2020年7月9日木曜日

2020.07.09 わが友に贈る

荒天の日々が続く。
「無冠の友」の皆様
配達は決して無理せず
くれぐれも安全第一で!
絶対無事故を祈ります。

上野殿御返事 P1575
『其の上わづかの小郷にをほくの公事せめあてられてわが身はのるべき馬なし妻子はひきかくべき衣なし。かかる身なれども法華経の行者の山中の雪にせめられ食ともしかるらんとおもひやらせ給いてぜに一貫をくらせ給へるは貧女がめおとこ二人して一つの衣をきたりしを乞食にあたへりだが合子の中なりしひえを辟支仏にあたへたりしがごとし、たうとしたうとし』

【通解】
そのうえ、わずかの領地なのに多くの公事を課せられて、自身は乗るべき馬もなく、妻子は着るべき衣もない。そのような身であるけれども、法華経の行者が山の中で雪に責められて、食物も乏しいことであろうと思いやられて銭一貫文を送られたことは、貧しい女が夫婦二人で一つの衣を着ていたのを乞食に与え、利叱(りだ)が器の中にあった稗を辟支仏に与えたようなものである。尊いことである。尊いことである。

名字の言 「HOW」から「WHY」「WHAT」の時代へ 2020年7月9日
かつて創価大学の第7回入学式で、池田先生が次のような論調を紹介した。現代社会の動向を巨視的に見ると、時代は「HOW(どのように)」から「WHY(なぜ)」「WHAT(何のため)」に移りつつある、と▼つまり、目的が自明の場合、人々の関心事は"どう効率よく達成するか"という「手法」ばかりになる。一方で、環境が激変し、価値観が根底から揺らいでいる時、人は"なぜ""何のため"という「生きる意味」を問い直すという趣旨だ▼入学式は43年前の話である。だが、コロナ禍が世界に広がり、「異常気象」がもはや"異常"とはいえない気候変動となって現れている今、この視点は現在の私たちにも十分当てはまる▼無論、医療・科学技術などを駆使し、確実に生命を守る施策は絶対に必要である。その上で、従来の生活様式や機構、考え方を再検討し、今一度、個々が生きる根本的価値を確立すべき岐路に立っているのではないか▼こうした放置できない重大な事態を「一大事」という。先生は仏法における「一大事」をこう説明した。「一」は原点。「大」は原点から遍満した生命の拡大や知恵の発現。「事」はその拡大や発現が事実と刻まれること、と。平和と共生の"原点"である仏法の思想を、今こそ時代精神へと高めゆく時である。(代)

寸鉄 2020年7月9日
弥信心をはげみ給うべし—御書。強盛に祈り進め。正義の哲理を勇敢に語れ
「岐阜県女性平和の日」。婦女一体の団結こそ前進の力。さあ励ましの声を
人生を"楽しむ"親の姿が子の好奇心を伸ばすと。信心の歓喜も必ず伝わる
流水で15秒手洗い—残存ウイルスは約1%に。基本の徹底が感染防止の鍵
局地的気象予測は技術の限界が—専門家。予断許さぬ豪雨。引き続き警戒

☆小説「新・人間革命」学習のために 第12巻
◇励ましこそ広布発展の原動力
<1967年(昭和42年)5月、山本伸一はアメリカ、ヨーロッパ各国の歴訪の旅へ。7年前に世界広布の第一歩を刻んだハワイでは、2000世帯を超えるメンバーが誕生するなど、大きく発展を遂げていた>
七年前を知る同行の幹部たちにとっては、まさに隔世の感があった。
だが、大発展にあらためて驚きはしたものの、その原動力がなんであったかを、誰も考えようとはしなかったにちがいない。それは、伸一の、同志一人ひとりへの徹底した励ましであった。組織といっても、あるいは運動といっても、それを支えているのは、一人ひとりの人間である。その人間が一念を転換し、使命に目覚め立ち、最大の力を発揮していくならば、すべてを変えることができる。
ゆえに、個人指導という、目立たぬ、地道な活動こそが、広宣流布の生命線を握る、最も重要な作業となるのである。
ハワイを初めて訪問した折にも、伸一は寸暇を惜しんで、幾度となく、メンバーと対話を重ねた。座談会でも質問会を行い、日本に帰りたいと泣きじゃくる人の言葉に耳を傾け、同苦することから、彼の行動は始まったのである。
ホテルでも、個人指導に余念がなかった。
ともかく、対話を根気強く、惜しみなく続け、使命の種子を植え、希望の風を送り、皆の一念を変えていった。(中略)
対話による一念の転換——そこに、勝利を打ち立てる一切の鍵がある。
(「新緑」の章、19〜20ページ)

◇感謝の心が歓喜に、勝利に!
<6月、群発地震が続く長野の松代を訪れた伸一は、松代会館での集いで指導する>
「人間は、一人では生きられない。また、個人というのは、どうしても弱くなってしまう。
だから、崩れざる幸福を築いていくためには、信心を切磋琢磨していくよき同志が、組織が、必要なんです。そう考えるならば、学会という、大聖人の御精神を受け継ぐ組織のなかで、信心に励めることがいかにすばらしいか、よくわかると思います。
ところが、活動が大変だとか、あの人が気にくわないとか、何かあると、すぐに愚痴をこぼし、文句や不平不満をいう人がいる」(中略)
「実は、その愚痴と文句が、信心に邁進してきた功徳、福運を、消すことになるんです。また、それは、歓喜を奪い去り、心をすさんだものにし、自分で自分を不幸にしていく。
反対に、『ありがたいな』という感謝の思いは、歓喜を燃え上がらせていきます。
そして、歓喜は自らの心を豊かにし、幸福にします。歓喜あるところ、力は倍加し、勢いが増します。歓喜ある前進のなかにこそ、人生と広布の勝利があるんです。
つまり、同じ御本尊に題目を唱え、同じように学会活動に励んでいたとしても、愚痴と文句の一念なのか、感謝の一念なのかによって、結果は全く違ってしまう。どうか、皆さんは、これから、ますます福運をつけていくためにも、感謝の心で、喜びをもって信心に励んでいただきたいのであります」
(「愛郷」の章、143〜144ページ)

◇差異の尊重が人間共和を促進
<伸一は10月、東京・信濃町の創価文化会館で、「ヨーロッパ統合の父」として知られるクーデンホーフ・カレルギー伯爵と対談する>
(伯爵は)感慨のこもった声で言った。
「あなたは、常に非難中傷されながら、日本中の、いや世界の、実に多くの敵と戦っていることを、私は知っています。しかし、偉大な人というのは、皆、そうです」(中略)
ナチス・ドイツに戦いを挑んで迫害を受け、亡命せざるをえなかったクーデンホーフ・カレルギー伯爵は、正義の旗を掲げ立った者の宿命を、知悉していたのだ。
伸一は、毅然として語った。
「今、私が、世界の多くの敵と戦っていると言われましたが、イデオロギーや宗教が異なっているからといって、私にとっては、本来、敵ではありません。
もちろん、暴力やテロは絶対に悪ですし、民衆を支配し、隷属化させる権力とは、どこまでも戦います。
しかし、人間の幸福、救済をめざす思想、宗教には、本来、人間を尊重するという共通項があります。それがある限り、必ず通じ合い、共感し合うはずであり、相互理解は可能であると思います。
さらに、仏法で説く、万人が等しく『仏』の生命をもっているという考え方は、人間を貫く、内なる普遍の世界を開示するものといえます。
人類がそこに着目し、人間の共通項に目を向けていくならば、分断から融合へと発想を切り替える、回転軸となっていくと確信しています。
また、宗教の違いによって生じた文化的な差異は、違いを認めるというだけでなく、むしろ尊重すべきです」
(「天舞」の章、282〜283ページ)

◇あきらめずに1ミリでも前へ
<創価学園の開校の年である1968年(昭和43年)12月、学園を訪問した伸一は、成績が伸び悩んでいる生徒との面談の場を持ち、真心の励ましを送る>
生徒たちは、教師から「山本先生が、成績不振者に会われる」と聞かされていたせいか、ばつが悪そうな顔で、部屋に入って来た。
伸一は、生徒を、笑顔で迎えた。
「緊張する必要はないよ。叱るために会ったんじゃないからね。ぼくは、君たちを勇気づけたいだけなんだ」
そして、それぞれの生徒に、悩んでいることはないか、体調はどうか、通学時間はどのぐらいかかるのか、家庭の状況はどうかなどを、丹念に尋ねていった。
伸一は、何か問題があれば、相談にのり、助言し、できる限りの応援をしたかった。
また、勉強以外にも、生徒一人ひとりがもっている、さまざまな可能性を引き出す機会にしたかったのである。
語らいのなかで、多くの生徒たちは、その伸一の心を感じ取っていったようだ。
「先生。勉強、頑張ります!」と、自ら誓う生徒もいた。
それを聞いた伸一は、にっこりと頷き、包み込むように言った。
「そうだ。そうだよ。頑張るんだ。一ミリでも、二ミリでもいい。決してあきらめずに努力して、前進していくことが大事だよ」(中略)
来た時は、暗い顔をしていた生徒たちが、帰りには、風呂上がりのように、さっぱりと、紅潮した顔をしていた。
生徒を激励する伸一の姿を見て、最も驚いたのは、教師たちであった。(中略)
伸一の面談は、生徒たちにとっても、教師たちにとっても、大いなる発奮の起爆剤となった。
後年、その生徒たちのなかから、大学教授も出ることになる。
(「栄光」の章、373〜375ページ)

◇「創価教育学体系」への称賛
<1930年(昭和5年)11月18日、初代会長・牧口常三郎の『創価教育学体系』の第1巻が発刊される。「栄光」の章には、学識者が同書に寄せた称賛の声が記されている>
牧口常三郎の創価教育学とは、一言でいえば、「人生の目的たる価値を創造し得る人材を養成する」知識体系といえる。
牧口は、教育の目的は子ども自身の幸福にあると主張し、社会人として幸福生活を営めるようにしていくことに、教育の役割があるとしている。
富国強兵策のもと、国家のための教育が行われてきた時代にあって、それは、まさに革命的な提唱であった。(中略)
創価教育学は、彼の三十余年にわたる学校教育の実践のなかで培われ、実証に裏付けられた教育法であった。つまり、それまでの、観念的哲学理論で構成され、実証性に乏しい教育学とは一線を画した、独創的な教育学説であった。
当時と時代状況が異なる現代では、具体的な改革案はそのまま採用できない面もあろうが、牧口の学説には、未来を照らす、人間教育の光彩があった。
『創価教育学体系』の第一巻には、当時の日本を代表する三人の学識者が序文を寄せている。
そのなかで、国際連盟事務局次長を務めた新渡戸稲造は、「現代人が其の誕生を久しく待望せし名著」と讃嘆している。
『創価教育学体系』を民俗学者の柳田国男は、こう賞讃している。
「他には容易に得難き独創の価値は、或は此の行詰まった現代教育界を打開するに足ると信じ、改めて之を推奨するに躊躇しないものである」
また、フランス社会学の研究家である田辺寿利は絶讃する。
「一言もってこれを約すれば、鞏固なる理論と長年月の実験とを基礎として創始されたる『創価教育学』は、現代の日本が最も要求するところの教育学である」
そして、こう記す。
「一小学校長たるファブルは、昆虫研究のために黙々としてその一生をささげた。学問の国フランスは、彼をフランスの誇りであるとし、親しく文部大臣をして駕を枉げしめ、フランスの名に於いて懇篤なる感謝の意を表せしめた。
一小学校長たる牧口常三郎氏は、あらゆる迫害あらゆる苦難と闘ひつつ、その貴重なる全生涯を費して、終に画期的なる『創価教育学』を完成した。文化の国日本は、如何なる方法によって、国の誇りなるこの偉大なる教育者を遇せんとするか」
ところが、仏法正義の旗を掲げ、人類の幸福と平和の実現に生き抜いた牧口は、国家神道を精神の支柱に戦争を遂行する軍部政府によって、投獄される。
そして、一九四四年(昭和十九年)十一月十八日、彼は獄死したのである。それは『創価教育学体系』第一巻の発刊から、ちょうど十四年後にあたっていた。
「軍国日本」は、この偉大なる教育者にして偉大なる仏法指導者を、"国賊"とし、「獄死」をもって遇したのだ。それは、未来永劫に消えぬ、日本国家の最大の汚点であろう。
(318〜321ページ)