仕事で苦闘する友よ!
「なにの兵法よりも
法華経の兵法」だ。
広布誓願の祈りから
智慧と勇気と生命力を!
単衣抄 P1514
『三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間或は寺を追い出され或は処をおわれ或は親類を煩はされ或は夜打ちにあひ或は合戦にあひ或は悪口数をしらず或は打たれ或は手を負う或は弟子を殺され或は頚を切られんとし或は流罪両度に及べり、二十余年が間一時片時も心安き事なし』
【通解】三十二歳の(立宗の)時から今年五十四歳になるまでの二十余年の間、ある時は寺を追い出され、ある時は住処を追い出され、ある時は親類を苦しめられ、ある時は夜討ちにあい、ある時は合戦にあい、あるいは悪口を数知れず言われ、ある時は打たれ、ある時は傷を負い、ある時は弟子を殺され、ある時は首を切られようとし、あるいは二度も流罪に処せられた。この二十余年の間は、一時片時も心安らかなことはなかったのである。
名字の言 藤井新棋聖は「闘争心の塊」 2020年7月18日
将棋の八大タイトルの一つである棋聖戦で、藤井聡太七段が、「現役最強」といわれる渡辺明棋聖に勝利した。17歳11カ月でのタイトル獲得によって、従来の史上最年少記録が30年ぶりに更新された▼プロ棋士としてデビューしてから29連勝を飾るなど、数々の記録を樹立してきた。師匠の杉本昌隆八段は、弟子の藤井新棋聖について「闘争心の塊」と述べている。「負けた悔しさを次の対局にぶつけて成長した」▼棋士の羽生善治九段は、将棋の勝負を決するのは、「『負けたくない』と思う気合い」「努力しても勝ちに恵まれないときにも持ちこたえる根性」など、今の時代には評価されない「泥臭い能力」が大きい、と指摘する(『羽生善治 闘う頭脳』文春文庫)▼「負けたくない」という心の強さ——その重要性は、盤上だけに限らない。御聖訓には「然どもいまだこりず候」(御書1056ページ)と。いかなる試練に遭遇しようとも、そこから立ち上がる「不屈」の強さが、私たちの信仰の真髄だ▼将棋の駒の「歩」は1マスずつ前に進み、敵陣に入ると「金」と同じ働きをする。日々の生活においても、一歩また一歩と、自らが掲げた目標へ向かって、挑戦を重ねていきたい。その「負けじ魂」の苦闘が、わが黄金の歴史に変わっていく。(燦)
寸鉄 2020年7月18日
青年は真剣勝負で自分を鍛えよ—恩師。世界青年部総会へ錬磨の日々を!
東西の学園で「栄光の日」学びの青春に勝利あれ!負けじ魂で朗らかに進め
「一筋に信じ給ふならば・現世安穏」御書。地道に純真に。これ幸福の直道
首都圏中心に感染者が増加傾向。新しい生活様式皆で実践し強力に定着を
迷惑メール、在宅増えた5月以降に急増と。不審な内容は開かずに即削除
☆心に御書を 第59回 仏の大生命はわが胸中に
〈御文〉
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり』(法華初心成仏抄、557ページ)
〈通解〉
わが己心の妙法蓮華経を本尊と崇めたてまつり、わが己心の中の仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれてあらわれるところを仏というのである。
〈指針〉
人間を強く賢く善くする仏法だ。自身を尊極な存在に高める唱題行だ。大聖人と同じ仏の大生命を、我らの胸中に呼び起こせる題目なのである。
強き祈りで、大宇宙に遍満する妙法の力用を、わが心身に満々と湛えゆくのだ!
梵天・帝釈、仏菩薩の仏性を涌現させ、家庭に地域に社会に断固として蘇生の波動を!
☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 2020年7月11日
◇御文
『日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給わん事疑いなし』(松野殿御返事、1390ページ)
◇通解
たとえ、日や月が地に落ち、須弥山が崩れることがあったとしても、かの女性が仏に成られることは疑いない。
◇教えて
自分に対して、なかなか自信が持てません。
◇池田先生の指導
若くして妙法を受持した乙女が幸せにならないはずがあろうか。
広布の誓いに生き抜く青春は、必ず無限の福運の力が涌現する。必ず自分らしく輝き、自分でなければ果たせぬ使命に生き切っていけるのだ。
これが「自体顕照」である。その自身の生命の光が、周りをも幸福に照らしていくのだ。(『随筆 輝く民衆の大城』)
◇ ◆ ◇
「信心」とは「信じる心」「信じ抜く心」です。
御本尊と自分が一体であると信じ、題目を唱え続け、前進していくところに、必ず必ず、希望と幸福と勝利の道が限りなく開かれていくのです。
「生命の可能性を信じ抜こう!」。そして「自分と皆の可能性を思う存分、発揮しよう!」——これこそが世界中の同志の合言葉であり、わが後継の皆さんに託しゆく「創価の心」なのです。(2019年5月号「未来ジャーナル」掲載の「誓いの明日へ——日蓮門下を語る」)
〈社説〉 2020・7・16 「立正安国論」の提出760年 2020年7月16日
◇エゴを超え自他共の幸福へ
わずか半年余りのうちに世界で57万人以上の尊い生命が失われた(15日現在)。新型コロナウイルスの地球規模の感染拡大で、人類は未曽有の危機の中にある。社会的、経済的なダメージも深刻だ。
また今月、記録的な大雨が九州や東海地方などに甚大な被害をもたらした。復旧へ懸命の戦いが続いている。
この度のコロナ禍、および豪雨災害による犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、大変な困難の中、忍耐と苦闘の日々を送られている全ての方々に心よりお見舞いを申し上げたい。
今日、あらゆる人々の安穏と国土の安全——すなわち「安国」は、誰もが切実に願うところではあるまいか。
13世紀の鎌倉時代、「立正安国論」を著された日蓮大聖人が直視されたのは、「天変地夭・飢饉疫癘」(御書17ページ)という大災難に喘ぎ苦しむ民衆の姿であった。この悲惨な現実をわが事とし、「胸臆に憤?す」(同ページ)と同苦し、何としても民を救いたいと立ち上がられたのだ。
「立正安国論」の終盤に、主人が客人に呼び掛けた重要な言葉がある。
「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か」(同31ページ)
苦悩に満ちた現実を生きる上で、「一身の安堵」を願わない人はいない。しかし、それが他者の存在を忘れてエゴにとらわれたものであれば、結局、自分の安心さえ得ることはできない。一人一人がエゴを克服して「自他共の幸福」を祈り、支え合っていく行動が基盤となってこそ、本当の意味で「安国」——"世界を静穏ならしめる"ことができるのだ。
創価学会は、この「立正安国」の精神を受け継ぐゆえに、これまで幾多の災難の中でも、復興支援のボランティアへの取り組みや、"誰も置き去りにしない"との励ましを推進してきたのである。
20世紀を代表する大歴史家トインビー博士は、池田先生との対談で、「人間一人一人が、それぞれの自己中心性を克服していかなければなりません」と指摘し、そのために宗教の使命を強調した。
「宗教のみが、人間本性の働きのなかにあって、個人的にも集団的にも、自己を克服するよう人間の心に働きかけてくれるものなのです」と。
自己の超克とは、個人における「人間革命」といってよい。と同時に、それは集団的レベル、つまり人類社会の変革をも促すものなのである。私たちが日々、「自他共の幸福」を祈り、広宣流布へ進む実践には大きな意義と使命がある。
きょう7月16日は、大聖人が「立正安国論」を提出されて760年の節目。自分のいる場所から、勇んで「立正安国」への祈りと行動に踏み出したい。