2021年1月27日水曜日

2021.01.26 わが友に贈る

自らの使命の大地に
「平和の種」を蒔こう!
慈悲と勇気の振る舞いで
友の幸福と安穏に尽くす
尊き貢献の人生を!

松野殿御返事 P1381
『末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説かせ給いて候なり、文の意は末世の僧比丘尼は名聞名利に著し上には袈裟衣を著たれば形は僧比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて我が出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致す、余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事譬えば犬が前に人の家に至て物を得て食ふが、後に犬の来るを見ていがみほへ食合が如くなるべしと云う心なり、是くの如きの僧尼は皆皆悪道に堕すべきなり』

【通解】
末世においては、犬のような僧や尼は、恒河の沙ほどたくさん出現する、と仏は説かれている。この文の意味は、末世の、僧や尼は名聞名利に執着し、外には袈裟・衣を着ているので、姿かたちは僧や尼に似ているけれども、内心には、邪見の剣を携え、自分の出入する檀那のところへは、他の僧尼をよせつけまいとして、檀那を独占しようとするさまは、譬えていえば犬が人の家で餌にありついて食べているところへ、あとから他の犬が来るのを見て、いがみ吠え、噛み合いのけんかをするようなものだ、という意味である。このような僧尼は、当然全て悪道に堕ちるのである。

名字の言 他者がいてこそ、自分は磨かれる 2021年1月26日
哲学的な命題として、よく使われる質問を一つ。「誰もいない森のなかで木が倒れたとしたら、音は聞こえるのか?」。木が大きな音を出して倒れても、それを認知する存在がなければ、聞こえたことにはならない▼「私」という人間が存在するのも、認識してくれる他者がいてこそといえる。伊藤忠商事元会長で駐中国大使を務めた丹羽宇一郎氏は、冒頭の問いを通して、「人生を有意義で幸福なものにしようと思ったら、やはり他者との関係のなかで自分を磨くことを忘れてはならない」と(『死ぬまで、努力』NHK出版新書)▼人間には無限の可能性がある。しかし、「可能性がある」ことと、その力を「発揮する」ことはイコールではない。草木が太陽の光を浴びて葉を茂らすように、人間は、他者との関係性の中で磨かれていく。家族、友人、同僚、そして師匠——と▼コロナ禍によって生活様式が変化し、他者と身体的距離を取ることが定着しつつある。その中で、いかに絆を育むという「価値」を「創造」していけるか。作家の柳美里さんは、「この『創価』の力が今、求められています」(本紙2020年11月17日付)と語る▼厳しい試練が続く"冬"だからこそ、「創価の力」を発揮し、友の心に"春の励まし"を届けよう。(巍)

寸鉄 2021年1月26日
SGI提言発表。万人の尊厳が輝く世界の創出へ共に学び今の試練に応戦
東北女性の日。苦難越え、積んだ「心の財」は不滅!春風の如き励ましを友に
宗教とは生活の法則—恩師。具体的祈りと着実な挑戦。人間革命の日々を
人と会う機会減少で自律神経に乱れ出やすいと。簡単な運動等、意識して
"核禁条約"批准へと動く国、相次ぐ。廃絶へ市民社会の声の結集さらに!

☆御書の旭光を 第3回 明確な目標が勝利への力
〈御文〉
『十方は依報なり・衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし』(瑞相御書、1140ページ)

〈通解〉
十方世界は依報である。衆生は正報である。例えば、依報は影のようなものであり、正報は体のようなものである。

〈池田先生が贈る指針〉
「依正不二」は希望の極理だ。自分が変われば環境が変わる。深き一念の力で、家庭も職場も地域も全てを変革できる。
ゆえに今年も目標を明確に、具体的に祈り、行動を起こそう。我らの人生と社会に、「人間革命」即「立正安国」の実証を示すのだ。
とともに、地球環境を守るために、足元からの努力と連帯を忘れまい。

☆大学校生とナットクTALK テーマ:信仰の根幹
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回のテーマは「信仰の根幹」。松岡ニュー・リーダーが友達から初詣に誘われたことについて、オンラインで話しています。

登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。34歳。
松岡ニュー・リーダー 信心強盛な家庭で育った学会3世の24歳。明るい性格で友達が多い。

Q初詣に誘われたのですが……
A日々、御本尊に祈ることが僕らの信心
中村区男子部大学校団長 松岡君、聞こえる? お疲れさま! 年末年始はどうだった?

松岡ニュー・リーダー 今年は帰省せずに、家でゆっくりしてました。友達から初詣に誘われたんですけど、親に相談したら「行かない方がいい」って言われたので、行きませんでした。そういえば小さい頃、お祭りの出店とかには行ってたんですが、どうして初詣は行かない方がいいんでしょうか。

中村 いい質問だね。じゃあ、初詣って何をしに行くと思う?

松岡 えーっと、「家内安全」とか「試験合格」とか、そういう願いごとをするためですかね?

中村 そうだね。一年の無事や願いの成就って、僕らは、家に御安置している御本尊に向かって勤行・唱題する時に、祈ってることだよね。しかも毎日。そもそも、「本尊」というのは、「根本として尊敬するもの」という意味なんだけど、"何に祈るのか"というのは、その宗教の根幹に関わる、最も大切なことなんだ。日蓮大聖人は「末法」という"何が正しい教えか分からない時代"に、全ての人が幸福になれる道を示してくださった。それが、南無妙法蓮華経の題目であり、僕たちが日々、拝している御本尊なんだ。大聖人は、誤った本尊を拝んではいけないとも仰せだよ。だから松岡君の親御さんも、初詣に行くことを止めたんだと思う。

松岡 でも、お祭りに参加するのはいいんでしょうか。

中村 お祭りは、由来としては宗教と関係するものが多いけど、今の時代は本来の意味合いが薄れて、地域の親睦のためのイベントや慣習になっているからね。

松岡 確かに、クリスマスとかもそうですよね。

中村 イベントで一年に一回だけ「こうなりますように」と願うのではなく、「こうしていくんだ」という決意を、日々新たにして、真剣に御本尊に祈る。これが僕たちの信心の正しい実践だよ。池田先生は、「御本尊に勤行・唱題する時、私どもの生命の善悪の力も、(中略)すべて自分自身の幸福と価値を創る方向に働いていく」とご指導されているよ。

松岡 毎日の一回一回の祈りを、もっと真剣にやっていきます。

中村 初詣に誘ってくれた友達は、きっとお正月気分を皆で味わいたかったんだろうね。コロナのこともあって、人とのつながりがこれほど重要な時もないから、友情は大切にしていこう!

松岡 新年に皆と会えなかった分、オンラインで同窓会をすることになったので、楽しんできます!