2020年7月27日月曜日

2020.07.27 わが友に贈る

◇今週のことば
「いかなる病
さはりをなすべきや」
妙法の師子吼を響かせ
健康・無事故の日々を。
皆で励まし合いながら!
2020年7月27日

生死一大事血脈抄 P1337
『然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』

【通解】
さて、久遠実成の釈尊(日蓮大聖人)と、あらゆる衆生を成仏せしめる法華経(文底独一本門の大御本尊)と、私たち衆生との三つは、まったく差別がないと信じ理解して、南無妙法蓮華経の題目を唱えていくことを、生死一大事の血脈というのです。

名字の言 「五木の子守唄」に込められた力強い心 2020年7月27日
子守歌と聞けば、母親が子どもを寝かしつけるための愛情がこもった歌を思い浮かべる。だが、熊本・五木村に伝わる「五木の子守唄」の歌詞は、そうではない。経済的苦境のため、年季奉公に出された守子の娘たちが自らの境遇を歌っている▼「子どん可愛いけりゃ 守りに餅食わせ 守りが転くれば 子もこくる(子どもが可愛いのなら、守子に餅を食わせろ。守子が倒れてしまえば、子どもも倒れてしまう)」。歌詞には悲哀を嘆くだけでなく、不条理を乗り越えようとする力強さもある▼民俗学者の赤坂憲雄氏は「五木の子守唄」を「守り子たちの抵抗の唄」と評している。「幼い子守りの娘たちが、捨て身で、何か巨大な黒い影に向けて、孤独な戦いを挑んでいる姿が、ここにはある」と(『子守り唄の誕生』講談社現代新書)▼不遇のどん底にあっても、負けないと決めた時、人は底知れぬ強さを発揮することができる。小説『新・人間革命』第25巻「人材城」の章には、「五木の子守唄」を通して、「人間は誰もが力を秘め、そして、誰にでも、幸せになる権利がある」と▼最も苦しんだ人が、最も幸福になる——そのために、私たちの信仰はある。さまざまな困難と戦う一人一人を、断じて孤独にさせず、その「心」を力強く支えたい。(芯)

寸鉄 2020年7月27日
会長の著作には闇の中にある人を奮起させる力が—詩人。今日も胸に刻み
中部の日。広布の一番星が輝けば未来は一層輝く—希望拡大の主役は私と
青年部が「不戦の誓い継承月間」を前進。君らの手で悲惨の二字なき世界を
旧友と再び繋がる—心の若返りに効果と。電話やオンライン等を使い賢く
自分は罹らないから平気…この油断は感染の因。危険ある所は呉々も避け

☆きょう池田先生とゴルバチョフ氏(ソ連大統領)との会見30周年 2020年7月27日
きょう27日は、池田大作先生とソ連(当時)大統領であったミハイル・ゴルバチョフ氏との初会見から30周年。会見の経緯や意義を振り返るとともに、先生の日露友好の信念を受け継ぐ使命と展望について、創価大学の田中亮平副学長(国際担当)の声を紹介する。

◇日露友好の歴史開いた率直な対話
1990年7月27日、モスクワのクレムリンで行われた、池田先生とゴルバチョフ氏の歴史的な会見。
語らいは、氏が進めた「ペレストロイカ(改革)」の現状と意義、青年への期待などを巡って1時間10分に及んだ。
会見では、先生が「世界平和を愛する一人の哲学者として、大統領の訪日を念願しています」と語ると、氏は「絶対に実現させます」「できれば春に日本を訪れたい」と明言した。この発言は一大ニュースとして日本中を駆け巡った。先生の誠実な対話が日露友好の新たな一ページを開いたのである。
ゴルバチョフ氏は85年、最高指導者に当たるソ連共産党書記長に就任。経済改革や情報公開などを促進した。また、世界の緊張緩和に向け、対話を重視した「新思考外交」で西側諸国や中国、東欧に歩み寄った。
さらに氏は、核軍縮・廃絶に積極的に取り組む。しかし当初は"単なる宣伝"との心ない批判にさらされる。その中で先生は86年、ノーボスチ通信に氏の取り組みを支持する所信を寄稿。翌年にもソ連『新時代』誌が同趣旨の先生の論文を掲載し、英語やフランス語などでも紹介された。
氏の努力は実を結び、87年にアメリカとの間で中距離核戦力(INF)全廃条約が締結。89年にはマルタでブッシュ米大統領と冷戦終結を宣言し、世界規模の対立に終止符を打ったのである。
そうした世界史のうねりの中で行われたのが、先生とゴルバチョフ氏との会見だった。
冒頭、先生は「今日は大統領と"けんか"をしにきました。火花を散らしながら、なんでも率直に語り合いましょう。人類のため、日ソのために!」とユーモアを込めて発言。氏も「私も率直な対話が好きです。会長とは、昔からの友人同士のような気がします」と応じた。
会見で氏は、先生の掲げる人間主義の価値観と理想を評価。「ペレストロイカの『新思考』も、会長の哲学の樹の一つの枝のようなものです」と述べた。先生も、自身と氏の考えは「人間」を見つめるという共通性があると強調した。
氏は91年4月、約束通り日本を訪れ、池田先生と再会。以来、東京、大阪、モスクワで、合わせて10度の会談を重ねている。対談集『20世紀の精神の教訓』は、語らいの一つの結実である。
30年前の会見は、30年という歳月を経ても色あせることはない。個人の自由と尊厳、社会の平和と安穏に勝る価値はないという二人の信念は、21世紀に生きる人々の心を揺さぶり続けるだろう。

◇創価大学・田中副学長「創立者の精神を永遠に継承」
創立者・池田先生が築かれてきた日露友好の礎によって、創価大学にはロシアから絶大な信頼が寄せられています。
その大きな証しの一つが、2016年に「ロシアセンター」が本学に開設されたことです。これは大統領令によって設立された「ルースキー・ミール基金」が世界で推進する、ロシアの言語教育の推進と文化の普及に努める拠点です。
さらに、毎回の「日露学長会議」には馬場学長が招かれ、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長らと親交を深めています。
池田先生が初めてソ連(当時)を訪問されたのは1974年。翌75年には創価大学とモスクワ大学の間で学術交流協定が結ばれ、学生・教員の往来が始まりました。
これまで、本学の学生からは日本を代表する優秀な通訳や国立大学の教授ら両国の友好に尽くす人材が誕生しています。また、現・駐日ロシア大使のガルージン氏も本学の留学生の一人です。
本学にロシア語を学ぶコース(文学部外国語学科ロシア語専攻=当時)が開設されたのが、先生とゴルバチョフ氏との会見に先立つ90年4月であったことにも、不思議な時の符合を感じます。
ゴルバチョフ氏は本学を2度、訪問されています(93年、2007年)。93年には、先生の提案でライサ夫人と共に「ゴルバチョフ夫婦桜」を植樹されました。氏と先生の変わらぬ友情を象徴するかのように毎年、美しい花を咲かせます。本学の担当者が氏と連携をとるたびに"私の桜は元気でしょうか"と、いつも気に掛けてくださっているそうです。
氏は、ロシアセンターの開所式にも「今後も露日友好の輪を広げ、深めていってくれることを期待します」と祝辞を寄せてくださいました。
先生と氏との会見、そして本学の本格的なロシア語教育のスタートから30周年を迎えた今、ロシアの交流校は「12」に広がっています。これからも、各大学と協力しながら、ロシア文化への見識を日本で広めるとともに、日露友好に尽くす人材の育成に一層、力を注いでまいります。

☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第6回 高知
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「高知——おもてなしの心の清き流れ」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。近代日本の夜明けを開いた人材が、志高く立ち上がった高知。その「志」には、思いやりの心があり、人情味があふれる。試練の時代の今、人と人、心と心のつながりが一段と求められている。この時こそ、南国土佐に息づく、温かな「ホスピタリティー(心こもるおもてなし)」の精神に学びたい。

太陽は
 昇り照らして
  つくりゆく
 いのち輝く
  黄金の世界を

平安の歌人・紀貫之は、有名な『土佐日記』で「この人々ぞ、志ある人なりける。この人々の深き志はこの海にも劣らざるべし」と、心通う人たちのことを感嘆しておりました。
海よりも深い志に生きる人々の「志の国」すなわち「志国」こそ、四国であり、高知です。高知には、「いごっそう」の丈夫たち、そして「はちきん」の母たち、女性たちの強き志が輝いています。
佐川町が生んだ「日本植物学の父」牧野富太郎博士は、夫人と共に、苦難の連続のなか、「私は決して負けまい」という決心と、いのちへの「思い遣りの心」で、大きな志を果たしていきました。
南国土佐には、「ひとりで泣かんでえい」「一緒に笑おうや」と、苦楽を分かち合う"ぬくい"絆があります。
江戸っ子とも相通ずる、人情味あふれる高知の友が、私は大好きです。

◇不屈の巌のごとく
〈本年は、池田先生の高知初訪問から65周年。先生は信頼する高知の同志と共々に、民衆運動のスクラムを広げてきた思い出を述懐しつつ、地域に根を張り、人々から慕われる宝友の姿をつづった〉

雄大な太平洋に臨む高知の広い天地を、南国の陽光を浴びながら、黒潮の香りのする風に吹かれながら、車と列車を乗り継ぎ、駆け巡ったことは、今も忘れられません。
そうしたなかで語り合ってきたことは、家族を愛し、友を愛し、地域を愛して、自分らしく貢献していく人生を! ということでした。
真実の幸福は、どこか遠くにあるのではない。外から与えられるものでもない。身近な一人一人を大切にするところにあるからです。
高知の各地に、長い歳月、地域に根を張って皆に尽くし、皆から慕われる、元気で知恵ある宝の存在がおられます。
「この方あればこそ、この地の幸あり」と讃えられる父たち、母たちです。
幡多郡で、「地域の友の幸せのために、体当たりで尽くしていこう」と奔走した夫妻がいます。
「まず動く」ことを心がけ、悩める友がいれば、険しい山道もいとわず、海風すさぶ断崖の道も恐れず、激励に駆けつけました。
つらい時には、太平洋の彼方に赫々と太陽が昇り、大海原を金色に染めゆく光景を励みにして、「断じて負けない! あの雄々しい波のごとく、あの不屈の巌のごとく生きちゃる!」と立ち上がってきたのです。

私の妻がよく知る高知市の母に、保育園の園長先生がいます。
もともとの出発は、市から"農地を使って保育園を設立してもらえないか"と依頼されたことでした。農家に嫁いで、ようやく農作業にも慣れた頃のことです。
困惑したものの、「地域の皆さんに喜んでもらえるなら」とお受けしました。そして、血のにじむような努力を重ねて、娘さんと一緒に、"子どもの希望の城"の保育園を築いてこられたのです。
「一人一人の成長を願い、地道にかかわっていくならば、必ず子どもは大きく育つ」と。
保育園の体育館を地域に開放したり、高齢者福祉施設とのほほえましい世代間交流なども行ってきました。
亡くなった最愛のご主人と息子さんの分までもと、故郷の喜びを誉れとし、地域に寄り添って生き抜いてきたのです。
今では卒園生が父母となり、二世代目の子どもたちも入園して、明るい笑い声が地域に響いています。
「地域のお役に立てることに感謝、感謝です」と、婦人は笑顔で語っていました。

◇勝利の幸あれ
〈高知には、何ものにも代え難い自然の美が備わり、「おもてなし」という心の美が光っている。そこに流れる親切や誠実といった伝統を輝かせながら、高知がさらに発展しゆくことを念願し、池田先生はエッセーを結んだ〉

高知には、「おもてなし」という心の美が光っています。全国の県庁で唯一「おもてなし課」があるように、訪れた人々を真心で迎えるホスピタリティーの精神が、高知に満ちているのです。
「おもてなし」には、目に見える「モノ」と、心を表す「コト」があり、とくに心のこもった「コト」のサービスが重要であると言われます。心は目には見えません。しかし相手を思う心は、必ず相手の心に通じていくものです。
「おもてなし」の語源の一つは「裏表なし」とされます。そこに、親切や誠実という「志」が、高知の伝統の心として清らかに流れているように感じるのは、私一人ではないでしょう。
高知には、自然と人間、人間と人間が共生し育んできた、豊かな農があり、食があり、文化があります。
高知育ちの近代日本の科学者・寺田寅彦博士は、大好きだった祖母の姿で最も懐かしく思い起こすのは、糸車を廻している姿だと綴っています。
婦人たちは糸車を廻し手織機で織物を織るのを誇りと楽しみとしていました。そこには、どんな娯楽も敵わない「物を作り出すことの喜び」があったからです。
地味であってもよい、愛する人のため、愛する郷土のために、何か価値あるものを作り出そうと努める女性の働きに、どれほど皆が支えられてきたことか。それが、どれほど尊く気高い振る舞いであることか。
今、そうした祖父母や父母たちの志を受け継いで、高知のさらなる繁栄を志す若い世代が、仲良くスクラムを組んで、立ち上がっています。
「ああ紅の 朝明けて」「ああ暁鐘を 打て 鳴らせ」と高らかに歌い、新しい志国の夜明けを目指しながら!
高知の県民歌には、未来に進む土佐の凜とした心意気が表れています。
 「築き興さん 弥栄の土佐
  光はもゆる 光はみつる」
「高知」——その名も「高き知恵」の大地は、希望の光輝く大地「光地」でもあります。そしてまた、幸福の心薫る大地「幸地」でもあるのです。
この憧れの南国高知の天地に、平和の光あれ、勝利の幸あれと、私も妻も祈る毎日です。

晴れ晴れと
 幸福の太陽
   我が胸に

(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)