◇今週のことば
友の幸福と社会の安穏を
今日も強く祈りゆこう!
「自他共に智慧と慈悲と
有るを喜とは云うなり」
新時代に深き生命観を!
2020年8月3日
松野殿御返事 P1388
『但在家の御身は余念もなく日夜朝夕南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ』
【通解】
在家の身としては、ただ余念なく、日に夜に、朝に夕に南無妙法蓮華経と唱えて、最後臨終の時を見なさい。
名字の言 講談界の人間国宝が心に刻む言葉 2020年8月3日
講談界で初の人間国宝に認定されたのは、六代目一龍齋貞水氏。座右の銘は「偉大なる未完成を目指す」である▼62歳での栄誉だったが、実は自分では、前座時代のように勢いのある高座は、体力的に難しいと感じていたそうだ。そんな時に思い出したのが、かつて先輩に言われた「芸は枯れちゃいけねえ」との言葉。つまり"年齢を理由に芸を衰えさせてはいけない"と▼そこで氏は、「赤穂義士伝」「緑林五漢録」などの長編読み物に、失敗を恐れず挑むように。またジャズダンスや京劇との共演のほか、ヨーロッパ公演を行うなど新しい取り組みを始めた。「芸人は死ぬまで勉強」という氏は、81歳の今も、がんと闘いつつ高座に上がる(塩崎淳一郎著『評伝 一龍齋貞水』岩波書店)▼どんな世界でも、"現状に満足せず努力を重ねる人"は、人々に勇気と生きる力を与えてくれる。人は往々にして"こんなものだ""これくらいで"と考えがちだが、それは自分を諦めるに等しい。そこに生命の躍動や精神の輝きはない▼日蓮大聖人は「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)と。成長の夏を目指して"今""ここ"から、新たな挑戦を開始しよう。"いよいよ"の心から、未来の可能性は無限に広がっていく。(誼)
寸鉄 2020年8月3日
会長の対談集には混迷の中から未来開く展望が—識者。今こそ胸に刻んで
学生部が教学実力試験へ研鑽の夏。剣豪の修行の如く!民衆守る知性磨け
人材を育てる人が人材—恩師。次代の青年励まし、共に青年の心意気で前進
運動不足による身体機能低下で感染症への抵抗力が弱まると。聡明に工夫
親が5%変われば子どもは50%変わる—教育者。親は子の鑑。挑戦の姿を
☆心に御書を 第63回 絶対的幸福の直道を
〈御文〉
『妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり』(一生成仏抄、383ページ)
〈通解〉
妙法と唱え、蓮華と読誦するときは、わが一念をさして妙法蓮華経と名付けるのであると深く信心を起こすべきである。
〈池田先生が贈る指針〉
最も基本の勤行・唱題が、どれほど深遠な仏道修行であるか。
「我が一念」こそ妙法の当体なりと覚知し、金剛不壊の仏の大生命力が涌現しゆく儀式なのだ。
どんな悩みも打ち破れぬわけがない。広大無辺の功徳力を引き出せる。
「歓喜の中の大歓喜」の題目で、自他共に「一生成仏」という絶対的幸福の直道を!
☆ONE GOSHO 南条殿御返事
◇平和の楽土を築く挑戦
本年8月で終戦75年——。日蓮仏法は、万人の幸福のための「平和の哲学」にほかならない。今回は、妙法を弘めることが、社会を変えゆく方途であることを学ぶ。
◇御文
『かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり』(御書1578ページ)
◇通解
このように不思議な法華経の行者の住処であるから、どうして霊山浄土に劣ることがあるだろうか。法華文句に「法が妙であるがゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人がいる所も尊い」といっているのはこのことである。
◇背景
本抄は弘安4年(1281年)9月、日蓮大聖人が身延で著され、駿河国(静岡県中央部)の門下・南条時光、あるいは南条一族の誰かに与えられたと推定されている。
頻発する自然災害や、深刻な飢饉、疫病の大流行に加え、本抄ご執筆の直前には2度目の蒙古襲来があり、世情は極めて騒然としていた。
そのような状況下で、お手紙を頂いたこの門下は、何らかの病を患っていたようだが、大聖人のもとへ使いを送り、赤誠の御供養を届けた。
大聖人は、困難な中でも供養を届けた門下の真心に対し、末法で法華経の行者にわずかでも供養する人は、計り知れないほどの大果報を受けるであろうと、門下の志を最大に称えられている。
◇解説
本抄の冒頭、日蓮大聖人は、門下の病身を気遣われ、"再会する日を待ち望んでいる"と慈愛の励ましを送られている。
御執筆当時、大聖人が住まわれたのは、人里離れた身延の山中にある、小さな草庵であった。
しかし大聖人は、拝読御文で、正法受持の人の尊貴さを表した天台大師の『法華文句』の言葉を引かれ、妙法を実践する法華経の行者がいる場所であるがゆえに、霊山浄土(仏の住む清浄な国土)にも劣らないと述べられている。
「法華経の行者」とは、妙法を持ち、実践する人のことである。
現代でいえば、大聖人の仏法を正しく実践し、妙法弘通に生き抜く、創価学会員一人一人である。
人間の真価は、いかなる法を持ち、いかなる生き方をするかで決まる。
世界最高峰の哲理を持ち、広布に励む人は、世界で最も尊貴な存在であり、その人の住む場所もまた、平和と安穏の仏国土として輝かせていくことができるのだ。
言い換えれば、自分が今いる場所を"希望の天地"として開いていく実践が、仏法者の使命なのである。
とりわけ、混迷の渦巻く現代社会にあって、対話によって世界第一の生命尊厳の思想を広げることで、地域や社会、職場を一段と繁栄させゆく挑戦こそ、私たち男子部の責務にほかならないのだ。
池田先生はかつて、終戦の日を前に、「いずこの地を訪れても、私が祈りを込めて拝してきた御聖訓」として、今回の御文を記し、こうつづられた。
「たとえ今、どんな苦境にあろうと、妙法を受持した創価の友が献身する国土が、平和に勝ち栄えていかないわけがない。草創以来、この確信で同志を励まし続けてきた」
この師の心をわが心とし、学会員は"一人の変革が社会を変える"との「人間革命」の精神を胸に、地域社会に尽くしてきた。
その陣列は今や世界192カ国・地域に広がる。この「人間革命の連帯」こそ、平和建設の最大の力にほかならない。
広島への原爆投下から48年後の1993年(平成5年)8月6日、先生は小説『新・人間革命』の執筆を開始された。その冒頭に「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない」とつづられた真情を、かつて、「『原爆の日』に、自らに下した、平和への闘争宣言であった」と述懐された。
翻って今、師の"闘争宣言"を受け継ぎ、平和の世紀を開くのは、私たち後継の青年の使命である。
「誰か」ではなく「自分」が、「いつか」ではなく「今」、大確信の対話に挑み、人間革命の大連帯を広げたい。