◇今週のことば
「元品の法性は梵天・
帝釈等と顕われ」
我らの祈りと対話が
心に平和の砦を築く。
核兵器廃絶へ前進を!
2021年1月18日
顕立正意抄 P537
『今日蓮が弟子等も亦是くの如し或は信じ或は伏し或は随い或は従う但だ名のみ之を仮りて心中に染まざる信心薄き者は設い千劫をば経ずとも或は一無間或は二無間乃至十百無間疑無からん者か』
【通解】
今、日蓮の弟子等も同じである。あるいは信じ、あるいは伏し、あるいは随い、あるいは従うとしても、ただ名のみで心に染め抜いていない信心薄い者は、たとえ千劫は経ずとも、あるいは一度は無間大城に堕ち、あるいは二度、乃至、十度、百度、無間大城に堕ちることは疑いないであろう。
名字の言 小説家・吉村昭氏が出会った一人の老漁師 2021年1月18日
小説家・吉村昭氏は"足で書き残す"人だった。戦争の現実を緻密に描き、一つの題材で192人に取材したこともあるという▼建造中、徹底して存在が秘匿された戦艦武蔵。この歴史に迫ろうと、造船所のある長崎を訪れた折、一人の老漁師に出会う。憲兵らの目を盗み、雨戸の隙間から出港する武蔵を見たと語ってくれた。だが急に「今おれが言ったことは、だれにも言わないでくれ」と▼戦争が終結して、20年が過ぎていた。しかし、老人の胸中には憲兵らの監視が、いまだに恐怖として残っていた。老人は、戦艦武蔵をテーマとした別の取材でカメラを向けられると、カメラを制し、手で顔を覆った。戦争の記憶は、老人の心を恐怖で縛り、苦しめ続けていた(『わたしの取材余話』河出書房新社)▼時の経過は、記憶を薄れさせ、風化させていく。だが、戦争体験者が負った"心の傷"は、決して消えることはない。今も、戦時下の経験を初めて語る人がいる。そうした証言を残し、平和を継承していくことは、今を生きる私たちの使命である▼池田先生は「戦争という巨悪への怒りなくして、ヒューマニズムはない」と。今週、核兵器禁止条約が発効される。世界が新たな一歩を踏み出す今、足元から「不戦の連帯」を広げたい。(将)
寸鉄 2021年1月18日
会長の著作を読むと人生は豊かに—識者。ここに希望の指標。地道に研鑽
「マイ ロマン総会」がたけなわ。朗らかに友情広げる女子部は広布の光
できないことよりも何ができるかを考えよ—哲人さあ価値創造の心意気で
コロナ禍での変化、1位は会いたい人に会えぬ事と。電話等使って絆強く
後部座席のベルト着用、一般道では4割。全席で徹底。それで助かる命も
〈社説〉 2021・1・18 「ヤング白ゆり世代」発足から1年余
◇世界の希望と輝く「創春」の連帯
池田先生は、婦人部「ヤング白ゆり世代」の40代までの年代を「『青春』に続く『創春』の時代と意義づけたい」と、つづった。「創春」の二字には、試練の冬を耐え、自行化他の題目を唱えながら幸福の春を創り広げゆく、ヤング白ゆり世代への万感の期待が込められていよう。
発足から1年余り。本年を「ヤング白ゆり・勝利の年」とし、わが家、わが地域の未来部・青年部、未入会家族を大切にしながら、励ましの輪を広げていく。
米国の平和学者、エリース・ボールディング博士は、「創価の女性のように、粘り強く平和活動に取り組み、地域社会で活躍する女性たちの存在がとても重要です。決意に輝く皆さんこそ、世界の希望の存在です」と信頼を寄せた。
家族の在り方や働き方、子育て、介護など、ライフスタイルの多様化が進む地域社会にあって、ヤング白ゆり世代は、その最前線で、日々奮闘している。
本紙連載中の信仰体験「スマイル 自分らしく」では、ヤング白ゆり世代を中心に、そうした日常の場面を切り取りながら、信心根本に悩みと向き合う等身大の姿を紹介してきた。
取材で、口々に語られたことがある。それは、宿命転換のドラマの舞台裏に、「婦人部の先輩たち」の粘り強い励ましがあったということである。
あるヤング白ゆり世代の友は「仕事でなかなか会合に参加できず、申し訳なさを感じています」と先輩に打ち明けた。「大丈夫。ゆっくりでいいのよ。『できないこと』を数えるのではなく、『できること』を少しずつ。私も一緒に手伝うからね」。その励ましに希望を得た彼女は、仏法対話と週2回の本紙の配達に挑戦。「私も広布の力になれている。そう思うたび、喜びと感謝が込み上げてきます」と笑顔で語っていた。
池田先生は、こうした「聡明にして大らかな励まし」をたたえながら、「さくら(桜)はをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492ページ)の御聖訓を拝して、次のようにつづっている。
「どんなに綺麗な花を咲かせる樹木も、間近で見れば幹や枝はゴツゴツしていて、武骨な姿です。傷も目につくでしょう。そうであるけれども、冬を耐えて、春を待って、満開の花を咲かせていきます。人も同じでしょう」「長所を見いだし、伸ばしながら、長い目で励まし、見守り続けていくところに、歓喜あふれる桜梅桃李の人華の園を咲き薫らせることができるのではないでしょうか」
誰も置き去りにしない。桜梅桃李の「使命の開花」を信じ抜く——創価の母のスクラムに学び、本年も一人を大切に、真心の励ましに徹していきたい。
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第3回 アレキサンダー大王
〈アレキサンダー大王〉
◇すべての財産を分け与えても、私には秘蔵の宝がある。
◇その名は「希望」。ただ一つ、希望という宝を持てるのみ!
池田大作先生は語った。
「『希望』とともに生きる人は強い。負けない。いかなる逆境の扉も開け放つ、知恵と勇気と情熱がわく」
その「希望の人」こそ、アレキサンダー大王である、と——(1990年10月22日、福井、石川、富山第1回合同総会でのスピーチ)。
紀元前4世紀、現在のギリシャ、エジプト、トルコ、インド方面にわたる広大な地域に一大帝国を築いた巨人・アレキサンダー。わずか12年ほどで人類史に轟く大偉業を成し遂げた青年大王の足跡は、幾多の伝記につづり残されている。
マケドニア王フィリッポス2世の子として生まれた彼は、古代ギリシャの大哲学者アリストテレスから学問を教わった。
16歳で父の代わりに摂政としてマケドニアを統治。やがて暗殺された父の後を継ぎ、弱冠20歳で国王に。2年後、国運を懸けた東方遠征へと旅立った。
この時、アレキサンダーは一切の財産を臣下に分け与えた。それは、彼らが妻子への気遣いを果たして出発できるようにするための配慮だったのだろう。
驚いた側近の一人が尋ねた。
「ご自身のためには何を残されるのですか」
するとアレキサンダーは「私は、すべての宝を与えたわけではない。私の秘蔵の宝は、まだ手もとに残してある」と。
「それは、どこにあるのですか。私には見えません」と問う側近に、彼は宣言した。
「わが『秘密の宝』の名前は『希望』という。この宝以上の宝はないのだ!」
ただ一つ、「希望」という宝を持てるのみ! この闘魂に臣下たちは奮い立ち、大いなる希望を胸に長征を開始した。
〈アレキサンダー大王〉
◇指導者は自ら垂範して勇敢な人びとを動かし、勇者の証拠を示さねばならぬ。
アレキサンダーは部下を大切にし、仲間を信じ抜いた。
天下分け目の「イッソスの会戦」で敵のペルシャ軍が接近した時のこと。彼は階級に関わりなく、各部隊で奮闘する一人一人を名指しで呼んで激励して回った。会戦後には、自身も傷を負っているにもかかわらず、負傷した将兵を慰問。活躍を見せた者に対しては、称賛の言葉を掛けてねぎらい、その功績に最大限報いていった。
また、灼熱の砂漠を横断した時のこと。全軍が耐えがたい喉の渇きに苦しむ中、幾人かの兵士が岩のくぼみにたまった水を見つけ、兜に注いでアレキサンダーにささげた。彼はそれを受け取ると、丁寧にお礼を伝えながらも、地面に捨ててしまう。
「なぜならば」とアレキサンダーは言った。「もし余ひとりこれを飲んだならば、残りの者の落胆はどれほどだと思う」
この一言に兵士たちは深く感動し、誰もが自分で水を飲み干した気分になった。そして一斉に立ち上がり、「いざ前進!」と再び歩き始めたという。
疲れて倒れている兵士がいれば元気づけて起こし、列に付いてくるのがやっとの兵士がいれば自分が支えになる。彼は指揮官であると同時に「戦友」のような存在だったともいわれる。
東征の途中、病に侵され、生死をさまよう事態に陥った。そこに少年時代からの親友で侍医のフィリッポスが駆け付ける。だが彼には敵方に通じているとの疑いがかけられていた。フィリッポスが調合したのは薬か、毒か。アレキサンダーは友情を貫き、友を信じて薬を飲んだ。
やがてアレキサンダーの体調は回復し、さらに東へ、東へと行進の勢いを増していった。二人の友愛のドラマは、池田先生の小説『アレクサンドロスの決断』に詳しく描かれている。
勝った時に、次の勝利へ電光石火で手を打つ。常に先頭に立って軍を率い、皆と艱難辛苦を共にする。指導者であるならば「自ら垂範して勇敢な人びとを動かし、勇者の証拠を示さねばならぬ」——アレキサンダーはそう確信していた。
〈アレキサンダー大王を語る池田先生〉
◇行動なくして栄光はない。
◇世界を結ぶ大偉業——それは一歩一歩の積み重ねであった。
◇一日一日の勝利の結果であった。
◇一人一人の奮闘の賜であった。
アレキサンダーの長征は、武力による征服であることは事実だろう。しかし、彼は単なる支配者ではなかった。
「地上のすべての民族が皆、同じ一つの民族であることを理解させたい」——世界の東と西を結ぶ大理想に生きた先駆者でもあった。
統治した都市には自治を与えることを徹底。現地の文化や宗教などを積極的に受け入れた。
また、占領したペルシャの兵と自国マケドニアの兵を同じ待遇にするなど、民族間の融和に尽力。さらに遠征には多くの学者を同行させ、未知の土地を調査。これによりヘレニズム時代の地理学、生物学などが発展することになった。
アレキサンダーは志半ばで、その生涯を閉じる。32歳の若さであった。だが彼がまいた「人類和合」「文化交流」の種は、後世に花開く。仏教というインドの文明とギリシャの文明との融合は、その一つである。
池田先生は1962年1、2月、アレキサンダーゆかりのイラン、イラク、トルコ、ギリシャ、エジプトなどを歴訪。パキスタンで大王の足跡を偲び、広布の未来に思いをはせた。
92年6月には、30年ぶりにエジプトへ。アレキサンダーは、この地で"人類は一つ"との啓示を得たといわれている。同国の古都・アレクサンドリアは、彼が海運の拠点とし、芸術・文化・教育の中心地とするために建てた都市である。
滞在中、先生はエジプトのホスニ文化大臣と再会。アレキサンダーについて語り合った。
この3カ月前、東京で対談した際には、大王が全財産を臣下に分け与え、自らは「希望」だけを携えて長征に出た逸話が話題に。文化大臣は言った。
「大王は『アレキサンダーを持って旅立つ』『自分自身のみを携えて行く』と言いたかったのではないでしょうか。人間は皆、同じように偉大である。この(裸一貫の)自分さえあれば、すべてだと——」
先生は「『不屈の人間』こそが『希望』の当体であり、『希望』そのものです」と賛同。後日の会合では、こうも訴えた。
「『希望』は労苦から生まれる。労苦を惜しまぬ勇気と情熱から生まれる。ゆえに、受け身と惰性は、希望の敵である。流されて生きることは、不幸へとみずから流れていくことである」(92年3月15日、「3・16」記念代表者会議でのスピーチ)
青春時代、『プルターク英雄伝』を愛読した先生にとって、アレキサンダーは憧れの人物だった。93年7月には「アレキサンダー大王とアソカ大王」を巡る語らいを本紙で連載。その信念の生き方を通し、勇気と希望の励ましを送っている。
「今、どれだけの祈りができるか。どれだけの行動ができるか。勝負は、結局、自分自身との勝負です。(中略)一般にも、『絶対に勝つ』と決めたところが勝つ。その一心が限りない力を引き出すからです。アレキサンダーの戦いも徹底していた。『不可能』という壁があれば、彼はそれ以上の『かつてない戦い』で、壁を破った」
「大遠征といっても、一歩一歩の積み重ねであった。一日一日の勝利の結果であった。一人一人の奮闘の賜であった」
何事もまず勝つと決めて、地道にして着実な実践を! ここに「希望・勝利」への道があることを忘れまい。