新聞休刊日
十字御書 P1492
『我等は父母の精血変じて人となりて候へば三毒の根本婬欲の源なり』
【通解】
私達は父母の精子と卵子が変じて人間となったのであるから三毒の根本であり、婬欲の根本である。
☆心に御書を 第57回 希望を送る確信の声を
<御文>
『此の良薬を持たん女人等をば此の四人の大菩薩・前後左右に立そひて・此の女人たたせ給へば此の大菩薩も立たせ給ふ乃至此の女人・道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ』(妙法曼陀羅供養事、1306ページ)
<通解>
この良薬(妙法)を持った女性らを、この四人の地涌の大菩薩(上行・無辺行・浄行・安立行)が前後左右に添い立ち、この女性が立たれたならば、この四大菩薩も一緒に立たれるのである。この女性が道を行く時にはこれら四大菩薩も道を行かれるのである。
<池田先生が贈る指針>
妙法は、生命の究極の大良薬である。妙法を行ずる友を、目には見えなくとも、四大菩薩は常に厳然と守護している。
広布のためにわが地域を歩めば、あまたの菩薩を従える常楽我浄の地涌の行進となるのだ。
不安や迷いを希望と勇気に転ずる「確信の声」を聡明に快活に広げゆこう! 友の幸福と社会の安穏のために!
☆日蓮仏法の視座 世界を結ぶ地涌の絆 2020年6月30日
◇激動の時代——"先駆"の実践で社会を照らす
パソコンやスマートフォンの画面上に、就職活動の悩みを打ち明けるメンバーや、友への激励に奮闘するメンバーの顔が映し出される。身ぶり手ぶりを交えて近況を語る、友の明るい表情に、こちらも元気をもらう。
オンライン上で喜びを分かち合い、励まし合う——今、全国各地の学生部で見られる光景だ。
コロナ禍により、社会の"当たり前"も大きく変わった。感染拡大防止のための「新しい生活様式」に移行しつつある中、これまでの"常識"が問い直され、社会のさまざまな分野で思いもよらない変化が次々と起きていることを、日々、感じている。
◇知勇兼備の闘将の集い
きょう6月30日は「学生部結成記念日」。1957年(昭和32年)のこの日、男女学生の代表約500人が集い、結成大会が開催された。
その直前には、北海道・夕張で炭鉱労働組合が学会員を不当に弾圧した「夕張炭労事件」が起こった。直後の7月3日には、池田先生が不当逮捕される。「大阪事件」である。
学生部は、権力の魔性との熾烈な闘争の渦中で産声を上げたのである。
かつて先生は、「学生部こそ、無名の民衆を守り抜くことを使命として誕生した、知勇兼備の闘将の集いである」とつづられた。
学生部の使命——それは、いかなる激動の時代にあろうとも、常に広宣流布に先駆し、英知の光で社会を照らしゆくことにほかならない。
この誇りを胸に、私たち学生部は、社会が揺れ動く中でも、常に前を向く。
ウイルスの感染が広がり、緊急事態宣言が発令された4月は、ちょうど入学・進級のシーズンだった。学生部でも、例年であれば新入生など、新たな友とつながる時期だったが、直接会えない、集まれない、という状況が続いていた。
しかし、各地のメンバーは知恵を湧かせ、工夫を凝らしながら、電話やSNSなどを活用して"つながる"挑戦を重ねてきた。
こうした状況の中で、私自身、あらためて気付かされたのは、「同志との"心の絆"は、試練の時ほど強靱さを増す」という紛れもない事実だ。
◇心は瞬時につながる
"心の絆"で思い起こすのは、日蓮大聖人が身延の地から、遠く離れた佐渡の門下・千日尼に送られたお手紙である。
「譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ」(御書1316ページ)
千日尼は、身延にいる大聖人に御供養を届けるため、夫の阿仏房を送り出し、佐渡の地で留守を預かっていた。
その千日尼に対して、大聖人は、天空の月が瞬時に池に影を浮かべるように、また、古代中国の「雷門の鼓」の音が遠い距離を越えて直ちに伝わったとされるように、千日尼の身は佐渡にあっても、その心は、私(大聖人)のいる身延にまで届いていると励まされた。
物理的な距離は離れていても、心は瞬時につながっている——この慈愛の励ましに、千日尼は深く勇気づけられたに違いない。
心の絆に、距離や時間は関係ない。相手を思う心は"いつか"ではなく、"今この瞬間"に必ず伝わるのだ。
さらに大聖人は、「我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」(同ページ)——私たちは、けがれた国土におりますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。お会いしたからといって、どうなりましょう。心こそ大切なのです——と仰せである。
仏法の眼から見れば、私たちの絆は、"会う・会わない"の次元を超え、生命の次元で深い宿縁によって結ばれた、久遠からの"地涌の絆"なのである。
また、「御義口伝」には、「霊山一会儼然未散」(霊山一会儼然として未だ散らず=同757ページ)との一節がある。
これは、法華経が説かれた霊鷲山の会座は、いまなお厳然として散らず、永遠に常住しているとの意味である。「会座」とは、仏の説法を聞くために仏弟子達が集まった場所・儀式のことだ。
このことについて池田先生は、「広く言えば、日蓮大聖人の門下として、異体同心で広宣流布に向かって進んでいる創価学会の姿そのものが、『霊山一会儼然未散』と言えます」と述べられた。
深い縁で結ばれた創価の同志の心は、どんなに離れていても、いずこの地にいたとしても、一つである。目には見えなくても、心の絆は厳然としてあるのだ。
私たちは今、"何としてもあのメンバーを励まそう""あの友人に希望を送りたい"と、オンラインを活用して、一人また一人と心を通わせ、絆を結び広げている。ウイルスとの闘いで物理的な距離は離れようと、心の距離は絶対に離れない——この思いが脈打つ創価の絆の真価は、あらゆる分野で"分断"が広がる混迷の世界にあって、今後ますます光っていくだろう。
思えば、自然災害や疫病などが打ち続いた鎌倉時代、苦悩にあえぐ民衆に蘇生の励ましを送られたのが、大聖人である。たとえ直接会えずとも、手紙をしたため、会われたのと同じように心を込めて、多くの門下を激励された。
手紙を受け取った門下もまた、文字を通して大聖人のお心を感じ、師の心をわが心として、苦難に立ち向かっていった。
善なる人と人とによって織り成される心の絆は、未曽有の災禍に遭っても変わらない。いやむしろ、世界中、同じ状況にある今こそ、さらに強く輝く希望となるに違いない。
◇「誓い」の共有
ではなぜ、これほど強固な心の絆が、日本中、世界中で強く結ばれてきたのだろうか。
私自身、信心に目覚めたのは、学生部の先輩の励ましがあったからだ。
大学に進学すると、学生部の先輩が私のもとへ頻繁に訪れるようになり、私もやがて、学生部の集まりに参加した。
そこで、池田先生の偉大さを語り合う同志の生き生きとした姿に触発を受け、「自分も、学生部の仲間たちと一緒に、広宣流布のために戦おう!」と決意したことを覚えている。
特別なことは何もない。
ただ、「師と共に広布に生き抜く」との誓いに燃え立つ一人から一人へ、いわば「誓い」が共有されていく中で、私たちの絆は結ばれてきたのだ。
この方程式は、世界のどの地でも、また、いかなる時代になろうと、変わらないことだろう。
妙法が、地涌の使命を自覚した一人から、「二人・三人・百人」(御書1360ページ)と唱え伝えられ、未来にまで続いていく——これが「地涌の義」であると大聖人が示された通りである。
◇学生部の使命とは
今、学生は大きな不安と向き合う。授業や就職活動などの先行きは見通せず、すぐ近くで励まし合える仲間にも会えない。しかしそれでも、自宅の机で、パソコンの画面に向かって、自身の未来を開こうと、学業に励む。
日本だけでなく、世界の学生もまた、同じだろう。
状況は異なるが、2011年(平成23年)を思い出す。東日本大震災が日本を襲った、あの日だ。
当時、創価高校の3年生で卒業を控えていた私は、震災を報じるテレビを前に、「これから先、どうなるのか」と大きな不安に襲われた。
その5日後の3月16日。池田先生が、創価学園の卒業式に寄せられたメッセージは、今も私の心に刻まれている。
「これから、どこにいようとも、私の心は常に、皆さんと一緒です。いつも成長を見守っています」
その後も、困難に直面するたび、先生の励ましを思い起こし、自らを鼓舞して、挑み抜いてくることができた。
1962年(昭和37年)、学生部への本格的な薫陶のため、先生は「大白蓮華」4月号の巻頭言で「学生部に与う」をつづり、呼び掛けられた。
「青年のなかにあって、とくに学生部は、その先駆をきるべき責任と自覚をもつべきである」
この"先駆"の誇りを胸に、私たち学生部は、広布を誓う絆を結びながら、希望の哲学を社会へ大きく広げゆく実践に、ともどもに挑んでいきたい。