2020年7月28日火曜日

2020.07.28 わが友に贈る

活路を開く智慧と希望は
全て御書の中にあり!
一節でも一行でもいい。
「今の私への御手紙だ」と
捉えて拝していこう!

新尼御前御返事 P907
『御勘気の時千が九百九十九人は堕ちて候』

【通解】
御勘気のとき、千人のうち九百九十九人が退転してしまった。

名字の言 「誰かのために」が力になる 2020年7月28日
高校野球の独自大会が各地で開催されている。選手や関係者の皆さんの健康と無事故を祈りたい。かつて地方大会の優勝校の主将に勝因を聞いた時だ。主将いわく、試合に出られない人の分まで頑張ろうと皆で誓い合った結果です、と。選手たちから、大事な生き方を教えられることが度々あった▼17年前、「嗅神経芽細胞腫」という鼻の奥のがんを患い、懸命の治療も効果なく、悶々としていた壮年がいた。ある時、支部の集いで体験発表してほしいと頼まれた。病気が治ったわけでもないのに自分に何が語れるのか。迷ったが、引き受けた▼引き受けたからには、参加してくれる人のために信心の実証を示したいと、会合までの3週間、死にもの狂いで祈った。検査の結果、医師が驚くほど、がんは小さくなり、体験発表では生き生きとした壮年の姿があった。62歳の今も壮年は、広布と社会の第一線で奮闘する▼自分のためだけでは力が出なくとも、誰かのためと思えば力が湧き上がる。池田先生は語る。「人に『生きる力』を与えるものは何か。それは、自分以外の誰かのために生きようという『人間の絆』ではないだろうか」と▼無私の心で祈ってくれる同志がいる。弟子の勝利を祈り待つ師匠がいる。この学会家族の絆を誇らしく思う。(進)

寸鉄 2020年7月28日
「法華経を信ずるを水の行者とは云うなり」御書。地道な実践が勝利の直道
未来部がドリームチャレジ期間。勉強第一、健康第一で大きく伸びゆけ!
世の荒波にもまれてこそ優れた人に成長できる—恩師。青年は激戦に挑め
SNSで画像転載は著作物の権利侵害加担の恐れ安易な投稿は厳重に注意
今夏のゲリラ豪雨発生、昨年比1・4倍に—予測常に最新情報確認し警戒

☆心に御書を 第61回 強き信心こそ安心の「柱」
〈御文〉
『法華経は三世の諸仏・発心のつえにて候ぞかし、但し日蓮をつえはしらとも・たのみ給うべし、けはしき山・あしき道・つえを・つきぬれば・たをれず、殊に手を・ひかれぬれば・まろぶ事なし』(弥源太殿御返事、1227ページ)

〈通解〉
法華経は三世の諸仏の発心の杖である。ただし(あなたにとっては、この)日蓮を杖・柱とも頼まれるがよい。険しい山、悪い道では杖をつくならば倒れない。ことに手を引かれるならば転ぶことはない。

〈池田先生が贈る指針〉
御本仏は、生老病死の険難の山坂も悪路も、杖となり柱となって支え守ってくださる。
ゆえに妙法と進む我らの生命の旅路は、何があっても絶対に安心である。永遠に常楽我浄の幸の軌道なのだ。
私たちの唱える題目も、生死を超えて家族と眷属の杖・柱となる。創価家族の命の絆ほど強いものはない。

☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第4回 幸福をつかむ信心<下> 杉本総合婦人部長
「紙上教学研さん『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」の第4回は、前回(4日付)に続いて「幸福をつかむ信心」について、杉本総合婦人部長と共に学びます。(第5回は8月1日付に掲載の予定。池田先生の講義は『創価学会 永遠の五指針』から引用)

◇池田先生の指導
「喜とは自他共に喜ぶ事なり」と。
自分も、他者も共に喜ぶ。
そこに真の歓喜と幸福があるのです。

1 世界第一の「富める者」の誇り
それでは、前回に続いて「幸福をつかむ信心」について学んでいきましょう。
池田先生は、講義の中で"世界第一の富める者"との日蓮大聖人の宣言の意義について、教えてくださっています。

【御文】
『日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり、是れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり感涙押へ難く教主釈尊の御恩報じ奉り難し』(四菩薩造立抄、御書988ページ14行目〜16行目)

【現代語訳】
日蓮は世間的に見れば日本第一の貧しい者であるけれども、仏法の上から論ずるなら、一閻浮提(世界)第一の富める者である。これは(末法という)時がそうさせる故であると思うと、喜びは身にあまり、感涙は抑えがたく、教主釈尊の御恩は報じ奉りがたい。

■ 池田先生の講義
大聖人は迫害によって、何度も命を狙われ、流罪も二度に及び、さらに日本中から悪口罵詈されました。「四菩薩造立抄」で仰せのように、世間的に見れば「日本第一の貧しき者」かもしれません。しかし、仏法の明鏡に映してみれば、「一閻浮提第一の富る者なり」——"世界第一の富める者"であると宣言されています。
「喜びは身にあまり、感涙は抑えがたく」と、大聖人は仰せです。いかなる権力の魔性にも侵されない、金剛不壊の幸福境涯の実像が、ここに拝されます。

—◆—
人間としての最高の「喜び」と「幸福」は何か——。それは、人生における自身の本然の「使命」を知ることだと思います。
私は今、小説『新・人間革命』を生命に刻む思いで精読しています。第5巻の「歓喜」の章で、戸田先生が「われ地涌の菩薩なり」と覚知した戦時中の獄中闘争を振り返って、こう語られる部分があります。
「使命を知るとは、自分の生涯を捧げて悔いない道を見つけたということだ。そうなれば人間は強いぞ。恐れも、不安もなくなる」と。
私たちもまた「地涌の菩薩」として、妙法を弘め、人々の幸福と平和を実現するために、この世に生まれてきました。この「使命」を深く自覚した時、命の底から喜びと力が湧いてきます。そしてどんな逆境にも、決して負けない希望が、わが胸中に広がっていくことを実感します。

2 「師弟不二」で嵐に打ち勝つ
池田先生は、幾多の嵐を乗り越えた、戸田先生との「師弟不二」の闘争について、講義の中で記されています。

■ 池田先生の講義
戸田先生は、戦時中に獄中から家族へ送った手紙に、こう記されていました。
——今どんなに苦しくても、貧しくても、私の生きている限り「富める者」との自信を失わずにいてください——と。
不惜身命の戦いを貫いた先生は、牢獄にあっても魂の王者でした。「富める者」との大確信の上から、自身に連なる一家眷属もまた「富める者」なりと叫ばれたのです。
この偉大な師匠の不二の弟子である私も、嵐の中を、広宣流布一筋に突き進んできました。妙法のため、師匠のため、同志のために捧げきった命です。大難はもとより覚悟の上でした。「嵐は誉れ」と、一切を乗り越え、尊き草創の父母たちと共に世界広宣流布の道なき道を切り開いてきました。
今度は、わが同志が、わが後継の青年諸君が、われ世界一の幸福者なりと、この誉れの大道を勝ち進んでいただきたいのです。

—◆—
池田先生が、私たち弟子のために、未来のために、どれほどの大難に耐え、勝利の道を切り開いてくださったか。
1979年(昭和54年)4月24日、第1次宗門事件の嵐の中、池田先生は会長を辞任されました。本部職員になったばかりの私は、大きな衝撃を受けました。悔しさでいっぱいでした。
翌日、重い気持ちで信濃町に出勤すると、偶然、先生とお会いしたのです。先生は烈風のただ中におられたにもかかわらず、未入会だった私の父の状況などを聞き、温かく激励してくださいました。
そして、厳然と言われました。「先生は強いよ」と。その師子王のごときお姿は、今も胸に深く刻まれています。
81年、正義の反転攻勢を開始された先生は、大分を訪問されました。私も同行させていただきました。会館の庭で先生の姿を見るなり、駆け寄ってきた年配の婦人部がいました。宗門の非道な仕打ちに耐え、同志を守り抜いてきた草創の母だったのでしょう。先生は言われました。「おばあちゃんは勝ったんだよ。心配ないよ。勝ったんだよ!」と。
師匠が命を懸けて守り、築いてくださった学会です。その学会、そして大切な同志を断じて守り抜いていくのが、青年の使命、そして私たち弟子の責任です。

3 「自他共に」が真の幸福
先生はまた、「御義口伝」の一節を通して、「歓喜」「幸福」の真の意味について、講義をしてくださっています。

【御文】
『喜とは自他共に喜ぶ事なり(中略)然るに自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり』(御義口伝、御書761ページ14行目〜17行目)

【現代語訳】
(随喜の)「喜」とは、自他共に喜ぶことである。(中略)
すなわち、自他共に智慧と慈悲があることを「喜」というのである。所詮、今末法において日蓮大聖人とその門下が、南無妙法蓮華経と唱えたてまつる時、必ず無作三身の仏と成ることを「喜」というのである。

■ 池田先生の講義
「喜とは自他共に喜ぶ事なり」と。自分も、他者も共に喜ぶ。そこに真の歓喜が、幸福があると言われるのです。
幸福とは、各人が自らつかむものであり、自身の生命で感得するものです。しかし同時に、自分一人だけの幸福もありえません。自分さえ幸せなら後は関係ない——それでは、利己主義です。だからといって"自分はいいから、他の人が幸せに"というのも、仏法の理想とは異なります。そうではなく、"自分も人も一緒に!""自他共の幸福を目指す"というのが、本当の幸福でしょう。

—◆—
他の人の幸福を願い、友の幸福のために行動する——その地道にして偉大な実践を、私たちは、日々の学会活動の中で行っています。
「あの人が悩みを乗り越えられるように」と祈る。「あの人は元気かしら」と電話をかけ、手紙を書く。日々、他者を思いやり、「人のため」にと行動することが、人間として、どれほど尊いことであるか——。今、さまざまな分断が広がる世界の中で、このような学会員の生き方は大きな輝きを放ち、人間と人間を結ぶ偉大な力になっています。
池田先生は「『心の財』は、分かち合えば合うほど、増えるのです」と言われました。本当にその通りだと実感します。
友の悩みに同苦し、その友の蘇生のドラマに涙し、歓喜する——私たちの友を思う行動によって「自他共の幸福」は社会に広がっていきます。
そして「一人の人間の幸福」を全ての原点とする、人間主義の思想が人々の心に浸透していく時、世界の「立正安国」の道は開かれると、先生は教えてくださっています。

4 世界に歓喜の花園を広げる
最後に先生は、学会は「価値創造の団体」であることを強調されています。

■ 池田先生の講義
創価学会は、「価値創造の団体」です。
美・利・善の価値の創造は、「自他共の幸福」の内実です。私たちは、一人一人の信心の勝鬨の発露として、この幸の花を豊かに多彩に咲かせながら、地域に、社会に、そして全世界に、幸福と勝利と平和の歓喜の花園を広げていくのです。
大聖人は、「随喜する声を聞いて随喜し」(御書1199ページ)と仰せになりました。
今、「幸福をつかむ信心」の歓喜の波動が、国境を越え、民族や言語などの差異を越えて、グローバルに拡大しゆく世界広布新時代を迎えました。それは、全人類が共に幸福をつかむ、民衆凱歌の世紀を開く挑戦です。

—◆—
池田先生は、"広宣流布は、妙法の大地に展開する大文化運動である"と言われています。仏法の光に照らされた私たちの力強い生命は、生活を潤し、豊かな文化を育み、地球を喜びで包むことを教えてくださっているのです。
先月10日付の聖教新聞で、77年に池田先生が各地の婦人部総会へ贈られた真心のピアノ演奏を動画で聴くことができ、全国の婦人部に大きな感動と喜びが広がりました。また、先生は自ら、音楽隊・鼓笛隊の結成をはじめ、文化祭の開催などを推進してこられました。
文化は人間性の発露であり、苦難を乗り越える力となるからです。
コロナ禍の中にあっても、各国の創価の友は、音楽を通して「師弟の心」「負けない心」を世界に発信してくれています。ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団は、「母」の曲や学会歌「今日も元気で」をオンラインで"合奏"しました。インドでは外出規制の中、新愛唱歌を作成し、同志を鼓舞しています。
生命の共鳴に国境はありません。この麗しい姿自体が、学会が世界宗教であることの一つの証しであると思います。
これからも先生と共に、世界の同志と共に、幸福の連帯をさらに大きく広げていきたいと決意を新たにしています。

■ 池田先生の講義
幸福とは、日々の着実な積み重ねです。
そして、私たちが幸福を目指す人生の根幹には、日々の最高の「祈り」があります。
私は今日も真剣に祈り抜き、そして、いつまでも祈り続けます。
大切な皆様が健康・長寿であるように!
所願満足で、現世安穏であるように!
使命を成就し、後生善処であるように!
一人も残らず、幸福であるように!
大勝利の人生を勝ち飾れるように!