2020年8月15日土曜日

2020.08.15 わが友に贈る

「一は万が母」だ。
目の前の一人を幸福に!
近隣との友好を大切に!
皆が輝く社会の建設へ
希望の千波万波を!

三沢抄 P1487
『たとひ明師並に実経に値い奉りて正法をへたる人なれども生死をいで仏にならむとする時にはかならず影の身にそうがごとく雨に雲のあるがごとく三障四魔と申して七の大事出現す』

【通解】
たとえ智慧明らかな師匠に出会い、真実の教えである法華経に巡りあって、正法を得た人であっても、生死の苦悩の流転を越え出て仏になろうとする時には、必ず影が身に添うごとく、雨に雲が伴うごとく、三障四魔といって七つの大きな出来事が現れてくるのである。

名字の言 きょう終戦記念日。残酷と悲惨を繰り返さないために 2020年8月15日
先月、ある婦人部の方が95歳の長寿を全うされた。ご家族から来し方を伺った。75年前の2月、東京で空襲に遭った。おなかの中に赤ちゃんがいた。米軍の爆撃機B29に家を焼け出され、実家のある千葉へ。山道を歩いている途中で破水したが、命懸けで実家にたどり着き、娘を産んだ▼後年、家族で創価学会に入会。婦人は池田先生と共戦の絆を結び、題目根本の一生を貫いた。今、孫娘は地区婦人部長として地域広布の要に。その子も学生部として後継の道を進む。一人の生命は決して一人だけのものではない。一つの生死に数え切れない縁起が交わり、新しい物語が紡ぎ出される▼3年前のNHKの調査で「日本が終戦を迎えた日」について、全国の18、19歳の実に14%が「知らない」と答えた。日本社会のあり方が問われている▼学会の反戦出版は100冊を超え、今も広島、長崎、沖縄を中心に巻を重ねている。池田先生は「(学会の反戦出版は)加害者としての体験も入っています」。また歴史観を鍛えるためには「ひとことでは言えないが、根本は『民衆への信頼』を手ばなさないことではないだろうか」と語る(『青春対話』)▼きょう8月15日は終戦記念日。あの「残酷」と「悲惨」を二度と繰り返さぬための道しるべである。(寅)

寸鉄 2020年8月15日
終戦75年。平和ほど尊きものはない。誓い新たに草の根の民衆の連帯拡大
青年の特徴は情熱と思索それがあれば年を取らぬ—恩師。生涯青春の心を
友情は魂の結び付きである—哲人。帰省等活用し励ましを懐かしき友にも
連日の猛暑で男性用日傘が好評と。身体的距離も自然に。新たな日常、皆で
真夏の自動車内は50度超に上昇。短時間でも命の危険が。子の放置は厳禁

☆夏の高校野球 東西の創価球児の挑戦 2020年8月11日
◇感謝の心を胸に! 逆境の中で光った負けじ魂の全力プレー
新型コロナウイルスの感染拡大により、8月に甲子園で開催予定だった全国高校野球選手権大会は、地方大会も含めて中止が決定。各都道府県では、独自の代替大会が行われている。かつてない状況の中、感染予防に努めながら、負けじ魂で"最後の夏"を戦い抜いた東京・関西の創価高校硬式野球部の歩みを追った。

〈東京〉
昨夏、2・3年生を中心としたチームで西東京大会準優勝に輝いた創価高校。最終回に振り切られ、あと一歩で夢に届かなかった悔しさを、現3年生は味わった。"先輩が果たせなかった甲子園出場を絶対につかむ"——新チームは、ひときわ強い自覚で始動した。
だが、春のセンバツ甲子園につながる秋季都大会では、準決勝まで駒を進めるも、再び最終回に試合を決められ、惜敗。度重なる悔しさをバネに、集大成の夏へ、鍛えの冬を過ごしていたさなか、新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた。
練習を中断し、2月末の終業式と同時に、寮で暮らす選手も、全員が実家に帰宅。先行きが見えない不安の中で、在宅でのトレーニングやオンラインでのミーティングを続けた。
しかし状況は悪化の一途をたどり、3・4月の春季大会は中止に。さらに5月中旬、夏の甲子園大会も中止の方向との報道が流れた。
それを受け、片桐監督と3年生はオンラインミーティングを開催。代替大会が実施される意向が発表されたことを踏まえ、監督は"たとえ甲子園がなくなっても、創価高校野球部の誇りをもって最後まで戦えるか"と、一人一人に問い掛けた。
当時の心境を、監督が振り返る。「彼らにとって甲子園は、3年間の集大成というだけではなく、野球を始めた頃から憧れてきた夢です。それが戦わずしてなくなるという現実は、容易に受け止められるものではありません。私自身、なんと声を掛けていいか悩みました」
3年生から返ってきた答えは、思いがけないものだった。他の部活動の多くは、最後の機会も得られずに引退になった。でも自分たちは、そのチャンスを与えられた。そのことに感謝したい——と。
悔しくないはずはない。一晩泣き明かした選手もいた。しかし、前を向いて戦うと全員で決めた。勝つことが先輩との約束。だから代替大会で必ず優勝しようと誓ったのだ。
夏の甲子園の中止と、代替大会の開催が発表された直後。チームは"最後の夏"へのスローガンを決めた。河合主将を中心に、3年生が考え出した言葉は「感謝」だった。
ある選手は言う。
「甲子園という夢を追い掛けることができたのは、支え続けてくれた人たちがいたからです。だからこの大会は、創立者・池田先生や家族をはじめとする皆さんに感謝を伝える場にしたい。そう思ったんです」
副題には「play for someone(誰かのために)」と。"one"には「one team」と「No.1」を掛けた。応援してくれる全ての方々のために、全力でプレーしよう!——7月、3年生の最後の戦いが始まった。
シード校として、2回戦から登場した創価は、投手中心の堅守と強打がかみ合い、順調に勝ち上がっていく。
初戦と3回戦は5回コールドで勝利。4回戦は8対7で競り勝ち、主戦・森畑(3年)が初先発した準々決勝は12対1(6回コールド)で快勝する。
準決勝では、今大会を制した東海大学菅生高校と対戦。5対12で破れるも、急成長を遂げた石田(同)の本塁打などで執念の追い上げを見せ、大健闘の西東京ベスト4となった。
試合を終えて、「優勝はできませんでしたが、今日までのプレーで感謝の一端は伝えられたと思います」と河合主将。
「後輩たちには絶対に甲子園に行ってもらいたい」——負けじ魂の挑戦は、次の代へと受け継がれた。

〈関西〉
夏の甲子園の中止が発表された5月20日の夜。関西創価高校の3年生は、オンラインでミーティングを行った。
夢が奪われてしまった悔しさともどかしさで、重苦しいムードが漂う。そんな空気を一変させたのは、チームの盛り上げ役を担う、ある選手の一言だった。
「関西創価で、このメンバーと一緒に野球ができたことが一番の幸せ。感謝しかない。それを、この自粛期間に再確認することができた。だから最後まで思い切り戦いたい」
そうだ! 甲子園という目標はなくなっても、"野球を通して人間を磨く"という関西創価の目的は変わらない。「代替大会に向けて、皆の心が一つになった瞬間」(山並監督)だった。
6月下旬、一部のメンバーが集まり、グラウンド練習を再開。さらに、新たなコーチとして、元プロ野球選手の藤井康雄さんが就いた。現役通算282本塁打を放った強打者。引退後は複数の球団で打撃コーチを務め、多くの選手を育ててきた。球児たちは向上心を燃やし、積極的に指導を求めていく。
7月5日、ついに1年生から3年生まで、全員がそろっての練習がスタート。選手たちは野球ができる喜びをかみ締めながら、泥だらけになって白球を追い掛けた。
すでに初戦まで3週間を切っていたが、その後の練習試合では強豪相手に何度も逆転勝ち。打力を鍛え上げたチームは、終盤の粘り強さも身に付け、大阪大会に臨んだ。
関西創価が所属する大阪は、全国屈指の激戦区。"大阪を制するものは天下を制す"といわれるように、甲子園の優勝回数は、大阪の高校が最も多い。
今回、関西創価が入ったのは有力校が集まる注目ブロック。初戦(2回戦)の対戦校は、昨夏の大阪大会準優勝で昨秋の府大会ベスト4の金光大阪高校である。
格上の相手に食らい付く気持ちで挑んだ試合は、初回に上原(3年)の先制2点本塁打が飛び出し、一気に流れを引き寄せる。
その後も打線がつながり、計12得点。投げては先発の橋本(同)が6回無失点・被安打1の好投で、7回コールド勝ちを収めた。
続く3回戦(大阪産業大学付属高校)は、序盤に4点を失う苦しい展開に。だが、竹内(同)の好救援が、徐々にチームをリズムに乗せていく。
2点差まで追い上げて迎えた終盤。粘る打線が八回二死から同点に追い付き、最終回、田村(同)の適時三塁打などで3点を奪った。何があっても諦めない負けじ魂が、大逆転のドラマを生んだのだ。
そして、4回戦の関西大学第一高校との一戦。3点を追う九回二死から1点を返し、大城(同)の適時打で1点差に。試合は惜しくも敗れたが、真夏の熱闘を終えた選手の表情は皆、すがすがしかった。
大会後、山並監督は語っていた。
「先行されても焦らず、最後まで闘志を燃やして朗らかに戦い続ける彼らから、『負けじ魂 朗らかに』(創立者が加筆した学園愛唱歌の歌詞の一節)の意味を教えてもらいました」
コロナ禍という未曽有の困難にも屈しなかった3年生たち。この経験を糧に、彼らはそれぞれの道を歩んでいく。
"人生の甲子園"での勝利を目指して——。