2020年7月31日金曜日

2020.07.31 わが友に贈る

上半期の奮闘を
皆でたたえ合おう!
試練の中で積み重ねた
価値創造の歩みは
全てが人生の財となる。

盂蘭盆御書 P1430
『悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり、善の中の大善も又又かくのごとし、目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代下七代上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う』

【通解】
悪の中の大悪は、その報いの苦しみを、わが身に受けるだけでなく、子と孫と末代に七代までもかかるのである。善の中の大善もまた同じである。目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連尊者自身が仏になっただけでなく、目連尊者の父母も仏になられたのである。また上七代、下七代、上無量生、下無量生の父母たちまでも、思いがけなく成仏されたのである。

名字の言 「食」を通して平和の尊さを知る 2020年7月31日
白いお米のおにぎりを、おなかいっぱい食べてみたい。それが太平洋戦争中のひいおじいちゃんの夢だったらしい。そんな話を小学生のひ孫たちが聞く。「少年少女きぼう新聞」8月号に掲載された漫画「ツボミチャン」の内容である▼「戦争になると白いお米ってなくなっちゃうのか」。子どもたちは戦時中の食生活を調べ、その悲惨さを思い知る。生きるために野草や虫さえ食べたこと。栄養不足で倒れる人もいたこと……一人の子がぽつりと言う。「戦争っていやだな」▼戦禍に苦しんだことはなくても、身近な「食」を通して平和の尊さをかみ締めることはできよう。平和なくして豊かな「食」はない。「食」は暮らしの基であり「命」。御書に「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(1597ページ)と仰せだ▼池田先生が60年前に第3代会長に就任した後、まず祈ったことは世界の平和、災害がないこと、そして「豊作でありますように」ということだった。庶民の幸福を願うゆえであり、「農業を大切にしない社会は、生命を粗末にする野蛮な社会となり、全ての面で行き詰まる」との信念からである▼今年は全国的に梅雨が長い。日照不足による農作物への影響も出ている。終戦75年の今夏、平和と豊作を一層強く祈りたい。(之)

寸鉄 2020年7月31日
広布に生き抜く志を持った人材を育てたい—恩師青年に全力の励ましを!
毎朝、本紙届ける「無冠の友」に感謝。激変の天候が続く夏、無事故最優先で
「此の土は本土なり」御書わが栄光の舞台はここ!誓いを定め恐れなく進め
長めの手洗いは熱を放出し熱中症予防にも有効。水分補給を含め油断せず
心身不調等訴える若者のSNS投稿急増—調査。周囲が声掛け絶やさずに

☆心に御書を 第62回 未来部員は輝く「宝塔」なり
〈御文〉
『日女御前の御身の内心に宝塔品まします凡夫は見ずといへども釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり』(日女御前御返事、1250ページ)

〈通解〉
日女御前の御身の内に厳然と宝塔品はましますのである。凡夫には見えなくとも、釈迦、多宝、十方の諸仏はご覧になっているのである。

〈池田先生が贈る指針〉
未来部の育成は、令法久住の仏事だ。尊き担当者に感謝は尽きない。
仏眼で見れば、どの子の生命も「宝塔」である。全員が、妙法の当体だ。地涌の使命を自覚するとき、宝の可能性はダイヤのごとく輝きを増す。
一人の宝塔を開くことは、「世界広布」の未来を開くことだ。励ましの福徳は無量である。
共々に成長の夏を!

☆いのちの賛歌 心に刻む一節 病と向き合う
◇強き心で幸福をつかむ
長い人生の途上では誰しも、予期せぬ試練に直面することがある。悩みや葛藤の中にあって、困難に挑む勇気の源泉となるのが、日蓮大聖人の仏法である。新企画「いのちの賛歌 心に刻む一節」では、御聖訓を胸に、自らの宿命に立ち向かってきた創価学会員の体験をルポ形式で紹介。池田先生の指導選集『幸福と平和を創る智慧』(以下、『指導選集』)から指導を掲載する。今回は「病と向き合う」をテーマに、愛知県の婦人に話を聞いた。

◇御文
『妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ』(乙御前御消息、1220ページ)

◇通解
妙楽大師は「必ず心が固いことによって神(諸天善神)の守りは強い」と言われている。心の堅固な者には神の守りが必ず強いというのである。

◇2度の苦難。その時——
医師から突然の宣告を受けた時、人は何を思うだろう。胸に去来するものは、さまざまだ。
   ◇
栗橋哲子さん(72)=愛知・豊橋総県副婦人部長=は、幼少期に一家で入会。27歳の時、縁あって男子部だった夫・幸男さん(76)=地区幹事=と結ばれ、幸せをかみ締めていた。
結婚から1年が過ぎたある日、不正出血に気付いた。病院で検査すると、医師から思いもよらないことを告げられた。
「残念ですが、この状態では子どもはできません。諦めてください」
その瞬間、栗橋さんは、頭の中が真っ白になったという。
「『なぜですか?』と聞くのが精いっぱいで。そこからどうやって家に帰ったのかも分かりません。ただ"御本尊様、なんでですか?""池田先生、なんでですか?"と、何度も心でさけびました。もう、心がどうにかなりそうでした」
青春時代から広布に駆け、自分なりに信心の確信もあると思っていたが、現実は「受け止めきれませんでした」。題目をあげていても、涙が止まらない毎日だった。
ある時、婦人部の先輩が、御書の「人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ」(1220ページ)との一節を引いて、こう励ましてくれた。
「絶対に大丈夫。医師がなんと言っても、私たちには御本尊様があるじゃない! あなた自身が強くなることよ」
自分が強くなる——栗橋さんは、目の前がぱっと開けたように感じたという。
「"そうだ! これまで池田先生と一緒に戦ってきた自分が、負けるはずがない"って思えたんです。自分が強くなって、なにがあっても『幸せになりました』と先生に報告できる人生を歩もうって。この時から、祈りが真っすぐに定まりました」
前を向けるようになった栗橋さんは、ひたぶるに祈りを重ねながら、広布の最前線に身を置いた。
そんなある日、驚いたことに、妊娠が判明した。その後、無事に長男・映志さん(43)=地区幹事=を授かることができた。御本尊の功力を、かみ締めずにはいられなかった。
以来、栗橋さんは報恩感謝を胸に、家族で力を合わせて広布に励んできた。
ところが10年前、病が見つかる。検査の結果は、子宮体がんだった。
「もちろん不安はありました。けれど、不思議と動揺はなかったです。医師の言葉を聞いた瞬間、"よし! この信心で受けて立とう"って思えたんです。夫も『題目しかないね』って」
この時、脳裏に浮かんだのは、かつて婦人部の先輩から教えてもらった御書の一節だったそうだ。
「その御文の続きに、こうあります。『あなたの昔からの信心の深さは言い尽くせない。だが、それよりもなお一層、強盛に信心をされるべきである』(同ページ、通解)と。信心に『これでいい』ということはない。『終わり』はないんです。"そうだ! これでまた題目をあげられる!"って、感謝の気持ちがわき上がりました」
自身の細胞の一つ一つを奮い立たせるように、家族一丸となって猛然と題目をあげた。師匠と同志の温かな励ましが、心の隅にあった不安までも吹き飛ばしてくれた。
2010年(平成22年)8月、臨んだ長時間の手術は成功し、腫瘍のあった子宮と卵巣を全て摘出した。その後も定期的に検査を続け、2年前に「完治」を告げられた。
「宿命を乗り越えられたのは、そこから逃げずに立ち向かったから。結局、人生は試練の連続なんだと思います。苦難に直面するたび、題目をあげて心を奮い立たせ、挑み抜く。これ以外に道はありません。偉大な師匠、そして同志と共に、使命の『この道』を歩み続ける日々が、私にとって最高の幸せです」

2020年7月30日木曜日

2020.07.30 わが友に贈る

創価後継の未来部は
「法華経の命を継ぐ人」。
全員が世界の宝だ!
無限の可能性を信じ抜き
温かなエールを送ろう!

富木殿御返事 P962
『粗経文を勘え見るに日蓮法華経の行者為る事疑無きか但し今に天の加護を蒙らざるは一には諸天善神此の悪国を去る故か、二には善神法味を味わざる故に威光勢力無きか、三には大悪鬼三類の心中に入り梵天帝釈も力及ばざるか等』

【通解】
だいたい経文を読み思索してみると、日蓮が法華経の行者であることは疑いないところです。ただし今、難にあっても、諸天善神の守護をうけていない理由は、第一に諸天善神がこの悪国である日本を去ったためであり、第二に、法華経誹謗の者が多く諸天善神が法華経の法味を味わえないために勢いも力もなくなったためであり、第三に悪鬼神が三類の強敵の心の中に入ってしまって大梵天王や帝釈天王も力が及ばないためでありましょう。

名字の言 新たな日常に求められる「多様性の尊重」 2020年7月30日
昨年のこと。学会活動に頑張ってきた壮年が、ぱったりと地区の集いに来なくなった。気になって自宅を訪ねると、変わりなく元気そうに見えたので、ほっとした▼親しく会話していると、理由を打ち明けてくれた。「実は、持病の発作が出るようになって……。でも参加できない分、地区の発展を真剣に祈っていたよ」と。頑張ってきた"のに"ではなく、頑張ってきたから"こそ"、壮年は同志に心配を掛けまいと気遣い、活動への参加を見合わせていたのだ。こうした友への配慮を常に忘れてはいけない、と痛感した▼感染症と共存しながら充実した生活を送るには「多様性を尊重すること」——そう指摘する識者は多い。例えば、「皆で集まりたい」と思う人もいれば、「集まるのは怖い」と思う人も。コロナ感染の脅威の感じ方は人それぞれ▼「新たな日常」とは、いろいろな状況があり、いろいろな考え方の人がいるという多様性を尊重しつつ、自他共の幸福を築き上げていく「新たな挑戦」といえよう▼御書に「所見の人に於て仏身を見る」(242ページ)と。どんな人にも仏性がある。だからこそ"一人"を仏のごとく尊び、"一人"を心から大切にしていく。その姿勢こそ仏法の真髄であり、時代が求める最高の生き方と確信する。(実)

寸鉄 2020年7月30日
信心の歓喜を周囲と共有する学会員の姿に感動—教授。希望の連帯を拡大
「たすくる者強ければたうれず」御聖訓。幹部は苦難の友の励まし全力で
御本尊に常に感謝する人は福運がいよいよ増す—恩師。絶対勝利の題目を
熱中症原因の死者、この10年で2倍に。猛暑日増加で。躊躇せず空調活用
国内感染者の4割が20、30代—調査。若者の意識変革が鍵だ。声掛け強く

〈社説〉 2020・7・30 特集「危機の時代を生きる」 2020年7月30日
求められる「利他の精神」
新型コロナウイルスの感染流行によって、私たちのライフスタイルは様変わりした。マスクの着用が常態化し、オンラインで交流する機会も増えた。テレワークを導入した企業も多い。このように、コロナとの共存が前提となる生活は、「新しい日常」と呼ばれる。
ライフスタイルの変化に伴い、私たちの価値観や生き方なども変わっていくだろう。本紙の特集「危機の時代を生きる」では、コロナ禍で奮闘する学会員のエピソードや識者の声を通して、「新しい日常」を生きる上で大切な視点や生き方、そして創価の仏法哲理が何を提示できるかを探求してきた。
その一つに挙げられるのが「利他の精神」といえよう。感染者への差別や、"自粛警察"と呼ばれる行為が問題となったように、人間は危機的な状況に置かれた時、他者との間に壁をつくって、自分を守ろうとする。しかし、感染症はそうした壁をやすやすと越える。人々の分断は、社会の分断を招き、感染拡大を助長する恐れもある。
6月11日付に掲載された特集の中で、中部大学の酒井吉廣教授は、今後の国際社会における「利他の精神」の必要性を説き、「『分断』から『協調』への流れをつくるためにも、自分とは異なる他者との『共生の哲学』が求められています」と語った。また同17日付の、創価大学看護学部の佐々木諭教授のインタビューでは、「感染症対策で必要なのは『自分が感染しない』『人に感染させない』との思いを持ち、皆で感染を抑え込もうという協力体制です。その意味では、人々の絆が鍵を握ると思います」と、他者への共生・協力の重要性が示されている。
仏法は「依正不二」と説く。生を営む主体である人間(正報)と、人間が生を営むためのよりどころとなる環境・国土(依報)は別のものではあるが、実は密接不可分で、互いに影響され合うとの考えだ。これをさらに、自己と他者の関係性と見れば、自他は相互に深く支え合っている。自己の安全だけを求めていては、結果として自己を守ることはできない。「自利」を考えるならば、「利他」の視点は必須であるといえよう。
池田先生は語る。「『他人だけが不幸』はありえない。と同時に『自分だけが幸福』もありえない。ならば『人を幸せにする』ことが『自分が幸福になる道』です。自他共に幸福を勝ち開いていく。ここに、法華経の真髄の行動があります。これが、我らの学会精神です」と。
「自利」と「利他」を勝ち開く——「自他共の幸福」を目指す生き方こそ、「新しい日常」において、希求されるモデルの一つとなるだろう。

☆第3代会長就任60周年記念 「師弟凱歌の記憶」 第11回「不敗の原点 大阪大会」
1957年(昭和32年)7月17日、大阪・中之島の大阪市中央公会堂で歴史的な集いが行われた。池田大作先生の不当逮捕に抗議する「大阪大会」である。場内は満員となり、場外に1万数千人の同志があふれた。
同年4月、参院大阪地方区補欠選挙の支援活動において、熱心さのあまり、選挙違反をした会員が出た。それを学会の組織的犯行と一方的に見なした大阪府警が、支援の責任者であった池田先生を逮捕。7月3日のことだった。
15日間の勾留の末に、7月17日正午すぎ、先生は釈放され、大阪拘置所を出た。東京から駆け付けた戸田城聖先生をただちに伊丹空港で迎え、午後6時からの大阪大会に臨んだ。開会からまもなく、猛烈な雨が降り、雷鳴が轟いた。会場を取り囲んだ同志は、特設スピーカーから流れる登壇者の声を、身じろぎもせずに聞いていた。
いよいよ池田先生が登壇。第一声が終わると大拍手の中、戸田先生が立ち上がり、自ら愛弟子のためにコップに水を注ぐ。
「最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」
池田先生の師子吼に、会場を揺るがす大拍手が再び鳴り響いた。
雨と涙の中で参加者は誓った。"そうや! 戦いは負けたらあかん!""これからは全ての戦いに信心で勝つ!"
終了後、先生は会場の外に出て、雨に打たれて聴いていた同志のために、音楽隊の演奏に合わせて何度も学会歌の指揮を執った。
以来、約4年半続いた裁判闘争を経て、1962年(同37年)1月25日、大阪地裁の無罪判決を勝ち取る。そして2月8日、エジプトのカイロで「控訴なし」の報を聞くのである。
——池田先生は1991年(平成3年)7月17日に行われた大阪幹部会に和歌を寄せた。

「七月の おお十七日の
  炎をば 君の胸にも
   あなたの胸にも 合掌」

「7・17」が巡り来るたびに、関西の友は常勝不敗の闘魂をたぎらせ、世界の同志が立正安国の誓いを新たにする。先生が証明した"信心しきったものが最後に必ず勝つ"との信念こそ、永遠に光る学会魂である。

◇「常勝の空」特別映像
「大阪大会」から21年となる1978年(昭和53年)7月17日、関西の歌「常勝の空」(山本伸一作詞)が発表されました。このたび「7・17」を記念し、関西吹奏楽団・関西男声合唱団が「常勝の空」を演奏・合唱した特別映像を制作。こちらからご覧いただけます。

☆第3代会長就任60周年記念 師弟凱歌の記憶 第12回「妙音奏でる平和の天使」 2020年7月22日
◇きょう「7・22」鼓笛隊結成記念日
法華経に登場する妙音菩薩は、苦悩渦巻く世界に妙なる調べとともに現れ、人々を幸せへと導く。
さながら"現代の妙音菩薩"として、華麗なメロディーと舞で、見る人の心に感動と勇気を送ってきたのが創価の鼓笛隊だ。
結成は1956年7月22日。その数カ月前、女子部の代表が、青年部の室長だった池田大作先生のもとへ。広布の展望を語り合う中で、鼓笛隊の結成が話題に上った。
だが、皆、貧しく、すぐに楽器をそろえる余裕などない。それでも先生は「どうにかして、楽器を買ってあげるから、少々、時間をくれないか」と語った。その後、自ら費用を工面して、ファイフとドラムを贈ったのである。
33人で出発した、手づくりの鼓笛隊。先生は「私は、この新しき『平和と文化の旗手』の誕生が、ことのほか嬉しかった」と真情をつづっている。
しかし、誕生した当初はファイフもドラムスティックも初めて手にする人ばかり。決意とは裏腹にまともに音が出せず、"スースー隊"と笑う人もいた。
悔しさをにじませるメンバーに先生は、「最初は、何を言われてもいいじゃないか。いつか、世界一になればいいんだ」と。さらに、"学会の鼓笛隊は「戦争の世紀」に終止符を打つために歴史の舞台に颯爽と登場した、尊き「平和の天使」なのである"と、その深き使命を示し、励まし続けてきた。
師の期待を抱き締めて、鼓笛隊は結成以来、国内各地でパレードに出演し、69年には全米総会を記念してアメリカで日米鼓笛隊がパレード。81年には、2月にアメリカ、5月にソ連へ。モスクワでは先生と共に、戦争犠牲者を追悼する「無名戦士の碑」を訪ね、鎮魂の曲を演奏するなど、文化の力で人々を結ぶ"無冠の外交使節"として活躍した。
結成20周年の1976年、「鼓笛隊の日」を記念して先生が贈った和歌。「平和への天使と はばたき二十年 銀の翼は 世界に ひらきぬ」と
明年に結成65周年を迎える今、鼓笛姉妹の連帯は世界に広がり、「太陽のように明るく 月光の如く清らかな鼓笛隊たれ」の指針のまま、世界中に妙音を響かせる。
コロナ禍にあっても一人でも多くの人に勇気を送ろうと、メンバーはオンラインでの演奏を実施。たゆみなく技術を磨く。
鼓笛隊の友に贈った随筆に、先生は、こうつづる。
「何があっても、常に大いなる目標へ、さらに次なる目標へと、力強く前進し続ける。これが『創価の心』だ。この強き金剛の心こそ、鼓笛隊の誉れの伝統だ」
逆境を力に変える妙音を今こそ!——鼓笛姉妹は、地球を包む音色で今日も希望を届ける。

2020年7月29日水曜日

2020.07.29 わが友に贈る

大気の状態が不安定。
引き続き豪雨等の
自然災害に要注意!
小まめな水分補給など
熱中症対策も万全に。

曾谷殿御返事 P1056
『謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべしはかなしはかなし』

【通解】
謗法を責めないでいて成仏を願うことは、火の中に水を求め、水の中に火を尋ねるようなものである。はかないことである。はかないことである。

名字の言 サッカーコーチの提案——ミスをしたチームメートにどう声を掛けるか 2020年7月29日
少年サッカークラブのコーチを務める、ある男子部員。"楽しくやろう"をモットーに指導するが、子どもたちの快活さはいまひとつで、チームの成績も伸び悩んでいた▼そこで彼が提案をした。練習や試合でミスをしてしまったチームメートへ、皆が掛ける声を「ドンマイ(気にするな)」から「ナイストライ(よく挑戦した)」に変えようと。以降、積極的なプレーが実を結ぶことも増え、皆、楽しそうだという▼文芸批評家の小林秀雄氏がある対談で"野球"を例に引いた、こんな趣旨の話をした。易しい球ばかり打ててもつまらない。好投手の難しい球を打ってこそ面白い、と(『人間の建設』)。失敗を恐れず、困難に挑んでこそ、真の楽しさや充実をつかめるということだろう▼これは信心にも通じよう。広布拡大について池田先生は指導している。「新しき開拓に、困難と労苦が伴うのは当然である。困難といえば、すべてが困難であり、不可能といえば、いっさいが不可能である。それを突き抜ける炎のような覇気と闘争によってのみ、広布の開拓はなされる」と▼"できるかどうか"は、可能性で推し量る面がある。だが"やるかどうか"は、主体者である自分の意欲と決意が、行動の起点となる。信心根本の挑戦が自らの世界を変えていく。(代)

寸鉄 2020年7月29日
御書「浅きを去って深きに就くは丈夫の心」。試練の今こそ立正安国へ一歩
創大・短大のオンライン見学会、事前予約受付中。俊英よ人間教育の大城へ
内面が明るくなれば周囲の闇も消える—詩人。信心は前進の光。祈り強く
感染収束後もテレワーク続けたい—76%。育児等と両立できる社会へ更に
自分が住む所の防災地図—46%が見たことなし。命を守る基本。確認必ず

☆第3代会長就任60周年記念 師弟凱歌の記憶 特別編「世界が憧れる幸福の宝島」
◇きょう池田先生の沖縄初訪問60周年
「私は 沖縄を詩う/私は 沖縄を愛する/私は 沖縄に涙する/そして 私は 沖縄に/民衆の幸の凱歌の潮騒を聞く」(長編詩「永遠たれ"平和の要塞"」)——きょう7月16日で、池田大作先生が沖縄を初訪問して60年となる。海も大空も大地も、人も美しい沖縄には、「命どぅ宝」(命こそ宝)の心が輝く。先生が「3日間で3年分は働く」との決意で臨んだ沖縄初訪問の歴史を、「師弟凱歌の記憶」特別編としてつづる。
"池田先生が初めて沖縄へ!"——南国の友が待ちに待った朗報は、1960年(昭和35年)6月10日付の本紙1面で伝えられた。
先生は5月3日の会長就任以来、関西に始まり北海道、九州、東北、中部、中国の幹部会に出席。就任式で亡き恩師・戸田城聖先生の七回忌までの目標として掲げた会員300万世帯の達成へ、怒濤のごとき拡大の波動を起こしていった。
戦後15年。沖縄はまだ、アメリカの施政権下にあった。本土との往来にはパスポートがいる。本紙の記事は「なかでも特筆すべきことは、会長池田先生が初めて海外に出発され、沖縄において指導されること」と強調している。沖縄初訪問は、世界広布への助走ともいうべき意義を含んでいたのである。
沖縄の友は沸き立った。
沖縄広布の一粒種として折伏の火ぶたを切った故・安見福寿さんの喜びは、とりわけ大きかった。長男の宏志さん(副圏長)が述懐する。「この時、私は14歳です。父は買ったばかりの車を毎日のように走らせ、島中を折伏や個人指導に回っていました。道があまり整備されていない時代で、よく山の中で立ち往生したことを語ってくれました」
仏法の話をすると、たいてい「ヤマトゥ(本土)から来た宗教」と揶揄された。それでも同志は、「必ず幸せになれる信心です」と歯を食いしばった。
先生の訪問を拡大の実証で飾ろうと、折伏の勢いは加速。約7000世帯の陣容を整え、先生の初来島を迎えたのである。

◇「立正安国論」上呈700年の佳節に
7月16日午後2時過ぎに羽田をノースウエスト機でたった池田先生は、約3時間半のフライトを経て、夕刻、那覇国際空港に降り立った。
ターミナルには歓迎の同志約200人が詰め掛けていた。入国審査を受け、ロビーに姿を現した先生を、地区部長の安見福寿さんらが迎えた。
「先生、ようこそ」——そう言ったきり、胸がいっぱいになった安見さん。
先生は「働くよ。3日間で3年分は働くからね」と温かく包み込んだ。
宿舎に移り、沖縄の実情を丹念に聞いた。
日本の敗戦から15年——「鉄の暴風」と形容され、県民の4分の1が犠牲になった地上戦を経験した沖縄は、戦後も基地建設に伴う土地の強制収用など、筆舌に尽くせぬ苦渋の道を歩んできた。祖国復帰は、当時、沖縄の人々の痛切な願いであった。
夕食後には、同行幹部が担当して、各部ごとの指導会を開催。続いて、池田先生が出席し、班長・班担当員以上が参加して幹部会が行われた。そこで先生は、翌日の大会で沖縄支部を結成したいと提案した。
「太陽が東から昇り、西を照らしていくように、この沖縄に始まり、やがて、台湾、香港、インドなど東洋の各地に、支部が誕生していくことでしょう。その先駆けの使命を、沖縄の皆さんに担っていただきたいのですが、いかがでしょうか」
万雷の拍手が起こった。
沖縄に第一歩をしるした7月16日は、日蓮大聖人が「立正安国論」を上呈して700年。一番苦しんだ人が一番幸せに——この"世界広布即世界平和"の新たな一歩を、沖縄から踏み出したのである。

◇「前進」の決意で船出
翌7月17日。支部結成大会の会場前には、朝から長蛇の列ができた。沖縄本島はもとより、宮古や八重山の島々からも、喜々として友が集って来た。
空は青く、太陽の光は刺すようにまぶしい。
新垣昇さん(沖縄方面参事)は、場外で整理誘導役員に就いていた。高校3年生で、入会2年目だった。「先生を沖縄にお迎えできたことが誇らしく、汗をびっしょりかきながら、学生服で任務に就きました。また、沖縄らしい夏の暑い時に来てくださったことに、感激したことを思い出します」
訪問に際し、周囲から"もっと涼しい時期に"との意見もあったという。だが先生は「同志の労苦は、最も大変な時に現地へ行かなくては分からない」と、盛夏の訪問を決めたのである。
会場は満員。外にはゴザが敷かれ、場内外で1万2000人を超える友が集った。場内の正面には、「前進」の大文字が掲げられ、求道の熱気に満ちていた。
登壇した先生は、軍部政府に抵抗し、獄死した牧口常三郎先生と、生きて出獄した戸田城聖先生の闘争に触れつつ、未来のために、世界の平和に貢献しゆく学会の使命の深さを語った。
さらに、「文証」「理証」「現証」の明快な基準に照らしてこそ宗教の浅深、高低が明らかになることを強調。中でも、最も大切な功徳の「現証」を積み上げ、その確信と体験を語りながら折伏を進めてほしいと訴えた。
「ユタ」の言葉によって物事を決める慣習などが色濃く残り、学会への無理解による非難中傷を浴びてきた友の心に、先生の明解な指導が勇気の炎をともした。
この日、沖縄の女子部の中心者となった本山多津子さん(総県婦人部主事)は語る。「会合に先立って、先生は"最も大事なことは福運だよ"等と、女性の生き方を諄々と説いてくださいました。あの結成大会でのお姿、決意を生涯忘れることはありません」
会合を終えた先生は、支部結成を祝う寄せ書きに力強い筆でつづった。
「沖縄の同志よ団結せよ」

◇沖縄戦の激戦地で厳粛に題目三唱を
初訪問の最終日となった18日午前。池田先生一行は沖縄戦の激戦地である南部戦跡を訪れた。
太平洋戦争で悲惨な地上戦が展開された沖縄では、"一木一草といえどもこれを戦力化すべし"の号令のもと、全島が要塞化された。本土決戦までの時間を稼ぐ「捨て石」にされ、米軍による激しい攻撃が続いた。日本の守備隊が潜んでいそうな所は火炎放射器で焼かれ、激しい砲爆撃で丘は削られた。日本軍によって"自決"を強要される悲劇もあった。マラリアや飢えで命を落とした人なども含め、県民の4人に1人が犠牲になったとされる。
一切の掃討戦などが終わるのは、8月15日の終戦から20余日が過ぎた9月7日のことだった。
池田先生の一行は最初に、看護要員として動員され亡くなった学徒隊らを慰霊する「ひめゆりの塔」へ向かった。塔のそばには、ガス弾によって乙女たちが命を落とした自然壕が口をあけている。関係者の説明を聞き終えた先生は、つぶやくように「残酷だな……あまりにも残酷だ」と。厳粛に題目を三唱した。

◇「皆さんの犠牲は無駄にしません。必ず仏国土に変えてみせます」
さらに一行は摩文仁へ。
先生は、従軍した学徒を合祀する「沖縄師範健児之塔」や、人々が身を隠した洞窟を視察しながら、ゆっくりと踏みしめるように歩みを運んだ。
カメラを持参して同行した久保田淑子さん(県婦人部主事)は、健児之塔の前で祈りをささげる先生の様子を、鮮明に記憶している。
「先生は、『皆さんの犠牲は無駄にしません。必ず沖縄を仏国土に変えてみせます』と強くおっしゃったんです。その深いお心を感じながら、必死でシャッターを切りました」
先生は後に、南部戦跡を訪れた真情をうたった。
「世界不戦への誓いを固めつつ思った/いつの日か書かねばならぬ/小説『人間革命』の筆を/もっとも戦争の辛酸をなめた/この沖縄の地で起こそうと」
敗戦間近の焼け野原から広布の戦いを開始した戸田先生の生涯を通して、世界平和を開く指導原理と、それを実践する学会の使命を、ここ沖縄から書きつづる——この池田先生の決意を知る人は、この時、まだいなかった。

◇「人間革命」執筆 そして平和の天地に
池田先生は61年(同36年)の沖縄総支部結成大会、62年(同37年)の沖縄本部落成式に出席。
4度目の訪問となった64年(同39年)12月2日、沖縄本部で小説『人間革命』のペンを執った。
「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」——。
前述の久保田さんは、翌65年(同40年)1月1日付の本紙で連載を開始した『人間革命』の第1回を読み、思わず「あっ」と息をのんだという。沖縄で書かれたことは知らない。だが自分が沖縄戦で痛感したことが、そのまま書かれていると思えたからだ。
以後も池田先生は、沖縄訪問を重ね、その歴史は17回を数える。
沖縄支部の初代婦人部長を務めた仲間玉枝さん(総県婦人部総主事)は「先生は沖縄にいらっしゃるたびに、私たちに『三変土田』の法理を教えてくださったと思います」と振り返る。
その象徴が、恩納村の沖縄研修道場にある「世界平和の碑」。
碑はかつて米軍の核ミサイル・メースBの発射台だった。
「永遠に残そう! 『人類は、かつて戦争という愚かなことをした』との一つの証しとして」。この先生の提案によって、84年(同59年)、平和への誓いのシンボルに生まれ変わった。
本部町の沖縄平和記念墓地公園には、「永遠平和の碑」がある。99年(平成11年)2月、同墓園を初訪問した折、先生は沖縄の代表と共に、碑の前で厳粛に祈りを捧げた。
「もう二度と、沖縄に戦争はない。できない!」
深い決意を込めた鋭い声を、沖縄の同志は忘れない。
沖縄戦終結から75年。
先生の初訪問から60年。
沖縄の父母たちは、師の限りない励ましを抱き締めて、世界が憧れる幸福の宝島を築いた。「命どぅ宝」の精神を語り継ぐ青年たちの躍動も頼もしい。
限りない先生の励ましを胸に、「世界最初の広宣流布の地帯」を目指す沖縄健児の意気は高い。

2020年7月28日火曜日

2020.07.28 わが友に贈る

活路を開く智慧と希望は
全て御書の中にあり!
一節でも一行でもいい。
「今の私への御手紙だ」と
捉えて拝していこう!

新尼御前御返事 P907
『御勘気の時千が九百九十九人は堕ちて候』

【通解】
御勘気のとき、千人のうち九百九十九人が退転してしまった。

名字の言 「誰かのために」が力になる 2020年7月28日
高校野球の独自大会が各地で開催されている。選手や関係者の皆さんの健康と無事故を祈りたい。かつて地方大会の優勝校の主将に勝因を聞いた時だ。主将いわく、試合に出られない人の分まで頑張ろうと皆で誓い合った結果です、と。選手たちから、大事な生き方を教えられることが度々あった▼17年前、「嗅神経芽細胞腫」という鼻の奥のがんを患い、懸命の治療も効果なく、悶々としていた壮年がいた。ある時、支部の集いで体験発表してほしいと頼まれた。病気が治ったわけでもないのに自分に何が語れるのか。迷ったが、引き受けた▼引き受けたからには、参加してくれる人のために信心の実証を示したいと、会合までの3週間、死にもの狂いで祈った。検査の結果、医師が驚くほど、がんは小さくなり、体験発表では生き生きとした壮年の姿があった。62歳の今も壮年は、広布と社会の第一線で奮闘する▼自分のためだけでは力が出なくとも、誰かのためと思えば力が湧き上がる。池田先生は語る。「人に『生きる力』を与えるものは何か。それは、自分以外の誰かのために生きようという『人間の絆』ではないだろうか」と▼無私の心で祈ってくれる同志がいる。弟子の勝利を祈り待つ師匠がいる。この学会家族の絆を誇らしく思う。(進)

寸鉄 2020年7月28日
「法華経を信ずるを水の行者とは云うなり」御書。地道な実践が勝利の直道
未来部がドリームチャレジ期間。勉強第一、健康第一で大きく伸びゆけ!
世の荒波にもまれてこそ優れた人に成長できる—恩師。青年は激戦に挑め
SNSで画像転載は著作物の権利侵害加担の恐れ安易な投稿は厳重に注意
今夏のゲリラ豪雨発生、昨年比1・4倍に—予測常に最新情報確認し警戒

☆心に御書を 第61回 強き信心こそ安心の「柱」
〈御文〉
『法華経は三世の諸仏・発心のつえにて候ぞかし、但し日蓮をつえはしらとも・たのみ給うべし、けはしき山・あしき道・つえを・つきぬれば・たをれず、殊に手を・ひかれぬれば・まろぶ事なし』(弥源太殿御返事、1227ページ)

〈通解〉
法華経は三世の諸仏の発心の杖である。ただし(あなたにとっては、この)日蓮を杖・柱とも頼まれるがよい。険しい山、悪い道では杖をつくならば倒れない。ことに手を引かれるならば転ぶことはない。

〈池田先生が贈る指針〉
御本仏は、生老病死の険難の山坂も悪路も、杖となり柱となって支え守ってくださる。
ゆえに妙法と進む我らの生命の旅路は、何があっても絶対に安心である。永遠に常楽我浄の幸の軌道なのだ。
私たちの唱える題目も、生死を超えて家族と眷属の杖・柱となる。創価家族の命の絆ほど強いものはない。

☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第4回 幸福をつかむ信心<下> 杉本総合婦人部長
「紙上教学研さん『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」の第4回は、前回(4日付)に続いて「幸福をつかむ信心」について、杉本総合婦人部長と共に学びます。(第5回は8月1日付に掲載の予定。池田先生の講義は『創価学会 永遠の五指針』から引用)

◇池田先生の指導
「喜とは自他共に喜ぶ事なり」と。
自分も、他者も共に喜ぶ。
そこに真の歓喜と幸福があるのです。

1 世界第一の「富める者」の誇り
それでは、前回に続いて「幸福をつかむ信心」について学んでいきましょう。
池田先生は、講義の中で"世界第一の富める者"との日蓮大聖人の宣言の意義について、教えてくださっています。

【御文】
『日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり、是れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり感涙押へ難く教主釈尊の御恩報じ奉り難し』(四菩薩造立抄、御書988ページ14行目〜16行目)

【現代語訳】
日蓮は世間的に見れば日本第一の貧しい者であるけれども、仏法の上から論ずるなら、一閻浮提(世界)第一の富める者である。これは(末法という)時がそうさせる故であると思うと、喜びは身にあまり、感涙は抑えがたく、教主釈尊の御恩は報じ奉りがたい。

■ 池田先生の講義
大聖人は迫害によって、何度も命を狙われ、流罪も二度に及び、さらに日本中から悪口罵詈されました。「四菩薩造立抄」で仰せのように、世間的に見れば「日本第一の貧しき者」かもしれません。しかし、仏法の明鏡に映してみれば、「一閻浮提第一の富る者なり」——"世界第一の富める者"であると宣言されています。
「喜びは身にあまり、感涙は抑えがたく」と、大聖人は仰せです。いかなる権力の魔性にも侵されない、金剛不壊の幸福境涯の実像が、ここに拝されます。

—◆—
人間としての最高の「喜び」と「幸福」は何か——。それは、人生における自身の本然の「使命」を知ることだと思います。
私は今、小説『新・人間革命』を生命に刻む思いで精読しています。第5巻の「歓喜」の章で、戸田先生が「われ地涌の菩薩なり」と覚知した戦時中の獄中闘争を振り返って、こう語られる部分があります。
「使命を知るとは、自分の生涯を捧げて悔いない道を見つけたということだ。そうなれば人間は強いぞ。恐れも、不安もなくなる」と。
私たちもまた「地涌の菩薩」として、妙法を弘め、人々の幸福と平和を実現するために、この世に生まれてきました。この「使命」を深く自覚した時、命の底から喜びと力が湧いてきます。そしてどんな逆境にも、決して負けない希望が、わが胸中に広がっていくことを実感します。

2 「師弟不二」で嵐に打ち勝つ
池田先生は、幾多の嵐を乗り越えた、戸田先生との「師弟不二」の闘争について、講義の中で記されています。

■ 池田先生の講義
戸田先生は、戦時中に獄中から家族へ送った手紙に、こう記されていました。
——今どんなに苦しくても、貧しくても、私の生きている限り「富める者」との自信を失わずにいてください——と。
不惜身命の戦いを貫いた先生は、牢獄にあっても魂の王者でした。「富める者」との大確信の上から、自身に連なる一家眷属もまた「富める者」なりと叫ばれたのです。
この偉大な師匠の不二の弟子である私も、嵐の中を、広宣流布一筋に突き進んできました。妙法のため、師匠のため、同志のために捧げきった命です。大難はもとより覚悟の上でした。「嵐は誉れ」と、一切を乗り越え、尊き草創の父母たちと共に世界広宣流布の道なき道を切り開いてきました。
今度は、わが同志が、わが後継の青年諸君が、われ世界一の幸福者なりと、この誉れの大道を勝ち進んでいただきたいのです。

—◆—
池田先生が、私たち弟子のために、未来のために、どれほどの大難に耐え、勝利の道を切り開いてくださったか。
1979年(昭和54年)4月24日、第1次宗門事件の嵐の中、池田先生は会長を辞任されました。本部職員になったばかりの私は、大きな衝撃を受けました。悔しさでいっぱいでした。
翌日、重い気持ちで信濃町に出勤すると、偶然、先生とお会いしたのです。先生は烈風のただ中におられたにもかかわらず、未入会だった私の父の状況などを聞き、温かく激励してくださいました。
そして、厳然と言われました。「先生は強いよ」と。その師子王のごときお姿は、今も胸に深く刻まれています。
81年、正義の反転攻勢を開始された先生は、大分を訪問されました。私も同行させていただきました。会館の庭で先生の姿を見るなり、駆け寄ってきた年配の婦人部がいました。宗門の非道な仕打ちに耐え、同志を守り抜いてきた草創の母だったのでしょう。先生は言われました。「おばあちゃんは勝ったんだよ。心配ないよ。勝ったんだよ!」と。
師匠が命を懸けて守り、築いてくださった学会です。その学会、そして大切な同志を断じて守り抜いていくのが、青年の使命、そして私たち弟子の責任です。

3 「自他共に」が真の幸福
先生はまた、「御義口伝」の一節を通して、「歓喜」「幸福」の真の意味について、講義をしてくださっています。

【御文】
『喜とは自他共に喜ぶ事なり(中略)然るに自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり』(御義口伝、御書761ページ14行目〜17行目)

【現代語訳】
(随喜の)「喜」とは、自他共に喜ぶことである。(中略)
すなわち、自他共に智慧と慈悲があることを「喜」というのである。所詮、今末法において日蓮大聖人とその門下が、南無妙法蓮華経と唱えたてまつる時、必ず無作三身の仏と成ることを「喜」というのである。

■ 池田先生の講義
「喜とは自他共に喜ぶ事なり」と。自分も、他者も共に喜ぶ。そこに真の歓喜が、幸福があると言われるのです。
幸福とは、各人が自らつかむものであり、自身の生命で感得するものです。しかし同時に、自分一人だけの幸福もありえません。自分さえ幸せなら後は関係ない——それでは、利己主義です。だからといって"自分はいいから、他の人が幸せに"というのも、仏法の理想とは異なります。そうではなく、"自分も人も一緒に!""自他共の幸福を目指す"というのが、本当の幸福でしょう。

—◆—
他の人の幸福を願い、友の幸福のために行動する——その地道にして偉大な実践を、私たちは、日々の学会活動の中で行っています。
「あの人が悩みを乗り越えられるように」と祈る。「あの人は元気かしら」と電話をかけ、手紙を書く。日々、他者を思いやり、「人のため」にと行動することが、人間として、どれほど尊いことであるか——。今、さまざまな分断が広がる世界の中で、このような学会員の生き方は大きな輝きを放ち、人間と人間を結ぶ偉大な力になっています。
池田先生は「『心の財』は、分かち合えば合うほど、増えるのです」と言われました。本当にその通りだと実感します。
友の悩みに同苦し、その友の蘇生のドラマに涙し、歓喜する——私たちの友を思う行動によって「自他共の幸福」は社会に広がっていきます。
そして「一人の人間の幸福」を全ての原点とする、人間主義の思想が人々の心に浸透していく時、世界の「立正安国」の道は開かれると、先生は教えてくださっています。

4 世界に歓喜の花園を広げる
最後に先生は、学会は「価値創造の団体」であることを強調されています。

■ 池田先生の講義
創価学会は、「価値創造の団体」です。
美・利・善の価値の創造は、「自他共の幸福」の内実です。私たちは、一人一人の信心の勝鬨の発露として、この幸の花を豊かに多彩に咲かせながら、地域に、社会に、そして全世界に、幸福と勝利と平和の歓喜の花園を広げていくのです。
大聖人は、「随喜する声を聞いて随喜し」(御書1199ページ)と仰せになりました。
今、「幸福をつかむ信心」の歓喜の波動が、国境を越え、民族や言語などの差異を越えて、グローバルに拡大しゆく世界広布新時代を迎えました。それは、全人類が共に幸福をつかむ、民衆凱歌の世紀を開く挑戦です。

—◆—
池田先生は、"広宣流布は、妙法の大地に展開する大文化運動である"と言われています。仏法の光に照らされた私たちの力強い生命は、生活を潤し、豊かな文化を育み、地球を喜びで包むことを教えてくださっているのです。
先月10日付の聖教新聞で、77年に池田先生が各地の婦人部総会へ贈られた真心のピアノ演奏を動画で聴くことができ、全国の婦人部に大きな感動と喜びが広がりました。また、先生は自ら、音楽隊・鼓笛隊の結成をはじめ、文化祭の開催などを推進してこられました。
文化は人間性の発露であり、苦難を乗り越える力となるからです。
コロナ禍の中にあっても、各国の創価の友は、音楽を通して「師弟の心」「負けない心」を世界に発信してくれています。ブラジルイケダヒューマニズム交響楽団は、「母」の曲や学会歌「今日も元気で」をオンラインで"合奏"しました。インドでは外出規制の中、新愛唱歌を作成し、同志を鼓舞しています。
生命の共鳴に国境はありません。この麗しい姿自体が、学会が世界宗教であることの一つの証しであると思います。
これからも先生と共に、世界の同志と共に、幸福の連帯をさらに大きく広げていきたいと決意を新たにしています。

■ 池田先生の講義
幸福とは、日々の着実な積み重ねです。
そして、私たちが幸福を目指す人生の根幹には、日々の最高の「祈り」があります。
私は今日も真剣に祈り抜き、そして、いつまでも祈り続けます。
大切な皆様が健康・長寿であるように!
所願満足で、現世安穏であるように!
使命を成就し、後生善処であるように!
一人も残らず、幸福であるように!
大勝利の人生を勝ち飾れるように!

2020年7月27日月曜日

2020.07.27 わが友に贈る

◇今週のことば
「いかなる病
さはりをなすべきや」
妙法の師子吼を響かせ
健康・無事故の日々を。
皆で励まし合いながら!
2020年7月27日

生死一大事血脈抄 P1337
『然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』

【通解】
さて、久遠実成の釈尊(日蓮大聖人)と、あらゆる衆生を成仏せしめる法華経(文底独一本門の大御本尊)と、私たち衆生との三つは、まったく差別がないと信じ理解して、南無妙法蓮華経の題目を唱えていくことを、生死一大事の血脈というのです。

名字の言 「五木の子守唄」に込められた力強い心 2020年7月27日
子守歌と聞けば、母親が子どもを寝かしつけるための愛情がこもった歌を思い浮かべる。だが、熊本・五木村に伝わる「五木の子守唄」の歌詞は、そうではない。経済的苦境のため、年季奉公に出された守子の娘たちが自らの境遇を歌っている▼「子どん可愛いけりゃ 守りに餅食わせ 守りが転くれば 子もこくる(子どもが可愛いのなら、守子に餅を食わせろ。守子が倒れてしまえば、子どもも倒れてしまう)」。歌詞には悲哀を嘆くだけでなく、不条理を乗り越えようとする力強さもある▼民俗学者の赤坂憲雄氏は「五木の子守唄」を「守り子たちの抵抗の唄」と評している。「幼い子守りの娘たちが、捨て身で、何か巨大な黒い影に向けて、孤独な戦いを挑んでいる姿が、ここにはある」と(『子守り唄の誕生』講談社現代新書)▼不遇のどん底にあっても、負けないと決めた時、人は底知れぬ強さを発揮することができる。小説『新・人間革命』第25巻「人材城」の章には、「五木の子守唄」を通して、「人間は誰もが力を秘め、そして、誰にでも、幸せになる権利がある」と▼最も苦しんだ人が、最も幸福になる——そのために、私たちの信仰はある。さまざまな困難と戦う一人一人を、断じて孤独にさせず、その「心」を力強く支えたい。(芯)

寸鉄 2020年7月27日
会長の著作には闇の中にある人を奮起させる力が—詩人。今日も胸に刻み
中部の日。広布の一番星が輝けば未来は一層輝く—希望拡大の主役は私と
青年部が「不戦の誓い継承月間」を前進。君らの手で悲惨の二字なき世界を
旧友と再び繋がる—心の若返りに効果と。電話やオンライン等を使い賢く
自分は罹らないから平気…この油断は感染の因。危険ある所は呉々も避け

☆きょう池田先生とゴルバチョフ氏(ソ連大統領)との会見30周年 2020年7月27日
きょう27日は、池田大作先生とソ連(当時)大統領であったミハイル・ゴルバチョフ氏との初会見から30周年。会見の経緯や意義を振り返るとともに、先生の日露友好の信念を受け継ぐ使命と展望について、創価大学の田中亮平副学長(国際担当)の声を紹介する。

◇日露友好の歴史開いた率直な対話
1990年7月27日、モスクワのクレムリンで行われた、池田先生とゴルバチョフ氏の歴史的な会見。
語らいは、氏が進めた「ペレストロイカ(改革)」の現状と意義、青年への期待などを巡って1時間10分に及んだ。
会見では、先生が「世界平和を愛する一人の哲学者として、大統領の訪日を念願しています」と語ると、氏は「絶対に実現させます」「できれば春に日本を訪れたい」と明言した。この発言は一大ニュースとして日本中を駆け巡った。先生の誠実な対話が日露友好の新たな一ページを開いたのである。
ゴルバチョフ氏は85年、最高指導者に当たるソ連共産党書記長に就任。経済改革や情報公開などを促進した。また、世界の緊張緩和に向け、対話を重視した「新思考外交」で西側諸国や中国、東欧に歩み寄った。
さらに氏は、核軍縮・廃絶に積極的に取り組む。しかし当初は"単なる宣伝"との心ない批判にさらされる。その中で先生は86年、ノーボスチ通信に氏の取り組みを支持する所信を寄稿。翌年にもソ連『新時代』誌が同趣旨の先生の論文を掲載し、英語やフランス語などでも紹介された。
氏の努力は実を結び、87年にアメリカとの間で中距離核戦力(INF)全廃条約が締結。89年にはマルタでブッシュ米大統領と冷戦終結を宣言し、世界規模の対立に終止符を打ったのである。
そうした世界史のうねりの中で行われたのが、先生とゴルバチョフ氏との会見だった。
冒頭、先生は「今日は大統領と"けんか"をしにきました。火花を散らしながら、なんでも率直に語り合いましょう。人類のため、日ソのために!」とユーモアを込めて発言。氏も「私も率直な対話が好きです。会長とは、昔からの友人同士のような気がします」と応じた。
会見で氏は、先生の掲げる人間主義の価値観と理想を評価。「ペレストロイカの『新思考』も、会長の哲学の樹の一つの枝のようなものです」と述べた。先生も、自身と氏の考えは「人間」を見つめるという共通性があると強調した。
氏は91年4月、約束通り日本を訪れ、池田先生と再会。以来、東京、大阪、モスクワで、合わせて10度の会談を重ねている。対談集『20世紀の精神の教訓』は、語らいの一つの結実である。
30年前の会見は、30年という歳月を経ても色あせることはない。個人の自由と尊厳、社会の平和と安穏に勝る価値はないという二人の信念は、21世紀に生きる人々の心を揺さぶり続けるだろう。

◇創価大学・田中副学長「創立者の精神を永遠に継承」
創立者・池田先生が築かれてきた日露友好の礎によって、創価大学にはロシアから絶大な信頼が寄せられています。
その大きな証しの一つが、2016年に「ロシアセンター」が本学に開設されたことです。これは大統領令によって設立された「ルースキー・ミール基金」が世界で推進する、ロシアの言語教育の推進と文化の普及に努める拠点です。
さらに、毎回の「日露学長会議」には馬場学長が招かれ、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長らと親交を深めています。
池田先生が初めてソ連(当時)を訪問されたのは1974年。翌75年には創価大学とモスクワ大学の間で学術交流協定が結ばれ、学生・教員の往来が始まりました。
これまで、本学の学生からは日本を代表する優秀な通訳や国立大学の教授ら両国の友好に尽くす人材が誕生しています。また、現・駐日ロシア大使のガルージン氏も本学の留学生の一人です。
本学にロシア語を学ぶコース(文学部外国語学科ロシア語専攻=当時)が開設されたのが、先生とゴルバチョフ氏との会見に先立つ90年4月であったことにも、不思議な時の符合を感じます。
ゴルバチョフ氏は本学を2度、訪問されています(93年、2007年)。93年には、先生の提案でライサ夫人と共に「ゴルバチョフ夫婦桜」を植樹されました。氏と先生の変わらぬ友情を象徴するかのように毎年、美しい花を咲かせます。本学の担当者が氏と連携をとるたびに"私の桜は元気でしょうか"と、いつも気に掛けてくださっているそうです。
氏は、ロシアセンターの開所式にも「今後も露日友好の輪を広げ、深めていってくれることを期待します」と祝辞を寄せてくださいました。
先生と氏との会見、そして本学の本格的なロシア語教育のスタートから30周年を迎えた今、ロシアの交流校は「12」に広がっています。これからも、各大学と協力しながら、ロシア文化への見識を日本で広めるとともに、日露友好に尽くす人材の育成に一層、力を注いでまいります。

☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で 第6回 高知
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「高知——おもてなしの心の清き流れ」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。近代日本の夜明けを開いた人材が、志高く立ち上がった高知。その「志」には、思いやりの心があり、人情味があふれる。試練の時代の今、人と人、心と心のつながりが一段と求められている。この時こそ、南国土佐に息づく、温かな「ホスピタリティー(心こもるおもてなし)」の精神に学びたい。

太陽は
 昇り照らして
  つくりゆく
 いのち輝く
  黄金の世界を

平安の歌人・紀貫之は、有名な『土佐日記』で「この人々ぞ、志ある人なりける。この人々の深き志はこの海にも劣らざるべし」と、心通う人たちのことを感嘆しておりました。
海よりも深い志に生きる人々の「志の国」すなわち「志国」こそ、四国であり、高知です。高知には、「いごっそう」の丈夫たち、そして「はちきん」の母たち、女性たちの強き志が輝いています。
佐川町が生んだ「日本植物学の父」牧野富太郎博士は、夫人と共に、苦難の連続のなか、「私は決して負けまい」という決心と、いのちへの「思い遣りの心」で、大きな志を果たしていきました。
南国土佐には、「ひとりで泣かんでえい」「一緒に笑おうや」と、苦楽を分かち合う"ぬくい"絆があります。
江戸っ子とも相通ずる、人情味あふれる高知の友が、私は大好きです。

◇不屈の巌のごとく
〈本年は、池田先生の高知初訪問から65周年。先生は信頼する高知の同志と共々に、民衆運動のスクラムを広げてきた思い出を述懐しつつ、地域に根を張り、人々から慕われる宝友の姿をつづった〉

雄大な太平洋に臨む高知の広い天地を、南国の陽光を浴びながら、黒潮の香りのする風に吹かれながら、車と列車を乗り継ぎ、駆け巡ったことは、今も忘れられません。
そうしたなかで語り合ってきたことは、家族を愛し、友を愛し、地域を愛して、自分らしく貢献していく人生を! ということでした。
真実の幸福は、どこか遠くにあるのではない。外から与えられるものでもない。身近な一人一人を大切にするところにあるからです。
高知の各地に、長い歳月、地域に根を張って皆に尽くし、皆から慕われる、元気で知恵ある宝の存在がおられます。
「この方あればこそ、この地の幸あり」と讃えられる父たち、母たちです。
幡多郡で、「地域の友の幸せのために、体当たりで尽くしていこう」と奔走した夫妻がいます。
「まず動く」ことを心がけ、悩める友がいれば、険しい山道もいとわず、海風すさぶ断崖の道も恐れず、激励に駆けつけました。
つらい時には、太平洋の彼方に赫々と太陽が昇り、大海原を金色に染めゆく光景を励みにして、「断じて負けない! あの雄々しい波のごとく、あの不屈の巌のごとく生きちゃる!」と立ち上がってきたのです。

私の妻がよく知る高知市の母に、保育園の園長先生がいます。
もともとの出発は、市から"農地を使って保育園を設立してもらえないか"と依頼されたことでした。農家に嫁いで、ようやく農作業にも慣れた頃のことです。
困惑したものの、「地域の皆さんに喜んでもらえるなら」とお受けしました。そして、血のにじむような努力を重ねて、娘さんと一緒に、"子どもの希望の城"の保育園を築いてこられたのです。
「一人一人の成長を願い、地道にかかわっていくならば、必ず子どもは大きく育つ」と。
保育園の体育館を地域に開放したり、高齢者福祉施設とのほほえましい世代間交流なども行ってきました。
亡くなった最愛のご主人と息子さんの分までもと、故郷の喜びを誉れとし、地域に寄り添って生き抜いてきたのです。
今では卒園生が父母となり、二世代目の子どもたちも入園して、明るい笑い声が地域に響いています。
「地域のお役に立てることに感謝、感謝です」と、婦人は笑顔で語っていました。

◇勝利の幸あれ
〈高知には、何ものにも代え難い自然の美が備わり、「おもてなし」という心の美が光っている。そこに流れる親切や誠実といった伝統を輝かせながら、高知がさらに発展しゆくことを念願し、池田先生はエッセーを結んだ〉

高知には、「おもてなし」という心の美が光っています。全国の県庁で唯一「おもてなし課」があるように、訪れた人々を真心で迎えるホスピタリティーの精神が、高知に満ちているのです。
「おもてなし」には、目に見える「モノ」と、心を表す「コト」があり、とくに心のこもった「コト」のサービスが重要であると言われます。心は目には見えません。しかし相手を思う心は、必ず相手の心に通じていくものです。
「おもてなし」の語源の一つは「裏表なし」とされます。そこに、親切や誠実という「志」が、高知の伝統の心として清らかに流れているように感じるのは、私一人ではないでしょう。
高知には、自然と人間、人間と人間が共生し育んできた、豊かな農があり、食があり、文化があります。
高知育ちの近代日本の科学者・寺田寅彦博士は、大好きだった祖母の姿で最も懐かしく思い起こすのは、糸車を廻している姿だと綴っています。
婦人たちは糸車を廻し手織機で織物を織るのを誇りと楽しみとしていました。そこには、どんな娯楽も敵わない「物を作り出すことの喜び」があったからです。
地味であってもよい、愛する人のため、愛する郷土のために、何か価値あるものを作り出そうと努める女性の働きに、どれほど皆が支えられてきたことか。それが、どれほど尊く気高い振る舞いであることか。
今、そうした祖父母や父母たちの志を受け継いで、高知のさらなる繁栄を志す若い世代が、仲良くスクラムを組んで、立ち上がっています。
「ああ紅の 朝明けて」「ああ暁鐘を 打て 鳴らせ」と高らかに歌い、新しい志国の夜明けを目指しながら!
高知の県民歌には、未来に進む土佐の凜とした心意気が表れています。
 「築き興さん 弥栄の土佐
  光はもゆる 光はみつる」
「高知」——その名も「高き知恵」の大地は、希望の光輝く大地「光地」でもあります。そしてまた、幸福の心薫る大地「幸地」でもあるのです。
この憧れの南国高知の天地に、平和の光あれ、勝利の幸あれと、私も妻も祈る毎日です。

晴れ晴れと
 幸福の太陽
   我が胸に

(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第1巻所収)

2020年7月26日日曜日

2020.07.26 わが友に贈る

広宣流布とは
信頼を広げること。
地域・社会に貢献し
友の幸福に尽くす
模範の"良き市民"たれ!

南条殿御返事 P1573
『無一不成仏と申して南無妙法蓮華経を只一度申せる人一人として仏にならざるはなしととかせ給いて候』

【通解】
「一として仏にならないものはない」といわれて、南無妙法蓮華経とただ一度でも唱えた人は一人として仏にならないものはない、と説かれているのである。

名字の言 人を鍛えるのは「人・本・旅」 2020年7月26日
「学びに年齢は関係ありません」と語るのは、立命館アジア太平洋大学の出口治明学長。生命保険会社を退職後、60歳の時にベンチャー企業としてライフネット生命を開業。70歳になった一昨年から、現職に就いた▼人を鍛えるのは「人・本・旅」と氏。すなわち、たくさんの人に会い、良書に親しみ、さまざまな場に足を運んで刺激を受けることだ。実際に氏は、学長就任に当たって、教育基本法や学校教育法などの法律を徹底して学んだ。そして、心構えや必要なことなどを聞くため、他大学の総長や学長を訪ねて回ったという▼氏は"自分が今いるポジションで、できることに少しずつでも取り組んでいくことが大切"と強調する。「どんな年齢の人でもいまこの時が一番若いのですから、思い立ったらすぐ行動することが大切」と(『還暦からの底力』講談社現代新書)▼何かを始めるとき、"今さら""もう遅いのでは"という、周囲のささやきや自分の心の声で気持ちが萎えることがある。ただ、それに従っても何も変わらない。"年齢は関係ない!""やってみよう!"と立ち上がれば、新しい自分が見えてくる▼仏法は「現当二世」と説く。常に「今」「ここから」未来は変わっていく。きょう成すべきことに、果敢に挑んでいこう。(巍)

寸鉄 2020年7月26日
「まことの時はわするるなるべし」御書。苦しい時こそ信強く!それが師子
長野婦人部の日。祈りと励ましで郷土を明るく!人材山脈の太陽は赫々と
壁を築くより橋を架けよ—古言。孤立進む現代。人々の心結ぶ声掛け益々
感染症の影響で防災備品の中身変化と。マスク等の準備も。各家庭で確認
読書習慣ある人は認知症の発症率が低い—研究。学びの人生は永遠に向上

〈社説〉 2020・7・26 杉原千畝"命のビザ"から80年
2020年7月26日
豊かな知恵に満ちた日常を
「人間として当たり前のことをしただけ」——。第2次世界大戦中の、今から80年前に、ナチスの迫害を逃れてきた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの命を救った"日本のシンドラー"と称される外交官・杉原千畝の言葉だ。
リトアニアの在カウナス日本領事館に勤務していた杉原が、ユダヤ人にビザを発給し始めたのは、1940年7月26日ごろ。それから1カ月以上かけて、約6000人もの人命を救った。
彼の妻・幸子さんは、その"決断"の時の様子を本紙で回顧している。「最後に、『これでいいかい』と私に言うので、『そうしてください』と言いました。私も、主人と同じ考えでしたから」
2度にわたり、ビザ発給の可否を本国に確認するも「否」。それでもなお、戦時下に訓令違反も辞さず、人道の信念を貫いた夫妻の勇気の行動は、不滅の良心の輝きを放っている。
だが、杉原の優れた点は、ヒューマニズムだけではない。ビザ発給は、インテリジェンス・オフィサー(=情報の収集・分析のプロフェッショナル)として活躍してきた彼の真骨頂だった。
杉原の研究に従事する白石仁章氏は「偉大なヒューマニストの側面に、希代のインテリジェンス・オフィサーの姿が加わってこそ等身大の杉原像に近づける」(『杉原千畝 情報に賭けた外交官』新潮文庫刊)と記す。
カウナス在勤時、杉原が独断でユダヤ人に発給した"命のビザ"は「2139」。「6000」とは大きな開きがある。近年の調査で、1枚のビザで家族全員が救われた"特例措置"や、子どもの名前が併記されたケースが確認されている。
押し寄せる人が増えることを予想し、8月初めの段階で調書を簡略化。さらに、効力を担保しつつ、手書きの大部分をスタンプ化することでビザの大量発給を可能に。この"決断"もまた、緻密な計算や秘策に裏打ちされた"英断"だった。
そこには、戦渦の極限状態の中、"命を救う"と執念を燃やし、聡明に危機を乗り越え、不可能を可能にした英知が光る。杉原の行動から学ぶことは多い。
今は誰もが多くの情報を入手し、発信できる時代だ。膨大な情報をいかに見極め、社会や人のために生かせるか。その見識や判断力が一段と問われている。
池田先生は語っている。「知識は、究極的には、智慧をわきたたせるための手段である。智慧が『幸福』を生む。智慧こそ『人を救う力』であり、人が生きていくための根源の魂である」
コロナ禍で環境が激変している試練の今こそ、より深く、強盛に祈り、豊かな知恵に満ちた日常を送りたい。

☆女子部結成記念大会への池田先生のメッセージ 2020年7月20日
◇祈り励まし、試練を創造の知恵に 朗らかに勝利と幸福の花を!
明るく、爽やかに心を結び合う女子部結成記念の大会、誠におめでとう!
今、世界の試練の時に、花の女子部の皆さんが、凜として祈り、学び、励まし合うスクラムが、どれほど大いなる希望の光を放っていることでしょうか!
私も妻も、言い知れぬ、不安や労苦に立ち向かっている一人一人に届けと題目を送っております。
日蓮大聖人は女性の門下に、「妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり花なり大地なり大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う」(御書1484ページ)と断言なされました。
何があろうと、この妙法を唱え抜いていくならば、どんな悩みも新しい前進のエネルギーに変え、どんな苦難も新しい創造の知恵に変えることができます。
仕事でも生活でも地域でも、断じて勝利の花、幸福の花を咲かせていけるのです。
皆さんには、この世界一の幸福の哲学があります。そして、共に実践する最高の同志がいます。創価家族がいます。
どこまでも、学会の良き先輩や仲間と支え合い、大地のように、大海のように、心広々と、希望と平和のスクラムを輝かせていってください。
どうか、親孝行の笑顔を忘れず、健康第一、無事故第一で、朗らかに、粘り強い、青春の前進であれ!

☆小説「新・人間革命」学習のために 「女子部」編
◇正義の心で 今、師とともに 華と舞え!
小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は、あす7・19「結成の日」を記念して「女子部」編を掲載する。次回は「未来部」編を24日付2面に掲載の予定。挿絵は内田健一郎。

◇苦労をも楽しむ人が人生の達人
<1961年(昭和36年)7月、山本伸一は長野で行われた「華陽会」の野外研修で人生の在り方について指導する>
「今日は、心身ともに鍛えて帰ってください。また、存分に遊び、楽しんで、大いに英気を養ってください。
人生を最高に楽しむということも、仏法に通じます。
大聖人は、あの佐渡の地にあっても、『流人なれども喜悦はかりなし』(御書1360ページ)と仰せです。
御本仏の大境涯、大確信から発せられた御言葉ですが、大聖人は、流罪という大苦難のなかでも、大歓喜を感じておられた。
どんな環境にあっても、人生を楽しみきっていけるのが信心です。戸田先生は、成仏というのは、生きていること自体が、楽しくて、楽しくてしょうがないという境涯であると、よく語っておられた。
人間の人生には、苦労はつきものです。学生のうちは、勉強しなければならないし、会社に入れば、働かなければならない。
(中略)しかし、そのなかに、意義を見いだし、生きがいをつくり、目標を定め、はつらつと挑戦し、苦労をも楽しみながら、瞬間、瞬間を最高に有意義に、楽しみきって生きていける人が、人生の達人なのです。
結局、幸福とは、外にあるのではない。私たちの心のなかにある。それを教えているのが仏法です」(中略)
「女子部は学会の花なんだから、いつも、このように楽しく、そして、常識豊かに、活動を進めていくことです。
誰が見ても、明るく、さわやかでいいなと思えることが、信心のすばらしさの証明になるからだよ」
(第4巻「立正安国」の章、257〜258、263ページ)

◇唱題こそ絶対的幸福境涯の源泉
<61年(同36年)11月、第9回女子部総会で伸一は、女子部幹部が思索し、議論を重ねてきた絶対的幸福境涯を確立する方途について語る>

「相対的幸福」とは、経済的な豊かさや社会的な地位など、自分の外の世界から得られる幸福である。そんな幸福は、ひとたび環境条件が変われば、いともたやすく崩れ去ってしまうものだ。
これに対して、「絶対的幸福」とは、いかなる困難や試練にも負けることなく、生きていること自体が楽しくてしようがないという境涯の確立である。
彼女たちは、戸田城聖が、山本伸一が、常に訴えてきた"幸せ"とは、この「絶対的幸福」にあったことを知ったのである。
そして、具体的には、日々、力強く唱題に励みながら、"妙法"という確かな生命の軌道に乗り、自身の人間革命をめざして、生き生きと生活に、学会活動に取り組んでいくなかに幸福があるとの、結論となっていった。
一人ひとりのメンバーは、皆、それぞれ、深刻な悩みを抱えていた。しかし、彼女たちは、真剣に信心に励み、広宣流布の使命に生きようとしている時には、生き抜く喜びを実感していた。
それは「絶対的幸福」に至る、確かなる生命の手応えといってよい。(中略)
伸一は、信仰の目的について語っていった。(中略)
「どうすれば、その絶対的幸福境涯を確立することができるか。その方途を示されたのが日蓮大聖人であり、それは、御本尊への唱題以外にありません。簡単といえば、これほど簡単なことはないし、万人に幸福の道を開いた、これほど偉大なる仏法、大哲理はありません」
(第5巻「勝利」の章、230〜231、241〜242ページ)

◇"豊かな心"育む生き方の哲学を
<77年(同52年)5月、熊本文化会館の屋上にある庭園で伸一は、女子部の職員らと懇談する>

「戸田先生は、常に、『女子部は教学で立ちなさい』と言われていた。それは、幸福になっていくためには、生命の法理に立脚した人生の哲学が不可欠だからなんです。また、本当の意味で、女性が人間として自立していく道が、そこにあるからなんです」
かつて、女性は、幼い時は父母に従い、結婚してからは夫に従い、老いてからは子に従うべきであるとされていた。
近代の女性たちは、そうした服従の綱を断ち、自立の道を歩もうとしてきた。「女性の世紀」を展望するうえで大事なことは、その自立の道が、真の幸福の道へ直結していくことであろう。
本当に一つ一つの物事を自分で考え、判断しているだろうか。周囲の意見や、流行、大勢などに従ってはいないか。それが、何をめざし、どこに向かっていくかを深く考えることもなく、ただ、みんなから遅れないように、外れないようにと、必死になって追いかけて、生きてはいないだろうか。
本当の幸福は、自分で創り上げていくものだ。誰かから与えられるものではない。自分の外に求めた幸福は、時とともに、いつか崩れ去ってしまう、束の間の幸福である。幸福になるには、「幸せとは何か」を明らかにした「哲学」が必要になる。「哲学」というのは、生き方の根本となる考え方である。日蓮大聖人は、教えてくださっている。
「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)と。
お金も必要であろう。健康や技能も大事である。しかし、最も大切なのは、心の財、つまり、強く、豊かな心だ。
(第25巻「人材城」の章、316〜317ページ)

◇試練に打ち勝つ「強さ」培う信心
<78年(同53年)3月、伸一は東京・立川文化会館で行われた女子部のブロック長会に出席し、信心の意味について訴える>

人生は、決して平坦ではない。若い時代の幸せが、永遠に続くとは限らない。
結婚してから、夫の仕事の問題や病、家庭不和、あるいは、子育てなどで、悩み苦しむこともある。それに打ち勝つ強さを培い、未来にわたる福運を積んでいくための信心である。(中略)
「皆さんが担当しているブロックの部員さんのなかには、仏法はすごいと感じていても、"人に信心していると言うのが恥ずかしい"と思っている方もいるかもしれない。しかし、勇気をもって、その弱さを打ち破っていくことが大事なんです。
幸福の王女という主役を演じるのに、恥ずかしがって舞台の袖にいたのでは何も始まりません。強く生き抜いていくうえで必要なのは勇気です。人生のあらゆる局面を左右するのは、勇気があるかどうかであると言っても過言ではありません。
その勇気の心を磨いていくのが、信仰なんです。学会活動なんです。
御書に『随力弘通』『随力演説』とありますが、各人の力に随って、仏法への率直な思いを、自分らしく、自分の言葉で、周囲の人に語っていけばいいんです。自身の崩れざる幸福のために、女子部の皆さんは勇気を奮い起こしてください。
広宣流布の未来は、皆さんたち青年部に託す以外にない。女子部がいるだけで、組織は花園になります。希望の光に包まれます。女子部、頼むよ。皆さんを見守っていきます」
父の祈りにも似た言葉であった。
(第26巻「奮迅」の章、419〜420ページ)

◇女子部への指針
自分を大切に!
聡明な人生を!
価値ある青春を!
皆さんが幸福になるための信仰であり、学会なのである。
(指導集『青春の光彩�』)

2020年7月25日土曜日

2020.07.25 わが友に贈る

学び続ける人に
行き詰まりはない。
徹底して自身を磨き
哲学と見識を備える
賢者の振る舞いを!

妙法比丘尼御返事 P1418
『日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へども』

【通解】
日蓮は、この法門を語ってきたので他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた

名字の言 ベートーベンの音楽は「悩むものの友だち」 2020年7月25日
今年、生誕250周年となる楽聖ベートーベンについて、音楽評論家の吉田秀和氏がつづっている。「ベートーヴェンの音楽は、ほかのどんな音楽よりも、悩むものの友だちであり、ときに、慰め手である」(『吉田秀和全集1』白水社)▼楽聖が人生の途上で味わった苦悩の深さは計り知れない。突然の家族の死、貧困と孤独、音楽家として致命的ともいえる難聴……▼その中で彼は、勇気を湧き立たせ、希望を見いだし、作曲という"戦い"に挑み続けた。「勇気、からだがどんなに弱っていようとも精神で打ち克ってみせよう」(小松雄一郎訳)、「希望よ、お前は心を鉄にきたえる!」(吉田秀和訳)と。だからだろう。彼の音楽は時を超え、国を超え、人々の心を鼓舞し続ける▼各地に甚大な被害をもたらした「令和2年7月豪雨」。50年間住んできた自宅が損壊した壮年が語っていた。「絶対に負けません。復活する姿を見ていてください」。ある婦人は自ら被災しながらも、懸命に友を励ましていた。「大丈夫。師匠と同志が祈ってくれています。一緒に乗り越えましょう」▼苦難があれど、試練があれど、不屈の心で連帯し、前へ前へ進む創価の友。この"蘇生の劇"は必ず、偉大な音楽のごとく、勇気と希望の曲を奏で続ける。(誠)

寸鉄 2020年7月25日
「今日蓮等の類いは善の導師なり」御聖訓。試練の時こそ地域の灯台と輝け
「志の固き人は幸いなるかな」詩人。広布に生き抜く人生は最も尊く幸福
社会の基盤は、家庭にある—戸田先生。親子で信心継承の夏季友好期間に
北極圏が記録的高温に。温暖化が原因と。未来を守るため人類の英知結集
マスク、手袋等の"コロナごみ"が海・川で増加。自分勝手の心捨て規則守れ

☆創価学園「栄光の日」への池田先生のメッセージ 2020年7月18日
◇「師子の信念」「負けじ魂」で王者の山を登りゆけ!
苦しい試練の日々を越えて、晴れ晴れと「栄光の日」、誠におめでとう! みんな、本当によく頑張り抜きました。
「負けない心」「負けじ魂」のわが学園生こそ、私の最大の誇りです。私は一人一人と固い固い心の握手を交わし、その頭に「勝利の栄冠」をかぶせて差し上げたい思いでいっぱいです。
歴史を学ぶと、古今東西、苦難の時に偉大な魂の人材が躍り出ています。14世紀初め、イタリアに誕生した桂冠詩人のペトラルカも、その一人です。
皆さん方と七百年の歳月を隔てた青年ペトラルカは、私が講演したボローニャ大学で勉学に励みました。ペスト(黒死病)という恐ろしい感染症が蔓延する危機の時代を生き抜いて、ルネサンスという文化の黄金時代を切り開いていったのです。
私の師匠・戸田城聖先生も私も好きな、この大詩人の言葉があります。
「運命はわたしを苦しめ、叩くことはできても、打ちのめすことはできません」(近藤恒一編訳『ペトラルカ=ボッカッチョ往復書簡』岩波文庫)というのであります。
そして、ペトラルカは「勇敢さ」と「辛抱強さ」を力とし、さらに絶対の信頼で結ばれた「友情」を宝として「友と朗らかに」、苦難の運命さえも不屈の創造のバネとしたのです。
思えば、戸田先生と私が学園・大学という創価教育の学びやの建設を構想したのも、70年前、先生の事業が最も苦しい時でした。学園は、まさに「師子の信念」から生まれたのです。
さまざまな制約があり、思うようにいかないことや悔しいこともあるでしょう。しかし、わが学園生は、だからこそ、大地のように、たくましく鍛錬を!
大海のように、大きな心で勉学を! 読書を!
太陽のように、明るい笑顔で友情を! 親孝行を! と申し上げ、私のメッセージといたします。
みんな健康第一で、「王者の山」を一歩一歩、登りゆく夏にしてください(大拍手)。

☆勇気の旗高く 池田先生が鳥取の友に贈る指針 出発点は「一念の変革」
◇波は荒くも
<鳥取県で最初に学会の支部が誕生したのは、1960年(昭和35年)5月3日。池田先生が第3代会長に就任したその日であった。今年で60周年になる。先生は、会長就任前の同年2月に鳥取を初訪問し、広布に一人立つ決意を歌に詠んだ。後に当時の思いを、こうつづっている>

私が初めて、多くの願いを込めながら、「山光」の鳥取の天地に足を運んだのは、一九六〇年(昭和三十五年)の寒き二月のことである。
その二十二日には、鳥取市内で、山陰の総決起大会が開催された。
「山陰」というと、いつしか陰気なイメージを与えがちであるが、この地を新しい広布の楽園にしていかんとする、信念の同志の炎は燃え上がり、寒々とした地域どころか、南国のような季節を感じる日となった。
翌日、私たちは、日本一といわれる鳥取砂丘に、波音と風に包まれながら立った。雄大なる自然と私たちの精神とが、親しく交流し、深く呼吸しゆく瞬間であった。
師・戸田先生が逝いて二年。当時、わが学会は船頭を失ったまま、荒れ狂う大波の中を、最悪の状態で進んでいた。
わが愛する会員を断固として守りゆかねばならない。
そのためには、犠牲を払って、誰かが厳然と立たなければならなかった。
私が、会長になることは、すでに決まっていたようなものだ。それが戸田先生の心であり、当時の幹部の心であり、全会員の総意であったことは間違いなかった。
私は、殉難を覚悟し、広宣流布に立つ決意をもって、この光に満ちた大砂丘で、一首の歌を詠んだ。

東洋の
 広宣流布に
  断固征け
 日本海の
  波は荒くも

懐かしきこの日から七十日後、私は、第三代会長に推戴されたのである。
その五月三日に、山陰で最初の支部として誕生したのが、鳥取支部であった。

◇人間が輝く天地に
<その後も先生は、鳥取の発展を願い、激励を重ねた。65年(同40年)1月には、地区部長会に出席。最前線を駆けるリーダー170人と誓いの握手を交わした。また、豪雨被害のあった72年(同47年)9月には、復興に立ち上がる同志たちにエールを。その翌年、後に「鳥取の日」に制定される9月17日の県幹部総会では"地域の繁栄は「一念の変革」から"と呼び掛けた>

地域の開発、繁栄の基礎は、なんといっても「一念の変革」「精神の開発」から出発するものである。この確たる法則にのっとってこそ、精神も生き、労働の成果も生かされてくるのであります。
しっかり題目をあげて人間革命をし、自分は、これだけのものを後世に残した、鳥取県に残した、人間、庶民のなかに残した、と言い切れる一人一人になっていただきたい。私は、そこにこそ、人生の生きがいもあり、広宣流布の発展もあり、また山陰地方という、この大切な郷土の発達、繁栄もあると、確信したいのであります。
物質文明がもたらした人間疎外。これは、はなはだ強力であって、すべてを妨害しております。たくさんの、いわんや一般社会からみても、底知れぬ大きな妨害となっていることは、間違いないところであります。
教育効果の力だけでは、もはやこの物質文明がもたらした人間疎外という大きな問題は、とうてい乗り越えがたい強力さをもっている。
故に、現代および将来のヒューマニズムは、どうしても仏法によって生命の内奥から顕現していく以外には絶対にない、と訴えておきたいのであります。
今、幸いにも、学会員である皆さん方は、着実にそれを実践しつつあります。これは実に重大なる実践行動なのであります。願わくは、各人が、その力強い、生命の内奥からにじみでる温かさを、これからもますます発現して、この山陰を本当に住みよい郷土にして、日本の人々からうらやましい、山陰がうらやましい、といわれるような理想郷に仕上げていただきたいことを心からお願いしたいのであります。

◇民衆力の拡大を
<同志にとって不滅の原点となっているのが78年(同53年)7月の来訪である。池田先生は鳥取に4日間滞在し、8000人以上の友を激励した。この間、中国方面歌「地涌の讃歌」が完成し、本州の日本海沿岸で初めてとなる本部幹部会で発表された。先生は、2004年の随筆で当時をこう振り返る>

最重要の行事である「本部幹部会」を、米子文化会館で行ったのも、この時である。本州の日本海沿岸で、初めての本幹であった。
会場を彩ったヒマワリの花の如く、誇らしき笑顔、また笑顔の鳥取、島根の友よ! さらに、広島、岡山、山口の中国の兄弟姉妹よ!
私たちが作った中国の歌「地涌の讃歌」が発表されたのも、この席上であった。
全同志が鳥取・島根を見た。いな、驚いた。そして、ここから響いてくる、雄々しき広宣流布の行進曲に、戦う勇気を奮い起こしていった。
ここ鳥取が、また島根が、創価の「本陣」であった。
私と共に、師弟不二の決心で全創価学会を動かし、堂々と指揮をとったのだ!
勇気を持て!
誇りを持て!
それは、大きい転機であった。皆の胸中に激しく回転を始めた心の革命だった。

<山陰地方を"山光"とたたえる先生は、この随筆の中で、固定観念に縛られない視点を持つ大切さを訴えた>

「いつも同じ視点」からだけでは、一面的になり、真実の姿はわからない。
たとえば、山光の地域は、かつて、中国大陸、韓・朝鮮半島との交流の"表玄関"であった。渡来船は、美しき大山をめざし、日本海の荒波を越えてきたのであろうか。
近年、その大交流を物語る、日本最大級の弥生遺跡や遺物が、続々と出土している。また、淀江では、日本最古級の彩色仏教壁画も発見された。仏教文化が栄えた古の国際交流の一大拠点——それが、わが山光であった。
近代では、日本海側を"裏日本"と呼ぶ風潮があった。しかし、見る目を変えれば、地図は全く変わるのだ。
今や環日本海エリア、また北東アジアは、二十一世紀の平和と繁栄の鍵を握る、希望の先進地となってきた。
その意味でも、鳥取、島根をはじめ、日本海沿岸地域の民衆力の拡大が、どれほど多くの人びとの勇気と決意の光源となることか!
さらにいえば、「人を見る目」も、決して一面的であってはなるまい。こちらの姿勢いかんで、人間関係は大きく変わってくるものだ。
それが、「あの人は駄目」「この人はこう」と固定観念をもち、決め込んでしまうと、相手の違った顔が見えない。いな、相手と真っすぐ向き合うことができないのだ。
相手ではない。自分の目に惑わされるのだ。
また、自分に対してすら、「自分は、もう、これだけしかできない」と決めつけてしまう場合もある。
先入観。我見。固定観念。思い込み——それらが自分を縛り、閉じ込めてしまっているのだ。その心の檻を打ち破ることだ!
それには祈りと行動だ。勇気をもって、ぶつかっていくことだ。動けば、おのずから、視点は変わるのだ。
思えば、法華経は、あらゆる人びとに幸福の可能性を開いた経王である。「この人は駄目だ」とは、絶対に決めつけなかった経典なのだ。

<支部結成から60周年の本年、友の新しい決意と行動で、鳥取に幸福の楽土が大きく広がっていく>

2020年7月24日金曜日

2020.07.24 わが友に贈る

局地的な豪雨による
河川の増水・氾濫や
土砂災害に厳重警戒!
配達員の皆様も
安全・無事故第一で!

月水御書 P1199
『法華経は一日の所作に一部八巻二十八品或は一巻或は一品一偈一句一字或は題目ばかりを南無妙法蓮華経と只一遍となへ或は又一期の間に只一度となへ或は又一期の間にただ一遍唱うるを聞いて随喜し或は又随喜する声を聞いて随喜し是体に五十展転して末になりなば志もうすくなり随喜の心の弱き事二三歳の幼穉の者のはかなきが如く牛馬なんどの前後を弁へざるが如くなりとも、他経を学する人の利根にして智慧かしこく舎利弗目連文殊弥勒の如くなる人の諸経を胸の内にうかべて御坐まさん人人の御功徳よりも勝れたる事百千万億倍なるべきよし経文並に天台妙楽の六十巻の中に見え侍り』

【通解】
法華経は一日のつとめに一部八巻二十八品、あるいは一巻、あるいは一品・一偈・一句・一字、あるいは題目ばかりを南無妙法蓮華経とただ一遍唱え、あるいは一生の間にただ一度唱え、あるいはまた一生の間にただ一遍唱えるのを聞いて隨喜し、あるいはまた、その隨喜する声を聞いて隨喜し、このように五十展転して、おわりになれば志も薄くなり、隨喜の心の弱いことは、二・三歳の幼子がはかないように、牛馬などが前後をわきまえないのと同じようにはかなくなっても、他の経を修学する人で、利根の智慧も深く、舎利弗・目連・文殊・弥勒のような、諸経の胸中に浮かべておられる人々の御功徳よりも、勝れていることは百千万億倍であると、法華経や天台・妙楽の著した六十巻の書物の中に明かされている。

名字の言 傘寿を迎える壮年が語った師弟の原点 2020年7月24日
池田先生の会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』。世界192カ国・地域に広がった広宣流布の軌跡がつづられている▼「私の入会は、池田先生が第3代会長に就任された1960年の5月。先生の会長就任60年の歩みは、そのまま、自分の入会60年の歩みと重なります」。間もなく傘寿(80歳)を迎える壮年が誇らしく話し始めた▼壮年の原点は、入会2年目に訪れた池田先生との出会い。"私は、何があっても諸君の屋根になる。土台となる"との先生の師子吼と振る舞いに全身に電流が走り、人生が百八十度変わったという。「この時、"この方に本気になって付いていく"と誓ったのです」▼学会活動を本格的に始めてからも、経済苦、家族との突然の別れをはじめ、宿命の嵐は猛然と吹き荒れた。それでも原点が揺らぐことはなかった。「私の場合、創価学会の世界の素晴らしさを心の底から実感できるまで50年、60年かかりました。何事もそうですが、自分が本気になって取り組まないと分かりません」▼御義口伝に「共の一字は日蓮に共する時は宝処に至る可し」(御書734ページ)と。どんな時も師匠と共に! 偉大な学会と共に!——これこそ、我らの原点であり、永遠に忘れてはならない学会精神である。(側)

寸鉄 2020年7月24日
世界青年部総会へ出発!誓いは一つ。"未来までの広布の物語"綴る挑戦を
信心で苦難に向かえば、仏の力が出る—戸田先生祈りが根本。さあ勇躍!
「父母の恩を報ぜよ」御書感謝の心を持つ人は負けない。自身が成長し輝く
炎天下でのマスク着用は熱中症に注意。自覚ないまま進行も。水分忘れず
飛び交う感染情報、不安吐露する人増加と。正確な情報確認し賢明に行動

☆新時代を築く 常勝の連帯の光を世界へ 2020年7月17日
7月17日は「大阪の日」。苦楽を分かち合ってきた関西家族は、生死を超えて、私の胸奥から離れることはない。
大阪大会の当時、戸田先生が深く偲ばれたことがある。
それは、文応元年(1260年)7月16日、日蓮大聖人が「立正安国論」で国主諫暁し、その後、松葉ケ谷の法難に遭われ、翌年には伊豆へ流罪された歴史である。
先生は「立正安国」の大精神を貫くからこそ難が競い起こることを示し、大聖人の仰せのまま一歩も退かない創価の師弟の覚悟を語られたのだ。
「この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていくなかにこそ仏法の実践がある」と。
そして先生は、私と一緒に戦い抜いた関西の同志を最大に讃嘆され、何ものも恐れぬ「立正安国」の民衆の陣列が築き上げられたことを、何よりの誇りとされたのである。
昭和32年のあの日あの時、中之島の大阪市中央公会堂で、私は関西の誓いの友と"最後は、信心しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つ"と宣言した。今や、この「負けたらあかん」の常勝の連帯は、若き地涌の世界市民に継承されている。

* * *
愛する九州をはじめ各地の甚大な豪雨被害に、重ねて心からお見舞い申し上げます。被災された方々の健康と無事安穏、一日も早い復旧・復興を懸命に祈っております。
「わざはひも転じて幸となるべし」(御書1124ページ)
「しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし」(同1565ページ)
御本仏の約束通り、絶対に変毒為薬できる信心です。必ず宿命転換できる仏法です。頼もしき青年部の「かたし隊」はじめ不撓不屈の創価の絆で、断じて苦難の坂を越えていかれるよう、ひたぶるに題目を送っていきます。

* * *
信心しているのに、なぜ、さまざまな重苦に遭うのか。
大聖人は、竜の口の法難の直後、「転重軽受(重きを転じて軽く受く)」という法門を明かされた(同1000ページ)。「地獄の苦み」さえも、今生で「ぱっと」消し去ることができる。全ては、未来永遠に崩れざる成仏の幸福境涯を開きゆくためなのだ。
この御書を連名で頂いた3人の門下は、兄弟一体の仏弟子「修利槃特」のごとく、不二の団結で怯まず進んでいくように激励された。
厳しいコロナ禍にあっても、全世界の宝友たちは、まさに「自他彼此の心なく」励まし合い、社会へ希望と勇気と友情の光を送っている。
今、大きく変容する世界で「四表の静謐」への祈りこそ、人類を結び、高める力となる。
笑顔を湛えて皆を包容しゆく「立正安国」の対話こそ、いかなる試練も前進の活力に転じ、あらゆる存在を味方に変えるのだ。
異体を同心とする桜梅桃李のチームワークで、地球社会の明日へ平和と安穏を!

☆日蓮大聖人の慈愛の眼差し 光日尼 仏法は生死を超えた希望の道
◇息子を失った悲哀を乗り越え、一途に信心を貫いた安房の門下
日蓮大聖人の御生涯は、門下への励ましに次ぐ励ましであられた。
まして、息子を失い、悲しみに沈む母・光日尼への励ましは、凍てつく大地を解かす、春の陽光のようであった。
大聖人の深き慈愛に包まれ、光日尼は生きる希望を見いだし、絶望の淵から蘇生していったのである。
光日尼は、安房国東条郡天津(千葉県鴨川市天津)在住の門下で、夫に先立たれた女性である。息子の弥四郎は武士であり、「容貌も立派で、素直な感じ」(御書928ページ、趣意)であった。
光日尼が大聖人に帰依したきっかけや時期は、はっきりしないが、弥四郎は幼い頃から母・光日尼と共に大聖人のことを尊敬申し上げていた。

◇息子・弥四郎の苦悩と願い
弥四郎は、仕えている主君から、何らかの戦に参加するよう命じられていたようである。ある時、苦悩した彼は、大聖人に御指導を受けようと思い立つ。
弥四郎は大聖人の法華経の講義に出席した。大聖人の佐渡流罪以前のことと思われる。その場には知らない人も多くいたため、弥四郎は大聖人に声を掛けることはせず、後に使いの者に手紙を持たせて御指導を申し込んだ。
弥四郎は、大聖人からすぐに招かれた。大聖人と直接ご対面したのはこれが初めてだったかもしれない。これまでの経緯を詳しく述べた後、必死に訴える。
「世間は無常です。自分はいつ死ぬのか分かりません。しかも私は、武士として主君にお仕えしている身です。その上、言い渡されたことは逃れることができません。それにつけても後生を思えば恐ろしくて仕方ありません。どうかお助けください」(同929ページ、通解)と。
生命の尊厳を説く仏教を信仰していながら、生業として武器を手に取らざるを得ない。人を殺めれば地獄に堕ちてしまう——こうした葛藤は、鎌倉時代の武士が抱え込まざるを得なかった不条理であったろう。
全てを聞かれた後、大聖人は経文を引いて激励される。その御指導を受けた弥四郎は申し上げた。
「夫のいない母を差し置いて自分が先に死んでしまえば、これほどの親不孝はありません。自分にもしやのことがあったならば、母のことをよろしくとお弟子にお伝えください」(同ページ、通解)
弥四郎が孝行息子で、信心も堅固であったことがうかがえる。そして、弥四郎は、この問題を無事に乗り越えることができた。

◇訃報伝える手紙 師の渾身の激励
それから時は過ぎ、建治2年(1276年)、光日尼からの手紙が、身延の大聖人のもとへ届く。息子・弥四郎の訃報だった。
そこには、大聖人が身延に入山されて間もない文永11年(1274年)6月8日、弥四郎が若くして亡くなったと書かれていた。
この時、光日尼が深い悲しみに沈んでいたことは想像に難くない。しかも、何らかの事情があったのか、光日尼はわが子の死を大聖人に2年間、報告できないでいたのである。その間の母の苦悩はいかばかりであっただろうか。
息子の訃報を記した手紙の中で、光日尼は大聖人に質問した。
「弥四郎の後生はどのようなところに生まれるでしょうか。教えを頂きたい」(同930ページ、趣意)
生前に弥四郎が述べていた不安と重なるものがある。大聖人は返書(「光日房御書」)をしたためられる。
「届いたお手紙を開かないでいたうちはうれしかったが、今この訃報を読んだ後には、どうしてこのように急いで開いてしまったのだろうか、まるで浦島太郎の玉手箱のようであった。開けたことを悔いたものである」(同928ページ、通解)
母の苦しみに分け入り、希望の灯をともしていく。その同苦の息遣いは、まるで目の前で語り掛けているようである。
先に述べた生前の弥四郎と大聖人とのやりとりも、この返書に記されていることである。
お手紙を手にした光日尼は、息子がいかに日頃から親思いであったかを知り、胸が熱くなったに違いない。この中で、大聖人は次のように教えられている。
「たとえ大きな罪であっても、悔い改めて妙法を行ずるなら、その罪は消える」(同930ページ、通解)
「故・弥四郎殿が『悪人』と呼ばれてしまう人であったとしても、生みの母が釈迦仏の御宝前で昼夜に嘆き、追善を行えば、どうして弥四郎殿が成仏できないことがあるでしょうか。ましてや、法華経を信じていたのですから、親を導く身となられているでしょう」(同931ページ、趣意)
大聖人がどこまでも、亡き息子の確固たる信心を大切にされていることがうかがえる。そして、亡くなった弥四郎こそが、生死を超え、善知識となって、母を成仏に導いてくれるというのである。
その上でお手紙の結びで、悪知識にくれぐれも用心していくよう忠告される。また、地域の責任者である弟子と連携を取り、彼らと会うたびに、このお手紙を読んでもらうよう指示されている。

◇慈悲と勇気こそ「励まし」の根底
大聖人の大確信に触れ、光日尼の心には生きる希望が湧いてきたことだろう。光日尼は一途に信心を貫いた。数年後には、悲哀を乗り越えていった自らの信仰体験を大聖人に報告申し上げている。
大聖人はご返事を送られ、母の信心を最大限にたたえられた。「心の月くもりなく身のあかきへはてぬ、即身の仏なり」(同934ページ)と。
光日尼が信心で得た晴れやかな境涯である。それは、生死を超えて、わが子から生きる力をもらったという確かな実感でもあったろう。
大聖人の渾身の励ましによって、一人の"嘆きの母"が蘇生し、宿命転換していったのである。
後に送られたお手紙で、大聖人は、こう約束されている。
「今、光日上人は、わが子を思うあまり法華経の行者となられました。母と子は必ず共に霊山浄土に参ることができるでしょう。その時のご対面はどんなにかうれしいことでしょう」(同ページ、通解)
大聖人は「光日上人」とまで仰せである。「上人」とは当時の高僧に対する尊称だが、大聖人はそれを無名の一女性門下に贈られたのである。
生死の苦悩からの解放という仏教の根本目的から見ても、光日尼にこそ、ふさわしい呼び名であると拝される。
池田先生は、「光日房御書」の講義で述べている。
「指導は策や方法では生まれません。その人の幸福を願って徹して祈る。その心自体が自身の『仏性』を強く深く涌現させます。仏法の励ましは、その仏の智慧から生ずる励ましであり、根底は慈悲です。そして、勇気です。共に『勝利を創る』——その日まで、励まし抜くしかありません」
「励まし」の本質は、相手への同苦である。友の苦しみをわが苦しみとして、勝利の日まで共に歩み抜いていくことである。
あまりに絶望する友に、掛ける言葉が見つからなくても、すぐに悲しみを吐露してくれなくても、私たちは祈っていくことができる。静かに、力強く寄り添っていくことができる。
そして、こうした励まし合いの中で、私たちは必ずや宿命転換を成し遂げ、蘇生することができる。
いかなる状況にあっても希望を失わない、仏法者の確固たる生き方を、御本仏は示されている。

2020年7月23日木曜日

2020.07.23 わが友に贈る

夏は友好を深める好機。
心通う多様なつながりが
安心・安全の社会を築く。
電話や手紙等も活用し
朗らかに絆を結ぼう!

立正安国論 P26
『天下泰平国土安穏は君臣の楽う所土民の思う所なり、夫れ国は法に依つて昌え法は人に因つて貴し国亡び人滅せば仏を誰か崇む可き法を誰か信ず可きや、先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし』

【通解】
天下案泰・国土安穏は君主・万民がひとしく願うことである。一体、国家は法によって栄え、法は人によって貴いのである。
国が亡び人々が滅するならば、仏を誰が崇めるであろう。法を誰が信ずるであろう。
まず国家の安泰を祈って、しかるのちに仏法を立てるべきである。もしそのような災難を防ぎ、国家繁栄の術があるなら聞きたいものである。

名字の言 どう生きるか。「海の日」に思う 2020年7月23日
♪海は広いな 大きいな……この歌い出しの童謡といえば、ご存じ「海」である▼この歌が小学校の音楽の教科書に載ったのは、1941年の春。同年12月、日本は太平洋戦争に突入した。♪海にお舟を浮かばせて 行ってみたいな よその国……(JASRAC出2006445—001)。日本は"軍国主義の帆"を揚げて"よその国"を侵攻した。同歌が戦意高揚に利用されたとする向きもある。それでも「海」は、子どもたちの憧れとともに歌い継がれてきた▼若き日の池田先生にとって海は、"いかに生きるべきか"を思索する場所だった。東京・大田区の森ケ崎海岸を親友と歩きながら、人生や哲学を語り合った。戸田城聖先生から世界広布を託されたのも、北海道・厚田の海を共に望んだ時である▼「この海の向こうには、大陸が広がっている」「世界へ行くんだ」——この恩師との約束を果たすため、池田先生は1960年10月2日、海を渡った。本年は60周年。後継の青年たちは今、オンラインでの世界青年部総会へと向かう。「広宣流布とは、民衆の幸福のため、世界の平和のための正義の大航海である」との師の信念のままに▼きょうは「海の日」。信仰と師匠という確かな羅針盤を持ち、使命の人生航路を進む幸福をかみ締めたい。(之)

寸鉄 2020年7月23日
道を開け! 道を創れ! 一切を勝利の劇に—恩師青年の使命は先駆の開拓
三重蘇生の日。師弟共戦の「この道」を未来まで。太陽の励ましを友の心に
WHO、日本提唱の「3密回避」を世界に呼び掛け。感染防止策さらに徹底を
ながら運転の厳罰化後、半年で人身事故が半減。"少しだけ"の油断大敵
赤ちゃん用フェースシールドに熱中症リスクと。窒息の危険あり。要注意

☆オンライン男子部幹部会への池田先生のメッセージ 2020年7月16日
◇友情・信頼の拡大で「立正安国」の鐘を
若き心と心を結び合う、結成記念の大会、おめでとう!
大きな時代の試練に雄々しく立ち向かう、君たちの尊き奮闘を、私は胸を熱くして見守っています。
それぞれに今、言い知れぬ苦労があるだろうけれども、全てが自分自身の生命の財宝となる。
私も、戸田先生の事業が最悪の苦境にあった時、自らの病気にも苦しみながら、題目を唱えに唱えて、阿修羅の如く戦い抜いた。それが、何ものにも負けない力となっています。
日蓮大聖人は、厳然と仰せになられました。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192ページ)、「ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候」(同1193ページ)と。
我らには、一切を勝ち開く「法華経の兵法」がある。
我らには、いかなる壁も打ち破る「師子王の勇気」がある。
我らには、何があっても励まし合う「異体同心の団結」がある。
どうか、大宇宙の究極の法則である妙法とともに、偉大なる生命力を発揮して、人生と社会の新たな価値創造の道を切り開いていってください。
そして、一人また一人、友情と信頼のすそ野を大きく広げながら、世界広布と立正安国の前進の鐘を、高らかに打ち鳴らしてくれ給え!
親孝行を忘れずに、家族を、職場を大切にしてください。
わが愛弟子に、健康あれ! 忍耐あれ! 絶対勝利あれ!

☆第3代会長就任60周年記念 広布史アルバム 第6回 昭和51年7月18日 「人間革命の歌」誕生
◇逆境の時こそ、使命の道を勇んで進め
誓いを貫きゆく正義の歌を。
師弟の魂あふれる勇気の歌を。
池田先生が「人間革命の歌」の制作を決めたのは、1976年(昭和51年)6月の末のことである。
当時、広布の伸展と共に、一部のマスコミによる、いわれなき中傷があった。また、宗門の悪侶らも、陰湿な悪口を浴びせ始めていた。障魔が蠢動する中、池田先生は、大切な同志が一人も漏れなく地涌の使命を果たし抜くため、歌の制作を開始した。
この歌を作った当時は、すでに第一次の宗門問題の兆しが現れていた時期であった。聖職者であるべき僧が、あろうことか信徒を見下し、かりそめの宗教的権威をかさに、民衆を支配しようとする策動であった。
それらが、私一人に向けられたものであれば、まだよい。大切な学会と学会員を守るためならば、私自身は、どんな批判の矢面にも立とう。
だが、ひたすら「僧俗和合」を願い、守りに守ってきた聖職者から、一方的にいじめられ、ののしられる庶民の悲しみ、苦しみ——それが、どれほど深く、大きなものであったか。
しかも、そうした悪侶の策謀に対する、やむにやまれぬ正義の声すら、表立ってはあげられないという厳しい時代であった。それでも同志は、「和合のために」と歯がみをする思いで、耐えに耐えてくださっていたのである。
そのけなげなる尊い友のために、はたして何ができるのか。私は人知れず、さまざまに思索をめぐらした。——「人間革命の歌」は、そうした背景のもとに生まれた歌である。
民衆をいじめ、僧衣の権威で縛りつけようとする悪侶らの陰険な言動——だからこそ私は、いわば新たなる「魂の自由」の歌、「幸福への前進」の歌を、全国の友に贈りたかったのである。
嵐吹きすさぶ時こそ、仏法者としての「人間革命」の好機ではないか。「地涌の同志」が、使命の道を勇んで開いていくべき、旅立ちの時ではないか、と。
先生が歌詞を作り終えたのは、7月16日。当初、18日の本部幹部会で、曲と共に発表する予定だった。しかし、曲が仕上がらず、先に歌詞のみが発表された。
「歌は、心で歌うものだ。そして心で聴くものだ」。作詞に取り組む私の脳裏からは、恩師の姿が、言葉が、瞬時も離れることはなかった。
——私は、恩師とともに、あの「人間革命の歌」を綴ったつもりである。
やがて歌詞はできたが、問題は曲のほうである。もとより専門的な音楽教育を受けたわけではないし、楽譜で音階を追うこともおぼつかない。曲の一応のイメージができあがると、周りの若い人の意見も確かめながら、少しずつ練り上げていった。
先生は、本部幹部会に出席した後、再びピアノに向かった。試行錯誤を重ね、やがて曲も出来上がった。しかし、先生は録音テープを聴くと、さらに、歌詞にも、曲にも、手直しを加えた。
そして、7月18日午後8時40分、ついに「人間革命の歌」が完成。歌詞と楽譜は、翌19日付の聖教新聞に掲載され、歓喜と決意の波動が列島を包んだ。
さいわいなことに、全国の友は、「人間革命の歌」を愛唱してくださった。私の「心」を受けとめてくださった。
しかし、その後、波浪は、さらに激しく学会に襲いかかってきた。一時期は、とうとう、この「人間革命の歌」をはじめ、いくつかの愛唱歌さえも歌えない、いな、歌ってはならないという状況になったことを、今なお覚えている方もおられるであろう。
だが、いかなる権威も、人間の心までは縛れない。会合の帰り道で、一日の仕事を終えてたどる家路で、友は「人間革命の歌」を口ずさみながら、あの苦しい日々を進んでくださったのである。
「人間革命の歌」は、どんな吹雪にも、胸を張って生きぬいていこうという心を歌ったものである。人生には、暴風雨があり、暗い夜もある。だが、それを越えれば、ふたたび、晴れた青空を仰ぎ見ることができる——。
冬の寒さを知る人こそが、春の暖かさを実感できる。苦しみが深かった分だけ、大きな幸福の朝が光るのである。
どんな「運命」も「価値」に転換していく人——それが、人間としての勝利者であり、王者であろう。
その王者の「前進の歌」となれば、これほどの幸せはない。

☆「如説修行」で平和の宝土を 原田会長を中心に各部代表者会議 2020年7月22日
世界広布新時代第76回の各部代表者会議が21日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、冒頭、世界全体が大きな困難と変動に立ち向かう中、異体同心の団結で進む同志の奮闘に感謝。とりわけ今春、社会に躍り出た友に「今の苦労は、全部、未来に偉大な使命を果たす滋養となり、福運となる」「若き同世代の友の勇気の旗頭となって、一緒に新時代を創造していこう!」と呼び掛けた。
次いで、目に見えない不安に覆われた世界にあって、人間自身を「強く」「善く」「賢く」する太陽の大仏法がいよいよ渇仰されていると強調。御聖訓「此の法華経には我等が身をば法身如来・我等が心をば報身如来・我等がふるまひをば応身如来と説かれて候へば、此の経の一句一偈を持ち信ずる人は皆此の功徳をそなへ候」(御書1402ページ)を拝し、ありのままの無作三身の生命で、仏の力と智慧と慈悲の振る舞いを発揮しゆく創価の大連帯こそ、人類の希望の光であると訴えた。そして、その先頭に立つ地涌の自覚も深く、桜梅桃李の多彩な同志を一人一人、こまやかに大切にしながら、いやまして勇猛精進をと望んだ。
続いて、九州をはじめ各地の豪雨被災者に改めてお見舞いを述べ、支援に尽くす友の献身をねぎらいつつ、戸田城聖先生と共に心肝に染め抜いてきた「如説修行抄」の一節「妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず」(同502ページ)を拝読。いかなる災難も「変毒為薬」し、民衆の幸福と安穏と和楽、平和と共生と繁栄の宝土を築きゆく「立正安国」の勝利へ、共々に「忍辱の鎧を著て」(同ページ)、今一重の「如説修行」を決意し合おうと述べ、メッセージを結んだ。
原田会長は、1970年(昭和45年)4月2日の戸田先生の十三回忌法要で、池田先生が障魔との攻防の矢面に立ち、同志を守りに守りながら、亡き師匠に広宣流布の勝利を報告した歴史に言及。
池田先生の師弟不二の大闘争によって、学会はあらゆる三障四魔を勝ち越え、世界宗教へと飛翔を遂げたと述べ、後継の池田門下の我々は、未聞の災難が覆う今こそ、"師の構想を必ず実現する"と決め、勇気凜々と智慧を湧かせて、「弟子の勝利」の実証を示しゆこうと呼び掛けた。
また長谷川理事長、谷川主任副会長があいさつした。

2020年7月22日水曜日

2020.07.22 わが友に贈る

人生は「桜梅桃李」。
誰かと比べるよりも
昨日の自分に勝とう!
日々 決意新たに
勇猛精進の歴史を!

種種御振舞御書 P921
『病の起りを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべし』

【通解】
病気の原因を知らない人が病気を治療すれば、いよいよ病気は倍増するであろう。

名字の言 英国の作家・スティーブンソン「生きる力をくれる日本の英雄」 2020年7月22日
「彼のような魂の持ち主は、不遇によって打ち砕かれたりはしない」——今から140年前、英国の作家・スティーブンソンが、文学雑誌に日本人の伝記を書いた。タイトルは「ヨシダ・トラジロウ」。すなわち幕末の思想家・吉田松陰である▼スティーブンソンが松陰を知ったのは、英国に留学していた松陰の門下生・正木退蔵と出会ったことに始まる。正木が語る松陰の人生に、彼は深い感銘を受けた。伝記を書いた後、友人への手紙に「生きる力を与えてくれる日本の英雄の話」と記している▼正木が松下村塾に入門したのは十代前半。在籍した期間は、わずか数カ月という。だが、松陰という人格に触れた感動は、時を経て色あせるどころか、言葉も風習も違う異国の作家の心をも動かした(よしだみどり『知られざる「吉田松陰伝」』祥伝社)▼精神的な触発に、出会う回数は関係ないのかもしれない。たった一度の出会いでも、短時間の語らいでも、人生を変えることがある。その歓喜と感動は、時間や空間を超えて広がっていく▼学会には、池田先生の励ましを、生涯の宝とする多くの友がいる。師弟の原点に常に立ち返り、挑戦を重ねる——求道の心が燃えている限り、いかなる不遇や逆境にも、決して負けることはない。(嶺)

寸鉄 2020年7月22日
人間革命の挑戦こそ真の民主主義を築く力—博士民衆が主役の時代を創出
鼓笛隊の日。試練の時も希望の連帯広げる平和の天使。健康と勝利あれ!
一言の励ましで何という結果がもたらされるか—詩人。一瞬一瞬に心込め
外出自粛で親子関係円満になった—4割。有意義な語らいで和楽の土台に
ストレスをバネにできる人は幸福度も高い—研究負けじ魂を燃やして前へ

☆四季の励まし 御書を開けば希望が輝く 2020年7月12日
【写真の説明】笛吹市にある学会の山梨教学研修センター。その上空に、七色の虹が輝く。1999年(平成11年)9月、池田大作先生がカメラに収めた。
この2年前、池田先生は同センターを初訪問。「立正安国論」を拝しつつ、日蓮大聖人の御精神のままに正義の対話をと呼び掛けた。
7月16日は、大聖人が時の実質的な最高権力者・北条時頼に「立正安国論」を提出された日である。本年で、760年の歴史を刻む。
立正安国論に曰く、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(御書31ページ)——あなたは、一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである、と。御書根本に、社会の安穏を祈り、友の心に希望の虹をかけていこう。

◇池田先生の言葉
人間が生きるには、
人との協調や気遣い、
また、礼儀やマナー、
支え合い、助け合いが
不可欠である。
その心を育むには、
人間をどう捉えるか
という哲学が必要である。
まさに、
それを教えているのが
仏法なのである。

御書には、
病苦や生活苦、
家族の看病や介護、
愛する人と別れる悲しみ、
親子の葛藤、
仕事・職場の圧迫等々、
千差万別の試練に直面した
門下への励ましが
満ち溢れている。
御書を開けば、
御本仏の
大生命の赫々たる陽光を
浴びることができる。
どんな不幸も、
どんな宿命も
勝ち越えていける勇気が、
智慧が、希望が
限りなく湧いてくるのだ。

御書を拝せば聡明になる。
心が美しくなる。
その一文字一文字は、
日蓮大聖人の
師子吼であられる。
一文でも、一節でもいい。
声に出して拝読し、
生命に
刻みつけていくことだ。
私も青年部時代の
激闘の中で、
日々、御書を開き、
日記などにも
要文を抜き書きした。
御書には、
魂の滋養が満ちている。

教学を学ぶ人は、
「哲学者」である。
哲学とは、よりよく生きる
「智慧」である。
戸田先生は
「仏法で学んだことは、
どしどし口に出して
話しなさい。
そうすれば、
やがて身につくものです」
と語られていた。
教学は、どこまでも、
「実践の教学」であり、
「広宣流布の教学」である。
正義を学び抜き、
生涯不退の原点を
築いていただきたい。

〈社説〉 2020・7・22 きょう「鼓笛隊の日」 2020年7月22日
社会に希望弾むメロディーを
生命が躍動するメロディーとリズム。清新かつ華麗な舞——。
きょうから7・22「鼓笛隊の日」を記念する演奏動画が聖教電子版で視聴できる。これは、全国の隊員が各人の自宅等で学会歌メドレーを演奏し、その模様を収めた動画を合わせて一つに編集されたもの。またメンバーは、配信された動画に合わせて自宅で演奏・演技することで、"鼓笛隊総会"の意義をとどめる。
現在、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、練習や会合は中止に。一人一人が個人練習に励みながら、今できることに挑戦している。あるメンバーは友人へ、心に刻んだ聖教新聞の記事などをSNSで送っている。またある友は、かつてないほど真剣な祈りに挑戦し、転職を勝ち取った。"鼓笛姉妹"は、縁する一人一人に希望を届けようと奮闘する。
そんな彼女たちは、小説『新・人間革命』を何度も読み返してきたという。
1956年(昭和31年)9月、鼓笛隊の初出動の模様を聞いた山本伸一は期待を寄せた。「いつか、世界一になればいいんだ。鼓笛隊は、必ずそうなる。私は確信しているよ。(中略)世界一になるには、なんのためかという、崇高な目的が必要だ。目的があいまいであれば、自分の本当の力を出し切ることはできない」(第14巻「使命」の章)
さらに79年(同54年)、第3回鼓笛隊総会に出席した伸一は呼び掛ける。「皆さんの美しい演技の裏には、どれほど厳しい修業があり、根性と忍耐をもって技術を磨き、挫けずに前進してきたことか。人生もまた、美しい開花の裏には苦闘がある」(第30巻<上>「雌伏」の章)
師の心に触れた友は、「読むほどに、鼓笛隊の使命の大きさ、池田先生の真心が響き、何度も胸が熱くなりました。今は、演奏に込めるべき心を確かめ、磨く大切な時間です」と前を向く。
メンバーと同世代で、白血病と闘う競泳女子の池江璃花子選手。今月、病の公表後初めて練習を公開した。「もしかしたらもう元には戻れないという気持ちもある」との不安とともに、「病気の人たちにも、ここまでまた強くなれるんだよということを知ってもらいたいし、中途半端なまま水泳を終わらせたくない」と(「毎日新聞」7月3日付)。その負けない心に胸を打たれる。
なぜ、鼓笛隊の演奏が人々の心に響くのか——。それは、さまざまな悩みに直面しながらも、広布のため、前へ、前へと進もうとする不屈の心が燃えているからではないだろうか。目の前の"一人を励ましたい"という慈悲の心を胸に尊き青春を歩む友たちが奏でる妙音は、社会に希望のファンファーレを轟かせる。

2020年7月21日火曜日

2020.07.21 わが友に贈る

小さな挑戦の積み重ねが
不動の自己を築く。
日々の目標を明確に
祈り 行動しよう!
そこに無限の成長が!

食物三徳御書 P1598
『食には三の徳あり、一には命をつぎ二にはいろをまし三には力をそう』

【通解】
食には三つの働きがあり、第1には生命を継続させ、第2には体や顔の色つやを増し、第3には心身の力を盛んにする。

名字の言 「思い込み」が人に与える影響とは? 2020年7月21日
効果のない薬も"よく効く"と伝えると、実際に効く。この思い込みの影響をプラセボ効果という。同様に「老いに対する思い込みが記憶に及ぼす影響も馬鹿にはできません」と語るのは、神戸大学大学院の増本康平准教授▼若年者から高齢者までを2グループに分け、記憶に関する同じ課題に取り組む実験。一方には"記憶の調査"、もう一方には"学習機能の調査"と伝えた。すると前者では若年者が好成績を収め、後者では年齢差は認められなかった▼高齢者の記憶力を低下させた要因に、"老いると記憶力が衰える"との否定的な思い込みがあると氏は言う。「(加齢による)さまざまな変化を受け入れ、自分を肯定的に評価することが、思い込みによる記憶力の低下を防ぐ」と(『老いと記憶』中公新書)▼"できない"と思えば、力はあっても出なくなる。池田先生は語る。「一念が変われば、一切が、その方向に動き始める。『よし!』と決めた瞬間、全神経が、ぱーっと、その方向に向く。『だめだ』と思えば、その瞬間に、全神経が萎縮し、本当に『だめ』な方向に向かっていく」▼どんなに選択肢が限られた状況でも、できることは必ずある。自分を信じ、前向きに行動を開始すれば、新しい世界が開けていく。(銘)

寸鉄 2020年7月21日
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」御書。立正安国の対話を今こそ
関西が記念月間。現場の知恵光る励まし拡大運動師弟不二の勝利の道進め
中高生の英語力が向上—調査。地球化時代を担う世代の成長が未来の希望
気温の変化大、熱中症に注意。室内でも多く。冷房など活用し賢く健康維持
公明党は最も困難な人に寄り添う事で一貫—識者死力尽くし期待に応えよ

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 千日尼御前御返事(上)(雷門鼓御書) 2020年7月11日
◇勇気凜々と"信心の挑戦"を
今月と来月は、「千日尼御前御返事」を学びます。
池田先生は、本抄の講義の中でつづられました。
「一人の宿命転換は、全人類の宿命転換の道を開きます。創価の婦人部・女子部こそは、その根本的な変革のトップランナーです」
「『法華経の師子王』を持った女性の活躍が、どれほど大きく世界を変えていくか。創価の女性のスクラムは、その重大な使命を果たしゆく、世界の宝の存在なのです」
妙法こそ、幸福勝利を開く源泉であるとの確信を深め、誓い新たに7・19「女子部結成記念日」へ前進していきましょう!(今月の拝読範囲は1315ページ冒頭〜1316ページ10行目「甘露となる是なり」です)

◇本抄について
本抄は、弘安元年(1278年)閏10月19日、日蓮大聖人が身延で認められ、山海に隔てられた佐渡の地に住む、門下の千日尼に送られたお手紙です。
千日尼は、大聖人が佐渡に流されていた時、夫の阿仏房と共に弟子となり、命を懸けて大聖人をお守りしました。
大聖人が身延に入られた後も、夫妻は使命に燃えて、佐渡の広宣流布の中心者として活躍します。さらに、夫の阿仏房が、幾たびも遠路はるばる大聖人をお訪ねし、御供養の品をお届けしました。
本抄で大聖人は、毎年のように阿仏房を送り出してきた千日尼の真心を称賛され、"妙法を持つ女性は必ず幸福になる"と最大に励まされます。
また、「雷門の鼓」が千万里の遠くにあっても瞬時に聞こえるように、いかなる距離も超えて、師弟の心はつながっていることを教えられます。このことから本抄は「雷門鼓御書」とも呼ばれています。

◇御文
『譬えば一の師子に百子あり・彼の百子・諸の禽獣に犯さるるに・一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる、法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす、法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし、譬えば女人の一生の間の御罪は諸の乾草の如し法華経の妙の一字は小火の如し、小火を衆草につきぬれば衆草焼け亡ぶるのみならず大木大石皆焼け失せぬ、妙の一字の智火以て此くの如し諸罪消ゆるのみならず衆罪かへりて功徳となる毒薬変じて甘露となる是なり』(御書1316ページ6行目〜10行目)

◇通解
譬えば一頭の師子に百匹の子がいます。その百の子が多くの鳥獣に襲われている時、一頭の師子王が吼えれば、百の子は力を得て、多くの鳥獣は皆、頭が七分に割れます。
法華経は師子王と同じです。すべての獣の頂点となるようなものです。法華経という師子王を持つ女性は、一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣を恐れることはありません。譬えば女性が一生の間に犯す罪は、多くの枯れ草のようなものです。法華経の「妙」の一字は小さな火のようなものです。一面の草に小さな火をつければ、すべての草が焼き尽くされるだけでなく、大木や大石も皆焼け果てます。
「妙」の一字の智慧の火は、一切を焼き尽くす火のようなものです。あらゆる罪が消えるだけでなく、それらの罪はかえって功徳となるのです。「毒薬が変化して甘露となる」とはこのことです。

◇[解説]妙法の智慧で無明を破る
本抄の前半で、大聖人は三世十方の諸仏の名を挙げ、「法華経」はこれらの諸仏の師であり、諸仏は「妙の一字」によって成仏することができたと述べられます。
そして、掲げた御文の直前で、「法華経を供養する人の功徳は、十方の仏や菩薩に供養する功徳と同じである」(御書1316ページ、通解)と仰せです。
佐渡という、遠く離れた所にいようとも、広宣流布の師匠を思う千日尼。大聖人は、その純粋な信心に"宇宙大の福徳が輝いていく"とたたえられたと拝されます。
掲げた御文では、この法華経に供養する、無限の功徳を明かすため、法華経を「師子王」に、また、法華経を持ち、供養する人を「師子の子」に譬えられています。そして地獄・餓鬼・畜生等の不幸の生命を「禽獣(鳥やけもの)」に譬えられています。
どう猛な禽獣が襲い掛かってきても、師子王が吼えれば、同じ力を持つ師子の子は、勇気を奮い起こし、禽獣を打ち破ることができます。
同様に、法華経を供養する人は、妙法の無限の力を得て、不幸の生命を打ち破っていくことができるのです。
続く御文で大聖人は、「妙の一字」の力を「小さな火」に譬えています。小さな火であっても次から次へと「枯れ草」を燃やし尽くしていくように、「妙の一字」には、一生の間の多くの罪を全部消していける功力があると千日尼を激励されます。
さらに、妙法の智慧の火によって多くの草が燃えれば、やがて、大木や大石までもが焼き尽くされると仰せです。
「枯れ草」に譬えられる一生の罪とは、私たちで言えば、日常の悩みや苦しみを指すものと拝することができます。
つまり、一つ一つの悩みを、題目を唱え勝ち開いていく"信心の挑戦"を続ける中で、私たちは不幸の根源である「元品の無明」を打ち破り、宿命転換・一生成仏という大功徳を得ることができるのです。
ここに「変毒為薬」の妙法の偉大な力用があります。
師の励ましを胸に、何があっても勇気凜々と題目を唱え、「人間革命」の勝利の日々を歩んでいきましょう。

★池田先生の講義から
日常の悩みを自行化他の唱題の火で解決していく信心の挑戦をやめなければ、いつしか根深い宿業も燃え尽き、不幸の根源である元品の無明も砕け散っていくのです。そこに、宿命転換・一生成仏という功徳の大輪の花が咲き薫ることは間違いありません。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
◇ ◆ ◇
 戸田先生は言われました。
「真剣に御本尊に祈り切っていきなさい。この簡単な勝利の原理が、皆、なかなか、わからない。これが遠いように見えても、一番、確実な早道になっていくのです」(中略)
「日蓮大聖人のこの教えは、万人が宇宙大の生命力を発揮する教えであり、この教えによって人類は真の幸福に歓喜できるのである」
信心を貫く女性には、不幸などない。敗北などありません。どんな苦難にも、絶対に負けてはなりません。
「百獣に恐るる事なし」です。断じて断じて、耐えて勝つのです。悲しみの涙を、所願満足の勝利の笑顔に変えゆくのです。(『御書と師弟』第2巻)

研さんのために
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻(聖教新聞社)
○…『御書と師弟』第2巻(同)

2020年7月20日月曜日

2020.07.20 わが友に贈る

◇今週のことば
「陰徳あれば陽報あり」
「無冠の友」をはじめ
たゆまぬ陰徳の同志に
感謝の題目と労いを。
尊き宝友に陽報燦たれ!
2020年7月20日

南条殿御返事 P1535
『あえてこれよりの心ざしのゆわきにはあらず、各各の御信心のあつくうすきにて候べし』

【通解】
あえてこちらの志が弱いためではない。あなた方の御信心が厚いか薄いかによるのである。

名字の言 ナチス収容所で生きる希望となったもの 2020年7月20日
精神科医のフランクルは、ナチス収容所の中で、絶望して自ら命を絶とうとした男性を救った。『夜と霧』(みすず書房)につづられている▼男性には、彼の帰りを外国で待ち続けている子どもがいた。その存在に気付かせると、男性は思いとどまったという。生きる希望を見いだしたからだ。"自分は一人ではない"という実感が、どれほど強く人を支えるか。示唆に富む話である▼「ぼくは、あの震災で大切なものを失いました。でも、もっと大切なものを学会で得ました」と語る青年がいる。9年前、東日本大震災で家も仕事も失った。単身で九州に移り、懸命に働く日々。疲れがたまった。徐々に孤独にさいなまれるように▼そんな彼を、同じ職場の学会員が懸命に励ました。「寂しい思いなんか、させんけんね」「君のこと、毎日毎日、祈っとるんよ」。その真心に打たれ、彼は入会した。男子地区リーダーとなった今、"次は自分が"と友の励ましに奔走する▼災害、病気、経済の苦境……。大きな試練に直面した時、大切なものを失った時、不安や心配事を自分だけで抱え込まなくていい。あなたにも私にも、幸福を祈ってくれている存在が必ずいる。決して一人ではない。強い強い創価家族の絆で結ばれているのだから。(実)

寸鉄 2020年7月20日
何のための人生かを会長の著作から学んだ—博士平和と幸福への前進共に
鳥取県婦人部の日。地域に希望の虹必ず!励ましの連帯広げる山光の太陽
学会と生きてごらん。悩みは全部功徳に変わる—恩師。不退の信心を貫け
感染が増加傾向。マスク、リスク高い所は避ける、間隔を空ける等の励行を
身近な人と語らうと感染の不安も和らぐと。電話一本も力。支え合う心で

☆心に御書を 第60回 「困難を乗り越える力」を社会へ
『日蓮が去ぬる文応元年太歳庚申に勘えたりし立正安国論今すこしもたがわず符合しぬ、此の書は白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず末代の不思議なに事かこれにすぎん』(種種御振舞御書、909ページ)

〈通解〉
(蒙古から日本を攻めるとの国書が送られたことで)日蓮が去る文応元年に勘えた立正安国論の予言が少しも違うことなく符合した。この安国論は、白楽天の楽府よりも優れ、釈迦仏の未来記にも劣るものではない。(このような予言の的中は)末法の世の不思議として、これを越えるものがあろうか。

〈指針〉
いかなる災難にも、我らは「立正安国」の旗高く立ち向かう。
御本仏が常にご一緒である。「四表の静謐」を共に祈る、全世界の地涌の宝友も頼もしい。
妙法の師子吼は無力感を打ち破る。大誠実の対話は不信を信頼へ、分断を連帯へ転ずるのだ。
生命尊厳の哲理の光で「困難を乗り越える力」を社会へ! 未来へ!

☆池田華陽会御書30編に学ぶ 妙一尼御前御消息 2020年1月11日
◇信心を貫き、"勝利の春"へ
今月は、「妙一尼御前御消息」を学びます。
池田先生は、本抄を拝してつづっています。
「厳冬のような逆縁も耐え抜いて、強盛に信心を奮い起こして戦い抜いていけば、勝利の花を爛漫と咲かせゆくことは絶対に間違いない。決まっていることなのです。だからこそ信心は貫き通すことです。途中で歩みを止めたり、疑いを起こして退いては何にもならない。歓喜の春を大確信して、地道に、弛みなく、朗らかに前進していくことが肝要なのです」
日蓮大聖人の「慈愛」と「確信」あふれる励ましを胸に刻み、「前進・人材の年」を出発していきましょう!

◇本抄について
本抄は、建治元年(1275年)5月、日蓮大聖人が身延で認められ、鎌倉の女性門下である妙一尼に与えられました。
大聖人が、竜の口の法難、佐渡流罪という大難に遭われ、多くの門下が退転する中にあって、妙一尼とその夫は、所領没収などの弾圧に屈せず、法華経の信仰を貫きました。
その後、大聖人は佐渡流罪を許されましたが、その知らせを聞く前に夫は亡くなってしまいます。しかし妙一尼は、病弱な幼子を抱え、自身も体が強くない中、毅然と信仰に励み、大聖人のもとへ、お仕えする従者を送るなど、師匠を守りました。
本抄で大聖人は、妙一尼の悲しみに寄り添いながら、心からの励ましを送られています。

◇御文
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候』(御書1253ページ16行目〜17行目)

◇通解
法華経を信じる人は冬のようです。冬は必ず春となります。
昔より今まで、聞いたことも見たこともありません。冬が秋に戻るということを。また、今まで聞いたこともありません。法華経を信じる人が仏になれず凡夫のままでいることを。
経文には、「もし法を聞くことができた者は、一人として成仏しない者はいない」(法華経方便品)と説かれているのです。

◇」[解説] "試練の冬"が自身を磨く
本抄の冒頭、大聖人は、妙一尼の夫が亡くなる時、どれほど残る家族を気に掛けていたであろうかと仰せです。
さらに、釈尊も入滅の時まで、数々の悪業を積んだ阿闍世王を心配していたことを挙げ、"夫はさぞ、家族のことが心残りであったに違いない"と、重ねてその心中をしのばれます。
続いて、夫にとってもう一つ気掛かりだったのは、流罪となった大聖人のことであろうと述べられます。大聖人の身を案じていた、夫の立派な信心が拝察されます。
そして大聖人は、健気に生き抜く妙一尼に温かな励ましの言葉をつづられます。
「法華経を信ずる人は冬のごとし」——法華経を持つ人にとって、"試練の冬"すなわち難は避けられません。
しかし、"どんなに寒い冬も必ず暖かい春となり、冬が秋に逆戻りすることはない"という自然の法則のように、法華経を信じる人がいつまでも苦しみの境涯を流転することはありません。"法華経を聞いて信受した人は、一人ももれなく成仏する"と経文に記されている通りです。
そして、信仰ゆえの弾圧にも負けず、信心を貫いた亡き夫の成仏は絶対に間違いないと、妙一尼を包み込むように励まされました。
私たちの生命には、いかなる"試練の冬"も、必ず"勝利の春"へと開いていくことのできる、偉大な仏の生命が具わっています。
大事なことは、そのことを疑わず、信心根本に苦難に立ち向かえるかどうかです。
ゆえに大聖人は、妙一尼が「凡夫の心」、つまり「迷いの心」を打ち破って前進できるよう、励まされました。弟子の心に、決して消えない"信心の希望の炎"を灯される、限りない慈愛を拝することができます。
冬を耐え抜いた桜が、春に見事な花を咲かせるように、私たちも今、いかなる悩みや苦難の中にあっても、題目を唱え、忍耐強く前進していく先に、必ず"勝利の花"が咲き薫ります。
さらにいえば、どんな時も、御書と池田先生の指導を心に刻みながら歩む、「負けない青春」の一歩一歩は、すでに偉大な勝利の姿です。
♪厳しき冬にも 春の光彩を 先生の励まし わが胸光らせ——池田華陽会歌「華陽の誓い」を朗らかに歌いながら、希望輝く華陽姉妹と共に、師弟勝利の大道を歩んでいきましょう。

★池田先生の講義から
どの御書の一節でもよい。悩みと格闘し困難と戦いながら、深く心に刻み、祈り、身で読みきっていく——これが、創価学会の「実践の教学」の真髄です。(中略)
世界の同志を常に励まし、勇気を鼓舞してくださる御金言——その代表的な一つが、今回、拝読する「妙一尼御前御消息」の「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」との一節です。
この一節の中に、日蓮大聖人の仏法の真髄である希望の哲学が凝結しているといっても過言ではありません。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻)
◇ ◆ ◇
法華経の信心は「冬」のようなものです。
その厳しい宿命転換の戦いがあって初めて「春」を到来させ、福運を築くことができる。ゆえに試練の冬を避けてはならない。
鍛錬の冬に挑戦しゆく勇気があれば、私たちは、成仏という「偉大な春」へ、広宣流布という「最高の春」へと、無限に前進していくことができます。(同)

研さんのために
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻(聖教新聞社)
○…『人間革命の宗教』(同)

〈社説〉 2020・7・20 「月面着陸の日」に思う 2020年7月20日
価値創造の挑戦に限界なし
人類が初めて月に降り立って、きょう20日で51年(日本時間では21日)。今月10日には、文部科学省が米航空宇宙局(NASA)と「日米月探査協力に関する共同宣言」に署名した。日本人初の月面着陸にも、大きく可能性が開かれたといえよう。
月探査といえば、昨年公開された映画「アポロ11 完全版」(トッド・ダグラス・ミラー監督)の圧倒的な映像美を思い出す。これまで一般公開されていなかったアポロ計画の貴重な映像素材を、最新技術で鮮烈によみがえらせた作品だ。
緊張走る管制センターの様子、圧巻の月着陸・離陸、アクロバットを思わせる着陸船と司令船のドッキング、大気圏突入と司令船回収後の大喝采……。世界33カ国でテレビ中継され、数億人が見守ったという歴史的な数日間の模様が、インタビューやナレーションなどを一切介さず、臨場感をもって迫ってくる。
映像から強く感じるのは、どれほど多くの人たちがこの事業に情熱を注ぎ、使命を燃やしたか、という事実である。
アポロ11号の月面着陸後、アームストロング船長が放った言葉、「これは1人の人間にとっては小さな1歩だが…人類にとっては偉大な飛躍だ」(駐日アメリカ大使館公式マガジン訳)は有名だが、それに続く場面はより印象的である。今も月に残る銘板の文面を、彼が読み上げるのだ。「地球より来たる人類、月面に降り立つ」「全人類の平和のうちに」(字幕翻訳・池田彩加)
アポロ11号打ち上げの翌日17日、創価学園では、創立者・池田大作先生が第2回「栄光祭」に出席。学園生は創立者と共に、世界また宇宙に思いをはせ、心広々と未来に一歩を踏み出した。
当時、東西両陣営の対立は激しく、世界各地で紛争も絶えなかった。その中で池田先生は、アポロ11号の壮挙は、宇宙から見れば、人類は皆、同じ地球民族だ、という共通感情をもたらしたと指摘していた。分断や反目を超え、人類を結びゆく確かな価値観がどれほど大切か。
今、ウイルスと闘う未曽有の事態に、警戒心を保ちつつ臨む日々が続く。ある面で、当時と似た世相かもしれない。
池田先生は今月7日付の「随筆『人間革命』光あれ」で、こう呼び掛けた。
「我らは変化を厭うのではなく、若人を先頭に、現在の変化の中に、『人間の幸福と平和のために』という立正安国の精神性を打ち込んでいきたい。仏法の人間主義が一段と輝きを増す好機であり、我らの価値の創造に限界はない」
私たちは、全人類のための価値創造の戦いで、一歩も退かない。その使命を刻み直す、きょうの日としたい。

2020年7月19日日曜日

2020.07.19 わが友に贈る

試練が人を強くする。
苦労が大きいほど
境涯は大きく広がる。
変毒為薬の妙法で
全てを人間革命の劇に!

日女御前御返事 P1244
『かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人現在には幸をまねぎ後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈の如く険難の処に強力を得たるが如く彼こへまはり此へより日女御前をかこみまほり給うべきなり』

【通解】このような(尊い)御本尊を供養申し上げなさる女性は、今世では幸福を招き寄せ、後生には、この御本尊が左右前後に立ち添って、あたかも闇夜に明るい照明を得たように、また険しい山道で強力を得たように、あちらへ回り、ここに寄り添って、日女御前の周りを取り囲んで必ず守ってくださるでしょう。

名字の言 「百獣の王」と「百花の王」 2020年7月19日
「百獣の王」といえばライオンである。では「百花の王」は?▼答えは「牡丹」。その由来や歴史が、東京富士美術館で好評開催中の「Flower×Flower展」で紹介されている。日本では古来、屛風や陶器、武具などに「師子と牡丹」の組み合わせが描かれてきた。牡丹の夜露が、師子の唯一の弱点である「師子身中の虫」を退治する力を持っている――との言い伝えからだ。「師子に牡丹が加わることで、無敵の強さを持つ」とされてきたのである▼牡丹の花言葉の一つは「誠実」。辞書で意味を調べると、「私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること」とある。なるほど、忘恩や不義不正の「師子身中の虫」を退けて、師子と共に進む"気高き花"として牡丹が描かれるのも、合点がいく。牡丹は別名「富貴花」ともいう▼かつて池田先生ご夫妻は、女子部に美しい友禅画「牡丹」を贈った。その折、先生は「皆が友 皆が幸福 花盛り」との一句を添えた。「学会は師子の団体です」「女子部の皆さんが、一生懸命やってくださっているから、学会は勝ってきた」と語ったこともある▼〽今 師とともに 正義の心で 世界の女性に 平和の世紀を……(池田華陽会歌「華陽の誓い」)。女子部は皆が使命の華である。(之)

寸鉄 2020年7月19日
「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」御書。これ学会精神。題目また題目
女子部結成の日。広布の花の前進は創価の希望。華陽姉妹のスクラム固く
記念映像上映に感動の声続々。立正安国こそ使命。師と共に進む誉れを胸に
己をつくる努力は己にしかできぬ―宇宙飛行士。今だからできる挑戦を!
浸水被害は防災地図の想定エリアで発生と。続く長雨。避難経路等、再確認

☆四季の励まし きょう「女子部結成記念日」――全員が幸福の人生を 2020年7月19日
【写真の説明】赤、白、黄色……。ハイビスカスの花が、鮮やかに咲き誇る。先月27日、池田大作先生が都内でシャッターを切った。
アメリカのハワイ州では州花、マレーシアでは国花に指定され、"偉大な花"とたたえられるハイビスカス。見る人に希望と安らぎを与える。
きょう7月19日は、"創価の花"である女子部の結成記念日。池田先生はつづった。「広宣流布に生きゆく創価の乙女の命それ自体が、最も明るい『太陽』であり、最も浄らかな『蓮華』である。すなわち『華陽』そのものの生命なのである」
ハイビスカスの花言葉に「常に新しい美」と。さあ華陽姉妹と共に、新たな人間革命のドラマをつづり、信頼と友情の花を咲かせていこう。

◇池田先生の言葉
女性の声が朗らかに響き、
女性の智慧が
伸びやかに発揮される。
そこにこそ、
人類の文明の光はある。
今、私と妻の
何より心弾む喜びは、
日本中、世界中で、
花の女子部が
溌剌と躍動して、
平和と幸福の連帯を
広げてくれていることだ。

勇気ある信心の乙女が
一人立ち上がれば、
そこから
希望が生まれ、
喜びが生まれる。
家庭でも、
職場でも、
地域でも、
聡明な
福徳の女性がいれば、
未来へ
確かな繁栄の陽光が
輝いていくのだ。

幸福は遠くに
求めるものではない。
自分自身の
生命のなかにあることを
知らなければならない。
青春時代に、
この一点を深く深く
確信できるかどうかで、
人生の幸・不幸、
そして
勝敗は決まるのだ。

どうしたら、
女子部が
自信をもって力を発揮し、
伸び伸びと
進んでいけるか――
皆が心を尽くし、
智慧を出すのだ。
女子部を守り、
皆で応援していきたい。
広布の門を
開いてくれるのは、
この方々しかいない。

わが女子部の一人一人が、
今を生き抜き、
現在「この時」に
勝利することが、
一生を決定し、
未来永遠の勝利を
決定づけていくのだ。
幸福の博士!
日本一の女子部、万歳!
悔いなき青春を!
一人ももれなく
幸福の人生を!

〈社説〉 2020・7・19 きょう女子部結成記念日
2020年7月19日
教学が幸福の"芯"を築く
きょう女子部は、結成記念日を迎えた。1951年(昭和26年)7月19日。第2代会長・戸田城聖先生のもと、当時の学会本部に74人の女性が集った。
「女子部は一人も残らず幸福に」――戸田先生は、いかなる試練にも負けない自己を築き、崩れざる幸福を打ち立てるため、「女子部は教学で立とう!」と訴えたのである。
池田先生も、若い女性たちが仏法の最高峰を学び、自身の「芯」を確立する生き方を願い、励ましを送ってきた。その心を受け継ぐ華陽の友は、御書を繙き、励まし合い、幸福の拡大に努めてきた。
コロナ禍の影響で、行動が制限される今、生活や社会のあり方に変化が求められている。その中でも、多くの女子部員が"教学第一"の永遠の指針を胸に、「女子部オンライン講義」をはじめ、工夫を凝らしながら活動を展開している。
その柱となっているのが、「池田華陽会御書30編」の読了運動である。
長崎総県女子部は、"一人でも多くの友が御書に親しんでほしい"と、オンラインを活用し、ペアを組んでの研さんに励む。
「一対一だと、質問しやすいし、気軽に感想が語り合える」「互いの悩みを共有でき、絆が強まった」などの喜びの声が寄せられ、研さんに取り組むメンバーは以前と比べ6倍にも増えた。
福岡のあるメンバーは自粛の期間に、じっくりと御書に触れる時間を持てたという。オンラインの集いでは、「御書って、どこを拝しても、常に前向きでプラス思考なのがすごい! 私も友を励ませる人に成長したい」と奮起。多忙な仕事の合間にも御書を拝し、実践に移す求道の姿に触発を受け、一人また一人と研さんの輪が広がっている。
「観心本尊抄」には、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書254ページ)と。
社会的な制約の中で、活路を見いだそうと始めたオンラインでの研さん。だが、実際に進めると、真心が結ぶ絆は試練に負けないという"発見"があった。
教学を根本に現実社会を切り開こうとする努力により、女子部一人一人が尊い使命に目覚め、可能性の扉を開く喜びが広がった。まさに変毒為薬の実践といえよう。
池田先生は、「一人の女性が、使命の大地で勇気に燃えて立ち上がる時、地域も社会も変わり始める。時代は確実に動くのだ」(女子部指導集『華陽の誓い』)と、大きな期待を寄せる。
変化の時代だからこそ、「哲学」と「新鮮な感性」を併せ持つ女性の力が一段と求められている。世界一の生命哲学を持った華陽のスクラムから、希望の新時代を朗らかに築いていきたい。 

2020年7月18日土曜日

2020.07.18 わが友に贈る

仕事で苦闘する友よ!
「なにの兵法よりも
法華経の兵法」だ。
広布誓願の祈りから
智慧と勇気と生命力を!

単衣抄 P1514
『三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間或は寺を追い出され或は処をおわれ或は親類を煩はされ或は夜打ちにあひ或は合戦にあひ或は悪口数をしらず或は打たれ或は手を負う或は弟子を殺され或は頚を切られんとし或は流罪両度に及べり、二十余年が間一時片時も心安き事なし』


【通解】三十二歳の(立宗の)時から今年五十四歳になるまでの二十余年の間、ある時は寺を追い出され、ある時は住処を追い出され、ある時は親類を苦しめられ、ある時は夜討ちにあい、ある時は合戦にあい、あるいは悪口を数知れず言われ、ある時は打たれ、ある時は傷を負い、ある時は弟子を殺され、ある時は首を切られようとし、あるいは二度も流罪に処せられた。この二十余年の間は、一時片時も心安らかなことはなかったのである。

名字の言 藤井新棋聖は「闘争心の塊」 2020年7月18日
将棋の八大タイトルの一つである棋聖戦で、藤井聡太七段が、「現役最強」といわれる渡辺明棋聖に勝利した。17歳11カ月でのタイトル獲得によって、従来の史上最年少記録が30年ぶりに更新された▼プロ棋士としてデビューしてから29連勝を飾るなど、数々の記録を樹立してきた。師匠の杉本昌隆八段は、弟子の藤井新棋聖について「闘争心の塊」と述べている。「負けた悔しさを次の対局にぶつけて成長した」▼棋士の羽生善治九段は、将棋の勝負を決するのは、「『負けたくない』と思う気合い」「努力しても勝ちに恵まれないときにも持ちこたえる根性」など、今の時代には評価されない「泥臭い能力」が大きい、と指摘する(『羽生善治 闘う頭脳』文春文庫)▼「負けたくない」という心の強さ——その重要性は、盤上だけに限らない。御聖訓には「然どもいまだこりず候」(御書1056ページ)と。いかなる試練に遭遇しようとも、そこから立ち上がる「不屈」の強さが、私たちの信仰の真髄だ▼将棋の駒の「歩」は1マスずつ前に進み、敵陣に入ると「金」と同じ働きをする。日々の生活においても、一歩また一歩と、自らが掲げた目標へ向かって、挑戦を重ねていきたい。その「負けじ魂」の苦闘が、わが黄金の歴史に変わっていく。(燦)

寸鉄 2020年7月18日
青年は真剣勝負で自分を鍛えよ—恩師。世界青年部総会へ錬磨の日々を!
東西の学園で「栄光の日」学びの青春に勝利あれ!負けじ魂で朗らかに進め
「一筋に信じ給ふならば・現世安穏」御書。地道に純真に。これ幸福の直道
首都圏中心に感染者が増加傾向。新しい生活様式皆で実践し強力に定着を
迷惑メール、在宅増えた5月以降に急増と。不審な内容は開かずに即削除

☆心に御書を 第59回 仏の大生命はわが胸中に
〈御文〉
『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり』(法華初心成仏抄、557ページ)

〈通解〉
わが己心の妙法蓮華経を本尊と崇めたてまつり、わが己心の中の仏性が南無妙法蓮華経と呼び呼ばれてあらわれるところを仏というのである。

〈指針〉
人間を強く賢く善くする仏法だ。自身を尊極な存在に高める唱題行だ。大聖人と同じ仏の大生命を、我らの胸中に呼び起こせる題目なのである。
強き祈りで、大宇宙に遍満する妙法の力用を、わが心身に満々と湛えゆくのだ!
梵天・帝釈、仏菩薩の仏性を涌現させ、家庭に地域に社会に断固として蘇生の波動を!

☆御書カフェ 華陽姉妹の語らい 2020年7月11日
◇御文
『日月は地におち須弥山はくづるとも、彼の女人仏に成らせ給わん事疑いなし』(松野殿御返事、1390ページ)

◇通解
たとえ、日や月が地に落ち、須弥山が崩れることがあったとしても、かの女性が仏に成られることは疑いない。

◇教えて
自分に対して、なかなか自信が持てません。

◇池田先生の指導
若くして妙法を受持した乙女が幸せにならないはずがあろうか。
広布の誓いに生き抜く青春は、必ず無限の福運の力が涌現する。必ず自分らしく輝き、自分でなければ果たせぬ使命に生き切っていけるのだ。
これが「自体顕照」である。その自身の生命の光が、周りをも幸福に照らしていくのだ。(『随筆 輝く民衆の大城』)
◇ ◆ ◇
「信心」とは「信じる心」「信じ抜く心」です。
御本尊と自分が一体であると信じ、題目を唱え続け、前進していくところに、必ず必ず、希望と幸福と勝利の道が限りなく開かれていくのです。
「生命の可能性を信じ抜こう!」。そして「自分と皆の可能性を思う存分、発揮しよう!」——これこそが世界中の同志の合言葉であり、わが後継の皆さんに託しゆく「創価の心」なのです。(2019年5月号「未来ジャーナル」掲載の「誓いの明日へ——日蓮門下を語る」)

〈社説〉 2020・7・16 「立正安国論」の提出760年 2020年7月16日
◇エゴを超え自他共の幸福へ
わずか半年余りのうちに世界で57万人以上の尊い生命が失われた(15日現在)。新型コロナウイルスの地球規模の感染拡大で、人類は未曽有の危機の中にある。社会的、経済的なダメージも深刻だ。
また今月、記録的な大雨が九州や東海地方などに甚大な被害をもたらした。復旧へ懸命の戦いが続いている。
この度のコロナ禍、および豪雨災害による犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、大変な困難の中、忍耐と苦闘の日々を送られている全ての方々に心よりお見舞いを申し上げたい。
今日、あらゆる人々の安穏と国土の安全——すなわち「安国」は、誰もが切実に願うところではあるまいか。
13世紀の鎌倉時代、「立正安国論」を著された日蓮大聖人が直視されたのは、「天変地夭・飢饉疫癘」(御書17ページ)という大災難に喘ぎ苦しむ民衆の姿であった。この悲惨な現実をわが事とし、「胸臆に憤?す」(同ページ)と同苦し、何としても民を救いたいと立ち上がられたのだ。
「立正安国論」の終盤に、主人が客人に呼び掛けた重要な言葉がある。
「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を?らん者か」(同31ページ)
苦悩に満ちた現実を生きる上で、「一身の安堵」を願わない人はいない。しかし、それが他者の存在を忘れてエゴにとらわれたものであれば、結局、自分の安心さえ得ることはできない。一人一人がエゴを克服して「自他共の幸福」を祈り、支え合っていく行動が基盤となってこそ、本当の意味で「安国」——"世界を静穏ならしめる"ことができるのだ。
創価学会は、この「立正安国」の精神を受け継ぐゆえに、これまで幾多の災難の中でも、復興支援のボランティアへの取り組みや、"誰も置き去りにしない"との励ましを推進してきたのである。
20世紀を代表する大歴史家トインビー博士は、池田先生との対談で、「人間一人一人が、それぞれの自己中心性を克服していかなければなりません」と指摘し、そのために宗教の使命を強調した。
「宗教のみが、人間本性の働きのなかにあって、個人的にも集団的にも、自己を克服するよう人間の心に働きかけてくれるものなのです」と。
自己の超克とは、個人における「人間革命」といってよい。と同時に、それは集団的レベル、つまり人類社会の変革をも促すものなのである。私たちが日々、「自他共の幸福」を祈り、広宣流布へ進む実践には大きな意義と使命がある。
きょう7月16日は、大聖人が「立正安国論」を提出されて760年の節目。自分のいる場所から、勇んで「立正安国」への祈りと行動に踏み出したい。

2020年7月17日金曜日

2020.07.17 わが友に贈る

孤独にならない。
孤独にさせない。
互いを思いやる心が
不安を乗り越える力に!
安心と希望を送ろう!

立正安国論 P21
『悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや』

【通解】
悪い坊主を誡めなければ、どうして善い事を成し遂げることができようか。絶対にできない。

名字の言 各地で甲子園の代替大会。頑張ることはつながる 2020年7月17日
中止となった夏の甲子園の代替大会が1日、全国に先駆けて岩手で開幕した。この週末も各地で大会が始まる▼「野球ができる感謝を胸に、全ての高校3年生の代表として悔いのないプレーをします」。そう語るのは大阪大会に臨む高等部員。コロナ禍で多くの同級生アスリートが"集大成の場"を奪われた。その悔しさが分かるからこそ皆の気持ちを背負って戦う大会にしたい、と▼夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」。この歌の作曲を手掛けた古関裕而氏がモデルのNHKの連続テレビ小説「エール」が好評を博している。同歌をはじめ数々のスポーツ応援歌を残してきた氏。最初の代表作は、早稲田大学の「紺碧の空」だった▼ドラマには早稲田の応援団長が、主人公に作曲を依頼した理由を告げる場面がある。共に甲子園を目指した親友が自分のせいで大けがを負い、野球ができなくなったこと。早慶戦をラジオで聞くのが楽しみだという彼のために、必死で野球部を応援してきたこと。「野球を頑張る人のおかげで頑張れる人がいる。頑張ることはつながる」。その思いを受けて誕生した「紺碧の空」を歌い、早稲田は慶応に勝利する▼自分の頑張りは必ず誰かの励みになる。"最後の夏"に挑む球児たちに心からの声援を送りたい。(仁)

寸鉄 2020年7月17日
「弥はげませ給うべし懈ることなかれ」御書。常に今ここから!闘魂赤々と
正義の「大阪大会」記念日"正しい仏法が必ず勝つ"この師子の確信で勇躍!
中部の友が「一番星月間」を大驀進。師と共に歩む「この道」は三世に輝く
災害時は"空振りも覚悟"で早めの避難が大切と。家族や地域でも声掛けを
店でのカード支払い時、番号盗用の被害が急増。毎月の利用明細を要確認

〈社説〉 2020・7・17 きょう、「大阪大会」から63年 2020年7月17日
逆境で光る永遠の"学会魂"
創価三代の師弟は、庶民のため、正義のために命を懸けて権力と戦ってきた。三代の大闘争ありて、今、創価学会は人類を照らす「人間主義の世界宗教」と輝く。
中でも池田先生が、恩師・戸田城聖先生と学会を守るため、一身に難を受け、正義を貫かれたのが大阪事件である。
1957年(昭和32年)7月3日、池田先生は、事実無根の選挙違反容疑で不当逮捕された。そして15日間の獄中闘争の後、17日に出獄。その日の夕刻、雷鳴轟く豪雨の中、権力の横暴を糾弾する「大阪大会」が行われた。会場となった中之島の大阪市中央公会堂には、約2万人の同志が集い、建物の外まで人があふれた。
"最後は、信心しきったものが必ず勝つ"との先生の師子吼を聞いた同志は、怒濤の拍手で応え、「いかなる障魔にも権力にも負けたらあかん」「ひとたび起こした戦いは断じて勝つ」と固く誓い、「7・17」は常勝不敗の原点となった。
池田先生はつづった。「この師子の確信を、今、二十一世紀の後継の直弟子が、厳然と受け継いでくれている。いかに困難が立ち塞がろうが、最後は勝つ。断じて勝つ! これが我ら創価の信念であり、誓願であり、本懐なのだ」
63年を経た今も、大阪大会で同志に宿った"負けじ魂"は、全関西に変わらず脈動している。どんな苦難に遭おうとも、師弟共戦を貫けば、"最後は勝つ"と。
56年(同31年)に入会した大阪・城東区の婦人は、家族が反対する中、大阪大会に駆け付けた。その時、背負われていた生後3カ月の娘は、後に創価女子高校(現・関西創価高校)の1期生に。娘の子は、結婚を機に夫を入会に導き、功徳の実証を示す。その夫の両親も、若い夫婦の姿に触れ、3年前に入会。「学会に入れていただき、人生が大きく変わりました」と義母は感謝を語る。
大阪・福島区の男子部のリーダーは、学会3世の美容師。開業10年目となる本年、コロナ禍の影響で順調な日々が一変。小説『新・人間革命』で師の闘争に学び、奮い立った彼は、最高の拡大で「7・17」を荘厳しようと決意する。電話やSNSで同志を励まし続け、区男子部のオンライン大会を目指す中で、活動者を拡大。さらに、自営業で苦闘する友人を励まし、入会に導いた。
「7・17」には、全世界の同志が模範とする永遠の"学会魂"が光る。コロナ禍による未曽有の苦難に、世界が同時に直面している中、逆境を新たな価値へと転換していく生き方が、今ほど求められている時はない。
"信心しきったものが必ず勝つ"——この大確信で全世界の宿命転換を祈り、今再びの前進を開始していきたい。

☆心に御書を 第58回 不屈の祈りで変毒為薬を
〈御文〉
『此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来らざる事なく善根として動かざる事なし』(聖愚問答抄、500ページ)

〈通解〉
この妙法蓮華経を信仰し奉るという一つの行に、いかなる功徳も集まってこないものはなく、いかなる善根も動かないものはない。

〈池田先生が贈る指針〉
九州をはじめ各地の大雨の被災に、重ねてお見舞い申し上げます。
妙法受持の生命に行き詰まりはありません。どんな苦難も、必ずや幸福へ転じられます。これが「変毒為薬」という日蓮仏法の真髄です。
大変な時こそ、決定した一念で祈り抜き、無量の功徳を! 異体同心の宝友と支え合い、使命の国土に無辺の善根を!

☆上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)研さんのために
一度決意を固めても、困難に直面したり、環境の影響を受けたりすることで、意志が揺らいでしまうこともあります。そうした時こそ、「いよいよ」の心で信心を貫くことが重要です。ここでは7月度座談会拝読御書である「上野殿後家尼御返事」の研さんのために、池田先生の指導と解説を掲載します。(「大白蓮華」7月号も参考にしてください。森中教学部長の講義の動画が、創価学会公式ホームページ「SOKAnet」で、今月31日まで視聴可能。なお、講義の要旨は後日掲載の予定)

◇拝読御文
『法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし』(御書全集1505ページ8行目〜10行目、編年体御書616ページ8行目〜10行目)

★[池田先生の指針から]「信」を深め仏界を現す
大聖人が、即身成仏や地獄即寂光などの深理を説かれるのは、門下の信心を深めるためです。
仏法は、言葉や観念の遊戯ではない。
本抄(=上野殿後家尼御返事)で説かれている極理はすべて、私たちの生命の中に仏界という究極の希望があることを教えるものです。
それを、自らの命において信じていけば、その信によって、仏界の生命を覆い隠している無明を打ち破り、我が生命に仏界が涌現するのです。
ゆえに「信」が大事なのです。信心を深めれば深めるほど、私たちの生命は仏界の色彩に染め上げられていくからです。
大聖人は、そのことを、天台大師の「従藍而青」(摩訶止観)との言葉を通して教えてくださっています。
植物の藍の葉は、薄く青みがかった緑色です。しかし、この葉から採った染料で何回も重ねて染めれば、濃い鮮やかな青になります。
私たちの一生成仏の修行も同じです。
成仏の原理が説かれている法華経は、藍の葉に譬えられます。
大聖人の仏法の実践は、藍の葉から採った染料を何回も染めていくことに譬えられるでしょう。
すなわち、大聖人の仏法では、法理を聞いて信心を深め、ますます修行に励んでいけば、実際に仏界を現し、一生成仏を実現していくことができるのです。
御書を学ぶ目的は、大聖人の御精神に触れて、信心を深めるとともに、仏法の深理に学んで我が内なる希望と平和を確信し、自行化他の実践に励んでいくことにあります。
そして、難を勝ち越えてこられた大聖人の実践に学んで、苦難に挑戦していく勇気を奮い起こすことです。
この「実践の教学」の要諦を、深く深く銘記していきたいものです。
(『希望の経典「御書」に学ぶ』第1巻)

◇"いよいよ"の心で求道の実践を貫く
◇キーワード� 「即身成仏」の信心
本抄を頂いた上野尼御前は、夫・南条兵衛七郎を亡くした時、次男の時光は7歳であり、五男に当たる末の息子は、まだおなかの中でした。尼御前は、一家の行く末を案じながら、深い悲しみの中にあったことでしょう。
こうした尼御前に、大聖人は寄り添うように、亡き夫が生前には「生の仏」であり、今、亡くなってからは「死の仏」であり、生死ともに仏であると励まされました。その上で、残された尼御前に「即身成仏」の法門等を示し、信心に励むよう教えられました。
即身成仏とは、衆生が凡夫のその身のままで仏に成ることです。
他の御書に「功徳とは即身成仏である。また、六根清浄である」(762ページ、通解)と仰せです。唱題することにより、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの感覚・認識器官)が清らかになり、鋭くかつ豊かになるとの意です。
六根が清浄であれば、煩悩に染まることなく、正しく物事や環境を捉え、判断、認識、感覚に狂いなく、生命は充実していきます。
大聖人は、尼御前が信心根本に苦難を乗り越えていくことを願われて、妙法の偉大さを示されたと拝せます。その通り、尼御前は宿命を勝ち越え、立派に後継者を育てました。
大聖人は拝読御文で、法華経の法門を聞いて、いよいよの信心に励んでいく者こそが道心者であると教えられています。
どこまでも求道の実践が重要です。"いよいよ"の実践によって胸中に具わる仏界への揺るぎない「信」を確立することで、幸福境涯が築かれていくのです。

◇キーワード� 生命を妙法に染め抜こう
日蓮大聖人は、「従藍而青」の例えを通し、修行を重ねて信心をより堅固にするよう教えられています。
法華経の法門を聞いて信心を深め、修行に励んでいくことで、私たちの生命は妙法に染め抜かれ、何ものにも揺るがない仏の境涯を開いていけるのです。
環境に翻弄され、信心を失ってしまえば、幸福はつかめません。譬喩を用いた大聖人の励ましを受け、失意の上野尼御前の胸に決意が湧き上がったことでしょう。
その後も大聖人は、重ねて尼御前を激励し続けます。とりわけ、末っ子が早世した際には、嘆き悲しむ母の心に寄り添うお手紙を何度も認められています。
その励ましは、次男の時光にも及びます。時光が大聖人から頂いた御書は、30編を超えます。時光に信仰の真髄を示し、"広宣流布の闘士へ育てよう"との、大聖人の深き慈愛が伝わってきます。
時光は、大聖人の御入滅後、身勝手な行動を取る信徒が出てくるなか、日興上人のもとで、同志と団結し、大聖人のお心にかなった正しい信仰を貫きました。
池田先生は、つづっています。
「世代を重ねるごとに、いよいよ力ある『従藍而青』の人材を育成する。これが、末法万年尽未来際の『令法久住』を開く大道である」(「随筆『人間革命』光あれ」〈師弟凱歌の言論城〉)
世代を超えて幾重にも励ましを送りゆく——広宣流布の伸展は、信心の志を自ら重ねながら、たゆみなき励ましを重ね、人材を輩出できるかどうかによって決まることを深く心に刻みましょう。

2020年7月16日木曜日

2020.07.16 わが友に贈る

全人類の安穏を目指し
「四表の静謐」を祈る。
これが仏法者の使命だ。
利己主義を打ち破る
利他の連帯を広げよう!

遠藤左衛門尉御書 P1336
『左衛門殿は梵天釈天の御使にてましますか、霊山えの契約に此の判を参せ候、一流は未来え持せ給え霊山に於て日蓮日蓮と呼び給え、其の時御迎えに罷り出ず可く候』

【通解】
左衛門殿は梵天・帝釈天のお使いであられましょうか。霊山浄土へ行く固い約束として、この判形を差し上げます。一つは未来世へお持ちになりなさい。そして霊山で「日蓮、日蓮」と呼んでください。その時はお迎えに出てまいりましょう。

名字の言 エールの送り方はさまざま——ブラインドサッカーを観戦して 2020年7月16日
数年前、ブラインドサッカーの試合を観戦した。出場する視覚障がい者の選手と視覚に障がいのない選手が、共にアイマスクを着けてプレーする。選手たちは、転がるボールから鳴る金属音、他の選手や監督などの声を聞き分け、周囲の気配や息遣いを察知しながらゲームを進める▼そのため、応援する人は無言で観戦するのがマナー。ただ、ゴールが決まった瞬間は、皆で声を上げ、歓喜を爆発させる。エールの送り方はいろいろあると思った▼ある婦人部員は病と闘う夫を支え続けた。夫は病魔に負けず、更賜寿命の実証を示し、今世の使命を全うして霊山へ。信心の偉大さをわが身で教えてくれたことに、家族は心から感謝した▼葬儀の一切を済ませた夜、婦人は成人した息子と久しぶりに枕を並べた。気丈に振る舞った数日間の緊張が解けたせいか、息子の寝息を聞いた婦人の目から涙が。すると眠っていたはずの息子が、婦人の背中を優しくトントンとたたいた。"僕がしっかりするから、母さん、安心して"と励まされたように思え、胸がいっぱいになった▼慣用句の「琴線に触れる」の「琴線」とは、物事に感動して共鳴する胸奥の心情を意味する。その"琴"を鳴らすのに特別な技巧はいらない。精いっぱい思いを形にすればいい。(城)

寸鉄 2020年7月16日
「立正安国論」提出の日。我らが広げゆく妙法こそ苦悩の闇照らす大光なり
「沖縄原点の日」60周年。平和の砦たる大民衆城。「命どぅ宝」の心を世界へ
大聖人門下は若き学徒で固められていた—恩師。青年よ本流の誇りで戦え
スマホ活用した無料防災サービスが増加。災害情報に敏感に。自助が基本
コロナ禍で自転車通勤が拡大。保険義務化の自治体も多く。安全運転更に

☆随筆「人間革命」光あれ 青年に無限の力あり 2020年7月7日
何よりもまず、熊本をはじめ九州各地の甚大な豪雨被害に、心からお見舞いを申し上げます。
私も五日、総本部の恩師記念会館で勤行・唱題を行い、犠牲になられた方々の追善とともに、被災地の方々の健康と無事安穏を強盛にご祈念させていただきました。
豪雨は熊本・鹿児島・宮崎に続き、福岡・佐賀・長崎・大分と九州全域、また各地に及んでおります。無事を祈り、さらに題目を送ってまいります。

◇立正安国へ 希望の共進を
若き力が時代を変える。誇り高く青春を舞いゆけ!——師の心は常に青年と共に

◇同苦から黎明へ
七月、我ら地涌の命はいやまして燃え上がる。
その源流は、一二六〇年(文応元年)七月十六日、日蓮大聖人が「立正安国論」をもって、国家諌暁された歴史である。
「立正安国」(正を立て、国を安んず)という不滅の金言は、大聖人の全く独創であられた。
「立正安国」とは、全民衆救済へ妙法を掲げて、ただ一人立ち上がられた大慈悲の師子吼にほかならないのだ。
当時、「天変地夭・飢饉疫癘」など打ち続く災難のために、庶民は悲惨の極みにあった。現在、コロナ禍と闘う人類の苦境とも相通ずる。
「立正安国論」の冒頭には、「悲まざるの族敢て一人も無し」(御書一七ページ)と記されている。
大聖人の眼差しは、愛する家族や友を失い慟哭する庶民の姿にこそ注がれていた。渦巻く民衆の苦悩を直視し、わが事と同苦し抜かれたのだ。
大聖人は「安国」の「国」を、「囗」に「民」とも書いておられた。人間の顔の見えない国家の安泰ではなくして、何よりも民衆が日々の生活を営む場としての国土の安穏であり、民衆の安心安全を祈られていたお心が拝されてならない。
この御本仏の大精神のままに、先師・牧口常三郎先生と恩師・戸田城聖先生は、戦時下にあって「今こそ国家諌暁の時なり」と正義の行動を貫き、一九四三年(昭和十八年)の七月六日、軍部政府の弾圧により逮捕された。
牧口先生は翌年、殉教の獄死を遂げられ、不二の戸田先生は二年の投獄を越え、終戦直前の七月三日、"妙法の巌窟王"の心で出獄された。
この日この時、戦争の残酷と悲惨に覆い尽くされた闇の底から、太陽の仏法が昇りゆかんとする「立正安国の黎明」が告げられたといってよい。
戸田先生は四十五歳。戦前の幹部たちは、法難に臆して退転した。
信じられるのは正義の青年だと、先生は「旗持つ若人」を祈り、待たれた。そして、敗戦の荒廃し切った大地に題目を打ち込みながら、一歩また一歩、足を運び、一人また一人、若き地涌の弟子を呼び出していかれたのである。 

◇我らは試練の中でいよいよ強くなる
アジサイの青が重なり合い、従藍而青の青年たちのごとく鮮やかに。撮影された6月27日は未来会結成50年の日

◇師弟の魂の結合
恩師の出獄から五年後(一九五〇年)の七月、私たちは男女合同で青年部会を開催した。二十人ほどの集いであったが、意義は誠に深かった。
大事なのは人数ではない。魂の結合である。
私は当時の日記に、「青年部も、未来の怒濤、嵐に向かって、船出せり。吾れも進む、全生命のあらん限り」と書き残した。
多くの会社が倒産し、先生の事業も最悪の苦境に陥った時である。師恩を裏切り、去る先輩たちも少なくなかった。
その中で、私は今こそ青年が立ち上がる時だと心を定めた。
「開目抄」には、「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」(同二〇二ページ)と仰せである。
これが、創価の師弟が歩まねばならない「広布大願」の航路ではないか。立ちはだかる試練があればあるほど、我ら青年がいよいよ強くなるのだ。
たとえ、若輩の一兵卒であろうとも、師弟不二の題目の力で、師匠を断固とお守りできる。障魔を敢然と打ち破れる。広宣流布の全軍を前へ前へ進められるのだ。
私はそう誓い、祈った。
「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」——この苦難を耐え忍んで、陰徳陽報の師弟の勝利を示すのだ、と。

◇対話から始まる
この一年後の七月、嵐を越えて第二代会長に就任した戸田先生に直結して、男子部、女子部が結成されたのだ。
世界を見れば、朝鮮戦争(韓国戦争)の悲劇の渦中であった。やがて「地球民族主義」を提唱される先生は、この青年部の新出発に際して、日本はもとよりアジア、さらには世界の「広宣流布」即「立正安国」への尊い使命を教えてくださったのである。
最前線の一班長であった私も、広布拡大に燃え、直ちに宮城県の仙台市へ走った。誠実な東北健児たちとの懐かしい共戦が蘇る。
結核を乗り越え、事業の破綻を打開した信仰体験を、私は確信を込めて語った。八人の新来の友が次々に入会を決意されたと記憶している。
大聖人の「立正安国論」は「一対一」の対話形式で展開されている。民衆一人ひとりの心に正義を打ち立てることを、「立正安国」の究極の方途として示されたのである。
ゆえに、私たちも眼前の一人の友と生命の共鳴を奏でることから一切の変革を始めようと、決心していた。桜梅桃李の友情と尊敬のスクラムこそ希望の礎なのである。

◇危機に光る挑戦
未曽有のコロナ禍の中でも、わが従藍而青の青年部は、日本中、世界中で不屈の心で、「危機を転機へ」と変えゆく智慧と勇気の挑戦の日々を刻んでくれている。
近年の通信技術の飛躍的進歩を背景にした、オンラインを駆使した取り組みも活発である。
物理的に会えない状況でも、皆が顔を見ながら語り合えるという時代になってきている。
以前より多くの友が参加できるようになった地域もあると聞いた。
リーダーたちは、毎回の集いに臨んで「皆のために」と真剣である。だからこそ、「学会の集まりは楽しい」「前向きな話が聞けた」と喜びも広がり、先輩も後輩も共に成長しているのだ。
感染症との闘いが続く南米ブラジルでも、この七月、十万人の青年が励ましの連帯を結びながら、社会貢献へのたゆまぬ波を広げている。
数学の天才であった戸田先生は常々、交通機関や通信技術など文明の進展は、「広宣流布の時近し」の象徴なり、と言われていた。新時代の青年部の創意工夫を、先生も喜ばれるに違いない。
ともあれ、世界広布の流れは間違いなく進んでいる。それも急速に!
ならば、我らは変化を厭うのではなく、若人を先頭に、現在の変化の中に、「人間の幸福と平和のために」という立正安国の精神性を打ち込んでいきたい。
仏法の人間主義が一段と輝きを増す好機であり、我らの価値の創造に限界はない。それを担い立つ青年には、無限の力があるからだ。

◇「分断」を越えよ
ちょうど三十年前(一九九〇年)の七月、私はモスクワのクレムリンを訪れ、冷戦終結の立役者であるゴルバチョフ・ソ連大統領との最初の会見に臨んだ。
「きょうは、大統領と"けんか"をしに来ました! 火花を散らしながら、何でも率直に語り合いましょう。人類のために!」。開口一番、私がこう切り出すと、「私も率直な対話が好きです。本当に、昔からの友人同士のような気がします」と、あの快活な笑顔で応じてくれた。
以来十度に及ぶ語らいで、"二十一世紀に待ち構えている最大の危機"として論じ合ったテーマこそ、「分断」であった。
「まるで中世のペストのように目に見えず蔓延し、ところかまわず猛威を振るう分断」を、どう克服していくのか。
ゴルバチョフ氏は、「私たちは『結合』の力を探し出さなければなりません」と力説された。
私たちの対話の結論の一つは、「楽観主義」の力であった。いかなる試練も必ず乗り越えてみせるとの信念、人間の精神的な力への無条件の信頼、人類の未来への確信——ここに分断を越え、世界の民衆を結合せしむる力が脈打っている。
牧口・戸田両先生の弟子として、私は「立正安国」の対話を貫いてきた。その一つの証しとして、世界の識者と重ねた諸文明を結ぶ対談集など著作の翻訳出版も「五十言語」となった。恩師記念会館には、それらが両先生への報恩感謝を込めて展示されている。
不信と不安の渦巻く危機の時代の闇を破る、人間信頼の不屈の楽観主義を、二十一世紀へ継承する若き「対話の王者」「言論の王者」こそ、創価の青年たちなのだ。

◇君よ「青春王」「不撓王」たれ
池田先生の書「王」。日付は「七月十九日」と

◇一字に込めた心
三十五年前(一九八五年)の七月、私は女子部結成の記念日を祝賀し、"今、留めて此に置く"との思いで、「王」の一文字を大書した。
大聖人は、漢字の「王」という字を、こう釈されている。「三の字を横に書きて一の字を豎さまに立てたり、横の三の字は天・地・人なり、豎の一文字は王なり」。そして「天・地・人を貫きて少しも傾かざるを王とは名けたり」(御書一四二二ページ)と仰せである。
何があろうが、中心を貫いて揺るがぬ柱の存在が「王」である。
若き命は、心の振幅が激しい。自然災害も打ち続く。その中で、最極の生命哲理を探究し、悩み、もがきながらも、勇んで広宣流布の誓願に挑み抜く青年群は、「レジリエンス」(困難を乗り越える力)を身に体した堅固な陣列だ。そしてまた、地球社会の平和・文化・教育の偉大な柱である。
法華経という「経王」「師子王」を胸中に持ち抜き、常勝の王となり、女王となるのだ!
心から愛し、信頼する、わが青年たちよ!
生命輝く青春王たれ! 朗らかな希望王たれ! 負けじ魂を抱ける不撓王たれ! そして邪悪を破る正義王たれ! 
労苦を誉れとし、創価の青年は皆、「心の王者」「心の女王」なりと、胸を張って、私と共に進みゆこうではないか!

☆記念映像上映会での原田会長の指導
◇人間革命の劇を師と不二の心で 新しい生活様式の中で新しい広布の活動へ
一、池田先生の第3代会長就任60周年を慶祝する記念映像上映会の開催、誠におめでとうございます。
新型コロナウイルス感染症の世界的な流行によって長期間の活動自粛を余儀なくされましたが、この間も「無冠の友」の皆さまをはじめ、広布のため地道な行動を貫いてくださってきた全ての皆さまに、まずは衷心より御礼を申し上げます。
感染状況を注視しながらの活動再開となりますが、これからも、「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(御書1169ページ)の御金言の通り、信心しているからこその聡明さで、ともどもに無事故と健康に細心の注意を払い、新しい生活様式の中での、新しい広布の活動に、仲良く、また、たくましく取り組んでまいりたいと思います。

一、さて、これからご覧いただく記念映像では、1960年5月3日の池田先生の会長就任式、その前後の広布史が描かれています。
「わが運命 かくもあるかと 決意せば 惑うことなし 恐れることなし」
これは、先生が第3代会長に就任されるにあたっての真情をお詠みになり、ずっと執務室に掲げてこられたお歌です。
池田先生が、どのような決意で戸田先生から妙法の松明を受け継ぎ、この60年、どのような覚悟で広布の指揮を執り続けてこられたのか。学会創立90周年を迎える本年の「11・18」へ、さらには創立100周年の2030年へ、今、再びの前進を開始するにあたり、私どもは、先生のお心を学び、先生の心を心としてまいりたい。

一、池田先生は小説『人間革命』で、師弟の真髄について、次のように記されました。
「師の意図するところが、現実に現れるか、現れないかは、弟子の実践の姿を見れば容易に判断のつくことである。師の意図が、脈動となって弟子の五体をめぐり、それが自発能動の実践の姿をとる時、初めて師弟不二の道を、かろうじて全うすることができる。師弟に通い合う生命の脈動こそ、不二たらしめる原動力である」
「多くの弟子たちは、その困難さを避ける。師の意図に背く考えは、さらさらないものの、師の意図を、ただ教条的にしか理解しない」
「直面した現実を特殊な事態ととらえ、信心という根本を忘れ、浅薄な世間智を働かせて現実に対応しようと焦る。ここに至って、師弟の脈動が断たれていることに気がつかない」——このように「単なる師弟の道」と深淵なる「師弟不二の道」の決定的な違いを教えてくださいました。
かつてない困難に直面した今こそ、「単なる師弟の道」をゆくのか、それとも「師弟不二の大道」を歩み抜くのか。一人一人が自身を見つめ、自身に問い掛けながら、新たな挑戦を開始してまいりたい。
そして、師弟が脈動する、我ら池田門下の祈りで、智慧で、実践で、必ずや一国の宿命の転換を成し遂げ、さらには全人類の宿命の転換をも可能にする、壮大なる「人間革命」のドラマを、ともどもにつづりゆこうではありませんか。

2020年7月15日水曜日

2020.07.15 わが友に贈る

仏道修行に励み
題目を唱える実践が
最高の追善回向となる。
生命の絆は永遠だ。
共に常楽我浄の旅路を!

四条金吾殿御書 P1112
『定めて釈迦多宝仏十方の諸仏の御宝前にましまさん、是こそ四条金吾殿の母よ母よと同心に頭をなで悦びほめ給うらめ、あはれいみじき子を我はもちたりと釈迦仏とかたらせ給うらん』

【通解】
きっと釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏の御宝前におられるであろう。そして、これらの仏は「これこそ四条金吾殿の母よ母よ」と皆同じ慈愛の心を込めて頭をなで、悦びほめられることであろう。
妙法聖霊は「ああなんとすばらしい子を私は持ったことでしょう」と釈迦仏と語られているであろう。

名字の言 師弟の思い出の歌——熊本民謡「田原坂」 2020年7月15日
♪右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年……。西南戦争の激戦地であった熊本・田原坂での激闘を歌った民謡「田原坂」の一節である▼田原坂の戦いで、官軍の兵士は、1日に32万発もの大量の弾丸を使用したとされ、そのため銃弾同士が空中でぶつかり合うことも多かったという。戦争から1世紀以上が経過した今も、現地では当時の銃弾が発見されることがある▼1968年(昭和43年)、池田先生は田原坂を訪問。西南戦争で犠牲となった人々に追善の祈りをささげ、弾痕が残る建物に足を運んだ。その史跡の持ち主に、先生は語った。「『田原坂』の歌は、実は私の恩師が大好きで、私もこの歌を通して、青年に革命の精神を教えています」▼戸田先生は「田原坂」に合わせ、自ら舞うことがあった。青年と共に歌い、感極まることもあった。ある時には、冒頭の歌詞になぞらえて、こう訴えた。「学会は『右手に慈悲、左手に哲学』で進むのだ」▼「慈悲」の行動とは、単なる「同情」とは違う。友の苦悩に思いをはせ、無事安穏を真剣に祈り、その人が立ち上がるまでエールを送り続けていくことだ。コロナ禍に加え、九州はじめ各地が豪雨被害に見舞われる今、私たちは慈悲の旗を高く掲げ、逆境の坂を共々に乗り越えていきたい。(澪)

寸鉄 2020年7月15日
青年ならば自分の使命に生き切ることだ—恩師。今いる場所で前進の一歩
池田先生の東北初訪問の日。共戦の人材城は盤石。不屈の魂で希望拡大を!
新潟婦人部の日。混迷の時こそ勇気凜々と!地域に励まし送る太陽の連帯
コロナ禍で助け合おうとの意識高まった—6割。我らは利他の実践さらに
感染恐れ、子の予防接種を3割が延期と。接種も命守る為。先延ばしせず

☆四季の励まし 目標を定めて一歩前へ 2020年7月5日
【写真の説明】青々と茂る街路樹が、天高く伸びている。先月24日、池田大作先生が都内でシャッターを切った。
樹木の成長は1日、2日と見比べても分からない。しかし半年、1年、10年と長い時間がたつうちに、確実に伸びていることが分かる。
あらゆる友に励ましを送り、支え合う私たちの運動もまた、一つ一つは地道で小さなことかもしれない。だが、そのたゆまぬ積み重ねによって自他共の心を豊かにし、地域や社会を大きく変革することができる。
いよいよ7月。「前進・人材の年」である本年の折り返し点を迎えた。自身の目標を今一度、明確にし、心新たに出発したい。そして"私はやり切った!"と胸を張れる"挑戦の夏"にしていこう。

◇池田先生の言葉
人生は、挑戦である。
挑戦しないと、
人格はできない。
自分を鍛えるのは、
自分だ。
自分を大きくするのは、
自分の努力である。

本来、人間は
自分に挑戦している時は、
伸び続ける。
他人と比較しはじめると、
成長は止まる場合がある。
何か一つでも、
自分が打ち込めるものを
もっているならば、
それはおのずから
自分の心の大地を耕し、
育てることになる。

目標をもつことは、
希望をもつことである。
目標が定まれば、
一足一足の歩みにも
力がこもる。

何があっても、
太陽は昇る。
暗い夜のような、
さみしく、つらい時が
ずっと
続くように思えても、
朝は必ずやってくる。
だから、
うまくいくかどうか
心配するよりも、
思い切って
やってみることである。

背伸びをする必要はない。
地道に忍耐強く、
前へ進むことだ。
一歩でもいい。
ありのままの自分で、
今やれることを
着実にやり切ることだ。
まず腹を決める。
その強き一念が、
自分のもてる力を
十全に発揮させるのだ。
いわんや、
我らには「祈りとして
叶わざるなし」の
御本尊がある。
何ものにも勝る
「法華経の兵法」という
信心がある。

日々前進だ!
日々向上だ!
昨日の自分を
断じて越えよ!
そして、
今日という日を、
断固として勝て!

2020年7月14日火曜日

2020.07.14 わが友に贈る

目の前の山を登ろう!
「未来の果」は
「現在の因」にあり。
勝利の頂を目指して
悔いなき今日一日を!

蓮盛抄 P153
『仏は文字に依つて衆生を度し給うなり』

【通解】
仏は文字によって人々を救うのである。

名字の言 歌舞伎囃子の九代目田中佐太郎氏。芸の品格を高めるには? 2020年7月14日
"もし彼女がいなかったら今の歌舞伎囃子はない"と評されるのは、歌舞伎囃子田中流の九代目田中佐太郎氏。十一世家元・傳左衛門の三女として生まれ、半世紀にわたり舞台に立つ一方、後進の育成にも力を尽くしてきた▼氏は、人間国宝の父から"陰の正直であれ"と、よく言われたという。人が見ていようがいまいが勉強し、努力を欠かさない。それが必ず舞台に生きてくる、と▼例えば舞台に設けられた小部屋「黒御簾」での効果音の演奏。人目がないからと油断すれば、鼓を構える肘が下がったり、太鼓の撥を取る時に雑音が出たりする。そうした姿勢は、必ず演奏にも表れる。技術だけではなく「見えないところにも心を配ることで芸の品格が育つ」(『鼓に生きる』淡交社)▼日蓮大聖人は、苦難と戦う四条金吾に「仏法の中に内薫外護と申す大なる大事あり」(御書1170ページ)と仰せになった。「内薫」とは、妙法の実践によって生命に内在する仏性が内から薫り出てくること。その内薫によって外から守り助ける働きが現れることが「外護」だ▼厳しい局面こそ、自らがやるべきことに徹する。自分の外に禍福の因を求めるのではなく、自身の挑戦によって道を切り開いていく。不屈の心こそ、日蓮仏法の真髄である。(誼)

寸鉄 2020年7月14日
この世の悲惨をなくす中に仏法の実践があるのだ—恩師。立正安国の道を
岩手の日。愛する郷土に希望拡大!開拓魂燃える人間王者はスクラム固く
石川婦人部の日。誓願に生きる創価の幸の太陽。さあ地域に友情の光を!
青年部、オンライン会合で普段より参加者増。新たな活動様式、皆で工夫
前向きな心はアレルギー等の症状を改善—研究。楽観主義こそ健康の良薬

☆「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ 第3回 幸福をつかむ信心〈上〉 杉本総合婦人部長
「紙上教学研さん『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」では、今回から2回にわたり、「創価学会 永遠の五指針」の一つである「幸福をつかむ信心」について、杉本総合婦人部長と共に研さんします。(〈下〉は18日付に掲載の予定。前回は6月20日付に掲載。池田先生の講義は『創価学会 永遠の五指針』から引用)

◇池田先生の指導
祈りとは、負けじ魂です。
祈りとは、無限の希望です。
祈れることが最大の幸福であり、
人間としての最高の尊厳なのです。

1.「与えられる」ものではない
今、各地で教学や小説『新・人間革命』の研さんが活発に行われています。
日本だけでなく各国の婦人部、そして各部の同志が、研さんを通して信心を深め、さまざまな困難と戦っています。
私たちは、今こそ池田先生のご指導を真剣に学び、絶対的幸福境涯を築く仏法の「人間主義の哲学」を心に刻んでいきたいと思います。先生は、今回学ぶ講義の冒頭で、次のように言われています。

■池田先生の講義
日蓮大聖人の仏法の目的は何か——。
人間は、幸福になるために、この世に生まれてきました。不幸になりたくて生まれてきた人は誰一人としていません。ゆえに「幸福」は、古来、哲学の根本命題でした。そして、宗教は、本来、人間の幸福のためにこそ存在するのです。

戸田先生は、「幸福をつかむ信心」と言われました。この「つかむ」という一言には、深い深い哲学があります。
幸福は、他の誰かから与えられるものではない。自分の意志や努力とは無関係に、いつか突然やって来るのを待つのでもない。究極は、各人が、自分自身で「つかむ」しかありません。必ず「つかむ」ことができる信心なのです。

—◆—

本当に大切なご指導だと思います。
大聖人の仏法は、誰かに「救ってもらう」ものではありません。「幸福にしてもらう」ものでもありません。
全ての人に金剛不壊の仏の生命が具わっており、自らがそれを輝かせていくことを教えています。幸福を開く力は、自分の中にあるのです。
各国のSGIメンバーとお会いすると、多くの方が、「宿命転換」「人間革命」の哲学に感動して入会したという話をされます。「自らを卑下し、不幸や苦難を『運命』と諦めていた自分が、仏法に出合って変わりました。幸福になりました!」——そう語る笑顔は、まぶしいほど輝いています。
「自分は変えられる。自分の家庭も、地域も、社会も必ず変えていける」
この人間革命の哲学こそ、世界の人々の希望であることを実感します。

2.相対的幸福と絶対的幸福
池田先生は「幸福」の意味について、御書を通して教えてくださっています。
【御文】
法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし(中略)苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ(四条金吾殿御返事、御書1143ページ3行目〜6行目)

【現代語訳】
法華経を持つこと以外に、遊楽はない。(中略)苦しいことがあっても、苦は避けられないと見極め、楽しきことは楽しきことと味わい、苦も楽もともに思い合わせて南無妙法蓮華経と唱え続けていきなさい。

■ 池田先生の講義
私たちが「つかむ」べき幸福とは、いかなる幸福でしょうか。
戸田先生が教えてくださった仏法の幸福観の要諦は、二点ありました。
一つは、「相対的幸福」に対する「絶対的幸福」という幸福観です。
これは、生活の豊かさや健康などの相対的幸福を否定しているのではありません。仕事も大事、健康も大事、生活の向上も大事です。それらを勇敢に勝ち取りながら、仏法の実践によって、何ものにも壊されない、「生きることそれ自体が楽しい」という絶対的幸福境涯を開き、「常楽我浄の人生」を築いていくことを呼び掛けられているのです。

—◆—

幸福の内実は、外からは見えません。幸せそうに見えても、そうではない人もいます。心から満足し、充足感を持って日々を生きているかどうか——それは、本人にしか分かりません。
長い人生には、つらいことも、悲しいこともあります。信心で幾山河を越え、絶対的幸福の大境涯を開いてきた"創価の母"が、学会には大勢おられます。
北海道の夕張で、病と闘う婦人部の大先輩も、その一人です。かつて訪問した折、先生と共に戦ってきた夕張の歴史を、誇り高く語ってくださいました。
ご主人は炭鉱の作業員でした。爆発事故も経験しました。以来、地下1000メートルにまで染み込ませる思いで題目をあげ、夕張広布に生き抜いてこられました。
今は、がんで闘病中ですが、「毎日、感謝、感謝なんです」と言われます。
「大丈夫。御本尊様は解決できないことを絶対に出さないよ」「早く学会活動がしたいなあ。人に会って、話を聞かせてもらうの。がんは私の武器ですから。『大丈夫』。その一言を届けてあげたい」
信心への不動の確信。「友のために」との太陽のような温かな心。こうした姿にこそ、「絶対的幸福」の実像があると思えてなりません。

3.苦しい時も楽しい時も題目
先生はまた、「強い生命力」こそが幸福の源泉であり、「祈り」こそが一切の根本であることを示されています。

■ 池田先生の講義
法華経は、この世界を「衆生所遊楽」と説きます。しかし、苦悩多き娑婆世界は、弱い生命力では遊楽していくことはできない。ゆえに信心で仏界の生命を涌現し、生命力を強くするのです。強い生命力を発揮すれば、起伏に富んだ人生の坂も悠々と楽しみながら上っていける。さまざまな困難や苦労も"お汁粉に入れるひとつまみの塩"のように、人生の喜びを増してくれるものに変えていくことができるのです。
こうした人生の醍醐味を、皆が味わってほしいと、恩師は常に願われていました。

どんなに苦しくとも、ひたぶるに御本尊に祈り抜けば、そこから必ず活路は開かれます。
祈りとは、負けじ魂です。
祈りとは、無限の希望です。
祈りとは、絶対の安心です。
祈りとは、不屈の前進です。
祈れることが最大の幸福であり、人間としての最高の尊厳なのです。
次に「自受法楽」とあります。法楽(法の楽しみ)を自由自在に自ら受けきっていける、まさに仏の境涯です。
絶対の法に則り、揺るぎない確信に立った幸福な人生を歩める。他の誰でもない、自分自身が必ずそうなるのです。

—◆—

祈りの力が、どれほど偉大か——。多くの同志の姿、また、自分自身の体験を通して、そのことを実感してきました。
私は中学生の時、人材育成グループ「未来会」の一員として、初めて池田先生とお会いしました。その頃から現在まで、ずっと「題目ノート」を書き続けています。もう23冊になりました。
ノートには唱えた題目の時間と、その日にあった出来事を記しています。見返してみると、「60分」「120分」と書いた日もあれば、「5分」「10分」という日もあります。空白の日もあります。
また、うれしかったことの記述もあれば、悲しかったことが、涙の跡と一緒に書き残された日もあります。
音楽大学の学生だった女子部時代、進路について悩み、池田先生に質問をしたことがあります。先生は言われました。
「大音楽家になっても、必ずしも幸せになれるとは限らない。また、退転しては何にもならない。大事なことは、福運を積むことだ。それが幸福になる道です」と。
私にとっての原点です。福運の源泉こそが、題目です。学会活動です。
偉大な師匠と共に、多くの尊き同志と共に、広布の道を歩めることが、どれほど幸せなことか。そのことに、感謝の思いは尽きません。

4.一番、苦しんだ人が一番、幸福に
今、コロナ禍による不況で、経済的な困難に直面している方もおられます。また、病気や家庭の問題などで悩んでいる方もいると思います。先生は、"学会は永遠に、苦しんでいる人の味方である"と訴えられています。

■ 池田先生の講義
生活の変革に勝る真実はありません。
宿命の転換に勝る証明はありません。
先師・牧口常三郎先生が明察された通り、仏法は「生活法」です。人生の荒波を勝ち越える力です。無上最高の幸福に至る道です。
戸田先生は、呵々大笑されていました。
「貧乏人と病人の集まりの何が悪い。一番、不幸な人びとに寄り添い、その人たちを救ってこそ、本当の力ある宗教ではないか! 学会は一番の庶民の味方だ」
恩師の師子吼は、いわゆる"貧・病・争"という民衆の不幸の因を根絶せんとする偉大なる人権闘争の大宣言でありました。

—◆—

かつて「大白蓮華」に掲載された婦人部の方の体験が、忘れられません。
その方は1953年(昭和28年)に入会。しかし、和楽の家庭とはほど遠く、5人の子どもを抱えた生活は苦しいままだったそうです。
深い悩みの中、学会本部を訪れ、初対面の青年から励ましを受けました。3時間も身の上話を聞いてくれた後、その青年は言ったそうです。
「あなたのお子さんは、皆、いいお子さんです。お子さんに希望を持って頑張ってください。家のいたるところに、『希望』『希望』『希望』と書いて、貼ってください」
60年5月3日、池田先生の第3代会長就任式に参加して驚きました。なんと、新会長はあの時の青年だったのです。
以来、どんなに苦しい時も、池田先生の「希望!」との言葉を胸に生き抜いてきました。
5人のお子さんは立派になり、多くの孫やひ孫に囲まれ、最高の幸福境涯を築かれました。
先生の真心の言葉、温かな励ましが、どれほど多くの人の人生に光をともしてきたことでしょうか。
今、世界には宿命に負けず、「大丈夫! 私は勝てる!」と、希望を胸に困難に立ち向かう同志がたくさんいます。
私たちもまた、悩み、苦しむ友に希望を送る存在でありたいと思います。

■ 池田先生の講義
一番、苦しんだ人が一番、幸福に!
誰人も、幸福になる権利がある。仏法は、最も苦しんでいる人の最大の味方です。
我ら創価学会が「永遠に民衆の側に立つ」ことは、民衆を不幸にする根源の悪と戦い続け、万人を幸福にする信念の証なのです。

2020年7月13日月曜日

2020.07.13 わが友に贈る

新聞休刊日

十字御書 P1492
『我等は父母の精血変じて人となりて候へば三毒の根本婬欲の源なり』

【通解】
私達は父母の精子と卵子が変じて人間となったのであるから三毒の根本であり、婬欲の根本である。

☆心に御書を 第57回 希望を送る確信の声を
<御文>
『此の良薬を持たん女人等をば此の四人の大菩薩・前後左右に立そひて・此の女人たたせ給へば此の大菩薩も立たせ給ふ乃至此の女人・道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ』(妙法曼陀羅供養事、1306ページ)

<通解>
この良薬(妙法)を持った女性らを、この四人の地涌の大菩薩(上行・無辺行・浄行・安立行)が前後左右に添い立ち、この女性が立たれたならば、この四大菩薩も一緒に立たれるのである。この女性が道を行く時にはこれら四大菩薩も道を行かれるのである。

<池田先生が贈る指針>
妙法は、生命の究極の大良薬である。妙法を行ずる友を、目には見えなくとも、四大菩薩は常に厳然と守護している。
広布のためにわが地域を歩めば、あまたの菩薩を従える常楽我浄の地涌の行進となるのだ。
不安や迷いを希望と勇気に転ずる「確信の声」を聡明に快活に広げゆこう! 友の幸福と社会の安穏のために!

☆日蓮仏法の視座 世界を結ぶ地涌の絆 2020年6月30日
◇激動の時代——"先駆"の実践で社会を照らす
パソコンやスマートフォンの画面上に、就職活動の悩みを打ち明けるメンバーや、友への激励に奮闘するメンバーの顔が映し出される。身ぶり手ぶりを交えて近況を語る、友の明るい表情に、こちらも元気をもらう。
オンライン上で喜びを分かち合い、励まし合う——今、全国各地の学生部で見られる光景だ。
コロナ禍により、社会の"当たり前"も大きく変わった。感染拡大防止のための「新しい生活様式」に移行しつつある中、これまでの"常識"が問い直され、社会のさまざまな分野で思いもよらない変化が次々と起きていることを、日々、感じている。

◇知勇兼備の闘将の集い
きょう6月30日は「学生部結成記念日」。1957年(昭和32年)のこの日、男女学生の代表約500人が集い、結成大会が開催された。
その直前には、北海道・夕張で炭鉱労働組合が学会員を不当に弾圧した「夕張炭労事件」が起こった。直後の7月3日には、池田先生が不当逮捕される。「大阪事件」である。
学生部は、権力の魔性との熾烈な闘争の渦中で産声を上げたのである。
かつて先生は、「学生部こそ、無名の民衆を守り抜くことを使命として誕生した、知勇兼備の闘将の集いである」とつづられた。
学生部の使命——それは、いかなる激動の時代にあろうとも、常に広宣流布に先駆し、英知の光で社会を照らしゆくことにほかならない。
この誇りを胸に、私たち学生部は、社会が揺れ動く中でも、常に前を向く。
ウイルスの感染が広がり、緊急事態宣言が発令された4月は、ちょうど入学・進級のシーズンだった。学生部でも、例年であれば新入生など、新たな友とつながる時期だったが、直接会えない、集まれない、という状況が続いていた。
しかし、各地のメンバーは知恵を湧かせ、工夫を凝らしながら、電話やSNSなどを活用して"つながる"挑戦を重ねてきた。
こうした状況の中で、私自身、あらためて気付かされたのは、「同志との"心の絆"は、試練の時ほど強靱さを増す」という紛れもない事実だ。

◇心は瞬時につながる
"心の絆"で思い起こすのは、日蓮大聖人が身延の地から、遠く離れた佐渡の門下・千日尼に送られたお手紙である。
「譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ」(御書1316ページ)
千日尼は、身延にいる大聖人に御供養を届けるため、夫の阿仏房を送り出し、佐渡の地で留守を預かっていた。
その千日尼に対して、大聖人は、天空の月が瞬時に池に影を浮かべるように、また、古代中国の「雷門の鼓」の音が遠い距離を越えて直ちに伝わったとされるように、千日尼の身は佐渡にあっても、その心は、私(大聖人)のいる身延にまで届いていると励まされた。
物理的な距離は離れていても、心は瞬時につながっている——この慈愛の励ましに、千日尼は深く勇気づけられたに違いない。
心の絆に、距離や時間は関係ない。相手を思う心は"いつか"ではなく、"今この瞬間"に必ず伝わるのだ。
さらに大聖人は、「我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」(同ページ)——私たちは、けがれた国土におりますが、心は霊山浄土に住んでいるのです。お会いしたからといって、どうなりましょう。心こそ大切なのです——と仰せである。
仏法の眼から見れば、私たちの絆は、"会う・会わない"の次元を超え、生命の次元で深い宿縁によって結ばれた、久遠からの"地涌の絆"なのである。
また、「御義口伝」には、「霊山一会儼然未散」(霊山一会儼然として未だ散らず=同757ページ)との一節がある。
これは、法華経が説かれた霊鷲山の会座は、いまなお厳然として散らず、永遠に常住しているとの意味である。「会座」とは、仏の説法を聞くために仏弟子達が集まった場所・儀式のことだ。
このことについて池田先生は、「広く言えば、日蓮大聖人の門下として、異体同心で広宣流布に向かって進んでいる創価学会の姿そのものが、『霊山一会儼然未散』と言えます」と述べられた。
深い縁で結ばれた創価の同志の心は、どんなに離れていても、いずこの地にいたとしても、一つである。目には見えなくても、心の絆は厳然としてあるのだ。
私たちは今、"何としてもあのメンバーを励まそう""あの友人に希望を送りたい"と、オンラインを活用して、一人また一人と心を通わせ、絆を結び広げている。ウイルスとの闘いで物理的な距離は離れようと、心の距離は絶対に離れない——この思いが脈打つ創価の絆の真価は、あらゆる分野で"分断"が広がる混迷の世界にあって、今後ますます光っていくだろう。
思えば、自然災害や疫病などが打ち続いた鎌倉時代、苦悩にあえぐ民衆に蘇生の励ましを送られたのが、大聖人である。たとえ直接会えずとも、手紙をしたため、会われたのと同じように心を込めて、多くの門下を激励された。
手紙を受け取った門下もまた、文字を通して大聖人のお心を感じ、師の心をわが心として、苦難に立ち向かっていった。
善なる人と人とによって織り成される心の絆は、未曽有の災禍に遭っても変わらない。いやむしろ、世界中、同じ状況にある今こそ、さらに強く輝く希望となるに違いない。

◇「誓い」の共有
ではなぜ、これほど強固な心の絆が、日本中、世界中で強く結ばれてきたのだろうか。
私自身、信心に目覚めたのは、学生部の先輩の励ましがあったからだ。
大学に進学すると、学生部の先輩が私のもとへ頻繁に訪れるようになり、私もやがて、学生部の集まりに参加した。
そこで、池田先生の偉大さを語り合う同志の生き生きとした姿に触発を受け、「自分も、学生部の仲間たちと一緒に、広宣流布のために戦おう!」と決意したことを覚えている。
特別なことは何もない。
ただ、「師と共に広布に生き抜く」との誓いに燃え立つ一人から一人へ、いわば「誓い」が共有されていく中で、私たちの絆は結ばれてきたのだ。
この方程式は、世界のどの地でも、また、いかなる時代になろうと、変わらないことだろう。
妙法が、地涌の使命を自覚した一人から、「二人・三人・百人」(御書1360ページ)と唱え伝えられ、未来にまで続いていく——これが「地涌の義」であると大聖人が示された通りである。

◇学生部の使命とは
今、学生は大きな不安と向き合う。授業や就職活動などの先行きは見通せず、すぐ近くで励まし合える仲間にも会えない。しかしそれでも、自宅の机で、パソコンの画面に向かって、自身の未来を開こうと、学業に励む。
日本だけでなく、世界の学生もまた、同じだろう。
状況は異なるが、2011年(平成23年)を思い出す。東日本大震災が日本を襲った、あの日だ。
当時、創価高校の3年生で卒業を控えていた私は、震災を報じるテレビを前に、「これから先、どうなるのか」と大きな不安に襲われた。
その5日後の3月16日。池田先生が、創価学園の卒業式に寄せられたメッセージは、今も私の心に刻まれている。
「これから、どこにいようとも、私の心は常に、皆さんと一緒です。いつも成長を見守っています」
その後も、困難に直面するたび、先生の励ましを思い起こし、自らを鼓舞して、挑み抜いてくることができた。
1962年(昭和37年)、学生部への本格的な薫陶のため、先生は「大白蓮華」4月号の巻頭言で「学生部に与う」をつづり、呼び掛けられた。
「青年のなかにあって、とくに学生部は、その先駆をきるべき責任と自覚をもつべきである」
この"先駆"の誇りを胸に、私たち学生部は、広布を誓う絆を結びながら、希望の哲学を社会へ大きく広げゆく実践に、ともどもに挑んでいきたい。

2020年7月12日日曜日

2020.07.12 わが友に贈る

◇今週のことば
「立正安国」の旗を
世界の友と高らかに!
生命尊厳の法理と
開かれた対話で
人類共生の新時代を!
2020年7月12日

佐渡御書 P956
『魚は命を惜む故に池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむしかれどもゑにばかされて釣をのむ鳥は木にすむ木のひきき事をおじて木の上枝にすむしかれどもゑにばかされて網にかかる、人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし』

【通解】
魚は、命を惜しむために、栖としている池が浅いことを嘆いて、池の底に穴を掘って棲んでいます。しかし、餌に騙されて、釣り針を呑んでしまいます。鳥は、栖としている木が低いことを恐れて、木の上枝に棲んでいます。しかし、餌に騙されて、網にかかってしまいます。
人間も、また、これと同じことです。世間の浅い物事のために、身命を失うことはあっても、大事な仏法のためには、身命を捨てることが難しいものです。故に、仏になる人もいないのであります。

名字の言 震災の記憶をつなぐ「ど根性ヒマワリ」 2020年7月12日
鉢植えで育てていた「ど根性ヒマワリ」が今年も咲いた。ベランダが明るくなり、梅雨のうっとうしい気分が吹き飛んだ▼東日本大震災が起きて迎えた最初の夏(2011年)。がれきの中から茎をねじ曲げながらも懸命に伸び、大輪の花を咲かせた「ど根性ヒマワリ」は、被災者の生きる希望となった。その1世の種は希望のメッセージとともに各地に広がり、今年咲いたのは10世となる▼なぜ1世、2世、3世と数えるのか。ど根性ヒマワリを見つけた被災者は言う。「例えば50世になり、子どもたちが『なぜ50世なの?』と尋ねた時、『50年前、大震災が起こって……』と震災の話ができます」。震災を忘れず、次代へつなぐ大切なツールでもある▼背丈が大きく伸び、花の部分が重いヒマワリは太い茎でも支えきれずに折れたり、風で簡単に倒れたりする。今年は支柱を立てたので事なきを得たが、「大風吹き候へどもつよきすけをかひぬれば・たうれず」(御書1468ページ)。支えるものが強ければ倒れない▼コロナ禍も大雨被害もそうだが、支え合う心が希望となり、生きる力となる。支え合う心は、相手の状況を「人ごと」ではなく「自分ごと」と捉える想像力から生まれる。ヒマワリの花言葉は「あなたは素晴らしい」である。(川)

寸鉄 2020年7月12日
「仏法の根本は信を以て源とす」御書。確信の祈り貫け。ここに常勝の軌道
総東京の「婦人部 幸福・勝利の日」「青年部の日」。本陣は絆固く立正安国へ
戦いは既に始まった。一瞬一瞬が戦いだ—詩人。出会い一つも真剣勝負で
大雨影響し各地の農作物に被害。農漁光部の皆様、負けるな!変毒為薬祈る
感染対策には免疫力向上も大切—医師。睡眠・食事・運動等をバランス良く

☆小説「新・人間革命」学習のために 第14巻
◇自他共の幸福築く学会活動
<1960年代末から学生運動は過激化していく。ある学生部員は、運動に身を投じていたが、民衆と遊離した革命に虚無感をいだき、離れていた学会活動に取り組む。その中で、人生の希望の光を見つける>
彼は、学会のなかにこそ、未聞の大衆運動の大潮流があることに気づいた。
学会では、職業も、年代も、社会的な立場も異なる人たちが、広宣流布という、世界の平和と人類の幸福の実現に向かい、日夜、懸命に活動に励んでいる。
自営の社長もいれば、大企業の役員もいる。工場労働者もいれば、商店に勤務する人も、専業主婦も、学生もいる。それが対立し合うのではなく、同じ目的に向かって、仲良く団結し、前進しているのである。そこには、「前衛」と「大衆」の乖離などなかった。(中略)
また、学会の運動は、「生活者」に立脚し、常に個々人の具体的な苦悩と向き合うことから出発していた。(中略)
彼は、革命に生きるということと自己の幸福とは、相反するものであると考えていた。しかし、自他ともの幸せを築いていくのが、仏法の在り方であるというのだ。
また、学会員は、よく「煩悩即菩提」という言葉を口にした。仏法は、煩悩、つまり欲望などを否定するのではなく、信仰に励み、広宣流布という目標に生き抜くなかで、それが、菩提、すなわち人間完成への原動力となっていくというのである。
事実、日々、学会員が多くの功徳の体験を積みながら、希望と喜びにあふれて、友のため、社会のために奔走する姿が、それを物語っていた。
つまり、創価学会の運動には、個人の身近な幸福の追求と革命の理想とが、地球が自転しながら公転しているように、なんの矛盾もなく、共存し、連動しているのである。
(「智勇」の章、93〜94ページ)

◇「文」は自身の境涯の投影
<1969年(昭和44年)8月、文芸部が結成。指導会で山本伸一は、万感の期待を寄せる>
「皆さんは、本当の実力をつけていただきたい。(中略)
大事なことは、何人の人が自分の作品に共感するかです。皆さんの文学を、多くの人が支持し、賞讃してくれることが、そのまま仏法のすばらしさの証明になる。そのためには、自分と戦うことです。一日一日が勝負になります。"今日も自分の殻を破ろう""新しい境地を開こう"との精進がなければ、社会で勝つことはできません」(中略)
「私は、これからも、書きまくっていきます。連載小説だけでなく、各出版社からの原稿依頼もかなりの数になります。三九度近い熱が続いた時もありました。しかし、"ここでやめるわけにはいかない!""書かずしてなるものか!"との一念で、ペンを執り続けました。(中略)
『文は人なり』と言われますが、それは、『文は生命』であり、『文は魂』であり、また、『文は境涯』であるということです。文には、生命がすべて投影されます。
したがって、苦労して、苦労して、苦労し抜いて、ほとばしる情熱で、炎のように燃え上がる生命でつづった文は、人びとの心を打つんです。話をする場合も同じです。必死さ、真剣さが、その魂の叫びが、情熱の訴えが、人の心を揺さぶるんです。大事なことは、民衆の心をつかむことです。
人びとの幸福に最大に貢献するのだという信念をもち、思想、哲学の眼を開いて、それぞれの分野で、皆さんが、大いに活躍されんことを念願いたします」
(「使命」の章、170〜173ページ)

◇勇気と確信の源泉は御書
<69年(同44年)秋から70年(同45年)にかけて起きた「言論・出版問題」で、学会は激しい誹謗中傷にさらされる。一切の矢面に立つ伸一を、妻の峯子は、御書を拝し、不動の信心で支える>
山本伸一の自宅も、警戒が必要であった。彼は、妻や子どものことを考えると、心配でならなかった。だが、妻の峯子は、何があっても悠然としていた。(中略)
少しでも時間を見つけては、懸命に御書を拝していった。御書という"明鏡"に照らすと、信心の眼が開かれ、勇気と確信が湧き上がってくるのだ。
ある時、拝した「辨殿尼御前御書」には、次のように認められていた。
「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)(中略)
峯子は、夫の伸一が会長に就任してから、片時も休むことなく、ただ、ただ、人びとの幸福と世界の平和を願って、広宣流布のために走り抜いてきたことを、誰よりもよく知っていた。まさに、大聖人の仰せのままに、全精魂を注いでの"闘争"であった。そして、今や学会は、七百五十万世帯の一大民衆勢力になった。
"その大前進が御仏意にかない、第六天の魔王を攻め立てているから、あらゆる勢力が攻撃の牙をむいて、襲いかかってきたのだ"と峯子は確信することができた。
"難こそ正義の証明である。難こそ誉れである"というのが彼女の結論であり、心の底からの実感であった。
(「烈風」の章、270〜271ページ)

◇逆境こそ成長のための道場
<70年(同45年)6月、伸一は箱根の研修所で高・中等部、少年・少女部の代表と懇談。父親のいない友へ励ましを送る>
伸一は、参加者のなかに、父親のいない人がいることを聞いていた。彼は、そのメンバーのために、一言しておきたいと思った。最も悲しい思いをしてきた人を励ますのが、"学会の心"である。
「ところで、皆それぞれ、家庭環境は違っています。お父さんやお母さんがいないという人もいるでしょう。両親がそろっている人は幸せです。しかし、仏法の眼から見れば、親がいない場合は、もっと幸せとも言える。
では、なぜ、そう言えるのか——。
お父さんやお母さんがいなければ、経済的にも精神的にも、大変なことが多いと思う。しかし、苦労があるということは、自分を磨き鍛えることができる。また、人の苦しみもよくわかる人になれるし、大変な状況にある人を、自分の体験を通して励ましていくことができる。
つまり、苦労があるということは、自分を強くし、民衆のリーダーとして育つ大事な条件を手にしたことになる。だから結果的に見れば、それは幸せなことであるといえるんです。また、お父さんやお母さんが信心をしていない人もいるかもしれない。それもまた、深い意味があることなんです。
私の場合は、最初、両親も、家族も、誰も信心をしていなかった。だから、一家の幸福と繁栄のために、私が頑張らなければならないと思った。それによって、甘えを排して信心に取り組むことができたんです。逆境は成長のための道場であり、幸福を創造するための舞台であることを知ってください」
(「大河」の章、328〜330ページ)

◇誉れの通信員
<1970年(昭和45年)11月、完成間もない聖教新聞社の新社屋で全国通信員大会が開かれる。「大河」の章には、山本伸一と恩師・戸田城聖の通信員に対する思いが描かれている>
通信員大会の開催を聞いた伸一は、聖教新聞社の幹部に言った。(中略)
「通信員の皆さんは、配達員の皆さんとともに、新聞を支えてくださっている大きな力です。皆、仕事や学会活動で忙しいなか、足を棒にして取材をし、記事を書いてくださっている。だから聖教新聞は、地域に密着し、人びとに親しまれる新聞になっている。
細かく張り巡らされた通信員の皆さんの取材網は、ちょうど毛細血管のようなものです。みんなは、ともすれば大動脈のような、大きなところ、目立つところばかりに目がいってしまうが、人体の隅々にまで血を送り、命を支えているのは毛細血管です。
通信員の皆さんは、同じように、組織の隅々にまでアンテナを張り巡らせ、あの町、この村のニュースをつかみ、情報を吸い上げてくださる。それによって、聖教新聞は、日々、脈動した記事を読者に送り続けることができる。
また、そうしてできあがった新聞を、毎日、読者のもとに届けてくださるのが、配達員の皆さんです。
通信員と配達員の皆さんこそ、新聞の生命線です。ありがたいことではないですか。本社にいる者は、そのことを絶対に忘れてはいけない」(中略)
「私は、通信員の活動にこそ、聖教新聞の原点があると思っている。当初、聖教新聞は、専従の職員というよりも、学会の幹部が皆でつくってきた。戸田先生をはじめ、私も、理事たちも、皆、懸命に原稿を書きました。(中略)
みんな、仕事をし、学会活動に励み、そして、新聞をつくった。忙しいが必死だった。その闘魂が紙面にあふれていた。だから、新聞には感動があった。今、その精神を受け継いでいるのが通信員の皆さんです」
(370〜372ページ)


通信員制度が発足し、初の通信員会議がもたれたのは、一九五四年(昭和二十九年)一月のことであった。(中略)
戸田は最大の期待を込めて、通信員に語った。
「聖教新聞に対する皆さんのご協力は、大変にありがたい。
今、皆さんは、新しい決意に燃えておられるが、人間は、ともすれば、次第に惰性に流されていくものです。記事を書くうえでも、その惰性との戦いが大事です。
私は、通信員は本当の"闘争人"になってもらいたい。"闘争人"というのは、民衆を不幸にする邪悪を絶対に打ち砕いてみせるという、赤々とした闘魂、情熱を燃え上がらせている人です。胸に炎をもつことです。見栄や体裁で書く格好だけの文章では、邪悪を断つことはできない。そんな文は自己満足です。正法正義のために、民衆のために、命がけで書いてこそ、ペンは剣に勝つことができる」
(372〜373ページ)

2020年7月11日土曜日

2020.07.11 わが友に贈る

「たすくる者
強ければたうれず」
悩める友に寄り添い
励ましの絆を広げよう!
共々に凱歌の人生を!

寺泊御書 P953
『日蓮擯出衆度流罪は二度なり、法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品今の勧持品は過去の不軽品なり、今の勧持品は未来は不軽品為る可し、其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為る可し』

【通解】
日蓮は処を追われることは数回、流罪は二度である。法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品であり、今の勧持品は過去の不軽品である。
今の勧持品は未来には不軽品となって修行の範となるであろう。その時、勧持品を色読した日蓮は過去の不軽菩薩として折伏の範となるであろう。

名字の言 命日は娘の新しい誕生日——投稿に込められた母の思い 2020年7月11日
若くして亡くなった娘の十三回忌に際し、母である婦人から投稿が寄せられた。8日付の本紙「声」欄に掲載され、感動を広げている▼女子部「池田華陽会」の1期生だった娘が、突然、病に倒れ、帰らぬ人になったのは2008年のこと。使命ある娘はすぐに生まれ変わってくるからと、母は、命日である6月4日を、娘の新しい誕生日に決めた。翌年の"誕生日"にドラマは起こった。池田先生ご夫妻が信濃町の創価女子会館を初訪問し、「池田華陽会」の友を激励したのだ。さらにその日が「世界池田華陽会の日」に制定された▼日蓮大聖人の門下に、幼くして亡くなった娘の十三回忌の追善をした夫妻がいた。それに対し大聖人は、追善の題目の功徳がいかに大きいかを述べられ、残された家族は「百二十歳までも長生きするでしょう」(御書1335ページ、趣意)と励まされている。娘の分までも生き抜いて、お幸せにとのあふれる慈愛が拝察される▼投稿した母が娘のことを文字にするまでに、どれほどの涙が流され、祈りがささげられたことか。投稿が掲載された7月8日は、偶然にも婦人の傘寿(80歳)の誕生日。優しかった娘から母への贈り物のようにも思えた▼真心こもる読者の皆さまの投稿に、いつも感動を頂いています。(進)

寸鉄 2020年7月11日
各地で「記念映像上映会」が開始。感染予防対策を実施し清新な決意で出発
男子部結成の日。広布の新しき扉開くのは我ら!若師子よ浪漫胸に先駆を
信心を一言でいうならば心を決める事—戸田先生祈って動け。道は開ける
小学6年の就きたい職業は医療系が上昇。"人の為に"と考える思い頼もし
長引く大雨。引き続き河川増水・土砂災害を警戒。無事故へ早め早めの避難

☆きょう7・11「男子部結成記念日」 師子王の勇気で前進!
きょう7月11日は「男子部結成記念日」。
男子部では、コロナ禍の中でも知恵を絞り、オンライン等を活用した励ましを拡大。この日を目指し、100万人を超える友に対話を広げてきた。
今月には、全国各地で記念のオンライン男子部幹部会が開催。9月下旬に行われることが決定した、10・2「世界平和の日」60周年記念の「オンライン世界青年部総会」へ向け、新たな誓いの前進を開始している。

◇戸田先生"広布の使命を自覚してほしい"
襲い来る試練に勇気の心で立ち向かい、新たな価値創造の道を切り開く——これが、正義の師子・男子部の使命である。
1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧・学会本部で行われた男子部結成式の席上、恩師・戸田城聖先生は語った。
「広宣流布は、私の絶対にやり遂げねばならぬ使命であり、各自に、その尊い地位を自覚してもらいたい」
男子部の一員だった若き日の池田大作先生は、この恩師の師子吼を"わが誓い"と受け止めた。
池田先生は10代で「結核」という感染症にかかり、医師から「30歳まで生きられない」と言われていた。しかし、師の構想を実現するために戦い抜き、蒲田、文京、札幌、大阪、山口など各地で弘教の金字塔を打ち立てていく。そして師の願業である「75万世帯」達成への突破口を開いていったのである。

◇男子部が新時代の立正安国の暁鐘を打ち鳴らす!
広布に生き抜けば、打ち破れない壁はない。この師の闘争を継承し、新時代の立正安国の暁鐘を高らかに打ち鳴らす!——男子部の闘魂が今、赤々と燃えている。
西方男子部長は誓う。
「今こそ池田門下の男子部が、『広布の誓願』を胸に『希望の哲学』を社会に広げ、新たな『師弟共戦の歴史』を築きます!」

◇今月、各地でオンライン男子部幹部会
全国各地で意気軒高に開催されているオンライン男子部幹部会。

〈神奈川・藤沢県〉
神奈川・藤沢県の幹部会は5日、ビデオ会議システムを活用して開かれ、60人が参加した。
使命の地で奮闘する山本陽介さん、松舘智之さん、大久保良哉さんが、苦難を打開しゆく決意を述べ、加藤宣明県男子部長は、今こそ師と共に前進する日々をと力説した。
布施湘南総県男子部長の後、鈴木東海道男子部長は「新しい時代をリードする励ましの連帯を築き、学会創立90周年の『11・18』へ勝ち進もう」と望んだ。

〈香川総県〉
一方、香川総県の幹部会は同日、SNSのライブ配信によって行われた。
家族で酒店を営む渡辺英二さんが、唱題根本に創意工夫を尽くし、コロナ禍による経済的な苦境を乗り越えた体験を語った。
中本総県男子部長は強盛な祈りで変毒為薬の実証をと強調した。
山本四国男子部長は「自身の心が変われば、周囲も、社会も、一切が変わる。今こそ私たちが立ち上がり、友の心に"希望の灯"をともす励ましを広げよう」と訴えた。

☆小説「新・人間革命」学習のために 「学生部」編
先駆の同志よ 広布に走れ
◇情熱たぎらせ、学びに学べ!
<第3代会長に就任した山本伸一は、1960年(昭和35年)6月、第3回学生部総会に出席し、学生部に期待を寄せた>
彼(伸一)は、政治も、経済も、科学も、その根底には偉大なる哲学、偉大なる宗教が必要であることを述べ、色心不二の生命哲理である日蓮大聖人の仏法こそ、真実の人間文化を創造する源泉であると訴えた。そして、偉大なる文化を建設する担い手には、偉大なる信仰、偉大なる情熱がなければならないと語り、青年の生き方に言及していった。
「今、皆さんが成すべきことは、大情熱をたぎらせ、人の何倍も勉強し、信仰の実践に取り組むことです。
鍛えを忘れた青春の果てには、砂上の楼閣の人生しかない。
決して、焦ることなく、未来の大成のために、黙々と学びに学び、自らを磨き抜いていっていただきたいのであります」(中略)
真実の平和と民主主義の社会の建設は、急進的で、破壊的な革命によってなされるものではない。
それは、人間一人ひとりの生命の大地を耕す人間革命を基調とし、どこまでも現実に根差した、広宣流布という漸進的な"希望の革命"によって実現されるのである。伸一は、最後に、祈るような思いで、こう話を結んだ。
「私は、皆さん自身が幸福になるとともに、人びとを幸福にしていく社会のリーダーになっていただきたいんです。それが、最大の私の願いです。皆さんに、私の後を継いでいただく以外に、広宣流布の道はないからです。頼みますよ」
彼は、学生部の未来に限りない期待を寄せていた。
彼らこそ、新しき哲学の旗を掲げ、人間主義の文化を建設する使命をもった先駆者にほかならないからだ。
(第2巻「先駆」の章、47〜48ページ)

◇「友情」の広がりが世界を結ぶ
<61年(同36年)6月、第4回学生部総会で伸一は、語学を磨き、世界にたくさんの友人を作ってほしいと述べる。そうして、築いた友情が、人間同士の信頼となり、世界平和の構築へとつながると語る>
「平和といっても、人間と人間の心の結びつきを抜きにしては成り立ちません。皆さんが世界の人びとと、深い友情で結ばれ、そのなかで、友人の方が、皆さんの生き方に感心し、共感していくなら、自然と仏法への理解も深まっていくものです。
この課題を担うのは、語学をしっかり学んでいる人でなければ難しいので、特に、学生部の皆さんにお願いしたいんです。世界の方は、一つよろしくお願いいたします」(中略)
世界を友情で結べ——さりげない言葉ではあるが、そこには、仏法者の生き方の本義がある。
仏法は、人間の善性を開発し、人への思いやりと同苦の心を育む。それゆえに仏法者の行くところには、友情の香しき花が咲くのである。
そして、布教も、その友情の、自然な発露にほかならない。
この総会に集った学生部員の多くは、口角泡を飛ばして宗教を論ずることのみが、仏法者の姿であると思っていた。
もちろん、教えの正邪を決するうえでは、それも必要なことではあるが、一面にすぎない。
伸一は、次代を担う若き俊英たちが、宗教のために人間があるかのように錯覚し、偏狭な考えに陥ることを心配していた。
柔軟にして、大海のような広い心をもってこそ、まことの仏法者であるからだ。
彼は、学生部という若木を、おおらかに、すくすくと育てたかった。
(第4巻「青葉」の章、211〜213ページ)

◇仏法と他思想の比較研究を
<62年(同37年)7月、第5回学生部総会が行われた。伸一は講演の中で、世界の思想・哲学と仏法を比較する探究の心こそ大事であると述べる>
「私は、学生部の皆さんには、日蓮大聖人の仏法と、実存主義やマルクス主義といった思想・哲学と、どちらが偉大であるのかを、徹底的に究明していってほしいのです。
どちらが人間の生命の全体像を正しく把握しているのか、人間の苦悩を根本から解決し得るのか、現実生活のうえではどうなのか、現証の面からはどうなのかなど、大胆に、冷静に、独断に走ることなく、比較研究していってもらいたいのです。
そして、"人類を救い得る世界最高の哲学は、確かにこれしかない"と確信したならば、その信念にしたがって、仏法の大哲理を胸に、民衆の味方となり、不幸な人びとを救うために、生涯、生き抜いていただきたい」
伸一には、仏法への絶対の確信があった。学生部員が、本腰を入れて、日蓮仏法と他の思想・哲学との比較研究に取り組むならば、早晩、その高低浅深は明らかになることを、彼は十分に知悉していた。しかし、当時、学生部員のなかには、その確信をもてないメンバーが少なくなかったのである。(中略)
学生部員の多くは、マルクス主義も、仏法も、徹底して掘り下げることをしなかったために、確信をもって語りきることができないでいた。
伸一は、学生ならば、強い探究心をもってほしかった。
探究なくしては、仏法の大哲理の真実の価値も、わからないからだ。さまざまな思想・哲学と比較相対すればするほど、その真価が明らかになるのが仏法である。
(第6巻「若鷲」の章、327〜329ページ)

◇苦難への挑戦に人生の醍醐味
<78年(同53年)6月30日、学生部結成記念幹部会が行われ、学生部歌「広布に走れ」が発表。伸一は学生部に託す思いを訴えた>
「諸君のなかには、さまざまな苦悩を抱えて悶々としている人もいると思う。そして、いつか、苦悩など何もない、今とは全く異なる、きらびやかな人生が開けることを、欲している人もいるかもしれない。
しかし、人生は、永遠に苦悩との戦いなんです。悩みは常にあります。要は、それに勝つか、負けるかなんです。何があっても負けない自分自身になる以外に、幸福はない。どんなに激しい苦難が襲い続けたとしても、唱題しながら突き進み、乗り越えていく——そこに、真実の人生の充実と醍醐味があり、幸福もあるんです。それが、本当の信仰の力なんです。
その試練に立ち向かう、堅固な生命の骨格をつくり上げるのが、青年時代の今です。学会の世界にあって、進んで訓練を受け、自らの生命を磨き鍛えていく以外にないんです。二十一世紀の大指導者となる使命を担った諸君は、苦悩する友人一人ひとりと相対し、徹して励まし、仏法対話し、友を触発する指導力、人間力を、仏法への大確信を培っていってください。
戸田先生は、青年たちに、常々、『次の学会を頼む』と、最大の期待を込めて言われていた。私は、そのお言葉通りに歩んできたつもりであります。
同様に、今度は、諸君の番です。私は、万感の思いを込めて、『二十一世紀を頼む!』と申し上げておきたい。妙法の世界一の学徒集団として、人間味あふれる創価家族の、期待の後継者として、どこまでも仲良く、民衆のため、庶民の幸福のために生き抜き、新しき世紀を築いていっていただきたい」
(第28巻「広宣譜」の章、29〜30ページ)

◇学生部の使命
1973年(昭和48年)、学生部との記念撮影で伸一は、学生部の使命を示す。
大学という最高学府に学ぶ意義は、庶民の上に君臨するためではない。
民衆に仕え、民衆を守り、民衆を幸福にしていくためです。