2020年7月12日日曜日

2020.07.12 わが友に贈る

◇今週のことば
「立正安国」の旗を
世界の友と高らかに!
生命尊厳の法理と
開かれた対話で
人類共生の新時代を!
2020年7月12日

佐渡御書 P956
『魚は命を惜む故に池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむしかれどもゑにばかされて釣をのむ鳥は木にすむ木のひきき事をおじて木の上枝にすむしかれどもゑにばかされて網にかかる、人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし』

【通解】
魚は、命を惜しむために、栖としている池が浅いことを嘆いて、池の底に穴を掘って棲んでいます。しかし、餌に騙されて、釣り針を呑んでしまいます。鳥は、栖としている木が低いことを恐れて、木の上枝に棲んでいます。しかし、餌に騙されて、網にかかってしまいます。
人間も、また、これと同じことです。世間の浅い物事のために、身命を失うことはあっても、大事な仏法のためには、身命を捨てることが難しいものです。故に、仏になる人もいないのであります。

名字の言 震災の記憶をつなぐ「ど根性ヒマワリ」 2020年7月12日
鉢植えで育てていた「ど根性ヒマワリ」が今年も咲いた。ベランダが明るくなり、梅雨のうっとうしい気分が吹き飛んだ▼東日本大震災が起きて迎えた最初の夏(2011年)。がれきの中から茎をねじ曲げながらも懸命に伸び、大輪の花を咲かせた「ど根性ヒマワリ」は、被災者の生きる希望となった。その1世の種は希望のメッセージとともに各地に広がり、今年咲いたのは10世となる▼なぜ1世、2世、3世と数えるのか。ど根性ヒマワリを見つけた被災者は言う。「例えば50世になり、子どもたちが『なぜ50世なの?』と尋ねた時、『50年前、大震災が起こって……』と震災の話ができます」。震災を忘れず、次代へつなぐ大切なツールでもある▼背丈が大きく伸び、花の部分が重いヒマワリは太い茎でも支えきれずに折れたり、風で簡単に倒れたりする。今年は支柱を立てたので事なきを得たが、「大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず」(御書1468ページ)。支えるものが強ければ倒れない▼コロナ禍も大雨被害もそうだが、支え合う心が希望となり、生きる力となる。支え合う心は、相手の状況を「人ごと」ではなく「自分ごと」と捉える想像力から生まれる。ヒマワリの花言葉は「あなたは素晴らしい」である。(川)

寸鉄 2020年7月12日
「仏法の根本は信を以て源とす」御書。確信の祈り貫け。ここに常勝の軌道
総東京の「婦人部 幸福・勝利の日」「青年部の日」。本陣は絆固く立正安国へ
戦いは既に始まった。一瞬一瞬が戦いだ—詩人。出会い一つも真剣勝負で
大雨影響し各地の農作物に被害。農漁光部の皆様、負けるな!変毒為薬祈る
感染対策には免疫力向上も大切—医師。睡眠・食事・運動等をバランス良く

☆小説「新・人間革命」学習のために 第14巻
◇自他共の幸福築く学会活動
<1960年代末から学生運動は過激化していく。ある学生部員は、運動に身を投じていたが、民衆と遊離した革命に虚無感をいだき、離れていた学会活動に取り組む。その中で、人生の希望の光を見つける>
彼は、学会のなかにこそ、未聞の大衆運動の大潮流があることに気づいた。
学会では、職業も、年代も、社会的な立場も異なる人たちが、広宣流布という、世界の平和と人類の幸福の実現に向かい、日夜、懸命に活動に励んでいる。
自営の社長もいれば、大企業の役員もいる。工場労働者もいれば、商店に勤務する人も、専業主婦も、学生もいる。それが対立し合うのではなく、同じ目的に向かって、仲良く団結し、前進しているのである。そこには、「前衛」と「大衆」の乖離などなかった。(中略)
また、学会の運動は、「生活者」に立脚し、常に個々人の具体的な苦悩と向き合うことから出発していた。(中略)
彼は、革命に生きるということと自己の幸福とは、相反するものであると考えていた。しかし、自他ともの幸せを築いていくのが、仏法の在り方であるというのだ。
また、学会員は、よく「煩悩即菩提」という言葉を口にした。仏法は、煩悩、つまり欲望などを否定するのではなく、信仰に励み、広宣流布という目標に生き抜くなかで、それが、菩提、すなわち人間完成への原動力となっていくというのである。
事実、日々、学会員が多くの功徳の体験を積みながら、希望と喜びにあふれて、友のため、社会のために奔走する姿が、それを物語っていた。
つまり、創価学会の運動には、個人の身近な幸福の追求と革命の理想とが、地球が自転しながら公転しているように、なんの矛盾もなく、共存し、連動しているのである。
(「智勇」の章、93〜94ページ)

◇「文」は自身の境涯の投影
<1969年(昭和44年)8月、文芸部が結成。指導会で山本伸一は、万感の期待を寄せる>
「皆さんは、本当の実力をつけていただきたい。(中略)
大事なことは、何人の人が自分の作品に共感するかです。皆さんの文学を、多くの人が支持し、賞讃してくれることが、そのまま仏法のすばらしさの証明になる。そのためには、自分と戦うことです。一日一日が勝負になります。"今日も自分の殻を破ろう""新しい境地を開こう"との精進がなければ、社会で勝つことはできません」(中略)
「私は、これからも、書きまくっていきます。連載小説だけでなく、各出版社からの原稿依頼もかなりの数になります。三九度近い熱が続いた時もありました。しかし、"ここでやめるわけにはいかない!""書かずしてなるものか!"との一念で、ペンを執り続けました。(中略)
『文は人なり』と言われますが、それは、『文は生命』であり、『文は魂』であり、また、『文は境涯』であるということです。文には、生命がすべて投影されます。
したがって、苦労して、苦労して、苦労し抜いて、ほとばしる情熱で、炎のように燃え上がる生命でつづった文は、人びとの心を打つんです。話をする場合も同じです。必死さ、真剣さが、その魂の叫びが、情熱の訴えが、人の心を揺さぶるんです。大事なことは、民衆の心をつかむことです。
人びとの幸福に最大に貢献するのだという信念をもち、思想、哲学の眼を開いて、それぞれの分野で、皆さんが、大いに活躍されんことを念願いたします」
(「使命」の章、170〜173ページ)

◇勇気と確信の源泉は御書
<69年(同44年)秋から70年(同45年)にかけて起きた「言論・出版問題」で、学会は激しい誹謗中傷にさらされる。一切の矢面に立つ伸一を、妻の峯子は、御書を拝し、不動の信心で支える>
山本伸一の自宅も、警戒が必要であった。彼は、妻や子どものことを考えると、心配でならなかった。だが、妻の峯子は、何があっても悠然としていた。(中略)
少しでも時間を見つけては、懸命に御書を拝していった。御書という"明鏡"に照らすと、信心の眼が開かれ、勇気と確信が湧き上がってくるのだ。
ある時、拝した「辨殿尼御前御書」には、次のように認められていた。
「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)(中略)
峯子は、夫の伸一が会長に就任してから、片時も休むことなく、ただ、ただ、人びとの幸福と世界の平和を願って、広宣流布のために走り抜いてきたことを、誰よりもよく知っていた。まさに、大聖人の仰せのままに、全精魂を注いでの"闘争"であった。そして、今や学会は、七百五十万世帯の一大民衆勢力になった。
"その大前進が御仏意にかない、第六天の魔王を攻め立てているから、あらゆる勢力が攻撃の牙をむいて、襲いかかってきたのだ"と峯子は確信することができた。
"難こそ正義の証明である。難こそ誉れである"というのが彼女の結論であり、心の底からの実感であった。
(「烈風」の章、270〜271ページ)

◇逆境こそ成長のための道場
<70年(同45年)6月、伸一は箱根の研修所で高・中等部、少年・少女部の代表と懇談。父親のいない友へ励ましを送る>
伸一は、参加者のなかに、父親のいない人がいることを聞いていた。彼は、そのメンバーのために、一言しておきたいと思った。最も悲しい思いをしてきた人を励ますのが、"学会の心"である。
「ところで、皆それぞれ、家庭環境は違っています。お父さんやお母さんがいないという人もいるでしょう。両親がそろっている人は幸せです。しかし、仏法の眼から見れば、親がいない場合は、もっと幸せとも言える。
では、なぜ、そう言えるのか——。
お父さんやお母さんがいなければ、経済的にも精神的にも、大変なことが多いと思う。しかし、苦労があるということは、自分を磨き鍛えることができる。また、人の苦しみもよくわかる人になれるし、大変な状況にある人を、自分の体験を通して励ましていくことができる。
つまり、苦労があるということは、自分を強くし、民衆のリーダーとして育つ大事な条件を手にしたことになる。だから結果的に見れば、それは幸せなことであるといえるんです。また、お父さんやお母さんが信心をしていない人もいるかもしれない。それもまた、深い意味があることなんです。
私の場合は、最初、両親も、家族も、誰も信心をしていなかった。だから、一家の幸福と繁栄のために、私が頑張らなければならないと思った。それによって、甘えを排して信心に取り組むことができたんです。逆境は成長のための道場であり、幸福を創造するための舞台であることを知ってください」
(「大河」の章、328〜330ページ)

◇誉れの通信員
<1970年(昭和45年)11月、完成間もない聖教新聞社の新社屋で全国通信員大会が開かれる。「大河」の章には、山本伸一と恩師・戸田城聖の通信員に対する思いが描かれている>
通信員大会の開催を聞いた伸一は、聖教新聞社の幹部に言った。(中略)
「通信員の皆さんは、配達員の皆さんとともに、新聞を支えてくださっている大きな力です。皆、仕事や学会活動で忙しいなか、足を棒にして取材をし、記事を書いてくださっている。だから聖教新聞は、地域に密着し、人びとに親しまれる新聞になっている。
細かく張り巡らされた通信員の皆さんの取材網は、ちょうど毛細血管のようなものです。みんなは、ともすれば大動脈のような、大きなところ、目立つところばかりに目がいってしまうが、人体の隅々にまで血を送り、命を支えているのは毛細血管です。
通信員の皆さんは、同じように、組織の隅々にまでアンテナを張り巡らせ、あの町、この村のニュースをつかみ、情報を吸い上げてくださる。それによって、聖教新聞は、日々、脈動した記事を読者に送り続けることができる。
また、そうしてできあがった新聞を、毎日、読者のもとに届けてくださるのが、配達員の皆さんです。
通信員と配達員の皆さんこそ、新聞の生命線です。ありがたいことではないですか。本社にいる者は、そのことを絶対に忘れてはいけない」(中略)
「私は、通信員の活動にこそ、聖教新聞の原点があると思っている。当初、聖教新聞は、専従の職員というよりも、学会の幹部が皆でつくってきた。戸田先生をはじめ、私も、理事たちも、皆、懸命に原稿を書きました。(中略)
みんな、仕事をし、学会活動に励み、そして、新聞をつくった。忙しいが必死だった。その闘魂が紙面にあふれていた。だから、新聞には感動があった。今、その精神を受け継いでいるのが通信員の皆さんです」
(370〜372ページ)


通信員制度が発足し、初の通信員会議がもたれたのは、一九五四年(昭和二十九年)一月のことであった。(中略)
戸田は最大の期待を込めて、通信員に語った。
「聖教新聞に対する皆さんのご協力は、大変にありがたい。
今、皆さんは、新しい決意に燃えておられるが、人間は、ともすれば、次第に惰性に流されていくものです。記事を書くうえでも、その惰性との戦いが大事です。
私は、通信員は本当の"闘争人"になってもらいたい。"闘争人"というのは、民衆を不幸にする邪悪を絶対に打ち砕いてみせるという、赤々とした闘魂、情熱を燃え上がらせている人です。胸に炎をもつことです。見栄や体裁で書く格好だけの文章では、邪悪を断つことはできない。そんな文は自己満足です。正法正義のために、民衆のために、命がけで書いてこそ、ペンは剣に勝つことができる」
(372〜373ページ)