師弟の原点や
信仰の喜びを
家族で語り合おう!
広布の未来を開く
信心継承の夏に!
兵衛志殿御書 P1095
『よりもあはれにふしぎ(不思議)なる事は大夫志殿と殿との御事不思議に候、常さまには世末になり候へば聖人賢人も皆かくれただざんじむねいじんわざんきよくりの者のみこそ国には充満すべきと見へて候へば』
【通解】
何よりも尊く不思議なことは、お兄さんの大夫志殿とあなたの仲のことであり、まことに不思議に思っております。つねの例では、世が末になれば、聖人とか賢人とかいわれる人も、皆、いなくなり、ただ『讒言で人を陥れようとする人間』や『言葉巧みにへつらう人間』、『表面は和やかだが、陰にまわって人を陥れる人間』『理を曲げて我意を通す人間』ばかりが、国中に充満するようになると経文に書かれています。
名字の言 本に出会うことは、人に出会うことと近い——小説家・森博嗣氏 2020年8月8日
小説家の森博嗣氏は子ども時代、読書が苦手だった。理由は遠視。文字を見ようとピントを合わせても前後がぼやけてしまうので、一文字ずつ本を読むしかなかった▼そんな氏が、人生で初めて買った本がエラリー・クイーンの『Xの悲劇』。1ページを読むのに、10分以上もかかった。それでも毎日2時間以上をかけて読み進めた。結局、読了には約1カ月かかったが、その面白さに驚愕したという▼氏は「本に出会うことは、人に出会うこととかぎりなく近い」「本を開き、活字を読み始めるだけで、一瞬にして遠くまで行ける感覚がある」と(『読書の価値』NHK出版新書)。一人の人間が経験できることは限られているが、読書によって、多くの人の人生から学び、世界の文化を知ることができる▼池田先生は「本」について、地球を瞬時に移動できる"世界旅行の切符"であり、歴史を学び、未来社会を生きる"タイムマシン"であり、"偉人との対話の広場"と、未来部員に語っている。青春時代の読書は、「心の翼」を大きく広げ、向上の人生を生きる源泉となる▼未来っ子と共に、たくさんの"良書と出合う"夏としたい。未来部の「読書感想文コンクール」「きぼう作文コンクール」は、その絶好の機会である。(銘)
寸鉄 2020年8月8日
南無妙法蓮華経と唱え奉るを智慧とは云うなり—御書。祈れば必ず活路が
怠けている間に青年時代は過ぎ去る—戸田先生。青春の薫陶こそ生涯の宝
東京・荒川広布原点の日。師が築きし"庶民の都"。誇り胸に友情の輪を拡大
暑かったらマスク外して—小児科医会が子どもに呼び掛け。熱中症に注意
帰省する際も手指消毒や換気、「3密」等避けて—分科会。互いの命守る為
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第5回 難を乗り越える信心<上> 萩本主任副会長
「紙上教学研さん『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」の第5回では、萩本主任副会長と共に、「創価学会 永遠の五指針」の中の「難を乗り越える信心」について学んでいきます。(〈下〉は15日付の予定。前回は7月18日付に掲載。池田先生の講義は『創価学会 永遠の五指針』から引用)
◇池田先生の指導
「嵐は誉れ」です。
その勝利の鍵となるのが、
難と真正面から向き合う、
師子王の如き信心なのです。
1 人類の羅針盤となる哲学
未曽有のコロナ禍の中、世界中の同志が教学を根本に敢然と立ち向かい、学会創立90周年の「11・18」へ、勇んで前進を開始しています。私たち人類は今、未知のウイルスからの歴史的な「挑戦」を受けていると言えましょう。この「挑戦」に人類はいかにして「応戦」すべきか——その羅針盤となる哲学こそ、今回学ぶ「難を乗り越える信心」です。池田先生は講義で、次のように語られています。
■ 池田先生の講義
人間は、思わぬ事に直面した時、どう対応するかが大事となる。まさに挑戦と応戦です。
信心の実践から言えば、難や試練に遭った時に、信力、行力を奮い起こして、仏力、法力を引き出す。その応戦で積んだ「心の財」は大きい。崩れない。そして、多くの人を幸せにする力となります。
"大切な仏子を一人ももれなく幸福に"との恩師・戸田城聖先生の切なる願いが込められた指針が、「難を乗り越える信心」です。
—◆—
近年、災害などの苦境や困難から立ち上がる力として「レジリエンス」という概念が用いられています。これは、「回復力」「抵抗力」のことで、「困難を乗り越える力」を意味します。
池田先生は、毎年の「SGIの日」記念提言や、2018年に発表された、ノーベル平和賞受賞者のペレス=エスキベル博士との共同声明「世界の青年へ レジリエンスと希望の存在たれ!」でも、その重要性を訴えられ、世界の識者から賛同が寄せられています。
今、先行きの見えない不安が社会を覆っています。感染予防と社会経済活動を両立させる「新しい日常」を構築するに当たって、仕事をはじめ、自身や家族の病気・介護、自然災害などへの対応で、誰もが新たな課題に直面しています。
困難の壁が眼前に現れた時、嘆き、諦めるのか、乗り越えようと立ち向かっていくのか——その一瞬の心が、その後の人生を決めます。ひいては、全人類の未来をも決していくのです。
草創以来、学会の同志は「難を乗り越える信心」を貫いてきました。この「創価の賢者の生き方」に、人類が求めてやまない哲学があると確信します。
2 「難即安楽」の不屈の生き方
池田先生は「御義口伝」を拝し、「難即安楽」の法理について講義されています。
【御文】
御義口伝に云く妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事末法に於て今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり(御義口伝、750ページ3行目〜4行目)
【現代語訳】
御義口伝に仰せである。妙法蓮華経を安楽に修行するとは、末法においては、いま日蓮と門下が妙法蓮華経を修行するのに、難が起こってくることを「安楽」であると心得るべきである。
■ 池田先生の講義
「安」とは、何があっても揺るがない信心であり、「楽」とは、何があっても憂いなく生き抜いていける信心です。
戸田先生は、「試練の山を一つ切り抜けるたびに、成仏という、崩すことのできない境涯となっていくのである」と、一つ一つ、乗り越えていくことの大切さを教えられました。「一つ一つ」です。信心が深まるのを待って、それから難に向かうのではありません。難に向かっていく中で生命が磨かれ、金剛の信心が鍛え上げられるのです。
—◆—
「難即安楽」の法理は、一見、正反対の事柄が「即」でつながれています。この「即」とは"何もせずにそうなる"という意味ではありません。"必ずそうしてみせる!"という不屈の信心の一念と行動にほかなりません。
新型コロナの感染拡大によって、多くの同志が経済的苦境に立たされています。そのご苦労はいかばかりでしょうか。
建設会社を経営する、東京の壮年リーダーの体験です。これまでも事業の危機をたゆまぬ唱題の実践で乗り越えてきました。しかし、今回のコロナ禍で、予定していた工事がことごとく延期や中止となり、資金繰りが逼迫し絶体絶命のピンチに。落ち込みそうになる心を鼓舞し、夫妻して強盛に題目を唱え抜きました。すると、大きな受注が入り、何とか当面を乗り切れる状況になったとのこと。
青年部時代から池田先生の激励を受けてきたその方が「必ず仕事で実証を示し、先生にお応えします」と意気軒高に語られる姿に、「難即安楽」の不屈の生き方を垣間見る思いがしました。
かつて先生は「苦悩が何もないことが幸せなのではない。負けないこと、耐えられることが、幸せである」「一番、苦労した人が、最後は一番、幸福を勝ち取れる。幸福は、忍耐という大地に咲く花であることを忘れまい」とつづられました。
大事なのは「勝つこと」よりも「負けないこと」です。「真の安楽」とは「どんな苦難にも負けない」との確信であり、そこに、「絶対的幸福境涯」が開かれていくのです。
3 学会と共に大歓喜の人生を
苦難に直面した時、絶大な支えとなるのが師匠と同志の存在です。先生は、学会と共に歩む人生がいかに素晴らしく、尊いかを教えてくださっています。
■ 池田先生の講義
私たちは、いかなる障魔が競い起ころうとも、強き信心で、御本尊に祈ることができます。そして、共に励ましあえる同志がいます。
したがって、学会とともに歩む人生、それ自体が、最高の「難即安楽」の人生を歩んでいることになるのです。
いたずらに難を恐れて、"ほどほどに"小さく固まって生きる——そうした臆病な姿勢では、「歓喜の中の大歓喜」は得られません。日蓮大聖人の仏法は、消極的人生とは対極にあるといってよい。
「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(御書1448ページ)、「賢者はよろこび」(同1091ページ)です。
「さあ何でもこい!」「難があるからこそ、人生を大きく楽しめるんだ。多くの人を救えるんだ」という、究極の積極的人生にこそ、真実の安楽があると教えられているのです。
—◆—
2000年(平成12年)7月、第2総東京長に任命された直後、先生から「戦いの要諦は家庭訪問だよ」とのご指導をいただきました。ご自身の"大阪の戦い"を通して、「私は徹底して家庭訪問に回った。自転車を3台乗りつぶして、8000軒、回った。君は1万軒、回りなさい」と。
同志のお宅に伺う際、私は必ず「先生との思い出」を聞いてきました。かつて記念撮影会に参加した方や、直接の出会いがなくとも、伝言や激励をいただいた方など、皆さん、必ず師弟の絆があります。さまざまな理由で思うように学会活動に参加できていない方も、先生との原点を語る時は、本当に喜びにあふれた顔をされます。一人一人に、それぞれの、師匠との原点がある。これこそが学会の強さの秘訣であると実感してきました。
今、小説『新・人間革命』の研さん運動が全世界で展開されています。山本伸一の振る舞いや言葉に触れて師弟の精神を学び、各自が"自分自身に向けられた指導"をつかみとっています。ほかの誰でもない、「自分と池田先生」との一点を、今再び生命の中心に据えることが、広布の推進力となることは間違いありません。
池田先生は、徹底して一人を大切にされてきました。その振る舞いによって築かれたのが麗しい創価の連帯です。
師の心をわが心として、どこまでも学会と共に!——この一念に、難を乗り越えていく力が湧き上がっていくのです。
4 悩める友の勝利を開く
続いて先生は、難の正体を喝破された「三沢抄」を拝されます。
【御文】
それに叶はずば我みづから・うちくだりて国主の身心に入りかわりて・をどして見むに・いかでか・とどめざるべきとせんぎし候なり(三沢抄、1488ページ1行目〜3行目)
【現代語訳】
(第六天の魔王が一切の眷属に命令して「各各の能力にしたがって、彼の行者を悩ましてみよ。それで駄目だったなら、彼の弟子檀那および国土の人々の心の中に入り代わって、あるいは諫め、あるいは脅してみよ」と言い)「それでも駄目だったなら、私が自ら降りていって国主の心身に入り代わって脅してみれば、どうして止められないことがあるだろうか」と評議するのである。
■ 池田先生の講義
第六天の魔王は、民衆が正法に目覚めて立ち上がることを阻もうとするのです。法華経の行者にとって、勝利とは、自分だけにとどまりません。悩める友、さらには、未来の友の勝利の大道を限りなく切り開いていく、尊き挑戦なのです。
—◆—
同志の体験に共通するのは、苦難に立ち向かい、題目を唱えていく中で大きく一念を転換されていることです。"自身が苦難を乗り越えることで、同じ苦難に悩む友の希望になる"との、「願い」から「誓い」への大転換です。これは、あの東日本大震災の時、被災地で激励に歩く中で深く感じたことでもあります。
東北のある壮年リーダーは震災直後、妹夫妻の行方が分からない中でも、"心の財は壊されない"との池田先生の万感の激励を自身の支えとして、不眠不休で友を励まし続けました。「自分が踏ん張れたのは同志のおかげです。自分にどんなことがあっても、苦難を共にする同志の最後の一人が立ち上がるまで励ましを送ろう、と決意しました。ただ先生にお応えしたいという一心でした」と。
その後、妹夫妻の鮭鱒養殖業を継いでマイナスからの再建に踏み出し、一昨年は過去最高の出荷量になったそうです。
コロナ禍で会社は大変ですが、震災の時に高校生だった次男が立派に成長し、一緒に働くことになったとの明るい話題もあり、「もう一回、新しい決意で出発します」と力強く語ってくれました。
こうした同志の姿には、苦難に負けず、妙法の功力を証明しゆく「地涌の菩薩」の尊い生命が光り輝いています。
■ 池田先生の講義
地涌の使命を自覚すれば、偉大な力が出る。難は、民衆を救うために、自ら願って受けた難となる。そして、それを乗り越えることで、人々を救うという願いを果たすことができる。使命を果たすために難はあるのです。
「なぜ自分が」という嘆きから、「だからこそ自分が」という誇りへ、難に対する姿勢の大転換を教えられているのです。