2020年7月11日土曜日

2020.07.11 わが友に贈る

「たすくる者
強ければたうれず」
悩める友に寄り添い
励ましの絆を広げよう!
共々に凱歌の人生を!

寺泊御書 P953
『日蓮擯出衆度流罪は二度なり、法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品今の勧持品は過去の不軽品なり、今の勧持品は未来は不軽品為る可し、其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為る可し』

【通解】
日蓮は処を追われることは数回、流罪は二度である。法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品であり、今の勧持品は過去の不軽品である。
今の勧持品は未来には不軽品となって修行の範となるであろう。その時、勧持品を色読した日蓮は過去の不軽菩薩として折伏の範となるであろう。

名字の言 命日は娘の新しい誕生日——投稿に込められた母の思い 2020年7月11日
若くして亡くなった娘の十三回忌に際し、母である婦人から投稿が寄せられた。8日付の本紙「声」欄に掲載され、感動を広げている▼女子部「池田華陽会」の1期生だった娘が、突然、病に倒れ、帰らぬ人になったのは2008年のこと。使命ある娘はすぐに生まれ変わってくるからと、母は、命日である6月4日を、娘の新しい誕生日に決めた。翌年の"誕生日"にドラマは起こった。池田先生ご夫妻が信濃町の創価女子会館を初訪問し、「池田華陽会」の友を激励したのだ。さらにその日が「世界池田華陽会の日」に制定された▼日蓮大聖人の門下に、幼くして亡くなった娘の十三回忌の追善をした夫妻がいた。それに対し大聖人は、追善の題目の功徳がいかに大きいかを述べられ、残された家族は「百二十歳までも長生きするでしょう」(御書1335ページ、趣意)と励まされている。娘の分までも生き抜いて、お幸せにとのあふれる慈愛が拝察される▼投稿した母が娘のことを文字にするまでに、どれほどの涙が流され、祈りがささげられたことか。投稿が掲載された7月8日は、偶然にも婦人の傘寿(80歳)の誕生日。優しかった娘から母への贈り物のようにも思えた▼真心こもる読者の皆さまの投稿に、いつも感動を頂いています。(進)

寸鉄 2020年7月11日
各地で「記念映像上映会」が開始。感染予防対策を実施し清新な決意で出発
男子部結成の日。広布の新しき扉開くのは我ら!若師子よ浪漫胸に先駆を
信心を一言でいうならば心を決める事—戸田先生祈って動け。道は開ける
小学6年の就きたい職業は医療系が上昇。"人の為に"と考える思い頼もし
長引く大雨。引き続き河川増水・土砂災害を警戒。無事故へ早め早めの避難

☆きょう7・11「男子部結成記念日」 師子王の勇気で前進!
きょう7月11日は「男子部結成記念日」。
男子部では、コロナ禍の中でも知恵を絞り、オンライン等を活用した励ましを拡大。この日を目指し、100万人を超える友に対話を広げてきた。
今月には、全国各地で記念のオンライン男子部幹部会が開催。9月下旬に行われることが決定した、10・2「世界平和の日」60周年記念の「オンライン世界青年部総会」へ向け、新たな誓いの前進を開始している。

◇戸田先生"広布の使命を自覚してほしい"
襲い来る試練に勇気の心で立ち向かい、新たな価値創造の道を切り開く——これが、正義の師子・男子部の使命である。
1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧・学会本部で行われた男子部結成式の席上、恩師・戸田城聖先生は語った。
「広宣流布は、私の絶対にやり遂げねばならぬ使命であり、各自に、その尊い地位を自覚してもらいたい」
男子部の一員だった若き日の池田大作先生は、この恩師の師子吼を"わが誓い"と受け止めた。
池田先生は10代で「結核」という感染症にかかり、医師から「30歳まで生きられない」と言われていた。しかし、師の構想を実現するために戦い抜き、蒲田、文京、札幌、大阪、山口など各地で弘教の金字塔を打ち立てていく。そして師の願業である「75万世帯」達成への突破口を開いていったのである。

◇男子部が新時代の立正安国の暁鐘を打ち鳴らす!
広布に生き抜けば、打ち破れない壁はない。この師の闘争を継承し、新時代の立正安国の暁鐘を高らかに打ち鳴らす!——男子部の闘魂が今、赤々と燃えている。
西方男子部長は誓う。
「今こそ池田門下の男子部が、『広布の誓願』を胸に『希望の哲学』を社会に広げ、新たな『師弟共戦の歴史』を築きます!」

◇今月、各地でオンライン男子部幹部会
全国各地で意気軒高に開催されているオンライン男子部幹部会。

〈神奈川・藤沢県〉
神奈川・藤沢県の幹部会は5日、ビデオ会議システムを活用して開かれ、60人が参加した。
使命の地で奮闘する山本陽介さん、松舘智之さん、大久保良哉さんが、苦難を打開しゆく決意を述べ、加藤宣明県男子部長は、今こそ師と共に前進する日々をと力説した。
布施湘南総県男子部長の後、鈴木東海道男子部長は「新しい時代をリードする励ましの連帯を築き、学会創立90周年の『11・18』へ勝ち進もう」と望んだ。

〈香川総県〉
一方、香川総県の幹部会は同日、SNSのライブ配信によって行われた。
家族で酒店を営む渡辺英二さんが、唱題根本に創意工夫を尽くし、コロナ禍による経済的な苦境を乗り越えた体験を語った。
中本総県男子部長は強盛な祈りで変毒為薬の実証をと強調した。
山本四国男子部長は「自身の心が変われば、周囲も、社会も、一切が変わる。今こそ私たちが立ち上がり、友の心に"希望の灯"をともす励ましを広げよう」と訴えた。

☆小説「新・人間革命」学習のために 「学生部」編
先駆の同志よ 広布に走れ
◇情熱たぎらせ、学びに学べ!
<第3代会長に就任した山本伸一は、1960年(昭和35年)6月、第3回学生部総会に出席し、学生部に期待を寄せた>
彼(伸一)は、政治も、経済も、科学も、その根底には偉大なる哲学、偉大なる宗教が必要であることを述べ、色心不二の生命哲理である日蓮大聖人の仏法こそ、真実の人間文化を創造する源泉であると訴えた。そして、偉大なる文化を建設する担い手には、偉大なる信仰、偉大なる情熱がなければならないと語り、青年の生き方に言及していった。
「今、皆さんが成すべきことは、大情熱をたぎらせ、人の何倍も勉強し、信仰の実践に取り組むことです。
鍛えを忘れた青春の果てには、砂上の楼閣の人生しかない。
決して、焦ることなく、未来の大成のために、黙々と学びに学び、自らを磨き抜いていっていただきたいのであります」(中略)
真実の平和と民主主義の社会の建設は、急進的で、破壊的な革命によってなされるものではない。
それは、人間一人ひとりの生命の大地を耕す人間革命を基調とし、どこまでも現実に根差した、広宣流布という漸進的な"希望の革命"によって実現されるのである。伸一は、最後に、祈るような思いで、こう話を結んだ。
「私は、皆さん自身が幸福になるとともに、人びとを幸福にしていく社会のリーダーになっていただきたいんです。それが、最大の私の願いです。皆さんに、私の後を継いでいただく以外に、広宣流布の道はないからです。頼みますよ」
彼は、学生部の未来に限りない期待を寄せていた。
彼らこそ、新しき哲学の旗を掲げ、人間主義の文化を建設する使命をもった先駆者にほかならないからだ。
(第2巻「先駆」の章、47〜48ページ)

◇「友情」の広がりが世界を結ぶ
<61年(同36年)6月、第4回学生部総会で伸一は、語学を磨き、世界にたくさんの友人を作ってほしいと述べる。そうして、築いた友情が、人間同士の信頼となり、世界平和の構築へとつながると語る>
「平和といっても、人間と人間の心の結びつきを抜きにしては成り立ちません。皆さんが世界の人びとと、深い友情で結ばれ、そのなかで、友人の方が、皆さんの生き方に感心し、共感していくなら、自然と仏法への理解も深まっていくものです。
この課題を担うのは、語学をしっかり学んでいる人でなければ難しいので、特に、学生部の皆さんにお願いしたいんです。世界の方は、一つよろしくお願いいたします」(中略)
世界を友情で結べ——さりげない言葉ではあるが、そこには、仏法者の生き方の本義がある。
仏法は、人間の善性を開発し、人への思いやりと同苦の心を育む。それゆえに仏法者の行くところには、友情の香しき花が咲くのである。
そして、布教も、その友情の、自然な発露にほかならない。
この総会に集った学生部員の多くは、口角泡を飛ばして宗教を論ずることのみが、仏法者の姿であると思っていた。
もちろん、教えの正邪を決するうえでは、それも必要なことではあるが、一面にすぎない。
伸一は、次代を担う若き俊英たちが、宗教のために人間があるかのように錯覚し、偏狭な考えに陥ることを心配していた。
柔軟にして、大海のような広い心をもってこそ、まことの仏法者であるからだ。
彼は、学生部という若木を、おおらかに、すくすくと育てたかった。
(第4巻「青葉」の章、211〜213ページ)

◇仏法と他思想の比較研究を
<62年(同37年)7月、第5回学生部総会が行われた。伸一は講演の中で、世界の思想・哲学と仏法を比較する探究の心こそ大事であると述べる>
「私は、学生部の皆さんには、日蓮大聖人の仏法と、実存主義やマルクス主義といった思想・哲学と、どちらが偉大であるのかを、徹底的に究明していってほしいのです。
どちらが人間の生命の全体像を正しく把握しているのか、人間の苦悩を根本から解決し得るのか、現実生活のうえではどうなのか、現証の面からはどうなのかなど、大胆に、冷静に、独断に走ることなく、比較研究していってもらいたいのです。
そして、"人類を救い得る世界最高の哲学は、確かにこれしかない"と確信したならば、その信念にしたがって、仏法の大哲理を胸に、民衆の味方となり、不幸な人びとを救うために、生涯、生き抜いていただきたい」
伸一には、仏法への絶対の確信があった。学生部員が、本腰を入れて、日蓮仏法と他の思想・哲学との比較研究に取り組むならば、早晩、その高低浅深は明らかになることを、彼は十分に知悉していた。しかし、当時、学生部員のなかには、その確信をもてないメンバーが少なくなかったのである。(中略)
学生部員の多くは、マルクス主義も、仏法も、徹底して掘り下げることをしなかったために、確信をもって語りきることができないでいた。
伸一は、学生ならば、強い探究心をもってほしかった。
探究なくしては、仏法の大哲理の真実の価値も、わからないからだ。さまざまな思想・哲学と比較相対すればするほど、その真価が明らかになるのが仏法である。
(第6巻「若鷲」の章、327〜329ページ)

◇苦難への挑戦に人生の醍醐味
<78年(同53年)6月30日、学生部結成記念幹部会が行われ、学生部歌「広布に走れ」が発表。伸一は学生部に託す思いを訴えた>
「諸君のなかには、さまざまな苦悩を抱えて悶々としている人もいると思う。そして、いつか、苦悩など何もない、今とは全く異なる、きらびやかな人生が開けることを、欲している人もいるかもしれない。
しかし、人生は、永遠に苦悩との戦いなんです。悩みは常にあります。要は、それに勝つか、負けるかなんです。何があっても負けない自分自身になる以外に、幸福はない。どんなに激しい苦難が襲い続けたとしても、唱題しながら突き進み、乗り越えていく——そこに、真実の人生の充実と醍醐味があり、幸福もあるんです。それが、本当の信仰の力なんです。
その試練に立ち向かう、堅固な生命の骨格をつくり上げるのが、青年時代の今です。学会の世界にあって、進んで訓練を受け、自らの生命を磨き鍛えていく以外にないんです。二十一世紀の大指導者となる使命を担った諸君は、苦悩する友人一人ひとりと相対し、徹して励まし、仏法対話し、友を触発する指導力、人間力を、仏法への大確信を培っていってください。
戸田先生は、青年たちに、常々、『次の学会を頼む』と、最大の期待を込めて言われていた。私は、そのお言葉通りに歩んできたつもりであります。
同様に、今度は、諸君の番です。私は、万感の思いを込めて、『二十一世紀を頼む!』と申し上げておきたい。妙法の世界一の学徒集団として、人間味あふれる創価家族の、期待の後継者として、どこまでも仲良く、民衆のため、庶民の幸福のために生き抜き、新しき世紀を築いていっていただきたい」
(第28巻「広宣譜」の章、29〜30ページ)

◇学生部の使命
1973年(昭和48年)、学生部との記念撮影で伸一は、学生部の使命を示す。
大学という最高学府に学ぶ意義は、庶民の上に君臨するためではない。
民衆に仕え、民衆を守り、民衆を幸福にしていくためです。