、当時を記した小説『新・人間革命』第3巻「月氏」の章に示されている。
山本伸一が最初の訪問地・香港をたった機中でのこと。同行の幹部に、近い将来、アジアに総支部をつくる、各地に地区を結成するなど、具体的な広布の構想を提示する。驚く幹部に伸一は語る。
「まず構想を描く。そして、そこから現実をどう開いていくかを考えていくんだ。現実は冷静に見つめなければならないが、大きな構想をもち、向上への意欲を燃やして戦っていかなければ、何も開くことはできないだろう」と。
「現実の壁」に直面した時、人は諦めや無力感にとらわれてしまうことがある。しかし、そんな時にこそ明確な未来図を描くことだ。コロナ禍によって「できないこと」が増えたことは現実である。だからこそ「今年の自分はこうなる!」「10年後にはこれを成し遂げる!」と、自らを鼓舞する目標を定めたい。その一念が現実を切り開く突破口となる。
さらに重要なのは、その理想に向かって、目の前の課題に全力で取り組むことである。同巻「平和の光」の章で、アジア各地にメンバーが少ないことを嘆く幹部に、伸一は次のように語った。
「『0』には、何を掛けても『0』だが、『1』であれば、何を掛けるかによって、無限に広がっていく。だから、その『1』を、その一人を、大切に育てあげ、強くすることです。そのために何が必要かを考えなくてはならない」と。
先生はこれまで、アジア各地を訪問する中で、大地に題目を染み込ませるように祈り、出会いを結んだ一人を抱きかかえるように励ましてきた。訪問できなくとも、メッセージや随筆等を通して、一人一人の心に希望の灯をともしてきた。雨が岩をうがつような日々の行動が、未来の発展の道を開くことを忘れまい。
学会創立100周年へ、10年後の自身の勝利の姿を思い描きながら、この一年、この一日を力強く歩んでいきたい。

☆共生の地球社会へ〜仏法の英知に学ぶ テーマ:多様性の尊重
◇差別のない豊かな世界をつくる
ミライ いま、アメリカの動向に世界が注目しているね。

ホープ そうだね。アメリカは、世界の国々から移住した人々が多い国だよね。社会に豊かな多様性がある一方、長年にわたって深刻な人種差別問題を抱えているんだ。

ミライ 近年は、移民に不寛容な主張や、社会の分断を深める動きも、一部で活発化しているようだね。

ホープ 社会の中で、マジョリティー(多数者)が、マイノリティー(少数者)を、自分たちと違うことを理由に差別し、排除することは、残念ながら、昔から繰り返されてきたんだよ。
根っこは、他者への無理解や"差異へのこだわり"による嫌悪、憎悪がある。しかも、それが暴力や強制に結び付いてきた。
仏教では、内なる「差別する心」と戦い、言葉の暴力や、心の憎悪をかき立てることを戒めているよ。

ミライ ユネスコ憲章の前文には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とうたわれているよね。
多様な人々を結び、調和をもたらす普遍性のある思想・哲学が大切になってくるね。

◇仏法の平等観
ホープ 人の心の中に、"平和のとりで"を築くためにも、仏法の英知を学んでいこう。
法華経薬草喩品で説かれる「三草二木の譬え」は、とても示唆に富んでいるよ。
——世界には、さまざまな種類の樹木や薬草が茂っている。それぞれに名前が違う。形も異なる。厚い雲が空を覆って大地に雨を降らせ、草木を潤す。草と木は、それぞれの性質に従って成長し、花を咲かせ、実をつける。
教えを受ける人々の資質・能力は、もともと、大地の草木のように多様である。仏は、その多様性を十分に理解した上で、雨のように等しく慈悲を注ぎ、自分と同じ境涯に導く——このような譬喩だよ。

ミライ 衆生の多様性と、仏の慈悲の平等性が強調されているのね。

ホープ そうだね。仏は、一切衆生を仏子として、自身と同じ仏の境涯に高めようとしているんだ。さらに、どんな人にも平等に、差別する心なく、目の前の"一人"のために法を説いているんだよ。
ここで大事なことは、"衆生に差異がない"のではなく、"仏が衆生を差別しない"ということなんだ。違いを最大に尊重し、どこまでも一人一人の個性を伸ばしていくのが仏の慈悲なんだよ。

ミライ 私が心に刻んでいる日蓮大聖人の御書の中にも、「桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの特質を改めることなく、そのままの姿で、本来の仏のありのままの生命を開いていると見ていくのである」(784ページ、趣旨)と、多様性を生かしていく仏法の哲理が示されているよね。

ホープ 「桜梅桃李」の法理だね。この法理の土台となっているのが、すべての人々が、人種・性別・民族・文化・職業・生まれに関係なく、等しく仏性を具えているという、生命の尊厳の思想なんだよ。
さらに、一人一人が尊厳な存在であることに、いかなる差別もないことを、創価学会の世界的な広がりに見いだせると思うんだ。

ミライ 国籍や社会的な立場を超えて、相互に尊敬し合う麗しい連帯が広がっているよね。海外のメンバーと互いに言語や習慣が違っても、同じ妙法を唱え、広宣流布に励む中で宿命転換している姿に、私も勇気をもらうわ。

◇差異を認める
ホープ 人は互いに影響を与え、依存しながら生きている——仏教では万物は相互依存の関係にあると説いているけど、改めて深いつながりを実感するね。この考え方を突き詰めると、矛盾や対立さえも結び付きの一つの表れと見ていけるんだ。

ミライ 調和を目指す上で、矛盾や対立を避けたり、無視したりすることはできないってことね。

ホープ そうだね。池田先生は、平和学者のエリース・ボールディング博士との対談で、「差異を創造的に統御していくこと」という博士の言葉に賛同されているよ。(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、潮出版社)
違いは「なくす」ものでも、恐れるものでもなく、尊重して受け止めていくべきものだね。そうすることで、差異に翻弄されない自身を築いていくことができるんだ。

ミライ 一人一人のそうした意識が社会に反映されれば、より豊かな多様性の社会が生まれていくはずだよね。

ホープ その通りだね。私たちは、生命尊厳の仏法哲理に基づき、差別のない世の中を建設する使命があるんだ。

◇メモ(御義口伝、784ページ)
桜、梅、桃、李、それぞれの木々に咲く花は、その形や咲く時期を異にしながらも、それぞれが美しく花開きます。私たちも、妙法の働きによってそれぞれ本来の姿を変えることなく、もともと具わる「仏の生命」を開き顕すことができるのです。
"自分らしさを最大に開花させるのがこの仏法である"との考え方は、差異によって優劣をつけることの愚かさを分かりやすく示しています。