夏は友好を深める好機。
心通う多様なつながりが
安心・安全の社会を築く。
電話や手紙等も活用し
朗らかに絆を結ぼう!
立正安国論 P26
『天下泰平国土安穏は君臣の楽う所土民の思う所なり、夫れ国は法に依つて昌え法は人に因つて貴し国亡び人滅せば仏を誰か崇む可き法を誰か信ず可きや、先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし』
【通解】
天下案泰・国土安穏は君主・万民がひとしく願うことである。一体、国家は法によって栄え、法は人によって貴いのである。
国が亡び人々が滅するならば、仏を誰が崇めるであろう。法を誰が信ずるであろう。
まず国家の安泰を祈って、しかるのちに仏法を立てるべきである。もしそのような災難を防ぎ、国家繁栄の術があるなら聞きたいものである。
名字の言 どう生きるか。「海の日」に思う 2020年7月23日
♪海は広いな 大きいな……この歌い出しの童謡といえば、ご存じ「海」である▼この歌が小学校の音楽の教科書に載ったのは、1941年の春。同年12月、日本は太平洋戦争に突入した。♪海にお舟を浮かばせて 行ってみたいな よその国……(JASRAC出2006445—001)。日本は"軍国主義の帆"を揚げて"よその国"を侵攻した。同歌が戦意高揚に利用されたとする向きもある。それでも「海」は、子どもたちの憧れとともに歌い継がれてきた▼若き日の池田先生にとって海は、"いかに生きるべきか"を思索する場所だった。東京・大田区の森ケ崎海岸を親友と歩きながら、人生や哲学を語り合った。戸田城聖先生から世界広布を託されたのも、北海道・厚田の海を共に望んだ時である▼「この海の向こうには、大陸が広がっている」「世界へ行くんだ」——この恩師との約束を果たすため、池田先生は1960年10月2日、海を渡った。本年は60周年。後継の青年たちは今、オンラインでの世界青年部総会へと向かう。「広宣流布とは、民衆の幸福のため、世界の平和のための正義の大航海である」との師の信念のままに▼きょうは「海の日」。信仰と師匠という確かな羅針盤を持ち、使命の人生航路を進む幸福をかみ締めたい。(之)
寸鉄 2020年7月23日
道を開け! 道を創れ! 一切を勝利の劇に—恩師青年の使命は先駆の開拓
三重蘇生の日。師弟共戦の「この道」を未来まで。太陽の励ましを友の心に
WHO、日本提唱の「3密回避」を世界に呼び掛け。感染防止策さらに徹底を
ながら運転の厳罰化後、半年で人身事故が半減。"少しだけ"の油断大敵
赤ちゃん用フェースシールドに熱中症リスクと。窒息の危険あり。要注意
☆オンライン男子部幹部会への池田先生のメッセージ 2020年7月16日
◇友情・信頼の拡大で「立正安国」の鐘を
若き心と心を結び合う、結成記念の大会、おめでとう!
大きな時代の試練に雄々しく立ち向かう、君たちの尊き奮闘を、私は胸を熱くして見守っています。
それぞれに今、言い知れぬ苦労があるだろうけれども、全てが自分自身の生命の財宝となる。
私も、戸田先生の事業が最悪の苦境にあった時、自らの病気にも苦しみながら、題目を唱えに唱えて、阿修羅の如く戦い抜いた。それが、何ものにも負けない力となっています。
日蓮大聖人は、厳然と仰せになられました。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192ページ)、「ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候」(同1193ページ)と。
我らには、一切を勝ち開く「法華経の兵法」がある。
我らには、いかなる壁も打ち破る「師子王の勇気」がある。
我らには、何があっても励まし合う「異体同心の団結」がある。
どうか、大宇宙の究極の法則である妙法とともに、偉大なる生命力を発揮して、人生と社会の新たな価値創造の道を切り開いていってください。
そして、一人また一人、友情と信頼のすそ野を大きく広げながら、世界広布と立正安国の前進の鐘を、高らかに打ち鳴らしてくれ給え!
親孝行を忘れずに、家族を、職場を大切にしてください。
わが愛弟子に、健康あれ! 忍耐あれ! 絶対勝利あれ!
☆第3代会長就任60周年記念 広布史アルバム 第6回 昭和51年7月18日 「人間革命の歌」誕生
◇逆境の時こそ、使命の道を勇んで進め
誓いを貫きゆく正義の歌を。
師弟の魂あふれる勇気の歌を。
池田先生が「人間革命の歌」の制作を決めたのは、1976年(昭和51年)6月の末のことである。
当時、広布の伸展と共に、一部のマスコミによる、いわれなき中傷があった。また、宗門の悪侶らも、陰湿な悪口を浴びせ始めていた。障魔が蠢動する中、池田先生は、大切な同志が一人も漏れなく地涌の使命を果たし抜くため、歌の制作を開始した。
この歌を作った当時は、すでに第一次の宗門問題の兆しが現れていた時期であった。聖職者であるべき僧が、あろうことか信徒を見下し、かりそめの宗教的権威をかさに、民衆を支配しようとする策動であった。
それらが、私一人に向けられたものであれば、まだよい。大切な学会と学会員を守るためならば、私自身は、どんな批判の矢面にも立とう。
だが、ひたすら「僧俗和合」を願い、守りに守ってきた聖職者から、一方的にいじめられ、ののしられる庶民の悲しみ、苦しみ——それが、どれほど深く、大きなものであったか。
しかも、そうした悪侶の策謀に対する、やむにやまれぬ正義の声すら、表立ってはあげられないという厳しい時代であった。それでも同志は、「和合のために」と歯がみをする思いで、耐えに耐えてくださっていたのである。
そのけなげなる尊い友のために、はたして何ができるのか。私は人知れず、さまざまに思索をめぐらした。——「人間革命の歌」は、そうした背景のもとに生まれた歌である。
民衆をいじめ、僧衣の権威で縛りつけようとする悪侶らの陰険な言動——だからこそ私は、いわば新たなる「魂の自由」の歌、「幸福への前進」の歌を、全国の友に贈りたかったのである。
嵐吹きすさぶ時こそ、仏法者としての「人間革命」の好機ではないか。「地涌の同志」が、使命の道を勇んで開いていくべき、旅立ちの時ではないか、と。
先生が歌詞を作り終えたのは、7月16日。当初、18日の本部幹部会で、曲と共に発表する予定だった。しかし、曲が仕上がらず、先に歌詞のみが発表された。
「歌は、心で歌うものだ。そして心で聴くものだ」。作詞に取り組む私の脳裏からは、恩師の姿が、言葉が、瞬時も離れることはなかった。
——私は、恩師とともに、あの「人間革命の歌」を綴ったつもりである。
やがて歌詞はできたが、問題は曲のほうである。もとより専門的な音楽教育を受けたわけではないし、楽譜で音階を追うこともおぼつかない。曲の一応のイメージができあがると、周りの若い人の意見も確かめながら、少しずつ練り上げていった。
先生は、本部幹部会に出席した後、再びピアノに向かった。試行錯誤を重ね、やがて曲も出来上がった。しかし、先生は録音テープを聴くと、さらに、歌詞にも、曲にも、手直しを加えた。
そして、7月18日午後8時40分、ついに「人間革命の歌」が完成。歌詞と楽譜は、翌19日付の聖教新聞に掲載され、歓喜と決意の波動が列島を包んだ。
さいわいなことに、全国の友は、「人間革命の歌」を愛唱してくださった。私の「心」を受けとめてくださった。
しかし、その後、波浪は、さらに激しく学会に襲いかかってきた。一時期は、とうとう、この「人間革命の歌」をはじめ、いくつかの愛唱歌さえも歌えない、いな、歌ってはならないという状況になったことを、今なお覚えている方もおられるであろう。
だが、いかなる権威も、人間の心までは縛れない。会合の帰り道で、一日の仕事を終えてたどる家路で、友は「人間革命の歌」を口ずさみながら、あの苦しい日々を進んでくださったのである。
「人間革命の歌」は、どんな吹雪にも、胸を張って生きぬいていこうという心を歌ったものである。人生には、暴風雨があり、暗い夜もある。だが、それを越えれば、ふたたび、晴れた青空を仰ぎ見ることができる——。
冬の寒さを知る人こそが、春の暖かさを実感できる。苦しみが深かった分だけ、大きな幸福の朝が光るのである。
どんな「運命」も「価値」に転換していく人——それが、人間としての勝利者であり、王者であろう。
その王者の「前進の歌」となれば、これほどの幸せはない。
☆「如説修行」で平和の宝土を 原田会長を中心に各部代表者会議 2020年7月22日
世界広布新時代第76回の各部代表者会議が21日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、冒頭、世界全体が大きな困難と変動に立ち向かう中、異体同心の団結で進む同志の奮闘に感謝。とりわけ今春、社会に躍り出た友に「今の苦労は、全部、未来に偉大な使命を果たす滋養となり、福運となる」「若き同世代の友の勇気の旗頭となって、一緒に新時代を創造していこう!」と呼び掛けた。
次いで、目に見えない不安に覆われた世界にあって、人間自身を「強く」「善く」「賢く」する太陽の大仏法がいよいよ渇仰されていると強調。御聖訓「此の法華経には我等が身をば法身如来・我等が心をば報身如来・我等がふるまひをば応身如来と説かれて候へば、此の経の一句一偈を持ち信ずる人は皆此の功徳をそなへ候」(御書1402ページ)を拝し、ありのままの無作三身の生命で、仏の力と智慧と慈悲の振る舞いを発揮しゆく創価の大連帯こそ、人類の希望の光であると訴えた。そして、その先頭に立つ地涌の自覚も深く、桜梅桃李の多彩な同志を一人一人、こまやかに大切にしながら、いやまして勇猛精進をと望んだ。
続いて、九州をはじめ各地の豪雨被災者に改めてお見舞いを述べ、支援に尽くす友の献身をねぎらいつつ、戸田城聖先生と共に心肝に染め抜いてきた「如説修行抄」の一節「妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず」(同502ページ)を拝読。いかなる災難も「変毒為薬」し、民衆の幸福と安穏と和楽、平和と共生と繁栄の宝土を築きゆく「立正安国」の勝利へ、共々に「忍辱の鎧を著て」(同ページ)、今一重の「如説修行」を決意し合おうと述べ、メッセージを結んだ。
原田会長は、1970年(昭和45年)4月2日の戸田先生の十三回忌法要で、池田先生が障魔との攻防の矢面に立ち、同志を守りに守りながら、亡き師匠に広宣流布の勝利を報告した歴史に言及。
池田先生の師弟不二の大闘争によって、学会はあらゆる三障四魔を勝ち越え、世界宗教へと飛翔を遂げたと述べ、後継の池田門下の我々は、未聞の災難が覆う今こそ、"師の構想を必ず実現する"と決め、勇気凜々と智慧を湧かせて、「弟子の勝利」の実証を示しゆこうと呼び掛けた。
また長谷川理事長、谷川主任副会長があいさつした。