2020年8月28日金曜日

2020.08.28 わが友に贈る

「月月・日日に
つより給へ」御聖訓。
信行学の基本に徹し
金剛の生命を鍛えよう!
堅実な挑戦の歩みを!

佐渡御書 P0961
『佐渡の国は紙候はぬ上面面に申せば煩あり一人ももるれば恨ありぬべし此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ』

【通解】
佐渡の国には紙がない上に、一人一人に手紙を送るのは煩わしくもあり、また一人でももるれれば恨みに思うことだろう。この手紙を志ある人々は寄り合って読み、よく理解して心を慰めなさい。

名字の言 いつ読んでも違う味がする。それが読書の魅力——芥川賞作家・又吉直樹氏 2020年8月28日
「一度買ったら何度も読めるというのが本のすごく良いところ」と語るのは、芥川賞作家でお笑い芸人の又吉直樹氏だ▼本好きとして知られる氏だが、夏目漱石の『それから』は最初、難しくて読めなかった。そこで『坊っちゃん』『吾輩は猫である』など、他の作品を読んだ後に改めて再読。すると「めちゃくちゃおもしろかった」▼「本の内容は変わりませんが、人間は日々、年を取りながら変わっていきます」と氏。例えば10代で読んだ本を20代、30代で再読すると新しい発見がある。その時にしかできない読み方がある、と氏は言う。「いつ読んでも違う味がする。それが読書の大きな魅力のひとつです」(『夜を乗り越える』小学館よしもと新書)▼「座右の書」というように、再読は本の味わい方の一つ。ところが近年、世代を問わず、読書量の低下が危惧される。国立青少年教育振興機構の調査によると、20代から60代で1カ月に読む紙の本が「0冊」と答えた人は、平成25年に28・1%だったのが、同30年には49・8%へと増加。約半数が"1冊も本を読まない"との結果になった▼「青年よ、心に読書と思索の暇をつくれ」とは、戸田先生の指針。紙媒体に限らず、今は電子書籍もオーディオブックもある。多忙な時こそ、読書に挑戦したい。(銘)

寸鉄 2020年8月28日
進んで魔の働きをかり出し退治してこそ幸福が—牧口先生。難こそ誉れと
葛飾・広布師弟原点の日。我らの前進で地域に光を—大東京の民衆城は堂々
創大・短大の見学会が30日に開催。事前予約制。世界市民の揺籃に来れ!
睡眠不足でウイルス感染のリスクは増加—医師。生活習慣の見直しが第一
接触アプリは感染抑制に効果と。通知された人が行動控える為。賢く活用

☆広宣流布大誓堂で勇躍の世界広布新時代第46回本部幹部会 「世界青年部歌」が発表
◇池田先生がメッセージ——地涌の大生命力で地球社会を救え
「世界広布新時代第46回本部幹部会」が26日午後、広宣流布大誓堂(東京・信濃町)の三代会長記念会議場で開催された。
これには原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長が各部の代表と出席。席上、新たに完成した世界青年部歌「Eternal Journey with Sensei!〜永遠の師弟旅〜」が発表された。
池田大作先生は祝福のメッセージを贈り、創立90周年から100周年への10年は、一人一人が人間革命の勝利の実証を打ち立て、人類の宿命転換を成し遂げていくべき勝負の時であると強調。
我らは「大法弘通慈折広宣流布」の大願で結ばれた創価家族であると述べ、皆が地涌の大生命力を出して、善き友のスクラムを広げ、地球社会を救いゆこうと呼び掛けた。
(全国中継は9月1日から13日〈中継の会場と時間は各県・区で決定〉。同期間中、「モバイルSTB」「SOKAnet」でも配信)

☆小説「新・人間革命」学習のために 第15巻
小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第15巻を掲載する。次回の第16巻は8月7日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

◇人と自然の調和目指す哲学を
<公害問題が深刻化していた1970年(昭和45年)、山本伸一は、大手出版社の依頼に応じて寄稿し、問題解決のための道筋を示す>

彼(伸一=編集部注)は、公害を克服するうえで、「生命の尊厳」の哲学が必要であることは言うまでもないが、その内実の厳しい検証こそが、最も大切であると述べた。
なぜなら、「生命の尊厳」は、これまでに、誰もが口にしてきたことであるからだ。
さらに、あくなき環境支配を促した独善的な思想のなかにさえ、「生命の尊厳」という発想があるからだ。いや、その誤った"人間生命の尊厳観"こそ、無制限な自然の破壊と汚染を生んだ元凶にほかならないのだ。なればこそ、伸一は記していった。
「自然を、人間に征服されるべきものとし、いくら破壊され、犠牲にされてもかまわぬとする"ヒューマニズム"は、実は、人間のエゴイズムであって、かえって人間の生存を危うくする"アンチ・ヒューマニズム"にほかならない。真のヒューマニズムは、人間と自然との調和、もっと端的に言えば、人間と、それを取り巻く環境としての自然とは、一体なのだという視点に立った"ヒューマニズム"であるべきである」
本来、人間もまた一つの生物であり、大自然をつくり上げている悠久の生命の環の、一部分にすぎない。
その環は、生命が幾重にも連なり合った生命の連鎖であって、一つが壊されれば全体が変調をきたし、一カ所に毒物が混入されれば、全体が汚染されてしまうのだ。また、人間が無限と思い込んできた、自然の恩恵も、実は有限であり、地球という"宇宙船"の貯蔵物質にすぎない。
そうした視点をもたない、"独善的なヒューマニズム"に支えられた人類文明は、自然の再生産の能力を遥かに上回る消費を続け、自然を破壊し、汚染して、生命的な自然のメカニズムそのものを破壊しているのだ。
(「蘇生」の章、26〜28ページ)

◇逆境も飛躍へと転ずる生き方
<72年(同47年)7月、「滝山祭」のため創価大学の滝山寮を訪れた伸一は、人生の哲学を語る>

「うらやましいな。ぼくも、こんなところで、思う存分、本を読んで、勉強したいな」
会長としての執務の合間を縫うようにして、会員の激励に飛び回らなくてはならない伸一にとって、それは、率直な心境であった。(中略)
伸一は言った。
「寮生活は、何かと窮屈で、煩わしい面もあるかもしれない。しかし、やがて、その寮生活が、人生の貴重な財産になるよ。
実はオックスフォード大学を訪問した時、案内してくれた教授に、『この大学のことを知りたければ、学生寮に行ってください。それも突然に』と言われたんだ。(中略)
寮に行き、四階の部屋を訪問すると、十九歳だという二人の学生がいた。『何が一番、お困りですか』と尋ねると、そのうちの一人が、『ぼくが勉強しようとすると彼が遊び始めるし、彼が勉強している時は、ぼくが遊びたくなることです』と言うんだよ。
私は、『それは社会に出た時に、どうやって人と対応していくのかという人間学を学ぶ、大事な訓練なんです』と言ったんだ。彼は、納得していたよ。君たちも、同じ思いでいるんだろうね」
居合わせた寮生は、笑いながら頷いた。
自分の直面した事柄から、未来への積極的な意味を見いだし、何かを学び取っていく——そこに逆境をも人生の飛躍台へと転ずる哲学がある。
また、その生き方を貫くなかに、価値創造の実践があることを、伸一は語りたかったのである。
(「創価大学」の章、187〜188ページ)

◇職場は自身の「人間修行」の場
<74年(同49年)5月、創価大学を訪れた伸一は、就職活動に臨む学生たちに、その心構えを指導する>

伸一は、学生たちの就職に対する考え方を正しておかなければならないと思った。
「世の中に安定している会社なんて、一つもありません。社会が激動しているんだから。
日々激戦に勝ち抜くために、どの会社も必死です。発展している会社は常に商品開発や機構改革などを行い、真剣に企業努力をしています。
たとえば、食品会社にしても、医薬品の分野に進出したり、生き残りをかけて、懸命に工夫、研究し、活路を開いているんです。
どの業界も、食うか、食われるかの戦いです。
昨日まで、順調であっても、今日、どうなるかわからないのが、現実なんです。
大会社に入っても、別会社への出向もあれば、人員整理もある。また、倒産することだってあるでしょう。
だから、"この会社に入れば安心だ。将来の生活が保障された"などと考えるのは間違いです。(中略)
就職する限りは、どんな仕事でもやろうと、腹を決めることです」(中略)
皆、頷きながら話を聞いていた。
「社会も企業も、常に変化、変化の連続です。
その時に、自分の希望と違う職場だから仕事についていけないとか、やる気が起こらないというのは、わがままであり、惰弱です。敗北です。
就職すれば、全く不得意な仕事をしなければならないこともある。いやな上司や先輩がいて、人間関係に悩み抜くこともあるかもしれない。
しかし、仕事とは挑戦なんです。そう決めて、職場の勝利者をめざして仕事に取り組む時、会社は、自分を鍛え、磨いてくれる、人間修行の場所となります」
(「創価大学」の章、258〜261ページ)

◇「安国」は仏法者の社会的使命
<71年(同46年)6月6日、先師・牧口常三郎の生誕百年に際し、伸一はその源流を確認しつつ、仏法者の使命を明らかにする>

牧口常三郎が推進した創価教育学会の運動は、日蓮仏法をもって、人びとの実生活上に最大価値を創造し、民衆の幸福と社会の繁栄を築き上げることを目的としていた。
日蓮仏法の最たる特徴は、「広宣流布の宗教」ということにある。
つまり、妙法という生命の大法を世界に弘め、全民衆の幸福と平和を実現するために生きよ。それこそが、この世に生を受けた使命であり、そこに自身の幸福の道がある——との教えである。
したがって、自分が法の利益を受けるために修行に励むだけでなく、他人に利益を受けさせるために教化、化導していく「自行化他」が、日蓮仏法の修行となる。
大聖人は「我もいたし人をも教化候へ」「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書1361ページ)と仰せである。
ゆえに、唱題と折伏が、仏道修行の両輪となるのだ。
そしてまた、日蓮仏法は「立正安国の宗教」である。
「立正安国」とは、「正を立て国を安んずる」との意義である。
正法を流布し、一人ひとりの胸中に仏法の哲理を打ち立てよ。そして、社会の平和と繁栄を築き上げよ——それが、大聖人の御生涯を通しての叫びであられた。
一次元からいえば、「立正」という正法の流布が、仏法者の宗教的使命であるのに対して、「安国」は、仏法者の社会的使命であるといってよい。
大聖人は「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(同31ページ)と仰せになっている。「四表の静謐」とは社会の平和である。
現実に社会を変革し、人びとに平和と繁栄をもたらす「安国」の実現があってこそ、仏法者の使命は完結するのである。
(「開花」の章、303〜304ページ)

◇一対のブロンズ像
1971年(昭和46年)4月2日、開学した創価大学に伸一は一対のブロンズ像を寄贈。そこには創価大学生の永遠の指針となる言葉が刻まれている。

学生らが見守るなか、二つの像を覆っていた白い布が、順番に取り払われていった。見事なブロンズ像が姿を現した。
像の高さは、それぞれ、台座を除いて四メートルほどで、作者はフランスの彫刻家アレクサンドル・ファルギエールである。
向かって右側は、髭をたくわえた鍛冶職人と、腕を高くかざした天使の像であった。鍛冶職人の目は鋭く、信念の炎を燃え上がらせているようでもある。この像の台座には、「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」との、伸一の言葉が刻まれていた。
現代の社会には、楽をすることが得であるかのような風潮があるが、それは不幸だというのが伸一の結論であり、信念であった。
苦労を避け、面白おかしく生きることは、一時的には、よいように思えるかもしれない。
しかし、結局は自身を軟弱にし、敗北させるだけである。
労苦なくしては歓喜もない。また、人間形成もありえない。苦労に苦労を重ね、自らの使命を果たしゆくなかでこそ、自分自身が磨かれ、真実の人生の価値が生まれることを、伸一は、最愛の創大生たちに知ってもらいたかったのだ。
そして、左側は、片膝をつき、未来を見すえるように彼方に目をやる若き印刷工と、翼を広げ、ラッパを吹き鳴らす天使の像である。台座には、「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」と、刻まれていた。学問や学歴は、本来、立身出世のための道具ではない。
人びとの幸福に寄与するためであり、むしろ、大学で学ぶのは、大学に行けなかった人たちに奉仕し、貢献するためであるといってもよい。
ましてや、創価大学は多くの民衆の真心によって実現した大学である。
それだけに、創大生には、その学問の目的を、断じて忘れないでほしかったのである。
いずれの言葉も、伸一が創価大学の出発にあたって、考え抜いた末の指針であった。
(「創価大学」の章、121〜122ページ)