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阿仏房尼御前御返事 P1308
『相構えて相構えて力あらん程は謗法をばせめさせ給うべし、日蓮が義を助け給う事不思議に覚え候ぞ不思議に覚え候ぞ』
【通解】
心して力あるかぎりは、謗法を責めていきなさい。日蓮が義を助けられることは、実に不思議に感じられてなりません、不思議に感じられてなりません。
名字の言 被爆者の"生の声"が聞けなくなる時代に大切なもの 2020年8月14日
広島市にある巨大なレンガ張りの倉庫「旧陸軍被服支廠」。建物の西側に面した市道を歩くと、原爆のすさまじい爆風で変形した鉄扉が目に飛び込んできた▼原爆投下から75年。被爆者の平均年齢は83歳を超え、被爆体験を直接、聞くことができなくなる「被爆者なき時代」が近づいている。壮絶な体験に基づく証言ゆえに力があり、説得力がある"生の声"に頼ることのできない時代が間もなく訪れる▼広島平和記念資料館に、真っ黒に焼け焦げた中学生の弁当箱が展示されている。爆心地から600メートル。少年は弁当を食べることはできなかった。この弁当箱は、母親が骨になった息子の遺体を見つけた時、遺体の下にあったもの▼弁当を楽しみにしていた少年の気持ち。息子ではなく弁当箱だけが手元に戻った母親の気持ち。こうした思いを本人に直接、聞かなくても、この弁当箱から感じ取ることができるだろうか。「一番大切なものは想像力」と語るのは、今年83歳の被爆者。「もの言わぬ核兵器の証言者から学び取れる感受性を身に付けてほしい」と▼想像力が自分と自分以外の世界を結び、人生を豊かにする。相手を思う「同苦」の心から想像力は生まれる。同じ経験はできなくても、想像力を働かせる努力だけは惜しむまい。(川)
寸鉄 2020年8月14日
戸田先生と池田先生の出会いの日。師弟の結合は崇高。後継よ大道を歩め
関西・師弟原点の日。仰ぎ見る常勝の城は堂々と!世界の模範たる前進頼む
御書「日月・衆星も己心にあり」。心は宇宙大。挑戦した分、境涯は拡大
屋外でのマスク、表面が39度超にも。2メートルの距離確保で外すなど自己防衛
回向の本義は信心の功徳を故人に回らし向ける事三世の安穏へ誓い新たに
〈社説〉 2020・8・14 あす終戦の日 2020年8月14日
絶対悪を直視する眼が未来を開く
AI(人工知能)を使った当時の写真のカラー化、VR(仮想現実)で戦争被害の様子を再現して可視化するなど、デジタル時代の戦争伝承が進む。
NHKは地方紙などと連携し、戦時中のエピソードを募集。アニメ映画の主人公と重ねた「#あちこちのすずさん」が反響を呼んだ。
戦争の非体験者しかいない時代が近づく中、新技術を駆使した挑戦には価値がある。
その上で、"どう伝えるか"と同時に、"何を伝えるか"が問われていることも忘れまい。
戦争には被害があれば、加害もある。両面に目を向けずして、日本の侵略で被害に遭ったアジア各国や世界から真に信頼される日は来ないだろう。
著名な生物地理学者のジャレド・ダイアモンド教授は近著で、戦後のドイツと日本の歩みの違いに触れている。
ドイツが子どもたちにナチスの残虐行為を詳しく教えている一方で、日本は被害者意識を抱いた、と(『危機と人類』下巻、日本経済新聞出版社)。
75年前、戦争が終わった日は、日本の軍国主義に蹂躙された国の人々にとっては、悲惨からの解放の日だった。
戦時中、"何が起こったか、何が奪われたのか"。そして"何を起こしたのか。何を奪ったのか"。
終戦から時が遠ざかるほどに、双方を見つめる視野を広げたい。
「原爆を落とす必要はなかった」——先日、米有力紙ロサンゼルス・タイムズに載った論説が注目を集めた。広島・長崎への原爆投下は戦争の早期終結のために必要だったとする見解が一般的な米国では異例の主張だ。
人種差別という社会問題に再び向き合う自国の現況を踏まえ、「負の歴史を見直している今こそ、日本の都市に対する核兵器の使用について、国民の間で率直な対話をするのにふさわしい時だ」(6日、NHKニュース)と。
人間は戦争を起こし、戦争は人間を狂わせる。だが、人間には相互理解を深め、平和な世界をつくる力もある。
突然、戦争は起こらない。平和の潮流を今いる場所で広げ続けたい。自分たちに都合がいいように過去を捉える歴史修正主義に陥れば、それは、他者の苦しみを顧みなかった植民地主義と同根である。
池田先生は、かつての満州の一部に当たる黒竜江省の社会科学院一行との出会いに触れ、つづった。
「過去を直視することは自虐ではない。自省である。自省なきところに、未来は開けない。歴史を抹殺する者は、歴史に抹殺される。過去の過ちに学んでこそ、価値ある出発ができ、他国からも尊敬されるのだ。国民が誇りをもてる国になれるのだ」
あすは終戦の日。生命尊厳の哲学を胸に、人間主義の民衆運動を広げる使命をかみ締め、平和を誓う日としたい。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 千日尼御前御返事(下)(雷門鼓御書) 2020年8月8日
◇師への誓い光る向上の青春を
今月は、「千日尼御前御返事」の後半を学びます。
池田先生は、つづっています。
「一人一人が人間革命のドラマの主人公です。一人ももれなく、確かな幸福の軌道を歩み抜くのです。そのために、日蓮大聖人が教えてくださったのが、『心こそ大切』の大哲理です。『心こそ大切』——いつでも、どこでも、誰でも『人間革命』を勝ち開いていける究極の要諦が、ここにあるといっても過言ではないでしょう」
日蓮大聖人が示された「心こそ大切」との仏法の真髄を学び、わが心を磨き輝かせゆく"行学の夏"の前進を開始していきましょう。(拝読範囲は1316ページ10行目「譬えば黒漆に」〜1317ページ本抄末尾です)
◇本抄について
本抄は、弘安元年(1278年)閏10月19日、日蓮大聖人が身延で認められ、山海に隔てられた佐渡の地に住む、門下の千日尼に送られたお手紙です。
千日尼は、大聖人が佐渡に流されていた時、夫の阿仏房と共に弟子となり、命を懸けて大聖人をお守りしました。
大聖人が身延に入られた後も、夫妻は使命に燃えて、佐渡の広宣流布の中心者として活躍します。さらに、夫の阿仏房は、幾たびも遠路はるばる大聖人をお訪ねし、御供養の品をお届けしました。
本抄で大聖人は、毎年のように阿仏房を送り出してきた千日尼の真心を称賛され、"妙法を持つ女性は必ず幸福になる"と最大に励まされます。
また、「雷門の鼓」が千万里の遠くにあっても瞬時に聞こえるように、いかなる距離も超えて、師弟の心はつながっていることを教えられます。このことから本抄は「雷門鼓御書」とも呼ばれています。
◇御文
『譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ』(御書1316ページ15行目〜18行目)
◇通解
譬えば天空の月は遠く四万由旬も離れていますが、大地の池には瞬時に影が浮かび、雷門の鼓は千万里の遠くにあっても打てば瞬時に聞こえます。あなたの身は佐渡の国にいらっしゃいますが、心はこの国に来ています。
仏に成る道もこれと同様です。私たちはけがれた国土におりますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。お会いしたからといってどうなりましょう。心こそ大切です。
◇[解説]求道心が行動に表れる
掲げた御文の冒頭、大聖人は、天空の月も地上の水面に姿が映ることや、古代中国の「雷門の鼓」は、千万里離れていても瞬時に音が聞こえることをあげられています。
仏法を求める心は、必ず行動となって表れます。大聖人は、毎年のように夫を送り出す千日尼の心を推し量り、天月や「雷門の鼓」のように"あなたの身は佐渡の地にあっても、心は私のところに来ていますよ"と述べられます。
師への真心を尽くす千日尼の思いに寄り添いつつ、"心は共に戦っているではないですか"との激励であると拝されます。仏法の強い師弟の絆を教えてくださる、師の深い慈愛に、千日尼は勇気と希望を感じとったに違いありません。
大聖人はさらに「仏に成る道」においても、大切なのは"心"であることを示されています。
続く御文で、"身"は「穢土」という苦悩に満ちた現実世界にあっても、正法を行じる私たちの"心"は、共に「霊鷲山」、すなわち常寂光土にあると教えられています。
「心は霊山に住べし」とは、自身の胸中には、何ものにも負けない"仏の生命"を涌現することができることを教えられているのです。そのことを確信し、どんな時も信心で心を磨き前進する挑戦が、私たちの仏道修行の根本なのです。本当の幸福とは悩みがないことではなく、悩みなどに振り回されず、妙法に生き抜く人生にあるのです。
続いて大聖人は、千日尼に「御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」と述べられます。"会えるか会えないか"といった形式ではなく、「師弟不二の心」こそが大切であるとの仰せです。
私たちは、変化の連続で、困難の絶えない現実を生きています。時に、思い通りにいかないことに苦悩したり、未来に対する不安に駆られたりすることがあるかもしれません。
しかし、信行学に励んで心を磨き、御書と池田先生の指導を根本に「人間革命」の実践を貫いていけば、必ず最高の幸福を築き、自分らしい使命の人生を歩むことができます。
「心こそ大切」との確信で、師弟の誓い光る向上の青春を歩んでいきましょう。
◇真夏の青空に大輪の花を咲かせるヒマワリ(福岡県朝倉市)
池田先生の講義から
「不退の心」「常勝の心」「先駆の心」「前進の心」「不屈の心」「決定の心」「勇気の心」「慈愛の心」「包容の心」「励ましの心」「感謝の心」、そして「"負けじ魂"を貫く心」——。私たちは日々の地道な仏道修行を通して、いつしか「仏界の心」、「菩薩界の心」をわが生命の大地から呼び出しています。「心一つ」で、自身を変え、周囲を変え、社会を変える一念三千の秘術を体得しているのです。
それは、単なる気の持ちようとか、気休めなどの観念論ではありません。真の「心の変革」は、「現実の変革」を約束するのです。「わが心」すなわち生命境涯を深めていくことが、人間革命の宗教の真骨頂です。功徳とは、わが生命の変革にほかならないからです。(中略)
「どこまでも広布の誓願に生き抜く心」
「どこまでも学会と共に前進する心」
まさしく、妙法に生き、師弟に生き、同志と共に生きていく「心」があれば、そこから一切が開けます。未来を築くのは、今の「心」にあるのです。(『人間革命の宗教』)
研さんのために
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻(聖教新聞社)
○…『人間革命の宗教』(同)