2021年1月16日土曜日

2021.01.16 わが友に贈る

本部幹部会の視聴を
希望・勝利の回転軸に
求道の炎を赤々と!
尊き同志との絆を
一段と強めゆこう!

弥三郎殿御返事 P1450
『心あらん人人は我等が為にと思食すべし、若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし、さこそ無からめ還って怨をなしなんどせらるる事は心得ず候』

【通解】
心ある人々は、(大聖人が大難を一身に受けていることは)「私たちのためである」と思うべきである。もし「恩」を知り、心ある人々であるならば、(大聖人が)二回、杖で打たれるならば、そのうち一回は代わって受けるべきではないだろうか。それもしないどころか、反対に、(大恩ある大聖人に)怨をなそうなどとされるとは、まったく、どうしたわけであろうか。

名字の言 「君の種 創価の大道 十年後」2021年1月16日
創価大学がかつて、箱根駅伝への挑戦を本格的に開始した年のこと。創立者の池田先生は予選会の出場メンバーらに句を贈った。「君の種 創価の大道 十年後」▼それから10年余を経て、同大の選手が関東学連選抜の一人として箱根路を力走。さらにその12年後、ついにチームとして初出場を果たした。あの日の"種"は芽を出し、幾たびもの風雨に耐え抜き、仰ぎ見る樹木へと成長した。その木は今年、一段と大きな花を咲かせ、多くの人に感動を届けた▼「十年一剣を磨く」という言葉がある。来るべき時のため、ひたすらに精進していく心構えを説いている。何事も一流となるには、その道を究めるための、たゆまぬ鍛錬が欠かせない。この"徹する生き方"によって、技量は高められていく▼とはいえ、その道中には、向かい風も険しい坂道もある。そんな時こそ、険難を乗り越えゆく自身の生命力の強さが試される。池田先生は「『生命力』とは、未来を信じる力、そして希望を日々新たにし続ける力の異名」と教えている▼私たちは今、「勝負の10年」と決めて、学会創立100周年の2030年へ走りだした。自身の人間革命と人類の宿命転換の大道を開くという"未来への一念"を胸に、目下の課題に立ち向かっていこう。(代)

寸鉄 2021年1月16日
社会を変える為の実践と行動を考えよ—戸田先生立正安国の祈り強く前進
「皆我が一念に納めたる功徳善根なり」御書。広布への労苦は全てが福徳に
愛知婦人部の日。使命の「この道」歩む堅塁の母。今いる場所で励まし拡大
厳しい寒さで各地の電力需給が逼迫。生活に支障のない範囲で聡明に節電
海に流れたマスクは15億枚—調査。ポイ捨てが生物の脅威に。正しく廃棄

☆あす阪神・淡路大震災26年 希望と再生の陽は昇る
深い闇を破って、まばゆいばかりの旭日が神戸港に降り注ぐ。
あす17日は、1995年の阪神・淡路大震災から26年。震災で亡くなった全ての方々に追善の祈りをささげ、自他共の幸福へ歩みだす、再生と誓いの一日である。
信仰とは無限の希望の異名。心に希望の太陽を抱く限り、一切の苦悩の闇を払い、前へ前へと進むことができる。この大確信を胸に、励ましの輪を広げていこう。

☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第1回 ネルソン・マンデラ
池田大作先生は述べている。「歴史を繙き、歴史に学んでこそ、人類の未来に平和があり、勝利があり、栄光の軌道が開けてくる」と。新連載「ヒーローズ」では、逆境を勝ち越えた世界の英雄たちの人生や言葉、その生き方を通じて池田先生が贈った指針から、未来を開くヒントを探る。第1回は南アフリカのネルソン・マンデラ氏。

〈マンデラ氏〉
◇新しい世界を勝ち取るのは腕組みして傍観する者ではない。
◇愚弄されてもくじけない人に、栄誉は与えられる。

獄中生活の過酷さは、経験した者でなければ分からない。それが27年半、日数にして1万日にも及んだ——反アパルトヘイト(人種隔離)運動を率いたマンデラ氏の投獄期間である。
独房は、歩いて3歩ほどの狭さ。体を伸ばすこともできず、向こうが透けて見える薄い毛布で酷寒の夜をしのいだ。孤独から房内の虫に話し掛けようとしたこともあった。「一時間が一年にも感じられた」という。
家族や同志は迫害され、母の病死、長男の事故死を塀の中で知った。嘆願した葬儀への参列も、かなうことはなかった。
だが、言語に絶する地獄のような苦しみを味わっても、氏は希望を失わなかった。全ての人種が平等に暮らせる「虹の国」を築く——心には大いなる理想の炎が燃え続けていた。「自分の信念の正しさを信じ、信念のために闘いなさい」——母の励ましの手紙にも支えられた。
獄中で氏はつづっている。
「新しい世界を勝ち取るのは腕組みして傍観する者ではなく、闘技場に立ち、嵐に服をずたずたにされ、闘いの過程で重傷を負った者なのです」
「愚弄されても、屈辱を受けても、敗北を喫してもくじけない人に、栄誉は与えられます」
氏の静かなる闘争は、同胞を奮い立たせた。それはやがて国際社会をも動かし、アパルトヘイト撤廃への潮流は大きなうねりとなっていった。
そして1990年2月11日。ついに釈放の日がやって来た。
奇しくもその日は、第2代会長・戸田城聖先生の誕生日だった。池田先生は、交友録にこう記した。「南アの『夜明け』に喝采を送りながら、私は同じく巌窟王であった恩師を偲んだ」

〈マンデラ氏〉
◇どんな相手でも、考え方は変わる。
◇だから、あらゆる手段を尽くして揺り動かしていくべきなのだ。

マンデラ氏にとって"闘争"は、釈放されてからが本番だった。収監当時、働き盛りの44歳だった年齢は70歳を過ぎていた。
人種対立は深刻の度を増し、暴力が激化するなど、課題は山積み。黒人の復讐が始まるとの懸念が広がったが、氏は対話の力で融和の道を探った。
「どんな相手でも、たとえ看守だろうと、考えかたが変わる余地はあるのだから、あらゆる手段を尽くして揺り動かしていくべきなのだ」——これが監獄の中で培った氏の確信であった。
粘り強い対話の末、1991年にアパルトヘイト関連法が廃止に。94年には南アフリカ初の全人種参加の選挙が実施され、マンデラ氏が大統領に選出される。氏は就任式で訴えた。
「絶対に、二度とふたたび、この美しい国で、人が人を抑圧するようなことがくり返されてはなりません」
"交渉による革命"は成し遂げられた。しかし、人種間にはぬぐいがたい不信が残ったままだった。そこで氏は、黒人解放運動のシンボルである歌とアパルトヘイト時代の国歌をつなぎ合わせた新国歌の作成や、新たな国旗の制定など「あらゆる手段」を講じていく。
その一つの成果が、95年に開催されたラグビーワールドカップの南アフリカ大会である。
同国においてラグビーは「白人のスポーツ」。「スプリングボクス」の愛称で親しまれる代表チームは、それまではアパルトヘイトの象徴でもあった。
氏はチームカラーの"緑と黄金色"の帽子をかぶり、最前線で応援した。代表のスローガンは「一つのチーム、一つの国」。その人気は勝ち進むにつれ、人種を問わず高まっていく。試合の日には"黒人居住区でも人影が消える"といわれるほど、多くの国民がテレビの前で声援を送った。
迎えた決勝戦。スプリングボクスは強豪ニュージーランドに競り勝ち、初優勝を飾る。スタジアムでは至る所で新国旗が振られ、新国歌が高らかに歌われた。白人と黒人が一つになった大会は、「虹の国」実現への確かな一歩となった。

〈マンデラ氏を語る池田先生〉
◇人生には、思うにまかせぬ境遇に立たされる時が幾たびもある。
◇嘆かず、腐らず、焦らず、「じっとこらえて今に見ろ」と不屈の旗を振り通していくことだ。

池田先生に会うために、マンデラ氏が東京・信濃町の旧・聖教新聞本社を訪れたのは、1990年10月31日。釈放から8カ月後のことであり、会見は氏のたっての願いだった。
先生と共に500人の青年が歓迎し、創価大学生の代表が高らかに叫んだ。「アマンドラ・ンガウェトゥ!(民衆に力を!)」——それは、人種差別の壁を打ち破った南アの人々の合言葉。そして「ロリシャシャ・マンデラよ……」と、同国の愛唱歌の大合唱が始まった。氏は驚き、満面に笑みを浮かべた。
5年後の95年7月、氏は大統領として来日。池田先生と再会を果たしている。
2度の会見は「教育」と「後継」が焦点に。「一本の高い樹だけではジャングルはできません。他の多くの木々が同じような高さまで伸びて、大きな森の茂みができあがる」。先生が訴えると、氏は深く頷いた。
氏の言葉や生き方を通し、先生は友に語り残してきた。
「マンデラ氏は、身近なところから、敵をも味方にしていったのである。地道といえば、じつに地道である。しかし、こうした地道な対話のなかにこそ、勝利の栄光は築かれていく。牧口先生、戸田先生もまた、獄中にあって、果敢に仏法を語られた。そして、看守や検事にも、仏縁を広げられた」(95年6月12日、栃木・茨城代表協議会でのスピーチ)
「人生の行路にあっては、思うにまかせぬ境遇に立たされる時が幾たびもあります。その時が勝負です。嘆かず、腐らず、焦らず、『じっとこらえて今に見ろ』と不屈の旗を振り通していくことです。必ず、そこから反転攻勢の流れを起こせるからです」(2012年3月21日、創価大学・女子短大卒業式へのメッセージ)
大いなる理想がある限り、いつでもどこでも、何歳からでも、希望を紡ぎ出すことはできる。巌窟王の不屈の歩みは、それを私たちに教えてくれている。
——90年の訪日で最もうれしかったのは「池田SGI会長にお会いしたことです」と語った氏。そして、言葉を継いだ。
「その際、若い学生の方々らが温かく迎えてくださり、歌まで歌ってくださった。私は、27年間、囚われの身で戦ってきましたが、"これで、その努力が報われた"と思いました」
忘れ得ぬ出会いから30年。昨日が、その記念日である。