目の前の山を登ろう!
「未来の果」は
「現在の因」にあり。
勝利の頂を目指して
悔いなき今日一日を!
蓮盛抄 P153
『仏は文字に依つて衆生を度し給うなり』
【通解】
仏は文字によって人々を救うのである。
名字の言 歌舞伎囃子の九代目田中佐太郎氏。芸の品格を高めるには? 2020年7月14日
"もし彼女がいなかったら今の歌舞伎囃子はない"と評されるのは、歌舞伎囃子田中流の九代目田中佐太郎氏。十一世家元・傳左衛門の三女として生まれ、半世紀にわたり舞台に立つ一方、後進の育成にも力を尽くしてきた▼氏は、人間国宝の父から"陰の正直であれ"と、よく言われたという。人が見ていようがいまいが勉強し、努力を欠かさない。それが必ず舞台に生きてくる、と▼例えば舞台に設けられた小部屋「黒御簾」での効果音の演奏。人目がないからと油断すれば、鼓を構える肘が下がったり、太鼓の撥を取る時に雑音が出たりする。そうした姿勢は、必ず演奏にも表れる。技術だけではなく「見えないところにも心を配ることで芸の品格が育つ」(『鼓に生きる』淡交社)▼日蓮大聖人は、苦難と戦う四条金吾に「仏法の中に内薫外護と申す大なる大事あり」(御書1170ページ)と仰せになった。「内薫」とは、妙法の実践によって生命に内在する仏性が内から薫り出てくること。その内薫によって外から守り助ける働きが現れることが「外護」だ▼厳しい局面こそ、自らがやるべきことに徹する。自分の外に禍福の因を求めるのではなく、自身の挑戦によって道を切り開いていく。不屈の心こそ、日蓮仏法の真髄である。(誼)
寸鉄 2020年7月14日
この世の悲惨をなくす中に仏法の実践があるのだ—恩師。立正安国の道を
岩手の日。愛する郷土に希望拡大!開拓魂燃える人間王者はスクラム固く
石川婦人部の日。誓願に生きる創価の幸の太陽。さあ地域に友情の光を!
青年部、オンライン会合で普段より参加者増。新たな活動様式、皆で工夫
前向きな心はアレルギー等の症状を改善—研究。楽観主義こそ健康の良薬
☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第3回 幸福をつかむ信心〈上〉 杉本総合婦人部長
「紙上教学研さん『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」では、今回から2回にわたり、「創価学会 永遠の五指針」の一つである「幸福をつかむ信心」について、杉本総合婦人部長と共に研さんします。(〈下〉は18日付に掲載の予定。前回は6月20日付に掲載。池田先生の講義は『創価学会 永遠の五指針』から引用)
◇池田先生の指導
祈りとは、負けじ魂です。
祈りとは、無限の希望です。
祈れることが最大の幸福であり、
人間としての最高の尊厳なのです。
1.「与えられる」ものではない
今、各地で教学や小説『新・人間革命』の研さんが活発に行われています。
日本だけでなく各国の婦人部、そして各部の同志が、研さんを通して信心を深め、さまざまな困難と戦っています。
私たちは、今こそ池田先生のご指導を真剣に学び、絶対的幸福境涯を築く仏法の「人間主義の哲学」を心に刻んでいきたいと思います。先生は、今回学ぶ講義の冒頭で、次のように言われています。
■池田先生の講義
日蓮大聖人の仏法の目的は何か——。
人間は、幸福になるために、この世に生まれてきました。不幸になりたくて生まれてきた人は誰一人としていません。ゆえに「幸福」は、古来、哲学の根本命題でした。そして、宗教は、本来、人間の幸福のためにこそ存在するのです。
◇
戸田先生は、「幸福をつかむ信心」と言われました。この「つかむ」という一言には、深い深い哲学があります。
幸福は、他の誰かから与えられるものではない。自分の意志や努力とは無関係に、いつか突然やって来るのを待つのでもない。究極は、各人が、自分自身で「つかむ」しかありません。必ず「つかむ」ことができる信心なのです。
—◆—
本当に大切なご指導だと思います。
大聖人の仏法は、誰かに「救ってもらう」ものではありません。「幸福にしてもらう」ものでもありません。
全ての人に金剛不壊の仏の生命が具わっており、自らがそれを輝かせていくことを教えています。幸福を開く力は、自分の中にあるのです。
各国のSGIメンバーとお会いすると、多くの方が、「宿命転換」「人間革命」の哲学に感動して入会したという話をされます。「自らを卑下し、不幸や苦難を『運命』と諦めていた自分が、仏法に出合って変わりました。幸福になりました!」——そう語る笑顔は、まぶしいほど輝いています。
「自分は変えられる。自分の家庭も、地域も、社会も必ず変えていける」
この人間革命の哲学こそ、世界の人々の希望であることを実感します。
2.相対的幸福と絶対的幸福
池田先生は「幸福」の意味について、御書を通して教えてくださっています。
【御文】
法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし(中略)苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ(四条金吾殿御返事、御書1143ページ3行目〜6行目)
【現代語訳】
法華経を持つこと以外に、遊楽はない。(中略)苦しいことがあっても、苦は避けられないと見極め、楽しきことは楽しきことと味わい、苦も楽もともに思い合わせて南無妙法蓮華経と唱え続けていきなさい。
■ 池田先生の講義
私たちが「つかむ」べき幸福とは、いかなる幸福でしょうか。
戸田先生が教えてくださった仏法の幸福観の要諦は、二点ありました。
一つは、「相対的幸福」に対する「絶対的幸福」という幸福観です。
これは、生活の豊かさや健康などの相対的幸福を否定しているのではありません。仕事も大事、健康も大事、生活の向上も大事です。それらを勇敢に勝ち取りながら、仏法の実践によって、何ものにも壊されない、「生きることそれ自体が楽しい」という絶対的幸福境涯を開き、「常楽我浄の人生」を築いていくことを呼び掛けられているのです。
—◆—
幸福の内実は、外からは見えません。幸せそうに見えても、そうではない人もいます。心から満足し、充足感を持って日々を生きているかどうか——それは、本人にしか分かりません。
長い人生には、つらいことも、悲しいこともあります。信心で幾山河を越え、絶対的幸福の大境涯を開いてきた"創価の母"が、学会には大勢おられます。
北海道の夕張で、病と闘う婦人部の大先輩も、その一人です。かつて訪問した折、先生と共に戦ってきた夕張の歴史を、誇り高く語ってくださいました。
ご主人は炭鉱の作業員でした。爆発事故も経験しました。以来、地下1000メートルにまで染み込ませる思いで題目をあげ、夕張広布に生き抜いてこられました。
今は、がんで闘病中ですが、「毎日、感謝、感謝なんです」と言われます。
「大丈夫。御本尊様は解決できないことを絶対に出さないよ」「早く学会活動がしたいなあ。人に会って、話を聞かせてもらうの。がんは私の武器ですから。『大丈夫』。その一言を届けてあげたい」
信心への不動の確信。「友のために」との太陽のような温かな心。こうした姿にこそ、「絶対的幸福」の実像があると思えてなりません。
3.苦しい時も楽しい時も題目
先生はまた、「強い生命力」こそが幸福の源泉であり、「祈り」こそが一切の根本であることを示されています。
■ 池田先生の講義
法華経は、この世界を「衆生所遊楽」と説きます。しかし、苦悩多き娑婆世界は、弱い生命力では遊楽していくことはできない。ゆえに信心で仏界の生命を涌現し、生命力を強くするのです。強い生命力を発揮すれば、起伏に富んだ人生の坂も悠々と楽しみながら上っていける。さまざまな困難や苦労も"お汁粉に入れるひとつまみの塩"のように、人生の喜びを増してくれるものに変えていくことができるのです。
こうした人生の醍醐味を、皆が味わってほしいと、恩師は常に願われていました。
◇
どんなに苦しくとも、ひたぶるに御本尊に祈り抜けば、そこから必ず活路は開かれます。
祈りとは、負けじ魂です。
祈りとは、無限の希望です。
祈りとは、絶対の安心です。
祈りとは、不屈の前進です。
祈れることが最大の幸福であり、人間としての最高の尊厳なのです。
次に「自受法楽」とあります。法楽(法の楽しみ)を自由自在に自ら受けきっていける、まさに仏の境涯です。
絶対の法に則り、揺るぎない確信に立った幸福な人生を歩める。他の誰でもない、自分自身が必ずそうなるのです。
—◆—
祈りの力が、どれほど偉大か——。多くの同志の姿、また、自分自身の体験を通して、そのことを実感してきました。
私は中学生の時、人材育成グループ「未来会」の一員として、初めて池田先生とお会いしました。その頃から現在まで、ずっと「題目ノート」を書き続けています。もう23冊になりました。
ノートには唱えた題目の時間と、その日にあった出来事を記しています。見返してみると、「60分」「120分」と書いた日もあれば、「5分」「10分」という日もあります。空白の日もあります。
また、うれしかったことの記述もあれば、悲しかったことが、涙の跡と一緒に書き残された日もあります。
音楽大学の学生だった女子部時代、進路について悩み、池田先生に質問をしたことがあります。先生は言われました。
「大音楽家になっても、必ずしも幸せになれるとは限らない。また、退転しては何にもならない。大事なことは、福運を積むことだ。それが幸福になる道です」と。
私にとっての原点です。福運の源泉こそが、題目です。学会活動です。
偉大な師匠と共に、多くの尊き同志と共に、広布の道を歩めることが、どれほど幸せなことか。そのことに、感謝の思いは尽きません。
4.一番、苦しんだ人が一番、幸福に
今、コロナ禍による不況で、経済的な困難に直面している方もおられます。また、病気や家庭の問題などで悩んでいる方もいると思います。先生は、"学会は永遠に、苦しんでいる人の味方である"と訴えられています。
■ 池田先生の講義
生活の変革に勝る真実はありません。
宿命の転換に勝る証明はありません。
先師・牧口常三郎先生が明察された通り、仏法は「生活法」です。人生の荒波を勝ち越える力です。無上最高の幸福に至る道です。
戸田先生は、呵々大笑されていました。
「貧乏人と病人の集まりの何が悪い。一番、不幸な人びとに寄り添い、その人たちを救ってこそ、本当の力ある宗教ではないか! 学会は一番の庶民の味方だ」
恩師の師子吼は、いわゆる"貧・病・争"という民衆の不幸の因を根絶せんとする偉大なる人権闘争の大宣言でありました。
—◆—
かつて「大白蓮華」に掲載された婦人部の方の体験が、忘れられません。
その方は1953年(昭和28年)に入会。しかし、和楽の家庭とはほど遠く、5人の子どもを抱えた生活は苦しいままだったそうです。
深い悩みの中、学会本部を訪れ、初対面の青年から励ましを受けました。3時間も身の上話を聞いてくれた後、その青年は言ったそうです。
「あなたのお子さんは、皆、いいお子さんです。お子さんに希望を持って頑張ってください。家のいたるところに、『希望』『希望』『希望』と書いて、貼ってください」
60年5月3日、池田先生の第3代会長就任式に参加して驚きました。なんと、新会長はあの時の青年だったのです。
以来、どんなに苦しい時も、池田先生の「希望!」との言葉を胸に生き抜いてきました。
5人のお子さんは立派になり、多くの孫やひ孫に囲まれ、最高の幸福境涯を築かれました。
先生の真心の言葉、温かな励ましが、どれほど多くの人の人生に光をともしてきたことでしょうか。
今、世界には宿命に負けず、「大丈夫! 私は勝てる!」と、希望を胸に困難に立ち向かう同志がたくさんいます。
私たちもまた、悩み、苦しむ友に希望を送る存在でありたいと思います。
■ 池田先生の講義
一番、苦しんだ人が一番、幸福に!
誰人も、幸福になる権利がある。仏法は、最も苦しんでいる人の最大の味方です。
我ら創価学会が「永遠に民衆の側に立つ」ことは、民衆を不幸にする根源の悪と戦い続け、万人を幸福にする信念の証なのです。