2020年8月31日月曜日

2020.08.31 わが友に贈る

◇今週のことば
「行学たへなば
仏法はあるべからず」
実践の人は明るい。
学びの人は朗らかだ。
下半期の出発を力強く!
2020年8月31日

法蓮抄 P1044
『戯論に一言継母の継子をほむるが如く心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は彼の三業相応の信心にて一劫が間生身の仏を供養し奉るには百千万億倍すぐべし』

【通解】
戯れに一言でも、継母が継子をほめるように、志がなくても、末代の法華経の行者をほめ、供養する功徳は、かの三業相応の信心によって一劫の間、生身の仏を供養することよりも百千万億倍すぐれている。

名字の言 配達員の皆さんに最敬礼! 2020年8月31日
東京の郊外で、今月から本紙の配達員になった壮年がいる。自転車の前カゴいっぱいに新聞を積んで出発する。昼間はまだ厳しい暑さが続くが、日が昇る前だからだろうか。秋の訪れを感じる▼この壮年、配達を始めてから地域のことがよく見えるようになったという。読者や散歩をしている人から「ご苦労さま」と声を掛けられると、早朝の疲れも消える。一方、新聞が入らないぐらいポストに郵便物がたまっていると、「家の中で倒れていないだろうか」と心配になる▼ビニール袋に入れて配る雨の日をはじめ、苦労も多いが、壮年は「感謝しかありません」と胸を張った。感謝の人は美しい。「さいわいは心よりいでて我をかざる」(御書1492ページ)との御文通りの姿に深く最敬礼した▼神戸市内で35年間、週7日、本紙を配達した婦人が大確信で語っていた。「配達の功徳はホンマ大きいで。おばちゃんを見てみい。何一つ不自由ない境涯や。この境涯、他の人に分けてあげたいくらいや。だから配達は感謝の心でせなあかん」▼何事もそうだが、どうせやるなら感謝の一念で取り組みたい。感謝の心から希望も感動も喜びも生まれる。今朝も地域に幸の便りを届けてくださる配達員の皆さん、いつも本当にありがとうございます!(側)

寸鉄 2020年8月31日
SGIの励まし運動には人々を結ぶ力が—州議。分断進む今、我らの出番
世界青年部総会へ男子部が出発式。未来は君らの双肩に。栄光の歴史開け
学生部の日。時代変革の先頭には常に学徒あり!智勇兼備の指導者と育て
の思想は実践のうちに生命を得る—作家。広布も人の振舞に。大誠実で
防災週間。感染症で持ち出し袋も変化。マスクや消毒液等、備えを万全に

〈社説〉 2020・8・31 あす「牙城会の日」
◇新たな大道を開く若き師子王
あす9月1日は「牙城会の日」。
1963年(昭和38年)のこの日、東京・信濃町に新学会本部(当時)が落成した意義と「学会厳護」の誓いを込め、76年に制定。牙城会の友は毎年、この日を節目に、決意を新たにしてきた。
しかし本年、メンバーを取り巻く環境は激変した。コロナ禍により、創価学会として会館の使用を長期にわたって自粛。雨の日も風の日も会館に集い、地域の宝城を誇りを持って護ってきた牙城会にとっても初めてのことであった。
だがこの間、牙城会員は任務再開の日に向け、励まし合い、前進してきた。
テレビ電話で対話を重ね、弘教を実らせた友。メンバーの任務予定だった日に、励ましを送るリーダー。定例会をオンラインで行い、参加者が増えた地域もある。また、「地域と社会の勝利王たれ」との牙城会の指針のままに奮闘する医療従事者や、ワクチン開発の最前線で研究を続ける友も。どの分野にも、赤々と燃える「牙城会魂」を持った同志がいる。この人材の"幅"こそ、牙城会の誇りであり、新時代を開く"強さ"の源だ。
9月は、本部幹部会の中継行事等で会館が使用される。地域によっては、マスク着用や消毒の徹底等、「新しい様式」での牙城会任務も検討されている。今までのように、元気な声で会員を迎えることはできないかもしれない。しかし、メンバーの「会員を護る」という心は、何一つ変わっていない。その尊き献身に感謝は尽きない。
一方で、自身や同居家族に基礎疾患があるなど、任務を控えざるを得ない牙城会員もいる。ある友は拳を握り締め、「任務に就く人の分まで、お題目をあげ抜いて貢献したい」と語る。たとえ直接的に、宝城を厳護できなくても、今いる場所で価値を創造し、前へ前へと進んでいく——そうして、成長を誓う友がいることを忘れてはならない。
きょう8月31日は、牙城会の不滅の原点、「第1回柔剣道大会」から40周年の佳節でもある。前年の79年、池田先生が第3代会長を辞任し、最も激しい障魔の嵐が吹き荒れる中で行われた同大会。池田先生は牙城会の友に語り掛けた。
「いかなる境遇にあろうとも、広宣流布という青春に腹を決めて進んでもらいたい。信心という黄金の人生に徹し切って歩んでもらいたい」

「青年が立ち上がる時です! 闇が深ければ深いほど黎明は近いのです」

あす「牙城会の日」から、結成50周年を迎える明年の「2・1」に向け、出発を切る牙城会の友。コロナ禍という混迷の時代にあって、若き師子王の陣列が、広布の新たな大道を勝ち開いていく。

☆世界広布新時代第46回本部幹部会への池田先生のメッセージ
◇我らは「大法弘通」の誓願で結ばれた家族
一、初めて「広宣流布大誓堂」を会場とする本部幹部会の開催、おめでとうございます。
「霊山一会、儼然として未だ散らず」(「霊山一会儼然未散」<御書757ページ>)——この仰せさながら、「大法弘通慈折広宣流布」の大願で結ばれた我ら創価家族の集いは、なんと壮大にして、なんと自在な会座でしょうか!
なかんずく従藍而青の青年部の勇気光る成長と前進を、初代・牧口常三郎先生と二代・戸田城聖先生も、うなずき合って見守っておられることでしょう。
一、創立満90年の秋を前に、今再び、命に刻みたい師弟の原点があります。
それは第2次世界大戦の渦中にあった1944年の11月、先師・牧口先生の「死身弘法」の殉教と時を同じくして、恩師・戸田先生が「不惜身命」の獄中闘争を貫き、「われ地涌の菩薩なり」と悟達された事実であります。
この荘厳なる生死不二の師弟の一念によって呼び出された地涌の菩薩の陣列こそ、創価学会にほかなりません。
学会員の一人一人が久遠元初からの「広宣流布」「立正安国」の誓願を抱き、この世の悲惨と不幸をなくすため、大変な時に大変な場所を自ら願い求めて、地よりか涌きたる菩薩なのであります。

◇地涌の力用は宇宙大
一、妙法を唱え弘めゆく地涌の菩薩が、どれほど無限の力を持っているのか。
御本仏・日蓮大聖人は「生死一大事血脈抄」等の諸御抄で、地涌の菩薩は大宇宙に満ちあふれる本源的な慈悲の力用を発揮して、必ずや全民衆と地球社会を救い切っていけると、大きく五つの次元から示してくださっております。
すなわち、地涌の菩薩は妙法蓮華経の五字の力を体現して——
第一に、火が物を燃やして熱と光をもたらす如く、苦しみや悩みを燃焼させて幸福前進の智慧に変え、生老病死の闇を常楽我浄の光明で照らし晴らせる。
第二に、水がもろもろの穢れを浄める如く、宿業の垢も時代の濁りも浄化できる。
第三に、風が塵や埃を払うが如く、一切の障魔を打ち払うとともに、人々の魂に生き生きと活力を吹き込むことができる。
第四に、大地が草木を生み育む如く、揺るがぬ境涯で命を慈しみ、桜梅桃李の平和と共生と安心・安定の社会を築いていける。
第五に、天が万物に慈雨を注ぐ如く、生命を平等に潤し蘇生させてゆく価値創造ができる。
大聖人は、まさに宇宙大のスケールで励ましてくださっているのであります。
初代・二代に連なる三代の私は、信ずる正義・共戦の師子たちと自行化他の題目を唱え抜き、この妙法の尽きることのない大功力を涌現して、あらゆる三障四魔を勝ち越え、世界広宣流布の大道を創り開いてきました。

◇遠大な広布の旅へ希望の出発 威風堂々と「善き友」のスクラム広げ
一、創立90周年から100周年への10年は、一人一人が「人間革命」の勝利の実証をいやまして打ち立て、いかなる「大悪」も「大善」に転じて、いよいよ人類の「宿命転換」を、断固として成し遂げていくべき勝負の時であります。
来る「世界青年部総会」は、その遠大な師弟旅の希望の出発であります。
さあ、愛する若き創価の世界市民を先頭に、皆が地涌の大生命力を出して、善き友のスクラムを広げながら、師弟の誓いを威風堂々と果たし切っていこう!
かけがえのない、わが宝の同志に一人ももれなく健康あれ、安穏あれ、幸福あれ、和楽あれ、栄光あれ!と祈りに祈って、私のメッセージといたします(大拍手)。

☆「師弟乃誉」の旗を託す——1983年5月、池田先生が東京・氷川で認めた一書
「師弟乃誉」——この書は1983年5月、池田先生が氷川池田青年研修塾(当時)で認めたもの。氷川は、戸田先生が、池田先生をはじめ水滸会の青年を薫陶した第1回野外研修の天地である。
池田先生は24日の各部代表者会議で同書を紹介し、後継の友に呼び掛けた。
「『師弟乃誉』——これこそ、19歳の日より、私が高く掲げて走り抜いてきた、生命の最極の旗であります」「不二の君たちに『師弟乃誉』という旗を譲り託します」

★第46回本部幹部会 SOKAnetでも視聴可能に
配信期間は9月1日(火)午前10時〜9月13日(日)
新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、「世界広布新時代第46回本部幹部会」の全国中継が、従来の会館や個人会場(中継の会場と時間は各県・区で決定)とともに、「モバイルSTB」でも視聴可能になりました(インターネットを通してダウンロードが必要。ダウンロードは9月1日〈火〉午前0時からできます)。さらに、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」でも視聴することができます(https://www.sokanet.jp/recommend/honkan202009/)。配信期間は、9月1日(火)午前10時から9月13日(日)まで。

2020年8月30日日曜日

2020.08.30 わが友に贈る

使命を自覚した人は
どんな嵐にも動じない。
「われ地涌の菩薩なり」
広布への強き信念で
勇気みなぎる前進を!

松野殿御返事 P1382
『忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり』

【通解】
絶対に、法華経を受持する者を互にそしることがあってはならない。その理由は、法華経を持つ者は必ず皆仏なのであり、仏をそしれば罪を得るからである。

名字の言 "思い出の一品"はライスカレー 2020年8月30日
「私の子供の時代はカレーライスではなくライスカレーの時代だった」。昭和5年(1930年)生まれの田村真八郎氏がエッセー集『日本人と食べもの』(丸善ブックス)に書いている▼カレーライスは高級品。カレーの方が別の金属製の容器に入れられ、うやうやしく運ばれてくる。一方のライスカレーは大衆品。皿の上のご飯にカレーがかけてあるものを指した。まさに"現代のカレーライスの形"だったのである▼人それぞれに、追憶に結び付く食があろう。若き日の池田先生と広布に奔走した同志を取材すると、しばしば耳にした"思い出の一品"がライスカレーだった▼先生は、おなかをすかせた青年たちを自宅に招き、「戸田先生から作り方を教わったんだ」と包丁を握ったという。昭和31年の「大阪の戦い」を振り返り、「皆で楽しくライスカレーを食べながら、最初から最後まで、愛する関西の同志と心一つに戦った」と語ったこともある▼食物の働きの一つとして、御書には「心身の力を盛んにする」(1598ページ、趣意)と仰せだ。食はおなかも心も満たすもの。大勢でテーブルを囲むことが難しい昨今だが、だからこそ日々の食事の内容や家族との食卓を大切にしたい。食の充実はそのまま人生の充実につながる。(恭)

寸鉄 2020年8月30日
苦労が多いほど幸福の大きな花が咲く—戸田先生試練の今を不屈の闘魂で
きょう学生部が教学実力試験。行学錬磨は生涯の土台。最後まで悔いなく
一日一日を愛せ—文豪。今日から生まれ変わった心で!「11・18」まで80日
感染したら秘密にしたい—子の32%。社会に漂う偏見の目。大人が襟正し
体が重い、食欲がないは夏バテの兆候。寝不足や偏食避けて賢く自己管理

〈社説〉 2020・8・30 きょうから「防災週間」
◇命守る具体的な行動計画を
「津波てんでんこ」——肉親にも構わず、各自が一刻も早く高台に避難し、「津波から命を守れ」という呼び掛け。
東日本大震災では、この教訓が生かされた岩手県釜石市の小・中学校の児童、生徒の生存率は99・8%だった。
同市では「想定を信じるな」「最善を尽くせ」「率先避難者たれ」という「津波避難の3原則」も訴えられてきた(平成26年版防災白書から)。
一方、九州などの各地に甚大な被害をもたらした「令和2年7月豪雨」では、気象庁の関田康雄長官が「我々の実力不足だった」との認識を示した。
近年多発する記録的大雨の要因である「線状降水帯」を予報することが、専門家やスーパーコンピューターの「数値予報モデル」を運用しても困難であることが分かる。
災害対策の三助(自助・共助・公助)について、防災白書によると、阪神・淡路大震災では7割近くが家族も含む「自助」、3割が隣人等の「共助」により救出されており、「公助」である救助隊による救出は数%にすぎなかったという。
大切な命を守るために必要な事前の具体策は何か。
これらの教訓や調査結果を参考に、きょうから始まる防災週間(9月5日まで)を機に、家族で話し合う時間をつくることをお勧めしたい。
一助となるのが国土交通省などが推奨する「マイ・タイムライン」を作成することだ。
マイ・タイムラインとは、洪水のような進行型災害が発生した際に、「いつ」「何をするのか」を整理した個人の防災計画。急な判断が迫られる災害時のために自らの行動チェックリストを整理して役立てることができる。
例えば、台風が近づきそうなら常備薬など持ち物の準備、注意報が発令されたら携帯電話の充電やハザードマップで避難経路を確認するという内容である(国交省の「マイ・タイムラインかんたん検討ガイド」から)。
風水害だけでなく予測できない直下型の大地震にも対策が必要だ。
「寝室に大きな家具を置かない」ことや、地震後の通電火災を防ぐ「感震ブレーカー」の設置も検討したい。
避難所での感染症対策については、密閉、密集、密接の「3密」を回避し、マスクやアルコール消毒液の持参、親戚の家や車内に泊まることも選択肢の一つに、万全を期したい。
池田先生はいかなる災難にも負けぬ人間力を強調し、「『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か』(御書31ページ)と仰せの如く、民衆の幸福と平和を根本とする生き方が輝き光っていくはずだ」と。
「自助」を念頭に置きつつ、人間関係が希薄な今こそ、近隣住民と「顔の見える関係」を築き、地域の防災意識を高めていきたい。

☆「8・24」 池田先生が全同志に和歌
8月24日は、池田大作先生が1947年(昭和22年)に入信して73年。恩師・戸田城聖先生と機関紙発刊の構想を語り合った50年(同25年)の「聖教新聞創刊原点の日」から満70年を迎える。池田先生は、記念日に当たって、全国・全世界の同志に3首の和歌を詠み贈った。

この時を
 願い涌現の
  後継なれば
 若き誓火で
  闇うち晴らせ

妙法の
 大良薬を
  地球民族へ
 いのちの医王ぞ
  創価の師弟は

霊山の
 一会ここにと
  聖教は
 世界むすべや
  平和の仏智で

☆小説「新・人間革命」学習のために 第17巻
◇苦悩が深いほど偉大な使命が
<1973年(昭和48年)3月、第二東京本部の幹部会に出席した山本伸一が会場を出ると、十数人のメンバーが駆け寄ってきた。町田から来たという婦人は、伸一に、自身の来し方を報告した>

「私が入会したのは、結婚前でしたが、その時は父母も、姉たちも大反対でした。家から閉め出されてしまったこともありました。
"なぜ、学会のすばらしさがわからないのだろう"と思うと、悔しくって、何度泣いたかわかりません」
「そう。大変だったんですね」
彼女は、満面に笑みを浮かべて言った。
「でも、今はそうしたことが、一番誇らかで、愉快な思い出になっています」
「そうなんだ。そうなんだよ。厳しい試練の冬も、勝利の春が来れば、すべては喜びに変わる。涙あっての笑いです。労苦あっての歓喜です。苦闘している時には、"なんで自分ばかり、こんなに大変な思いをしなければならないのか"と思うこともあるでしょう。しかし、それは、自ら願い求めた使命の舞台なんです。
苦悩が深ければ深いほど、それだけ偉大な使命を担っているということなんです。
つまり、あなたは、どんなに厳しい家庭の状況であっても、家族の一人が立ち上がれば家庭革命はできる、一家和楽は実現できるということを証明してみせたんです。
同じような状況で、悩み、苦しんでいる人が、その事実を知れば、皆が"私にもできるんだ!"と希望をもつでしょう。勇気をもつでしょう。
ご家族の学会への無理解というのは、あなたがその使命を果たすための舞台だったんです」
婦人は、何度も頷きながら、伸一の話を聞いていた。
「人生の充実感や痛快さは、幾つ苦難を乗り越えてきたかによって決まります。いかに年齢を重ねようが、苦闘がなければ精神は空疎です。自分の幸福のため、充実のために、自ら戦いを起こすことです。そして、自身の挑戦のドラマをつくるんです」
(「本陣」の章、93〜95ページ)

◇青春は困難を克服する活力
<4月、大阪に創価女子学園が開校。創立者の伸一は、入学式で祝辞を述べ、青春についての洞察を語る>

「私は、青春時代というのは、無限の可能性を前にして、非常に不安定で落ち着きがなく、鋭敏な神経が常に働いているというのが実情であろうと思う。
未来の夢が、大きければ大きいほど、心労も大きい。しかし、若い皆さんは傷つきやすく、弱いように見えますが、決して、そんなものではない。どんな困難をも乗り越えていける活力、生命力をたたえているのが青春です。どうか、そのことに自信をもっていただきたいのであります。
感情の振幅の激しさから、時に絶望に陥ることもあるかもしれない。しかし、皆さんの生命の底には、それを跳ね飛ばして克服するだけの力がある。これが、青春というものの本体であると私は叫びたい。これが、青春の特権です」
伸一は、いつの間にか叫ぶような、祈るような思いで訴えていた。
「人が老いて青春を懐かしむのは、まさに、この青春の活力を懐古しているということを知っていただきたい。ゆえに、苦悩や困難を決して避けるようなことをしてはならない。堂々と、それに挑戦し、立派に克服する皆さんであってください。
ともかく、青春は無限の歓喜とともに、また、必ず心労がある。悩みがある。これは表裏一体であることを忘れてはならない。
それを知って戦っていくところに、輝かしい青春時代があります」
(「希望」の章、135〜136ページ)

◇何があろうと"不動の信心"を
<伸一は3月の本部幹部会で、皆が「開目抄」の「我並びに……」の一節を生命に刻むよう提案。翌月、東京・日大講堂での本部幹部会では、その一節を皆で拝読する声が響いた>

「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(御書234ページ)
いかなる難があったとしても、疑うことなく信心を貫いていくならば、必ず成仏できることを断言なされた御文である。
——天の加護がなくとも疑ってはならぬ! 現世が安穏でないからといって嘆いてはならぬ! 疑いを起こさず、師弟の約束を守り抜くのだ!
そこには、弟子たちの成仏を願われる、師匠・日蓮大聖人の魂の叫びがある。
伸一は、前月の本部幹部会でも、この御文を拝読し、力を込めてこう訴えた。
「ここには、信心の極意が示されております。
この一節を、生涯にわたって、生命の奥底に刻み込んでください。
日蓮大聖人の仰せ通りに仏法を実践している教団は、創価学会しかありません。
それゆえに、必ず諸難が競い起こる。しかし、何があっても広宣流布の根本軌道を踏み外すことなく、揺るがぬ信心を貫き、悠々と明るく進んでいっていただきたいのであります」
今、創価学会は「広布第二章」の大空に飛翔した。それは、本格的な社会建設の時代の到来である。
(中略)学会が、社会の建設に力を注げば注ぐほど、その前進をとどめようとする迫害も、激しさを増すことは間違いない。
それだけに伸一は、必死になって、確固不動なる信心の「核」を、一人ひとりの胸中に、つくり上げようとしていたのである。
そして、「開目抄」のこの一節を、全同志が座右の銘として、生命に刻むことを提案したのだ。
(「民衆城」の章、265〜266ページ)

◇労苦こそ仏法者の誇りと栄光
<6月、「群馬・高原スポーツ大会」の会場に到着した伸一は、陰の力に徹する役員を激励する>

彼は、すぐに控室には入らず、建物の脇をのぞいた。そこに、身を隠すように立っていた一人の青年がいた。
"やはり……"と思った。
設営や警備など、役員の青年たちは、最も苦労しながら、自分は決して表面に出ることなく、目立たぬように陰の力に徹しようとするのが常であるからだ。
伸一は、陰の力として誠実に奮闘してくれている人に光を当て、讃えることこそ、わが使命であると自覚し、常にあらゆる人に炯々たる眼を注いでいた。
人間主義とは、具体的にいえば、その気遣いの心である。皆の献身的な尽力を当然であるかのように考えることは、官僚主義といってよい。
伸一は、青年に笑顔を向け、手を差し出した。
「役員だね。おめでとう!」
彼は、阿相良正という建設会社を営む青年で、会場の整備責任者であった。突貫工事で会場の整備を成し遂げ、この日、役員として参加していたのである。
阿相は、感動で頭の中が真っ白になった。
「先生! ありがとうございます」
こう叫ぶ阿相に、伸一は言った。
「役員として陰で黙々と頑張ってくれている人がいるから、行事の成功もある。また、そういう青年たちがいるから学会は盤石なんです。
大変だろうが、『陰徳あれば陽報あり』(御書1178ページ)です。労苦は必ず報われるのが仏法です。『冥の照覧』を信じてください。本当にありがとう!」
広宣流布のための労苦は、すべて、自身の福運となり、宿命転換の力となり、人間革命への飛躍台となる。ゆえに、われらは、勇んで今日も、使命の道を行く。
信心とは、峻厳なる生命の因果の理法への深き確信である。したがって仏法者は、自分は楽をし、要領よく立ち回ろうとする者を最も哀れに思う。そして、労苦にこそ、無上の誇りと、未来の燦然たる栄光を見いだすのだ。
(「緑野」の章、388〜390ページ)

◇人間精神の復興運動
1973年(昭和48年)の新年勤行会で伸一は、同年のテーマである「教学の年」の意義を訴えた。

「『広布第二章』の本格的なスタートとなった本年を、私どもは『教学の年』としました。それは、なぜか——。
『広布第二章』とは、生命の尊厳や慈悲など、仏法の哲理を根底とした社会建設の時代です。言い換えれば、創価学会に脈打つ仏法の叡知を社会に開き、人類の共有財産としていく時代の到来ともいえます。そのためには、原点に立ち返って、社会を建設し、文化を創造していく源泉である、仏法という理念を、徹底して掘り下げ、再構築していかなくてはならない。ゆえに、本年を『教学の年』としたんです。
大聖人は『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ』(御書1361ページ)と仰せです。
行学の『行』とは、広宣流布を推進していく実践です。『学』とは仏法哲理の研鑽であり、理念の深化です。この二つは車の両輪の関係にある。
新しき発展のためには、教学の研鑽に励み、仏法の理念を究めていくことが不可欠になる。
(中略)教学という理念がない実践は、社会の人びとを納得、共感させる説得力をもちえず、自己満足に終わってしまう。また、実践のともなわない教学は、観念の遊戯であり、現実社会を変革する力とはなりません」
創価学会が広宣流布の世界的な広がりを可能にしたのは、どこまでも御書を根本とし、確固たる理念をもち、正しき軌道を決して違えることがなかったからである。
伸一は、その仏法の哲理を時代精神にしていくために、自ら先頭に立って教学の深化を図るとともに、広く社会に展開していく決意を固めていたのだ。(中略)
核兵器の脅威をはじめ、人類の滅亡の危機が叫ばれる今こそ、恒久平和の実現のために、人間精神の復興運動を起こさねばならないと、彼は痛感していたのだ。
(「本陣」の章、9〜11ページ)

2020年8月29日土曜日

2020.08.29 わが友に贈る

歌は前進の力。
団結の要なり。
希望の歌声高らかに
人間革命の歴史を
断固と築きゆこう!

新池御書 P1443
『南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申して候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり、如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり』

【通解】
ただ南無妙法蓮華経とほかのことをさしおいてひたすら唱えていくならば、自然に生命に仏の相である三十二相八十種好をそなえていけるのです。法華経方便品に「我が如く等しくして異なること無からしめん」とあるように、釈尊のような仏にやすやすとなっていけるのです。

名字の言 高等部員が「かばん」に入れていたもの 2020年8月29日
運動部に所属する高等部員が玄関で靴を履いていた、ある朝のこと。肩に掛けたかばんの大きさに驚いた母が言った。「一体、何が入っているの?」。彼は答えた。「夢と希望!」▼以来、登校時にはハンカチなどの持ち物を確認した最後に、「夢と希望は?」「持ったよ」という母子の笑顔の会話が日課になった。かばんの中身は「運動用具」。彼は、皆に感動を与えるスポーツ選手になることが夢だった。だから、彼にとって運動用具は、夢と希望そのものだった▼だがその後、彼は度重なる大けがに泣いた。結果的に夢をかなえる理想の未来は、厳しい現実に閉ざされた。しかし、通院先の鍼灸師に励まされ、絶望から立ち直った。現在、彼自身も鍼灸師としてスポーツに汗する人らを支える充実の日々を送っている▼劇作家の福田恆存は記している。「現実がそのとおりにならぬからこそ、それは理想といえるのです。理想とは、それに現実を一致させるためにあるのではなく、それを支点として現実が回転し活動するためにあるのです」(『私の幸福論』筑摩書房)▼理想や夢が、そのままにかなうことは少ないかもしれない。しかし現実から逃げず、自分らしく努力を重ねれば、必ず本人にとって最高の形で使命の道は開けていく。(城)

寸鉄 2020年8月29日
青年が思う存分、働けるよう応援する人が偉い—恩師。さあ、共に総会へ!
国際部の日。世界広布に先駆する賢者よ!語学と人格を磨き新時代の要に
「水のごとく信ぜさせ給へ」御書。地道に純真に。弛まぬ信心が勝利の源泉
努力の過程を褒められた子はやる気も高まると。時を逃さず。激励の声を
国連「核実験に反対する国際デー」。"絶対悪"との思潮を民衆の対話の渦で

☆小説「新・人間革命」学習のために 第16巻
◇"地涌の菩薩"の使命忘るな
<1972年(昭和47年)1月、山本伸一は、第1回全国大学会総会の会場近くで参加者を激励。大学卒業後、2年間信心から離れていた青年であった>

「すべてのものには使命がある。花は咲くことを使命とし、太陽は輝き、暖かな光を送ることを使命としている。水は流れ、清め、潤すことが、使命といってよい。
君も、私も、広宣流布という本然の使命をもって、この世に出現した地涌の菩薩なんだ。その自己の使命を果たさないということは、開花せぬ花であり、輝かぬ太陽のようなものだ。それでは、真の充実や歓喜などあるはずがない。
仕事に力を注ぎ、職場の第一人者になることは大切です。しかし、なんのための人生かを忘れてはならない。それは、人びとと社会に貢献するためです。この世から不幸を追放し、万人に幸福と平和をもたらす、広宣流布をなしゆくために、私たちの人生はある。
この広宣流布という根本目的を忘れずに、職場の勝利者となり、立派な家庭を築き、信頼と幸福の実証を示していくことが大事なんです。それが、仏法の力の証明になるからです」
山口は、盛んに瞬きをし、相槌を打ちながら伸一の話を聞いていた。素直だが、気の弱そうな感じの青年であった。
「信心を離れて、本当の生命の充実も、歓喜もありません。どんなにお金を稼ごうが、社会的に偉くなろうが、それだけでは、最後に残るのは空しさであり、老いや死に対する不安と恐怖です。生老病死という人間の根本的な苦悩を解決できるのは、仏法しかありません」
伸一は、なんのための信心かを、山口にわかってほしかったのである。
(「入魂」の章、15〜16ページ)

◇一切をプラスに転ずる哲学
<1月、東京・新宿区の記念撮影会で伸一は、婦人たちに語る>

「皆さんは、"今日は大事な記念撮影会なのに雨になってしまった。残念だ"と思われていることでしょう」(中略)
「いっさいをよい方向に考え、さらに前へ、前へと、進んでいくことが大事です。
時には、祈っても、思い通りにならない場合もあるかもしれない。でも、それは、必ず何か意味があるんです。最終的には、それでよかったのだと、心の底から、納得できるものなんです」
仏法は、価値創造の源泉である。それは、直面するすべての事柄を、喜びに、希望に、感謝に、勝利にと転じていく智慧から始まるといえる。(中略)
「たとえば、仮に雪が降ったとします。"寒いし、滑りやすいので、いやだな"と思ってしまえば、すべてが苦痛になってしまう。しかし、"めったに見られない雪景色を見ることができる。子どもたちに雪ダルマをつくってやることができる。楽しい思い出になる"ととらえれば、その瞬間から喜びに変わります。
要は、どんなことがあっても、そこに、何か意味を、喜びを、見いだして、勇んで挑戦していくことが、価値の創造につながるんです。それには、人生の哲学と智慧、そして、生命力が必要になる。実は、そのための信心なんです」
物事をどうとらえるかが、「哲学」である。一つ一つの事柄を悲観的にみるか、楽観的にみるか。否定的にみるか、肯定的にみるか——で、人の生き方は全く異なってくる。
仏法で説く、「変毒為薬」「煩悩即菩提」「生死即涅槃」等の原理は、マイナスをプラスに転ずる哲学であり、そこに立脚する限り、行き詰まりはない。
(「入魂」の章、38〜39ページ)

◇「さあ、仕事を続けよう!」
<5月、伸一は、イギリスの歴史学者トインビー博士の要請を受け、博士の自宅で対談を開始。伸一は博士の座右の銘を尋ねる>

博士は即座に答えた。
「ラテン語で『ラボレムス』。"さあ、仕事を続けよう"という意味の言葉です」
博士は、この言葉の背景も語ってくれた。
——それは、二世紀末から三世紀初頭のローマ皇帝セプティミウス・セウェルスに由来する箴言である。彼は、遠征先のブリタニア(イギリス南部)で病に倒れた。重病である。皇帝は死期の近いことを悟った。皇帝は、毎日、彼の率いる軍隊に、モットーを与えることを常としていた。そして、まさに死なんとする日も、自らの任務を遂行した。その時、彼が全軍に与えたモットーが「ラボレムス!」(さあ、仕事を続けよう)であった。
伸一は感嘆した。
「すばらしいモットーです。短い言葉のなかに責任感や持続の精神が凝結しています。博士の生き方そのもののように思えます」
彼には、最後の最後まで「ラボレムス!」と叫んだ皇帝の姿と、八十三歳にして、今なお、人類の未来のために働き続けようとする博士の生き方が、完全に重なり合っているように思えた。
弛まざる前進のなかにこそ、人間性の勝利がある。戦い続けることこそが生の証なのだ。
伸一は重ねて尋ねた。
「今、最もなさりたいことは何でしょうか」
博士は力強く答えた。
「私とあなたが、今、この部屋でしていることです。この対話が意味するものは、人類全体を一つの家族として結束させる努力です。人類が生存を続けるためには、全人類が単一の大家族になっていかねばならないと、私は信じるからです」
(「対話」の章、177〜179ページ)

◇広布の苦労はすべて福運に
<7月、山形の友との記念撮影会に臨んだ伸一は、青年時代に勤務していた大東商工近くの市谷食堂で働いていた婦人と再会。入会し、学会のリーダーとして奔走する彼女を励ます>

「中心者というのは、日々、みんなのため、広布のために、個人指導に、折伏にと、走り回らなければならない。身も心も、休まる暇なんかないでしょう。しかし、皆を幸福にする使命と責任があるだけに、どんなに大変であっても、投げ出すわけにはいかない。でも、あえて、そこに挑んでおられるから、尊く、偉大なんです。そのなかにこそ、真実の菩薩の、また、仏の生命の輝きがあるんです。(中略)
同じ学会活動をしていても、自由な立場で、気ままに動いている人もいるでしょう。そうした人を見て"いいな"と思うこともあるかもしれないが、苦労した分だけ、すべて自らの功徳、福運になる。それが、仏法の因果の理法であり、そのことを確信できるかどうかです」
仏法は、生命の因果の法則を説き明かし、幸福への智慧と力が、すべて自分自身の生命にあることを教えている。(中略)
ゆえに、学会員は(中略)皆が「冥の照覧」を、そして「陰徳あれば陽報あり」(御書1178ページ)の御文を確信し、わが信念としてきたのだ。
だから、世間的な利害や損得をかなぐり捨て、広宣流布のため、仏法のために、勇んで苦労を買って出た。信心のことで、楽をしようとか、よい思いをしようなどとは、決して考えなかった。
皆が、財もいらない、地位もいらない、名誉もいらないとの思いで、ただ、ただ、広宣流布のために走り抜いてきたのである。
そこにこそ、創価学会の強さがあり、清らかさがあり、正義がある。
(「羽ばたき」の章、243〜245ページ)

◇変毒為薬の仏法
<1972年(昭和47年)の7月は大雨が続き、「昭和47年7月豪雨」と呼ばれ、全国各地で大きな被害が出た。「羽ばたき」の章には、秋田を訪れた山本伸一が、救援対策の手を打ちながら、同志を励ます場面が描かれている>

「今回、水害に遭われた方は、本当にお気の毒です。心から、お見舞い申し上げます。
大事なことは、ここから、どうしていくかです。落胆して、自暴自棄になったり、諦めてしまうのか。それとも、"負けるものか""今こそ信心の力を証明するのだ"と、敢然と立ち上がるのかです。その一念で幸・不幸は大きく分かれます。
長い人生には、災害だけでなく、倒産、失業、病気、事故、愛する人の死など、さまざまな窮地に立つことがある。順調なだけの人生などありえません。むしろ、試練と苦難の明け暮れこそが人生であり、それが生きるということであるといっても、決して過言ではない。
では、どうすれば、苦難に負けずに、人生の真の勝利を飾れるのか。
仏法には『変毒為薬』つまり『毒を変じて薬と為す』と説かれているんです。信心によって、どんな最悪な事態も、功徳、幸福へと転じていけることを示した原理です。これを大確信することです。
この原理は、見方を変えれば、成仏、幸福という『薬』を得るには、苦悩という『毒』を克服しなければならないことを示しています。いわば、苦悩は、幸福の花を咲かせゆく種子なんです。だから、苦難を恐れてはなりません。敢然と立ち向かっていくことです。
私たちは、仏の生命を具え、末法の衆生を救済するために出現した、地涌の菩薩です。
その私たちが、行き詰まるわけがないではありませんか。人は、窮地に陥ったから不幸なのではない。絶望し、悲観することによって不幸になるんです」(中略)
「もう一つ大事なことは、自分が今、窮地に陥り、苦悩しているのはなんのためかという、深い意味を知ることです。もし、災害に遭った同志の皆さんが、堂々と再起していくことができれば、変毒為薬の原理を明らかにし、仏法の偉大さを社会に示すことができる。実は、そのための苦難なんです。
どうか被災した方々にこうお伝えください。
『断じて苦難に負けないでください。必ず乗り越え、勝ち越えてください。私は真剣に題目を送り続けております』と」
伸一は必死であった。
(251〜252ページ)

2020年8月28日金曜日

2020.08.28 わが友に贈る

「月月・日日に
つより給へ」御聖訓。
信行学の基本に徹し
金剛の生命を鍛えよう!
堅実な挑戦の歩みを!

佐渡御書 P0961
『佐渡の国は紙候はぬ上面面に申せば煩あり一人ももるれば恨ありぬべし此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ』

【通解】
佐渡の国には紙がない上に、一人一人に手紙を送るのは煩わしくもあり、また一人でももるれれば恨みに思うことだろう。この手紙を志ある人々は寄り合って読み、よく理解して心を慰めなさい。

名字の言 いつ読んでも違う味がする。それが読書の魅力——芥川賞作家・又吉直樹氏 2020年8月28日
「一度買ったら何度も読めるというのが本のすごく良いところ」と語るのは、芥川賞作家でお笑い芸人の又吉直樹氏だ▼本好きとして知られる氏だが、夏目漱石の『それから』は最初、難しくて読めなかった。そこで『坊っちゃん』『吾輩は猫である』など、他の作品を読んだ後に改めて再読。すると「めちゃくちゃおもしろかった」▼「本の内容は変わりませんが、人間は日々、年を取りながら変わっていきます」と氏。例えば10代で読んだ本を20代、30代で再読すると新しい発見がある。その時にしかできない読み方がある、と氏は言う。「いつ読んでも違う味がする。それが読書の大きな魅力のひとつです」(『夜を乗り越える』小学館よしもと新書)▼「座右の書」というように、再読は本の味わい方の一つ。ところが近年、世代を問わず、読書量の低下が危惧される。国立青少年教育振興機構の調査によると、20代から60代で1カ月に読む紙の本が「0冊」と答えた人は、平成25年に28・1%だったのが、同30年には49・8%へと増加。約半数が"1冊も本を読まない"との結果になった▼「青年よ、心に読書と思索の暇をつくれ」とは、戸田先生の指針。紙媒体に限らず、今は電子書籍もオーディオブックもある。多忙な時こそ、読書に挑戦したい。(銘)

寸鉄 2020年8月28日
進んで魔の働きをかり出し退治してこそ幸福が—牧口先生。難こそ誉れと
葛飾・広布師弟原点の日。我らの前進で地域に光を—大東京の民衆城は堂々
創大・短大の見学会が30日に開催。事前予約制。世界市民の揺籃に来れ!
睡眠不足でウイルス感染のリスクは増加—医師。生活習慣の見直しが第一
接触アプリは感染抑制に効果と。通知された人が行動控える為。賢く活用

☆広宣流布大誓堂で勇躍の世界広布新時代第46回本部幹部会 「世界青年部歌」が発表
◇池田先生がメッセージ——地涌の大生命力で地球社会を救え
「世界広布新時代第46回本部幹部会」が26日午後、広宣流布大誓堂(東京・信濃町)の三代会長記念会議場で開催された。
これには原田会長、長谷川理事長、永石婦人部長が各部の代表と出席。席上、新たに完成した世界青年部歌「Eternal Journey with Sensei!〜永遠の師弟旅〜」が発表された。
池田大作先生は祝福のメッセージを贈り、創立90周年から100周年への10年は、一人一人が人間革命の勝利の実証を打ち立て、人類の宿命転換を成し遂げていくべき勝負の時であると強調。
我らは「大法弘通慈折広宣流布」の大願で結ばれた創価家族であると述べ、皆が地涌の大生命力を出して、善き友のスクラムを広げ、地球社会を救いゆこうと呼び掛けた。
(全国中継は9月1日から13日〈中継の会場と時間は各県・区で決定〉。同期間中、「モバイルSTB」「SOKAnet」でも配信)

☆小説「新・人間革命」学習のために 第15巻
小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第15巻を掲載する。次回の第16巻は8月7日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

◇人と自然の調和目指す哲学を
<公害問題が深刻化していた1970年(昭和45年)、山本伸一は、大手出版社の依頼に応じて寄稿し、問題解決のための道筋を示す>

彼(伸一=編集部注)は、公害を克服するうえで、「生命の尊厳」の哲学が必要であることは言うまでもないが、その内実の厳しい検証こそが、最も大切であると述べた。
なぜなら、「生命の尊厳」は、これまでに、誰もが口にしてきたことであるからだ。
さらに、あくなき環境支配を促した独善的な思想のなかにさえ、「生命の尊厳」という発想があるからだ。いや、その誤った"人間生命の尊厳観"こそ、無制限な自然の破壊と汚染を生んだ元凶にほかならないのだ。なればこそ、伸一は記していった。
「自然を、人間に征服されるべきものとし、いくら破壊され、犠牲にされてもかまわぬとする"ヒューマニズム"は、実は、人間のエゴイズムであって、かえって人間の生存を危うくする"アンチ・ヒューマニズム"にほかならない。真のヒューマニズムは、人間と自然との調和、もっと端的に言えば、人間と、それを取り巻く環境としての自然とは、一体なのだという視点に立った"ヒューマニズム"であるべきである」
本来、人間もまた一つの生物であり、大自然をつくり上げている悠久の生命の環の、一部分にすぎない。
その環は、生命が幾重にも連なり合った生命の連鎖であって、一つが壊されれば全体が変調をきたし、一カ所に毒物が混入されれば、全体が汚染されてしまうのだ。また、人間が無限と思い込んできた、自然の恩恵も、実は有限であり、地球という"宇宙船"の貯蔵物質にすぎない。
そうした視点をもたない、"独善的なヒューマニズム"に支えられた人類文明は、自然の再生産の能力を遥かに上回る消費を続け、自然を破壊し、汚染して、生命的な自然のメカニズムそのものを破壊しているのだ。
(「蘇生」の章、26〜28ページ)

◇逆境も飛躍へと転ずる生き方
<72年(同47年)7月、「滝山祭」のため創価大学の滝山寮を訪れた伸一は、人生の哲学を語る>

「うらやましいな。ぼくも、こんなところで、思う存分、本を読んで、勉強したいな」
会長としての執務の合間を縫うようにして、会員の激励に飛び回らなくてはならない伸一にとって、それは、率直な心境であった。(中略)
伸一は言った。
「寮生活は、何かと窮屈で、煩わしい面もあるかもしれない。しかし、やがて、その寮生活が、人生の貴重な財産になるよ。
実はオックスフォード大学を訪問した時、案内してくれた教授に、『この大学のことを知りたければ、学生寮に行ってください。それも突然に』と言われたんだ。(中略)
寮に行き、四階の部屋を訪問すると、十九歳だという二人の学生がいた。『何が一番、お困りですか』と尋ねると、そのうちの一人が、『ぼくが勉強しようとすると彼が遊び始めるし、彼が勉強している時は、ぼくが遊びたくなることです』と言うんだよ。
私は、『それは社会に出た時に、どうやって人と対応していくのかという人間学を学ぶ、大事な訓練なんです』と言ったんだ。彼は、納得していたよ。君たちも、同じ思いでいるんだろうね」
居合わせた寮生は、笑いながら頷いた。
自分の直面した事柄から、未来への積極的な意味を見いだし、何かを学び取っていく——そこに逆境をも人生の飛躍台へと転ずる哲学がある。
また、その生き方を貫くなかに、価値創造の実践があることを、伸一は語りたかったのである。
(「創価大学」の章、187〜188ページ)

◇職場は自身の「人間修行」の場
<74年(同49年)5月、創価大学を訪れた伸一は、就職活動に臨む学生たちに、その心構えを指導する>

伸一は、学生たちの就職に対する考え方を正しておかなければならないと思った。
「世の中に安定している会社なんて、一つもありません。社会が激動しているんだから。
日々激戦に勝ち抜くために、どの会社も必死です。発展している会社は常に商品開発や機構改革などを行い、真剣に企業努力をしています。
たとえば、食品会社にしても、医薬品の分野に進出したり、生き残りをかけて、懸命に工夫、研究し、活路を開いているんです。
どの業界も、食うか、食われるかの戦いです。
昨日まで、順調であっても、今日、どうなるかわからないのが、現実なんです。
大会社に入っても、別会社への出向もあれば、人員整理もある。また、倒産することだってあるでしょう。
だから、"この会社に入れば安心だ。将来の生活が保障された"などと考えるのは間違いです。(中略)
就職する限りは、どんな仕事でもやろうと、腹を決めることです」(中略)
皆、頷きながら話を聞いていた。
「社会も企業も、常に変化、変化の連続です。
その時に、自分の希望と違う職場だから仕事についていけないとか、やる気が起こらないというのは、わがままであり、惰弱です。敗北です。
就職すれば、全く不得意な仕事をしなければならないこともある。いやな上司や先輩がいて、人間関係に悩み抜くこともあるかもしれない。
しかし、仕事とは挑戦なんです。そう決めて、職場の勝利者をめざして仕事に取り組む時、会社は、自分を鍛え、磨いてくれる、人間修行の場所となります」
(「創価大学」の章、258〜261ページ)

◇「安国」は仏法者の社会的使命
<71年(同46年)6月6日、先師・牧口常三郎の生誕百年に際し、伸一はその源流を確認しつつ、仏法者の使命を明らかにする>

牧口常三郎が推進した創価教育学会の運動は、日蓮仏法をもって、人びとの実生活上に最大価値を創造し、民衆の幸福と社会の繁栄を築き上げることを目的としていた。
日蓮仏法の最たる特徴は、「広宣流布の宗教」ということにある。
つまり、妙法という生命の大法を世界に弘め、全民衆の幸福と平和を実現するために生きよ。それこそが、この世に生を受けた使命であり、そこに自身の幸福の道がある——との教えである。
したがって、自分が法の利益を受けるために修行に励むだけでなく、他人に利益を受けさせるために教化、化導していく「自行化他」が、日蓮仏法の修行となる。
大聖人は「我もいたし人をも教化候へ」「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書1361ページ)と仰せである。
ゆえに、唱題と折伏が、仏道修行の両輪となるのだ。
そしてまた、日蓮仏法は「立正安国の宗教」である。
「立正安国」とは、「正を立て国を安んずる」との意義である。
正法を流布し、一人ひとりの胸中に仏法の哲理を打ち立てよ。そして、社会の平和と繁栄を築き上げよ——それが、大聖人の御生涯を通しての叫びであられた。
一次元からいえば、「立正」という正法の流布が、仏法者の宗教的使命であるのに対して、「安国」は、仏法者の社会的使命であるといってよい。
大聖人は「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(同31ページ)と仰せになっている。「四表の静謐」とは社会の平和である。
現実に社会を変革し、人びとに平和と繁栄をもたらす「安国」の実現があってこそ、仏法者の使命は完結するのである。
(「開花」の章、303〜304ページ)

◇一対のブロンズ像
1971年(昭和46年)4月2日、開学した創価大学に伸一は一対のブロンズ像を寄贈。そこには創価大学生の永遠の指針となる言葉が刻まれている。

学生らが見守るなか、二つの像を覆っていた白い布が、順番に取り払われていった。見事なブロンズ像が姿を現した。
像の高さは、それぞれ、台座を除いて四メートルほどで、作者はフランスの彫刻家アレクサンドル・ファルギエールである。
向かって右側は、髭をたくわえた鍛冶職人と、腕を高くかざした天使の像であった。鍛冶職人の目は鋭く、信念の炎を燃え上がらせているようでもある。この像の台座には、「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」との、伸一の言葉が刻まれていた。
現代の社会には、楽をすることが得であるかのような風潮があるが、それは不幸だというのが伸一の結論であり、信念であった。
苦労を避け、面白おかしく生きることは、一時的には、よいように思えるかもしれない。
しかし、結局は自身を軟弱にし、敗北させるだけである。
労苦なくしては歓喜もない。また、人間形成もありえない。苦労に苦労を重ね、自らの使命を果たしゆくなかでこそ、自分自身が磨かれ、真実の人生の価値が生まれることを、伸一は、最愛の創大生たちに知ってもらいたかったのだ。
そして、左側は、片膝をつき、未来を見すえるように彼方に目をやる若き印刷工と、翼を広げ、ラッパを吹き鳴らす天使の像である。台座には、「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」と、刻まれていた。学問や学歴は、本来、立身出世のための道具ではない。
人びとの幸福に寄与するためであり、むしろ、大学で学ぶのは、大学に行けなかった人たちに奉仕し、貢献するためであるといってもよい。
ましてや、創価大学は多くの民衆の真心によって実現した大学である。
それだけに、創大生には、その学問の目的を、断じて忘れないでほしかったのである。
いずれの言葉も、伸一が創価大学の出発にあたって、考え抜いた末の指針であった。
(「創価大学」の章、121〜122ページ)

2020年8月27日木曜日

2020.08.27 わが友に贈る

後継の若人よ
歴史を開く時は今!
友の幸福を祈り抜き
真心と誠実が光る
励ましの対話を!

顕謗法抄 P444
『殺生偸盗の罪の上に邪婬とて他人のつまを犯す者此の地獄の中に堕つべし、而るに当世の僧尼士女多分は此の罪を犯す殊に僧にこの罪多し』

【通解】
殺生・偸盗の罪のうえに邪婬といって他人の妻を犯す者は、この地獄の中に堕ちるのである。ところが、今の世の僧や尼や在家の男女の多くは、この罪を犯している。とくに僧にこの罪を犯す者が多い。

名字の言 潜水士・鉄芳松氏「『やる』と決めたら知恵は出る」 2020年8月27日
"世界のプラチナ潜水士"と称される鉄芳松氏。これまでの潜水は2万回を超える。港湾工事や漁場の調査など、人目につかない海底で60年以上にわたり、黙々と仕事に取り組んできた▼常に命懸けの作業で、氏が大切にするのは基本の徹底。例えば作業終了後、徐々に浮上しながら減圧症を防ぐ過程では、水深21メートルで6分間停止など、水深ごとの待機時間を設定。水深90メートルからの浮上には、4時間以上をかけるという▼その上で氏は「どんな仕事も『やる』ことを前提とする」。たとえ失敗しても、その経験は必ず自身の糧となるからだ。「できる可能性を考えて取り組むことを選べば、得るものがある」「『やる』と決めたら知恵は出る」。本年で80歳となったが、日本潜水協会の会長として後進の育成にも力を注ぐ(『潜水士の道』マガジンランド)▼何事も"できない"と思えば、そこで可能性は閉ざされてしまう。池田先生はかつて、古代エジプトのピラミッド建設について語った。「初めピラミッドは、どこに建っていただろうか? 設計者の胸の中である。断じて建てようという彼の一念のなかに、まず『金字塔』は建ったのだ」▼"逆境だから無理"ではなく、"逆境だから成長できる"——清新な心で、挑戦の一日を開始しよう。(誼)

寸鉄 2020年8月27日
創立90周年の「11・18」へ前進の幹部会。さあ清新な息吹で!下半期を出発
総秋田女性の日。友の心に漲る師匠直結の誓い。婦女一体で友情を拡大!
青年層には新しい兆しが—文豪。世界青年部総会まで1カ月。共々に成長
手作りマスクでも7割程の飛沫防止効果—計算。着用皆で。感染防ぐため
ネットの中傷、転載だけでも名誉毀損—司法判断出所確認し、真偽見抜け

☆四季の励まし 師との原点をもつ人は強い 2020年8月23日
【写真の説明】夏の太陽に照らされ、草木の緑が輝く。道の先には、浅間山が悠然とそびえ立っていた——。2001年(平成13年)8月、池田大作先生が長野でシャッターを切った。
長野は、池田先生が恩師・戸田城聖先生との最後の夏を過ごし、広布の未来を語り合った師弟誓願の天地。創価の師弟の真実の姿を永遠に残すことを誓い、小説『新・人間革命』を起稿・脱稿した地でもある。
あす8月24日は、池田先生の入信記念日。1947年(昭和22年)の夏、恩師と出会って10日後のことだった。池田先生は「稀有の師匠との出会いによって、私の人生は変わり、未来を大きく開いていただいた」と。
私たちもまた、いつも心に師を抱き、新たな広布の峰へ前進しよう。

◇池田先生の言葉
「師」という
原点をもつ人は強い。
原点を忘れないことだ。
原点を忘れなければ、
人間は、
進むべき信念の軌道を
見失うことはないからだ。

一流の人は皆、
約束を違えない。
私も、同じ信念できた。
だから互いに安心し
信頼できる。
約束を守る人が、
人間として
一番偉い人である。
誓いを果たす人が、
一番幸福な人である。

師の恩を忘れず、
また友情を大切に
育んでいく——
一見、平凡のように
見えるが、そうではない。
こうした振る舞いの中に、
実は人間性の
最も美しき発露があり、
人間性の真髄がある。

思うように
動けなくなっても、
電話や手紙で
人々を
励ますことができる。
皆の幸福と勝利を祈って
唱題することもできる。
日々の暮らしの中に、
御本尊への信仰があれば、
そして、
師匠と共に、
学会同志と共にいれば、
何の心配も恐れもない。
これこそ
絶対の安心、
安穏の世界である。

黙っていては、
何も起こらない。
引っ込み思案で、
縮こまっていたら、
自分の世界も変わらない。
声を届ける。
それが「善縁の拡大」に
つながる。

勇気をもって語れば、
こちらの仏性も
強く現れる。
相手の仏性も
薫発される。
私たちの対話は、
お互いが心豊かになり、
「自他共の幸福」を開き、
「皆が勝者」へと
前進しゆく行動なのだ。

☆第3代会長就任60周年記念 師弟凱歌の記憶 第13回「共戦の『札幌・夏の陣』」
65年前の夏、北の大地に偉大な民衆勝利の一歩が刻まれた。
1955年(昭和30年)8月、広布拡大の布石を打つべく全国45カ所に派遣隊が赴き、「夏季地方指導」が実施された。
北海道・札幌への派遣隊の中心者は、27歳の池田先生だった。
一行の札幌入りは、8月16日のこと。先生は出迎えた同志に語った。「戦いは勝ったよ!」
力強い宣言には確かな根拠があった。わずか10日間の短期決戦。先生は入念な準備を重ねていた。
派遣の1カ月以上前から、札幌のリーダーに重ねて手紙を送付。手紙は回覧され、同志は勝利のためのきめ細かな布石を打ち続けた。最前線の友を徹底して激励。皆が勇気を振り絞り、下種を大きく広げた。"本陣"となる旅館に先生が着いた時には、札幌を五つの区域に分けて成果を書き込むグラフがすでに用意されていた。
戦いは、毎朝の勤行と御書講義から始まった。先生は「生死一大事血脈抄」などを拝して、地涌の使命の大きさを力説。誰もが広布開拓の喜びをかみ締め、仏法対話へと飛び出していったのである。
先生は同志の運転するスクーターの後部座席に乗り、座談会場を何カ所も回った。未舗装の道が多く、揺れる座席で"札幌の同志に勝利を"と祈り、小声で題目を唱え続けたという。
同志の心が一つになった戦いの結果は如実に現れた。初日、50人が入会を希望。友の前進は加速する。20日には早くも目標の300世帯を達成。24日には、戸田先生を迎えて大会を開催。札幌が「班」から「地区」に発展することが発表され、歓喜に沸いた。
そして札幌の折伏成果は388世帯に。派遣隊が訪れた全45地域中、堂々の日本一に輝いた。約500世帯の札幌の会員数は、一気に倍増に迫る勢いだった。
その栄光の歴史は「札幌・夏の陣」の名で語り継がれる。
戦いは勝つべくして勝つ!——師弟の広布史に刻まれた"夏の陣"の闘魂は今、三代城・北海道の同志の生命に流れ通っている。

2020年8月26日水曜日

2020.08.26 わが友に贈る

「全員が使命の人なり!」
そう決めて祈っていけば
皆の長所も見えてくる。
新しい人材の活躍こそ
新時代を開く鍵だ!

富木殿御返事 P978
『若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ』

【通解】
もし悩まし乱す者は頭が七つに破れ、供養する者は福徳が仏に供養するよりもまさる。

名字の言 キング博士の「夢」と創価の「地球民族主義」 2020年8月26日
アメリカ公民権運動の指導者キング博士が「ワシントン大行進」で歴史的演説を行ったのは、1963年8月のこと▼演説の有名な一節がある。「私には夢がある。それは、いつの日か……かつて奴隷だった人の子孫と、奴隷の主だった人の子孫が、兄弟として同じテーブルに座るようになること」。57年の時を経た今、博士の「夢」はどれだけかなっただろう▼いまだ世界には、不信と対立の暗雲が垂れ込めている。パグウォッシュ会議のスワミナサン元会長は警告した。「若い人の心の中に、早い段階で"憎悪の種"が植えられてしまえば、それが増幅され、暴力の実行者となってしまう」。ゆえに元会長は、世界規模で青年たちの心に"信頼と友情の種"をまき、兄弟・姉妹のように結び付ける池田先生のリーダーシップに絶大な信頼を寄せてきた▼SGIでは、紛争の絶えない地域の出身者同士が、同じ場所で平和を祈ることもある。その事実を知り、驚嘆する識者も多い▼「人間を信じる」——口にするのは簡単だが、この姿勢を貫くのは難しい。しかし、思想・宗教、国家、民族などあらゆる差異を超えて心を結ぶ哲理と行動が、今ほど求められている時はない。「地球民族主義」を掲げて進む私たちの使命は大きい。(実)

寸鉄 2020年8月26日
学会員の振る舞いに心の深さ感じる—日本の学者混迷の世に励ましの光を
きょう北陸の日。さあ皆で一歩前進の希望拡大!誓願に生きる同志は強し
未来部の各種コンクールの締切迫る。関わった分だけ成長。最後まで応援
教学は分かる事よりも変わる事—恩師。学生部よこの決意で実力試験へ!
喉が渇く前に水分補給—これ脱水症の防止法と。健康も活動も先手必勝で

☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第7回 ボストン
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「ボストン——未来を開く"学の都"」〈2012年10月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。アメリカ独立運動の起点ともなったボストンは、多くの名門学府が並び立ち、人類の未来を創り開く俊英を陸続と生み出してきた。そこに脈打つ朗らかな楽観主義の精神に学び、「今から」「今いる場所から」「自分から」新たな社会を創造しゆく挑戦を開始していきたい。

おお!
なんという爽やかな青空
なんという眩き太陽の光
なんという鮮やかな緑の森

生きとし生けるすべてが
生まれ変わったような
新鮮な朝——

初めてアメリカ東海岸のボストンを訪れた一九九一年の秋。私は、朝の喜びから始まる詩を詠み、友に贈りました。
朝の光には、万物を蘇らせる奇跡の力が秘められています。人間にとって、学ぶことは、朝の光のように、魂に夜明けをもたらす蘇生の力を持っています。
まさしく「学は光」「学は太陽」なのです。
この清新なる知性の光彩に満ちた"学の都"こそ、ボストンと言ってよいでしょう。

市内にはボストン大学、マサチューセッツ大学、近郊にはハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、タフツ大学など、名門学府が並び立っています。ここから、何人もの大統領が躍り出て、ノーベル賞受賞の大学者も陸続と誕生してきました。
世界より英才が集い来たり、学び鍛えて、再び世界へと舞い飛ぶ。ボストンは、ダイナミックに躍動する人材の城として、人類の未来を創り開く俊英を生み出し続けています。
ボストン生まれのケネディ大統領は、折々に語っていました。
「真に幸福な人々とは平和をつくる人である」「いくら歳をとっていても、逆にどんなに若くても、私たちはみな、世の中の役に立てるはずだ」と。
ボストンには、賢明に、はつらつと、幸福と平和の連帯を広げゆく友がたくさんいます。

◇力を合わせて
〈池田先生はここで、2度目のハーバード大学講演にまつわる思い出を述懐。また、アメリカの知性のリーダーたちとの交友を通し、調和を生み出す「開かれた対話」で、今いる場所から「平和の文化」の創造へ出発しようと呼び掛ける〉

一九九三年の九月、ハーバード大学での二度目の講演に臨む前日、私は、ケネディ大統領の生家を訪問して在りし日を偲びました。
さらに、その近隣で、地域のリーダーとして活躍されている方のご自宅におじゃまして、友人やお子さんと楽しく談笑し、"自らの地域を、世界一、幸福な地域に!"と念願しました。
尊き友らは「積極的な挑戦」を合言葉に、生命尊厳の哲学を学び合いながら、仲良き社会貢献のスクラムで前進されています。
自分の生きる地域の共同体を、皆で対話し、力を合わせて、より善くする。ここに、アメリカに脈打ってきた民主主義の息吹があります。

目と耳と口の三重苦の障がいに屈せず、ハーバード大学ラドクリフ・カレッジで学び、福祉事業家として活躍したヘレン・ケラーは、「失敗は一生の充実を勝ち誇る勝利の証拠である」との信念を大事にしました。
何ごとにも断じて絶望することなく、たくましく道を切り開く、アメリカ精神の朗らかな楽観主義を、私は深く愛する一人です。
私は、ハーバード大学の隣接地に、平和研究機関の「ボストン二十一世紀センター」(現・池田国際対話センター)を創立しました。モットーとして「世界市民のネットワークの要たれ」「『文明の対話』の懸け橋たれ」「『生命の世紀』を照らす灯台たれ」と掲げました。
異なるものを結び、虹のような調和を生み出す原動力は、「開かれた対話」でありましょう。
その初代のリーダーの女性は、カーター政権時代、ホワイトハウスで公共政策を担当した知性です。「差異を認めるだけでなく、差異を讃え合う」という心で、世界一級の知性のネットワークを築き、今も颯爽と、平和のための英知の声を結集してくれています。
結局、人間を結ぶものは、人間です。ゆえに誠実な人格こそ、平和の柱なのです。
この女性が深い友好を培った一人が、ボストン郊外に在住の「平和研究の母」エリース・ボールディング博士でした。博士が亡くなる前、彼女に託すように語られた言葉があります。
「平和の文化は、放っておいては実現しません。自分がつくらなければ。一緒にやるのです」
「私たちが今いる場所からスタートするのです」
「私たちは"今"から逃げることはできません」
「あなた自身が、あなたが学んだことの実現でなければいけません。歩みを止めないで! 自身がやっていることに喜びを持って!」
「今から」「今いる場所から」「自分から」、喜び勇んで行動を起こしていく。ここに「平和の文化」を創造していく出発があると言えましょう。

◇自分を信じる
〈結びに池田先生は、新しい一日を、あせらず、また怠らず、自分自身の偉大な力を引き出す、挑戦と開拓の日々にと念願。日常の生活という最高の"学びのキャンパス"で、社会のために行動する人生の尊さを述べた〉

ボストン市庁舎を訪れ、首脳や市民の代表にご挨拶した時、私は、ボストンを故郷とする思想家エマソンへの敬愛の心を申し上げました。
エマソンは「自分自身を信ずることだ」と呼びかけています。また、「私たちの内部には、みずからそれと知らない、いいものが沢山ひそんでいる」というのです。
人間生命に秘められた、偉大な力を引き出す。
私たちの一日一日は、この勇敢な挑戦であり、冒険であり、開拓であると言えるかもしれません。その翼こそ、他者との交流のなかで学ぶことであり、社会のために行動することではないでしょうか。
現実の世界、日常の生活が、"学びのキャンパス"であり、"行動の広場"であることを、ボストンは今朝も清々しい光とともに、私たちに語りかけてくれています。
なごりの尽きないアメリカ訪問を終えるに当たり、私は感謝を込めて友に贈りました。

皆さまの
真心嬉しく
  帰国せむ
 昇れ人生!
  昇れアメリカ!

(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)

※ケネディ大統領の言葉は『ケネディの信念』ニコラス・シュナイダー編、A・マタイス/粕谷友介訳(桂書房)、『勇気ある人々』宮本喜一訳(英治出版)。ヘレン・ケラーは『私の住む世界』岩橋武夫/遠藤貞吉共訳、岩橋武夫監修『ヘレン・ケラー全集』所収(三省堂、現代表記に改めた)。エマソンは『エマソン選集2 精神について』入江勇起男訳(日本教文社)、『エマソン選集3 生活について』小泉一郎訳(同)。

2020年8月25日火曜日

2020.08.25 わが友に贈る

夏の疲れが出る頃。
睡眠時間を確保し
しっかり栄養を取ろう。
リズムを崩さないことが
健康を勝ち取る秘訣だ!

椎地四郎殿御書 P1448
『大海へ衆流入るされども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れどもかへす事とがむる事なし、諸河の水入る事なくば大海あるべからず、大難なくば法華経の行者にはあらじ』

【通解】
大海には多くの河川が流れ込んでいますが、大海が川の水を押し返すことがあるでしょうか。それと同じように、大海のような法華経の行者に大難は諸河の水のように入ってくるけれども、法華経の行者はそれを押し返すことも、とがめることもないのです。諸河の水が流れ込むことがなければ大海が存在しないように、大難がなければ法華経の行者では無いのです。

名字の言 きょう「伝統的七夕」。夜空を見上げてみては? 2020年8月25日
コロナ禍で遠出もままならない夏休み。小学4年の娘の思い出にと、男子部員の父親が星空観察を提案した▼午前3時。寝ぼけ眼のわが子を車に乗せ、都内の芝生公園へ。広い原っぱにレジャーシートを一枚敷く。二人で大の字に寝転んだ瞬間、少女は小さく歓声を上げた。図鑑で調べた星座の名を、天を指さしながら次々と挙げていく。東には冬の代表格オリオンの姿も。刻々と動く星空を、彼女は「宇宙が生きてるみたい」と表現した▼「見上げたる 星満てる空 今宵なる 愛といのちの いかに多きや」。これは、天文学者ウィックラマシンゲ博士が14歳の時に詠んだ詩である。池田先生との対談の折に紹介したものだ。先生も夏の夜空を流れる天の川を仰いだ少年時代を振り返りつつ、「古の人々の願いを託した星座の物語に、深遠な宇宙へ心の翼を広げたものです」と応じた▼宇宙への感動は「生命への畏敬」の念を育むことにも通じる。百万言を費やして愛や生命の尊さを語る以上に、星空を見上げながら大宇宙のロマンを語らうひとときの中でこそ、実感できることもあろう▼きょう25日は「伝統的七夕」。旧暦における七夕だという。今宵、天の川を望み、織姫・彦星に会える地域もあるかもしれない。宇宙に心をはせよう。(之)

寸鉄 2020年8月25日
「幸福な生活への脱皮には勇気が必要」牧口先生。師子王の心起こす祈りを
未入会家族や近隣を大切に。挨拶一つも大誠実で。信頼拡大は身近な所から
皆と一緒に歩む所に道ができる—詩人。団結は力。宝の同志と絆強く前進!
火傷のようになる日焼け増加と。皮膚がんの危険も。男性も日傘等で対策
文化芸術を守るため尽力する公明に感謝—芸術家多様な声を国政に生かせ

☆心に御書を 第68回 今こそ柔和忍辱の名指揮を
〈御文〉
『いまにはじめぬ御心ざし申しつくしがたく候日蓮が悦び候のみならず釈迦仏定めて御悦び候らん、我則歓喜諸仏亦然は是なり』(六郎次郎殿御返事、1464ページ)

〈通解〉
今に始まったのではない御志、申し尽くしがたい。日蓮が喜んでいるだけでなく、釈迦仏もきっとお喜びであろう。(法華経見宝塔品第11に)「我(釈迦仏)は歓喜する。諸仏もまた同様である」とあるのはこれである。

〈池田先生が贈る指針〉
壮年の変わらざる信心の志は頼もしい。人知れぬ陰の奮闘は、誰が褒めなくとも、御本仏がご照覧だ。諸仏も歓喜する。
百戦錬磨の黄金柱には勇気も忍耐も智慧もある。太陽の婦人部を大切に、従藍而青の青年部を応援し、創価家族の無敵の力を発揮するのだ。
今こそ「此の事にあはん為なり」と、柔和忍辱の名指揮を!

☆小説「新・人間革命」学習のために 「未来部」編
◇未来は君たちのもの! きょうも挑戦の一歩を!
小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は、「未来部ドリームチャレンジ期間」(8月31日まで)の応援企画として、「未来部」編を掲載する。次回の第15巻は31日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

◇"対等な人格"として接する
<1964年(昭和39年)6月、江東区での男子高等部の結成式に出席した山本伸一は、会合終了後、担当幹部の在り方について語る>

「高等部は未来の広布を考えると、極めて重要な部になります。本来、私が一人ひとりのメンバーを育んでいきたいが、とても、そこまではできない。
だから、皆さんのお力をお借りしたい。私に代わって、メンバーを励ましていただきたい」(中略)
一人の担当幹部が尋ねた。
「高等部や中等部の指導にあたって、最も強調すべきことはなんでしょうか」
伸一は、即座に答えた。
「あくまで勉学第一であり、学問に励むようにすることです。当然、根本は信心です。(中略)
また、大勢の先輩、よき相談相手が周囲にいれば、安心して自分の人生行路を決めていくことができる。若芽が未来に、スクスクと伸びゆくための応援をしていくことが、高等部、中等部の結成の趣旨です」(中略)
「豊かな心を培い、また、人間としての生き方の骨格をつくっていくのが信仰です。だから、若いうちから、信心をすることが大事になる。
人間として大成するために、信仰の『種』、信念の『種』、哲学の『種』を植えていくんです。そして、将来の社会の指導者を、学会の指導者を育てていくことが、担当者の皆さんの使命です」(中略)
「高等部といえば、もう大人です。昔なら、元服を終えている。したがって、担当者としては、どこまでも対等な人格として、若き同志として接していくことです。同じ人間として、人格の触発を行っていくことが、本当の指導です」
(第9巻「鳳雛」の章、118〜120ページ)

◇自分に勝つ人が本当の勇者
<70年(同45年)6月、伸一は箱根の研修所で高・中等部、少年・少女部の代表と懇談し、激励する>

「民衆を守り、幸福にするために、みんな、しっかり勉強してほしい。私は、このなかから、大文学者や大科学者、大記者、また、偉大な政治家も、どんどん出てもらいたいんだ。全員が、何かの道で、最高のものをめざしてください。羊千匹より、獅子一匹だ!
それには努力です。天才とは何か。人より十倍、百倍、努力した人のことです。
また、人生の勝負は何歳か。いろいろな考え方ができるが、一つの目標として、私は五十歳だと思っています。その時に、人間の真価が決まるといってよい。
人生というのは、"絶対にこうしよう""こうなっていこう"と心を定め、真剣に頑張り抜いていけば、必ず、自分が納得できる結果が得られるものです。大切なのは、毎日毎日の精進です。どんなに辛く苦しくとも、負けないで、懸命に努力を重ねることです。それが人生の根っこをつくることになる。
根が深くなければ、大木には育たない。二十代、三十代で、有名になったとしても、人生の本当の価値とはならないことが多い。むしろ、それによって人生の真実の価値がわからなくなり、幻惑されてしまうこともある」(中略)
伸一は、子どもたち一人ひとりに視線を注ぎながら言った。
「私は、みんなが五十歳になった時に、どんな人生を歩んでいるか、じっと見ていきたい。
みんな、頑張れるね」
「はい!」(中略)
だが、彼は、あえて厳しい口調で言った。
「返事は簡単です。実際にそうなるかどうかが問題だ。それには、自分に厳しく挑戦し抜いていくことです。人は、みんな自分の弱さに敗れていく。自分に勝つ人が、本当の勇者なんです」
(第14巻「大河」の章、322〜324ページ)

◇一人一人に光り輝く才能が
<箱根の研修所での語らいでは、男子中等部員が、"頭がよいとはどういうことか"と伸一に尋ねる>

「いい質問だね。かつて戸田先生が、紙に筆で一本の線を引き、そのすぐ上と下を指さしながら、こうおっしゃったことがある。
——『頭がいいとか、悪いとか言ったって、所詮、この程度の差だ。違いなんてほとんどない』
人には誰でも、得意、不得意はあるし、実は皆、なんらかの天才になる力をもっているものなんだ。だから、総合的に見れば、人間の能力なんて、そんなに変わるものではない。(中略)
これから花火をやりますが、一流の花火師もいる。花を育てるのが上手な人もいる。人を思いやる能力もあれば、人を笑わせる能力もある。絵や文の才能がある人もいれば、野球がうまい人もいる。また、頭がよいといっても、記憶力や理解力だけが能力ではない。探究する能力や独創性に優れた人もいる。(中略)
これまで成績が悪かった人がいたとしても、『自分は頭が悪い』なんて思うのは間違いです」(中略)
「ある人が『頭がいい人というのは常に疑問をもっている人である』と語っていたが、私もそうだと思う。一つ一つの事柄を、ただ鵜呑みにするのではなく、『どうしてそうなるのだろう』『本当にそうなのだろうか』『もっとほかに方法はないのか』と考える人です。(中略)
その探究心が大切なんです。
人には、皆、個性がある。全く同じ顔の人がいないように、もっている能力もさまざまです。だから、互いに尊敬し合いながら、師子の子らしく、自分の決めた道で、一流をめざしていってもらいたい」
(第14巻「大河」の章、324〜326ページ)

◇信仰貫き心に平和の砦を!
<さらに、女子中等部員が、"将来、世界平和に貢献していくために、今するべきことは"と、伸一に質問する>

「まず、世界の平和を生涯のわが使命と決め、信心を貫いていくことです。人類の平和実現の根本的な道は、生命の尊厳を説き明かした仏法にしかないからです。だから今は、しっかり信心に励み、教学も学んで、仏法への確信を深めていくことが必要です。
また、理想を実現していくためには、健康であることが大事です。したがって、体を鍛え、頑健にしておくことです。(中略)
そして、勉強です。実際に平和貢献する場合、なんらかの専門的な知識や技能が求められる。今は、その基礎となる勉強を、しっかりしておかなければならない。特に、語学は欠かせません。平和は対話から始まるからです。語学ができなければ、世界の人たちと、コミュニケーションが図れない。
あとは、人格を磨いていくことです。お母さんや友だちと喧嘩したりしないで、誰からも信頼される人になっていってください。
口で平和を唱えても、周りの人と喧嘩ばかりしているようでは、まやかしの平和主義者です。平和といっても、身近なことから始まります。まず、自分自身のなかにある、人に対する偏見や差別、また、わがままな心と戦い、勝たねばならない。同時に、慈悲、つまり人びとの幸福を願い、行動する強い心を培い、自らの人間性を高めていくことです。
戦争を起こすのは人間です。だから、その人間の生命を変え、人間の心のなかに平和の砦を築かなければならない。それが人間革命であり、その源泉が題目です。
この人間革命の思想と実践の道を世界に伝えていくことこそ、人類の平和を建設する根本なんです」
(第14巻「大河」の章、327〜328ページ)

2020年8月24日月曜日

2020.08.24 わが友に贈る

◇今週のことば
「黄金柱」の壮年部よ
乱世にこそ揺るぎなく。
「ちかいし願
やぶるべからず」
皆を励まし守り抜け!
2020年8月24日

寺泊御書 P951
『心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし』

【通解】
「志」を抱いて進む人達は、一処に集まって、法義を聴聞しなさい。

名字の言 きょう「聖教新聞創刊原点の日」 2020年8月24日
スイスの哲人ヒルティは、1月1日から12月31日まで日ごとに思想をつづった名著『眠られぬ夜のために』を残した▼本紙創刊記念日でもある4月20日の欄には、「この世界におけるただ一切の善事だけを報道して、(中略)くだらぬ事柄には見むきもしないというような新聞なり、評論誌なりを、われわれは持つべきであろう」(草間平作など訳)と論じている▼ヒルティは常に善悪を鋭く洞察した。「この世において悪の力が強いのは、全く、事にあたって生ぬるい人たちの恐怖心と不信仰とにもとづくものである」。悪を助長するものは、悪自体の力が強大であることよりも、正義が弱いことに起因するものだ▼きょう24日は「聖教新聞創刊原点の日」。70年前の1950年(昭和25年)のこの日、池田先生は恩師・戸田城聖先生と初めて広布の機関紙の構想を語り合った。そして翌年4月20日、本紙は創刊された。正義の論陣で正邪や善悪を明らかにし、正しい人間が正しく栄える時代を築こうとの思いで新聞発刊は決断されたに違いない▼池田先生は「民衆を賢明にし、民衆を強くし、民衆を団結させる——創刊以来の聖教新聞の使命である」と。この使命への挑戦に終わりはない。混迷の現代を確かな未来へ転換させるための"時代の要請"でもある。(代)

寸鉄 2020年8月24日
池田先生の入信記念日。世界広布を実現した73年後継よ偉大な闘争に続け
「師子王は前三後一」御書次の一歩に全力!幹部の祈りと励ましが躍進の鍵
男女青年部がオンラインで決意の集いを活発に。各地で新入会者も続々と
今年の酷暑は従来の常識通用せずと。夜の室内が最も危険—空調等を活用
正義の師子吼放つ希望の言論城。更なる紙面充実誓う。本紙創刊原点の日

〈社説〉 2020・8・24 きょう「壮年部の日」 2020年8月24日
◇奮闘する黄金柱の友に期待
「塩梅」という言葉には、「料理の味加減」のほかに、「物事や身体の具合」という意味がある。人が集まれば、性格や考え方は多様である。しかし、スイカに塩をかければ甘さが引き立つように、いい「あんばい」で調和すれば、互いの"持ち味"が引き出される。地域や職場や家庭に絶妙の調和をもたらす、黄金柱たる壮年部の存在感にも通じよう。
きょう24日は「壮年部の日」。かつて池田先生は、この日が自身の入信記念日であることから、"恩師・戸田先生が19歳の私を導いてくださったように、壮年が後継の青年を励まし、育てゆく意義も込めている"とつづった。
ある壮年は、慣れないパソコンに悪戦苦闘しながらも、オンラインの集いに参加。壮年部や男子部の友に画面越しでの御書講義を行っている。これまでは仕事で会合に間に合わなかった友が、確信あふれる講義に触れて信心を深めることができたなど歓喜が広がっているという。
新型コロナウイルスと共存する「新しい行動様式」を生み出す努力が、さまざまな場面で重ねられている。世代の違いはもとより、それぞれの家庭や仕事の事情や感染症のリスクへの思いは千差万別だ。誰も置き去りにせず、一人一人にどのように励ましを送っていくか。今、誰もが"正解のない"課題に直面している。
壮年部の結成式(1966年<昭和41年>3月5日)で池田先生は、永続的な発展のためには、分別のある"保守"の力と、若々しい、勢いのある"革新"の力がかみ合っていくことが肝要であり、広布推進の強力なエンジンとしての青年の力とともに、豊かな経験や判断力など、総合的な円熟した壮年の力が求められていると訴えた。
多様な意見に真摯に耳を傾け、皆の思いを共有しながら、柔軟に対応していくところに、数多の修羅場をくぐり抜けてきた経験と、度胸と、実践知を発揮する壮年の本領があろう。
さらに「8・24」は、1950年、事業が最悪の苦境にあった中で、戸田先生が池田先生に聖教新聞の構想を示した「創刊原点の日」でもある。これを通して池田先生は「一番の試練の時に一番の偉大な価値を創造するのが、壮年の本懐だ。この魂で、凱歌大道の誉れの人生を進もうではないか!」と述べている。
多くの同志が経済的な苦境に立たされながらも、信心根本に、師弟不二の魂を燃やして新たな戦野を開拓している。今こそ「生涯求道の壮年部」「職場で勝利する壮年部」「地域貢献の壮年部」の3モットーを胸に、壮年部一人一人がそれぞれの使命の場所で、周囲に希望の光を送る灯台の存在となっていきたい。

☆【8月24日】聖教新聞の創刊原点の日
言葉の力というものは、偉大です。「ありがとう」「負けるな」「いっしょにがんばろうね」——その一言を受け取っただけで、心が温かくなり、勇気が出たという経験が、みんなにもあるのではないでしょうか。
ある時、戸田城聖先生は、若き池田先生に言いました。
"なぜ日蓮大聖人の門下たちは、あれほど弾圧されても、勝ちこえることができたのか"
"大聖人は、お手紙を書いて書いて、書きぬかれて、一人一人をはげまし続けられた。だから、何があっても、みんな負けなかった"
私たちが学んでいる「御書」は、こうした大聖人の"はげましの手紙"なのです。
この「少年少女きぼう新聞」にも、毎月、池田先生が「2030年へ 希望の王子・王女に贈る」をつづってくださっています。
それは、池田先生から大切なみなさん一人一人への"はげましの手紙"です。

今から70年前の1950年の8月24日。この日は、池田先生が創価学会の信心を始めて、ちょうど3年目の日でした。
このころ、戸田先生が経営する会社は、ギリギリの状況に追いこまれていました。社員は次々にやめていき、大勢の人が戸田先生の悪口を言う中で、若き池田先生は、戸田先生を支えていたのです。
その日、戸田先生と池田先生は、ある新聞社の記者と会いました。その帰り道、戸田先生が言いました。
「一つの新聞をもっているということは、実にすごい力をもつことだ。学会もいつか、なるべく早く新聞をもたなければならんな。大作、よく考えておいてくれ」
明日がどうなるかもわからない、一番苦しい日々の中で、戸田先生と池田先生は、広宣流布の未来を見つめ、新聞をつくることを語り合っていたのです。

8カ月後の翌年4月20日。創価学会の新聞である「聖教新聞」が誕生しました。5月3日には、戸田先生が第2代会長になります。
戸田先生も池田先生も、「聖教新聞」にどんどん原稿を書きました。その「正義の声」「はげましの言葉」が、日本中の学会員に勇気と希望を届け、学会は大発展していったのです。
池田先生の小説『人間革命』や『新・人間革命』も、すべて「聖教新聞」に連載されたものでした。
2019年9月。東京・信濃町に、世界聖教会館が完成しました。ここが聖教新聞社の本社で、「少年少女きぼう新聞」も、この世界聖教会館でつくられています。
池田先生と奥様は、完成してすぐの世界聖教会館を2度、訪問。さまざまな展示を見学し、配達してくださる方々の無事故と健康、すべての読者の健康と幸福を、深く深く祈りました。
「世界中の人に聖教新聞を読ませたい」というのが、戸田先生の願いでした。今はインターネットを通した「聖教電子版」もできて、世界の200以上の国・地域で読まれています。

☆第3代会長就任60周年記念 師弟凱歌の記憶 特別編「池田先生 戦火の青春」
◇終戦75年に不戦を誓う
きょう8月15日は終戦75年。国内外で多くの命を奪った軍国主義が破滅した日であり、不戦と恒久平和を誓う日である。池田大作先生はこの時、17歳。死の恐怖から解放され、権力者への怒りを胸に秘めながら、人生いかに生きるべきかを模索し始めた。正しき思想を求めた若き先生が、生涯の師・戸田城聖先生と出会うのは、その2年後の8月14日のことである。「師弟凱歌の記憶」特別編として、池田先生の平和行動の原点となった、戦火の青春をたどる。

◇"私たちは「戦争の子ども」です"——ゴルバチョフ元大統領と
1990年(平成2年)7月にクレムリンで会って以来、池田先生と30年来の親交を結ぶ、元ソ連大統領のゴルバチョフ氏。二人が確かめ合ったことがある。
元大統領 私たちが、戦争で生き残った「戦争の子ども」であるという一点を見逃すと、私たちの世代の人生も、行動も、理解することは不可能でしょうね。
先生 「戦争の子ども」——。まさに、私たちの世代に共通する「体験」と「苦悩」と「辛酸」を、一言にこめた言葉であると思います。(『二十世紀の精神の教訓』)
1931年(昭和6年)生まれの氏に対し、池田先生は3歳上の28年(同3年)生まれ。共に大人たちが始めた第2次世界大戦によって、少年時代の思い出を、暗い灰色に染められた世代である。死の影に付きまとわれ、自由に未来の夢を描くことなど許されない青春だった。次の世代に二度と同じ思いを味わわせてはならない——その思いで二人は、不戦と核兵器廃絶へ戦い続けてきた。

◇「私は戦争を憎んだ。庶民の味方になると心に決めた」
75年前の「8月15日の記憶」を、先生はつづる。
「ラジオの玉音放送は、ザーザーと雑音が入って何を言っているのか、わからなかった」「『ああ、戦争が終わった……』。ほっとしたというのが、私の正直な実感であった」(寄稿「終戦62年に念う」)
前途ある若者を死地に追い立て、国土が焦土と化してなお、軍部政府は「一億玉砕」等と、命をささげることを強要し続けた。
終戦を迎えた先生の胸に去来したのは、そうした権力者への沸騰する怒りであった。
「私は、戦争を憎んだ。民衆を戦争へと駆り立てた、指導者を憎んだ。こんな歴史を二度と繰り返さぬために、自分は何をすべきかを問い続けた」(「随筆 新・人間革命」)
「いつも権力者や政治家に利用されている貧しき庶民、多くの正直にして賢明なる庶民の味方になっていくことを心に決めた」(「随筆 人間世紀の光」)
池田先生は東京の南部、多摩川を挟んで神奈川と接する大森・蒲田地域(現・大田区)で、前半生を過ごした。
まだ幼かった昭和初期、大森の海岸には砂浜が広がり、海苔の竹ヒビが沖まで連なっていた。江戸期以来の「浅草海苔」の一大産地であり、池田家もまた海苔製造業を営んでいた。
海苔業は、関東大震災で既に大きな打撃を受けていた。先生が小学2年生の時に父がリウマチで倒れ、4年生の時に長兄が出征。池田家は男手を失い、家運は傾き、困窮の一途をたどった。先生が小学5年生の時、2歳から過ごした糀谷3丁目の屋敷は人手に渡り、2丁目の家に越すことになる。
3歳で満州事変、8歳で二・二六事件、9歳で日中戦争勃発——高鳴る軍靴の足音とともに、のどかな田園や漁村の風景が広がっていた大森・蒲田一帯も、一大軍需工場地帯に変貌していった。

◇母の鏡を分け合った尊敬する長兄「大作、戦争は美談なんかじゃないぞ」
先生が13歳、国民学校高等科の2年生だった1941年(昭和16年)12月8日、ついに日本はアメリカと太平洋戦争に突入。翌42年(同17年)12月に、長兄が再び出征した。相前後して残る三人の兄たちも、次々と兵隊に取られた。
先生は、42年4月から、軍需工場となった蒲田の新潟鉄工所に勤め、働き頭として、懸命に家族を支え続けた。
だが、この頃から先生は、もう一つの「死の影」に付きまとわれるようになる。肺結核である。
「かつての田園地帯は(中略)軍需工場の進出と人口急増によって、結核の病巣と化した」(『大田区史 下巻』)と記されたように、慢性的な栄養不足や劣悪な労働環境によって、大森・蒲田地域には、"戦争に勝って結核に敗れる"といわれるほど、結核が蔓延。先生にも死の刃を向けてきた。
外からは戦争、内からは疫病という「死の影」と必死で戦いながら、先生は、赤く焼けた鉄粉が飛び散る軍需工場で、油にまみれながら働いた。
中国大陸から一時、除隊してきた長兄は、日本軍の中国での非道を憤り、言い残していた。
「大作、戦争は、決して美談なんかじゃないぞ」
先生は長兄と、一枚の鏡の破片を分け合った。
母が父のもとに嫁ぐ時に持参した鏡が、何かの時に割れてしまった。その破片の中から、手のひらの大きさのものを二人で選んだ。長兄は、その鏡の破片を持って出征し、残った先生も鏡を宝物にして、見つめるたびに、尊敬する兄をしのんだ。

◇戦争ほど悲惨なものはない
44年(同19年)8月までにマリアナ諸島を占領し、本土空襲の足掛かりを得た米軍は、11月から日本本土への攻撃を本格化した。
当初は、軍事目標だけを狙った昼間の「精密爆撃」だったが、やがて焼夷弾で市街地を焼き尽くす、夜間の「無差別爆撃」に戦術を転換。銃後の市民までも、直接、戦火にさらされることになった。
その最初の攻撃が、45年(同20年)3月10日の東京大空襲である。首都の東部が灰燼に帰し、およそ10万人が犠牲となった。
そして4月15日午後10時過ぎから16日未明にかけて、B29爆撃機の編隊が、今度は先生の家族が暮らす、大森・蒲田一帯を焼き尽くした。
家族はばらばらに逃げ、翌日の明け方になっても、互いの消息は分からなかった。
幸いにして「家族は皆、無事であり、手を取り合って喜び合った」(「随筆 新・人間革命」)。
しかし、喜びもつかの間——。
糀谷2丁目の先生の家は空襲による類焼を防ぐため、強制疎開で取り壊しとなり、一家は、馬込のおばの家に一棟を建て増しさせてもらい、移り住むことになった。
新居が完成し、荷物を運び入れ、ようやく新生活が始まろうとする5月24日未明。空襲で、焼夷弾が、完成したばかりの先生の家を直撃した。
全焼した家から、先生と弟は、なんとか長持一つを運び出した。開けてみると、入っていたのは、ひな人形と一本のコウモリ傘だった。
落胆が絶望を募らせた。
その時、母は言った。
「このおひなさまが飾れるような家に、きっと住めるようになるよ」
その一言が、家族の希望となった。
焼夷弾の雨の中でも、先生は、あの一枚の鏡を肌身離さず持ち続けていた。
やはり空襲を受けた時のことである。搭乗機を撃墜されたのであろう。米軍の兵士が、落下傘で脱出した。先生は、頭上を通り過ぎてゆく兵士の顔を見た。自分と、さほど年齢も違わない、少年の面影が残る若者であった。
この米兵はさんざん殴られ、目隠しをされて憲兵隊に連行されたという。胸が痛んだ。家に帰り、その話を母に伝えた。
「かわいそうに! その人のお母さんは、どんなに心配していることだろうね」
若い米兵の身を案ずる母の思いが胸に染みた。敵も味方もない。皆、同じ人間であることを教える言葉であった。

◇戸田先生との出会いから壮大な平和旅が始まった「この世から一切の不幸をなくしたい。どうだ、一緒にやるか!」
戦争が終わり、3人の兄が復員してきた。しかし、長兄は帰ってこなかった。47年(同22年)5月30日、一通の戦死公報が家に届いた。昭和20年1月11日、ビルマで戦死——。
長兄は、太平洋戦争史上で"最も無謀"とされたインパール作戦の犠牲となったのである。
「その通知を握りしめ、小さくなった体を震わせて慟哭していた母の後ろ姿が、私の瞼から消えない」(「終戦62年に念う」)
長兄の戦死公報が届いた3カ月後、終戦記念日を前にした8月14日の夜に、池田先生は生涯の師・戸田城聖先生と初めて出会った。
「生命哲学についての会がある」と友人に誘われて行った、糀谷での座談会。そこで戸田先生の「立正安国論」の講義を聴いた。
「700年前にお書きになったものが、まるで敗戦後の我々のために、お書き遺しくださったかのようだといってよい。個人であれ、一家であれ、一国であれ、この仏法哲理の根本に立たない限り、一切のことは始まらない」
「一家のことを、一国のことを、さらに動乱の20世紀の世界を考えた時、私は、この世から、一切の不幸と悲惨をなくしたい。これを広宣流布という。どうだ、一緒にやるか!」(同)
当時の先生にとって、指導者を峻別する基準は、軍部権力と戦った人か否か——この一点にあった。
仏法の理論を完全に理解したわけではなかったが、投獄されても信念を貫いたこの人なら、信じられると思った。
「そこには、人間として極限の『実像』があった。私は決めた。我、この師に続かむ。我、この道を進まむ」(「随筆 新・人間革命」)
戦火の暗く苦い思い出も、戸田先生との出会いによって、平和の誓いを燃やす薪となった。
73年前のあの夜から、池田先生の師弟不二の道が、壮大なる平和への旅路が始まった。
「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」
「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」
この小説『人間革命』『新・人間革命』の冒頭の言葉こそ、先生の魂の刻印であり、ほとばしる生命の叫び、そのものなのである。

2020年8月23日日曜日

2020.08.23 わが友に贈る

幾多の試練を
勝ち越えてきた
多宝の同志に最敬礼!
豊かな知恵に学びながら
生涯青春の大道を共に!

持妙法華問答抄 P465
『持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし、然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり』

【通解】
持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである。そうであれば、その人を毀るのは、その法を毀ることである。

名字の言 友の挑戦とヒマワリの花言葉 2020年8月23日
酷暑の中、暑中見舞いとして届いたヒマワリの写真にしばし見入ってしまった。夕暮れ時、あかね色に染まったヒマワリ畑だった▼「ヒマワリの写真の定番といえば、青空の下、太陽に向かって咲き誇る姿ですが、今回、新しいヒマワリの写真にトライしました」との一文が添えてあった。新しい挑戦から成長のドラマは始まる。友の挑戦の心が伝わり、爽やかな気持ちになった▼この夏、御書の全編拝読に挑戦する壮年がいる。正確に言えば「再挑戦」。12年前、地区部長に任命された時、全編拝読を始めたが、1000ページを過ぎた所で止まっていた。コロナ禍の中、池田先生の本紙の連載「心に御書を」に触発され、今再びの挑戦を決意したという▼戸田先生は若き池田先生に、御書を拝読する姿勢について語っている。電車の車窓から太平洋が見えた時だった。「あの太平洋のような大境涯の信心で、この御書を拝することだ。そうでなければ、凡夫が御本仏の御心に近づくことはできない」。小さな自分の世界ではなく、全生命を懸けた信心の世界で拝していくということだろう▼ヒマワリの花言葉の一つに「光輝」がある。ヒマワリの中に光り輝く太陽が見えたことに由来するようだ。新しい挑戦を重ねる人こそ「光輝」な人である。(側)

寸鉄 2020年8月23日
「心はたらけば身うごく」御書。強き祈りが勇気の源泉。今日も朗々と出発
東北池田記念墓地公園が開園30年。広布に生き抜く福徳は三世永遠に薫る
ともかくも始めることだ—哲人。若師子よ自身の目標へ決意即行動で進め
シートベルト非着用時の致死率は着用時の12倍。後部座席含め必ず励行を
正しき生活リズム、睡眠、バランス良い食事が健康の基本。夏の疲れ残さず

☆四季の励まし 生命力強め「健康人生」を 2020年8月16日
【写真の説明】夏空に湧き立つ白雲。緑のキャベツ畑が一面に広がる。1999年(平成11年)8月、池田大作先生が群馬を訪れた折に撮影した。
池田先生は常々、「食は命なり」と語ってきた。自然災害や天候の不順などにも屈せず、私たちの命を守り育む農漁業の方々に、心から感謝したい。御書には「食には三つの働きがあり、第一には生命を継続させ、第二には体や顔の色つやを増し、第三には心身の力を盛んにする」(1598ページ、趣意)と。
残暑の厳しい日が続く。特に今年はマスク着用の機会も多くなるため、より一層、熱中症への注意が必要となる。バランスの取れた食生活など、健康に留意し、賢明な行動で有意義な夏にしていこう。

◇池田先生の言葉
「病気がない」だけが
「健康」なのではない。
一生涯、何かに挑戦する。
何かを創造する。
前へ前へと自分の世界を
広げていく——
この"創造的人生"こそ、
真の"健康人生"では
ないだろうか。

時間を価値的に使って
早めに休む。
そして「さあ、
きょうも働こう」と、
満々たる意欲で
朝を出発する。
これが、健康で長寿の
生活の基本であろう。
「無理のない」、
そして「無駄のない」
価値創造の
日々でありたい。

利己主義の人は、
年とともに
生命力がしぼんだり、
心がゆがんでしまう。
人のために悩みながら、
尽くして生きている
利他の人は、
大変ではあるが、
その分、
自分の生命力を強め、
大きく開いていける。

病と闘っている友もいる。
心で負けないことだ。
広布に戦う皆さまを、
諸天が
護らないわけがない。
断じて全てに意味がある。
変毒為薬の妙法である。
何があろうと、
微動だにしてはならない。
一歩も引かないで、
御本尊に祈り切るのだ。
悩みを突き抜けて、
人がどうあれ、
堂々と
自分自身に生き切るのだ。
信心とは、
永遠の希望に
生きることである。

かけがえのない
同志の皆さん方が、
健康・長寿で
福徳に満ちた一日一日で
ありますように、
そして大勝利の一日一日で
ありますように、
私と妻は、
いつもいつも
祈っております。
どうか、皆さん、お元気で!

2020年8月22日土曜日

2020.08.22 わが友に贈る

川・海・山の事故が多発。
呉々も安全第一で!
危険箇所には近づかず
体調や天候変化に留意。
油断排し万全の備えを!

大白牛車書 P1543
『抑此の車と申すは本迹二門の輪を妙法蓮華経の牛にかけ、三界の火宅を生死生死とぐるりぐるりとまはり候ところの車なり』

【通解】
そもそもこの車というのは、本門と迹門の二門の輪を妙法蓮華経という牛にかけ、三界の火宅を生死生死とぐるりぐるりと回るところの車である。

名字の言 中華統一を成し遂げた大帝国の歴史の教訓 2020年8月22日
発行部数が累計6400万部を超え、映画化もされた人気漫画「キングダム」。「天下の大将軍」を志す主人公が、後に始皇帝となる秦の国王と共に「中華の統一」を目指す物語だ▼長きにわたり大小の国家が争ってきた戦乱の世を終わらせるには、「国境」そのものをなくすしかない——若き国王の理想に、多くの人々が糾合されていく。漫画は歴史を基にしたフィクションだが、天下の統一という偉業は2200年の時を経ても色あせない▼始皇帝が暴君か名君かは、さまざまな意見がある。万里の長城や巨大陵墓の建設に民を酷使した一方で、文字や度量衡の統一などの業績も残した。ただ確かなのは始皇帝の死後、わずか4年で秦は滅んでしまったということだ▼なぜ強大な秦帝国は滅亡したのか。作家の陳舜臣氏は、民衆の支持を得なかったこと、地方の長官は中央政府から任命された官吏ばかりで、身を賭して国を守る人々がいなかったことを挙げている(『秦の始皇帝』文春文庫)▼要するに「民の安穏の実現」という明確な理念、そして次代を担う真の人材を欠いていたということだろう。法律や制度だけでは足りない。それを支える人間と優れた精神性あってこそ、世代を超えた発展はある。現代にも通じる重い教訓である。(駿)

寸鉄 2020年8月22日
若いというだけでどんな人間よりも偉大—恩師。君よ宝の青春を乱舞せよ
「仏の御心はこの文字に備れり」御聖訓。御書を拝せ!勝利の道がここに
希望は強い勇気であり、新たな意志—作家。広布のロマン胸に今日も前進
熱中症死、3割が夜間。就寝前に水分補給、冷房活用を。高齢者は特に注意
コロナ終息後に行きたい国、日本が1位。皆で試練乗り越え民衆交流を再び

☆学ぼう「黄金柱の誉れ」Q&A 第8回 信心の継承
大切な夏休みに入り、お子さんやお孫さんに信心の素晴らしさを伝えていきたいと思っている壮年部の方々も多いと思います。ここでは、信心の継承をテーマに、壮年部指導集『黄金柱の誉れ』から池田先生の指導を学んでいきましょう(指導集248ページから250ページまでを抜粋)。

●テーマ 信心の継承 子どもが、なかなか信心に立ち上がりません
〈「信念、生き方、情熱」を賢明に伝える〉
私たちは、法のため、人のために奉仕している。エゴの人生ではない。ゆえに人よりも忙しいし、団欒の機会も思うままには取れないかもしれない。それでも人に尽くして生きている。いちばん尊い人生なのである。
その信念、生き方、情熱を、子どもたちが理解し尊敬できるようにしてあげなければならない。愛情も信念も、"黙っていても、いつかわかってくれるだろう"と考えるのは誤りである。
意識して"表現"しなければならない。あせらず、そして賢明に伝えていくことである。その「知恵」が「信心」の表れなのである。
(『池田大作全集』第82巻、SGI代表者会議でのスピーチ)

〈自分がしっかりしていればいい〉
両親や夫や奥さんがなかなか入会しない、あるいは子どもが信心に立ち上がらないからといって、あせる必要はありません。
大聖人も「この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも・をよぼしてん」(御書1231ページ)——この功徳は、あなたの父母・祖父母、さらに無辺の衆生にもおよんでいくでしょう——と仰せです。自分がしっかりしていれば、すでに道は開かれているのですから、安心していい。太陽は一つ昇れば、全部を照らしていける。自分が一家・一族の太陽になればいいのです。
(『池田大作全集』第30巻、「法華経の智慧」)

〈恥じることはない〉
自分が幹部で、子どもさんが一生懸命に信心していないことから、"幹部として恥ずかしい。皆に申し訳ない"と、何か後ろめたい思いでおられる方もいるかもしれない。また、"幹部なのに……"と厳しい目で見ている人もいるかもしれない。
しかし、負けてはいけません! 決して恥じることはありません。全部、深い意味があるんです。要は、子どもさんが信心に励み、幸せになれるように、強盛に祈り、日々、真剣に努力し抜いていくことが大事なんです。
むしろ、子どもさんのことで、確信を失い、元気が出なくなってしまったり、学会活動に対して遠慮がちになってしまったりすることの方が問題です。それこそが、魔に破られてしまっていることだからです。何があろうが、めげたり、萎縮してしまったりすることなく、大生命力をみなぎらせ、堂々と胸を張って、戦うんです。そして、周囲の若い後継の世代を温かく励まして、全力で育成していけばいいではありませんか!
(小説『新・人間革命』第27巻「求道」)

2020年8月21日金曜日

2020.08.21 わが友に贈る

宝の未来部を支える皆様
いつも ありがとう!
無限の可能性を信じ抜く
励ましの慈光ありて
使命の大輪は咲き薫る。

南条殿御返事 P1530
『法華経を山中にして読みまいらせ候人をねんごろにやしなはせ給ふは、釈迦仏をやしなひまいらせ法華経の命をつぐにあらずや、妙荘厳王は三聖を山中にやしなひて沙羅樹王仏となり、檀王は阿私仙人を供養して釈迦仏とならせ給ふ、されば必ずよみかかねどもよみかく人を供養すれば仏になる事疑ひなかりけり』

【通解】
法華経を山中で読み修行する人を手厚く供養されるのは、釈迦仏を供養申し上げ、法華経の命をつぐことと同じではなかろうか。妙荘厳王は三人の修行者を山中にやしなった功徳により沙羅樹王仏となり、須頭檀王は阿私仙人を供養して釈迦仏となられた。とすれば法華経を読み書くことをしなくても、読み書く人を供養するならば成仏することは疑いない。

名字の言 "真の終戦"とは——青年部「戦争・被爆証言を聞く会」で考える 2020年8月21日
ある父は特攻隊員として出撃する前、5歳と3歳のわが子に手紙をつづった。<イツデモオマヘタチヲ見テイル>。漢字の読めない幼子を気遣い、カタカナで書いてある。<オトウサンハ「マサノリ」、「キヨコ」ノオウマニハナレマセン>▼"背中に乗せて、お馬さんごっこをしてやれない"。そう書き残し、米軍が上陸した沖縄へ向かい、命を落とした。享年29歳。子どもたちの悲しみは、どれほどであったか。戦争で失ったものはあまりにも大きい▼「まだ戦争は終わっていません」。過日、学会青年部の「戦争・被爆証言を聞く会(オンライン)」で、90歳の婦人部員が沖縄戦の体験を語った。当時15歳。米軍が迫る中、重傷の叔父を置いて逃げた。「戦争が終わったら迎えに来てくれよ」。その叔父の声が今も耳朶から離れないという▼婦人は「私の体験を次の人につなげてください。そのときが、私の終戦日です」と。終了後、各地の青年部員から「今日の"聞き手"は、明日の"語り部"だと学んだ」などの感想が届いた▼75回目の「終戦の日」を過ぎてなお、戦禍に苦しむ方々がいる。その声なき声に耳を傾け、代弁する。悲惨の二字をなくそうと、"次の人"が立ち上がってこそ、真の終戦は訪れる。自らが、その一人でありたい。(子)

寸鉄 2020年8月21日
「弟子のしらぬ事を教えたるが師」御書。求道心燃やし師弟道を堂々邁進
現実を理想に近づける力が大聖人の哲学だ—恩師着実な一歩前進を今日も
豪雨は温暖化の影響で更に増加—専門家。皆が当事者。心構えの刷新必須
コロナ禍で子の7割超にストレス反応。休み明けは要注意。変化見逃さず
ましい水の事故多し。"自分は大丈夫"—油断が命取りに。声掛け何度も

☆日蓮大聖人の慈愛の眼差し=完 池上兄弟 「賢者はよろこび愚者は退く」
◇2度の勘当に屈せず一家の宿命転換を成就 後世に輝く「難を乗り越える信心」の鑑
広宣流布とは、仏と魔との闘争である。
日蓮大聖人は大難にも一歩も退かず、渾身の激励を門下へ送られた。師の励ましを受け、門下たちは病苦や家族との死別、権力者からの迫害など障魔の嵐を乗り越えていった。
日蓮門下の人間群像は、「師弟の絆」こそ、一切の苦難に打ち勝つ力であることを示している。
企画「日蓮大聖人の慈愛の眼差し」の最終回は、師の御指導通りに三障四魔に屈せず、一家の宿命転換を成し遂げた「池上兄弟」を紹介する。

◇魔との闘争こそ成仏への直道
池上兄弟の兄は宗仲といい、弟は宗長と伝えられている。池上とは、武蔵国・千束郷池上(東京都大田区池上とその周辺)のことで、兄・宗仲は池上の地頭だったようだ。
兄は右衛門大夫志、弟は兵衛志という官職を持っており、日蓮大聖人はそれぞれの官職名で二人を呼ばれていた。康光(宗親とする説もある)と伝承される父と兄は鎌倉幕府に仕え、殿舎の造営や修理などの建築、土木に携わる大工(工匠)の棟梁に当たる立場にあったと考えられている。
池上兄弟が大聖人に帰依した時期は定かではないが、立宗宣言の数年後、四条金吾らと同時期といわれている。
入信から20年ほどたった頃、兄弟に大きな難が降りかかる<最近の研究では建治2年(1276年)と考えられている>。真言律宗の僧・極楽寺良観の熱心な信者だった父・康光が、兄弟に法華経の信仰を捨てるように迫り、兄・宗仲を勘当したのである。
当時、親から勘当された子は家督相続権や遺産相続権を失った。それは社会的な身分を剥奪されることでもあった。つまり、宗仲にとっての勘当は、経済的保証を奪われ、社会的に破滅することを意味した。
一方で弟・宗長は、父の意向に従って妙法の信仰をやめれば、兄に代わり家督を継ぐことになる。家督を継いで親に孝養を尽くすか信仰を選ぶか、悩ましい事態になった。
このように兄・宗仲の勘当は、兄弟の信心を破り、二人の仲を引き裂こうとする陰湿なものであった。
大聖人は、池上兄弟に長文のお手紙「兄弟抄」をしたためられ、兄弟が直面している難は法華経に説かれる通りであることを示される。その中で、未来に大地獄に堕ちるほどの報いがあるところを、正法を行じる功徳によって現世で少苦として受ける「転重軽受」であるとして、「各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候」(御書1083ページ)と激励。仏道修行を妨げようとする魔性と戦うことが成仏への道であることを教えられる。
大聖人の御指導通り、池上兄弟は夫妻ともども心を合わせて信心に励んだ。そして翌年までには宗仲の勘当が解かれるのである。

◇弟・宗長への厳愛の御指導
しかし、宗仲が再び勘当されてしまう。極楽寺良観が、自身の信奉者である父・康光をあおり立てたのだ。
1度目の勘当の時と同様、大聖人が特に気に掛けられたのは弟・宗長の信心であった。
本来、「信仰」と「孝養」は一方を選び取るようなものではなく、信仰を全うすることが真の孝養となる。しかし、宗長は選択を迫られているように感じたかもしれない。
宗長へのお手紙「兵衛志殿御返事(三障四魔事)」で大聖人は、宗長の迷いを振り払われるように、あえて厳しく戒められる。
まず、「師と主と親とに随っては悪いときに、これを諫めるならば、かえって孝養となる」(同1090ページ、通解)と確認される。
その上で、兄・宗仲は「今度、法華経の行者になるでしょう」(同1091ページ、通解)と仰せになる一方、宗長には「あなたは目先のことばかりを思って、親に随ってしまうでしょう。そして、物事の道理が分からない人々は、これを褒めるでしょう」(同ページ、通解)と心配される。
さらには、「今度は、あなたは必ず退転してしまうと思われます」(同ページ、通解)等と繰り返し仰せになる。
そして、「一筋に思い切って兄と同じように仏道を成じなさい」「『私は親を捨てて兄につきます。兄を勘当されるのならば、私も兄と同じと思ってください』と言い切りなさい」(同ページ、趣意)と、まるで肩を抱えて力強く揺さぶるかのように、何度も何度も宗長の勇気と覚悟の信心を奮い起こそうとされるのである。
"幸福への道を断じて踏み外させまい"との大聖人の厳愛に呼応するように、宗長の胸中には、兄と共に信心を貫く決意が固まっていったことだろう。
さらに大聖人は「潮の満ち引き、月の出入り、また季節の境目には、大きな変化があるのは自然の道理です。同じように、仏道修行が進んできて、凡夫がいよいよ仏になろうとするその境目には、必ずそれを妨げようとする大きな障害(三障四魔)が立ちはだかるのです」(同ページ、趣意)との原理を示される。
その上で、こう仰せである。
「賢者はよろこび愚者は退く」(同ページ)
"苦難は、いよいよ大きく境涯を開くチャンスだ"と、喜んで立ち向かう「賢者」であれと、信心の姿勢を教えられるのである。
池田先生は次のように講義されている。
「一見、障魔から攻め込まれているように思うことがあるかもしれない。しかし本質は逆です。私たちが自ら勇んで成仏の峰に挑んだがゆえに、障魔が競い起こったのです」「どこまでも、主体者は自分です。永遠の常楽我浄の幸福境涯を得るために避けて通ることのできない試練である——こう覚悟した者にとって、障魔と戦うことは最高の喜びとなるのです」
魔が競い起こるのは正法の実践が正しいことの証明であることを深く確信し、喜び勇んで立ち向かっていく。ここに、「創価の賢者」の生き方がある。

◇信仰を貫き通し、ついに父が入信
池上兄弟は、前回の勘当の時にも増して心を合わせて信心に励み、父親に極楽寺良観の誤りを粘り強く指摘し続けたことだろう。その陰に、妻たちの揺るぎない信心による励ましがあったことは間違いない。
その結果、ついに父・康光が法華経の信仰に帰依する時が来た。弘安元年(1278年)のことである。
その報告を聞かれた大聖人は心から喜ばれ、宗長に送られたお手紙の中で、兄弟の団結を称賛される。師の真心に、二人はさらに報恩の決意を固めたことだろう。
入信の翌年の弘安2年(1279年)、父・康光は安らかに息をひきとる。それを伝え聞かれた大聖人は、こう激励される。
「あなた(弟・宗長)と大夫志殿(兄・宗仲)は、末法の悪世に法華経の大法を信じてきたので、必ずや悪鬼が国主と父母等に入ってそれを妨げようとするであろうと思っていましたが、予想通り、2度にわたる勘当という難が競いました。しかし、勘当を許されて父を信心させたあなた方は真実の親孝行の子ではないでしょうか」(同1100ページ、趣意)
弘安2年といえば、大聖人は熱原の法難に臨んで、厳然と指揮を執られていた頃である。その一方で、こうして門下をたたえ、さらに不退転の人生を歩めるよう、こまやかな激励を重ねられていたのである。
弘安5年(1282年)9月18日、大聖人は常陸国(茨城県北部と福島県南東部)へ湯治に行かれる途中、宗仲の屋敷に立ち寄られる。そして10月13日、池上邸で御入滅される。
翌14日に営まれた御葬送の際には、四条金吾と共に幡を持つ宗仲と、太刀を奉持する宗長の姿があった。
池上兄弟と妻たちの「難を乗り越える信心」の戦いは、大聖人が仰せになった通り、「未来までの・ものがたり」(同1086ページ)として、700年以上を経た今も、私たち信仰者の鑑として不滅の輝きを放っている。

2020年8月20日木曜日

2020.08.20 わが友に贈る

厳しい暑さの中でも
颯爽と広布に駆ける
配達員の皆様に感謝!
尊き労苦に福徳は燦然。
健康・無事故を祈ります。

蒙古使御書 P1473
『所詮万法は己心に収まりて一塵もかけず九山八海も我が身に備わりて日月衆星も己心にあり』

【通解】
所詮、万法は己心に収まって、一塵もかけてはいない。九山・八海も我が身に備わり、日月・衆星も己心に収まっている。

名字の言 夏空を美しく染める夕焼け 2020年8月20日
童謡「夕焼小焼」を口ずさむと、子どもの頃の懐かしい記憶がよみがえる。明治生まれの詩人・中村雨紅が、古里の情景を歌ったものといわれている▼雨紅の郷里は現在の東京・八王子市上恩方町。荒川区で教職に就いていた青年時代、夏休みに実家へ戻ると、つい長居をしてしまうこともあった。駅までの距離はおよそ4里(約16キロ)。バスなど通っていない時代だ。徒歩で帰るその途次で、夕日が山々を赤く染め上げる光景をまぶたに焼き付けたのである▼秋の印象が強い「夕焼け」だが、知人のカメラマンによれば、実は夏の方が美しい写真を撮れるそうだ。湿度の高さが主な要因らしい。赤系の光が目に届きやすい大気の状態となり、燃えるような空の色が現れる。俳句においても「夕焼」は夏の季語である▼池田先生は、創価大学のある八王子をはじめ、各地の夕日をカメラに収めてきた。時には望んでいた瞬間を撮り逃してしまい、「きょうという日は、この人生で、たった一度しかないんだ」と口惜しがることもあった。写真を通じて友に励ましを送るため、一瞬一瞬が真剣勝負だった▼荘厳な夕焼けは翌朝の好天を約束するという。一日一日を悔いなく、自分らしく生きよう。明日の人生が晴れ晴れと輝くことを確信して。(之)

寸鉄 2020年8月20日
外交の根本とは誠実だ—恩師。近隣への友好拡大の鍵は日々の振る舞いに
名聞名利は今生のかざり—御書。青年は大願に生き抜け!不退の信心貫け
「人は、教えながら学ぶ」哲人。後輩と共に挑み、共に前進!人材育成の要
広島土砂災害から6年。避難経路や日頃の備えを確認。教訓忘れず総点検
熱中症の救急搬送、多くが高齢者。屋内も危険。躊躇せずエアコンを使用

☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第6回 難を乗り越える信心<下> 萩本主任副会長
「紙上教学研さん『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」の第6回は、前回(1日付)に続き、「難を乗り越える信心」について、萩本主任副会長と共に学びます。(第7回は9月5日付に掲載の予定。池田先生の講義は『創価学会 永遠の五指針』から引用)

◇池田先生の指導

広布の師弟に生き抜く人は、
一人残らず師子王です。
人生を恐れなく
楽しみ切っていける。
社会を、世界を、希望の智慧で
照らしていけるのです。

1 前進するから魔が競い起こる
それでは今回も、「難を乗り越える信心」について学んでまいりましょう。
「三沢抄」を拝しての池田先生の講義の続きを確認します。

■ 池田先生の講義
第六天の魔王といっても、その本質は、生命に潜む元品の無明が、魔の働きとなって現れてきたものです。
自身の境涯を広げようとするから、止めようとする力が働く。船が進めば波が起こり、走れば風圧が生ずるように、人間革命の道を進みゆく人々に、信心への不信、疑念を抱かせようとするのが、魔の本質なのです。
決して、自分の信心が弱いから、また、自分の信心の姿勢が悪いから難が起こってくるわけではないのです。
—◆—
思いがけない苦難に襲われると、「自分の信心が弱かったから」「信心の姿勢が悪かったから」と弱気になりがちです。しかし、先生は「そうではない」と断言されています。
1985年(昭和60年)7月、長野の実家が地滑りに巻き込まれました。幸いにも父母は逃げ出して無事でした。東京から飛んで帰ると、そこにあったのは、厳として動じない父母の姿でした。
父と母は共に63年(同38年)に入会。二人して、幾度も池田先生の励ましを受けながら広布に走り抜いてきました。先生は被災の報を聞かれ、「大変だったね。必ず変毒為薬できるよ」と万感こもる激励をしてくださいました。
「変毒為薬」とは「毒を変じて薬と為す」という意味です。日蓮大聖人は、この文を引いて「災来るとも変じて幸と為らん」(御書979ページ)と仰せです。
魔はあらゆる手を使って、法華経の行者に疑いや恐れや不安や迷いを起こさせ、成仏を妨げようとしてきます。しかし、魔を魔と見破れば、信心の利剣によって必ずや打ち破っていけます。
その後、父は使命を全うし、3年前に霊山に旅立ちましたが、あの時、「家はなくなったが、これでますます広布のため、同志と共に頑張っていける」と凜と語っていた姿は、今も忘れられません。

2 師弟の道に勝利の要諦が
続いて先生は「佐渡御勘気抄」を拝されます。同抄は、日蓮大聖人が流罪地の佐渡に向かわれる直前に認められた一書です。

【御文】
仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと・をしはからる(佐渡御勘気抄、891ページ2行目〜3行目)

【現代語訳】
仏になる道は、必ず命を捨てるほどのことがあってこそ仏になるのだろう、と思われる。

■ 池田先生の講義
人間は、運命を嘆き、宿命に翻弄され、苦しむだけの存在ではない。難を乗り越えて、自他共の幸福を勝ち開く。その力を無限に解き放つための哲理が妙法です。そのための信心です。この境涯革命、人間革命を成し遂げるには、不惜身命の実践が欠かせないのです。その要諦は不退の信心にあります。
佐渡流罪中に認められた「開目抄」にも「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(御書234ページ)と仰せです。
いかなる難に直面しても、疑いを起こさず、敢然と信心を貫き通していけば、必ず仏界の生命を涌現できる。
大事なことは、「まことの時」に、師の言葉を忘れず、ひとたび決めた師弟の道を、同志と共に、断固と進み抜いていく信心です。
—◆—
努力に努力を重ね、それでも「もうだめだ」と思った時、「師匠に勝利の報告をする」との決意を希望の光として、もう一度、戦いを開始する同志が全国におられます。
東京・新橋駅近くで40年以上にわたり飲食店を営む壮年が、90年代のバブル崩壊を受け、店をたたもうかと行き詰まった時、目にしたのが池田先生の随筆でした。戸田先生の事業が苦境に陥る渦中、聖教新聞の創刊の構想を「新橋駅近くの食堂」で語り合ったことがつづられていました。「絶体絶命の中、戸田先生と池田先生は、この地から勝利を開かれた。負けるものか! 先生が魂魄をとどめられた新橋で店をやっていく」と腹が決まりました。そこから厚い壁に挑み抜き、やがてにぎわいを取り戻すのです。
その後、リーマンショックによる不況も乗り越えました。なぜ40年も店を続けられたのか?——こう問われた壮年は語ります。「毎朝、しっかり居住まいを正してから聖教新聞を読みます。池田先生の息吹に触れ、決意してから仕事に向かうことで、さまざまな苦難も乗り越えることができました」と。
今、コロナ禍で客足が絶える中、常連客や飲食店の仲間に励ましを送る日々。その模様を、70歳にして初めて触れたパソコンを使って、オンラインの支部の壮年部御書学習会で報告するなど、至る所で勇気と希望を広げておられます。

3 経文通りの実践者の誉れ
池田先生は、難に遭うことは、経文通りの実践者の誉れであると教えてくださっています。

■ 池田先生の講義
恩師は、力強く訴えられました。
「牧口先生が幾たびとなく弟子に語った、この言葉を断じて忘れてはならない。『悪口罵詈、猶多怨嫉の難は法華経の実践者の誉れなのである』と」
地域のため、社会のため、世界の平和のために、誰が本気になって尽くしているのか。それは、学会員です。
私たちは、無理解や偏見などから圧迫を受けたとしても、すべては法華経の行者の誉れと愉快に堂々と前進していけばいいのです。
「石に金を・かふるにあらずや」(御書891ページ)です。
苦難を越えて、信心を貫き、広宣流布に生き抜く人は、凡夫の身のままで、胸中に大聖人と同じ最極の生命を涌現することができる。戦えば戦うほど、自分自身の仏の力が引き出せる。信心は、その秘術です。
—◆—
現代において、経文通りの三類の強敵の迫害を乗り越え、世界広宣流布という御本仏の御遺命を実現したのは、創価三代の師弟であり、なかんずく池田先生にほかなりません。
1970年(昭和45年)の夏、高等部の代表として参加した野外研修に、池田先生が出席してくださいました。先生はその時、「スイカやトウモロコシを、どんどん食べなさい」と勧めてくださり、にぎやかにほおばる私たちに、大きな慈愛の眼差しを注ぎながら語り掛けてくださいました。「君たちはいいな。私はラーメン1杯食べるのも大変なんだよ」と。
当時は言論問題のさなかであり、学会への無理解からくる誹謗・中傷が社会に渦巻いていました。その中で体調を崩されていたにもかかわらず、私たち未来部のため、あえて灼熱の野外での研修に来てくださったのです。先生の額に浮かぶ玉のような汗と激励の一言一言は脳裏に焼き付いています。
そして、この時、「生涯、先生と共に戦おう」と決意したことが私の原点となっています。
かつて先生は語られました。「妙法の師弟に生き抜く生命には、何も恐れるものはない。三世永遠に、いかなる悪鬼も打ち破り、『常楽我浄』という最極の生命の歓喜と勝利の道を悠然と進むことができるのである」と。
偉大な師匠と共に戦える!——こう思うと、いかなる苦難も乗り越える勇気が湧いてきます。歓喜があふれます。私たちは、いやまして「師弟の誓い」をたぎらせ、力強く前進してまいりたいと思います。

4 宿命を使命に変える祈りを
■ 池田先生の講義
私たちには偉大な妙法がある。そして、人類の幸福のために、一人また一人と、平等大慧の仏法を弘めています。
世界広布の使命に生きゆく私たちは、御聖訓に照らし、いかなる苦難にも断じて負けるわけがありません。
難に直面しても、信心が破られない人は、仏の眼で見れば、「難即安楽」で、もう乗り越えているのです。仏法は勝負であるゆえに、信心を貫けば、必ず現実の一切を勝ち越えていけるのです。
—◆—
「難に直面しても、信心が破られない人は、仏の眼で見れば、『難即安楽』で、もう乗り越えているのです」との先生の言葉に、大きく境涯が開かれる思いがします。
「苦難」を文字通り「苦しみ」と捉えるのか、自分を高めゆく「試練」と捉えるのか——先生が教えられているのは、全ては私たちの「一念」で決まるということです。一切を「信心」で捉えた時、「宿命」は「使命」へと変わります。「悩み」は「闘志」を燃えたぎらせる薪となります。苦難にあった人ほど、乗り越えた時に大きな力が出ます。不幸にあえぐ人々の本当の味方となれるのです。その転換の力を生み出すエンジンが「唱題」です。
池田先生は講義の中で、「どんな悩みも、そのまま御本尊に祈っていけばいい。悩みを祈りに変えて、題目を唱えれば、わが生命に、勇気がみなぎり、希望が輝き始めるではありませんか。『難を乗り越える信心』とは、『難を乗り越える祈り』であり、『難を乗り越える唱題』の異名です」と語られています。
眼前の課題や、抱えている不安、人知れぬ悩みも、ありのままに御本尊にぶつけていくことです。前進の力が湧くまで祈り抜くことです。そして、広布のため、友のため、師匠のためにとの誓いを打ち立てていくことです。
時代は、確かな哲学を求めています。私たちの「難を乗り越える信心」の実践の姿こそが、社会に希望を送っていくのです。

■ 池田先生の講義
広布の師弟に生き抜く人は、一人残らず師子王です。人生を恐れなく楽しみ切っていける。社会を、世界を、希望の智慧で照らしていけるのです。
正しき信仰とは、永遠の「勇気の翼」であり、「幸福の翼」であり、「勝利の翼」です。
苦難の烈風があればあるほど、喜び挑んで悠々と飛翔し、境涯をどこまでも高めていけるのです。
さあ、胸を張り、頭を上げて、不撓不屈の誉れの「創価の翼」で、常勝の空へ晴れ晴れと舞いゆこうではありませんか!

さらなる研さんのために
本連載で学ぶ講義「世界を照らす太陽の仏法」は、『創価学会 永遠の五指針』に収められています。本社刊。713円(税込み)。全国の書店で発売中。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能。電子書籍でも好評発売中。

2020年8月19日水曜日

2020.08.19 わが友に贈る

教学実力試験に挑む
英知の学生部よ!
最高峰の哲学を学び抜き
混迷の社会を照らす
時代創造の主役と育て!

如説修行抄 P501
『真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり』

【通解】
真実の法華経の如説修行の行者として師となり、その弟子檀那となるならば、三類の敵人が必ず現れるのである。

名字の言 ペルセウス座流星群と沖縄 2020年8月19日
夏の夜空に「光の舞」——聖教電子版(17日付)に、ペルセウス座流星群の写真12枚が掲載された。本紙記者や通信員の方々が、夜半に蚊や眠気と戦いながら撮影したもの▼沖縄研修道場(恩納村)での写真には「平和大歓喜の像」と共に、画面中央に北極星も写っている。一番明るい流星は、あたかもそこを目がけて飛んだかのようで、ふと、沖縄の童謡を思い出した▼「夜走らす船や 子ぬ方星目当てぃ(夜走る船は北極星を目印にして)」(「てぃんさぐぬ花」)。親から子の代に伝えて心に染めたい教訓を歌っている。琉球王朝の時代から、焦土と化した沖縄戦を経て今日まで、漆黒の闇夜にも沖縄の人々が見失わなかった「北極星」とは何だろうか▼池田先生は会長就任からわずか2カ月後の1960年7月16日、沖縄を初訪問。南部戦跡の「ひめゆりの塔」「健児之塔」で題目を唱えた後、"もう二度と、ここで戦争は起こさせない!"と力を込めて語った、と同行者が証言している。それは「命どぅ宝(命こそ宝)」という、沖縄の心そのものの師子吼ともいえるだろう▼「平和大歓喜の像」の頭上には、りゅう(竜)座も輝いている。どんな困難の時代も昇竜のごとく立ち上がってみせる——そんな心意気にも思えた。(継)

寸鉄 2020年8月19日
「返す返す此の書をつねによませて」御書。教学は信心の背骨。青年よ繙け
わが子を愛し、社会貢献する人材に—戸田先生。広布のロマン語る好機と
東京富士美のフラワー展が好評。人生彩る花の力。我らは地域に友情の花を
世界人道デー。身近な人を大切にする心から平和は広がる。誠実な振舞で
通販の"お試し"に注意!予期せず定期購入になる問題多発。注文前に確認

〈社説〉 2020・8・19 コロナ禍での夏休み明け 2020年8月19日
奮闘する未来部員に励ましを
新型コロナウイルスによる休校措置の影響で、多くの学校で短縮となった今年の夏休み。文部科学省の調査では、小中学校では最短9日、高校では最短4日という学校もあり、お盆明けからすでに新学期が始まっている地域もある。
「新しい生活様式」が求められる中、学習の遅れを取り戻すため、学校が授業をオンラインで行うなど、デジタルネーティブ世代に合った新しい学習方法も一部で進みつつある。一方、休校期間に出された課題の多さや、自宅での学習に慣れないという声もあり、子どもへの負担が懸念されている。
NTTデータと読売新聞が共同で行ったツイッターの分析結果によると、全国でほとんどの学校が再開した6月以降、心身の疲れを表すようなツイートが急増しているという(7月27日付「読売新聞オンライン」)。長期の休校明けの反動や、学校生活の変化によって、ストレスを抱えこんでいる子どもが増えていることがうかがえる。
加えて、感染リスクを避けるため、帰省や旅行を控える家庭も多く、普段の夏休みの楽しみがなくなってしまったと感じる子どもが多いのではないか。勉強疲れが解消されないまま、新学期を迎えてしまう子もいるかもしれない。
家で子どもと一緒に過ごす時間が増えた今こそ、親は子どもに寄り添いながら、一緒に成長しようと努めていくことが大切だ。地域の創価家族の支えも重要である。
創価大学の鈎治雄教授は、新しい生活様式のもと親子で過ごすに当たり、「もともと人間には、新しいことを生み出す『発想力』や、物事を変えていける『転換力』、そして新しいことに挑戦しようとする『行動力』が備わっている」と考察する。そして、「そんな人間の資質を大いに発揮しながら、目の前の変化を前向きに受け止めていきたい」とし、親子ともども新たな可能性を見いだすチャンスと捉えることが大事だと強調する(「灯台」9月号)。
池田先生は、3日付の「随筆『人間革命』光あれ」で「大きな不安や制約や変化の中で、勉学に挑む高校・中学・小学生の皆さんの苦労もひとしおであろう」と語った上で「若き日に大きな試練を乗り越えることは、それだけ自分が鍛えられ、大きな使命を果たしていける。偉大な価値を創造していけるのだ」と、コロナ禍で奮闘する一人一人に呼び掛けた。
困難な時代の中で、「人類の希望の宝」である未来部の友が、使命の道を勝ち開き、伸び伸びと、朗らかに成長していけるよう、家庭で、地域で支え合い、励ましを送っていこう。

☆SUA入学オリエンテーションへの池田先生のメッセージ 2020年8月13日
◇「創造的生命」の開拓者たれ
一、わが愛する誉れの20期生の皆さん、大学院へ進学する誇り高き皆さん、誠におめでとうございます!
応援してくださるご家族の方々にも、心より感謝とお祝いを申し上げます。
信頼するエド・フィーゼル新学長をはじめ教職員、ならびに全ての大学関係者の方々、人類の宝である大切な俊英たちを、どうか、くれぐれもよろしくお願いいたします。
待望の「科学棟」も完成し、いよいよ「生命科学コース」も開講となります。新たな前進の息吹とともに新たな挑戦を開始する皆さんと、私は一人一人、目を交わし、その凜々しき顔を、わが生命に深く刻みゆく思いで、メッセージを送らせていただきます。
一、人類は今、感染症や気候変動、自然災害等々、幾多の苦難に直面しております。この試練の時代に未来を切り開く鍵はどこにあるか。
私が歴史学者のアーノルド・J・トインビー博士をはじめ世界の知性と語り合ってきた結論の一つは、人間の「創造的生命」への信頼であり、人間教育を基軸とした開拓であります。
未来学者のヘイゼル・ヘンダーソン博士も、この信頼に依って立つ時、「どんな逆境も人間が成長するための"追い風"にしていける」し、「危機は"偉大な変革へのチャンス"」になると力説されていました。
博士ご自身が深刻な環境汚染に立ち向かい、草の根の市民運動をリードし、持続可能な発展のために、たゆまぬ行動を貫かれております。
博士も、アメリカ創価大学へ限りない期待を寄せてくださる一人です。
21世紀の希望の学府として誕生した我らSUAは、開学直後に勃発した同時多発テロ、また世界的経済危機等の激動の中で、何ものにも屈せず新たな価値創造の道を開く人材群を送り出してきました。
コロナ禍にあってオンラインでの講義など大変でしょうが、苦労しながらの学びの一つ一つが偉大な創造的生命を発揮する糧であります。「何があろうと学び抜く」と決めた青春は、断じて負けません。

一、アフリカの人権の大英雄ネルソン・マンデラ翁と、私は若き世界市民による平等と尊厳の連帯を展望しました。非暴力の対話によって歴史を変革したマンデラ翁は、人生において最も困難なことの一つとして、"自分自身を変革すること"を挙げておりました。
「創価教育」は、この最も困難な「人間革命」に自他共に挑み、社会を変え、国土を変え、人類の宿命をも変えゆかんとする壮大な挑戦です。
崇高な建学の理念に集った同志である教授陣、職員、学友、同窓と共々に励まし合い、聡明に焦らず快活に探究し、錬磨し抜いていってください。そして、新たな「地球文明」創造のパイオニアにたくましく育っていただきたいのであります。
一人ももれなく健康・勝利・栄光あれと祈りつつ。

☆対話のツボ 【問い】家族の学会理解を得たい
自分自身が信仰を始めるに当たり、家族がすぐに学会活動への理解を示してくれることは理想ですが、現実はさまざまです。
池田先生は、19歳の時に友人から誘われて座談会に参加し、信心を始めました。その当時を振り返り、「私も入信当時、父が信心に反対でした。父と私の間に立って、母がずいぶん苦心してくれたことを思い出します」と語っています。
"家族が信心の素晴らしさを理解するかどうか"は、新たに信仰を始める人の多くが直面し得ることともいえるでしょう。
とはいえ、そうしたことで焦ったり、不安に思ったりすることはありません。まして、感情的になって、信心のことで家族と争う必要もありません。
大事なことは、この信心を実践することで自分自身が成長し、誰よりも幸せになり、家族の幸福を願える境涯へと「人間革命」することです。
その挑戦の中で、自分だけでなく、家族や周囲をも幸福の軌道へと導いていくことができるのが、学会の信仰です。
大聖人は、「一切は現証(現実の結果)にすぎるものはない」(御書1279ページ、通解)と教えられています。信心によって"現実に成長した姿"ほど、仏法の素晴らしさを物語るものはありません。自身の姿が、そのまま信仰の力の証明になるのです。
ゆえに、地道に粘り強く学会活動に励み、自らが幸福な姿を示していくことが、周囲に確かな学会理解を広げていく直道です。

2020年8月18日火曜日

2020.08.18 わが友に贈る

事前の準備が
未来の勝利を決する。
今の課題を見極め
具体的な目標を定めて
堅実に進みゆこう!

妙密上人御消息 P1241
『国中の諸人一人二人乃至千万億の人題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し』

【通解】
国中の人々が、一人・二人・ないし千万億の人が題目を唱えるようになれば、しらずしらずのうちに功徳が自身にあつまることであろう。その功徳は、ちょうど大海が露をあつめ、須弥山の微塵を積んで大きくなっていくようのものである。

名字の言 核兵器、環境問題、新型コロナに立ち向かう時の共通点 2020年8月18日
昨夏、広島の平和記念資料館を訪れた時のこと。展示室の入り口付近で小学生の女の子がお母さんの手を握り、「帰ろうよ」と。その手を握り返しながら、お母さんはじっと立っていた。展示室では、被爆した中学生の遺品の説明文を、同じ年くらいの男の子に涙を流しながら読み聞かせているお母さんもいた▼今年、長崎の原爆資料館に胸打つ言葉が掲げられた。「核兵器、環境問題、新型コロナウイルス…世界規模の問題に立ち向かう時に必要なこと その根っこは、同じだと思います。自分が当事者だと自覚すること。人を思いやること。結末を想像すること。そして行動に移すこと」▼核兵器廃絶の運動は、「被爆の苦しみを二度と誰にも体験させてはいけない」との被爆者と被爆地の方々の熱い思いに支えられてきた。その心で創価学会も運動を進めてきた。言うまでもないが、核兵器も環境の問題も、地球に生きる全ての人が当事者である▼大事なことは、当事者の私たちが無関心、無防備であれば、危機はひたひたと押し寄せ、私たちの命を脅かす。反対に一人一人が危機を自覚し、連帯し、行動すれば、抑えることは不可能ではないことだ。コロナ禍はそれを教えている▼人類の一員として生きる責任感を心に刻む夏にしたい。(進)

寸鉄 2020年8月18日
世界の分断が進む今こそ会長の人間主義が必要—総長。弟子の振舞で拡大
栃木県青年部の日。人格光る信頼の人に!君らの勝利の実証が同志の希望
拡大に共通点—マスクなしで会話、症状出ても勤務継続等と。油断を排せ
会食も集団感染の因に。食事は大皿でなく個別に配膳を。家庭等でも注意
高齢者半数、認知機能の衰えを実感。背景に会話の減少と。地域の絆強く

☆創大通教 夏季スクーリング開講への池田先生のメッセージ 2020年8月12日
不撓不屈の探究へ、負けじ魂燃ゆる通教生の皆さん、誠に誠にご苦労さまです。
集い合えなくとも、全国・全世界の尊き皆さん一人一人と、私の心はいつもつながっております。豪雨等で被災された地域の方々をはじめ、さまざまな困難の中で、夏期スクーリングに挑む皆さんに、私は最敬礼して、健康と勝利への祈りを捧げております。
オンライン授業という初の試みに尽力してくださる教員の先生方、職員やお世話になる関係者の方々にも、心より御礼申し上げます。
今、私は、あらためて創価教育の師父・牧口常三郎先生の精神を、皆さんと共に思い起こしたい。すなわち、「学光の塔」に刻まれた「学は光、無学は闇。知は力、無知は悲劇」との師子吼であります。
探究の「熱と誠」で破れぬ壁はない
牧口先生とほぼ同じ時代に、先生と相通ずる「学の光」で、人類の悲劇を転換する闘いに挑んだ医学・細菌学者が、北里柴三郎博士でありました。博士は、働きながらの苦学生の最中、面倒を見ている弟妹たちへの手紙につづっています。
「人々一大業を成さんと欲せば、各々その基礎を堅固ならしむべし。その基礎とはすなわち一身上の勉強なり」(福田眞人著『北里柴三郎——熱と誠があれば』ミネルヴァ書房)と。すなわち、偉業は、"生涯を通じての勉強"を基に果たされていくというのです。
とともに、人類の脅威であり続けたペストの原因菌を突き止め、野口英世など、名だたる後進を育てた博士は訴えています。「人に熱と誠があれば何事でも達成するよ」「世の中は決して行き詰まらぬ。若し行き詰まったものがあるならば、是は熱と誠がないからである」(北里研究所編『北里柴三郎傳』岩波書店、現代表記に改めた)と。
人生も社会も、永遠に闘争です。創価の「学」光る皆さん方には、探究と価値創造への燃え上がる「熱と誠」があります。破れぬ壁は断じてありません。

◇創価教育の志を継ぐ一人一人に
思えば、牧口先生も戸田先生も、時代を先駆けた通信教授を行われておりました。
皆さん方こそ、創価教育の師弟の志を受け継がれ、偉業を成し遂げゆく一人一人であります。
どうか、それぞれに体に気をつけながら、最高に有意義な一日一日を勝ち飾っていってください。私は毎朝毎晩、皆さんの無事安穏と幸福栄光を祈り抜いています。一体不二で崇高な向学と向上の歴史を刻まれゆく、ご家族の皆さんにも、くれぐれもよろしくお伝えください。
愛する誉れの通教生、万歳! いついつまでも、お元気で!

☆明日を照らす テーマ:信心の継承
今回の「明日を照らす」は、「信心の継承」がテーマです。池田先生は、小説『新・人間革命』第9巻「光彩」の章で、つづっています。「どんなに広宣流布が進んだように見えても、一代限りで終わってしまえば、未来への流れは途絶えてしまう。信心の継承こそが、広宣流布を永遠ならしめる道であり、一家、一族の永遠の繁栄の根本です」と。家庭で、地域で、信心のバトンを後継に託すことこそ、万代の広布の礎になることを学んでいきましょう。

経王御前御書
『経王御前を儲させ給いて候へば現世には跡をつぐべき孝子なり後生には又導かれて仏にならせ給うべし』(御書1123ページ)

◇未来の宝を大切に育む
【通解】経王御前をもうけられたので、現世には、必ず後を継ぐ孝子である。また、後生には、この子に導かれて仏に成られるであろう。
     ◇
生まれた子どもは、今世では自らの後を継ぐ親孝行な子であるばかりでなく、仏法の三世の生命観から見れば、来世では自分たちを成仏へと導いてくれる存在である——。親子には、不思議な深い縁があることを示された一節です。
本抄は、文永9年(1272年)、日蓮大聖人が佐渡流罪中、種々の御供養とともに子ども(経王御前)の誕生を報告した門下に送られました。
子どもは、親にとって何物にも代えがたい"宝"であることは言うまでもありません。その上で、"親子"の関係性を超えて、次代の広宣流布を担い立つ"人類の宝"であり、"未来の宝"であるという、より深い使命を帯びた存在であることを教えられているとも拝せます。
大聖人は、「一切の仏法も又人によりて弘まるべし」(御書465ページ)、「伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」(同508ページ)と仰せです。いかに偉大な法であっても、それを受持し、弘通する人がいなければ、末法の衆生を救っていくことはできません。
池田先生は、後継の友を育てる意義について「未来を創ることそのもの」と、つづっています。
"広布の使者たち"を、家庭はもとより、地域一丸となって励まし、学会の庭で大切に育んでいく——。それが、広宣流布を永遠たらしめる要諦であり、人類の幸福な未来を開く大偉業にほかならないのです。

上野殿母御前御返事
『同じ妙法蓮華経の種を心に・はらませ給いなば・同じ妙法蓮華経の国へ生れさせ給うべし』(御書1570ページ)

◇妙法の絆は三世永遠
【通解】同じ妙法蓮華経の種を心に孕まれるなら、同じ妙法蓮華経の国へお生まれになるでしょう。
     ◇
駿河国(現在の静岡県中央部)の女性門下・上野殿母御前(南条時光の母)は、夫・南条兵衛七郎に早くに先立たれ、遺された子どもたちと信心に励んでいましたが、弘安3年(1280年)9月、末子の五郎を16歳の若さで突然、失いました。
五郎の四十九日に当たって認められた本抄で、日蓮大聖人は"父の後を継ぎ、題目を唱えていた五郎の成仏は間違いない"と断言され、"題目を唱える功徳によって、妙法に生き抜いて亡くなった家族と、必ず同じ妙法の国に生まれ合わせることができる"と、母御前を包み込むように励まされました。
故人の遺志を継ぎ、後継者として広布に生き抜くことこそ、自他共の成仏を開く直道にほかなりません。
池田先生は、本抄を拝してつづっています。
「妙法の同志は、生死を超えて一体である。亡くなられたご家族の生命とも、ご友人の生命とも、題目で結ばれている。
後継の人材群が広布のため、友のため、社会のために進み働く姿を、霊山から喜び見つめておられるに違いない。常楽我浄の生命の旅を永遠に一緒に続けていけるのだ」
価値観が多様化する現代は、家族の在り方もさまざまです。しかし、学会には、三世にわたって誓願を共有する"創価家族"の強い絆があります。
互いに励まし合い、共に苦難を乗り越えていく中で、絆はさらに強まり、未来へと広布のバトンが受け継がれていくのです。

2020年8月17日月曜日

2020.08.17 わが友に贈る

新聞休刊日

曾谷入道殿許御書 P1039
『伝教大師の云く「讃する者は福を安明に積み謗ずる者は罪を無間に開く」等云云、安明とは須弥山の名なり、無間とは阿鼻の別名なり』

【通解】
伝教大師は「讃する者は福を安明に積み謗ずる者は罪を無間に開く」等と言っている。ここに言う安明とは須弥山のことである。「無間」とは阿鼻地獄の別名である。

☆心に御書を 第67回 平和へ! 若き地涌の結合を
〈御文〉
『よき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり』(法華初心成仏抄、550ページ)

〈通解〉
よい師と、よい檀那と、よい法と、この三つが寄り合って祈りを成就し、国土の大難をもはらうことができるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
御本仏に直結し、妙法で結ばれた師弟ほど強いものはない。広布と人生の大願を成就し、立正安国の宝土を築く力は、この結合にある。
戦後の荒野に恩師が一人立ち、地涌の陣列を呼び出して75年。揺るがぬ平和の民衆城が聳え立った。今、創価の若き世界市民の連帯こそ、地球社会の諸難を打ち払う希望なのだ。

☆仏法思想の輝き 苦しむ子に寄り添う
幼児・家庭教育部長 市川由紀絵
【プロフィル】いちかわ・ゆきえ 創価大学卒業後、東京都内の公立小学校に勤務し、現在は校長を務める。1965年(昭和40年)入会。埼玉県川口市在住。婦人部副本部長。総埼玉副教育部長。

◇心の重荷を軽くする関わり
池田先生の「私の最後の事業は教育である」との言葉に感銘し、教員になって33年。これまで、さまざまな子どもたちと出会いました。苦労や悩みもたくさんありましたが、それ以上に、子どもたちから「生きること」のすばらしさ、人間のもつ可能性の大きさを教わり、教育という仕事の偉大さを感じています。
忘れられない出会いの一つに、私が担任を受け持った、ある6年生の児童がいます。
この学年は、前年度に学級崩壊しており、新年度がスタートしてからも、男子児童数人が授業中に勝手に立ち歩いたり、授業を妨害したりしました。それを注意した教員に集団で暴力を振るうこともしばしば。その影響で、他の児童も無気力になってしまい、手のつけられない状況でした。
こちらが何を言っても、返ってくる言葉は「うざい」「くそ」「死ね」という暴言ばかり。どうしたらこの子たちと心を通わせることができるのかと、悩みながら題目をあげ、自分なりに懸命に関わっていたある時、リーダー格の子がつぶやいた一言に、はっとしました。
「どうせ俺たちなんか、何をしたって認めてもらえない」
"ああ、この子たちは、心の中では認めてもらいたい、がんばりたいと思っているんだ"——そう気付かされました。問題行動の奥にある、子どもたちの心が見えた瞬間でした。
以来、この子たち一人一人に、活躍の場を与えていき、少しの変化でも保護者に伝えるようにするなど、粘り強く成長を見守り続けました。
迎えた卒業式。それぞれ立派に成長した子どもたちの姿に心を打たれ、「どんな子でも、必ず伸びることができる」との確信を深めました。

◇感染拡大の中で
御書に、「一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩(中略)一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり」(557ページ)とあります。
私たちの唱える題目には、ありとあらゆる人の生命から、仏性という最極の善性を呼び覚ましていく響きがあります。"どの子にも無限の可能性がある"と信じて祈り、関わり続けるこちらの心は、子どもたちの心にも必ず伝わると確信します。
新型コロナウイルスの感染拡大で、学校生活は一変し、マスク着用やフィジカルディスタンス(身体的距離)をとりながらの関わりは、人と人との距離を遠ざけるものとなりがちです。
コミュニケーションが取りづらいことに加え、授業時数の確保のために夏休みも短くなり、学習の遅れを心配する周囲の雰囲気に、重苦しさを抱えている子も少なくないでしょう。また、大人自身が不安を抱えている様子を、敏感に感じ取っている子もいます。
一方、外出自粛の期間を「家族のつながり」を再確認する機会と捉え、日々の生活の中に楽しさを見つけるなど工夫していた家庭では、子どもも安心して過ごせていたと感じます。子どもたちの悩みや心の声に耳を傾け、同苦し、心の重荷や不安を軽くしてあげるような周囲の関わりが、今こそ大事ではないでしょうか。

◇長男の不登校
わが家の長男が中学1年の時、同級生からの暴力がきっかけで学校に行けなくなりました。長男は穏やかな性格で、頼まれなくても手伝うような優しい子なのですが、断ることができず、また自分のやりたいことをはっきり決められないところもありました。中学に入学してからも、やりたい部活が見つからず、成績は徐々に下がっていく一方。朝になっても起きてこない日があり、「具合が悪いのか」と聞いても返事はあいまいで、無気力のようでした。やっとの思いで登校したものの、友達とのトラブルが起こり、とうとう、行けなくなってしまいました。
この時、私は「息子よ、強くなれ! 強くなれ!」と祈っていました。しかし、そうではないことに気付かされました。ある時、夫が長男に、「君のいいところは、その優しさだ。その優しさをずっと大事にしてほしい。君は変わらなくていい。君は、君のままでいいんだよ」と話したところ、長男は大粒の涙をこぼしながら、その言葉を聞いていたのです。
それから、長男の状態は好転し、学校にも行けるようになり、生き生きと学校生活を送れるようになりました。進路も自分で決め、中学・高校と勉学に励み、家中に響き渡る声で題目をあげて、志望した大学の合格を勝ち取れたことは、長男の大きな自信になりました。
日蓮大聖人は「人に教えることは、車輪が重かったとしても油を塗ることによって回るようにすることである」(御書1574ページ、趣意)と仰せです。
子どもは、環境が整えば、必ず自分自身で一歩を踏み出せる時がきます。そのためにも、周囲の大人が、子どもにとっての最大の教育環境となっていくことが何より大切ではないでしょうか。
池田先生はつづっています。
「どんなに困難で複雑な現場にあっても、子どもたちを取り巻くすべての皆様に、『それでも対話を!』と申し上げたいのであります」
「『一番苦しんでいる子どもの側』に立って、対話を進めていただきたいのであります」
心通わせる実践を通して、子どもたちが幸福を感じられる社会を構築していきたいと願っています。

◇[視点]抜苦与楽
仏法では、仏の崇高な慈悲の行為として、「抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)」の実践を説きます。
日蓮大聖人は、一切衆生の苦悩は「ことごとく日蓮一人の苦である」(御書758ページ、通解)と仰せになり、苦しみにあえぐ民衆に同苦し、苦難を乗り越えていくよう、力強い励ましを送られました。
"同苦"とは、上から哀れむような"同情"ではありません。相手に寄り添い、悩みを共有しながら、相手が自力で立ち上がれるまで、粘り強く関わり続けていく実践です。
それはまた、「相手の可能性を信じ続けること」と言い換えることもできるでしょう。こうした慈悲の精神に基づく"励ましの絆"で結ばれた連帯が、創価学会なのです。

2020年8月16日日曜日

2020.08.16 わが友に贈る

◇今週のことば
「日夜朝暮に又懈らず」
たゆまぬ勤行のリズムで
宇宙と一体の生命力を。
伸びゆく未来部と共々に
今日も挑戦・発見・向上!
2020年8月16日

妙密上人御消息 P1241
『国中の諸人一人二人乃至千万億の人題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し』

【通解】
国中の人々が、一人・二人・ないし千万億の人が題目を唱えるようになれば、しらずしらずのうちに功徳が自身にあつまることであろう。その功徳は、ちょうど大海が露をあつめ、須弥山の微塵を積んで大きくなっていくようのものである。

名字の言 ずっと心に残る「思い出」とは? 2020年8月16日
体が不自由な少女部員。小学校の登下校は母が車で送迎していた。ある日、母が風邪をひき、「今日は学校を休ませましょう」と家族に相談した。すると祖母は「いえ、こんな時だからこそ行かせましょう」と言った。祖母と少女は「1、2、1、2」と声を掛け合いながら徒歩で学校に向かった▼後年、女子部員となった彼女から「大切な思い出」として聞いた話だ。「その気になれば、できることを増やせる。ささやかですが大事な自信になりました」と彼女は述懐した▼苦難に負けなかった思い出は忘れ難い。その出来事が「楽しかったのか、苦しかったのか」以上に、「自分を成長させてくれた」ことが、深く心に残るからだろう▼学会活動も同じである。池田先生は語る。「広布の労苦には、少しの無駄もない。あとから振り返れば、最も苦しい時こそ、最も人間革命が進み、最も輝く『今生人界の思出』(御書467ページ)となる」と▼長期のコロナ禍、また各地で豪雨被害が続いた中、創価後継の友も試練に負けまいと奮闘している。「未来部ドリームチャレンジ期間」(31日まで)を応援する担当者の真剣な声が、耳から離れない。「皆に『この夏は大変だったけれど、僕は、私は頑張った』という思い出をつくらせてあげたい」(白)

寸鉄 2020年8月16日
学会には青年が育つ場がある—博士。全員で世界青年部総会の成功を応援
「札幌・夏の陣」65周年。歴史は本気の一人から!らも足元から幸福拡大
頑張れ受験生!変化の中でも努力は裏切らない。天王山の夏、自分を磨け
「歩きスマホは危険」が9割。他人にケガさせる事例も。迷惑行為と戒め
今後2週間は高温の予報—気象庁。水分・塩分補給や空調活用を。甘く見ず

〈社説〉 2020・8・16 「札幌・夏の陣」から65年 2020年8月16日
会えない時こそ絆を結ぼう
電話や手紙、オンラインを活用した友への励ましが定着してきた。直接会うに越したことはないが、励ます側の心一つで、どんな方法や手段でも、信心で立ち上がるきっかけをつくれる。65年前、それを示したのが池田先生だ。
「戦いは勝ったよ」——1955年(昭和30年)8月16日、札幌に到着した若き先生が、出迎えた地元の同志に語った。当時、全国で行われた夏季地方折伏。その札幌派遣隊の中心者として、10日間で388世帯という日本一の弘教を成し遂げた「札幌・夏の陣」の初日のことだ。
先生は、1カ月以上前から、手紙や電話を使い、東京から現地の友に心温まる励ましを送っていた。この手紙は回覧され、一人また一人へと勇気の炎がともされていった。対話は大きく展開され、先生が札幌に入るや勢いは加速した。
戦いの終盤、先生は市内の友に電報を打った。「悔いなき闘争を祈るのみ 池田」。毎日のように顔を合わせている友も多くいた。だが、それを受け取った同志の感激は、周囲の幹部の想像をはるかに超えた。この電報をきっかけに、折伏はさらに爆発的に進んでいった。
当時、札幌班の女子部員として戦ったある婦人。友人に座談会への参加を呼び掛けるが、誰も取り合ってはくれない。肩を落とし、拠点になっていた旅館に戻ると、そこには池田先生が。「"今のまま純粋な信心を貫けばいいのです"と声を掛けてくださったのです。札幌を出発する朝には、和歌をしたためた絵はがきまで頂きました。生涯の宝として胸に刻み、きょうまで歩んできました」
折伏が実っても実らなくても、先生は爽やかな涼風のごとく励まし続けた。地元の友が運転するスクーターに同乗し、座談会場を回った。時間をこじ開け、手紙やはがきにペンを走らせた。その真心が同志の前進の原動力となった。
いかなる状況であっても、"私から希望を広げよう"との心意気は今、青年部にも受け継がれている。二つの離島がある稚内北斗県の男子部長は、泊まりがけの訪問・激励とともに、距離が遠い分、日頃からオンラインや電話、手紙でのつながりを大切にしてきた。そんな中、今春、高校を卒業し、漁師になった男子部員が20人の友に友好対話を広げるなど、未来のリーダーが着実に育っている。
10年前の夏、先生は青年部に語った。「ひとたび結んだ人間としての絆は、どこまでも大切にする。それが私の信条である。友情こそ宝だ。交流こそ喜びだ」と。たとえ会えなくても、心を結ぶ方法はたくさんある。どんな手段であれ、相手を思う真心は必ず届く。希望の励ましと対話で"私の夏の陣"を勝ち飾ろう。

☆四季の励まし 終戦75年——友の心に平和の花を 2020年8月9日
【写真の説明】鮮やかな蓮の花。淡紅色の花弁が大きく開く。先月22日、池田大作先生が都内でカメラに収めた。
蓮の花は、泥水の中で育っても、泥に染まらず、美しく咲き薫る。蓮華のように、現実のさまざまな悩みや苦難の真っただ中にあっても、自他共の幸福を願い、社会や地域に"平和の花"を咲かせてきたのが、我ら創価の同志である。
きょう9日は、広島(6日)に続き、長崎に原爆が投下された日。15日には、終戦75年を迎える。
池田先生は小説『新・人間革命』の冒頭につづった。「平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」と。師の思いを胸に、平和の大道を開く、励ましの対話を着実に広げゆこう。

◇池田先生の言葉
国と国、民族と民族、
宗教と宗教の間における
偏狭な
「差異へのこだわり」は、
人間が克服すべき
根本の病の一つといえる。
異なる人間への差別意識、
差異へのこだわりを
克服することこそ、
平和と普遍的人権を
創出するための
第一歩であり、
開かれた対話を
可能にする道である。

人類は"地球を故郷とする
一つの民族"との
視座に立てば、
あらゆる差異を超えて、
共生していける。
生命という共通の基盤に
立つことこそが、
平和の礎であろう。

民衆同士が互いに
相手のことを深く知り、
友情を結んでいけば、
戦争を起こそうとする
動きに対する
ブレーキとなる。
戦争や対立の背景には、
互いの疑心暗鬼がある。
だからこそ、
民衆自身の手で
「対話の窓」を
広げていく努力が
必要となってくるのだ。

「真の対話」は、
相手を尊敬し、
相手から学ぶことだ。
そこに互いの向上があり、
喜びがある。
「対話」で開けぬ道など
絶対にない!——
この確信で、真心と慈悲の
発露のままに語ることだ。
相手の仏性を信じ抜く
祈りを根底に置いて、
誠実に言葉を紡ぐ時、
「真の対話」が生まれる。

仏法の根本は友情である。
善友の拡大である。
平和のため、
人類の幸福のために、
あの地でも、この地でも、
美しき対話と友情の花を
咲かせてまいりたい。
私たちの本領発揮の時は、
いよいよ、
これからである。
世界中が
私たちの活躍に期待し、
創価の人間主義の勝利を
待っている。

2020年8月15日土曜日

2020.08.15 わが友に贈る

「一は万が母」だ。
目の前の一人を幸福に!
近隣との友好を大切に!
皆が輝く社会の建設へ
希望の千波万波を!

三沢抄 P1487
『たとひ明師並に実経に値い奉りて正法をへたる人なれども生死をいで仏にならむとする時にはかならず影の身にそうがごとく雨に雲のあるがごとく三障四魔と申して七の大事出現す』

【通解】
たとえ智慧明らかな師匠に出会い、真実の教えである法華経に巡りあって、正法を得た人であっても、生死の苦悩の流転を越え出て仏になろうとする時には、必ず影が身に添うごとく、雨に雲が伴うごとく、三障四魔といって七つの大きな出来事が現れてくるのである。

名字の言 きょう終戦記念日。残酷と悲惨を繰り返さないために 2020年8月15日
先月、ある婦人部の方が95歳の長寿を全うされた。ご家族から来し方を伺った。75年前の2月、東京で空襲に遭った。おなかの中に赤ちゃんがいた。米軍の爆撃機B29に家を焼け出され、実家のある千葉へ。山道を歩いている途中で破水したが、命懸けで実家にたどり着き、娘を産んだ▼後年、家族で創価学会に入会。婦人は池田先生と共戦の絆を結び、題目根本の一生を貫いた。今、孫娘は地区婦人部長として地域広布の要に。その子も学生部として後継の道を進む。一人の生命は決して一人だけのものではない。一つの生死に数え切れない縁起が交わり、新しい物語が紡ぎ出される▼3年前のNHKの調査で「日本が終戦を迎えた日」について、全国の18、19歳の実に14%が「知らない」と答えた。日本社会のあり方が問われている▼学会の反戦出版は100冊を超え、今も広島、長崎、沖縄を中心に巻を重ねている。池田先生は「(学会の反戦出版は)加害者としての体験も入っています」。また歴史観を鍛えるためには「ひとことでは言えないが、根本は『民衆への信頼』を手ばなさないことではないだろうか」と語る(『青春対話』)▼きょう8月15日は終戦記念日。あの「残酷」と「悲惨」を二度と繰り返さぬための道しるべである。(寅)

寸鉄 2020年8月15日
終戦75年。平和ほど尊きものはない。誓い新たに草の根の民衆の連帯拡大
青年の特徴は情熱と思索それがあれば年を取らぬ—恩師。生涯青春の心を
友情は魂の結び付きである—哲人。帰省等活用し励ましを懐かしき友にも
連日の猛暑で男性用日傘が好評と。身体的距離も自然に。新たな日常、皆で
真夏の自動車内は50度超に上昇。短時間でも命の危険が。子の放置は厳禁

☆夏の高校野球 東西の創価球児の挑戦 2020年8月11日
◇感謝の心を胸に! 逆境の中で光った負けじ魂の全力プレー
新型コロナウイルスの感染拡大により、8月に甲子園で開催予定だった全国高校野球選手権大会は、地方大会も含めて中止が決定。各都道府県では、独自の代替大会が行われている。かつてない状況の中、感染予防に努めながら、負けじ魂で"最後の夏"を戦い抜いた東京・関西の創価高校硬式野球部の歩みを追った。

〈東京〉
昨夏、2・3年生を中心としたチームで西東京大会準優勝に輝いた創価高校。最終回に振り切られ、あと一歩で夢に届かなかった悔しさを、現3年生は味わった。"先輩が果たせなかった甲子園出場を絶対につかむ"——新チームは、ひときわ強い自覚で始動した。
だが、春のセンバツ甲子園につながる秋季都大会では、準決勝まで駒を進めるも、再び最終回に試合を決められ、惜敗。度重なる悔しさをバネに、集大成の夏へ、鍛えの冬を過ごしていたさなか、新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた。
練習を中断し、2月末の終業式と同時に、寮で暮らす選手も、全員が実家に帰宅。先行きが見えない不安の中で、在宅でのトレーニングやオンラインでのミーティングを続けた。
しかし状況は悪化の一途をたどり、3・4月の春季大会は中止に。さらに5月中旬、夏の甲子園大会も中止の方向との報道が流れた。
それを受け、片桐監督と3年生はオンラインミーティングを開催。代替大会が実施される意向が発表されたことを踏まえ、監督は"たとえ甲子園がなくなっても、創価高校野球部の誇りをもって最後まで戦えるか"と、一人一人に問い掛けた。
当時の心境を、監督が振り返る。「彼らにとって甲子園は、3年間の集大成というだけではなく、野球を始めた頃から憧れてきた夢です。それが戦わずしてなくなるという現実は、容易に受け止められるものではありません。私自身、なんと声を掛けていいか悩みました」
3年生から返ってきた答えは、思いがけないものだった。他の部活動の多くは、最後の機会も得られずに引退になった。でも自分たちは、そのチャンスを与えられた。そのことに感謝したい——と。
悔しくないはずはない。一晩泣き明かした選手もいた。しかし、前を向いて戦うと全員で決めた。勝つことが先輩との約束。だから代替大会で必ず優勝しようと誓ったのだ。
夏の甲子園の中止と、代替大会の開催が発表された直後。チームは"最後の夏"へのスローガンを決めた。河合主将を中心に、3年生が考え出した言葉は「感謝」だった。
ある選手は言う。
「甲子園という夢を追い掛けることができたのは、支え続けてくれた人たちがいたからです。だからこの大会は、創立者・池田先生や家族をはじめとする皆さんに感謝を伝える場にしたい。そう思ったんです」
副題には「play for someone(誰かのために)」と。"one"には「one team」と「No.1」を掛けた。応援してくれる全ての方々のために、全力でプレーしよう!——7月、3年生の最後の戦いが始まった。
シード校として、2回戦から登場した創価は、投手中心の堅守と強打がかみ合い、順調に勝ち上がっていく。
初戦と3回戦は5回コールドで勝利。4回戦は8対7で競り勝ち、主戦・森畑(3年)が初先発した準々決勝は12対1(6回コールド)で快勝する。
準決勝では、今大会を制した東海大学菅生高校と対戦。5対12で破れるも、急成長を遂げた石田(同)の本塁打などで執念の追い上げを見せ、大健闘の西東京ベスト4となった。
試合を終えて、「優勝はできませんでしたが、今日までのプレーで感謝の一端は伝えられたと思います」と河合主将。
「後輩たちには絶対に甲子園に行ってもらいたい」——負けじ魂の挑戦は、次の代へと受け継がれた。

〈関西〉
夏の甲子園の中止が発表された5月20日の夜。関西創価高校の3年生は、オンラインでミーティングを行った。
夢が奪われてしまった悔しさともどかしさで、重苦しいムードが漂う。そんな空気を一変させたのは、チームの盛り上げ役を担う、ある選手の一言だった。
「関西創価で、このメンバーと一緒に野球ができたことが一番の幸せ。感謝しかない。それを、この自粛期間に再確認することができた。だから最後まで思い切り戦いたい」
そうだ! 甲子園という目標はなくなっても、"野球を通して人間を磨く"という関西創価の目的は変わらない。「代替大会に向けて、皆の心が一つになった瞬間」(山並監督)だった。
6月下旬、一部のメンバーが集まり、グラウンド練習を再開。さらに、新たなコーチとして、元プロ野球選手の藤井康雄さんが就いた。現役通算282本塁打を放った強打者。引退後は複数の球団で打撃コーチを務め、多くの選手を育ててきた。球児たちは向上心を燃やし、積極的に指導を求めていく。
7月5日、ついに1年生から3年生まで、全員がそろっての練習がスタート。選手たちは野球ができる喜びをかみ締めながら、泥だらけになって白球を追い掛けた。
すでに初戦まで3週間を切っていたが、その後の練習試合では強豪相手に何度も逆転勝ち。打力を鍛え上げたチームは、終盤の粘り強さも身に付け、大阪大会に臨んだ。
関西創価が所属する大阪は、全国屈指の激戦区。"大阪を制するものは天下を制す"といわれるように、甲子園の優勝回数は、大阪の高校が最も多い。
今回、関西創価が入ったのは有力校が集まる注目ブロック。初戦(2回戦)の対戦校は、昨夏の大阪大会準優勝で昨秋の府大会ベスト4の金光大阪高校である。
格上の相手に食らい付く気持ちで挑んだ試合は、初回に上原(3年)の先制2点本塁打が飛び出し、一気に流れを引き寄せる。
その後も打線がつながり、計12得点。投げては先発の橋本(同)が6回無失点・被安打1の好投で、7回コールド勝ちを収めた。
続く3回戦(大阪産業大学付属高校)は、序盤に4点を失う苦しい展開に。だが、竹内(同)の好救援が、徐々にチームをリズムに乗せていく。
2点差まで追い上げて迎えた終盤。粘る打線が八回二死から同点に追い付き、最終回、田村(同)の適時三塁打などで3点を奪った。何があっても諦めない負けじ魂が、大逆転のドラマを生んだのだ。
そして、4回戦の関西大学第一高校との一戦。3点を追う九回二死から1点を返し、大城(同)の適時打で1点差に。試合は惜しくも敗れたが、真夏の熱闘を終えた選手の表情は皆、すがすがしかった。
大会後、山並監督は語っていた。
「先行されても焦らず、最後まで闘志を燃やして朗らかに戦い続ける彼らから、『負けじ魂 朗らかに』(創立者が加筆した学園愛唱歌の歌詞の一節)の意味を教えてもらいました」
コロナ禍という未曽有の困難にも屈しなかった3年生たち。この経験を糧に、彼らはそれぞれの道を歩んでいく。
"人生の甲子園"での勝利を目指して——。

2020年8月14日金曜日

2020.08.14 わが友に贈る

医療・交通・販売など
酷暑の中で働き続ける
皆さまに最敬礼!
人々の生活を守る労苦に
感謝の祈りと心配りを!

阿仏房尼御前御返事 P1308
『相構えて相構えて力あらん程は謗法をばせめさせ給うべし、日蓮が義を助け給う事不思議に覚え候ぞ不思議に覚え候ぞ』

【通解】
心して力あるかぎりは、謗法を責めていきなさい。日蓮が義を助けられることは、実に不思議に感じられてなりません、不思議に感じられてなりません。

名字の言 被爆者の"生の声"が聞けなくなる時代に大切なもの 2020年8月14日
広島市にある巨大なレンガ張りの倉庫「旧陸軍被服支廠」。建物の西側に面した市道を歩くと、原爆のすさまじい爆風で変形した鉄扉が目に飛び込んできた▼原爆投下から75年。被爆者の平均年齢は83歳を超え、被爆体験を直接、聞くことができなくなる「被爆者なき時代」が近づいている。壮絶な体験に基づく証言ゆえに力があり、説得力がある"生の声"に頼ることのできない時代が間もなく訪れる▼広島平和記念資料館に、真っ黒に焼け焦げた中学生の弁当箱が展示されている。爆心地から600メートル。少年は弁当を食べることはできなかった。この弁当箱は、母親が骨になった息子の遺体を見つけた時、遺体の下にあったもの▼弁当を楽しみにしていた少年の気持ち。息子ではなく弁当箱だけが手元に戻った母親の気持ち。こうした思いを本人に直接、聞かなくても、この弁当箱から感じ取ることができるだろうか。「一番大切なものは想像力」と語るのは、今年83歳の被爆者。「もの言わぬ核兵器の証言者から学び取れる感受性を身に付けてほしい」と▼想像力が自分と自分以外の世界を結び、人生を豊かにする。相手を思う「同苦」の心から想像力は生まれる。同じ経験はできなくても、想像力を働かせる努力だけは惜しむまい。(川)

寸鉄 2020年8月14日
戸田先生と池田先生の出会いの日。師弟の結合は崇高。後継よ大道を歩め
関西・師弟原点の日。仰ぎ見る常勝の城は堂々と!世界の模範たる前進頼む
御書「日月・衆星も己心にあり」。心は宇宙大。挑戦した分、境涯は拡大
屋外でのマスク、表面が39度超にも。2メートルの距離確保で外すなど自己防衛
回向の本義は信心の功徳を故人に回らし向ける事三世の安穏へ誓い新たに

〈社説〉 2020・8・14 あす終戦の日 2020年8月14日
絶対悪を直視する眼が未来を開く
AI(人工知能)を使った当時の写真のカラー化、VR(仮想現実)で戦争被害の様子を再現して可視化するなど、デジタル時代の戦争伝承が進む。
NHKは地方紙などと連携し、戦時中のエピソードを募集。アニメ映画の主人公と重ねた「#あちこちのすずさん」が反響を呼んだ。
戦争の非体験者しかいない時代が近づく中、新技術を駆使した挑戦には価値がある。
その上で、"どう伝えるか"と同時に、"何を伝えるか"が問われていることも忘れまい。
戦争には被害があれば、加害もある。両面に目を向けずして、日本の侵略で被害に遭ったアジア各国や世界から真に信頼される日は来ないだろう。
著名な生物地理学者のジャレド・ダイアモンド教授は近著で、戦後のドイツと日本の歩みの違いに触れている。
ドイツが子どもたちにナチスの残虐行為を詳しく教えている一方で、日本は被害者意識を抱いた、と(『危機と人類』下巻、日本経済新聞出版社)。
75年前、戦争が終わった日は、日本の軍国主義に蹂躙された国の人々にとっては、悲惨からの解放の日だった。
戦時中、"何が起こったか、何が奪われたのか"。そして"何を起こしたのか。何を奪ったのか"。
終戦から時が遠ざかるほどに、双方を見つめる視野を広げたい。
「原爆を落とす必要はなかった」——先日、米有力紙ロサンゼルス・タイムズに載った論説が注目を集めた。広島・長崎への原爆投下は戦争の早期終結のために必要だったとする見解が一般的な米国では異例の主張だ。
人種差別という社会問題に再び向き合う自国の現況を踏まえ、「負の歴史を見直している今こそ、日本の都市に対する核兵器の使用について、国民の間で率直な対話をするのにふさわしい時だ」(6日、NHKニュース)と。
人間は戦争を起こし、戦争は人間を狂わせる。だが、人間には相互理解を深め、平和な世界をつくる力もある。
突然、戦争は起こらない。平和の潮流を今いる場所で広げ続けたい。自分たちに都合がいいように過去を捉える歴史修正主義に陥れば、それは、他者の苦しみを顧みなかった植民地主義と同根である。
池田先生は、かつての満州の一部に当たる黒竜江省の社会科学院一行との出会いに触れ、つづった。
「過去を直視することは自虐ではない。自省である。自省なきところに、未来は開けない。歴史を抹殺する者は、歴史に抹殺される。過去の過ちに学んでこそ、価値ある出発ができ、他国からも尊敬されるのだ。国民が誇りをもてる国になれるのだ」
あすは終戦の日。生命尊厳の哲学を胸に、人間主義の民衆運動を広げる使命をかみ締め、平和を誓う日としたい。

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 千日尼御前御返事(下)(雷門鼓御書) 2020年8月8日
◇師への誓い光る向上の青春を
今月は、「千日尼御前御返事」の後半を学びます。
池田先生は、つづっています。
「一人一人が人間革命のドラマの主人公です。一人ももれなく、確かな幸福の軌道を歩み抜くのです。そのために、日蓮大聖人が教えてくださったのが、『心こそ大切』の大哲理です。『心こそ大切』——いつでも、どこでも、誰でも『人間革命』を勝ち開いていける究極の要諦が、ここにあるといっても過言ではないでしょう」
日蓮大聖人が示された「心こそ大切」との仏法の真髄を学び、わが心を磨き輝かせゆく"行学の夏"の前進を開始していきましょう。(拝読範囲は1316ページ10行目「譬えば黒漆に」〜1317ページ本抄末尾です)

◇本抄について
本抄は、弘安元年(1278年)閏10月19日、日蓮大聖人が身延で認められ、山海に隔てられた佐渡の地に住む、門下の千日尼に送られたお手紙です。
千日尼は、大聖人が佐渡に流されていた時、夫の阿仏房と共に弟子となり、命を懸けて大聖人をお守りしました。
大聖人が身延に入られた後も、夫妻は使命に燃えて、佐渡の広宣流布の中心者として活躍します。さらに、夫の阿仏房は、幾たびも遠路はるばる大聖人をお訪ねし、御供養の品をお届けしました。
本抄で大聖人は、毎年のように阿仏房を送り出してきた千日尼の真心を称賛され、"妙法を持つ女性は必ず幸福になる"と最大に励まされます。
また、「雷門の鼓」が千万里の遠くにあっても瞬時に聞こえるように、いかなる距離も超えて、師弟の心はつながっていることを教えられます。このことから本抄は「雷門鼓御書」とも呼ばれています。

◇御文
『譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ』(御書1316ページ15行目〜18行目)

◇通解
譬えば天空の月は遠く四万由旬も離れていますが、大地の池には瞬時に影が浮かび、雷門の鼓は千万里の遠くにあっても打てば瞬時に聞こえます。あなたの身は佐渡の国にいらっしゃいますが、心はこの国に来ています。
仏に成る道もこれと同様です。私たちはけがれた国土におりますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。お会いしたからといってどうなりましょう。心こそ大切です。

◇[解説]求道心が行動に表れる
掲げた御文の冒頭、大聖人は、天空の月も地上の水面に姿が映ることや、古代中国の「雷門の鼓」は、千万里離れていても瞬時に音が聞こえることをあげられています。
仏法を求める心は、必ず行動となって表れます。大聖人は、毎年のように夫を送り出す千日尼の心を推し量り、天月や「雷門の鼓」のように"あなたの身は佐渡の地にあっても、心は私のところに来ていますよ"と述べられます。
師への真心を尽くす千日尼の思いに寄り添いつつ、"心は共に戦っているではないですか"との激励であると拝されます。仏法の強い師弟の絆を教えてくださる、師の深い慈愛に、千日尼は勇気と希望を感じとったに違いありません。
大聖人はさらに「仏に成る道」においても、大切なのは"心"であることを示されています。
続く御文で、"身"は「穢土」という苦悩に満ちた現実世界にあっても、正法を行じる私たちの"心"は、共に「霊鷲山」、すなわち常寂光土にあると教えられています。
「心は霊山に住べし」とは、自身の胸中には、何ものにも負けない"仏の生命"を涌現することができることを教えられているのです。そのことを確信し、どんな時も信心で心を磨き前進する挑戦が、私たちの仏道修行の根本なのです。本当の幸福とは悩みがないことではなく、悩みなどに振り回されず、妙法に生き抜く人生にあるのです。
続いて大聖人は、千日尼に「御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」と述べられます。"会えるか会えないか"といった形式ではなく、「師弟不二の心」こそが大切であるとの仰せです。
私たちは、変化の連続で、困難の絶えない現実を生きています。時に、思い通りにいかないことに苦悩したり、未来に対する不安に駆られたりすることがあるかもしれません。
しかし、信行学に励んで心を磨き、御書と池田先生の指導を根本に「人間革命」の実践を貫いていけば、必ず最高の幸福を築き、自分らしい使命の人生を歩むことができます。
「心こそ大切」との確信で、師弟の誓い光る向上の青春を歩んでいきましょう。

◇真夏の青空に大輪の花を咲かせるヒマワリ(福岡県朝倉市)
池田先生の講義から
「不退の心」「常勝の心」「先駆の心」「前進の心」「不屈の心」「決定の心」「勇気の心」「慈愛の心」「包容の心」「励ましの心」「感謝の心」、そして「"負けじ魂"を貫く心」——。私たちは日々の地道な仏道修行を通して、いつしか「仏界の心」、「菩薩界の心」をわが生命の大地から呼び出しています。「心一つ」で、自身を変え、周囲を変え、社会を変える一念三千の秘術を体得しているのです。
それは、単なる気の持ちようとか、気休めなどの観念論ではありません。真の「心の変革」は、「現実の変革」を約束するのです。「わが心」すなわち生命境涯を深めていくことが、人間革命の宗教の真骨頂です。功徳とは、わが生命の変革にほかならないからです。(中略)
「どこまでも広布の誓願に生き抜く心」
「どこまでも学会と共に前進する心」
まさしく、妙法に生き、師弟に生き、同志と共に生きていく「心」があれば、そこから一切が開けます。未来を築くのは、今の「心」にあるのです。(『人間革命の宗教』)

研さんのために
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻(聖教新聞社)
○…『人間革命の宗教』(同)

2020年8月13日木曜日

2020.08.13 わが友に贈る

変化の時代だからこそ
攻めの思索と行動を!
聡明に失敗を恐れず
勇敢に挑戦を重ね
新たな道を開きゆこう!

開目抄下 P236
『仏法を壊乱するは仏法中の怨なり慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり能く糾治せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり能く呵責する者は是れ我が弟子駈遣せざらん者は仏法中の怨なり』

【通解】
仏法を破壊し乱す者は仏法の中の怨である。慈悲を失い、いたずらに偽り謗法の人々に親しむ者は、これ彼が為には怨となる。此等の人々を糾弾し治罰する者は、これ護法の声聞、真の我が弟子である。彼が為に謗法の悪知識を捨てさせる者は彼が親である。よく責め立てる者は、これは我が弟子である。謗法を追い出さない者は、仏法の中の怨である。

名字の言 時代や社会の変動があっても変わらない「教育の原点」 2020年8月13日
小・中・高校などの臨時休校、人数を分散しての授業やオンライン化の推進、そして夏休みの短縮——刻々と状況が変化する中で、教育関係者の懸命な対応が続く。尽力する全ての方々に心から感謝したい▼ある小学校教諭の壮年部員は「休校期間中は、悩みと不安の連続だった」と振り返る。児童の健康状態の確認、校区内の見回り、さらには、共働きで昼間に保護者が不在となる家庭への声掛けなど、多忙を極めた▼壮年が勤務する小学校では、夏休みは10日間の短縮となった。現在は、秋の運動会の実施種目や運営方法の検討が連日、続いている。「一人一人の健康と成長を真剣に祈りながらの、試行錯誤の毎日です」▼池田先生は、小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」の章につづっている。時代や社会の変動によって教育方法が変化しても、「子どもと共にあり、子どもを愛し、断じて守り抜こうとする心は、絶対に変わってはならない。そこに、人間教育の原点もある」と▼感染症の広がり方や地域性の違いによって、教育への取り組みはさまざまだろう。だが、そこに携わる人々の"子どもの幸福のために"との真摯な心と不断の努力は不変である。困難の中で、未来創造の"聖業"に挑む教育者に、真心のエールを送ろう。(巍)

寸鉄 2020年8月13日
「ついには・たのしかるべし」御書。信心で苦難に勝ってこそ真の歓喜あり
葛飾女性の日。民衆の都に輝く太陽の連帯。友に蘇生の光送る声掛けを!
運転に集中している時は熱中症に気付きにくく。休憩と水分補給小まめに
SNS利用の若者7割が「生活に不可欠」—調査過度の依存避け賢く活用
偽サイトに誘導する詐欺が過去最悪の水準と。見覚えないメールに要警戒

〈社説〉 2020・8・13 峻厳な師弟の出会いから73年 2020年8月13日
人生の規範を胸に友に希望を
終戦から、ちょうど2年が経とうとしていた1947年(昭和22年)8月14日、東京・蒲田での座談会で、19歳の池田先生は、戸田先生と峻厳にして運命的な出会いを結んだ。あすで73年となる。
当時の日本社会は、敗戦で旧来の価値観が崩壊し、いわば精神的な空白状態に陥り、多くの青年は迷い苦しんだ。若き池田先生も親友らと読書サークルをつくるなどして、何を根本に生きるべきか模索していた。先生は結核も病んでいた。死の影も感じる中、「自己の心の山々の峰をいかに越えようか」(『私の履歴書』)という人生の問いは切実であった。
生命哲学についての集いだと誘われて参加した座談会で、池田先生は尋ねた。「正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょうか」
一青年の質問に、戸田先生は率直に誠意を込めて語った。「人間、生きるためには、生死の問題を、どう解決したらいいか——これだ。これが正しく解決されなければ、真の正しい人生はない」
明快な答え、誠実な振る舞い、信念の平和の闘士の姿……この「師」に付いて人生の道を追求せん、と池田先生の心は決まり、10日後の8月24日に入信する。
先生は、やがて師の膝下で働き、事業の苦境の打開へ全力を尽くす中、師から信心の真髄を学び、学問万般の教授も受けた。一切の苦難を師と共に乗り越えゆく生命錬磨の日々こそ、今日の平和・文化・教育の民衆運動、また世界広布の大河の源泉となったのである。
池田先生は、「自分の行動や決断をご覧になったら、(戸田)先生は喜ばれるか、悲しまれるか、日々、自分に問いかけている。師をもつということは、自分の生き方の規範をもつことであり、教育の根幹をなすものである」と述懐している。
今、未曽有のコロナ禍により、世界的な価値観の変容に直面し、誰もが不安やストレスを抱え、いかに生きるかを模索しているといってよい。それは、若者にとって一層切実ではないか。
この苦境下で学業や仕事に挑む青年部員がいる。飲食店を営む男子部員は売り上げが以前の約2割にまで減少。苦闘の日々が続いた。そんな時、先輩から"世界一の師匠に学び、究極の仏法があるのだから、幸せにならないはずがない"と励まされ奮起。"お客さんに元気になってほしい"との一念で題目をあげる中、口コミも広がり、以前を上回る売り上げに。「池田先生の弟子として大勝利の実証を」と燃えている。
危機の時代の今こそ、私たちは師弟を生き方の中心に置き、池田先生の行動と指導を学び、誓いを深めながら、周囲に希望を送る存在に成長していきたい。

☆第3代会長就任60周年記念 師弟凱歌の記憶 特別編「民衆勝利の大叙事詩」
◇小説「新・人間革命」起稿(1993年)脱稿(2018年)の日
きょう8月6日は、広島「原爆の日」。原子爆弾が史上初めて実際に使用され、75年となる。池田大作先生は1993年のこの日、小説『新・人間革命』を起稿した。以来、世界に対話の波を起こし、平和建設への「弟子の道」を書き記して25年。2018年の同じ8月6日、全30巻に及んだ民衆勝利の大叙事詩を書き終えた。『人間革命』執筆開始からは、世紀をまたいで54年。その壮絶なペンの闘争を「師弟凱歌の記憶」特別編としてたどる。

◇8・6広島「原爆の日」に書いた冒頭の一節
「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない」
——この日から、恒久平和建設への新しき鐘が鳴り渡った。
——この日から、金色燦たる創価の師弟の新しき大道が開かれていった。
——この日から、池田先生の、命を削っての新しき激闘の歴史が始まった。

1993年8月6日。先生は、多くの青年と共に、長野研修道場に遠来の賓客を迎えた。
インド国立ガンジー記念館館長(当時)のN・ラダクリシュナン博士である。"独立の父"マハトマ・ガンジーの孫弟子に当たる著名な平和活動家だ。翌日には、広島市内での講演会を控えていた。
原子爆弾が広島に投下されてから48年となったこの日。博士はガンジーが全ての暴力を否定し、"「魂の力」は原子爆弾よりも強い"と話していたことに触れ、語った。「この、誰もが持つ『魂の力』を引き出し、平和を生み出していく。これこそ池田先生が進めておられる運動です」
会見で先生は、一枚の原稿用紙を手に取り、博士に紹介した。
そこにはこう記されていた。「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」
この日に書かれたばかりの『新・人間革命』の冒頭部分だった。
「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」から始まる小説『人間革命』と、対をなす書き出しである。
インドや日本等で出会いを重ね、池田先生の著作を読み込んできた博士は、今も長野での語らいを鮮明に記憶するという。「原稿を見せていただいた時、私が率直に思ったのは、"池田先生は師匠の夢の実現のために生きている指導者だ"ということでした」

◇師との"最後の夏"
なぜこの日、この地で小説『新・人間革命』の筆を起こしたのか——。
池田先生は1957年8月、恩師・戸田城聖先生に呼ばれ、長野・軽井沢へ急行。共に浅間山の鬼押出に足を運び、師弟の語らいのひとときを過ごした。
大噴火で流れ出た溶岩が織り成す奇勝を眺めつつ、師は"大自然の現象も、仏法の法理に照らせば明らかになるものだ"等と縦横に語った。「ほかに、何か聞きたいことはないかね」
池田先生は戦争の脅威、中でも原水爆こそ現代の最大の脅威ではないかと尋ねた。東西冷戦の中、世界が覇を競うように核実験を繰り返していた。
「そうだ。そうなんだよ。私も、最近、この問題について、考え続けているんだよ」「なんとしても、原水爆の廃絶への道を開かねばならぬ。そこに創価学会の使命もある」
恩師は逝去の8カ月前。体は衰弱しても、その心には、核軍拡という人類滅亡への道を止め、恒久平和を実現するとの闘魂が赤々と燃えていた。そのためには、断じて世界広布を成し遂げねばならない——。
池田先生はこの夏に、師の生涯と精神を正しく伝える小説『人間革命』の執筆を固く誓った。それが全12巻で完結をみた後、続編となる『新・人間革命』をつづるにいたった理由を「はじめに」で述べている。
「続編として、『新・人間革命』の執筆を思いたったのは、先生亡き後の広宣流布の世界への広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になると考えたからである」「恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の『弟子の道』を書き残さなければならない」

◇壮絶な執筆闘争
「はじめに」は、こう続いている。
「『新・人間革命』は、完結までに三十巻を予定している。その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない」
『人間革命』は、多忙を極める中での執筆であり、完結までに28年余を要した。先生は、新聞小説を続ける日々がどんなに過酷な道のりかを誰よりも熟知していた。
"続編"の連載は、初代会長・牧口常三郎先生の五十回忌に当たる1993年11月18日付の聖教新聞からスタートした。山本伸一が師の遺志を継いで、アメリカ、カナダ、ブラジルへと、世界広宣流布の第一歩を踏み出す場面から始まった。
小説の中の伸一は、32歳の青年会長。
一方、この執筆開始時、池田先生は65歳。広布の水かさも、平和・文化・教育運動の厚みも大きく増していた。先生は、若き山本伸一に勝る勢いで、平和への行動を続けていた。
例えば——。
『新・人間革命』第1巻の「開拓者」の章が連載中の94年5月から6月、ロシア、欧州を歴訪。
モスクワ大学での講演、ゴルバチョフ元大統領との会見、イタリア・ボローニャ大学での講演、フィレンツェでの「日本美術の名宝展」、英チャールズ皇太子との会見、グラスゴー大学名誉博士号授与式等に臨んでいる。その間、第18回SGI総会に出席するなど、寸暇を惜しんで同志を激励した。その中で、連載は続いたのである。
海外への平和旅に備えての、事前の原稿執筆、ゲラ刷りのチェックなど、どれほどの辛労であったか——想像に余りある。

◇テープに吹き込み
広宣流布の指揮をとりながら、小説の新聞連載を続けることが、いかに至難であるか。小説『人間革命』執筆の際には、激しい疲れと発熱のため、口述をテープに吹き込んで原稿を作ったこともあった。
その場面が『新・人間革命』第14巻「烈風」の章に描かれている。
同章で中心的に記されているのは、69年12月の関西・中部指導。肺炎による高熱を押して訪れた和歌山の会合では、「武田節」を舞って参加者を鼓舞した。
その先生の姿は、今も関西をはじめ多くの同志の胸に焼き付いている。
学会はこの時、悪意の中傷が発端となった、いわゆる「言論問題」の嵐の中にいた。
年が明けても、先生は激しい疲労と熱が続く中で、広布への力走を止めることはなかった。しかし、どうしてもペンを握ることが困難になった。先生は、執務室に運び込んだテープレコーダーに向かい、口述での"執筆"を行った。
「彼は、口述を始めると、すぐに息が苦しくなった。痰が喉に絡み、咳が止まらなくなることも少なくなかった。額には、脂汗が滲んだ」(「烈風」の章)
先生は一切の障魔の矢面に立ち、仏と魔との熾烈な戦いの指揮をとりながら、全同志に勇気と希望を送り続けたのである。

◇香峯子夫人の支え
第20巻「友誼の道」の章には1974年5月の初訪中の模様が描かれている。
国交正常化から2年弱。両国友好に大きく貢献した創価学会会長の初訪問は注目を集め、訪中記の執筆依頼が重なった。中国の実像を伝えようと、先生はこれらを引き受け、訪中の終盤から、時間を見つけては筆を走らせていたという。
むろん、当時の先生には小説『人間革命』の締め切りも待っていた。
帰国直後に記された第9巻「発端」26の原稿の欄外には、「六月二十五日。会長より口述、筆記する。香峯子」との書き込みがある。6月16日の帰国から、9日後の原稿である。
また、「少々身体が疲れているので女房に口述筆記をしてもらいました」と、欄外に書かれた原稿も残されている。
卑劣な謀略による第1次宗門事件の渦中にあっても、宗門僧らの批判を覚悟で、「苦労している同志に勇気を送りたい」と、『人間革命』第11巻の連載を開始している。この時も、体調が優れず、記者への口述で連載を重ねた。

◇永遠に指揮をとる
その苦節の歳月を経て始めた『新・人間革命』の執筆である。連載期間中、長期の休載はなかった。むしろ、章と章の間の短い休載期間を埋めるように、1998年1月からは、随筆「新・人間革命」の掲載が始まった。
第1回は、新年号に続くその年の最初の新聞である1月4日付。タイトルは「日に日に新たに」。若き日の日記に記した、10歳から60歳までの10年ごとの人生の節目と目標を述懐し、こうつづった。
「ここに、六十歳以降の、わが人生の歩みと推測を記せば、たとえば、次の如くなる哉。
七十歳まで……新しき人間主義の哲理を確立
八十歳まで……世界広布の基盤完成なる哉
このあとは、妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する」
当時の先生は70歳。
『新・人間革命』完結への歩みは、そこからさらに20年間続いていく。

◇終わりなき師弟旅
『新・人間革命』の起稿から四半世紀を経た2018年、池田先生は、執筆開始と同じ8月6日、長野の地で執筆を終えた。そして新聞連載は、恩師の「原水爆禁止宣言」の発表の日となる9月8日付で完結を迎えた。前作の『人間革命』執筆開始から数えて、実に54年。連載回数は『人間革命』1509回と『新・人間革命』6469回を合わせて、7978回に上り、日本の新聞小説史上、最長の金字塔となった。
現在では『新・人間革命』だけでも13言語に翻訳され、世界中の同志が胸中で師弟の対話を重ねつつ、日々、自身の人間革命に挑んでいる。
池田先生は、『新・人間革命』の「あとがき」に記した。「完結を新しい出発として、創価の同志が『山本伸一』として立ち、友の幸福のために走り、間断なき不屈の行動をもって、自身の輝ける『人間革命』の歴史を綴られんことを、心から念願している」
「地球上から悲惨の二字をなくしたい」と願った戸田先生。その偉業を世界に宣揚し、「戦争の世紀」を「平和の世紀」へ転じゆく大長征を続けてきた池田先生。その不二の師弟に続き、生命尊厳の世界の建設へ、恒久平和の世紀の創造へ、出発する決意を、広島「原爆の日」75年のきょう、新たにしたい。

2020年8月12日水曜日

2020.08.12 わが友に贈る

猛烈な熱帯夜が続く。
就寝前の水分補給や
冷房・扇風機等の活用で
良質な睡眠を取ろう!
賢く健康第一の日々を!

御義口伝巻下 P794
『廿八品の文文句句の義理我が身の上の法門と聞くを如是我聞とは云うなり、其の聞物は南無妙法蓮華経なり』

【通解】
すなわち二十八品の文々句々の教義・法理は、すべてわが生命を説き明かした法門なりと聞き、信ずることを如是我聞というのである。その聞く物すなわち信ずべき法体は、三大秘法の南無妙法蓮華経である。

名字の言 発達障がいの男子部員。「後継の宝」と励まされて 2020年8月12日
かつてアメリカで公開された映画『ディア・ブラザー』は、冤罪で逮捕された兄を、妹が救うという話。高額な弁護士費用が賄えないため、妹は既に成人だったが高校卒業資格を取り、ついには弁護士となって、自らの手で無罪を勝ち取った▼この物語は実話を基にしている。作品を見て、感動とともに希望も湧いた。"人間は、大切な人のために努力する時、偉大な力を発揮できる"と▼発達障がいのある男子部員は、幼い頃から周囲の冷たい視線を浴び、学校ではいじめに遭った。それでも家族の愛情に包まれ、同志からは「わが地区の後継の宝だ」と励まされる中、心ない差別に負けず、成長した▼その後、地元企業に就職。真面目な姿勢が買われ、今では部署のリーダーとして活躍する。「ここまで頑張れた原動力は?」と質問すると、彼は答えた。「"僕をばかにした人たちを見返したい"と思った時期もあった。でもそれは違うなと。ずっと支えてくれた家族や同志に恩返しがしたい気持ちが原動力です」▼御聖訓に「(四条金吾は)極めて負けじ魂の人で、自分の味方を大切にする人」(御書986ページ、通解)と。負けじ魂とは、圧迫に屈しない反骨心だけではない。自他共の幸福を築くために燃やす、「最後まで戦い抜く勇気」でもある。(城)

寸鉄 2020年8月12日
混沌の時代に共生の心を広げる学会は希望—識者今いる場所で絆結ぶ一歩
「教育原点の日」45周年。子らの幸福が第一。教育本部の奮闘に確かな未来
創大通教がオンラインで夏期授業。学は光。学びの人生に向上と勝利の力が
「ペルセウス座流星群」が極大。宇宙の劇を親子で。天空仰いで夢語らう夏を
国連「国際青少年デー」。心を砕いた分、若き命は育つ。慈愛の激励、一段と

〈社説〉 2020・8・12 きょう「教育本部原点の日」
今こそ「子どもの幸福」のため
「学校の夏休み」という言葉から受け取る印象が、これほど普段と異なる年はない。文部科学省の調べによれば、今年の夏休みの期間は公立学校の9割以上で短縮になった。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、休校期間中に後回しとされた授業時間の確保が主な理由だ。
子どもにとって「学び」とは何のためにあるのか。多くの教育関係者が今、模索している課題だ。スイスの教育者ペスタロッチは「すべての学習はそれに元気と悦びとが伴わなくなれば一文の価値もない」と喝破した。「子供の顔に快活と悦びとが現われている間」は、「私は心配しない」とも言っている(佐藤守訳)。
一方的に知識を教授する「詰め込み教育」では、子どもの真の喜びや笑顔は生まれない。ゆえに今年度からスタートした新学習指導要領では、討論などを通じて能動的に学習する「主体的・対話的で深い学び」を重視することがうたわれたわけだが、それも、このコロナ禍で実行に移すことの難しさに直面している。
「行き詰まったら原点に戻れ」と、創価教育の父・牧口常三郎先生は語った。創価教育の原点は1930年11月18日に発刊された『創価教育学体系』にある。教育の目的は「子どもの幸福」にあると宣言した大著だ。緒言には「入学難、試験地獄、就職難等で一千万の児童や生徒が修羅の巷に喘いで居る現代の悩みを、次代に持越させたくないと思ふと、心は狂せんばかり」と記されている。
この子どもへの深い慈愛こそ「教育の原点」だと、池田先生は訴えた。そして真の教育を実現するには、「教育法や教育学の改革はもとより、教育者自身の人間革命がなければならない」との信念に基づき、信仰を持った教育本部の友に万感の期待を寄せてきたのである。
75年8月12日に行われた教育部(当時)の夏季講習会で、先生は「私の人生における最終の事業は教育」と語り、「教育革命の大情熱の火を点じ、未来社会への豊かな水脈をつくっていただきたい」と呼び掛けた。この「教育本部原点の日」から、本年は45周年である。
今、同本部の友は自身の人間革命に大情熱を燃やしながら、新たな教育の在り方を模索している。学校現場だけではない。保育園や学童保育所、放課後等デイサービスなどでエッセンシャルワーカー(社会の維持に不可欠な仕事の従事者)として親子を支える友もいる。フリースクールや児童館など多彩な分野で"学びの場""子どもの居場所"を提供している友がいる点も、同本部の強みだろう。
全国の教育本部の同志が知恵と力を結集するならば、豊かな未来社会が築かれていくことは、絶対に間違いない。

☆心に御書を 第66回 妙法と共に! 仏の大生命力で
〈御文〉
『此の法華経には我等が身をば法身如来・我等が心をば報身如来・我等がふるまひをば応身如来と説かれて候へば、此の経の一句一偈を持ち信ずる人は皆此の功徳をそなへ候』(妙法尼御前御返事、1402ページ)

〈通解〉
この法華経には、私たちの身を法身如来、私たちの心を報身如来、私たちの振る舞いを応身如来と説かれているので、この経の一句一偈を持ち信じる人は皆、この(三身如来の)功徳を具えるのである。

〈池田先生が贈る指針〉
妙法は宇宙と生命を貫く根源の法だ。題目を唱え行ずる人は、三身如来の仏である。身も心も振る舞いも、そのまま仏なりと仰せなのだ。
広布に生きる自身を卑下してはならない。同志を軽んじてもならない。
妙法と共に我らは胸を張って、仏の大生命力を生活に社会に漲らせよう! 伸び伸びと仲良く朗らかに!

☆日蓮大聖人の慈愛の眼差し 日眼女 「陰の労苦」に無量の福徳が
◇夫・四条金吾を支えて共に信仰に励んだ門下 大聖人から「日本第一の女人」とたたえられる
広布のための地道な「陰徳」は、必ず「陽報」となって前途を照らしていく。
御書には、日蓮大聖人が門下一人一人の「陰の功労」を心からたたえ、感謝される真情が数多く記されている。

早くから大聖人に帰依し、不退の信心を貫いた四条金吾が、さまざまな苦難に遭いながらも、大聖人をお守りし、鎌倉門下の中心者として活躍できた背景には、妻である日眼女の支えがあった。その功労は、大聖人の慈愛あふれるお手紙から、うかがい知ることができる。
文永7年(1270年)、日眼女は待ち望んでいた子どもを身ごもったと推定される。翌文永8年(1271年)5月8日、金吾宛てに送られた「月満御前御書」によれば、日眼女は無事に女児を出産し、大聖人は、早速、「月満御前」と命名された。
新たな命を授かり、喜びに包まれていた金吾夫妻を揺るがす一大事が起きる。同年9月12日の竜の口の法難である。
平左衛門尉頼綱が兵士を率いて大聖人を捕縛。大聖人はその深夜、拘留されていた北条宣時邸から密かに連れ出され、鎌倉近郊で処刑されようとした。
金吾邸の近くを通った大聖人は、使いの者を金吾に送る。その急の知らせを受けた金吾は、大聖人の元へ、裸足で駆け出した。そして大聖人の馬の口に取り付き、大聖人が処刑されたなら自分も一緒に死ぬという覚悟でお供したのである。
夫を送り出した日眼女は大聖人と夫の身の上を案じて題目を唱え、眠れぬ一夜を過ごしたに違いない。
大聖人一行が竜の口に到着し、処刑が行われようとすると、江の島の方から「光り物」が現れ、刑の執行はできなくなった。金吾は依智(神奈川県厚木市内)まで大聖人にお供した後、帰宅した。
夫から竜の口での出来事を聞いた日眼女は、究極の大難にあっても悠然と乗り越えた師の偉大さを命に刻んだことだろう。

◇大地よりも厚く 空よりも高い真心
その後、大聖人が佐渡に流罪されると、多くの門下が弾圧に遭って退転していった。しかし、金吾夫妻は御供養の品々を送ったり、金吾自身が佐渡を訪れたりと、大聖人を外護した。
文永9年(1272年)4月に日眼女に送られた「同生同名御書」では、夫を鎌倉から佐渡へはるばる送り出した日眼女を、大聖人は最大に称賛されている。
「あなた方は、鎌倉にいながら、人目をはばからず、命を惜しまず、法華経の信心をされていることは、ただごととも思われません」(同1115ページ、趣意)
「このような乱れた世に、この殿(金吾)を佐渡の地まで遣わされた、あなたの真心は大地よりも厚いのです。必ず地神も知っていることでしょう。また、その真心は虚空よりも高いのです。きっと梵天・帝釈も知られていることでしょう」(同ページ、通解)
当時、鎌倉では、良観ら諸宗の悪僧に唆された幕府要人らが、大聖人の門下を激しく迫害していた。二月騒動(北条氏一族の内乱)による混乱もあったと考えられる。
そうした逆境にもかかわらず、夫を佐渡に送り出して留守を務めた日眼女に、大聖人は、誰が見ていなくても広布を支え抜く福徳は計り知れないことを教えられたのである。
さらに、佐渡でしたためられた金吾宛てのお手紙には、「太陽と月」「二つの眼」「鳥の二つの翼」のように、夫婦でぴたりと呼吸を合わせて、信心に励むように指導されている。
文永11年(1274年)、大聖人は佐渡流罪を赦免されて身延に入り、民衆救済の大闘争を門下に呼び掛けられる。金吾は師の戦いに呼応して、主君を折伏した。
しかし、そのために、金吾は主君から不興をかい、遠ざけられ、同僚たちからもさまざまな圧迫を受けるようになる。それでも金吾夫妻は助け合って信心を貫き、身延の大聖人を支えたのである。

◇強き信心の人を 諸仏・諸天が守る
当時、金吾の命をつけ狙う者もいた。大聖人は金吾に対して、命を守る生活上の注意を繰り返し指導されている。
あるお手紙を拝すると、昼の宴席も油断できないものとされ、金吾が安らげるひとときがなかったことがうかがえる(同1133ページ参照)。
日眼女の周りにも、法華経の信仰に対する理解が不十分で、日眼女と距離を置くようになった者もいたであろう。八方ふさがりの状況に、日眼女はどれほどつらく、悔しい思いを重ねたか、計り知れない。
そんな彼女に対して、「四条金吾殿女房御返事」で、大聖人は次のように渾身の激励を送られた。
「全ての人が憎むならば憎めばよい。釈迦仏・多宝仏・宇宙のあらゆる仏をはじめ、梵天・帝釈・日天・月天らにさえ、大切に思っていただけるならば、何がつらいことがあるでしょうか。法華経にさえ、ほめていただけるならば、何もつらいことはないのです」(同1135ページ、通解)
さらに大聖人は同抄で「妙法を持つ女性は、他の一切の女性に優れているだけでなく、一切の男性にも超えている」(同1134ページ、通解)と訴えた。そして、けなげに信心に励み、夫を支える日眼女を「日本第一の女人なり」(同1135ページ)とたたえた。日眼女にとって、大聖人のこのお言葉がどれほど心の励みになったことだろう。
後に金吾は、病気になった主君の看病・治療を通して、以前にも増して主君からの信頼を取り戻し、所領も増えた。建治4年(1278年)に御執筆されたお手紙には、金吾が主君の出仕のお供をした折、鎌倉の子どもたちから"一行の中で四条金吾こそ第一である"とほめたたえられたことが記されている(同1175ページ参照)。長い間の苦しみを乗り越えた日眼女にとっても大聖人から贈られた「日本第一の女人」とのお言葉のような称賛が周囲から寄せられたに違いない。
弟子の「陰の戦い」をじっと見つめる師匠。師匠は全てを知ってくださっているとの確信を抱き締めて奮闘する弟子——この麗しき師弟の精神は、仏意仏勅の創価学会に厳然と受け継がれている。
かつて池田先生は心の内を語った。
「私は、いつも『陰の人』を見ている。『陰の立場』で、コツコツと広布に戦ってくださっている方々を真剣に見つけ出し、最大に賞讃してさしあげたいという気持ちでいっぱいである」と。
友のため、地域・社会のために尽くす行動は、誰の目にも触れないかもしれない。しかし、私たちのことを誰よりも心に掛け、励ましを送り、成長と勝利を待ち望んでいる師匠がいる。
どこまでも師と共に! 師の期待にお応えする人生を!——この師弟の絆を持つ生き方は強く、深い。

2020年8月11日火曜日

2020.08.11 わが友に贈る

電話や手紙等も使って
故郷の友人・親戚と
旧交を温めよう!
真心の一声・一筆が
自他共の歓喜を生む。

松野殿御返事 P1386
『世の中ものうからん時も今生の苦さへかなしし、況や来世の苦をやと思し食しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思し食し合せて又南無妙法蓮華経と唱へ』

【通解】
世の中がつらく感じられる時も、今生の苦しみさえこのように悲しい、いわんや来世の苦しみにおいてはそれ以上であると思って、南無妙法蓮華経と唱えなさい。また、うれしい時でも、今生の悦びは夢の中の夢のごときものであり、霊山浄土の悦びこそが、まことの悦びであると思い合わせて、また南無妙法蓮華経と唱えなさい。

名字の言 地球的課題を解決するために必要な思想とは? 2020年8月11日
地球誕生からの歴史を、地層の中の化石などから読み取れる環境変化などに基づいて区分した年代を「地質時代」という。この区分では、約1万年前から現在までを「完新世」と呼ぶ▼だが、21世紀に入ってから、「人新世」という言葉が用いられ始めた。その概念を提唱したのは、ノーベル化学賞を受賞した大気化学者クルッツェン。"人類の活動が、地球規模で影響を及ぼすようになった時代"と定義される▼ローマクラブは、最新のリポート『Come On! 目を覚まそう!』(明石書店)で、「人新世」を「持続可能な発展」の時代とするために、人類が「新しい世界観と新しい思想を確立するという挑戦に直面している」と指摘する▼池田先生は、ローマクラブの創立者・ペッチェイ博士、第3代会長のホフライトネル博士、共同会長を務めたヴァイツゼッカー博士と、それぞれ対談集を編んだ。3人との語らいに共通するのは、地球規模の諸課題を解決するには「人間革命」が必要、ということだ▼気候変動や感染症の拡大は、豊かさを際限なく追い求め、その果実を争う時代への反省を人間に迫っている。覇権を巡る争いよりも地球的課題解決への共闘を。軍事的安全保障から人間の安全保障へ——終戦75年の夏をその転機としたい。(芯)

寸鉄 2020年8月11日
「能く持つこと有れば即ち仏身を持つなり」御書信心は持続。今日も一歩
青年の一番の宝は信頼—恩師。仏法は即生活。誠実の振る舞いで輝く実証を
友の幸福に尽くした分、人は確実に偉大になる—偉人。友情は人生彩る宝
コロナ禍の情報信頼度、新聞がトップと。希望の光送る聖教の充実を誓う
子どもの水難事故、例年より多く。保護者の同伴、救命胴衣の着用等が必須

☆心に御書を 第65回 大海原のように悠然と
〈御文〉
『大海へ衆流入る・されども大海は河の水を返す事ありや、法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども・かへす事とがむる事なし』(椎地四郎殿御書、1448ページ)

〈通解〉
大海には多くの河が流れ込む。しかし、大海は河の水を返すことがあるだろうか。大海のごとき法華経を持つ行者に、多くの河の水が大難のように流れ込んでも、押し返すことや、とがめだてすることはない。

〈池田先生が贈る指針〉
日蓮大聖人は若き日、世界一の太平洋を望まれつつ修学に励まれた。
妙法を唱える学会っ子は、大海原のような心で大きく逞しく学ぼう!
特に、コロナ禍の中、健気に奮闘する受験生の友を心から讃えたい。今の逆境から必ずや不屈の大人材が育つ。
題目は全てを生かす力だ。挑戦と努力、そして勝利の青春を悠然と飾れ!

☆「転重軽受法門」研さんのために
所願満足の幸福の軌道を歩むために、人生に立ちはだかる苦難をどう捉え、乗り越えていけばよいか——。ここでは8月度座談会拝読御書である「転重軽受法門」の研さんのために、池田先生の指導と解説を掲載します。(「大白蓮華」8月号も参考にしてください)

◇拝読御文
『涅槃経に転重軽受と申す法門あり、先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱっときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候』(御書全集1000ページ3行目〜4行目、編年体御書379ページ3行目〜4行目)

◇[池田先生の指針から]生命の大道を堂々と歩み抜く
濁世末法の現代において、大聖人の御精神を受け継ぎ、広宣流布のために、法華経の通り、御書に仰せの通りの難を受けてきたのは、仏勅の創価学会しかありません。
その崇高な自覚に立たれた、日蓮仏法の現代の広布弘通の師匠が牧口先生であり、戸田先生でした。
ある婦人が「戸田先生は、なぜ病気をしておられるのですか」と質問されたことがあります。戸田先生は語られました。
「私が、こうして病気をしていることは、大きな『転重軽受』なのだよ。この病気で、学会が受ける大難を軽くすませているのだ」
私は、この戸田先生の深きお心を忘れられません。
まさに戸田先生は、来る日も来る日も、全宇宙の障魔の激流に身を投げ出して、師子王の指揮をとってくださった。
私もまた、戸田先生の無二の弟子として、全同志の生々世々にわたる宿命転換の道を開く護法の実践を貫いてきました。
大阪事件で、一切の矢面に立って戦う私に、戸田先生は言われました。
「君が先頭に立って、大難を受け、戦ってくれるおかげで、本末究竟して、全同志の一生成仏の道が開かれることになる」と。
今、全世界192カ国・地域に「宿命を使命に変える」という、生命の大道を喜々として、また、堂々と歩み抜き、変毒為薬の勝利の現証を示している学会員が数えきれないほど大勢おられる。
これこそが、「転重軽受」の最大の実証であると確信しています。
本抄(転重軽受法門)で、大聖人は、法華経の行者としての大確信と大闘争を、迸るような勢いで語られています。
その一言一句の奥に「日蓮が如く強くあれ!」「日蓮とともに勝利せん!」との熱き鼓動が脈打っていると拝されてなりません。
我が宿命と真正面から格闘しながら、友の宿命転換のために尽くし、広宣流布に生き抜いていく——この尊き実践の中にこそ、大聖人の魂は脈々と流れ通います。
ここにこそ、無上の喜びと生きがいに満ちた「師子王の人生」が開かれゆくのです。
(『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻)

◇苦難を乗り越え真の安楽を築く
キーワード� 力強い「蘇生の宗教」
本抄ご執筆の約1カ月前、文永8年(1271年)9月12日、日蓮大聖人は「竜の口の法難」に遭われました。流罪地・佐渡に出発される前、明日のご自身の命も知れないという大難の渦中に、大聖人と門下が大難を受ける意味を教えられたのが本抄です。
法華経ゆえの大難は、そのまま成仏への直道となることを諸御抄でも拝することができます。
「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書750ページ)
「法華経の故に受ける『題目の難』であれば、捨てる身も、受ける難も全部、成仏のためである」(同1113ページ、趣意)
大聖人が大難に屈することなく、「難に遭う意味」を自ら示されたことで、当時の門下はどれほど勇気づけられたでしょう。
拝読御文の「転重軽受」は「重きを転じて軽く受く」と読みます。未来にまで続く過去世からの重い罪業の報いを、現世に正法を信受した功徳力によって、軽く受けて消滅させるとの意味です。
大聖人は「地獄の苦みぱっときへて」と仰せです。十界互具の原理によって、生命に本来具わる自身の仏界を現すことができるのです。
過去の因が現在の果への報いとなる、通常の因果をも包む"大いなる因果"を説く、大聖人の宿命転換の原理が輝きを放ちます。
つまり、いかなる重い宿業であっても、"今、直ちに""この身のままで"転換しゆく希望の哲理が「転重軽受」です。ゆえに、日蓮大聖人の仏法は、力強い「蘇生の宗教」なのです。

キーワード� 「一生成仏」を開く
私たちは今を生き、未来に向かって歩みを進めています。今、どういった人生の軌道を描くかで、未来の幸不幸も決まってしまいます。その意味で、「人天・三乗・一乗の益をうる事の候」との仰せに、とても重要な意義があります。
「一乗の益」とは成仏の功徳の意です。「転重軽受」とは、過去の宿業の"清算"ではありません。迷いの境涯の流転をとどめ、今世で人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界そして仏界の境涯を開きゆくことを示しているのです。
池田先生は、「『転重軽受』は、即、『一生成仏』の大道を開く門です」と語っています。
誰しも幸福を願いますが、苦難のない人生などありません。時に、「どうして自分が」と思うほどの宿命に直面することもあります。だからこそ、真の生命の安楽がもたらされるために、苦難を乗り越える根源の力が必要となるのです。
苦難をはね返す力が、私たちの生命に等しく具わっています。御本尊を根本に、仏の勇気を湧かせて苦難に立ち向かえば、その瞬間から宿業が、自身を成仏の方向へ導く因に転換されるのです。
さらに本抄では、「国土までとこそ」(御書1001ページ)と、自身の成仏だけでなく、国土の安穏を願っていると仰せです。
人々の生命が無明に覆われ、悪縁に満ちた末法において、宿命転換の哲理を体現し、生命の底力を証明する学会こそ、人類と社会の"希望の光源"です。何があっても題目を朗々と唱え抜き、仏の大生命力を湧きいだして前進していきましょう。

2020年8月10日月曜日

2020.08.10 わが友に贈る

◇今週のことば
「題目の光無間に至りて
即身成仏せしむ」
妙法で結ばれた絆は
自在にして永遠なり。
幸福家族は晴れ晴れと!
2020年8月10日

持妙法華問答抄 P465
『一切の草木は地より出生せり、是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし』

【通解】
一切の草木は、大地から生ずる。このことから考えると、一切の仏法もまた、人によって広まるのである。

名字の言 言語学者・外山滋比古さんの「朝飯前」の捉え方 2020年8月10日
朝飯前という言葉がある。朝食の前にすぐできるほど容易、との意味だ。しかし言語学者の故・外山滋比古さんは、元の意味は少し違っていたのではないかと疑問を持った▼人間の頭の働きは、一日の中で朝の時間が最も活発。朝飯前に仕事をすると、本来は決して簡単ではないことがさっさと片付いてしまうので、いかにも簡単そうに見える。その理由を知らない人間が「朝飯前と呼んだというのではあるまいか」と(『思考の整理学』筑摩書房)▼ことわざにも「朝起き千両夜起き百両」と。朝早く起きて仕事をする方が、夜遅くまで起きて仕事をするよりも10倍の価値がある。それを経験的に実感している人も多いだろう。コロナ禍によって、生活を朝型に変えたという人も少なくない▼若き日の池田先生にとって、朝は師の薫陶を受ける大切な時間だった。戸田城聖先生が会社の始業前に、万般の学問を授けた「早朝講義」である。池田先生は当時の日記にこう記している。「毎朝、冴えた頭で聴講できる自己を築かねばならぬ」「勉強せねばならぬ」▼池田先生が今日まで世界に広げた平和・文化・教育の大道も、礎は恩師から学んだ「戸田大学」にある。一日の勝利は朝の勝利から。その積み重ねが、人生の勝利へと結実することは間違いない。(之)

寸鉄 2020年8月10日
激動の時代、自分の足元を固めた人が勝者—恩師今こそ勇敢に友情を拡大
特設ページで戦争・被爆証言を順次配信。未来に語り継ぎ平和への歩みを
食は「命をつぎ」「いろをまし」「力をそう」と御書。聡明な食事で夏バテ防止
コロナ禍で帰省見送る人が増加。会えずとも心はつながる。電話・手紙一つ
今週、各地で高温の予報。熱中症は室内でも。水分補給忘れず。空調利用も

☆随筆「人間革命」光あれ 富士のごとく堂々と 2020年8月3日
はじめに、東北・山形の最上川の氾濫、また秋田の水害に、心よりお見舞い申し上げます。
この七月、記録的大雨により、熊本はじめ九州各地、また岐阜・長野などで甚大な豪雨災害が続きました。農林水産業の被害も深刻です。コロナ禍の中、大変な御苦労をされている皆様方の健康と無事安穏を祈り、被災地の一日も早い復旧・復興を願ってやみません。
御書に「災来るとも変じて幸と為らん」(九七九ページ)と仰せのごとく、断じて変毒為薬の勝利劇をと、題目を送り続けてまいります。

挑戦! 大いなる夢へ成長の夏
◇大樹が林立せり
「二十一世紀が勝負」と私は心定めてきた。
創価の民衆の大地から二十一世紀の世界へ、どれだけ社会貢献の地涌の人材群を送り出せるか。
誰よりも若人を慈しまれた牧口・戸田両先生と不二の祈りを込めて、私は未来部の薫陶に全精魂を注いできた。広布の父母たちと一緒に耕してきた人間教育の土壌の上に、今、仰ぎ見る後継の大樹が林立している。みんな立派になった。本当によく育ってくれた。
何より頼もしいことは、「従藍而青」の人材が次の人材を育てる、「令法久住」の励ましの連鎖が、限りなく続いていることである。
とりわけ、私の心を心として献身してくれている、未来部担当者の方々に感謝は尽きない。

未来部は世界の創価家族と共に!
◇21世紀人の使命
今の未来部の友は、まさに「二十一世紀人」だ。
高校三年生を先頭に、二〇〇二年以降の生まれであり、二十一世紀とともに青春の年輪を刻み、「人生百年時代」を飾りゆく世代である。
思えば、フランスの大文豪ビクトル・ユゴーは、一八〇二年生まれであり、十九世紀の先頭を進みゆく人生の誇りを、生涯、持ち続けた。
わが師・戸田城聖先生は一九〇〇年に誕生され、二十世紀の民衆の悲惨な命運を大転換するために戦い抜かれた。
そして、戸田先生より百年の歳月を経て、躍り出た二十一世紀の「平和の旗手」こそ、わが未来部の一人ひとりなのだ。
人類は今、コロナ禍という世界的な危機に直面している。大きな不安や制約や変化の中で、勉学に挑む高校・中学・小学生の皆さんの苦労もひとしおであろう。
しかし、若き日に大きな試練を乗り越えることは、それだけ自分が鍛えられ、大きな使命を果たしていける。偉大な価値を創造していけるのだ。
なかんずく、「冬は必ず春となる」(御書一二五三ページ)という希望の大哲理を抱いた青春は、何ものにも負けない。
日本はもとより、世界でも、未来部の友は、コロナ禍に屈せず、強く朗らかに前進している。
各国・各地で、直接会えなくても、オンラインを活用して、共に歌い、共に演奏し、共に語り、共に励まし合っている様子も伺った。
未来部は、一人ももれなく「法華経の命を継ぐ人」(同一一六九ページ)である。その伸びゆく命の輝きこそ、何ものにも勝る人類の宝であり、世界の希望なのである。

◇「道」を開きゆけ
未来部の友と進む道は、風雨を越えて夢とロマンの虹が光る。
半世紀ほど前、静岡の研修所で、未来部の友と一緒に新しい道をつくった思い出がある。共に汗を流し、石拾いや草むしりに精を出した。「道をつくる」苦労と誇りを、実際に体験してもらいたかったのである。
私は語りかけた。
「道ができれば、みんながそこを歩けるようになる。ぼくは君たちのために、懸命に道を開いておくよ。君たちは、さらに、その先の、未来への道を開いていくんだよ。それが師弟の大道だ」
この時、「世界広布の道を開く人材に」と夢を広げた女子中等部の友は、その後、創価大学へ進学し、モスクワ大学への最初の交換留学生となった。祈り、学び、努力を重ね、ロシア語通訳・翻訳の第一人者として、両国の平和友好の道、後進の育成の道を開いてくれている。
このたびモスクワ大学出版会から最終巻が発刊されたロシア語版『法華経の智慧』(全六巻)の翻訳にも、世界各地の友と尽力してくれた。
創価の師弟が開く探究と創造の「この道」は、地球を包んでいくのだ。

◇読書を力に前へ
この夏、未来部の友は「ドリームチャレンジ期間」と掲げて、成長の日々を刻んでいる。
お父さんやお母さん、担当者の方の応援を受けながら取り組む読書も、作文も、絵画も、語学も、まさしく「ドリーム(夢)」を見つけ、広げ、深めるチャンスとなる。楽しく伸び伸びと「チャレンジ(挑戦)」してもらいたい。
私が友情を結んだ世界の知性も、読書を通して、夢を広げてこられた。
核兵器廃絶に人生を捧げた、パグウォッシュ会議名誉会長のロートブラット博士が、少年時代の宝とされたのも、「読書の喜び」である。
ポーランド出身の博士の幼き日、第一次世界大戦が起こる。家は貧しく、二切れのパンが一日の食事という日もあった。そんな博士の楽しみは科学小説などの本を読むことであった。
「本当に悲しく、悲惨な時代であったからこそ、私は『夢』を求めていたのです」
若き博士は「科学を通して、人間が戦争をしなくてすむような世界をつくろう」と誓い、苦学の末、世界的な科学者になる夢を実現する。そして「核兵器のない平和な世界」という夢を、命の限り追求し続けたのだ。
広島、長崎、また沖縄の惨劇を二度と繰り返してはならない。人類の平和こそ我らの悲願である。
私が「後世に残せるような小説を書きたい」という夢を抱いたきっかけも読書であった。ユゴーの傑作『レ・ミゼラブル』との出あいである。
以来、幾十星霜を経て、小説『人間革命』『新・人間革命』を書き残すことができた。全て恩師から私への個人教授「戸田大学」での薫陶の賜物であり、多くの方々の応援のおかげである。
とともに、牧口先生、戸田先生から託された夢を、創価大学や創価学園の創立をはじめ、私は全て実現した。
次なる私の夢は何か。
世界中の未来部の皆さん一人ひとりが勇気の翼を広げ、自身の夢を実現してくれることだ。

皆が人材なりと胸を張れ
◇王者の山を描く
私は、未来部の友の躍動する絵画を鑑賞するのが大好きである。
私自身は絵が得意ではないが、宝の未来部に思いを馳せながら、富士山を描いたことがある。
一九七九年(昭和五十四年)の五月五日——私が名誉会長になって最初に迎えた「創価学会後継者の日」である。「正義」「共戦」の一連の書を書き留める最中であった。
横浜の海を望む神奈川文化会館で、絵筆を屏風に走らせた。朝焼けの紅に包まれる富士である。手前の緑の丘には、満開の桜や枝を広げた松の木を配した。一本一本が伸びゆく人材なりと祈りを込めたのである。
四年後(一九八三年)の三月、大阪・枚方市の関西創価小学校を訪れた時のことだ。楽しい催しが終わり、皆が下校した静かな校舎内を視察した。
ある三年生の教室の黒板に、青のチョークで「この一年 元気にがんばりました」と書かれた文字が、目に留まった。その隣には、仲良く球技に興じる絵もあった。
この絵手紙への返事をと、私はチョークを手に取った。そして、黒板に向かうと、児童たちの健闘を讃えつつ、"いつか一緒に「王者の山」を登りゆこう"との願いを託して、大きな富士の絵を描いていった。
「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」(吉川英治作『宮本武蔵』講談社刊)
——師が愛弟子に語りかけたこの一節を、人びとの心が揺れ動く今だからこそ、私は「負けじ魂」燃ゆる友に贈りたい。
日蓮大聖人は、富士を仰ぐ天地で、大難と戦う若き弟子・南条時光に、「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」(御書一五七八ページ)と仰せになられた。
妙法を受持した最高に尊貴なる創価後継の友よ、富士のごとく、堂々と頭を上げて胸を張れ!
壮大な夢を描き、明朗闊達に挑戦しよう!
君たちが、二十一世紀の地球社会を、平和と幸福と共生の崩れざる宝土に築きゆくのだ。
不二の「正義の走者」の君たちよ、「生命の世紀」「人間革命の世紀」の大空に、凱歌の虹を鮮やかに懸けてくれ給え!