2021年1月13日水曜日

2021.01.13 わが友に贈る

自らが一人立つ!
一人を励ます!
そこから共戦の同志も
「二人・三人・百人と」。
これが地涌の義なり!

顕仏未来記 P509
『願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん』

【通解】
願わくは私を損ずる国主等を最初に成仏の道へ導いてあげたいものです。

名字の言 ロシアの詩人・プーシキン「太陽万歳 闇はかくれよ!」 2021年1月13日
「希望を持ちましょう、——希望を持つことはつねによいことなのです」(池田健太郎訳)。ロシアの詩人・プーシキンの言葉だ。彼が書簡にこう記した時、ロシアはコレラが大流行していた。その中で1831年の新年を迎えた▼1950年(昭和25年)、深刻な不況の打撃を受け、戸田先生の事業が破綻。学会の理事長の職を辞した。池田先生は、給料の遅配が続き、冬にオーバーさえ購入することができなかったが、恩師を支え続けた▼翌51年(同26年)1月6日、池田先生は日記につづった。「激越の、年も刻々と明けて来た。いかなる苦悩にも打ち勝ちて、男らしく、青年らしく、若人らしく、本年も戦いきろう。学会も、会社も、黎明の年であれ」。先生の激闘は、恩師の第2代会長就任への道を開いた▼コロナ禍のまま明けた本年は昨年に続き、変化の連続の一年となろう。社会に閉塞感が漂う時、人は希望を求める。だが、確たる希望は、他から与えられるものではない。自らつくり出すものだ。どんな状況をも勝ち越える力が人間にはある▼プーシキンは詠った。「太陽万歳 闇はかくれよ!」(金子幸彦訳)。闇が深いほど、暁は近いという。苦悩する友の心の闇を破り、希望を届ける存在として、一人一人が輝きたい。(嶺)

寸鉄 2021年1月13日
「学会には信心がある」戸田先生。この大確信が我らの原点。強き祈りで
逆境を経験して絆は固く—孔明。電話等でも真心は伝わる。支え合い前進
創価大学の一般入試出願の締め切り迫る。英才よ来れ!人間教育の殿堂に
110番通報、緊急性なしが2割と。照会・相談等なら「#9110」。使い分け
スマホの見過ぎで若者の目のトラブル増と。健康は宝。生活にメリハリを

☆御書の旭光を 第1回 地球を照らす希望はここに!
<御文>
『「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布せん」等云云、仏滅後の多怨は後五百歳に妙法蓮華経の流布せん時と見えて候』(呵責謗法滅罪抄、1130ページ)

<通解>
(法華経薬王品には)「わが滅度の後、後の五百歳のうちに閻浮提に広宣流布するであろう」等と述べられている。(今は)仏滅後で怨嫉が多いので、"後の五百歳に妙法蓮華経が流布する時"であると見える。

<池田先生が贈る指針>
妙法は、末法万年にわたり民衆の苦悩を打開する法理だ。時代の闇が深いほど、太陽の仏法の慈悲と智慧が光る。
地涌の生命という普遍の大地に立ち、差異を超えて尊敬し合い、苦難に挑む地球民族の連帯に、人類の希望がある。
さあ世界広布の誓願を胸に、御書と共に元初の旭光で我らの地球を照らしゆこう!

☆箱根駅伝 創価大学の歴史的快挙の舞台裏——大躍進を支えたサポートメンバーのドラマ
第97回箱根駅伝で初の往路優勝、総合2位に輝いた創価大学。歴史的快挙の舞台裏には、幾つもの苦闘と挑戦のドラマがあった。

鈴木大海選手(4年)は、一昨年、関東学生連合チームとして3区を、昨年は創大で8区を力走し、今大会もチームの主力として活躍が期待されていた。
だが、大会直前の練習中、足にけがを負ってしまう。悩みに悩んだ末、エントリーメンバー発表の数日前、榎木監督に「チームのために自分を外してください」と伝えた。彼の努力を間近で見てきた監督には、その葛藤が痛いほど分かった。
メンバー発表の日、鈴木選手の名前は呼ばれなかった。言い知れぬ悔しさが募ったが、気持ちを切り替え、チームのサポートに徹することを決意した。
そう思えたのは、2度の箱根を経験したことで、サポートメンバーの存在の大きさを誰よりも理解していたからだ。"創大史上最強のサポートメンバーになる"——そう決めた彼は、選手の目線でエントリーメンバーにアドバイスを送り続けた。
大会では1区で福田選手の付き添い役を、7区で原富選手の給水役を担った。共に4年間、切磋琢磨してきた仲間。私生活でも多くの時間を一緒に過ごしたという福田選手は「スタート前、『いつも通り楽しめ』と声を掛けられたことで、気が楽になりました」と振り返る。
「向上心を持つことを学び、周囲のために尽くせる自分に成長できました。この経験を生かし、これからも頑張りたい」と鈴木選手。今後も競技者として陸上を続けていく。

飯嶌友哉選手(4年)にとって、この4年間は苦難の連続だった。
箱根路を走りたいとの一心で創大に入学したが、けがが続き、2年近く、満足に走れなかった。なかなか力が発揮できない中でも、榎木監督は「走ることができれば強い選手だ」と期待をかけてくれた。
昨年の夏合宿では、けがを乗り越え、大きな成長を実感。悲願の箱根路へさらなる練習に励んだ。
しかし、10月にアキレス腱を負傷し、医師から「箱根は諦めなければいけない」と告げられる。目の前が真っ暗になり、悔し涙に暮れた。
そんな中、チームメートや家族が励まし続けてくれ、"最後までサポートメンバーとして、一緒に走り抜こう"と心に誓った。
12月中旬、エントリーメンバーのみで行った直前の合宿。監督たちからの指名で、選外だった4年生のうち、飯嶌選手を含めた数人がサポートとして呼ばれた。「驚きと同時に、一緒に戦えるうれしさでいっぱいになりました」
大会中は、各中継所に選手の荷物などを運び、世話をする「競技者係」を任され、全区間を回った。「自信を持って走るんだ!」との思いを伝え、仲間を鼓舞し続けた。
競技者としては思うような結果が残せなかったものの、諦めずにやり抜いたからこそ、人間力が磨かれたと実感する飯嶌選手。卒業後は民間企業に就職し、新たな道を走りだす。「創大駅伝部で培った不屈の心で、社会でも困難に負けずに進んでいきます!」
「大波乱!!」「下克上」「ビックリ大躍進」「箱根新時代」——各スポーツ紙が驚きをもって報じた今回の"創価旋風"。その原動力はチーム一丸でつないだ"心のタスキリレー"だった。