2020年7月7日火曜日

2020.07.07 わが友に贈る

「異体同心なれば
万事を成じ」
大切なのは団結だ!
心を合わせる努力の中に
偉大な前進がある。

道妙禅門御書 P1243
『只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候、法華第三に云く「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」第七に云く「病即消滅して不老不死ならん」との金言之を疑う可からず』

【通解】
ただ肝要なことは、この法華経の信心をされるならば、現世と未来世の願いが満たされるということである。 法華経第三の巻(授記品)には「魔および魔民があったとしても、皆、仏法を守護する」とある。
また、第七の巻(薬王品)には「病は消滅して、不老不死の境涯を得るであろう」とある。これらの金言を疑ってはならない。

名字の言 少女部員が七夕の短冊に書いた願い事 2020年7月7日
街中で七夕飾りをよく見掛ける。短冊に記された「コロナが早くなくなりますように」「家族が健康であるように」といった多くの願い事が、世相を映し出している▼都内のある少女部員は父親と一緒に小さな笹を買い、自宅のベランダで短冊を吊るした。7月最初の日曜日。テレビで週間天気予報を見た彼女は、てるてる坊主を作り始めた。父は、東京の予報が"曇り時々雨"だからかなと思ったが、少女はもう一枚短冊をせがみ、こう書いた。「熊本にもう雨がふりませんように」▼それは全国の人々の願いでもあろう。九州南部を襲った豪雨による被害が広がっている。2年前の西日本豪雨も七夕の頃だった。この時節の空模様が恨めしくて仕方がない▼現段階で救援活動に直接携われる人は限られていても、誰もが祈ることはできる。2016年4月の熊本地震発災後、間もなく、池田先生は随筆で訴えた。「甚大な災難が、突然、人びとの絆を断ち切るが如く襲いかかる時、その試練をはね返すものは、我ら民衆の、何があっても共に守り合い、生き抜いていくという誓いであり、祈りではないでしょうか」▼御書に「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし」(808ページ)と。被災地で苦闘する方々に届けと、安穏と復旧を祈る。(之)

寸鉄 2020年7月7日
九州の豪雨で被害甚大。犠牲者を追善。続く災害、早めの避難など声掛けを
何かをなせ!何かを残せ—戸田先生。生涯光る歴史を。挑戦は青春の誉れ
「一閻浮提第一の富る者」御書。これ蓮祖の大確信。広布の勇者に福徳は厳然
「クールアース・デー」。小さな一歩の積み重ねでCO2削減へ。皆で行動
歩行中の交通事故死7割が高齢者。道路横断時が多く。運転者も注意更に

☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第5回 フィレンツェ
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「フィレンツェ——人間を見つめる花の都」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。イタリアのフィレンツェは、絢爛たる「人間復興」の文化が花開いたルネサンスの中心地。新しい生活様式が求められる今、この街に薫るルネサンスの精神に学び、人間の絆を強く結びながら、一人一人が絶えず再生し偉大な価値を創造しゆく「負けない生命」の力を湧き立たせていきたい。

世界まで
 つつむ 旭日の
  イタリアは
 ルネッサンスの
  満開 香りぬ

わが街は「花の都」なり——。
同じ暮らすのであれば、人それぞれに、自らが生きる地域を「花の都」と誇りにして、「花の人生」を飾っていきたいものです。
たとえ、少々地味な街並みで、一見平凡な生活であったとしても、誰もが心一つで、明るい対話の花も、楽しい友情の花も、豊かな文化の花も、生き生きと咲かせていけるはずです。その香り高い手本が、文字通り「花の都」という名を持ったイタリアのフィレンツェです。
ルネサンスの哲学者ピコ・デラ・ミランドラが、共感を込めて記した一節に、こうあります。
「世界というこの舞台において、最も感嘆すべきものと見られるものは何か」「人間ほど素晴しいと見られるものはない」
私たち人間自身のなかにこそ、何よりも素晴らしい宝があります。その宝を発見し、磨いていくならば、人間は一人一人が、わが生命の花を、もっともっと自分らしく色とりどりに咲き薫らせていくことができます——。
フィレンツェは、そう語りかけ、人生のルネサンス(再生)を促してくれる、人間の花すなわち「人華」の都でもあるのです。

◇人間の絆を強く
〈池田先生は、フィレンツェを初訪問した折に青年たちと語り合った思い出を述懐し、人間の絆にこそ、創造の花を育む力があると訴える。また、忘れ得ぬイタリアの一婦人の姿を紹介。病に負けず医師として使命を果たし、青年を励ましてきた不屈の歩みをつづった〉
「いかなる距離も我らの友情を引き離すことはなく、いかなる忘却の力も我らの記憶を消し去ることはない」
これは、フィレンツェの指導者で、ルネサンスの思想家であったブルーニの言葉です。
街自体が「屋根のない美術館」とも称されるフィレンツェを、私が初めて訪れたのは、一九八一年の五月のことです。
時に友人宅におじゃまし、時に陽光降り注ぐ芝生の上に座って、時にアルノ川に架かるヴェッキオ橋を渡り、時にミケランジェロ広場からフィレンツェの街を一望しながら、私は、とりわけ青年たちと徹して語り合いました。当時のイタリアでは、麻薬が蔓延するなど、青少年を取り巻く状況は厳しいものがありました。そうした風潮のなかで奮闘する健気な青年たちを、何とか励まし、力づけたかったのです。
——現実から逃避してはならない。希望の哲学を持って正面を向こう! 親に心配をかけぬよう、青年らしく、大いに学び、大いに働こう! 友と仲良く信頼し合って、共に前進するのだ、と。
「秀でた人物が出現するとき、多くの場合たった一人だけでない」と語ったのは、ルネサンスの画家・建築家のヴァザーリです。
どんなに才能に恵まれた人でも、一人で孤立していては、成長を続けられません。
レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、きら星の如く優れた芸術家を生み出したルネサンスに、師弟の薫陶があり、先輩・後輩の継承があり、友と友との切磋琢磨があったことは、よく知られるところです。
人間の絆にこそ、創造の花を育て、開花させゆく光線があり、水分があり、滋養があるのではないでしょうか。
妻が近しいイタリアの婦人も、常に友や青年の話に耳を傾けて、励ましを贈り、多くの人材を育ててこられました。忘れ得ぬ方です。
彼女は十五歳の時に、突然、ポリオ(小児まひ)を患い、両足が不自由になりました。しかし断じて負けませんでした。悲嘆に打ちひしがれるより、学びに学び抜いて医師になったのです。自分が病気に苦しんできたからこそ、病気に苦しむ人を助けようという心からです。
慈愛の医師としての使命を果たして退職したあとに、仏法の生命哲学と出あいました。そして、かつて残酷な戦火に覆われたヨーロッパに、生命尊厳の哲学を伝え、人々の連帯を広げて、平和に貢献していくことを、人生の総仕上げとしていきます。
お子さんのいない彼女は、杖で体を支えながら歩きに歩いて、縁する青年を、息子のように、娘のように、激励してきたのです。
さらに日本語にも精通していた彼女の名翻訳が東洋の英知を紹介し、大きく道を開いて、今、イタリアでは幾万もの青年が続いて、生命ルネサンスの道を学んでいます。
この婦人が聡明な笑顔で語られていた言葉が、思い起こされます。
「どんな困難な状況があろうとも、一人一人とじっくり心の対話を重ねていけば、前進は可能です」
「異なる個性を持つ人がしっかりとスクラムを組んでいくことが大切です。それなくして世界平和の実現はありません」

◇負けない生命
〈先生は、歴史に名を刻んだ芸術家のごとく、今いる場所でベストを尽くし、偉大な価値を創造しゆく中に、「花の人生」が広がり、「花の都」が輝くとエールを送る〉
世界的なロベルト・ロンギ美術史研究財団のミーナ・グレゴリー会長は、若き美の探究者たちを育成されてきた芸術の母です。会長は私に語られました。「『芸術』は、生活を潤し、人生を豊かにする不可欠の宝です」と。
そして、「モノ」や「計算」や「利害」が中心となった殺伐たる時代を打ち破るために、芸術がもっと多くの人生に深く入っていくべきだと言われるのです。
フィレンツェのシンボルの一つであるヴェッキオ宮殿は、天井や壁、柱まで絵画や彫刻が配される美の殿堂であり、しかも中世から政治の中枢となってきました。
現在も市庁舎として使われています。
その広間の一角にさりげなく飾られているのが、大芸術家ミケランジェロの「勝利」の像です。
数々の迫害と苦難に勝って、不滅の名作を創り上げてきた彼は、毅然と断言しました。
「わたしは自分の今あるもろもろの条件の下で最善をつくすだけだ」
今いる場所で、いかなる苦難もはね返して偉大な価値の創造をしていく「負けない生命」こそ、最高の人間芸術でしょう。それは、フィレンツェの紋章の百合の花の如く、何にも汚されない清らかな花です。
この「花の心」から、「花の人生」が広がり、「花の都」が輝いていくのではないでしょうか。

花の人
 花の心の
  花の旅

(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)