今日できることに
ベストを尽くそう!
その努力の積み重ねが
人格を磨いていく。
人生を輝かせていく。
光日房御書 P929
『をひたるはわはとどまりてわきき子のさきにたつなさけなき事なれば神も仏もうらめしや、いかなればをやに子をかへさせ給いてさきにはたてさせ給はずとどめをかせ給いてなげかさせ給うらんと心うし、心なき畜生すら子のわかれしのびがたし』
【通解】
年老いた母が生き残って若き子が先だったのは、余りに情けない事なので、神も仏もうらめしい。どうして、親と子をかえて、親の方を先立せずにこの世に留め置いて、嘆かされるのであろうかと実につらいことである。心ない畜生でさえも、子との別れには堪え難いものである。
名字の言 きょう7月3日。創価の三代会長に脈打つ「不惜身命」の精神 2020年7月3日
「御手紙拝見、くりかえし くりかえし 楽しんでいます」。大戦中、軍部権力に捕らわれた牧口先生を支えた一つが手紙だった。獄中に届く家族からの手紙を生きる励みとし、自らもペンを執り、つづった。1943年(昭和18年)7月6日の逮捕から殉教までの1年4カ月に書いた家族宛ての書簡31通が残されている▼同じく牢獄にあった戸田先生は、子息への手紙に"同時刻に題目を唱えよう"と書き送った。父と子の"同盟唱題"である。コロナ禍にあっても、手紙等で心を結び、祈りを広げる世界の創価の友を、両先生が頼もしく見つめておられるだろう▼池田先生が事実無根の罪で逮捕されたのは57年(同32年)7月3日。権力の魔性と戦った三代の会長によって、法華経の「不惜身命(身命を惜しまず)」の精神は現代によみがえった。池田先生は語る。不惜身命とは「命を粗末にするということではない。自分の尊い生命を、仏法のために惜しまず使っていくということです」と▼人から"奪う"のではなく、"与える"ことを教えたのが仏法。人々に真心を、励ましを、勇気を、希望を与えていく。その努力と祈りが、自身の小さな殻を破る▼世界広布を実現してきた三代の師匠と創価の父母たちの不惜身命の魂を受け継ぐ、誓いの月としたい。(進)
寸鉄 2020年7月3日
師弟不二の原点「7・3」世界広布は三代の大闘争ありて実現。青年よ続け
東北の日。郷土を照らす希望の連帯!今こそ立正安国の旗掲げ対話拡大を
「うれしきかな末法流布に生れあへる我等」御書。同志との共戦は最高の宝
熱中症は予防が最も大切と。早めの水分・塩分補給、冷房利用で賢く対策
親が本を読むほど子の読む本の数も多く。豊かな心育む読書週間を家庭で
☆心に御書を 第56回 題目の功力は絶大
〈御文〉
『法華経の題目をつねは・となへさせ給へば此の妙の文じ御つかひに変ぜさせ給い・或は文殊師利菩薩或は普賢菩薩或は上行菩薩或は不軽菩薩等とならせ給うなり』(妙心尼御前御返事、1484ページ)
〈通解〉
(あなた<妙心尼>は)法華経の題目を常に唱えられているのだから、この「妙」の文字が(冥途の故入道殿への)御使いに変じられ、あるいは文殊師利菩薩、普賢菩薩、上行菩薩、不軽菩薩となられるのである。
〈池田先生が贈る指針〉
最愛の家族を亡くした方への励ましである。
妙法は、地球を動かし、太陽を輝かせ、大宇宙を運行させる究極のリズムである。十方の仏菩薩を味方にし、わが眷属も生死を超えて護り抜ける。
題目の人に行き詰まりはない。最極の智慧も勇気も忍耐力も涌現する。必ず"一番、良かった"と言い切れる人生の軌道となるのだ。
☆ロータスラウンジ 第15回 見宝塔品第十一〈上〉
◇自行化他にわたって妙法を唱えるとき私たちの生命が宝塔となる
■大要
「見宝塔品第十一」では、冒頭、七宝で飾られた巨大な宝塔が大地から涌現し、空中に浮かびます。その塔の中から「多宝如来」が、釈尊の説法が真実であると証明します。さらに、会座に集った人々を、仏が神通力で虚空へ浮かび上がらせます。ここから説法の場が「虚空会」になります。そこで釈尊は、「六難九易」等を通して、滅後の法華弘通を勧めます。それでは内容を追ってみましょう。
●シーン1
仏の前にこつぜんと、高さ500由旬、縦横250由旬もの、金・銀・瑠璃などの七宝で飾られた巨大な宝塔が、大地から涌現し、空中に浮かびます。(由旬は、インドの距離の単位。1由旬とは帝王が1日に行軍する道のりとされ、およそ10キロメートルと考えられている)
すると、その時、宝塔の中から大音声が聞こえてきます。
「すばらしい。すばらしい。釈尊は、よくぞ法華経を大衆のために説いてくださった。その通りです。その通りです。あなたが説かれたことは、すべて真実です」
会座の四衆(出家・在家の男性と女性)は、宝塔が空中に浮かんでいるのを目の当たりにし、その中から響く声を聞いて喜び、また驚きつつ、宝塔に合掌します。
●シーン2
その時、大楽説菩薩が、人々の疑念を知り、釈尊に問います。
「どういうわけで、宝塔が大地から現れ、その中から声が発せられたのですか」
釈尊は答えます。
「この宝塔の中には、多宝如来という名前の仏様がおられる。
この仏様は、かつて菩薩の道を修行していた時に、大きな誓いを立てたのです。『法華経が説かれる所があれば、私の塔はその前に現れ、証明役となって、すばらしい、すばらしいと讃嘆しよう』と。
だから今、法華経が説かれるこの場所に、多宝如来の塔が出現して、『すばらしい。すばらしい』と、讃嘆したのです」
●シーン3
それを聞いて、大楽説菩薩は、釈尊に要請します。
「私たちに、多宝仏の姿を見させてください」
釈尊は、大楽説菩薩に告げます。
「この多宝仏には、『釈尊の分身となって十方世界(全宇宙)で法華経を説いている仏をすべて呼び戻したならば、私は姿を現そう』との深き願いがあるのだ。
今、十方世界で説法している私の分身を集めようと思う」
ここから、いわゆる「三変土田」が始まります。
——まず、釈尊は、分身の諸仏が集まってこられるように、今いる娑婆世界を清浄にし、不信の人界・天界の衆生を他の国土に移して、分身の諸仏を集めます。
しかし、入りきれなかったため、さらに2度にわたって、八方それぞれの二百万億那由他という無数の国土を清浄にして、人界・天界の衆生を他の国土に移し、十方の世界の諸仏を集め、一つの仏国土に統一しました。
このように、3度にわたって国土を清めたことを「三変土田」といいます。
●シーン4
釈尊は、一堂に会した十方世界の分身の諸仏が"宝塔の扉を開いてほしい"と望んでいることを知り、空中に浮かびます。
人々は起立し、合掌して、その模様を見つめています。釈尊は右の指で、宝塔の扉を開きます。
全ての聴衆は、宝塔の中に多宝仏の姿を見ます。さらに、「すばらしい。すばらしい。釈尊は快く法華経を説いてくださる。私は法華経の説法を聞くために、ここに出現したのだ」と語るのを聞きます。
●シーン5
その時、宝塔の中の多宝仏は、自分の座っていた場所の半分を釈尊に与えて語ります。
「釈尊よ。この場所にお座りください」
釈尊が宝塔の中に並んで座ります(二仏並坐)。
人々は「仏は高く遠い所にいらっしゃる。どうか仏の神通力によって、私たちを空中に引き上げてください」と願います。
釈尊はその思いに応え、神通力によって大勢の人々を空中に引き上げると、大音声で皆に告げます。
「だれか、この娑婆世界で、広く法華経を説くものはいないか。私は、もう長くは生きていない。法華経の弘通を託したいのだ」
ここから、「嘱累品第二十二」まで空中での説法がつづきます。これを「虚空会の儀式」と言います。
●偈文
これまでの説法の意義を繰り返して、偈(詩句の形式)として説かれます。
見宝塔品では、ここに「令法久住」や「六難九易」「此経難持」といった大切な法理が示されます。
該当の箇所を追ってみます。
◇ ◇ ◇
宝塔が出現し、十方の諸仏が集まったのは何のためだったのでしょうか。それは「令法久住(法をして久しく住せしめん)」(法華経387ページ)のためであったと記されています。未来永遠にわたって妙法が伝えられるようにするためであったのです。
さらに、仏の滅後に法華経を持ち弘めることが、他の経典の場合にくらべて、いかに難しいかを「六難九易」を挙げて説かれています。
法華経では「諸余の経典は 数恒沙の如し 此等を説くと雖も 未だ難しと為すに足らず」(390ページ)から「我滅して後に於いて 若し能く 斯くの如き経典を奉持せば 是は即ち難しと為す」(393ページ)までの箇所に、九つの易しいことと、六つの難しいことが具体的に記されています。
それを受けて「此経難持(此の経は持ち難し)」(同ページ)と、仏の滅後に法華経を受持することがいかに困難であるかが示されます。
だからこそ、法華経を受持しゆく大願をおこす人こそが、無上の仏道を得ることができると教え、「自説誓言(自ら誓言を説け)」(同ページ)と、誓願を勧めているのです。(�に続く)
【『法華経の智慧』から】 限りなく境涯が広がる
妙法蓮華経の説法によって、妙法蓮華経の宝塔が涌現する。私どもが自行化他にわたって妙法を唱えるとき、私たちの生命が宝塔となる。宝塔が出現する。唱えられる法も妙法蓮華経。唱える私たちも妙法蓮華経です。
◇ ◇ ◇
依正不二ですから、我が身に宝塔を開けば、我が生きる世界も宝塔の世界であり、「宝塔の中に入る」ことになる。御本仏の世界の一員として、自在に活躍しているということです。このちっぽけな自分という身が、七宝で荘厳され、大宇宙へと限りなく境涯が広がるのです。これほどすばらしいことはない。
◇ ◇ ◇
我が身に宝塔を見、我が友に宝塔を見る。そして「宝塔」また「宝塔」の林立で、我が地域を荘厳していくのです。地球を荘厳していくのです。
◇ ◇ ◇
広布への行動によって、初めて「宝塔」は立つ。観念ではない。現実との格闘であり、大難との真剣勝負です。そこに「聞・信・戒・定・進・捨・慚」の七宝で飾られた自分自身と輝くのです。(普及版<上>「見宝塔品」)
【コラム】七宝——わが身を輝かせる
「見宝塔品」に出てくる巨大な宝塔は、金・銀・瑠璃などの七宝で飾られていました。
それは、尊厳なる生命を表現しているといえます。
大聖人は、この七宝について「聞・信・戒・定・進・捨・慚」であると示されています(御書1304ページ)。
「聞」とは、正法を求め聞き学ぶことです。「信」とは、妙法を信受することです。「戒」とは、末法にあっては妙法を受持することです。「定」とは、不動の信を確立することです。「進」とは、精進のことです。「捨」とは、煩悩などを捨てることです。「慚」とは、反省し、求道心を絶やさないことです。
つまり、この七つの修行、私たちにとっては、自行化他にわたる唱題行によって、自分自身の生命を最高に光り輝かせていくことができるのです。
★〈直球勝負 @伝言板〉 2020年6月8日
御書こそ人生の 荒海渡る羅針盤 千葉県松戸市 寺岡洋(会社員 53歳)
新型コロナの影響で仕事はテレワークとなり、毎日のように朝から晩までパソコンに張り付いていました。肩凝りと眼精疲労で体もきつく、窮屈な日々でした。
そこでゴールデンウイークは、青年部時代に果たせなかった御書の研さんを決意。「開目抄」と「観心本尊抄」を聖教新聞社発刊の『世界広布の翼を広げて 教学研鑽のために』と『現代語訳』を活用し、全編精読しました。手になじみやすいサイズで、『現代語訳』がとてもためになりました。次は、「撰時抄」「報恩抄」の『現代語訳』を活用し、五大部の精読に挑みたいと思います。
本紙5月10日付「壮年部のページ」で、指導集『黄金柱の誉れ』から、教学の大切さについての池田先生の指導を学び、勇気を得て、ますます御書の研さんに励もうと決意することができました。
「御書は『信心の背骨』であり、ゆえに確固不動の『人格の背骨』となるのだ」「教学こそ、危険千万な人生の荒海を渡るための羅針盤の大哲学なのである。教学が強くなれば、信心はさらに強くなる。反対に強靭な"背骨"がなければ、いざという時に弱い」とありました。
今まさに「いざという時」です。支部の皆さまにも、御書を学び、眼前の荒海を乗り越えようと訴えていきます。
★〈声〉 読者の投稿 2020年6月19日
ピアノの調べが 強く優しく響く 千葉県松戸市 谷由紀子(75歳)
6・10「婦人部の日」の聖教電子版で、「真心のピアノの調べ 最も大切な婦人部に贈る」と題した池田先生のピアノ演奏を視聴しました。
北は北海道から南は沖縄まで、全国各地の同志との写真を背景に、池田先生のピアノの音色が、優しく、力強く響き、心に染みました。まるで先生ご夫妻と一緒に、皆で「婦人部の日」をお祝いしているかのような気持ちになりました。
「荒城の月」「さくら」、創価学園の寮歌(当時)、「うれしいひなまつり」「夕焼小焼」「春が来た」と曲が進むにつれて、自身の思い出がよみがえりました。入会当初から学生部、女子部、そして現在の婦人部へ。学会活動を通し、宿命を使命に変えていった苦闘と歓喜の日々は私の"心の財"です。同時に、"今が、一番幸せ"と確信することができ、感謝でいっぱいになりました。
曲目の最後、「熱原の三烈士」の演奏を聞きながら、私は決意を固めました。"新型コロナ禍は、新しいアイデアを生み出すチャンスと捉えよう。婦人部は負けない! 何があっても創価学会と共に!池田先生と共に! 希望の人生を歩もう!"と。
決意も新たに、「希望の絆 女性月間」を明るく前進します。