幾多の英雄を生んだ
歴史の天地・大中部よ!
今こそ正義の大攻勢を!
わが堅塁の黄金城に
断じて大勝の旗を!
兄弟抄 P1088
『心の師とはなるとも心を師とせざれ』
☆四季の語らい
自分の中に、「仏」もあれば、「魔」もある。「強い心」と「弱い心」−−どちらに支配されていくか。「強い心」をもって、悪魔のささやきに勝てば、向上できるし、負ければ堕落である。勝てば、自身を幸福へ導くことができるし、負ければ不幸へと落ちていく。人生は、いってみれば、自分自身の心の闘争のドラマなのである。
☆女性に贈ることば 五月三十一日
日頃、子どもに語りかけるひと言を大切にしたい。日々、子どもたちと一緒に美しものを喜び、新しいものを見出していきたい。
心を育むものは、心である。
☆今日のことば365 五月三十一日
どんなささいなことであっても物事を軽視する態度は、敗北につながる。
安易な考え方に勝利はない----安直は建設の敵であるからだ。
☆全国総県長会議から 鷹尾熊本総県長
◇全同志の真心の励ましに感謝 "越せない坂はない!"と前進
一、このたびの熊本地震におきまして、学会本部から水、食料などの救援物資に加えて、全国の皆さまから、たくさんの励ましを頂戴しました。
同志の真心が、被災した私たちにとって、どれほど心強かったか、勇気となったか、計り知れません。
この場をお借りして、お礼を申し上げます。本当にありがとうございました!
◇目を疑う惨状
一、一連の地震が発生した4月14日の翌15日、私は震度7の激震地の益城町へ。
町が近づくにつれ、目を疑いました。波打つ道路、崩れ落ちた家々。信号も電柱も折れ曲がり、塀はことごとく倒れ、見るも無残な姿でした。
そして16日午前1時25分、最大震度7の本震。その後、立て続けに3度の震度6が襲い、16日の深夜には熊本平和会館に車が続々と押し寄せました。駐車場はあっという間に満車。避難者は1500人を超えました。この日から計9会館で、3374人が避難生活を送ることになったのです。
特に被害の大きかった益城町は、半数以上が全半壊しました。
ある地区部長夫妻の家は応急危険度判定で「危険」を示す赤色の紙が貼られました。しかし他に住む場所がないため、現在もその家で生活。別の地区部長は、自宅がつぶれ、今も庭にテントを張って生活しながら、地区内の同志の把握と励ましに奔走しています。一日4回、FMラジオから流れる生活情報を聞きながら、誰もが今日を生きるのに必死です。
阿蘇の西原村は約6割の家屋が全半壊し、同志の8割以上が今も避難生活をしています。
また、阿蘇大橋が崩落した地域にある南阿蘇支部立野地区。同志全員は無事でしたが、山ごと崩落して、地域全体をのみ込むという未曽有の事態になりました。先日、この地域の村民全員が村を離れることが決まりました。地元のリーダーは、悔しさに涙しながらも、"もう一度、皆で広布に立ち上がります"と誓っています。
◇必ず変毒為薬する
一、震災直後から絶望と忍耐の毎日のなかで頂いた、池田先生からのお見舞いの伝言や激励に、どれほど勇気と力を頂いたか、計り知れません。
伝言を一軒一軒、お伝えすると、被災された同志は涙を流し、「ありがとうございます」「『絶対に負けません』と先生にお伝えしてください」と、固い握手を返してくださいました。
何より4月20日付の聖教新聞の随筆で「不撓不屈の大九州たれ!」「わが熊本の同志よ!」「断じて、負けるな!」とつづってくださり、感動が熊本中を駆け巡りました。皆、この日の新聞を握りしめ、被災した同志のもとに走りました。
ある壮年が語ってくれました。
「大きな余震が続くなか、家の中を片付けては崩れ、片付けては崩れの繰り返し。避難生活を続けるなか、ボロボロになりながら闘っています。しかし、随筆に掲載していただいた『田原坂』の歌を、熊本で先生と一緒に歌ったことを思い起こし、涙の出る思いです。必ず変毒為薬します」
◇9会館で懸命な避難所運営
一、避難者を受け入れた9会館でも連日連夜、懸命な避難所運営が続きました。
特に、断水でトイレの水が無くなり、皆で毎日、井戸水を運びました。
宇土文化会館では、避難者の半分以上は地域の方でした。
1週間、2週間とたつにつれ、ガスや水道が復旧し、自宅に戻られる方が増えてきました。避難した会館を出られる地域の方々は"このご恩は忘れません!"と、口々に感謝を述べられました。
地域の友人から、次のような丁寧な手紙も頂戴しました。
「貴施設に避難させていただいた6日間を振り返りますと、私どもは学会員でないにもかかわらず、分け隔てなく避難させていただいたことに貴学会の人間愛を感じ、感謝の念でいっぱいです。
貴施設は耐震構造で、新しい畳が敷かれ、安心して気持ちよく、大きな揺れがあっても、ほとんど恐怖心なく、横になっていられました。
学会の方々は、ご自身の被災にもかかわらず、避難者に優しく、親切に気遣っていただき、ありがたいことでした」と。
5月4日には、最後の避難者が公的避難所へ移られました。
一、現在、被災された方の家々を片付ける「かたし隊」(学会の清掃ボランティア)が奮闘しています。
先日も、感謝の声が寄せられました。
この方は、途方に暮れていました。会館に相談すると、「かたし隊」が駆け付けて、手際よく片付けました。帰る際には飲み水まで置いていった。「学会の青年はすごい。学会は素晴らしい」と、心から感謝されていました。
◇田原坂の大合唱
一、5月1日、震災後初めて熊本総県の区・圏長と婦人部長が集まりました。一人も欠けずに集い合えたことがうれしくて、皆、肩を抱き合って泣きました。
思いがけなくも、池田先生より万感のメッセージを頂きました。
「この半月、本当によくぞ戦い抜いてくれた。よくぞ守り抜いてくれた。よくぞ励まし抜いてくれた。そして、よくぞ耐え抜いてくれました。ありがとう! 本当にありがとう!」
先生のあまりに深き心に皆、泣きました。
会合の最後には、1981年12月、熊本を訪問された先生と一緒に歌った「田原坂」の歌を、あの日を思い起こしながら先生への誓いを込めて、皆で大合唱しました。
?雨はふるふる 人馬はぬれる 越すにこされぬ 田原坂……
天下取るまで 大事な身体 蚤にくわせて なるものか
皆、涙を拭いながら、再びの前進を固く誓いました。
復興はこれからですが、"「越せない坂」は絶対にない!"との先生の指導を胸に、全力で戦ってまいります。
2016年5月31日火曜日
2016年5月30日月曜日
2016.05.30 わが友に贈る
◇今週のことば
行動こそ命の誇りなり。
広布のために動けば
ドラマが生まれる。
心の財が積まれる。
勇気凛々と打って出よ!
2016年05月30日
☆四季の語らい
どんなウソの宣伝でも、ただ黙って見ていれば、人々は、それが真実であると思い込んでしまう。戦わずしては正義も敗れる。時に沈黙は、屈服につながることを知らねばならない。
☆女性に贈ることば 五月三十日
花々も、毎日、成長している。あらゆる線の木々も、成長している。
人生もまた、成長である。一日また一日、希望と努力を重ねながら、最上の幸福の自身の運命を築くことだ。
決して性急な跳躍をする必要はない。
☆今日のことば365 五月三十日
自分のなすべきことに情熱を燃やそう。今やるべきことに全力を注げない人に、未来を語る資格はない。足元を着実に固めてこそ、次の大きな飛躍がある。
☆「大阪の戦い」60周年記念特集� 2016年5月21日
◇カンサイは我らの誇り! 世界で輝く関西魂
「大阪の戦い」から60周年を刻み、今や「カンサイ」は世界共通語となり、関西魂は、あの地この地で広宣流布の推進力となっている。
特集�では、海外で活躍する関西出身者による声と、"母国のカンサイ"との誇りで進む友の取り組みを紹介する。
◇スペイン ロシェ婦人部長 イトウ書記長 マツモト芸術部長
「負けたらあかん」の心意気で
ロシェ 私たち3人は、関西出身・関西育ちです。
イトウ 私は両親の仕事の関係で、2歳の時にバルセロナから大阪に移住しました。
信心の原点は、学生部時代に参加した関西文化祭(1990年10月)です。当日まで弘教拡大に走り抜き、池田先生をお迎えした感動が、19歳でスペインに渡ってから現在に至るまで、自身の前進の力になっています。
マツモト 私は20歳まで、関西戸田記念講堂(豊中市)近くの実家に住んでいました。大学卒業後、バレエ留学でベルギーへ。現地で折伏され、後にスペインで入会しました。
ロシェ 私の生まれ故郷は兵庫です。3歳まで神戸で過ごしました。師弟共戦の模範の天地で生を受けたことが、最高の誇りです!
マツモト 神戸といえば、95年1月に発生した阪神・淡路大震災が忘れられません。
前年末から一時帰国していた私は、実家のある地元組織で学会活動に励んでいました。発災後は同志と共に被災地に駆け付け、救援活動に全力をあげました。涙ながらに「絶対に負けへん!」と誓う兵庫の皆さんから、不可能を可能にする「関西魂」を教わった最初の体験です。
その後も帰国のたびに、地域の先輩方から関西の広布史を伺いました。
イトウ 関西とスペインに共通するのは「庶民的な温かさ」と「気さくで飾らない人柄」ではないでしょうか。
だからこそ、権威権力には厳しい。先生が正義の人権闘争を貫かれた「大阪事件」等の歴史も深く理解できる土壌があります。
ロシェ 91年、スペインでは宗門事件の嵐が吹き荒れました。組織は壊滅寸前に陥りましたが、約100人の同志が師と共に再建へ立ち上がりました。
以来、25星霜。「魂の独立」を果たしたスペインSGIは、当時の55倍以上となる大発展を遂げました!
その原動力の一つになったのは、会合や訪問激励の際、先生の著作などを通して、「大阪の戦い」を学び合ったことです。
マツモト 「大阪の戦い」に見る勝利の要諦——それは徹底した「個人指導」だと思います。
先生は、一軒また一軒、一人また一人と、自転車を乗りつぶして、最前線の同志を励まされました。この心を胸に、私たちリーダーは、師匠の名代として、メンバーのもとに足を運んでいます。
イトウ そして、もう一つは「断じて師匠に勝利を報告する」という「弟子の一念」に他なりません。
池田先生は立場や役職ではなく、戸田先生の弟子として、目の前の一人一人を大切にしながら、行く先々で歓喜の波動を起こしていかれました。その執念と気迫を受け継ぎ、スペイン広布の未来を開く決意です。
ロシェ 2007年11月、SGI研修会で来日し、大阪で開催された本部幹部会に出席しました。池田先生から直接、常勝の心を教えていただくことができました。
昨年6月にも、8年ぶりに関西へ。本部幹部会や交流交歓会などを通して、再び「負けたらあかん!」の息吹に触れ、勇気がみなぎりました。
イトウ これからも自身の生命の土台である「関西魂」を明々と燃やし、スペインから欧州、さらに世界へ、人間主義の大潮流を広げていきます!
◇インド ムンバイの友
11万1111人の拡大に先駆
昨年11月、11万1111人の地涌の連帯を構築し、世界広布をリードするインド創価学会(BSG)。その先頭を走るのが、同国第2の都市・ムンバイのメンバーである。
昨年3月、六つの総合本部からなるムンバイは同国屈指の拡大を成し遂げた。その報を聞いた池田SGI会長は"インドの関西のようだね"と伝言を贈った。
実は、以前からムンバイの友は、"インドのカンサイ"との自覚で活動に励んでいた。師の激励を受けたことで、「常勝」が合言葉となり、小説『人間革命』第10巻の研さんにも熱が入っていく。師が関西の同志に教えた、「強盛な祈り」「最高の行動」を実践し、8月にインド一の拡大を達成。インド10万のスクラム構築の原動力となった。
さらに、師が打ち立てた1万1111世帯になぞらえ、年末までに11万1111人の陣列を築くという新たな目標が打ち出される。その達成に向けても、ムンバイが拡大の範を示した。
本年1月、ムンバイの同志に、うれしいニュースが飛び込んできた。ムンバイの男子部担当者のゴーラブ・サブーさん、女子部担当者のアナミカ・グプタさんが、全国男子部長、全国女子部長に就任したのだ。
ムンバイは、人材育成でもインドをリードする。
壮年・婦人部は、青年が自主的に活動できるよう、常に心を砕いている。折伏や訪問激励に率先し、若人を鼓舞する伝統がある。
またムンバイでは、昨年来、多くの新会員が誕生。活動者が一対一の個人指導を心掛け、新会員が抱く疑問に明解に答えた。
地道な人材育成により、会合参加者の"水かさ"は増し、多くの青年リーダーが登用されるようになった。
そして本年初頭、BSGが新たに掲げた目標は、「10万人の青年部」の構築。その達成を目指し、ムンバイの友は、今再び対話に先駆する。
ムンバイを担当するビネイ・ジェイン副壮年部長は語る。
「ムンバイは、暴動やテロ、壊滅的な洪水被害等、多くの苦難を乗り越えてきました。宿命転換に燃えるメンバーたちは、関西魂に通じる『負けじ魂』を持ち合わせています。師弟不二の精神を一人一人に脈動させ、ムンバイに常勝の城を築く決意です!」
◇アメリカ ストラウス理事長
"故郷"兵庫で学んだ常勝の精神
率直、明るい、負けず嫌い、そして、温かい。関西の同志とアメリカのメンバーの共通点です。
振り返れば、私の入会動機は、関西の温もりに触れたことがきっかけでした。
日本語の習得を目指し、ニューヨークから神戸に移り住みましたが、異国の地で友人は少なく、休日は公園のベンチに座り、一人で勉強していました。
そんな私に声を掛けてくれたのが、地域の男子部の方でした。今思うと、見ず知らずの外国人に手を差し伸べるなんて、何と勇気のいることでしょうか。あらためて、関西人の度胸の大きさに驚かされます(笑い)。
以来、毎週、神戸市中央区の男子部の集いに出席するように。皆さんは、私を外国人扱いせず、時にはユーモアを交えながら、ざっくばらんに池田先生の偉大さ、「負けたらあかん!」との常勝の精神を教えてくださいました。
その献身の姿に心を打たれ、私は1984年10月に入会。関西は"第二の故郷"となりました。
今月、池田先生の指揮のもと、1万1111世帯の弘教を成し遂げ、「"まさか"が実現」と世間を驚かせた「大阪の戦い」から60周年を迎えました。
アメリカSGIでは今、フロリダ自然文化センターで研修会を開催し、小説『人間革命』第10巻などを教材に、「大阪の戦い」を多角的に研さん。アメリカの機関紙「ワールド・トリビューン」、教学誌「リビング・ブディズム」でも、「大阪の戦い」特別企画が掲載されました。
さらなるアメリカ広布の伸展のために「大阪の戦い」から学ぶべき点は、�師匠への求道心�「一人」を大切にする心�御書根本の姿勢�不可能を可能にする精神であると実感します。
現在は青年部を先頭に仏法対話を全土で展開。"関西出身"の私も、勇気凛々と師の心を伝えていきます。
行動こそ命の誇りなり。
広布のために動けば
ドラマが生まれる。
心の財が積まれる。
勇気凛々と打って出よ!
2016年05月30日
☆四季の語らい
どんなウソの宣伝でも、ただ黙って見ていれば、人々は、それが真実であると思い込んでしまう。戦わずしては正義も敗れる。時に沈黙は、屈服につながることを知らねばならない。
☆女性に贈ることば 五月三十日
花々も、毎日、成長している。あらゆる線の木々も、成長している。
人生もまた、成長である。一日また一日、希望と努力を重ねながら、最上の幸福の自身の運命を築くことだ。
決して性急な跳躍をする必要はない。
☆今日のことば365 五月三十日
自分のなすべきことに情熱を燃やそう。今やるべきことに全力を注げない人に、未来を語る資格はない。足元を着実に固めてこそ、次の大きな飛躍がある。
☆「大阪の戦い」60周年記念特集� 2016年5月21日
◇カンサイは我らの誇り! 世界で輝く関西魂
「大阪の戦い」から60周年を刻み、今や「カンサイ」は世界共通語となり、関西魂は、あの地この地で広宣流布の推進力となっている。
特集�では、海外で活躍する関西出身者による声と、"母国のカンサイ"との誇りで進む友の取り組みを紹介する。
◇スペイン ロシェ婦人部長 イトウ書記長 マツモト芸術部長
「負けたらあかん」の心意気で
ロシェ 私たち3人は、関西出身・関西育ちです。
イトウ 私は両親の仕事の関係で、2歳の時にバルセロナから大阪に移住しました。
信心の原点は、学生部時代に参加した関西文化祭(1990年10月)です。当日まで弘教拡大に走り抜き、池田先生をお迎えした感動が、19歳でスペインに渡ってから現在に至るまで、自身の前進の力になっています。
マツモト 私は20歳まで、関西戸田記念講堂(豊中市)近くの実家に住んでいました。大学卒業後、バレエ留学でベルギーへ。現地で折伏され、後にスペインで入会しました。
ロシェ 私の生まれ故郷は兵庫です。3歳まで神戸で過ごしました。師弟共戦の模範の天地で生を受けたことが、最高の誇りです!
マツモト 神戸といえば、95年1月に発生した阪神・淡路大震災が忘れられません。
前年末から一時帰国していた私は、実家のある地元組織で学会活動に励んでいました。発災後は同志と共に被災地に駆け付け、救援活動に全力をあげました。涙ながらに「絶対に負けへん!」と誓う兵庫の皆さんから、不可能を可能にする「関西魂」を教わった最初の体験です。
その後も帰国のたびに、地域の先輩方から関西の広布史を伺いました。
イトウ 関西とスペインに共通するのは「庶民的な温かさ」と「気さくで飾らない人柄」ではないでしょうか。
だからこそ、権威権力には厳しい。先生が正義の人権闘争を貫かれた「大阪事件」等の歴史も深く理解できる土壌があります。
ロシェ 91年、スペインでは宗門事件の嵐が吹き荒れました。組織は壊滅寸前に陥りましたが、約100人の同志が師と共に再建へ立ち上がりました。
以来、25星霜。「魂の独立」を果たしたスペインSGIは、当時の55倍以上となる大発展を遂げました!
その原動力の一つになったのは、会合や訪問激励の際、先生の著作などを通して、「大阪の戦い」を学び合ったことです。
マツモト 「大阪の戦い」に見る勝利の要諦——それは徹底した「個人指導」だと思います。
先生は、一軒また一軒、一人また一人と、自転車を乗りつぶして、最前線の同志を励まされました。この心を胸に、私たちリーダーは、師匠の名代として、メンバーのもとに足を運んでいます。
イトウ そして、もう一つは「断じて師匠に勝利を報告する」という「弟子の一念」に他なりません。
池田先生は立場や役職ではなく、戸田先生の弟子として、目の前の一人一人を大切にしながら、行く先々で歓喜の波動を起こしていかれました。その執念と気迫を受け継ぎ、スペイン広布の未来を開く決意です。
ロシェ 2007年11月、SGI研修会で来日し、大阪で開催された本部幹部会に出席しました。池田先生から直接、常勝の心を教えていただくことができました。
昨年6月にも、8年ぶりに関西へ。本部幹部会や交流交歓会などを通して、再び「負けたらあかん!」の息吹に触れ、勇気がみなぎりました。
イトウ これからも自身の生命の土台である「関西魂」を明々と燃やし、スペインから欧州、さらに世界へ、人間主義の大潮流を広げていきます!
◇インド ムンバイの友
11万1111人の拡大に先駆
昨年11月、11万1111人の地涌の連帯を構築し、世界広布をリードするインド創価学会(BSG)。その先頭を走るのが、同国第2の都市・ムンバイのメンバーである。
昨年3月、六つの総合本部からなるムンバイは同国屈指の拡大を成し遂げた。その報を聞いた池田SGI会長は"インドの関西のようだね"と伝言を贈った。
実は、以前からムンバイの友は、"インドのカンサイ"との自覚で活動に励んでいた。師の激励を受けたことで、「常勝」が合言葉となり、小説『人間革命』第10巻の研さんにも熱が入っていく。師が関西の同志に教えた、「強盛な祈り」「最高の行動」を実践し、8月にインド一の拡大を達成。インド10万のスクラム構築の原動力となった。
さらに、師が打ち立てた1万1111世帯になぞらえ、年末までに11万1111人の陣列を築くという新たな目標が打ち出される。その達成に向けても、ムンバイが拡大の範を示した。
本年1月、ムンバイの同志に、うれしいニュースが飛び込んできた。ムンバイの男子部担当者のゴーラブ・サブーさん、女子部担当者のアナミカ・グプタさんが、全国男子部長、全国女子部長に就任したのだ。
ムンバイは、人材育成でもインドをリードする。
壮年・婦人部は、青年が自主的に活動できるよう、常に心を砕いている。折伏や訪問激励に率先し、若人を鼓舞する伝統がある。
またムンバイでは、昨年来、多くの新会員が誕生。活動者が一対一の個人指導を心掛け、新会員が抱く疑問に明解に答えた。
地道な人材育成により、会合参加者の"水かさ"は増し、多くの青年リーダーが登用されるようになった。
そして本年初頭、BSGが新たに掲げた目標は、「10万人の青年部」の構築。その達成を目指し、ムンバイの友は、今再び対話に先駆する。
ムンバイを担当するビネイ・ジェイン副壮年部長は語る。
「ムンバイは、暴動やテロ、壊滅的な洪水被害等、多くの苦難を乗り越えてきました。宿命転換に燃えるメンバーたちは、関西魂に通じる『負けじ魂』を持ち合わせています。師弟不二の精神を一人一人に脈動させ、ムンバイに常勝の城を築く決意です!」
◇アメリカ ストラウス理事長
"故郷"兵庫で学んだ常勝の精神
率直、明るい、負けず嫌い、そして、温かい。関西の同志とアメリカのメンバーの共通点です。
振り返れば、私の入会動機は、関西の温もりに触れたことがきっかけでした。
日本語の習得を目指し、ニューヨークから神戸に移り住みましたが、異国の地で友人は少なく、休日は公園のベンチに座り、一人で勉強していました。
そんな私に声を掛けてくれたのが、地域の男子部の方でした。今思うと、見ず知らずの外国人に手を差し伸べるなんて、何と勇気のいることでしょうか。あらためて、関西人の度胸の大きさに驚かされます(笑い)。
以来、毎週、神戸市中央区の男子部の集いに出席するように。皆さんは、私を外国人扱いせず、時にはユーモアを交えながら、ざっくばらんに池田先生の偉大さ、「負けたらあかん!」との常勝の精神を教えてくださいました。
その献身の姿に心を打たれ、私は1984年10月に入会。関西は"第二の故郷"となりました。
今月、池田先生の指揮のもと、1万1111世帯の弘教を成し遂げ、「"まさか"が実現」と世間を驚かせた「大阪の戦い」から60周年を迎えました。
アメリカSGIでは今、フロリダ自然文化センターで研修会を開催し、小説『人間革命』第10巻などを教材に、「大阪の戦い」を多角的に研さん。アメリカの機関紙「ワールド・トリビューン」、教学誌「リビング・ブディズム」でも、「大阪の戦い」特別企画が掲載されました。
さらなるアメリカ広布の伸展のために「大阪の戦い」から学ぶべき点は、�師匠への求道心�「一人」を大切にする心�御書根本の姿勢�不可能を可能にする精神であると実感します。
現在は青年部を先頭に仏法対話を全土で展開。"関西出身"の私も、勇気凛々と師の心を伝えていきます。
2016年5月29日日曜日
2016.05.29 わが友に贈る
我らの目的は
恒久平和の建設だ。
その土台たる
一人一人の変革へ
足元から波動を!
異体同心事 P1463
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』
☆四季の語らい
何事も、戦う限りは負けてはならない。「仏法は勝負」であり、人生も「勝負」である。健康も勝負−−体内では白血球と病原菌が戦っている。草木が伸びるのも勝負−−戦い、勝ったから、青々と伸びられる。一切法が「勝負」である。勝てば幸福、負ければ不幸である。勝つための人生であり、勝つための信心なのである。
☆女性に贈ることば 五月二十九日
世界を支えているのは、一部の偉ぶった指導者などではない。目立たなくても、自らの使命に生き抜いている、お母さんたちです。
☆今日のことば365 五月二十九日
人々の批判をする前に
先ず自分をつくれ
自分を養え
☆「大阪の戦い」60周年記念特集� 2016年5月20日
◇次代へ語り継ぐ黄金史 永遠なれ! 君と我との絆よ
「師匠の恩は 山よりも高く 海よりも深し 同志の愛は 月光の如く 美しく消えず」。1956年(昭和31年)、池田SGI会長(当時、青年部の室長)は関西の同志に、この言葉を贈った。
同年の「大阪の戦い」に加わり、翌年の「大阪大会」に集った友への思いを「その同志が、いな、その同志のご一家が、永遠に福徳に包まれた勝利の人生であることを、今でも祈っている」と、つづっている。
君と我とは、久遠からの使命で結ばれた同志——あまりにも深き慈愛で、功労の友を見守り、励ましてきたSGI会長。その万感の期待に応え、常勝の伝統を築いた関西家族。特集�では、60年にわたる師弟の絆と、次代への継承の取り組みを紹介する。
◇落合関西青年部長
関西の草創の先輩方が、池田先生と共に築いた、1万1111世帯の弘教という「不滅の金字塔」。それは、いかなる障魔の嵐が吹き荒れようと、先生と"心のギア"を合わせ、勝ち越えることで打ち立てられました。
「師弟」に徹すれば乗り越えられない壁はない——「大阪の戦い」から60周年の今、この常勝の魂を実践の中で受け継ごうと、関西青年部は各地で、対話に奔走しています。
兵庫・姫路総県ヤング男子部は、関西をリードする拡大。大阪・浪速区の男子部は、3月からの2カ月間で「1万1111人」以上の対話を目指し、見事に達成しました。
関西女子部の合言葉は「御書根本の常勝」。教学の研さんに力を注ぎつつ、小説『人間革命』10巻を学んでいます。特に、6・4「世界池田華陽会の日」を目指し、友情の輪を大きく広げる兵庫女子部の活躍が光っています。
先生が「"まさか"が実現」と世間を驚嘆させた7月は、「青年の月」「関西の月」。池田門下の誇りで進む関西青年部が今こそ、新たな常勝の金字塔を打ち立ててまいります!
◇山本関西女性未来本部長
「大阪の戦い」から60周年の本年、池田先生が関西に刻んでくださった「常勝の精神」を次代へ伝えようと、関西各地で、未来部育成の取り組みを行っています。
大阪・堺総県東総区では、毎回の本部幹部会中継行事の折に開催する未来部の集いで、広布史を学び合い、そこに刻まれた学会精神を学んでいます。
京阪総県は、52年(昭和27年)8月14日、先生が関西を初訪問された「関西・師弟原点の日」の淵源を寝屋川の2分県で小冊子にまとめるなど、家族で研さんする取り組みを続けています。
先月、関西文化会館内でオープンした関西広布史記念展示「師弟常勝の魂」にも、家族と共に、たくさんの未来部員が訪れています。
「池田先生の関西に対する深い思いを知ることができました」「大阪大会での"最後は信心しきった者が必ず勝つ"との先生の叫びが心に残りました」との声が寄せられるなど、常勝の歴史と誓いを語り合う、貴重な機会となっています。
「常勝後継の宝」である未来部員を、各部一体で、全力で励ましてまいります。
◇新大阪総県 西光数子さん 「今日も元気で」を励みに
阪急の上新庄駅(大阪市東淀川区)から3分ほど歩くと、街の一角に5階建てのビルがある。西光数子さん(新大阪総県婦人部主事)が、夫の忠治さん(故人)と共に建てた信心の功徳の証しだ。
その5階に住む数子さんは91歳の今も、ビルの階段を上り下りして、元気に座談会等に出掛ける。
60年前の「大阪の戦い」に参加したのは、夫婦で入会した翌年。班長・班担当員を務め、当時、日本橋3丁目にあった自宅は、地区・班の広布の会場となった。
大阪中を歩きに歩いて対話したこと。巻き起こった題目の渦。そして凜々しくも気迫に満ちた、若き池田室長の御書講義——「常勝の原点」の歴史に連なった歓喜は今も胸に。
子どもは男の子5人。全員が今、壮年部の第一線で活躍する。
だが、数子さんにはもう1人、男の子がいた。
池田室長の渾身の励ましを受けたのは58年(同33年)、その長男を9歳で、交通事故で亡くした時だった。関西本部(当時)を訪ねた夫婦に、室長は「明日からは毎日、"今日も元気で"と自分に言い聞かせて頑張るんだよ」と。
それから10年後の68年(同43年)、小説『人間革命』の第4巻が届いた。扉には、SGI会長の字でこう記されていた。
「元気かね。豊かな信心で いつも若々しく。子等が育ちゆけば 日本一の幸福者となるを 誇り高く自覚して・・・・・今日も元気でね」
5つの「・」は5人の子どもという意味です、と伝言があった。草創の苦労を分け合った友を、決して忘れない——震えるような感動とともに、この師の心を知ったのである。
三男の晴彦さんは、大学教授を務めながら現在、新大阪総県の総県長を。78年(同53年)、その晴彦さんが学究のため、カナダ留学に旅立つ前のこと。数子さんは、香峯子夫人に、一家のことを詳しく報告する機会があった。
後日、数子さんに大きな封筒が届く。
中に入った原稿用紙には「金の家 金の旅ゆけ 金の君」と、SGI会長の筆でつづられていた。
晴彦さんは言う。
「父の晩年まで、西光家では毎年、夏や年末に一族で集まり、先生と家族の歴史を確認し、決意を語る座談会を開いてきました。"西光家座談会"という横断幕も張って」
その中で、数子さんにとっては孫にあたる、晴彦さん・光枝さん夫妻の子——愛莉さん、希翔さん、恵未莉さんにも「師弟の心」が受け継がれている。
5人の子、13人の孫、3人のひ孫に囲まれた数子さん。いつも温かく励ましてくれるおばあちゃんの口癖を、孫たちが教えてくれた。
「負けたらあかんで!」
◇東大阪総県 村田只四さん 忘れ得ぬ"金字塔の瞬間"
「大阪の戦い」を、大阪支部幹事として戦った村田只四さん(東大阪常勝県主事)は、60年前、歴史的な瞬間に居合わせた。
56年(昭和31年)5月末、1カ月の折伏の報告がまとまる日に、村田さんは、関西本部の2階にあった統監部室に駆けこんだ。
「どうなりました?」。机に向かっていた統監部の責任者に聞く。責任者は感慨を抑えるように言った。
「1万1111世帯!」
関西に築かれた師弟の"金字塔"。報告を聞いて池田室長は言った。
「関西は、これから、何でも一番、一番、一番、一番、一番だ。その永遠の基本を今、つくったのです」
同年8月、村田さんの妻・喜美江さん(支部副婦人部長)は、池田室長から手紙を受け取った。躍進する学会への弾圧が強まり、只四さんは無実の選挙違反の疑いで勾留されていた。
「御主人お留守の由、誠にお淋しき事と存じ上げます」「如来の使の使命を果した主人を立派に迎へられますように、祈り居ります」
その激励を支えに、障魔を勝ち越えた夫妻。広布一筋のその姿を目にして、8人の子どもたちは育った。
「父が御書講義を担当した時のことを聞いたことがあります。池田先生に『どんな講義でも、私がそばにいると思ってやりなさい』と教えられたそうです。家にいる時も父は、唱題するか御書を読むかの、どちらかでした」(三女・後藤千恵子さん、地区婦人部長)
「母は芯の強い人。父は家でも外でも優しかった。そういう両親の普段の振る舞いを見て育ち、女子部・婦人部で活動するようになって、両親の生き方の根本に"師弟"があるのだと分かりました」(五女・中尾光代さん、支部婦人部長)
「普段は多くを語る父ではなかったけど、聞けば聞くほど、先生がどれだけ学会員を大事にしてくださっているのかを知りました」(三男・村田伸作さん、地区幹事)
「両親だけでなく、家族の私たちも、ことあるごとに先生から激励や伝言をいただいてきました。この先生の慈愛を語り継いでいかねば、と思います」(次女・長友眞理子さん、支部副婦人部長)
長友さんの長男・賢一さんは、方面男子部主任部長兼任の圏男子部長。「先生との歴史を継承することは、先生の生き方に連なること。祖父をはじめ草創の先輩の姿に、そう教えていただいています」
村田只四さんは今、96歳。御書の拝読をはじめ、聖教新聞などの熟読も欠かさない。
「先生と戦えたことが生涯最高の福運です!」。御書講義で鍛えた、生命力あふれる声は健在である。
恒久平和の建設だ。
その土台たる
一人一人の変革へ
足元から波動を!
異体同心事 P1463
『日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』
☆四季の語らい
何事も、戦う限りは負けてはならない。「仏法は勝負」であり、人生も「勝負」である。健康も勝負−−体内では白血球と病原菌が戦っている。草木が伸びるのも勝負−−戦い、勝ったから、青々と伸びられる。一切法が「勝負」である。勝てば幸福、負ければ不幸である。勝つための人生であり、勝つための信心なのである。
☆女性に贈ることば 五月二十九日
世界を支えているのは、一部の偉ぶった指導者などではない。目立たなくても、自らの使命に生き抜いている、お母さんたちです。
☆今日のことば365 五月二十九日
人々の批判をする前に
先ず自分をつくれ
自分を養え
☆「大阪の戦い」60周年記念特集� 2016年5月20日
◇次代へ語り継ぐ黄金史 永遠なれ! 君と我との絆よ
「師匠の恩は 山よりも高く 海よりも深し 同志の愛は 月光の如く 美しく消えず」。1956年(昭和31年)、池田SGI会長(当時、青年部の室長)は関西の同志に、この言葉を贈った。
同年の「大阪の戦い」に加わり、翌年の「大阪大会」に集った友への思いを「その同志が、いな、その同志のご一家が、永遠に福徳に包まれた勝利の人生であることを、今でも祈っている」と、つづっている。
君と我とは、久遠からの使命で結ばれた同志——あまりにも深き慈愛で、功労の友を見守り、励ましてきたSGI会長。その万感の期待に応え、常勝の伝統を築いた関西家族。特集�では、60年にわたる師弟の絆と、次代への継承の取り組みを紹介する。
◇落合関西青年部長
関西の草創の先輩方が、池田先生と共に築いた、1万1111世帯の弘教という「不滅の金字塔」。それは、いかなる障魔の嵐が吹き荒れようと、先生と"心のギア"を合わせ、勝ち越えることで打ち立てられました。
「師弟」に徹すれば乗り越えられない壁はない——「大阪の戦い」から60周年の今、この常勝の魂を実践の中で受け継ごうと、関西青年部は各地で、対話に奔走しています。
兵庫・姫路総県ヤング男子部は、関西をリードする拡大。大阪・浪速区の男子部は、3月からの2カ月間で「1万1111人」以上の対話を目指し、見事に達成しました。
関西女子部の合言葉は「御書根本の常勝」。教学の研さんに力を注ぎつつ、小説『人間革命』10巻を学んでいます。特に、6・4「世界池田華陽会の日」を目指し、友情の輪を大きく広げる兵庫女子部の活躍が光っています。
先生が「"まさか"が実現」と世間を驚嘆させた7月は、「青年の月」「関西の月」。池田門下の誇りで進む関西青年部が今こそ、新たな常勝の金字塔を打ち立ててまいります!
◇山本関西女性未来本部長
「大阪の戦い」から60周年の本年、池田先生が関西に刻んでくださった「常勝の精神」を次代へ伝えようと、関西各地で、未来部育成の取り組みを行っています。
大阪・堺総県東総区では、毎回の本部幹部会中継行事の折に開催する未来部の集いで、広布史を学び合い、そこに刻まれた学会精神を学んでいます。
京阪総県は、52年(昭和27年)8月14日、先生が関西を初訪問された「関西・師弟原点の日」の淵源を寝屋川の2分県で小冊子にまとめるなど、家族で研さんする取り組みを続けています。
先月、関西文化会館内でオープンした関西広布史記念展示「師弟常勝の魂」にも、家族と共に、たくさんの未来部員が訪れています。
「池田先生の関西に対する深い思いを知ることができました」「大阪大会での"最後は信心しきった者が必ず勝つ"との先生の叫びが心に残りました」との声が寄せられるなど、常勝の歴史と誓いを語り合う、貴重な機会となっています。
「常勝後継の宝」である未来部員を、各部一体で、全力で励ましてまいります。
◇新大阪総県 西光数子さん 「今日も元気で」を励みに
阪急の上新庄駅(大阪市東淀川区)から3分ほど歩くと、街の一角に5階建てのビルがある。西光数子さん(新大阪総県婦人部主事)が、夫の忠治さん(故人)と共に建てた信心の功徳の証しだ。
その5階に住む数子さんは91歳の今も、ビルの階段を上り下りして、元気に座談会等に出掛ける。
60年前の「大阪の戦い」に参加したのは、夫婦で入会した翌年。班長・班担当員を務め、当時、日本橋3丁目にあった自宅は、地区・班の広布の会場となった。
大阪中を歩きに歩いて対話したこと。巻き起こった題目の渦。そして凜々しくも気迫に満ちた、若き池田室長の御書講義——「常勝の原点」の歴史に連なった歓喜は今も胸に。
子どもは男の子5人。全員が今、壮年部の第一線で活躍する。
だが、数子さんにはもう1人、男の子がいた。
池田室長の渾身の励ましを受けたのは58年(同33年)、その長男を9歳で、交通事故で亡くした時だった。関西本部(当時)を訪ねた夫婦に、室長は「明日からは毎日、"今日も元気で"と自分に言い聞かせて頑張るんだよ」と。
それから10年後の68年(同43年)、小説『人間革命』の第4巻が届いた。扉には、SGI会長の字でこう記されていた。
「元気かね。豊かな信心で いつも若々しく。子等が育ちゆけば 日本一の幸福者となるを 誇り高く自覚して・・・・・今日も元気でね」
5つの「・」は5人の子どもという意味です、と伝言があった。草創の苦労を分け合った友を、決して忘れない——震えるような感動とともに、この師の心を知ったのである。
三男の晴彦さんは、大学教授を務めながら現在、新大阪総県の総県長を。78年(同53年)、その晴彦さんが学究のため、カナダ留学に旅立つ前のこと。数子さんは、香峯子夫人に、一家のことを詳しく報告する機会があった。
後日、数子さんに大きな封筒が届く。
中に入った原稿用紙には「金の家 金の旅ゆけ 金の君」と、SGI会長の筆でつづられていた。
晴彦さんは言う。
「父の晩年まで、西光家では毎年、夏や年末に一族で集まり、先生と家族の歴史を確認し、決意を語る座談会を開いてきました。"西光家座談会"という横断幕も張って」
その中で、数子さんにとっては孫にあたる、晴彦さん・光枝さん夫妻の子——愛莉さん、希翔さん、恵未莉さんにも「師弟の心」が受け継がれている。
5人の子、13人の孫、3人のひ孫に囲まれた数子さん。いつも温かく励ましてくれるおばあちゃんの口癖を、孫たちが教えてくれた。
「負けたらあかんで!」
◇東大阪総県 村田只四さん 忘れ得ぬ"金字塔の瞬間"
「大阪の戦い」を、大阪支部幹事として戦った村田只四さん(東大阪常勝県主事)は、60年前、歴史的な瞬間に居合わせた。
56年(昭和31年)5月末、1カ月の折伏の報告がまとまる日に、村田さんは、関西本部の2階にあった統監部室に駆けこんだ。
「どうなりました?」。机に向かっていた統監部の責任者に聞く。責任者は感慨を抑えるように言った。
「1万1111世帯!」
関西に築かれた師弟の"金字塔"。報告を聞いて池田室長は言った。
「関西は、これから、何でも一番、一番、一番、一番、一番だ。その永遠の基本を今、つくったのです」
同年8月、村田さんの妻・喜美江さん(支部副婦人部長)は、池田室長から手紙を受け取った。躍進する学会への弾圧が強まり、只四さんは無実の選挙違反の疑いで勾留されていた。
「御主人お留守の由、誠にお淋しき事と存じ上げます」「如来の使の使命を果した主人を立派に迎へられますように、祈り居ります」
その激励を支えに、障魔を勝ち越えた夫妻。広布一筋のその姿を目にして、8人の子どもたちは育った。
「父が御書講義を担当した時のことを聞いたことがあります。池田先生に『どんな講義でも、私がそばにいると思ってやりなさい』と教えられたそうです。家にいる時も父は、唱題するか御書を読むかの、どちらかでした」(三女・後藤千恵子さん、地区婦人部長)
「母は芯の強い人。父は家でも外でも優しかった。そういう両親の普段の振る舞いを見て育ち、女子部・婦人部で活動するようになって、両親の生き方の根本に"師弟"があるのだと分かりました」(五女・中尾光代さん、支部婦人部長)
「普段は多くを語る父ではなかったけど、聞けば聞くほど、先生がどれだけ学会員を大事にしてくださっているのかを知りました」(三男・村田伸作さん、地区幹事)
「両親だけでなく、家族の私たちも、ことあるごとに先生から激励や伝言をいただいてきました。この先生の慈愛を語り継いでいかねば、と思います」(次女・長友眞理子さん、支部副婦人部長)
長友さんの長男・賢一さんは、方面男子部主任部長兼任の圏男子部長。「先生との歴史を継承することは、先生の生き方に連なること。祖父をはじめ草創の先輩の姿に、そう教えていただいています」
村田只四さんは今、96歳。御書の拝読をはじめ、聖教新聞などの熟読も欠かさない。
「先生と戦えたことが生涯最高の福運です!」。御書講義で鍛えた、生命力あふれる声は健在である。
2016.05.28 わが友に贈る
広布のために
人と「会い」「語る」。
そこに人間革命への
直道がある。
わが心の壁を破れ!
上野尼御前御返事 P1580
『法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り口に唱ふれば其の口即仏なり』
☆四季の語らい
人間は、自らの一念が後退する時、立ちはだかる障害のみが大きく見えるものである。そして、それが動かざる"現実"であると思い込んでしまう。実は、そこにこそ、敗北はある。いわば、人生における勝敗の鍵は、己心に巣くう臆病との戦いにあるといってよい。
☆女性に贈ることば 五月二十八日
順調な時ばかりでは、本当の幸福を実感できるはずがない。
険しき山河がありても、すべてを悠々と乗り越え、深く人間の価値を知りながら進むことだ。
そこには喜びがある。そこには満足がある。そこには後悔がない。
☆今日のことば365 五月二十八日
彼は 今日のために
未来を忘れている
僕は 未来のために
今日を修行するのだ
☆「大阪の戦い」60周年記念特集� 2016年5月19日
◇師弟一体で築いた「常勝の原点」「拡大の要諦」を学ぶ
若き日の池田SGI会長が指揮を執り、広布拡大と民衆勝利の金字塔を打ち立てた1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」から本年で60周年。本紙では3回の特集を行い、常勝関西の原点である「大阪の戦い」の歴史を振り返るとともに、現代に受け継がれる常勝の精神、そして世界に広がる「カンサイ・スピリット(関西魂)」を紹介する。特集�では、若きSGI会長の行動から広布拡大の要諦を学ぶ。
◇一切の根本は祈り
「策ではない。生活、闘争、福運の源泉は全て題目だ」
1956年1月。青年部の室長だった池田SGI会長は、「大阪の戦い」のスタートに当たり、御書の次の一節を拝した。
「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(1132ページ)
そしてこう訴えた。
"御本尊に祈って願いが叶わないことは、絶対にありません。不可能を可能にするのが信心なのです"
策ではない。要領でもない。広宣流布の戦いである以上、一切の根本は祈りである。強盛な祈りから、全てを始めるのだ——これがSGI会長の最初の訴えだった。
誰よりSGI会長自身が、唱題に徹した。会合を終え、夜、関西本部(当時)に戻ってから一人で唱題。同志の車に乗り、各地を回っている時も小声で唱題した。
「池田先生は事故が心配で唱題してはる」と思ったメンバーが「事故は起こしませんから」と言うと、SGI会長は「大阪の大地に題目を染みこませているのです」。
"十界のあらゆる衆生が広布の味方になるように"——その一念で、時間を見つけては題目を唱え続けた。
また、ある同志に対しては次のように指導している。
「仏道修行で、一番やさしい修行は唱題であり、一番難しい修行も題目を唱えることです。一切の源泉、生活の源泉、闘争の源泉、福運の源泉は、全て題目です」
唱題で生命力をみなぎらせ、勇気と智慧を湧き出させていく。そして、拡大の対話に打って出る。自身の人間革命、生活革命に挑んでいく。
それが広布の根本であることを、一貫して訴えたのである。
◇弟子の団結で勝った
「法華経に勝る兵法なし」 戸田会長の教えを実践
この年(56年)の4月、SGI会長は「信心と団結でしか、勝てぬことを忘れるな」と日記に記している。
勝利の要諦は「信心の団結」「異体同心の団結」にある——これは年頭、最高幹部に対して戸田第2代会長が訴えたことであった。
広宣流布の師匠に心を合わせなければ、広宣流布はできない。
SGI会長は、まず自らが師と不二の心で立ち上がり、師弟の精神を根幹として"弟子の団結"を築いていった。それは、戸田会長のもとで学んできた「法華経の将軍学」を実践しゆく戦いであったといえる。
当時、関西の同志は人数も少なく、そのほとんどが入会間もないメンバーだった。
SGI会長は、大阪に滞在中は毎朝、関西本部で御書講義を行った。
御書の御文を縦横に拝しながら信心の偉大さを語り、妙法を持った一人一人の使命がどれほど尊いかを訴えていった。
拡大が進むにつれ、広布を阻む障魔も現れた。マスコミによる学会への中傷、同志の間の不和……SGI会長は、魔の蠢動を鋭く見破り、信心の利剣で打ち破っていった。
SGI会長は語っている。「いかなる戦いにせよ、信心根本です。法華経に勝る兵法なしです」
戦いが激しくなると、毎晩のように、東京の戸田会長に電話で状況を報告した。
正座して、受話器を握るSGI会長。あたかも戸田会長が眼前にいるかのようだった。
"尊敬する池田先生が、あのような厳粛な姿で仕えられる戸田会長は、どれほど偉大な師匠なのか"
関西の同志は、観念や理屈ではなく、SGI会長の振る舞いから「師弟」を学んでいったのである。
◇自らが最前線へ!
1日で20会場以上を訪問。個人指導に全力を挙げる
「指揮官が先頭に立つ。それが勝利の因です。『城の主剛ければ守る者も強し』(御書979ページ)なのです」
大阪の戦いで、SGI会長は常に自らが活動の最前線に立った。
個人指導に全力を傾け、約半年で8000人の友に会い、励ました。自転車3台を乗りつぶしたという。
当時、家が自転車販売店で、SGI会長が自転車を借りに来たという友は語っていた。
「先生は自転車で会場を回りに回られました。回り終わると、自転車でサーッとわが家に入ってこられました。そのすごい勢いに圧倒されました」
当時の心境を、SGI会長は後につづっている。「行く先々で『まだ、時間がある』『まだ、励ませる』と動くうち、日に二十五、六会場を回ったこともある。全身に汗は流れ、声は嗄れ、足は棒のようになった」と。
その個人指導の勢いは、"大阪の全会員と会われたのでは"と言われたほどであった。
激励を終えたSGI会長は、関西本部で深夜まで机に向かった。その日に励ました一人一人へ、はがきや手紙を送るためである。
ある友が受け取ったはがきには、「仏法は勝負である。最後迄進みゆく者が最後の勝利者である」と。
一度、出会った友のことは忘れない。その同志が仏法の功力を実感し、信心根本に立ち上がるまで、祈り、励ましを送り続けた。
また、各地の座談会で多くの新来者を自ら折伏。一つの会場で20人以上の新入会者が誕生したこともあった。怒濤の上げ潮の中、5月の折伏成果で、大阪支部は「1万1111世帯」の不滅の金字塔を打ち立てた。
そして、「まさかが実現」と語り継がれる、民衆勝利の歴史が築かれたのである。
人と「会い」「語る」。
そこに人間革命への
直道がある。
わが心の壁を破れ!
上野尼御前御返事 P1580
『法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り口に唱ふれば其の口即仏なり』
☆四季の語らい
人間は、自らの一念が後退する時、立ちはだかる障害のみが大きく見えるものである。そして、それが動かざる"現実"であると思い込んでしまう。実は、そこにこそ、敗北はある。いわば、人生における勝敗の鍵は、己心に巣くう臆病との戦いにあるといってよい。
☆女性に贈ることば 五月二十八日
順調な時ばかりでは、本当の幸福を実感できるはずがない。
険しき山河がありても、すべてを悠々と乗り越え、深く人間の価値を知りながら進むことだ。
そこには喜びがある。そこには満足がある。そこには後悔がない。
☆今日のことば365 五月二十八日
彼は 今日のために
未来を忘れている
僕は 未来のために
今日を修行するのだ
☆「大阪の戦い」60周年記念特集� 2016年5月19日
◇師弟一体で築いた「常勝の原点」「拡大の要諦」を学ぶ
若き日の池田SGI会長が指揮を執り、広布拡大と民衆勝利の金字塔を打ち立てた1956年(昭和31年)の「大阪の戦い」から本年で60周年。本紙では3回の特集を行い、常勝関西の原点である「大阪の戦い」の歴史を振り返るとともに、現代に受け継がれる常勝の精神、そして世界に広がる「カンサイ・スピリット(関西魂)」を紹介する。特集�では、若きSGI会長の行動から広布拡大の要諦を学ぶ。
◇一切の根本は祈り
「策ではない。生活、闘争、福運の源泉は全て題目だ」
1956年1月。青年部の室長だった池田SGI会長は、「大阪の戦い」のスタートに当たり、御書の次の一節を拝した。
「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(1132ページ)
そしてこう訴えた。
"御本尊に祈って願いが叶わないことは、絶対にありません。不可能を可能にするのが信心なのです"
策ではない。要領でもない。広宣流布の戦いである以上、一切の根本は祈りである。強盛な祈りから、全てを始めるのだ——これがSGI会長の最初の訴えだった。
誰よりSGI会長自身が、唱題に徹した。会合を終え、夜、関西本部(当時)に戻ってから一人で唱題。同志の車に乗り、各地を回っている時も小声で唱題した。
「池田先生は事故が心配で唱題してはる」と思ったメンバーが「事故は起こしませんから」と言うと、SGI会長は「大阪の大地に題目を染みこませているのです」。
"十界のあらゆる衆生が広布の味方になるように"——その一念で、時間を見つけては題目を唱え続けた。
また、ある同志に対しては次のように指導している。
「仏道修行で、一番やさしい修行は唱題であり、一番難しい修行も題目を唱えることです。一切の源泉、生活の源泉、闘争の源泉、福運の源泉は、全て題目です」
唱題で生命力をみなぎらせ、勇気と智慧を湧き出させていく。そして、拡大の対話に打って出る。自身の人間革命、生活革命に挑んでいく。
それが広布の根本であることを、一貫して訴えたのである。
◇弟子の団結で勝った
「法華経に勝る兵法なし」 戸田会長の教えを実践
この年(56年)の4月、SGI会長は「信心と団結でしか、勝てぬことを忘れるな」と日記に記している。
勝利の要諦は「信心の団結」「異体同心の団結」にある——これは年頭、最高幹部に対して戸田第2代会長が訴えたことであった。
広宣流布の師匠に心を合わせなければ、広宣流布はできない。
SGI会長は、まず自らが師と不二の心で立ち上がり、師弟の精神を根幹として"弟子の団結"を築いていった。それは、戸田会長のもとで学んできた「法華経の将軍学」を実践しゆく戦いであったといえる。
当時、関西の同志は人数も少なく、そのほとんどが入会間もないメンバーだった。
SGI会長は、大阪に滞在中は毎朝、関西本部で御書講義を行った。
御書の御文を縦横に拝しながら信心の偉大さを語り、妙法を持った一人一人の使命がどれほど尊いかを訴えていった。
拡大が進むにつれ、広布を阻む障魔も現れた。マスコミによる学会への中傷、同志の間の不和……SGI会長は、魔の蠢動を鋭く見破り、信心の利剣で打ち破っていった。
SGI会長は語っている。「いかなる戦いにせよ、信心根本です。法華経に勝る兵法なしです」
戦いが激しくなると、毎晩のように、東京の戸田会長に電話で状況を報告した。
正座して、受話器を握るSGI会長。あたかも戸田会長が眼前にいるかのようだった。
"尊敬する池田先生が、あのような厳粛な姿で仕えられる戸田会長は、どれほど偉大な師匠なのか"
関西の同志は、観念や理屈ではなく、SGI会長の振る舞いから「師弟」を学んでいったのである。
◇自らが最前線へ!
1日で20会場以上を訪問。個人指導に全力を挙げる
「指揮官が先頭に立つ。それが勝利の因です。『城の主剛ければ守る者も強し』(御書979ページ)なのです」
大阪の戦いで、SGI会長は常に自らが活動の最前線に立った。
個人指導に全力を傾け、約半年で8000人の友に会い、励ました。自転車3台を乗りつぶしたという。
当時、家が自転車販売店で、SGI会長が自転車を借りに来たという友は語っていた。
「先生は自転車で会場を回りに回られました。回り終わると、自転車でサーッとわが家に入ってこられました。そのすごい勢いに圧倒されました」
当時の心境を、SGI会長は後につづっている。「行く先々で『まだ、時間がある』『まだ、励ませる』と動くうち、日に二十五、六会場を回ったこともある。全身に汗は流れ、声は嗄れ、足は棒のようになった」と。
その個人指導の勢いは、"大阪の全会員と会われたのでは"と言われたほどであった。
激励を終えたSGI会長は、関西本部で深夜まで机に向かった。その日に励ました一人一人へ、はがきや手紙を送るためである。
ある友が受け取ったはがきには、「仏法は勝負である。最後迄進みゆく者が最後の勝利者である」と。
一度、出会った友のことは忘れない。その同志が仏法の功力を実感し、信心根本に立ち上がるまで、祈り、励ましを送り続けた。
また、各地の座談会で多くの新来者を自ら折伏。一つの会場で20人以上の新入会者が誕生したこともあった。怒濤の上げ潮の中、5月の折伏成果で、大阪支部は「1万1111世帯」の不滅の金字塔を打ち立てた。
そして、「まさかが実現」と語り継がれる、民衆勝利の歴史が築かれたのである。
2016年5月26日木曜日
2016.05.26 わが友に贈る
猛然と祈り動けば
全てが味方に変わる。
これが大仏法の原則だ。
善の連帯の拡大へ
勇猛精進の日々を!
乙御前御消息 P1219
『犬は師子をほうれば腸くさる修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る』
☆四季の語らい
いわれなき非難などには、断じて屈しない。毅然と信念の歩みを貫く。とともに、民衆のため、青年のためには、わが身をなげうち、犠牲となって奉仕していく−−。この崇高な精神をもって挑戦を続けていく限り、時代の変転、障害があろうとも、行き詰まりはない。
☆女性に贈ることば 五月二十六日
親は子どもにとって、最も身近な人生の先輩ともいえる。
平凡であってよい。地味であってよい。失敗があってもよい。
しかし、人間としてのたしかなる完成、また虚栄ではない、真実の栄光を見つめた自らの生き方の軌跡を、子どもに示せる存在でありたい。
☆今日のことば365 五月二十六日
君が もっと明確に
確信をもって物事をいえば
人々は惑わずに救われたのではないかと
私は 忠告したいのだ
☆仏法の教え 師子吼 2016年5月17日
◇師弟直結の「師子王」の闘争を!
〈Q〉御書には「師子」「師子王」という言葉が多く出てきます。
〈A〉釈尊、大聖人が「師子王」であり、法華経の行者である私たちも「師子王」です。
『法華経の行者は日輪と師子との如し』(乙御前御消息、P1219)
『師子の声には一切の獣・声を失ふ』(P1393)
何ものも恐れずに堂々と振る舞う"百獣の王"ライオン。
日蓮大聖人は、御書の随所で「師子」「師子王」という言葉を使われています。
例えば、ただ一人で多数の外道を責め抜き、勝利した釈尊の姿について『仏(釈尊)は一人であり、外道は多勢であったけれども、外道は蟻のようなものであり、仏は竜のようで、また師子王のようであられたので、責め勝たれたのです』(P1301、通解)と述べられています。
また、『法華経は師子王のようなものであり、師子があらゆる獣の頂点に立つようなものです』(P1316、通解)等、万人成仏の法理を明かした法華経こそが"師子王の経典"であると表現された御書もあります。
さらに『日蓮程の師子王』(P982)等、大聖人御自身についても「師子王」になぞらえられています。
『法華経の行者は「太陽」や「師子」と同じなのです』(P1219、通解)
法華経に説かれるとおりに、日々、妙法弘通に励む私たち一人一人も「師子王」なのです。
〈Q〉「作師子吼」について教えてください。
〈A〉弟子が師匠の心のままに主体的に戦いを起こす大切さを示しています。
『師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり』(御義口伝、P748)
「作師子吼」という言葉は、法華経勧持品に出てきます。釈尊の前で、釈尊滅後の弘教を誓う菩薩たち。その模様について「便ち仏前に於いて、師子吼を作して、誓言を発さく……」(法華経417ページ)と説かれています。菩薩たちの真剣さや勢いを「作師子吼」と表現しているのです。
「御義口伝」には、「作師子吼」について「『師』とは師匠が授ける妙法、『子』とは弟子が受ける妙法であり、『吼』とは師弟が共に唱える音声をいう。『作』とは「おこす」と読む。末法で南無妙法蓮華経をおこすことをいうのです」(P748、通解)とあります。
「師子吼」とは仏の説法のことであり、さらにいえば南無妙法蓮華経です。そして、『作とはおこすと読むなり』——弟子が主体的に戦いを起こしてこそ「作師子吼」になります。
「『師弟不二』です。『おこす』とは能動です。受け身ではなく、積極的に立ち上がってこそ『おこす』ことになる。どこまでも弟子の自覚、決意の如何である、ということです」(『池田大作全集』第32巻、「御書の世界」)
師弟不二の要諦は、弟子が師匠の心のままに率先の行動を起こす中にあることを「作師子吼」の一節は教えています。
〈Q〉師子吼といっても、自分には縁遠いものに感じます。
〈A〉「師子王の子は師子王」との自覚に立てば、無限の勇気が湧き起こります!
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』(聖人御難事、P1190)
日蓮大聖人が御自身を「師子王」に譬えられた御書を拝すると、大聖人は弟子に対しても「師子王」となって戦おうと呼び掛けられていることが分かります。
『師子王の子は師子王となる・いまだ人王・天王等とならず』(P1216)
『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ』(P1589)
一切衆生の救済を願って、いかなる障魔にも屈することなく妙法弘通に生き抜かれた大聖人の御生涯は、まさに"師子王の軌跡"です。真剣な唱題に励み、御本仏と同じ仏の生命を湧き上がらせ、大聖人に連なる"師子王の闘争"を開始する——。ここに師弟の宗教の真髄があります。
『あなたがた一人一人が師子王の心を取り出して、どのように人が脅そうとも、決して恐れてはなりません。師子王は百獣を恐れません。師子の子もまた同じです。彼ら(正法を誹謗する人々)は野干(よく吠える小型の獣)が吼えているのと同じです。日蓮の一門は師子が吼えているのです』(P1190、通解)
日蓮大聖人直結の弟子の自覚に立った時、無限の勇気が湧き起こり、見事な「師子吼」の戦いを起こすことができるのです。
◇智慧の扉 前三後一
『師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時も、全力で飛びかかることは、まったく同じなのです』(P1124、通解)
この仰せに出てくる「前三後一」とは、ライオンが敵に向かう時に、全力をためるために身構えた姿のことです。ライオンは、相手が蟻であっても猛獣であっても油断することなく常に全力を尽くして飛びかかります。
ライオンの姿勢と同じように、小さなことであっても一つ一つに真剣勝負で取り組み、勝利を積み重ねていく——これこそ、師子王の戦いといえるでしょう。
全てが味方に変わる。
これが大仏法の原則だ。
善の連帯の拡大へ
勇猛精進の日々を!
乙御前御消息 P1219
『犬は師子をほうれば腸くさる修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る』
☆四季の語らい
いわれなき非難などには、断じて屈しない。毅然と信念の歩みを貫く。とともに、民衆のため、青年のためには、わが身をなげうち、犠牲となって奉仕していく−−。この崇高な精神をもって挑戦を続けていく限り、時代の変転、障害があろうとも、行き詰まりはない。
☆女性に贈ることば 五月二十六日
親は子どもにとって、最も身近な人生の先輩ともいえる。
平凡であってよい。地味であってよい。失敗があってもよい。
しかし、人間としてのたしかなる完成、また虚栄ではない、真実の栄光を見つめた自らの生き方の軌跡を、子どもに示せる存在でありたい。
☆今日のことば365 五月二十六日
君が もっと明確に
確信をもって物事をいえば
人々は惑わずに救われたのではないかと
私は 忠告したいのだ
☆仏法の教え 師子吼 2016年5月17日
◇師弟直結の「師子王」の闘争を!
〈Q〉御書には「師子」「師子王」という言葉が多く出てきます。
〈A〉釈尊、大聖人が「師子王」であり、法華経の行者である私たちも「師子王」です。
『法華経の行者は日輪と師子との如し』(乙御前御消息、P1219)
『師子の声には一切の獣・声を失ふ』(P1393)
何ものも恐れずに堂々と振る舞う"百獣の王"ライオン。
日蓮大聖人は、御書の随所で「師子」「師子王」という言葉を使われています。
例えば、ただ一人で多数の外道を責め抜き、勝利した釈尊の姿について『仏(釈尊)は一人であり、外道は多勢であったけれども、外道は蟻のようなものであり、仏は竜のようで、また師子王のようであられたので、責め勝たれたのです』(P1301、通解)と述べられています。
また、『法華経は師子王のようなものであり、師子があらゆる獣の頂点に立つようなものです』(P1316、通解)等、万人成仏の法理を明かした法華経こそが"師子王の経典"であると表現された御書もあります。
さらに『日蓮程の師子王』(P982)等、大聖人御自身についても「師子王」になぞらえられています。
『法華経の行者は「太陽」や「師子」と同じなのです』(P1219、通解)
法華経に説かれるとおりに、日々、妙法弘通に励む私たち一人一人も「師子王」なのです。
〈Q〉「作師子吼」について教えてください。
〈A〉弟子が師匠の心のままに主体的に戦いを起こす大切さを示しています。
『師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり』(御義口伝、P748)
「作師子吼」という言葉は、法華経勧持品に出てきます。釈尊の前で、釈尊滅後の弘教を誓う菩薩たち。その模様について「便ち仏前に於いて、師子吼を作して、誓言を発さく……」(法華経417ページ)と説かれています。菩薩たちの真剣さや勢いを「作師子吼」と表現しているのです。
「御義口伝」には、「作師子吼」について「『師』とは師匠が授ける妙法、『子』とは弟子が受ける妙法であり、『吼』とは師弟が共に唱える音声をいう。『作』とは「おこす」と読む。末法で南無妙法蓮華経をおこすことをいうのです」(P748、通解)とあります。
「師子吼」とは仏の説法のことであり、さらにいえば南無妙法蓮華経です。そして、『作とはおこすと読むなり』——弟子が主体的に戦いを起こしてこそ「作師子吼」になります。
「『師弟不二』です。『おこす』とは能動です。受け身ではなく、積極的に立ち上がってこそ『おこす』ことになる。どこまでも弟子の自覚、決意の如何である、ということです」(『池田大作全集』第32巻、「御書の世界」)
師弟不二の要諦は、弟子が師匠の心のままに率先の行動を起こす中にあることを「作師子吼」の一節は教えています。
〈Q〉師子吼といっても、自分には縁遠いものに感じます。
〈A〉「師子王の子は師子王」との自覚に立てば、無限の勇気が湧き起こります!
『各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり』(聖人御難事、P1190)
日蓮大聖人が御自身を「師子王」に譬えられた御書を拝すると、大聖人は弟子に対しても「師子王」となって戦おうと呼び掛けられていることが分かります。
『師子王の子は師子王となる・いまだ人王・天王等とならず』(P1216)
『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ』(P1589)
一切衆生の救済を願って、いかなる障魔にも屈することなく妙法弘通に生き抜かれた大聖人の御生涯は、まさに"師子王の軌跡"です。真剣な唱題に励み、御本仏と同じ仏の生命を湧き上がらせ、大聖人に連なる"師子王の闘争"を開始する——。ここに師弟の宗教の真髄があります。
『あなたがた一人一人が師子王の心を取り出して、どのように人が脅そうとも、決して恐れてはなりません。師子王は百獣を恐れません。師子の子もまた同じです。彼ら(正法を誹謗する人々)は野干(よく吠える小型の獣)が吼えているのと同じです。日蓮の一門は師子が吼えているのです』(P1190、通解)
日蓮大聖人直結の弟子の自覚に立った時、無限の勇気が湧き起こり、見事な「師子吼」の戦いを起こすことができるのです。
◇智慧の扉 前三後一
『師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また、猛々しいものを取ろうとする時も、全力で飛びかかることは、まったく同じなのです』(P1124、通解)
この仰せに出てくる「前三後一」とは、ライオンが敵に向かう時に、全力をためるために身構えた姿のことです。ライオンは、相手が蟻であっても猛獣であっても油断することなく常に全力を尽くして飛びかかります。
ライオンの姿勢と同じように、小さなことであっても一つ一つに真剣勝負で取り組み、勝利を積み重ねていく——これこそ、師子王の戦いといえるでしょう。
2016.05.25 わが友に贈る
二度と来ない今日
自身の課題は何か。
なすべき使命は何か。
朝の誓願の祈りから
日々新たな出発を!
富木尼御前御返事 P975
『設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり』
☆四季の語らい
仏典では「人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなる」と説いている。他者の生命を敬い、他者の個性を輝かせてゆくことが、自他ともに未来を光輝あらしめる王道であろう。
☆女性に贈ることば 五月二十五日
「もったいない」この日本の母の"知恵の代名詞"ともいうべき言葉が、環境問題を打開する道として、世界に希望を広げている。
どんなものも無駄にしないという慈しみの心ーこの「母の心」 が、命を尊ぶ心、他者を思いやる心を育むからだ。
☆今日のことば365 五月二十五日
純粋な愛情は美しい。しかし、愚かと、もろさも、そこには同居している。そのために、愛情をふみにじられて、不幸に泣く女性のいかに多いことか。あなたは、そうした不幸の人であってはならぬ。
☆御書と歩む 第15回 立正安国の声を広げよ
『法華経の法門を一文一句なりとも人に・かたらんは過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし』(椎地四郎殿御書、P1448)
◇通解
法華経の法門を一文一句であっても、人に語るのは、過去世からの縁が深いと思うべきである。
◇同志への指針
昼夜を分かたず、法のため、友のため、社会のために、打って出る信念の対話は、全て宿縁ふかき地涌の菩薩の行動である。仏縁が広がらないわけがない。
苦悩に沈む友に寄り添い、励ましの声を掛ける。民衆の幸福の社会を築くために正義と真実の声を上げる——。
大聖人に直結する我らの希望と信頼のスクラムこそ、「立正安国」への直道なのだ。
自身の課題は何か。
なすべき使命は何か。
朝の誓願の祈りから
日々新たな出発を!
富木尼御前御返事 P975
『設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり』
☆四季の語らい
仏典では「人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなる」と説いている。他者の生命を敬い、他者の個性を輝かせてゆくことが、自他ともに未来を光輝あらしめる王道であろう。
☆女性に贈ることば 五月二十五日
「もったいない」この日本の母の"知恵の代名詞"ともいうべき言葉が、環境問題を打開する道として、世界に希望を広げている。
どんなものも無駄にしないという慈しみの心ーこの「母の心」 が、命を尊ぶ心、他者を思いやる心を育むからだ。
☆今日のことば365 五月二十五日
純粋な愛情は美しい。しかし、愚かと、もろさも、そこには同居している。そのために、愛情をふみにじられて、不幸に泣く女性のいかに多いことか。あなたは、そうした不幸の人であってはならぬ。
☆御書と歩む 第15回 立正安国の声を広げよ
『法華経の法門を一文一句なりとも人に・かたらんは過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし』(椎地四郎殿御書、P1448)
◇通解
法華経の法門を一文一句であっても、人に語るのは、過去世からの縁が深いと思うべきである。
◇同志への指針
昼夜を分かたず、法のため、友のため、社会のために、打って出る信念の対話は、全て宿縁ふかき地涌の菩薩の行動である。仏縁が広がらないわけがない。
苦悩に沈む友に寄り添い、励ましの声を掛ける。民衆の幸福の社会を築くために正義と真実の声を上げる——。
大聖人に直結する我らの希望と信頼のスクラムこそ、「立正安国」への直道なのだ。
2016年5月24日火曜日
2016.05.24 わが友に贈る
幸福島の建設へ走る
わが沖縄の友よ!
不屈の魂を燃やせ!
異体同心の団結で
共に歓喜の舞を!
如説修行抄 P505
『南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦多宝十方の諸仏霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて手をとり肩に引懸けて霊山へはしり給はば二聖二天十羅刹女は受持の者を擁護し諸天善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり』
☆四季の語らい
人生は、毎日が新しい一日である。かけがえのない一日である。目標も挑戦もない、「やらされている」という心の人には、自分自身の本当の歴史は築けない。瑞々しい真剣勝負の日々に偉大な勝利は開かれる。
☆女性に贈ることば 五月二十四日
コンプレックスは、あなたが強く生きていく力となる。すべてのコンプレックスが、あなたの力となる。
コンプレックスに苦しまなかった人は、繊細な心のメロディーがわからない。
コンプレックスで悩んだ分だけ、いじめられた分だけ、心のひだは深くなる。心の響きも豊かになり、人の心がわかる人間になれる。
☆今日のことば365 五月二十四日
平凡なことであるが、およそ対話を抜きにして人間生活は考えられない。否、今日のような殺伐とした時代にあっては、対話こそが、人間の人間に対する不信感を、信頼感に一変させ、あらゆる隔絶を埋める、救いの手段といってよい。
☆創価大学通信教育部開設40周年 創立者が機関誌「学光」に特別寄稿
◇「信」を「通」い合わせ人間教育の大道を
人生の年輪を重ねると、一年ごとに、うれしい佳節を多くの友と分かち合える機会が増えます。
その中でも、わが創価大学通信教育部の開設40周年は、この上ない喜びであり、感無量の慶事であります。
創立以来の悲願であった通信教育部が、晴れの開学式を行ったのは、1976年(昭和51年)の5月16日。「重大な歴史の日」として、私の人生においても、黄金の輝きを放っております。
以来、創価の誇り高き向学の友たちは、日本全国、さらに世界各地で、年齢も、立場も、国籍も超えて、互いに励まし合い、学び続けてきました。
見事に卒業を果たした学友は、1万8000人に上ります(2016年3月現在)。教員採用試験の合格者は、15年連続で100人を超え、累計で3000人を突破し、教育界に希望と信頼を広げる連帯となりました。
私のもとへ、通教同窓生の皆さん方から、社会での尊き奮闘と勝利を伝える便りが届かない日はなく、創立者として、これほどありがたく、胸に迫ることはありません。
「学は光なり。無学は闇なり」——。創価教育の父、牧口常三郎先生のこの信念こそ、私が創大通教の機関誌を「学光」と命名した由来であります。
私たちの世代は、戦争のゆえ、最も学べる時に「学の光」を奪われました。
私も終戦の17歳の時から夜学に入り、その後も必死に働きながら学んだ一人です。
それは、常に時間の制約と、生身の体力の限界との闘争でした。あまりに体がつらくて、教科書を一ページすら読み進めることができない日もありました。それゆえに、言うに言われぬ皆さんのご苦労は、痛いほど分かっているつもりであります。
求道の心燃ゆる皆さん方は、それぞれに光を求めて、「学問探究の道」「価値創造の道」「人生勝利の道」を切り開くため、創価の人間主義の最高学府を選んでくださいました。その崇高な心に、私は胸奥より感謝します。
学べば「世界」は広がる。「学ぶ」こと自体が「喜び」であり「幸福」です。「学ぼうとする決意」は即「希望の光」であり、「学び抜こうとする執念」は即「勝利の光」であるとは言えないでしょうか。
◇いかに学ぶか
よき伝統には、よき原点があります。
110年ほど前、牧口常三郎先生が、働きながら学ぶ女性たちに対して「通信教育の勉強法」を語られた、貴重な講義録が残っています(『創価教育研究』第6号に収録)。
34歳の牧口先生は、自ら創立した「大日本高等女学会」で「外国の地理」を担当されていました。
新しい世界を学び始めた女性たちに、先生は——皆さんは、教室で直接、教師から授業を受けても理解しづらい学問を、自宅で自習しようというのですから、難しいことはもちろんです。教える側にとっても、すこぶる困難なことである——と寄り添っていかれます。そして、これまで幾多の若人を薫育されてきた経験を踏まえつつ、誠にこまやかなアドバイスを贈られるのです。
一、教科書を読む時は、とても一回の読み流しで覚えられるものではありませんから、少なくとも2、3回は繰り返して読むこと。
一、声に出すと記憶しやすいこと。
一、教科書を目で見ただけでは覚えられるものではない。丁寧でなくてよいから、自分で書いてみること。
一、ノートに書き込んだ大切な事柄は、順序よく並べ直して、繰り返して見ること。
一、優れた学生には、いろいろと工夫して自習ノートを作って学んだ人が多いこと。
一、用事の隙間、仕事の合間に、ちょっとずつ、二つ三つと、徐々に学ぶこと。
まさしく時を超えても通じる実践知です。
◇皆が光の宝友
牧口先生の目の前には、家庭で、職場で、さまざまな壁に直面しながら、夢や理想を胸に、孤独な勉学の闘いを開始した人たちがたくさんいました。
どうすれば彼女たちが、初めて接した学問の高き峰々を踏破できるか——教える側が振り絞る、この「知恵の奔流」こそ、創価教育の熱き源流であったと、私には思われてなりません。
牧口先生が通信教育にささげた情熱は、歴史に輝く教育改革の淵源の一つとなりました。それはまた、「生活の学問化」と「学問の生活化」の往復作業を土台として、考察を深めゆく「創価教育学」の核心ともなっています。
わが恩師・戸田城聖先生は戦後も、牧口先生の価値創造の大原則を受け継ぎ、中学生向けの数学や英語などの通信添削に取り組まれました。
牧口・戸田両先生も、私も、学びたくとも思うように学べない青春を過ごしました。だからこそ、けなげに学ぶ人々と力強く「信」を「通」い合わせて、「学は光」の大道を開きたいと願ってきたのです。
それは、人間生命の持つ尊厳性への「信」であります。自他共の無限の可能性への「信」であります。
さらに社会と世界を必ずよりよく変えていける人類の英知の力への「信」であります。
今、わが創大の通信教育部の皆さん方が、この誉れの系譜に真っすぐに連なってくださっています。
創大通教に学ばれる愛娘を、東日本大震災で亡くされた宮城県石巻市のお母さまが、その遺志を受け継がれて、通教に学ばれております。
東北の通教家族の慈母として皆を温かく励ましてくださっていることも、涙の出る思いで伺いました。
通教の皆さん方が、これから無数に続く学友たちとも、限りなく「信」を「通」い合わせてくれる未来を、私は思い描いております。今、厳しくも楽しき「自己との闘い」に粘り強く挑みながら学び、「心の財」を積まれている皆さんへ、そして将来の通教生たちに、私は、若き日から大切にしてきた法華経の一節を贈りたい。
「忍辱の大力 智慧の宝蔵あり」と。
私にとっては、創大通教で学ぶ皆さん全員が、かけがえのない光の宝友であり、最も期待してやまない英才です。共々に、栄光の開設50年を目指し、悔いなく朗らかに、新たな前進を開始していきましょう。
最後に、いつも尊き真心と情熱で、建設の労苦を共にしてくださっている教職員の先生方、また各地でお世話になっているすべての方々に心から深謝し、
創大通教同窓の友よ
皆、健康王であれ!
幸福長者であれ!
勝利博士であれ!
学光王者であれ!
と願い、私の寄稿とさせていただきます。
わが沖縄の友よ!
不屈の魂を燃やせ!
異体同心の団結で
共に歓喜の舞を!
如説修行抄 P505
『南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦多宝十方の諸仏霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて手をとり肩に引懸けて霊山へはしり給はば二聖二天十羅刹女は受持の者を擁護し諸天善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり』
☆四季の語らい
人生は、毎日が新しい一日である。かけがえのない一日である。目標も挑戦もない、「やらされている」という心の人には、自分自身の本当の歴史は築けない。瑞々しい真剣勝負の日々に偉大な勝利は開かれる。
☆女性に贈ることば 五月二十四日
コンプレックスは、あなたが強く生きていく力となる。すべてのコンプレックスが、あなたの力となる。
コンプレックスに苦しまなかった人は、繊細な心のメロディーがわからない。
コンプレックスで悩んだ分だけ、いじめられた分だけ、心のひだは深くなる。心の響きも豊かになり、人の心がわかる人間になれる。
☆今日のことば365 五月二十四日
平凡なことであるが、およそ対話を抜きにして人間生活は考えられない。否、今日のような殺伐とした時代にあっては、対話こそが、人間の人間に対する不信感を、信頼感に一変させ、あらゆる隔絶を埋める、救いの手段といってよい。
☆創価大学通信教育部開設40周年 創立者が機関誌「学光」に特別寄稿
◇「信」を「通」い合わせ人間教育の大道を
人生の年輪を重ねると、一年ごとに、うれしい佳節を多くの友と分かち合える機会が増えます。
その中でも、わが創価大学通信教育部の開設40周年は、この上ない喜びであり、感無量の慶事であります。
創立以来の悲願であった通信教育部が、晴れの開学式を行ったのは、1976年(昭和51年)の5月16日。「重大な歴史の日」として、私の人生においても、黄金の輝きを放っております。
以来、創価の誇り高き向学の友たちは、日本全国、さらに世界各地で、年齢も、立場も、国籍も超えて、互いに励まし合い、学び続けてきました。
見事に卒業を果たした学友は、1万8000人に上ります(2016年3月現在)。教員採用試験の合格者は、15年連続で100人を超え、累計で3000人を突破し、教育界に希望と信頼を広げる連帯となりました。
私のもとへ、通教同窓生の皆さん方から、社会での尊き奮闘と勝利を伝える便りが届かない日はなく、創立者として、これほどありがたく、胸に迫ることはありません。
「学は光なり。無学は闇なり」——。創価教育の父、牧口常三郎先生のこの信念こそ、私が創大通教の機関誌を「学光」と命名した由来であります。
私たちの世代は、戦争のゆえ、最も学べる時に「学の光」を奪われました。
私も終戦の17歳の時から夜学に入り、その後も必死に働きながら学んだ一人です。
それは、常に時間の制約と、生身の体力の限界との闘争でした。あまりに体がつらくて、教科書を一ページすら読み進めることができない日もありました。それゆえに、言うに言われぬ皆さんのご苦労は、痛いほど分かっているつもりであります。
求道の心燃ゆる皆さん方は、それぞれに光を求めて、「学問探究の道」「価値創造の道」「人生勝利の道」を切り開くため、創価の人間主義の最高学府を選んでくださいました。その崇高な心に、私は胸奥より感謝します。
学べば「世界」は広がる。「学ぶ」こと自体が「喜び」であり「幸福」です。「学ぼうとする決意」は即「希望の光」であり、「学び抜こうとする執念」は即「勝利の光」であるとは言えないでしょうか。
◇いかに学ぶか
よき伝統には、よき原点があります。
110年ほど前、牧口常三郎先生が、働きながら学ぶ女性たちに対して「通信教育の勉強法」を語られた、貴重な講義録が残っています(『創価教育研究』第6号に収録)。
34歳の牧口先生は、自ら創立した「大日本高等女学会」で「外国の地理」を担当されていました。
新しい世界を学び始めた女性たちに、先生は——皆さんは、教室で直接、教師から授業を受けても理解しづらい学問を、自宅で自習しようというのですから、難しいことはもちろんです。教える側にとっても、すこぶる困難なことである——と寄り添っていかれます。そして、これまで幾多の若人を薫育されてきた経験を踏まえつつ、誠にこまやかなアドバイスを贈られるのです。
一、教科書を読む時は、とても一回の読み流しで覚えられるものではありませんから、少なくとも2、3回は繰り返して読むこと。
一、声に出すと記憶しやすいこと。
一、教科書を目で見ただけでは覚えられるものではない。丁寧でなくてよいから、自分で書いてみること。
一、ノートに書き込んだ大切な事柄は、順序よく並べ直して、繰り返して見ること。
一、優れた学生には、いろいろと工夫して自習ノートを作って学んだ人が多いこと。
一、用事の隙間、仕事の合間に、ちょっとずつ、二つ三つと、徐々に学ぶこと。
まさしく時を超えても通じる実践知です。
◇皆が光の宝友
牧口先生の目の前には、家庭で、職場で、さまざまな壁に直面しながら、夢や理想を胸に、孤独な勉学の闘いを開始した人たちがたくさんいました。
どうすれば彼女たちが、初めて接した学問の高き峰々を踏破できるか——教える側が振り絞る、この「知恵の奔流」こそ、創価教育の熱き源流であったと、私には思われてなりません。
牧口先生が通信教育にささげた情熱は、歴史に輝く教育改革の淵源の一つとなりました。それはまた、「生活の学問化」と「学問の生活化」の往復作業を土台として、考察を深めゆく「創価教育学」の核心ともなっています。
わが恩師・戸田城聖先生は戦後も、牧口先生の価値創造の大原則を受け継ぎ、中学生向けの数学や英語などの通信添削に取り組まれました。
牧口・戸田両先生も、私も、学びたくとも思うように学べない青春を過ごしました。だからこそ、けなげに学ぶ人々と力強く「信」を「通」い合わせて、「学は光」の大道を開きたいと願ってきたのです。
それは、人間生命の持つ尊厳性への「信」であります。自他共の無限の可能性への「信」であります。
さらに社会と世界を必ずよりよく変えていける人類の英知の力への「信」であります。
今、わが創大の通信教育部の皆さん方が、この誉れの系譜に真っすぐに連なってくださっています。
創大通教に学ばれる愛娘を、東日本大震災で亡くされた宮城県石巻市のお母さまが、その遺志を受け継がれて、通教に学ばれております。
東北の通教家族の慈母として皆を温かく励ましてくださっていることも、涙の出る思いで伺いました。
通教の皆さん方が、これから無数に続く学友たちとも、限りなく「信」を「通」い合わせてくれる未来を、私は思い描いております。今、厳しくも楽しき「自己との闘い」に粘り強く挑みながら学び、「心の財」を積まれている皆さんへ、そして将来の通教生たちに、私は、若き日から大切にしてきた法華経の一節を贈りたい。
「忍辱の大力 智慧の宝蔵あり」と。
私にとっては、創大通教で学ぶ皆さん全員が、かけがえのない光の宝友であり、最も期待してやまない英才です。共々に、栄光の開設50年を目指し、悔いなく朗らかに、新たな前進を開始していきましょう。
最後に、いつも尊き真心と情熱で、建設の労苦を共にしてくださっている教職員の先生方、また各地でお世話になっているすべての方々に心から深謝し、
創大通教同窓の友よ
皆、健康王であれ!
幸福長者であれ!
勝利博士であれ!
学光王者であれ!
と願い、私の寄稿とさせていただきます。
2016年5月23日月曜日
2016.05.23 わが友に贈る
◇今週のことば
広布は正義の言論戦!
ひるまぬ勇気だ。
心を揺さぶる確信だ。
声を惜しまず
朗らかに語り切れ!
2016年05月23日
崇峻天皇御書 P1173
『返す返す今に忘れぬ事は頚切れんとせし時殿はともして馬の口に付きてなきかなしみ給いしをばいかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし』
☆四季の語らい
「心こそ大切」である。状況がどうであれ、自分自身の胸中に「戦う心」が燃えているかどうかである。何があろうと「戦う心」を燃やし続けた、その姿が人間の「勝利」である。一時の勝敗という次元ではなく、「戦い続けた」事実によって、人間として、また信仰者として、永遠性の次元での勝者となる。その人の歴史は、必ず後世まで輝いていくに違いない。
☆女性に贈ることば 五月二十三日
笑顔はいわば、ふくよかに香る心の花である。
☆今日のことば365 五月二十三日
漠然とした一日一日を私は避ける
短いこの世にあって 怠惰を乗り越え
人々に感銘を与えながら
この新たなる人生を終わりたい
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 開目抄�
◇師弟不二の信心で真っすぐに成仏の道を
今月は、「開目抄」の後半を学びます。法華経の行者としての日蓮大聖人の大境涯を拝し、師弟不二の信心で前進していきましょう。(池田SGI会長による本抄の講義は、『開目抄講義』上下巻〈聖教新聞社〉に収録されています)
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が佐渡に着いた直後から構想され、文永9年(1272年)2月に四条金吾を介して門下一同に与えられました。
題号の「開目」とは、文字通り「目を開く」ことであり、末法の一切衆生を救いゆく「大聖人に目を開け」との呼び掛けとも拝されます。本抄は、大聖人こそが末法の御本仏であることを明かされた「人本尊開顕の書」です。
当時、大聖人だけでなく、門下にも迫害が及び、弾圧を恐れた多くの門下が退転しました。
本抄では、当時、弟子たちが抱いていた"大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか"等の疑問に対し、法華経を経文通りに実践すれば三類の強敵が競い起こることは必然であり、その通りの難に遭っている大聖人こそ真の法華経の行者であると示されています。
◇拝読範囲の大意
末法において妙法弘通を貫けば、三類の強敵が出来することは法華経に説かれる通りであり、その通りの難を受けている日蓮大聖人こそ真の法華経の行者であると示されています。
その上で、どのような難に遭おうと断固、末法広宣流布に進む覚悟を示され、自らの民衆救済の誓願を破ることはできないと述べられます。そして弟子たちに、諸難に遭っても疑う心なく信心を貫けば仏の境涯を開けることを教えられます。
最後に大聖人こそ、人々が尊敬すべき主師親の三徳を具えた末法の御本仏であることを示されています。
◇御文
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし』(P234ページ7行目〜9行目)
◇通解
私も、そして私の弟子も、いかなる難があっても疑う心がなければ、必ず仏界に至るのである。天の加護がないからと信仰を疑ってはならない。現世が安穏ではないからと嘆いてはならない。私の弟子に朝に夕に教えてきたけれども、疑いを起こして、皆、法華経を捨ててしまったようだ。弱い者の常として、約束したことを大事な時に忘れてしまうものである。
◇解説 「まことの時」に不退の心で広布へ
日蓮大聖人は本抄で、"大聖人が法華経の行者なのかどうか"という、門下や世間の人々の疑いを取り上げられ、難と戦う御自身の振る舞いが法華経の経文に一致することを確認されて、大聖人こそが法華経の行者であることを明らかにされています。
そして、難を乗り越えて末法広宣流布に進む法華経の行者として、大聖人は「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)と、不惜身命で広布に生き抜く覚悟を示されます。
万人成仏を説く法華経の心のままに、妙法弘通の実践を貫くのが法華経の行者です。この仰せには、妙法弘通を貫く中で大聖人が開かれた、何ものにも微動だにしない境涯が示されています。大聖人は、御自身の崇高な境涯を示すことで、門下に妙法への信を貫くことを教えられていると拝することができます。
大聖人が、御自身の振る舞いを通して示されたように、難に直面しても妙法への信を貫き広布に生き抜く中に成仏はあります。このことを教えているのが、今回の御文です。ここでは"弟子たちよ"と一方的に呼び掛けるのではなく、「我並びに我が弟子」と、大聖人御自身と門下を並べられています。ここに師弟不二の精神が拝されます。
この御文には、"わが弟子たちよ、私と共に不退の信心を貫け!"との大聖人の魂の叫びが込められているのです。
そして大聖人は、難に遭っても信心を貫く時、「自然に仏界にいたる」と仰せです。大事なことは、「諸難ありとも疑う心なくば」と仰せのように、どんな苦難に直面しても、疑いや嘆きの心にとらわれることなく不退の信心を貫くことです。
これまで大聖人は門下に繰り返し、法華経の行者に難が起こることは必然であり、難が起きた時こそ信心根本に戦い抜くことを教えてこられました。しかし当時、現実には多くの門下が疑いを起こして退転したのです。「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」との仰せには、こうした背景があります。
苦難にぶつかった時こそ境涯を開く「まことの時」です。その時に、真剣な祈りを根本に、師弟の誓いのまま広布に邁進する中で勝利の道が開かれるのです。
池田SGI会長は、今この時を「『世界広布新時代』という、千載一遇ともいうべき『まことの時』」と述べています。今こそ、「華陽の誓い」を果たす時。勇気の対話で師弟勝利の門を開いていきましょう。
◇理解を深めよう 三類の強敵
本抄では、日蓮大聖人が末法の法華経の行者であることを明らかにするために、法華経勧持品の「二十行の偈」が引用されています。ここには、末法に法華経を弘通する人に「三類の強敵」が現れることが述べられています。これは具体的には、俗衆増上慢、道門増上慢、僭聖増上慢です。
第1の俗衆増上慢は、仏法に無智な衆生のことであり、言葉や暴力による迫害を加えます。
第2の道門増上慢は、法華経の行者を迫害する僧を指します。邪智で心が曲がっているために、仏法を究めていないにもかかわらず、自身への執着から迫害を加えます。
第3の僭聖増上慢とは、人々から聖者のように仰がれている高僧を指します。世間から離れたところに住み、自身の利益のみを貪り、悪心を抱いて、法華経の行者を陥れようとします。言葉巧みに権力者を動かして、法華経の行者に弾圧を加えるように仕向けるのです。最も見破りにくいのが僭聖増上慢です。
悪世末法において広宣流布を進める法華経の行者に、この三類の強敵が必ず出現します。裏返せば、妙法弘通を貫いて三類の強敵を呼び起こす人こそ法華経の行者であるといえるのです。
法華経に説かれる通りに三類の強敵を呼び起こされたのが大聖人です。こうして大聖人は御自身の振る舞いを通して法華経が真実であることを証明され、そして妙法弘通を貫く中に成仏があることを示されました。偉大な妙法への確信を胸に、不退の心で進んでいきましょう。
◇SGI会長の講義から
苦難は、人間を強くします。
大難は、信心を鍛えます。
難に挑戦して信心を鍛え抜けば、我が己心に「仏界」を現していくことができる。
大難が襲ってきても「師子王の心」で戦い続ける人は、必ず「仏」になれる。
◇ ◆ ◇
「大聖人とともに」と、師と同じ決意で立ち上がり、広宣流布に邁進してこそ真の弟子です。誰人であろうと、大聖人と同じ心に立ち「日蓮が一門」(御書1360ページ)となった時、実は、すでに成仏への道は広々と開かれているのです。後は、その大道を歩み通せば、「自然に」成仏に至るのです。
◇ ◆ ◇
何があっても疑わない。何が起ころうとも嘆かない。その強靱な魂を持った人は、何も恐れるものはない。(中略)
「まことの時」に戦う信心にこそ「仏界」が輝くことを、断じて忘れてはならない。これが本抄の一つの結論であると拝することができます。(『開目抄講義』下巻)
広布は正義の言論戦!
ひるまぬ勇気だ。
心を揺さぶる確信だ。
声を惜しまず
朗らかに語り切れ!
2016年05月23日
崇峻天皇御書 P1173
『返す返す今に忘れぬ事は頚切れんとせし時殿はともして馬の口に付きてなきかなしみ給いしをばいかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし』
☆四季の語らい
「心こそ大切」である。状況がどうであれ、自分自身の胸中に「戦う心」が燃えているかどうかである。何があろうと「戦う心」を燃やし続けた、その姿が人間の「勝利」である。一時の勝敗という次元ではなく、「戦い続けた」事実によって、人間として、また信仰者として、永遠性の次元での勝者となる。その人の歴史は、必ず後世まで輝いていくに違いない。
☆女性に贈ることば 五月二十三日
笑顔はいわば、ふくよかに香る心の花である。
☆今日のことば365 五月二十三日
漠然とした一日一日を私は避ける
短いこの世にあって 怠惰を乗り越え
人々に感銘を与えながら
この新たなる人生を終わりたい
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 開目抄�
◇師弟不二の信心で真っすぐに成仏の道を
今月は、「開目抄」の後半を学びます。法華経の行者としての日蓮大聖人の大境涯を拝し、師弟不二の信心で前進していきましょう。(池田SGI会長による本抄の講義は、『開目抄講義』上下巻〈聖教新聞社〉に収録されています)
◇本抄について
本抄は、日蓮大聖人が佐渡に着いた直後から構想され、文永9年(1272年)2月に四条金吾を介して門下一同に与えられました。
題号の「開目」とは、文字通り「目を開く」ことであり、末法の一切衆生を救いゆく「大聖人に目を開け」との呼び掛けとも拝されます。本抄は、大聖人こそが末法の御本仏であることを明かされた「人本尊開顕の書」です。
当時、大聖人だけでなく、門下にも迫害が及び、弾圧を恐れた多くの門下が退転しました。
本抄では、当時、弟子たちが抱いていた"大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか"等の疑問に対し、法華経を経文通りに実践すれば三類の強敵が競い起こることは必然であり、その通りの難に遭っている大聖人こそ真の法華経の行者であると示されています。
◇拝読範囲の大意
末法において妙法弘通を貫けば、三類の強敵が出来することは法華経に説かれる通りであり、その通りの難を受けている日蓮大聖人こそ真の法華経の行者であると示されています。
その上で、どのような難に遭おうと断固、末法広宣流布に進む覚悟を示され、自らの民衆救済の誓願を破ることはできないと述べられます。そして弟子たちに、諸難に遭っても疑う心なく信心を貫けば仏の境涯を開けることを教えられます。
最後に大聖人こそ、人々が尊敬すべき主師親の三徳を具えた末法の御本仏であることを示されています。
◇御文
『我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし』(P234ページ7行目〜9行目)
◇通解
私も、そして私の弟子も、いかなる難があっても疑う心がなければ、必ず仏界に至るのである。天の加護がないからと信仰を疑ってはならない。現世が安穏ではないからと嘆いてはならない。私の弟子に朝に夕に教えてきたけれども、疑いを起こして、皆、法華経を捨ててしまったようだ。弱い者の常として、約束したことを大事な時に忘れてしまうものである。
◇解説 「まことの時」に不退の心で広布へ
日蓮大聖人は本抄で、"大聖人が法華経の行者なのかどうか"という、門下や世間の人々の疑いを取り上げられ、難と戦う御自身の振る舞いが法華経の経文に一致することを確認されて、大聖人こそが法華経の行者であることを明らかにされています。
そして、難を乗り越えて末法広宣流布に進む法華経の行者として、大聖人は「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232ページ)と、不惜身命で広布に生き抜く覚悟を示されます。
万人成仏を説く法華経の心のままに、妙法弘通の実践を貫くのが法華経の行者です。この仰せには、妙法弘通を貫く中で大聖人が開かれた、何ものにも微動だにしない境涯が示されています。大聖人は、御自身の崇高な境涯を示すことで、門下に妙法への信を貫くことを教えられていると拝することができます。
大聖人が、御自身の振る舞いを通して示されたように、難に直面しても妙法への信を貫き広布に生き抜く中に成仏はあります。このことを教えているのが、今回の御文です。ここでは"弟子たちよ"と一方的に呼び掛けるのではなく、「我並びに我が弟子」と、大聖人御自身と門下を並べられています。ここに師弟不二の精神が拝されます。
この御文には、"わが弟子たちよ、私と共に不退の信心を貫け!"との大聖人の魂の叫びが込められているのです。
そして大聖人は、難に遭っても信心を貫く時、「自然に仏界にいたる」と仰せです。大事なことは、「諸難ありとも疑う心なくば」と仰せのように、どんな苦難に直面しても、疑いや嘆きの心にとらわれることなく不退の信心を貫くことです。
これまで大聖人は門下に繰り返し、法華経の行者に難が起こることは必然であり、難が起きた時こそ信心根本に戦い抜くことを教えてこられました。しかし当時、現実には多くの門下が疑いを起こして退転したのです。「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」との仰せには、こうした背景があります。
苦難にぶつかった時こそ境涯を開く「まことの時」です。その時に、真剣な祈りを根本に、師弟の誓いのまま広布に邁進する中で勝利の道が開かれるのです。
池田SGI会長は、今この時を「『世界広布新時代』という、千載一遇ともいうべき『まことの時』」と述べています。今こそ、「華陽の誓い」を果たす時。勇気の対話で師弟勝利の門を開いていきましょう。
◇理解を深めよう 三類の強敵
本抄では、日蓮大聖人が末法の法華経の行者であることを明らかにするために、法華経勧持品の「二十行の偈」が引用されています。ここには、末法に法華経を弘通する人に「三類の強敵」が現れることが述べられています。これは具体的には、俗衆増上慢、道門増上慢、僭聖増上慢です。
第1の俗衆増上慢は、仏法に無智な衆生のことであり、言葉や暴力による迫害を加えます。
第2の道門増上慢は、法華経の行者を迫害する僧を指します。邪智で心が曲がっているために、仏法を究めていないにもかかわらず、自身への執着から迫害を加えます。
第3の僭聖増上慢とは、人々から聖者のように仰がれている高僧を指します。世間から離れたところに住み、自身の利益のみを貪り、悪心を抱いて、法華経の行者を陥れようとします。言葉巧みに権力者を動かして、法華経の行者に弾圧を加えるように仕向けるのです。最も見破りにくいのが僭聖増上慢です。
悪世末法において広宣流布を進める法華経の行者に、この三類の強敵が必ず出現します。裏返せば、妙法弘通を貫いて三類の強敵を呼び起こす人こそ法華経の行者であるといえるのです。
法華経に説かれる通りに三類の強敵を呼び起こされたのが大聖人です。こうして大聖人は御自身の振る舞いを通して法華経が真実であることを証明され、そして妙法弘通を貫く中に成仏があることを示されました。偉大な妙法への確信を胸に、不退の心で進んでいきましょう。
◇SGI会長の講義から
苦難は、人間を強くします。
大難は、信心を鍛えます。
難に挑戦して信心を鍛え抜けば、我が己心に「仏界」を現していくことができる。
大難が襲ってきても「師子王の心」で戦い続ける人は、必ず「仏」になれる。
◇ ◆ ◇
「大聖人とともに」と、師と同じ決意で立ち上がり、広宣流布に邁進してこそ真の弟子です。誰人であろうと、大聖人と同じ心に立ち「日蓮が一門」(御書1360ページ)となった時、実は、すでに成仏への道は広々と開かれているのです。後は、その大道を歩み通せば、「自然に」成仏に至るのです。
◇ ◆ ◇
何があっても疑わない。何が起ころうとも嘆かない。その強靱な魂を持った人は、何も恐れるものはない。(中略)
「まことの時」に戦う信心にこそ「仏界」が輝くことを、断じて忘れてはならない。これが本抄の一つの結論であると拝することができます。(『開目抄講義』下巻)
2016年5月22日日曜日
2016.05.22 わが友に贈る
支部長・支部婦人部長の
尊き奮闘に感謝!
皆様は地域広布の支柱。
一人一人と絆を強め
共に躍進の歴史を!
撰時抄 P289
『現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳なりけるか』
☆四季の語らい
「信仰の道」「幸福の道」の勝者の要件とは、学歴でも、地位でも、肩書でもない。"純真""素直"に徹して、自ら、法のため、平和のため、人々の幸福のために働く、不惜身命の行動にこそあることを忘れてはならない。
☆女性に贈ることば 五月二十二日
自分の将来や人生について、両親や先輩と話し合うことは決して古いことではない。大切な示唆となることを忘れてはならない。いちばん賢明に自分を守る羅針盤になるのである。
☆今日のことば365 五月二十二日
人間というものは、自分のことに関しては、甘く、弱いものです。ふだん強そうなことをいっていても、いざ自分のこととなると、いっていることの半分も実行できない。またよいことは自分の手柄にし、悪いことは他人のせいにする醜い面も、だれもがもっています。その弱い自分、醜い自分に打ち勝つことこそ、最大の勇気だといえましょう。
☆勝利の人間学 第95回 成長と向上の青春たれ
◇試練の苦闘に栄光の未来が
熊本・大分の地震に際し、被災された方々にあらためてお見舞いを申し上げるとともに、支援に尽力してくれている九州をはじめ青年部の尊き献身に、心から感謝申し上げたい。
思えば、阪神・淡路大震災の折、青年部として奮闘してくれた同志が、その労苦の体験を力に転じ、21年を経た今、見事なる広布と社会の指導者群として大活躍している。
5年前の東日本大震災を乗り越えてきた東北の青年部・未来部のメンバーたちも、何と立派に成長してくれていることか。
愛する九州の若き地涌の友も、この試練を断じて変毒為薬(注:困難を善い方向に転換していくこと)しながら、必ずや栄光の未来を勝ち築いてくれることを、私は信じている。
◇『信』の一字で明日を開け!
御義口伝には、『一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり』(P725)と仰せである。
正しき『信』こそ、仏道修行の根本である。
強き『信』こそ、一切の魔を破る力である。
大宇宙の究極の法則である妙法を信受し、広宣流布のため、立正安国のため、行動したことは、全部、自分の生命に返ってくる。
すべてが、仏になるための労苦なのだ。
御本尊を信じ、自分を信じ、未来を信じて、恐れなく勇敢に戦い、大きく境涯を開こう!
◇きょうも一歩前進の指揮を
『日に日に向上して、心に笑む可きのみ』と、戸田先生は、若き日の日記に記された。師と仰ぐ牧口先生にお会いした頃である。
『日々向上』が、創価の青年の特権だ。
その爽快なる推進力が信心である。きょうも勝つために、強盛な祈りから出発するのだ。
『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ』(P1143)との仰せの如く、題目を唱え抜いて前へ進むのだ。
一番大変な時に、一番偉大な歴史を創れる。
わが不二の愛弟子よ、師弟誓願の五月三日より、朗らかに一歩前進の指揮を頼む!
尊き奮闘に感謝!
皆様は地域広布の支柱。
一人一人と絆を強め
共に躍進の歴史を!
撰時抄 P289
『現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳なりけるか』
☆四季の語らい
「信仰の道」「幸福の道」の勝者の要件とは、学歴でも、地位でも、肩書でもない。"純真""素直"に徹して、自ら、法のため、平和のため、人々の幸福のために働く、不惜身命の行動にこそあることを忘れてはならない。
☆女性に贈ることば 五月二十二日
自分の将来や人生について、両親や先輩と話し合うことは決して古いことではない。大切な示唆となることを忘れてはならない。いちばん賢明に自分を守る羅針盤になるのである。
☆今日のことば365 五月二十二日
人間というものは、自分のことに関しては、甘く、弱いものです。ふだん強そうなことをいっていても、いざ自分のこととなると、いっていることの半分も実行できない。またよいことは自分の手柄にし、悪いことは他人のせいにする醜い面も、だれもがもっています。その弱い自分、醜い自分に打ち勝つことこそ、最大の勇気だといえましょう。
☆勝利の人間学 第95回 成長と向上の青春たれ
◇試練の苦闘に栄光の未来が
熊本・大分の地震に際し、被災された方々にあらためてお見舞いを申し上げるとともに、支援に尽力してくれている九州をはじめ青年部の尊き献身に、心から感謝申し上げたい。
思えば、阪神・淡路大震災の折、青年部として奮闘してくれた同志が、その労苦の体験を力に転じ、21年を経た今、見事なる広布と社会の指導者群として大活躍している。
5年前の東日本大震災を乗り越えてきた東北の青年部・未来部のメンバーたちも、何と立派に成長してくれていることか。
愛する九州の若き地涌の友も、この試練を断じて変毒為薬(注:困難を善い方向に転換していくこと)しながら、必ずや栄光の未来を勝ち築いてくれることを、私は信じている。
◇『信』の一字で明日を開け!
御義口伝には、『一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり』(P725)と仰せである。
正しき『信』こそ、仏道修行の根本である。
強き『信』こそ、一切の魔を破る力である。
大宇宙の究極の法則である妙法を信受し、広宣流布のため、立正安国のため、行動したことは、全部、自分の生命に返ってくる。
すべてが、仏になるための労苦なのだ。
御本尊を信じ、自分を信じ、未来を信じて、恐れなく勇敢に戦い、大きく境涯を開こう!
◇きょうも一歩前進の指揮を
『日に日に向上して、心に笑む可きのみ』と、戸田先生は、若き日の日記に記された。師と仰ぐ牧口先生にお会いした頃である。
『日々向上』が、創価の青年の特権だ。
その爽快なる推進力が信心である。きょうも勝つために、強盛な祈りから出発するのだ。
『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ』(P1143)との仰せの如く、題目を唱え抜いて前へ進むのだ。
一番大変な時に、一番偉大な歴史を創れる。
わが不二の愛弟子よ、師弟誓願の五月三日より、朗らかに一歩前進の指揮を頼む!
2016年5月21日土曜日
2016.05.21 わが友に贈る
「いつかやろう」との
弱き一念は後退の因。
「今」動いてこそ
発展の道は開かれる。
一日を悔いなく飾れ!
寺泊御書 P953
『日蓮此の経文に当れり汝等何ぞ此の経文に入らざる』
☆四季の語らい
人生そのものが、日々、「我が新記録」に挑みゆくオリンピックといえよう。まず、自分が強くなることだ。自分が強くならなければ、この乱世で勝つことはできない。人がどうであろうと、だれが何と言おうと、自分が力をつけ、力を発揮していくことである。また最高の強さを引き出すのが、正しい信仰の道である。
☆女性に贈ることば 五月二十一日
生まれてきたからには、幸福を勝ち取らねばならない。
断じて、不幸に負けてはならない。
若々しく希望の光に包まれた、貴女の闘争の力こそが、すべてを幸福に変えていくのだ。
☆今日のことば365 五月二十一日
決して自分だけで悩むな。よき友、よき先輩と何でも相談していくことだ。
☆四季の励まし 「開かれた心」で縁を絆に 2016年5月15日
広宣流布とは、
「友情の拡大」である。
「幸福の華の拡大」であり、
「正義の光の拡大」である。
それは、「人のつながり」で決まる。
「法」といっても、
目には見えない。
見えるのは、「人」である。
ゆえに、広布とは、
「善なる人の連帯」を、
どこまでも広げ、
強めていくことである。
動かなければ、何も生まれない。
語らなければ、何も始まらない。
仏とは戦い続ける命だ。
苦しみ悩む人間群の中に分け入り、
汗まみれ、泥まみれになって、
友のために尽くし抜く人こそ、
最も尊貴なのである。
その仏の陣列が、
わが広宣の同志である。
私どもの最上の武器は
「信心」である。
そのうえで、大切なことは、
「誠実」である。
仕事においても、
折伏、弘法においても、
外交においても、
「誠実」によってのみ、
深く人の心をつかむことができる。
これこそが
最終の真実の勝利のカギである。
ささやかな出会いであっても、
そこに縁を見出す。
それが仏法の眼である。
そして縁を強め、
より深き縁を結んでいく。
それが仏法の智慧である。
川の流れのように、
一人また一人と
心に染み入る対話を
続けていくのだ。
この対話の道が、
麗しき人間共和の大道へと
開かれゆくと信じて!
はためく創価の三色旗。緑の向こうに、朱色の屋根の沖縄池田平和会館が立っている。1999年(平成11年)2月、池田SGI会長が、恩納村の沖縄研修道場で撮った。
道場内にある、核ミサイルの発射台の跡地は、SGI会長の提案で「世界平和の碑」に変わった。ここから生命尊厳の哲学を発信し、最も戦火に苦しんだ沖縄を「平和の宝島」にと、励ましを送り続けてきた。
沖縄の「イチャリバチョーデー(出会えばみな兄弟)」という、開かれた世界市民の心。それは「仏法の精神と深く深く響き合っている」と、SGI会長はつづる。あらゆる「縁」を「絆」へと結ぶ友情の拡大へ、さあ、沖縄を先頭に、進みゆこう。
弱き一念は後退の因。
「今」動いてこそ
発展の道は開かれる。
一日を悔いなく飾れ!
寺泊御書 P953
『日蓮此の経文に当れり汝等何ぞ此の経文に入らざる』
☆四季の語らい
人生そのものが、日々、「我が新記録」に挑みゆくオリンピックといえよう。まず、自分が強くなることだ。自分が強くならなければ、この乱世で勝つことはできない。人がどうであろうと、だれが何と言おうと、自分が力をつけ、力を発揮していくことである。また最高の強さを引き出すのが、正しい信仰の道である。
☆女性に贈ることば 五月二十一日
生まれてきたからには、幸福を勝ち取らねばならない。
断じて、不幸に負けてはならない。
若々しく希望の光に包まれた、貴女の闘争の力こそが、すべてを幸福に変えていくのだ。
☆今日のことば365 五月二十一日
決して自分だけで悩むな。よき友、よき先輩と何でも相談していくことだ。
☆四季の励まし 「開かれた心」で縁を絆に 2016年5月15日
広宣流布とは、
「友情の拡大」である。
「幸福の華の拡大」であり、
「正義の光の拡大」である。
それは、「人のつながり」で決まる。
「法」といっても、
目には見えない。
見えるのは、「人」である。
ゆえに、広布とは、
「善なる人の連帯」を、
どこまでも広げ、
強めていくことである。
動かなければ、何も生まれない。
語らなければ、何も始まらない。
仏とは戦い続ける命だ。
苦しみ悩む人間群の中に分け入り、
汗まみれ、泥まみれになって、
友のために尽くし抜く人こそ、
最も尊貴なのである。
その仏の陣列が、
わが広宣の同志である。
私どもの最上の武器は
「信心」である。
そのうえで、大切なことは、
「誠実」である。
仕事においても、
折伏、弘法においても、
外交においても、
「誠実」によってのみ、
深く人の心をつかむことができる。
これこそが
最終の真実の勝利のカギである。
ささやかな出会いであっても、
そこに縁を見出す。
それが仏法の眼である。
そして縁を強め、
より深き縁を結んでいく。
それが仏法の智慧である。
川の流れのように、
一人また一人と
心に染み入る対話を
続けていくのだ。
この対話の道が、
麗しき人間共和の大道へと
開かれゆくと信じて!
はためく創価の三色旗。緑の向こうに、朱色の屋根の沖縄池田平和会館が立っている。1999年(平成11年)2月、池田SGI会長が、恩納村の沖縄研修道場で撮った。
道場内にある、核ミサイルの発射台の跡地は、SGI会長の提案で「世界平和の碑」に変わった。ここから生命尊厳の哲学を発信し、最も戦火に苦しんだ沖縄を「平和の宝島」にと、励ましを送り続けてきた。
沖縄の「イチャリバチョーデー(出会えばみな兄弟)」という、開かれた世界市民の心。それは「仏法の精神と深く深く響き合っている」と、SGI会長はつづる。あらゆる「縁」を「絆」へと結ぶ友情の拡大へ、さあ、沖縄を先頭に、進みゆこう。
2016年5月20日金曜日
2016.05.20 わが友に贈る
順風におごらず
逆風にくじけず
持続の信心を貫け!
清流の如き実践の中に
崩れざる幸の花は咲く。
華果成就御書 P900
『常にかたりあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ』
☆四季の語らい
リーダーは、まず自らが祈ることである。人を動かすのではない。自分自身がエンジンとなって、回転していくのである。そこに、すべての勝利の原動力がある。
☆女性に贈ることば 五月二十日
今の仕事に全力で当たれ!
今日の課題に懸命に挑め!
足下の己の使命に徹せよ!
そこに勝利がある。
☆今日のことば365 五月二十日
汝自身を知ることは、大変なことである
苦悩も 失敗も 自身を知らぬことから
出発するのかも知れぬ
☆新時代を創る 第14回 希望と勇気と確信の声を
熊本地震から、1カ月——。いまだ避難されている多くの方々のご健康、そして災害の終息、生活の復興を祈ってやみません。
熊本、大分はじめ愛する大九州の宝友が、『大悪をこれば大善きたる』(P1300)との御金言を抱き締めて、一刻も早く安穏な日々を取り戻され、自他共の幸福と凱歌の人生を飾られるよう、強盛に祈念し続けております。
大震災を乗り越えてきた兵庫と関西の同志、東北の同志、さらに全国・全世界の同志が、「負けんばい!」と踏ん張る不撓不屈の九州家族に届けと、題目を送っています。
◇ ◆ ◇
日本中で正義の対話を拡大されゆく皆さんの尊き奮闘を、御本仏・日蓮大聖人がいかばかり讃えておられることか。
あらゆる諸天善神が、はたまた十方三世の仏菩薩が、わが同志を厳然と守りに護ることは、絶対に間違いありません。
60年前の「大阪の戦い」で拝した御聖訓を、あらためて共々に胸に刻みたい。
『各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか』(同P)
いかなる試練にも、地涌の菩薩の大生命を燃え上がらせながら、立ち向かい、歓喜踊躍の勇気で、智慧で、忍耐で、勝利の舞を堂々と示し切っていく。これが学会精神です。
我らには、一切を変毒為薬の力に転じゆく「誓願の信心」があります。
『声仏事を為す』(P708)であるからこそ、希望の声、勇気の声、確信の声を、明るく力強く響かせて、励まし合っていきたい。
◇ ◆ ◇
我ら創価家族は、使命大なるがゆえに労多き人生を、誇りとし、名誉としながら、未来まで仰がれゆく、新たな広布拡大の金字塔を打ち立てるのだ。
苦楽を分かち、「異体同心の団結」の底力を、今こそ思う存分に示しゆこう!
どんな苦難にも負けない立正安国の社会を、共々に創り開こうではないか!
逆風にくじけず
持続の信心を貫け!
清流の如き実践の中に
崩れざる幸の花は咲く。
華果成就御書 P900
『常にかたりあわせて出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ』
☆四季の語らい
リーダーは、まず自らが祈ることである。人を動かすのではない。自分自身がエンジンとなって、回転していくのである。そこに、すべての勝利の原動力がある。
☆女性に贈ることば 五月二十日
今の仕事に全力で当たれ!
今日の課題に懸命に挑め!
足下の己の使命に徹せよ!
そこに勝利がある。
☆今日のことば365 五月二十日
汝自身を知ることは、大変なことである
苦悩も 失敗も 自身を知らぬことから
出発するのかも知れぬ
☆新時代を創る 第14回 希望と勇気と確信の声を
熊本地震から、1カ月——。いまだ避難されている多くの方々のご健康、そして災害の終息、生活の復興を祈ってやみません。
熊本、大分はじめ愛する大九州の宝友が、『大悪をこれば大善きたる』(P1300)との御金言を抱き締めて、一刻も早く安穏な日々を取り戻され、自他共の幸福と凱歌の人生を飾られるよう、強盛に祈念し続けております。
大震災を乗り越えてきた兵庫と関西の同志、東北の同志、さらに全国・全世界の同志が、「負けんばい!」と踏ん張る不撓不屈の九州家族に届けと、題目を送っています。
◇ ◆ ◇
日本中で正義の対話を拡大されゆく皆さんの尊き奮闘を、御本仏・日蓮大聖人がいかばかり讃えておられることか。
あらゆる諸天善神が、はたまた十方三世の仏菩薩が、わが同志を厳然と守りに護ることは、絶対に間違いありません。
60年前の「大阪の戦い」で拝した御聖訓を、あらためて共々に胸に刻みたい。
『各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか』(同P)
いかなる試練にも、地涌の菩薩の大生命を燃え上がらせながら、立ち向かい、歓喜踊躍の勇気で、智慧で、忍耐で、勝利の舞を堂々と示し切っていく。これが学会精神です。
我らには、一切を変毒為薬の力に転じゆく「誓願の信心」があります。
『声仏事を為す』(P708)であるからこそ、希望の声、勇気の声、確信の声を、明るく力強く響かせて、励まし合っていきたい。
◇ ◆ ◇
我ら創価家族は、使命大なるがゆえに労多き人生を、誇りとし、名誉としながら、未来まで仰がれゆく、新たな広布拡大の金字塔を打ち立てるのだ。
苦楽を分かち、「異体同心の団結」の底力を、今こそ思う存分に示しゆこう!
どんな苦難にも負けない立正安国の社会を、共々に創り開こうではないか!
2016年5月19日木曜日
2016.05.19 わが友に贈る
「病によりて道心は
をこり候なり」
苦難の時こそ
宿命転換の好機だ。
断じて病魔に打ち勝て!
開目抄上 P191
『外典三千余巻の所詮に二つあり所謂孝と忠となり忠も又孝の家よりいでたり、孝と申すは高なり天高けれども孝よりも高からず又孝とは厚なり地あつけれども孝よりは厚からず』
☆四季の語らい
一人の発心は、一人にとどまらない。一波が十波、百波となって広がっていくように、そこに連なる幾多の人間へと波動していく。一人を大切にし、一人を育てるところに、民衆運動の永遠不変の方程式があるといえよう。
☆女性に贈ることば 五月十九日
他人の畑に気を取られていては、どこまでいっても満足は得
られない。
自分の畑を耕さないかぎり、人生の真の実りは満喫できない。
☆今日のことば365 五月十九日
いつの世にも、なにより美しく、尊いものは、人の情愛である。
人間の真情は、ひとたび危急におちいったときにこそ、偽りのベールをはらって、本当の顔をあらわすものだ。
☆仏法の教え 師恩に報いる 2016年5月10日
『父母・主君なれども師匠なる事はなし』(P1350)。
自他共の幸福を実現する法理である仏法を教えてくれるのは、師匠をおいてほかにない。偉大な師匠に巡り合えた喜びを深く実感するほど、挑戦への勇気が湧き上がってくる。師匠の大恩に応えようと心を定めて行動した時、"不可能のカベ"を破ることができる。このことを私は何度も体験してきた。ここでは、「報恩抄」を拝しつつ、真の報恩が誓いの信心を貫く中にあることを確認したい。
◇旧師逝去の報を受け認められた「報恩抄」
建治2年(1276年)7月、旧師・道善房の逝去の報を聞かれた日蓮大聖人は「報恩抄」を認められた。その冒頭に、多くの同志が心に刻む次の一節がある。
『夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや』(P293)
『仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや』(同P)
恩を知り、恩に報いることは、人間として自然な感情の発露である。ましてや仏法の実践者が師匠の大恩に報いていくべきことはいうまでもない。
「報恩抄」では続いて"釈尊が説いた一切経の中で、最高の真実を伝える経典は法華経である"ことを明かされ、これまで邪義を破折したために度重なる大難に遭われてきたことについて言及。御自身の闘争の目的について『ひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがため』(P323)と述べられる。
そして法華経の肝心である南無妙法蓮華経こそ、一切衆生を救済する大法であることを宣言された上で、『此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし』(P329)と、妙法弘通の功徳は、全て旧師である道善房の身に集まっていくとの仰せで結ばれている。
◇
安房国(現在の千葉県南部)の清澄寺の僧である道善房は、大聖人の修学時代の師匠ではあったが、大聖人が立宗を宣言した際、念仏者である地頭・東条景信の迫害を恐れ、大聖人を守ることができなかった。
後に少し信心を起こしたこともあったようだが、念仏への執着を断ち切れずに一生を終えた。
そんな臆病な人物であったにもかかわらず、大聖人は、仏教を教えてくれた「師恩」を深く感じて"妙法を弘める功徳は全て道善房に集まる"とまで綴られたのだ。このお言葉に、師恩に報ずる姿勢が、いかにあるべきかを拝することができる。
◇北海天地で示された「弟子の道」の模範
北海道は「難攻不落の三代城」との永遠の指針を示していただいて今年で25周年の佳節を迎える。創価の三代会長が青春勝利の歴史を残してくださったことは、私たち北海道の同志の何よりの誇りである。
池田先生が北海道を初めて訪問されたのは、1954年(昭和29年)8月10日。恩師・戸田先生と共にであった。
小説『新・人間革命』第18巻「師恩」の章に当時の情景が綴られている。
「伸一を連れて厚田村に帰った戸田は、海を見ながら伸一に言った。
『ぼくは、日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開くんだ!(中略)』
その師の言葉は、強く弟子の胸を打った。
翌朝、伸一は、ただ一人、厚田の港に立った。
そして、戸田の言葉を何度も反復しながら、込み上げる無量の思いを世界に放つように、海に向かって叫んだ。
『先生! 東洋広布は伸一がいたします。世界広布の金の橋を、必ず架けます!』」
さらにこの時、池田先生は、戸田先生の崇高な生涯を綴った小説『人間革命』の執筆を心に誓われている。
今やSGIのネットワークは192カ国・地域にまで広がり、既に世界広布の盤石な基盤が整った。
この"仏教史に輝く壮挙"も、戸田先生の誓願を自らの使命と定められた池田先生の死身弘法の闘争によって結実したものであることはいうまでもない。
学会の正義を満天下に轟かせた小樽問答、日本一の結果を示した札幌の夏季折伏、権力の魔性を打ち破った夕張炭労事件と、その後も池田先生は、北海道を舞台に見事な広布の金字塔を次々と打ち立てられた。先生が、仏法に説かれる「弟子の道」の模範を北海天地を舞台に示してくださったことに、あらためて身の引き締まる思いである。
◇自分の成長を待ってくれている人がいる
池田先生は、"地球上から悲惨の二字をなくしたい"との恩師の思いを胸に、会員一人一人を励まし続けてこられた。私もまた、池田先生から大恩を受けた一人である。
少年部時代から、池田先生に何度もお会いし、温かな励ましをいただいてきたが、中でも自分の信心の原点としているのが、74年8月に創価大学で行われた中等部の全国未来会である。
当時、中学3年生だった私は、だらしない生活を送っており、成績も悪く、志望する高校への進学もおぼつかない状況だった。そんな自分を変えたいと真剣な唱題に挑戦して臨んだ会合で、先生は、"君たちを大人と思って話します"と語られ、頑健、冷静、バイタリティー、決断、責任の5項目にわたって未来の指導者としての要件を教えてくださった。
「自分の全てを信じて、成長を待ってくれている人がいる!」。この時の感動は言葉では言い表せない。「先生の弟子として、広布のお役に立てる人材に成長しよう」と決めて勉学に励み、翌年、志望校に合格。その後も、父の事業の倒産等、さまざまな苦難に見舞われたが、そのたびに、この日の池田先生の姿をまぶたに浮かべ、乗り越えてきた。
師弟の関係は、血縁関係や利害関係を超えて、はるかに尊いものである。常に励ましを送り続けてくださる師匠の存在がどれほどありがたいか。
『設ひ父母・子をうみて眼耳有りとも物を教ゆる師なくば畜生の眼耳にてこそあらましか』(P1248)
私たちが持つ妙法には、偉大な功力がある。それは大前提として、信心の姿勢、学会活動の大切さ、御書の拝し方をはじめ、現実社会においてこの仏法をいかに実践していくべきかを教えてくれる師匠の存在があって、初めて人生を勝利で荘厳することができる。
「師弟とは、究極の人間の絆である。魂と魂の真の触発であり、交流だ。なかんずく、広宣流布の誓願を分かち合い、どんな困難があろうとも戦い抜く師弟の絆ほど、尊く、強いものはないと、私は自負するのだ」(「随筆 民衆凱歌の大行進」〈桜花に誓う〉)
師匠から受けた大恩に、いかに報いるべきか。この答えは、師匠の一念に自身の一念を合致させて、広宣流布に生き抜く不退の実践の中にしかない。
具体的には、常に"師匠であれば、どのように振る舞われるか"を真剣に考えながら、目の前の同志を励まし、周囲の友に仏縁を広げていく地道な実践の積み重ねである。
私も、広布の活動に徹することで師恩に報いようと、壮年部員の方々の家に伺い、相手の悩みに徹して耳を傾け、「一緒にお題目を唱えて乗り越えましょう」等、相手の心に届くよう訴え掛けている。
◇
『我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』(P232)との誓願のままに正法弘通の生涯を貫かれた大聖人。「開目抄」のこの一節は、私が心に刻む御聖訓である。
青年部時代に広宣流布を誓い、生涯にわたる師弟共戦を決意した。いかに年を重ねようと、いな、年を重ねるごとに、青春の誓いを思い起こし、師匠の大恩に感謝し、いよいよの決意で広布に邁進していきたい。「難攻不落の三代城」である北海道から、新たな広布拡大の潮流を起こす決意である。
をこり候なり」
苦難の時こそ
宿命転換の好機だ。
断じて病魔に打ち勝て!
開目抄上 P191
『外典三千余巻の所詮に二つあり所謂孝と忠となり忠も又孝の家よりいでたり、孝と申すは高なり天高けれども孝よりも高からず又孝とは厚なり地あつけれども孝よりは厚からず』
☆四季の語らい
一人の発心は、一人にとどまらない。一波が十波、百波となって広がっていくように、そこに連なる幾多の人間へと波動していく。一人を大切にし、一人を育てるところに、民衆運動の永遠不変の方程式があるといえよう。
☆女性に贈ることば 五月十九日
他人の畑に気を取られていては、どこまでいっても満足は得
られない。
自分の畑を耕さないかぎり、人生の真の実りは満喫できない。
☆今日のことば365 五月十九日
いつの世にも、なにより美しく、尊いものは、人の情愛である。
人間の真情は、ひとたび危急におちいったときにこそ、偽りのベールをはらって、本当の顔をあらわすものだ。
☆仏法の教え 師恩に報いる 2016年5月10日
『父母・主君なれども師匠なる事はなし』(P1350)。
自他共の幸福を実現する法理である仏法を教えてくれるのは、師匠をおいてほかにない。偉大な師匠に巡り合えた喜びを深く実感するほど、挑戦への勇気が湧き上がってくる。師匠の大恩に応えようと心を定めて行動した時、"不可能のカベ"を破ることができる。このことを私は何度も体験してきた。ここでは、「報恩抄」を拝しつつ、真の報恩が誓いの信心を貫く中にあることを確認したい。
◇旧師逝去の報を受け認められた「報恩抄」
建治2年(1276年)7月、旧師・道善房の逝去の報を聞かれた日蓮大聖人は「報恩抄」を認められた。その冒頭に、多くの同志が心に刻む次の一節がある。
『夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや』(P293)
『仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや』(同P)
恩を知り、恩に報いることは、人間として自然な感情の発露である。ましてや仏法の実践者が師匠の大恩に報いていくべきことはいうまでもない。
「報恩抄」では続いて"釈尊が説いた一切経の中で、最高の真実を伝える経典は法華経である"ことを明かされ、これまで邪義を破折したために度重なる大難に遭われてきたことについて言及。御自身の闘争の目的について『ひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがため』(P323)と述べられる。
そして法華経の肝心である南無妙法蓮華経こそ、一切衆生を救済する大法であることを宣言された上で、『此の功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし』(P329)と、妙法弘通の功徳は、全て旧師である道善房の身に集まっていくとの仰せで結ばれている。
◇
安房国(現在の千葉県南部)の清澄寺の僧である道善房は、大聖人の修学時代の師匠ではあったが、大聖人が立宗を宣言した際、念仏者である地頭・東条景信の迫害を恐れ、大聖人を守ることができなかった。
後に少し信心を起こしたこともあったようだが、念仏への執着を断ち切れずに一生を終えた。
そんな臆病な人物であったにもかかわらず、大聖人は、仏教を教えてくれた「師恩」を深く感じて"妙法を弘める功徳は全て道善房に集まる"とまで綴られたのだ。このお言葉に、師恩に報ずる姿勢が、いかにあるべきかを拝することができる。
◇北海天地で示された「弟子の道」の模範
北海道は「難攻不落の三代城」との永遠の指針を示していただいて今年で25周年の佳節を迎える。創価の三代会長が青春勝利の歴史を残してくださったことは、私たち北海道の同志の何よりの誇りである。
池田先生が北海道を初めて訪問されたのは、1954年(昭和29年)8月10日。恩師・戸田先生と共にであった。
小説『新・人間革命』第18巻「師恩」の章に当時の情景が綴られている。
「伸一を連れて厚田村に帰った戸田は、海を見ながら伸一に言った。
『ぼくは、日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開くんだ!(中略)』
その師の言葉は、強く弟子の胸を打った。
翌朝、伸一は、ただ一人、厚田の港に立った。
そして、戸田の言葉を何度も反復しながら、込み上げる無量の思いを世界に放つように、海に向かって叫んだ。
『先生! 東洋広布は伸一がいたします。世界広布の金の橋を、必ず架けます!』」
さらにこの時、池田先生は、戸田先生の崇高な生涯を綴った小説『人間革命』の執筆を心に誓われている。
今やSGIのネットワークは192カ国・地域にまで広がり、既に世界広布の盤石な基盤が整った。
この"仏教史に輝く壮挙"も、戸田先生の誓願を自らの使命と定められた池田先生の死身弘法の闘争によって結実したものであることはいうまでもない。
学会の正義を満天下に轟かせた小樽問答、日本一の結果を示した札幌の夏季折伏、権力の魔性を打ち破った夕張炭労事件と、その後も池田先生は、北海道を舞台に見事な広布の金字塔を次々と打ち立てられた。先生が、仏法に説かれる「弟子の道」の模範を北海天地を舞台に示してくださったことに、あらためて身の引き締まる思いである。
◇自分の成長を待ってくれている人がいる
池田先生は、"地球上から悲惨の二字をなくしたい"との恩師の思いを胸に、会員一人一人を励まし続けてこられた。私もまた、池田先生から大恩を受けた一人である。
少年部時代から、池田先生に何度もお会いし、温かな励ましをいただいてきたが、中でも自分の信心の原点としているのが、74年8月に創価大学で行われた中等部の全国未来会である。
当時、中学3年生だった私は、だらしない生活を送っており、成績も悪く、志望する高校への進学もおぼつかない状況だった。そんな自分を変えたいと真剣な唱題に挑戦して臨んだ会合で、先生は、"君たちを大人と思って話します"と語られ、頑健、冷静、バイタリティー、決断、責任の5項目にわたって未来の指導者としての要件を教えてくださった。
「自分の全てを信じて、成長を待ってくれている人がいる!」。この時の感動は言葉では言い表せない。「先生の弟子として、広布のお役に立てる人材に成長しよう」と決めて勉学に励み、翌年、志望校に合格。その後も、父の事業の倒産等、さまざまな苦難に見舞われたが、そのたびに、この日の池田先生の姿をまぶたに浮かべ、乗り越えてきた。
師弟の関係は、血縁関係や利害関係を超えて、はるかに尊いものである。常に励ましを送り続けてくださる師匠の存在がどれほどありがたいか。
『設ひ父母・子をうみて眼耳有りとも物を教ゆる師なくば畜生の眼耳にてこそあらましか』(P1248)
私たちが持つ妙法には、偉大な功力がある。それは大前提として、信心の姿勢、学会活動の大切さ、御書の拝し方をはじめ、現実社会においてこの仏法をいかに実践していくべきかを教えてくれる師匠の存在があって、初めて人生を勝利で荘厳することができる。
「師弟とは、究極の人間の絆である。魂と魂の真の触発であり、交流だ。なかんずく、広宣流布の誓願を分かち合い、どんな困難があろうとも戦い抜く師弟の絆ほど、尊く、強いものはないと、私は自負するのだ」(「随筆 民衆凱歌の大行進」〈桜花に誓う〉)
師匠から受けた大恩に、いかに報いるべきか。この答えは、師匠の一念に自身の一念を合致させて、広宣流布に生き抜く不退の実践の中にしかない。
具体的には、常に"師匠であれば、どのように振る舞われるか"を真剣に考えながら、目の前の同志を励まし、周囲の友に仏縁を広げていく地道な実践の積み重ねである。
私も、広布の活動に徹することで師恩に報いようと、壮年部員の方々の家に伺い、相手の悩みに徹して耳を傾け、「一緒にお題目を唱えて乗り越えましょう」等、相手の心に届くよう訴え掛けている。
◇
『我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』(P232)との誓願のままに正法弘通の生涯を貫かれた大聖人。「開目抄」のこの一節は、私が心に刻む御聖訓である。
青年部時代に広宣流布を誓い、生涯にわたる師弟共戦を決意した。いかに年を重ねようと、いな、年を重ねるごとに、青春の誓いを思い起こし、師匠の大恩に感謝し、いよいよの決意で広布に邁進していきたい。「難攻不落の三代城」である北海道から、新たな広布拡大の潮流を起こす決意である。
2016年5月18日水曜日
2016.05.17 わが友に贈る
さあ今日も朗らかに
勇んで人間の中へ!
地道な友好交流
暖かな訪問激励で
新しい絆を結べ!
単衣抄 P1514
『三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間或は寺を追い出され或は処をおわれ或は親類を煩はされ或は夜打ちにあひ或は合戦にあひ或は悪口数をしらず或は打たれ或は手を負う或は弟子を殺され或は頚を切られんとし或は流罪両度に及べり、二十余年が間一時片時も心安き事なし』
☆四季の語らい
強い人ほど謙虚であり、確信の人ほど寛容なのです。
☆女性に贈ることば 五月十七日
家族のため、近隣のために、自分らしく、誠実に精一杯の努カをして生きてきた女性の一生は、平凡であっても、尊く美しい。
☆今日のことば365 五月十七日
会議は、議論のための議論であってはならない。本当に真剣であれば、おのずから知恵が湧いてくる。
☆5・5「創価学会後継者の日」40周年 首都圏で原田会長と共に記念大会
2030年へ、希望の前進! 「創価学会後継者の日」が5日、制定40周年を迎えた。池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は未来部の友にメッセージを贈り、「自分にしか歩めない使命と栄光の道を、堂々と力走していってください」と呼び掛けた(2面に掲載)。関西(4月29日)に続き、首都圏の記念大会が5日、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で開催され、原田会長が出席した。
「5月3日が学会の永遠の原点の日ならば、5月5日の『創価学会後継者の日』は永遠の希望の日です」(『未来対話』)
この"希望の日"が誕生したのは1976年5月5日。関西で開かれた未来部の会合の折、SGI会長によって、毎年5月5日を「創価学会後継者の日」とすることが発表された。
さらに席上、未来部が堅持する指針として、「健康でいこう」「本を読もう」「常識を忘れないでいこう」「決して焦らないでいこう」「友人をたくさんつくろう」「まず自らが福運をつけよう」の6項目が贈られた(2013年、七つ目として「親孝行しよう」がSGI会長によって加えられた)。
以来、師の真心を抱き締めて学びの青春時代を送り、使命の道を歩んできた鳳雛たち。未来部出身者は国内外の各分野のリーダーとして活躍している。
SGI会長が未来部に寄せる期待は一貫して変わらない。世界広布新時代を生きる未来部の友は、師の励ましに応えようと誓いも新たに前進している。
首都圏の記念大会では、石黒未来本部長のあいさつに続き、吉野桜香さん(小学6年)が、SGI会長の著作を合唱団や家で学ぶ中で勇気の心を湧かせ、人間関係に悩む友人に励ましを送ることができた様子を報告。また��優子さん(中学3年)は、学会家族の庭で自分らしく成長する誇りと、美術の授業で作った作品が区で評価された喜びを披歴した。村木香一君(高校2年)は、SGI会長が世界に開いた友情の道に続こうと語学に挑戦する決意を語った。
木�未来部長、山本女子未来部長は「今いる場所で努力を重ね、夢に向かって勇気の一歩を」と呼び掛けた。
原田会長は、一人も残らず師の心を受け継ぐ後継者として世界に羽ばたき、周囲の希望と輝く人材に大成長をと念願した。
最後に、参加者全員で未来部歌「正義の走者」を力強く歌った。
勇んで人間の中へ!
地道な友好交流
暖かな訪問激励で
新しい絆を結べ!
単衣抄 P1514
『三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間或は寺を追い出され或は処をおわれ或は親類を煩はされ或は夜打ちにあひ或は合戦にあひ或は悪口数をしらず或は打たれ或は手を負う或は弟子を殺され或は頚を切られんとし或は流罪両度に及べり、二十余年が間一時片時も心安き事なし』
☆四季の語らい
強い人ほど謙虚であり、確信の人ほど寛容なのです。
☆女性に贈ることば 五月十七日
家族のため、近隣のために、自分らしく、誠実に精一杯の努カをして生きてきた女性の一生は、平凡であっても、尊く美しい。
☆今日のことば365 五月十七日
会議は、議論のための議論であってはならない。本当に真剣であれば、おのずから知恵が湧いてくる。
☆5・5「創価学会後継者の日」40周年 首都圏で原田会長と共に記念大会
2030年へ、希望の前進! 「創価学会後継者の日」が5日、制定40周年を迎えた。池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は未来部の友にメッセージを贈り、「自分にしか歩めない使命と栄光の道を、堂々と力走していってください」と呼び掛けた(2面に掲載)。関西(4月29日)に続き、首都圏の記念大会が5日、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で開催され、原田会長が出席した。
「5月3日が学会の永遠の原点の日ならば、5月5日の『創価学会後継者の日』は永遠の希望の日です」(『未来対話』)
この"希望の日"が誕生したのは1976年5月5日。関西で開かれた未来部の会合の折、SGI会長によって、毎年5月5日を「創価学会後継者の日」とすることが発表された。
さらに席上、未来部が堅持する指針として、「健康でいこう」「本を読もう」「常識を忘れないでいこう」「決して焦らないでいこう」「友人をたくさんつくろう」「まず自らが福運をつけよう」の6項目が贈られた(2013年、七つ目として「親孝行しよう」がSGI会長によって加えられた)。
以来、師の真心を抱き締めて学びの青春時代を送り、使命の道を歩んできた鳳雛たち。未来部出身者は国内外の各分野のリーダーとして活躍している。
SGI会長が未来部に寄せる期待は一貫して変わらない。世界広布新時代を生きる未来部の友は、師の励ましに応えようと誓いも新たに前進している。
首都圏の記念大会では、石黒未来本部長のあいさつに続き、吉野桜香さん(小学6年)が、SGI会長の著作を合唱団や家で学ぶ中で勇気の心を湧かせ、人間関係に悩む友人に励ましを送ることができた様子を報告。また��優子さん(中学3年)は、学会家族の庭で自分らしく成長する誇りと、美術の授業で作った作品が区で評価された喜びを披歴した。村木香一君(高校2年)は、SGI会長が世界に開いた友情の道に続こうと語学に挑戦する決意を語った。
木�未来部長、山本女子未来部長は「今いる場所で努力を重ね、夢に向かって勇気の一歩を」と呼び掛けた。
原田会長は、一人も残らず師の心を受け継ぐ後継者として世界に羽ばたき、周囲の希望と輝く人材に大成長をと念願した。
最後に、参加者全員で未来部歌「正義の走者」を力強く歌った。
2016.05.18 わが友に贈る
人生は自身との戦いだ。
朗々たる題目で
「たゆむ心」を拝し
眼前の課題に
「つよる心」で挑み抜け!
新池御書 P1439
『かかる悪所にゆけば王位将軍も物ならず獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず、此の時は争か名聞名利我慢偏執有るべきや』
☆四季の語らい
グチや怠惰は、老いを加速する。指導者が生き生きと進んでこそ、菅も元気になる。前進に勢いが生まれる。
☆女性に贈ることば 五月十八日
いちばん大切な生命を守り育みゆく、女性の智慧と慈悲の結集にこそ、人類史の転換は託されている。
偉大なる母性の力は、権力にも勝る。
☆今日のことば365 五月十八日
新緑ほど、生き生きとした生命の輝きと躍動を感じさせるものはない。
その緑一色も、よく見ると、実に多種多様な一本一本の草から成り立っている。それらは、多く雑草と呼ばれ、あまり名も知られていない。この雑草は、何の飾り気もなく、ありのままの姿で、精一杯生きようとしている。
☆5・3に寄せて 芸術部 女優 柴田理恵さん
◇人々に希望を送る太陽の存在に
栄光燦たる5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」、誠におめでとうございます。この記念すべき日を、お元気な池田先生、奥様と共に迎えることができ、これ以上の喜びはありません。
今日までの創価学会の歴史は、牧口先生、戸田先生、池田先生という三代の会長のもと、「宿命に負けるものか」「病魔に負けるものか」と、人間革命、境涯革命に励んできた、無数の庶民の人生の歩みそのものであると思います。一体、どれほどの人たちの勝利劇が、つづられてきたことでしょう。いつも、座談会や聖教新聞などを通してそのドラマを知り、深く感動しながら、信心を学ばせていただいています。
私自身、忘れもしない1992年(平成4年)の1月5日。杉並・中野合同総会で、池田先生に「希望の女優になりなさい」との大激励をいただきました。これが私の一番の原点です。
当時の私は仕事に恵まれず、正直、悩んでいました。しかし、先生の励ましで霧が晴れ、心に太陽が昇るような思いがしました。
そうだ、何があっても、私が太陽になればいいんだ。そうすれば、全ての闇は消える。太陽のような希望の女優になって、多くの方々に希望を与える存在になっていこう。これが私の使命なのだと、深く生命に刻むことができました。
その後、先生との原点を胸に挑戦を重ね、映画、舞台、テレビと使命のステージを広げることができました。
池田先生は、「信心とは無限の希望である」と教えてくださっています。「苦しくとも、断じて勝て、何かで勝て、最後には勝て」と弟子の勝利をひたすらに祈ってくださっています。
「5・3」は弟子が立ち上がる日です。誓願の祈りを根本に、これからも、師匠と共に、同志と共に、世界広宣流布にまい進していきます。
朗々たる題目で
「たゆむ心」を拝し
眼前の課題に
「つよる心」で挑み抜け!
新池御書 P1439
『かかる悪所にゆけば王位将軍も物ならず獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず、此の時は争か名聞名利我慢偏執有るべきや』
☆四季の語らい
グチや怠惰は、老いを加速する。指導者が生き生きと進んでこそ、菅も元気になる。前進に勢いが生まれる。
☆女性に贈ることば 五月十八日
いちばん大切な生命を守り育みゆく、女性の智慧と慈悲の結集にこそ、人類史の転換は託されている。
偉大なる母性の力は、権力にも勝る。
☆今日のことば365 五月十八日
新緑ほど、生き生きとした生命の輝きと躍動を感じさせるものはない。
その緑一色も、よく見ると、実に多種多様な一本一本の草から成り立っている。それらは、多く雑草と呼ばれ、あまり名も知られていない。この雑草は、何の飾り気もなく、ありのままの姿で、精一杯生きようとしている。
☆5・3に寄せて 芸術部 女優 柴田理恵さん
◇人々に希望を送る太陽の存在に
栄光燦たる5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」、誠におめでとうございます。この記念すべき日を、お元気な池田先生、奥様と共に迎えることができ、これ以上の喜びはありません。
今日までの創価学会の歴史は、牧口先生、戸田先生、池田先生という三代の会長のもと、「宿命に負けるものか」「病魔に負けるものか」と、人間革命、境涯革命に励んできた、無数の庶民の人生の歩みそのものであると思います。一体、どれほどの人たちの勝利劇が、つづられてきたことでしょう。いつも、座談会や聖教新聞などを通してそのドラマを知り、深く感動しながら、信心を学ばせていただいています。
私自身、忘れもしない1992年(平成4年)の1月5日。杉並・中野合同総会で、池田先生に「希望の女優になりなさい」との大激励をいただきました。これが私の一番の原点です。
当時の私は仕事に恵まれず、正直、悩んでいました。しかし、先生の励ましで霧が晴れ、心に太陽が昇るような思いがしました。
そうだ、何があっても、私が太陽になればいいんだ。そうすれば、全ての闇は消える。太陽のような希望の女優になって、多くの方々に希望を与える存在になっていこう。これが私の使命なのだと、深く生命に刻むことができました。
その後、先生との原点を胸に挑戦を重ね、映画、舞台、テレビと使命のステージを広げることができました。
池田先生は、「信心とは無限の希望である」と教えてくださっています。「苦しくとも、断じて勝て、何かで勝て、最後には勝て」と弟子の勝利をひたすらに祈ってくださっています。
「5・3」は弟子が立ち上がる日です。誓願の祈りを根本に、これからも、師匠と共に、同志と共に、世界広宣流布にまい進していきます。
2016年5月16日月曜日
2016.05.16 わが友に贈る
◇今週のことば
徹して「一人を大切に」
ここに創価の人間学が。
不軽菩薩のごとく
勇敢に そして粘り強く
最前線で信念の対話を!
2016年05月16日
最蓮房御返事 P1343
『我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ』
☆四季の語らい
人生の戦いにあっては、「最後に必ず勝つ」とまず決めて、そこに向かって、強く、楽しく進んでいくことである。臆病ではいけない。楽観主義の強靭な精神力でいくべきである。
☆女性に贈ることば 五月十六日
憂鬱な人生よ、去れ!
悲惨な人生よ、去れ!
愚かな人生よ、去れ!
無駄な道を歩むな!
絶望の道を歩むな!
賢く生き抜いてこそ、青春だ。
☆今日のことば365 五月十六日
夢は どこまでも夢である
故に 私はながめるだけでなく
厳しい批判のなかにあっても
実践という悔いのない一点を持続する
☆5・3「創価学会の日」記念特集〈下〉 5月3日 アメリカ創価大学が開学15周年 2016年5月5日
◇教養大学全米トップ50に選出
◇1期生100人中12人が博士号を取得
「戦争の世紀」に終止符を打ち、「平和の世紀」「生命尊厳の世紀」を——アメリカ創価大学(SUA)オレンジ郡キャンパスが今月3日、開学から15周年の佳節を迎えた。創立者・池田SGI会長は、建学への思いをこう述べている。「全部、21世紀のためです。ここから、21世紀を創めるのです。ここから、21世紀を創るのです」と。特集�では、SUAの取り組みやハブキ学長の談話などを紹介する。
「貢献的人生を歩む地球市民の育成」を目指すSUA。カリフォルニア州・アリソビエホ市の丘に立つキャンパスは、まさに世界の縮図である。五大州から人種や宗教も異なる学生が集い合い、寮生活を通じて、多様性を尊ぶ人格を磨く。
リベラルアーツ・カレッジ(教養大学)であるSUAの授業は、全て少人数制。哲学や文学、数学、自然科学、社会学など万般の学問を学ぶ。徹底した議論を通して、本質を見抜く力や、多角的な考え方を養う。
留学も必修だ。日本語、中国語、スペイン語、フランス語から一つを選択し、その言語圏に渡る。
卒業生の進路は多岐に及ぶ。研究者や医師、弁護士、外交官、教員のほか、国際機関で難民支援や持続的な開発に従事する友も。
また毎年、多くのメンバーが大学院に進学。これまで、英国のオックスフォード、ケンブリッジ、米国のコロンビア、ハーバード、エール、スタンフォードなどの有名大学院にも進んでいる。昨年、卒業10周年を迎えた1期生は、全100人中43人が修士以上の課程を修了。うち12人が博士号を取得している。
こうした実績への評価は高まるばかりだ。
昨年、米メディア会社「USニューズ・アンド・ワールド・リポート」が発表した全米大学ランキングでは、約250校あるリベラルアーツ大学で、SUAは総合45位に。さらに、奨学金の充実度と教育水準の両方を審査する「ベスト・バリュー・スクールズ」部門では、創立100年を超す名門校が上位を占める中、堂々の4位に輝いた。
さらに開学以来、ノーベル賞受賞者や各界の識者が多数来学。人権闘争の母ローザ・パークス氏も生前、オレンジ郡キャンパスの誕生を待望していた。"世界の知性"から大きな期待が寄せられている。
徹して「一人を大切に」
ここに創価の人間学が。
不軽菩薩のごとく
勇敢に そして粘り強く
最前線で信念の対話を!
2016年05月16日
最蓮房御返事 P1343
『我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ』
☆四季の語らい
人生の戦いにあっては、「最後に必ず勝つ」とまず決めて、そこに向かって、強く、楽しく進んでいくことである。臆病ではいけない。楽観主義の強靭な精神力でいくべきである。
☆女性に贈ることば 五月十六日
憂鬱な人生よ、去れ!
悲惨な人生よ、去れ!
愚かな人生よ、去れ!
無駄な道を歩むな!
絶望の道を歩むな!
賢く生き抜いてこそ、青春だ。
☆今日のことば365 五月十六日
夢は どこまでも夢である
故に 私はながめるだけでなく
厳しい批判のなかにあっても
実践という悔いのない一点を持続する
☆5・3「創価学会の日」記念特集〈下〉 5月3日 アメリカ創価大学が開学15周年 2016年5月5日
◇教養大学全米トップ50に選出
◇1期生100人中12人が博士号を取得
「戦争の世紀」に終止符を打ち、「平和の世紀」「生命尊厳の世紀」を——アメリカ創価大学(SUA)オレンジ郡キャンパスが今月3日、開学から15周年の佳節を迎えた。創立者・池田SGI会長は、建学への思いをこう述べている。「全部、21世紀のためです。ここから、21世紀を創めるのです。ここから、21世紀を創るのです」と。特集�では、SUAの取り組みやハブキ学長の談話などを紹介する。
「貢献的人生を歩む地球市民の育成」を目指すSUA。カリフォルニア州・アリソビエホ市の丘に立つキャンパスは、まさに世界の縮図である。五大州から人種や宗教も異なる学生が集い合い、寮生活を通じて、多様性を尊ぶ人格を磨く。
リベラルアーツ・カレッジ(教養大学)であるSUAの授業は、全て少人数制。哲学や文学、数学、自然科学、社会学など万般の学問を学ぶ。徹底した議論を通して、本質を見抜く力や、多角的な考え方を養う。
留学も必修だ。日本語、中国語、スペイン語、フランス語から一つを選択し、その言語圏に渡る。
卒業生の進路は多岐に及ぶ。研究者や医師、弁護士、外交官、教員のほか、国際機関で難民支援や持続的な開発に従事する友も。
また毎年、多くのメンバーが大学院に進学。これまで、英国のオックスフォード、ケンブリッジ、米国のコロンビア、ハーバード、エール、スタンフォードなどの有名大学院にも進んでいる。昨年、卒業10周年を迎えた1期生は、全100人中43人が修士以上の課程を修了。うち12人が博士号を取得している。
こうした実績への評価は高まるばかりだ。
昨年、米メディア会社「USニューズ・アンド・ワールド・リポート」が発表した全米大学ランキングでは、約250校あるリベラルアーツ大学で、SUAは総合45位に。さらに、奨学金の充実度と教育水準の両方を審査する「ベスト・バリュー・スクールズ」部門では、創立100年を超す名門校が上位を占める中、堂々の4位に輝いた。
さらに開学以来、ノーベル賞受賞者や各界の識者が多数来学。人権闘争の母ローザ・パークス氏も生前、オレンジ郡キャンパスの誕生を待望していた。"世界の知性"から大きな期待が寄せられている。
2016年5月15日日曜日
2016.05.15 わが友に贈る
新しい発想
果敢な行動が
時代を変える力だ。
後継の青年部よ
その先頭に立て!
松野殿御返事 P1389
『命終りなば三日の内に水と成りて流れ塵と成りて地にまじはり煙と成りて天にのぼりあともみえずなるべき身を養はんとて多くの財をたくはふ、此のことはりは事ふり候ぬ但し当世の体こそ哀れに候へ』
☆四季の語らい
「庶民のリーダー」とは、平凡なようであって、実は一番強靭で、一番尊いリーダーなのである。
☆女性に贈ることば 五月十五日
自分自身をつくることです。自分のなかに、幸福の引力をもつことです。自分が幸福の太陽になって、一家も一族をも照らしていくのです。
☆今日のことば365 五月十五日
しかられて、一時は自信を失っても、そのなかから、次に湧き上がってくる自信が、真実の自信である。そこで崩れてしまうような自信は、本当の自身ではない。
☆5・3「創価学会の日」記念特集〈下〉 SUA開学15周年 ハブキ学長
◇多様性光る学舎から世界に貢献する逸材を
「5月3日の開学」。これは、SUAにとって最大の誇りです。
1998年ごろ、創立者に「このまま工事が順調にいけば、早ければ99年秋から授業を開始できるかもしれません」と報告したことがありました。しかし、それに対し創立者は、"慌てなくていいんだ。SUAの開学は、2001年の5月3日にしよう"と提案されたのです。
"21世紀最初の「5・3」に"——ここに、創立者の深いお心を感じてなりません。
先日、キャンパスでゴミを拾われているご夫婦がいました。真心からの感謝を伝えると、「私たちはこの大学が大好きで、毎日散歩に来ているの。学生も教職員も明るくあいさつしてくれて、とても気持ちがいいわ。だから、せめてものお礼として、最近は袋を持参してゴミを拾うようにしているのよ」と。
開学当初、思い描いたことがあります。それは——例えば、ケンブリッジに暮らす人々が「あのハーバード大学のある都市です」と言うように、「あのSUAがあるアリソビエホ出身です!」と、地域の方々が誇れるような大学にしたいということでした。まだまだこれからですが、皆さんに愛される大学へと少しずつ成長していることを、とてもうれしく思います。
昨年8月、卒業10周年を迎えた1期生たちがキャンパスに戻ってきてくれました。休暇を取ったり、費用を捻出したりと簡単ではなかったはずですが、100人のうち79人もの1期生が一堂に会しました。参加できなかった人からも多くの連絡があり、大学に関わってきた人間として、これほどの喜びはありません。
創立者は折々、"大学の価値は、卒業生がその後どのような人生を歩むかで決まる"と言われています。
SUAは、学者や経営者、教育者らを育てることだけでなく、各国から多様な学生が集い合い、自分の夢や使命を見いだしていくための大学です。
20年、30年先には、さまざまな分野でSUAの真価が発揮される時代が来ると確信しています。
開学前、創立者は一首の和歌を贈ってくださいました。「アメリカの わが創大は わが生命 秀才 逸材 無限に育てよ」と。
これからも、努力に努力を重ねる「秀才」を、より良い社会をリードする「逸材」を、陸続と輩出していきたいと決意しています。
支えてくださる全ての方々への感謝を胸に、21世紀、さらには、その先の未来にまで「希望の光」を送りゆく学舎になれるよう、理想の大学建設に努めてまいります。
果敢な行動が
時代を変える力だ。
後継の青年部よ
その先頭に立て!
松野殿御返事 P1389
『命終りなば三日の内に水と成りて流れ塵と成りて地にまじはり煙と成りて天にのぼりあともみえずなるべき身を養はんとて多くの財をたくはふ、此のことはりは事ふり候ぬ但し当世の体こそ哀れに候へ』
☆四季の語らい
「庶民のリーダー」とは、平凡なようであって、実は一番強靭で、一番尊いリーダーなのである。
☆女性に贈ることば 五月十五日
自分自身をつくることです。自分のなかに、幸福の引力をもつことです。自分が幸福の太陽になって、一家も一族をも照らしていくのです。
☆今日のことば365 五月十五日
しかられて、一時は自信を失っても、そのなかから、次に湧き上がってくる自信が、真実の自信である。そこで崩れてしまうような自信は、本当の自身ではない。
☆5・3「創価学会の日」記念特集〈下〉 SUA開学15周年 ハブキ学長
◇多様性光る学舎から世界に貢献する逸材を
「5月3日の開学」。これは、SUAにとって最大の誇りです。
1998年ごろ、創立者に「このまま工事が順調にいけば、早ければ99年秋から授業を開始できるかもしれません」と報告したことがありました。しかし、それに対し創立者は、"慌てなくていいんだ。SUAの開学は、2001年の5月3日にしよう"と提案されたのです。
"21世紀最初の「5・3」に"——ここに、創立者の深いお心を感じてなりません。
先日、キャンパスでゴミを拾われているご夫婦がいました。真心からの感謝を伝えると、「私たちはこの大学が大好きで、毎日散歩に来ているの。学生も教職員も明るくあいさつしてくれて、とても気持ちがいいわ。だから、せめてものお礼として、最近は袋を持参してゴミを拾うようにしているのよ」と。
開学当初、思い描いたことがあります。それは——例えば、ケンブリッジに暮らす人々が「あのハーバード大学のある都市です」と言うように、「あのSUAがあるアリソビエホ出身です!」と、地域の方々が誇れるような大学にしたいということでした。まだまだこれからですが、皆さんに愛される大学へと少しずつ成長していることを、とてもうれしく思います。
昨年8月、卒業10周年を迎えた1期生たちがキャンパスに戻ってきてくれました。休暇を取ったり、費用を捻出したりと簡単ではなかったはずですが、100人のうち79人もの1期生が一堂に会しました。参加できなかった人からも多くの連絡があり、大学に関わってきた人間として、これほどの喜びはありません。
創立者は折々、"大学の価値は、卒業生がその後どのような人生を歩むかで決まる"と言われています。
SUAは、学者や経営者、教育者らを育てることだけでなく、各国から多様な学生が集い合い、自分の夢や使命を見いだしていくための大学です。
20年、30年先には、さまざまな分野でSUAの真価が発揮される時代が来ると確信しています。
開学前、創立者は一首の和歌を贈ってくださいました。「アメリカの わが創大は わが生命 秀才 逸材 無限に育てよ」と。
これからも、努力に努力を重ねる「秀才」を、より良い社会をリードする「逸材」を、陸続と輩出していきたいと決意しています。
支えてくださる全ての方々への感謝を胸に、21世紀、さらには、その先の未来にまで「希望の光」を送りゆく学舎になれるよう、理想の大学建設に努めてまいります。
2016年5月14日土曜日
2016.05.14 わが友に贈る
信心とは勇気だ。
弱い自分に打ち勝ち
今日も挑戦の一歩を!
その実践の積み重ねが
偉大な境涯を開く。
開目抄下 P231
『順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり』
☆四季の語らい
どうすれば、皆が一番安心し、皆が一番伸び伸びと、希望に燃え、喜びに燃えて前進できるか。その一点を常に祈り、考え、全力で行動していく。それが人間主義のリーダーである。また陰で支えてくださる人を大切にし、配慮できる、こまやかさ、温かさ、責任感が真の指導者の要件である。
☆女性に贈ることば 五月十四日
叱るといっても、親が理由も言わずに、怒りにまかせて叱ってばかりいると、子どもがおびえます。そして、とにかく「慈られないように」「叱られないように」と、一種のずるさを身につけてしまうこともある。
そんなことを繰り返しているうちに、大事な時にも親の言うことに耳を傾けなくなってしまう。
☆今日のことば365 五月十四日
若い時代に、天下を取ったら、老人の意見を大事にしなければならぬ。逆に、老人となって、天下を動かすときは、必ず若い人の意見を聞いてやらねばならぬ。
☆5・3「創価学会の日」記念特集〈中〉 「母」の歌 誕生から40周年 2016年5月4日
本年、池田SGI会長が作詞した「母」の歌の誕生から40周年の佳節を迎える。「『母』の詩にメロディーをつけて、わが母を、婦人部員を、そして、世界のすべての母たちを讃えたかった」——SGI会長の願いは国境を越え、「母」は、世界13言語で愛唱されている。特集�では、5月3日「創価学会母の日」を記念し、「母」にまつわるドラマを紹介する。
母
作詞 山本伸一
作曲 松原真美・松本真理子
一、母よ あなたは
なんと不思議な 豊富な力を
もっているのか
もしも この世に
あなたがいなければ
還るべき大地を失い
かれらは永遠に 放浪う
二、母よ わが母
風雪に耐え 悲しみの合掌を
繰り返した 母よ
あなたの願いが翼となって
天空に舞いくる日まで
達者にと 祈る
三、母よ あなたの
思想と聡明さで 春を願う
地球の上に
平安の楽符を 奏でてほしい
その時 あなたは
人間世紀の母として 生きる
"庶民の母"たちを讃えて
「母」の歌——。それは1976年(昭和51年)8月5日、東京での婦人部研修会の席上、池田SGI会長から発表された。
歌詞は、71年にSGI会長が詠んだ長編詩「母」が基になっている。
その詩は、「母たちが人間革命し、さらに聡明になり、この母性の美質を、思想化していくなかに、確かなる平和の大道が開かれる」との、SGI会長の信念の結晶だった。
5年後の76年7月18日、SGI会長は、音楽大学出身の2人の女子部員に「母」の曲作りを依頼した。
"青春の思い出を歌った「森ケ崎海岸」のような曲調に"——SGI会長の要望に応え、2人は約18日間で、流麗なメロディーを紡ぎ出した。
「母」の歌が完成したのは、SGI会長の母・一さんが逝去する1カ月前のことであった。
曲を収めたテープを何度も聴いた一さんは、ほほ笑みを浮かべ、うれしそうにうなずいていたという。
戦中・戦後の苦難を勝ち越えた母へ。広布のために献身する全世界の婦人部員へ。平和を守り、未来を育む庶民の母たちへ——。
歌詞にあふれる感謝と称賛の心は、美しい「平安の楽符」と共に、不滅の輝きを放ち続ける。
歌い継がれる慈愛の心
素晴らしく
妙音の歌
奏でたる
何と偉大な
平和の母らよ
これは、SGI会長が、婦人部の「白ゆり合唱団」に贈った和歌である。
結成54周年となる同合唱団。彼女たちが最も大切に歌い続ける曲。それが「母」だ。
♪母よ わが母
風雪に耐え……
2番に入ると、その歌声には、一段と心がこもる。
生命を慈しみ、育み、守り抜く「母」への感謝。「母」を悲しませない心の広がりが、世界の平和に通じていくとの信念。
歌詞にあふれるSGI会長の真心を、一人でも多くの人に届けたい。日本語だけでなく、各国の言語で、「母」を歌い継いできた。
東京・信濃町の創価世界女性会館には、「母」の歌碑が設置され、SGI会長夫妻の碑文が刻まれている。
「おお 明るい母の声こそ勇気の響きなり。
母を思えば乗り越えられぬ試練はない」
師と共に、広布の草創を開いた幾多の無名の母たちに続き、宿命転換の実証を示す。その闘争の中でこそ、生命を揺さぶる歌声を響かせることができる。これが、白ゆり合唱団の魂である。
団長の佐藤みどりさん(婦人部副本部長)も、「母」を歌いながら、幾多の苦難をはね返してきた。
1999年7月の本部幹部会。佐藤さんは初めて、合唱の指揮を執った。歌声を聴いたSGI会長は、「日本一の合唱団です!」と、喝采を送った。
翌年、佐藤さんを試練が襲う。夫の省吾さんがステージ4の直腸がんと宣告されたのだ。さらに、夫婦で営む建築会社の業績が悪化し、倒産の危機に陥った。
しかし、母は屈しなかった。「池田先生、必ず勝ちます!」——歌声に師弟勝利の誓いを込めた。地区婦人部長(当時)としても、拡大に走り続けた。
その結果、医師も驚くほどの回復で、省吾さんは、がんを克服する。以来、10年以上、支部長を務め、夫婦で広布に奮闘してきた。
度重なる経済苦も勝ち越え、地元・千葉県野田市の自宅を広布の会場として提供している。4人の子も学会の庭で成長し、一家和楽を築いた。
誕生から40年。「母」は、全国の婦人部の合唱団をはじめ、壮年・青年・未来部など、各部・各地で愛唱されてきた。母の幸福と平和を願うSGI会長の心は、感動の涙、共感の拍手と共に広がっている。
◇ ◆ ◇
東京と千葉をつなぐ東西線。門前仲町・木場・東陽町の3駅区間と並行する永代通りでは毎日、公共のスピーカーから、「母」が流れている。
その慈愛と希望のメロディーに、多くの人々が勇気づけられ、人生を勝ち開いてきた。宮崎県西都市に住む松坂律子さん(白ゆり長)も、その一人。
9年前、中学2年の長男・幸太朗さんが突然、右足の痛みを訴えた。診断は「デスモイド腫瘍」。大腿部はこぶのように腫れ、歩行に障害が生じた。
福岡の病院に通っていたものの、2年後、"足の切断を覚悟してほしい"と告げられる。
切断を免れるわずかな可能性を信じ、松坂さん親子は上京。江東区の病院で手術に臨むことになった。
入院の間、松坂さんは門前仲町の宿舎に泊まり、毎日、幸太朗さんを見舞う。
あまりにも重い病状。慣れない東京での暮らし。不安を抱え、うつむきがちに横断歩道を渡っていた時、聴き慣れたメロディーを耳にした。「母」の曲だった。
松坂さんは語る。
「その瞬間、故郷に帰ってきたような気持ちになり、ほっと安心しました。"池田先生が私たち親子を見守ってくださっているのだ"と感じたのです。心が前向きになり、息子と一緒に病気と闘う元気が出ました」
その後、幸太朗さんは4回の手術を勝ち越えた。現在は、薬剤師を目指し、熊本大学で学ぶ。これまで3人の友人に弘教。熊本総県の学生部副書記長として、使命の道を歩む。
松坂さんは今年で入会40周年。くしくも、「母」の歌の軌跡と一致する。
これからも、親子の勝利劇は続く。麗しい「母」の旋律と共に——。
世界に広がるメロディー
昨年11月。48カ国・地域の女子部・婦人部のリーダーらが出席し、東京で第2回「世界女性平和会議」が開催された。
その折、日本の芸術部の代表が独唱したのは、英語版の「母」。場内は、大きな感動に包まれた。
オーストリアの元文部次官で、声楽家のユッタ・ウンカルト=サイフェルト博士は、次のように語る。
「『母』は、今や私の『十八番』です。日本以外でもよく歌ってきました」「歌い終えると、常に会場は満場の喝采に包まれます」
SGI会長と9度、会見した博士。1991年8月には、札幌での本部幹部会に来賓として出席し、「母」の歌を、ドイツ語と日本語で歌い上げた。
博士は言う。"「母」は、人々の心を和ませる曲です。全ての人に共通する希望のメロディーです"
アメリカ・エマソン協会元会長のサーラ・ワイダー博士もまた、「母」の歌を愛する一人である。
博士は、創価世界女性会館を訪れた際、白ゆり合唱団が歌った「母」に、深い感銘を受けたという。
「彼女たちの力強い歌声は、より深い理解に包まれた世界を創ろうと、ともに奮闘する女性たちの強さを示すものでした」と。
そして、こうした合唱や演奏の場にこそ、「"音楽を通じて、人間の持つ可能性を呼び覚ますことができる"との池田会長の信念が、見事に息づいています」と評価する。
母こそ、万物の「心の故郷」であり、生命を慈しむ「平和の体現者」である。
SGI会長の心は、世界へ、未来へと、永遠に伝わっていく
弱い自分に打ち勝ち
今日も挑戦の一歩を!
その実践の積み重ねが
偉大な境涯を開く。
開目抄下 P231
『順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり』
☆四季の語らい
どうすれば、皆が一番安心し、皆が一番伸び伸びと、希望に燃え、喜びに燃えて前進できるか。その一点を常に祈り、考え、全力で行動していく。それが人間主義のリーダーである。また陰で支えてくださる人を大切にし、配慮できる、こまやかさ、温かさ、責任感が真の指導者の要件である。
☆女性に贈ることば 五月十四日
叱るといっても、親が理由も言わずに、怒りにまかせて叱ってばかりいると、子どもがおびえます。そして、とにかく「慈られないように」「叱られないように」と、一種のずるさを身につけてしまうこともある。
そんなことを繰り返しているうちに、大事な時にも親の言うことに耳を傾けなくなってしまう。
☆今日のことば365 五月十四日
若い時代に、天下を取ったら、老人の意見を大事にしなければならぬ。逆に、老人となって、天下を動かすときは、必ず若い人の意見を聞いてやらねばならぬ。
☆5・3「創価学会の日」記念特集〈中〉 「母」の歌 誕生から40周年 2016年5月4日
本年、池田SGI会長が作詞した「母」の歌の誕生から40周年の佳節を迎える。「『母』の詩にメロディーをつけて、わが母を、婦人部員を、そして、世界のすべての母たちを讃えたかった」——SGI会長の願いは国境を越え、「母」は、世界13言語で愛唱されている。特集�では、5月3日「創価学会母の日」を記念し、「母」にまつわるドラマを紹介する。
母
作詞 山本伸一
作曲 松原真美・松本真理子
一、母よ あなたは
なんと不思議な 豊富な力を
もっているのか
もしも この世に
あなたがいなければ
還るべき大地を失い
かれらは永遠に 放浪う
二、母よ わが母
風雪に耐え 悲しみの合掌を
繰り返した 母よ
あなたの願いが翼となって
天空に舞いくる日まで
達者にと 祈る
三、母よ あなたの
思想と聡明さで 春を願う
地球の上に
平安の楽符を 奏でてほしい
その時 あなたは
人間世紀の母として 生きる
"庶民の母"たちを讃えて
「母」の歌——。それは1976年(昭和51年)8月5日、東京での婦人部研修会の席上、池田SGI会長から発表された。
歌詞は、71年にSGI会長が詠んだ長編詩「母」が基になっている。
その詩は、「母たちが人間革命し、さらに聡明になり、この母性の美質を、思想化していくなかに、確かなる平和の大道が開かれる」との、SGI会長の信念の結晶だった。
5年後の76年7月18日、SGI会長は、音楽大学出身の2人の女子部員に「母」の曲作りを依頼した。
"青春の思い出を歌った「森ケ崎海岸」のような曲調に"——SGI会長の要望に応え、2人は約18日間で、流麗なメロディーを紡ぎ出した。
「母」の歌が完成したのは、SGI会長の母・一さんが逝去する1カ月前のことであった。
曲を収めたテープを何度も聴いた一さんは、ほほ笑みを浮かべ、うれしそうにうなずいていたという。
戦中・戦後の苦難を勝ち越えた母へ。広布のために献身する全世界の婦人部員へ。平和を守り、未来を育む庶民の母たちへ——。
歌詞にあふれる感謝と称賛の心は、美しい「平安の楽符」と共に、不滅の輝きを放ち続ける。
歌い継がれる慈愛の心
素晴らしく
妙音の歌
奏でたる
何と偉大な
平和の母らよ
これは、SGI会長が、婦人部の「白ゆり合唱団」に贈った和歌である。
結成54周年となる同合唱団。彼女たちが最も大切に歌い続ける曲。それが「母」だ。
♪母よ わが母
風雪に耐え……
2番に入ると、その歌声には、一段と心がこもる。
生命を慈しみ、育み、守り抜く「母」への感謝。「母」を悲しませない心の広がりが、世界の平和に通じていくとの信念。
歌詞にあふれるSGI会長の真心を、一人でも多くの人に届けたい。日本語だけでなく、各国の言語で、「母」を歌い継いできた。
東京・信濃町の創価世界女性会館には、「母」の歌碑が設置され、SGI会長夫妻の碑文が刻まれている。
「おお 明るい母の声こそ勇気の響きなり。
母を思えば乗り越えられぬ試練はない」
師と共に、広布の草創を開いた幾多の無名の母たちに続き、宿命転換の実証を示す。その闘争の中でこそ、生命を揺さぶる歌声を響かせることができる。これが、白ゆり合唱団の魂である。
団長の佐藤みどりさん(婦人部副本部長)も、「母」を歌いながら、幾多の苦難をはね返してきた。
1999年7月の本部幹部会。佐藤さんは初めて、合唱の指揮を執った。歌声を聴いたSGI会長は、「日本一の合唱団です!」と、喝采を送った。
翌年、佐藤さんを試練が襲う。夫の省吾さんがステージ4の直腸がんと宣告されたのだ。さらに、夫婦で営む建築会社の業績が悪化し、倒産の危機に陥った。
しかし、母は屈しなかった。「池田先生、必ず勝ちます!」——歌声に師弟勝利の誓いを込めた。地区婦人部長(当時)としても、拡大に走り続けた。
その結果、医師も驚くほどの回復で、省吾さんは、がんを克服する。以来、10年以上、支部長を務め、夫婦で広布に奮闘してきた。
度重なる経済苦も勝ち越え、地元・千葉県野田市の自宅を広布の会場として提供している。4人の子も学会の庭で成長し、一家和楽を築いた。
誕生から40年。「母」は、全国の婦人部の合唱団をはじめ、壮年・青年・未来部など、各部・各地で愛唱されてきた。母の幸福と平和を願うSGI会長の心は、感動の涙、共感の拍手と共に広がっている。
◇ ◆ ◇
東京と千葉をつなぐ東西線。門前仲町・木場・東陽町の3駅区間と並行する永代通りでは毎日、公共のスピーカーから、「母」が流れている。
その慈愛と希望のメロディーに、多くの人々が勇気づけられ、人生を勝ち開いてきた。宮崎県西都市に住む松坂律子さん(白ゆり長)も、その一人。
9年前、中学2年の長男・幸太朗さんが突然、右足の痛みを訴えた。診断は「デスモイド腫瘍」。大腿部はこぶのように腫れ、歩行に障害が生じた。
福岡の病院に通っていたものの、2年後、"足の切断を覚悟してほしい"と告げられる。
切断を免れるわずかな可能性を信じ、松坂さん親子は上京。江東区の病院で手術に臨むことになった。
入院の間、松坂さんは門前仲町の宿舎に泊まり、毎日、幸太朗さんを見舞う。
あまりにも重い病状。慣れない東京での暮らし。不安を抱え、うつむきがちに横断歩道を渡っていた時、聴き慣れたメロディーを耳にした。「母」の曲だった。
松坂さんは語る。
「その瞬間、故郷に帰ってきたような気持ちになり、ほっと安心しました。"池田先生が私たち親子を見守ってくださっているのだ"と感じたのです。心が前向きになり、息子と一緒に病気と闘う元気が出ました」
その後、幸太朗さんは4回の手術を勝ち越えた。現在は、薬剤師を目指し、熊本大学で学ぶ。これまで3人の友人に弘教。熊本総県の学生部副書記長として、使命の道を歩む。
松坂さんは今年で入会40周年。くしくも、「母」の歌の軌跡と一致する。
これからも、親子の勝利劇は続く。麗しい「母」の旋律と共に——。
世界に広がるメロディー
昨年11月。48カ国・地域の女子部・婦人部のリーダーらが出席し、東京で第2回「世界女性平和会議」が開催された。
その折、日本の芸術部の代表が独唱したのは、英語版の「母」。場内は、大きな感動に包まれた。
オーストリアの元文部次官で、声楽家のユッタ・ウンカルト=サイフェルト博士は、次のように語る。
「『母』は、今や私の『十八番』です。日本以外でもよく歌ってきました」「歌い終えると、常に会場は満場の喝采に包まれます」
SGI会長と9度、会見した博士。1991年8月には、札幌での本部幹部会に来賓として出席し、「母」の歌を、ドイツ語と日本語で歌い上げた。
博士は言う。"「母」は、人々の心を和ませる曲です。全ての人に共通する希望のメロディーです"
アメリカ・エマソン協会元会長のサーラ・ワイダー博士もまた、「母」の歌を愛する一人である。
博士は、創価世界女性会館を訪れた際、白ゆり合唱団が歌った「母」に、深い感銘を受けたという。
「彼女たちの力強い歌声は、より深い理解に包まれた世界を創ろうと、ともに奮闘する女性たちの強さを示すものでした」と。
そして、こうした合唱や演奏の場にこそ、「"音楽を通じて、人間の持つ可能性を呼び覚ますことができる"との池田会長の信念が、見事に息づいています」と評価する。
母こそ、万物の「心の故郷」であり、生命を慈しむ「平和の体現者」である。
SGI会長の心は、世界へ、未来へと、永遠に伝わっていく
2016年5月13日金曜日
2016.05.13 わが友に贈る
リーダーは率先して
広布の最前線へ!
満々たる生命力で
地区・支部の隅々に
信心の息吹を伝えよ!
妙法比丘尼御返事 P1415
『法華経の中に仏説かせ給はく我が滅度の後後の五百歳二千二百余年すぎて此の経閻浮提に流布せん時、天魔の人の身に入りかはりて此の経を弘めさせじとて、たまたま信ずる者をば或はのり打ち所をうつし或はころしなんどすべし、其の時先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし』
☆四季の語らい
打ち合わせ、協議が大切である。協議をせず、一人で決め、動いているだけでは、結局、わがままで、ひとりよがりとなる場合が多い。「一人立つ」根本の責任感の上に、皆の意見を尊重してこそ、安定性ある進歩が生まれる。
☆女性に贈ることば 五月十三日
自分を産み、育ててくれたお母さん。
昼も、夜も、休むことなく働き続けてきたお母さん。
いつもは口うるさくても、いざという時は必ず守ってくれた
お母さん。
わが子のため、家族のために、ひたぶるな祈りを重ねてきた
お母さん。
尊い、尊い、お母さんです。
どんな有名人や、政治家をさしおいても、無名のお母さんこそ、たたえていくべきです。誰がたたえなくても、私は最大に賞賛し、感謝の心を贈りたい。
☆今日のことば365 五月十三日
青春時代には、学歴、地位、財産、名誉、肩書きなどに、決して幻惑されてはならない。素っ裸の人間として、人生の勝利を勝ち取っていくべきだ。
広布の最前線へ!
満々たる生命力で
地区・支部の隅々に
信心の息吹を伝えよ!
妙法比丘尼御返事 P1415
『法華経の中に仏説かせ給はく我が滅度の後後の五百歳二千二百余年すぎて此の経閻浮提に流布せん時、天魔の人の身に入りかはりて此の経を弘めさせじとて、たまたま信ずる者をば或はのり打ち所をうつし或はころしなんどすべし、其の時先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし』
☆四季の語らい
打ち合わせ、協議が大切である。協議をせず、一人で決め、動いているだけでは、結局、わがままで、ひとりよがりとなる場合が多い。「一人立つ」根本の責任感の上に、皆の意見を尊重してこそ、安定性ある進歩が生まれる。
☆女性に贈ることば 五月十三日
自分を産み、育ててくれたお母さん。
昼も、夜も、休むことなく働き続けてきたお母さん。
いつもは口うるさくても、いざという時は必ず守ってくれた
お母さん。
わが子のため、家族のために、ひたぶるな祈りを重ねてきた
お母さん。
尊い、尊い、お母さんです。
どんな有名人や、政治家をさしおいても、無名のお母さんこそ、たたえていくべきです。誰がたたえなくても、私は最大に賞賛し、感謝の心を贈りたい。
☆今日のことば365 五月十三日
青春時代には、学歴、地位、財産、名誉、肩書きなどに、決して幻惑されてはならない。素っ裸の人間として、人生の勝利を勝ち取っていくべきだ。
2016年5月12日木曜日
2016.05.12 わが友に贈る
拡大への勢いは
躍動の座談会から!
わが活動体験を
生き生きと語ろう!
歓喜と決意の集いに!
四条金吾殿御返事 P1192
『ただ心こそ大切なれ』
☆四季の語らい
自らが、矢面に立って敢然と行動し、皆に断じて勇気を与え、希望を与え、安心を与えていかねばならない。何があろうと、一人立って、一切を勝利へと導いていくことが使命である。
☆女性に贈ることば 五月十二日
自己の目的と使命に向かって、挑戦に挑戦を重ねる。あきらめない。動く。学び、語る。また学ぶ。その、これでもか、これでもかという実践の結果、ある時、パーッと大きく開けてくるものである。
☆今日のことば365 五月十二日
人生にあって最大なる幸福は、生涯の師をもつことであろう。師をもたぬ人生ほど不幸なことはない。どんな有名人となり、成功者となっても、師なき人はさびしい。
躍動の座談会から!
わが活動体験を
生き生きと語ろう!
歓喜と決意の集いに!
四条金吾殿御返事 P1192
『ただ心こそ大切なれ』
☆四季の語らい
自らが、矢面に立って敢然と行動し、皆に断じて勇気を与え、希望を与え、安心を与えていかねばならない。何があろうと、一人立って、一切を勝利へと導いていくことが使命である。
☆女性に贈ることば 五月十二日
自己の目的と使命に向かって、挑戦に挑戦を重ねる。あきらめない。動く。学び、語る。また学ぶ。その、これでもか、これでもかという実践の結果、ある時、パーッと大きく開けてくるものである。
☆今日のことば365 五月十二日
人生にあって最大なる幸福は、生涯の師をもつことであろう。師をもたぬ人生ほど不幸なことはない。どんな有名人となり、成功者となっても、師なき人はさびしい。
2016年5月11日水曜日
2016.05.11 わが友に贈る
「さあ、これから」と
日々、向上の息吹を
燃やして進もう!
求道と挑戦の中に
人生の栄冠は輝く!
最蓮房御返事 P1341
『日蓮末法の初の五百年に生を日域に受け如来の記文の如く三類の強敵を蒙り種種の災難に相値つて身命を惜まずして南無妙法蓮華経と唱え候は正師か邪師か能能御思惟之有る可く候』
☆四季の語らい
前進といっても、さまざまな「前進」がある。朗らかな前進。堂々たる前進。忍耐の前進。勝利の前進。スクラムの前進。社会での成功への前進。楽しい前進。生活のすべてが前進。笑いの前進。求道の前進。いろいろあるが、ともかく「自分が前進する」ことである。人ではない。号令ではない。人にやらせようという心は、狡い。
☆女性に贈ることば 五月十一日
人生の幾山河を乗り越えてきた、かけがえのない経験の輝きは、年輩者のみがもつものである。若い人たちは、尊き人生の長者の方々を尊敬し、その智慧の宝を決しておろそかにしてはならない。
☆今日のことば365 五月十一日
小さなことを、ひとつひとつきちっと、やりきって働くことが大切である。小さな事も満足にできずして、どうして大事を成し遂げることができようか。
☆御書と歩む 第14回 朗らかに、勇んで進め!
『一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文・あに自受法楽にあらずや、衆生のうちに貴殿もれ給うべきや、所とは一閻浮提なり日本国は閻浮提の内なり』(四条金吾殿御返事、P1143)
◇解説
一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外に遊楽はない。寿量品には「衆生の遊楽する所なり」とある。この文は「自ら法楽を受ける」ことを言っているのである。「衆生」の中に、あなたが漏れることがあろうか。「所」とは一閻浮提(全世界)であり、日本国は、その閻浮提の内にある。
◇同志への指針
人は何のために生まれてきたのか。それは、幸福を勝ち取るためである。その究極の力が信心である。
「貴殿もれ給うべきや」——一人も漏れなく、衆生所遊楽の境涯を開くことができる。
「所とは一閻浮提なり」——地球上のいずこであれ、人間革命の勝利を広げていける。
妙法を唱え抜き、歓喜の中の大歓喜の人生を、朗らかに、勇んで進もう!
日々、向上の息吹を
燃やして進もう!
求道と挑戦の中に
人生の栄冠は輝く!
最蓮房御返事 P1341
『日蓮末法の初の五百年に生を日域に受け如来の記文の如く三類の強敵を蒙り種種の災難に相値つて身命を惜まずして南無妙法蓮華経と唱え候は正師か邪師か能能御思惟之有る可く候』
☆四季の語らい
前進といっても、さまざまな「前進」がある。朗らかな前進。堂々たる前進。忍耐の前進。勝利の前進。スクラムの前進。社会での成功への前進。楽しい前進。生活のすべてが前進。笑いの前進。求道の前進。いろいろあるが、ともかく「自分が前進する」ことである。人ではない。号令ではない。人にやらせようという心は、狡い。
☆女性に贈ることば 五月十一日
人生の幾山河を乗り越えてきた、かけがえのない経験の輝きは、年輩者のみがもつものである。若い人たちは、尊き人生の長者の方々を尊敬し、その智慧の宝を決しておろそかにしてはならない。
☆今日のことば365 五月十一日
小さなことを、ひとつひとつきちっと、やりきって働くことが大切である。小さな事も満足にできずして、どうして大事を成し遂げることができようか。
☆御書と歩む 第14回 朗らかに、勇んで進め!
『一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文・あに自受法楽にあらずや、衆生のうちに貴殿もれ給うべきや、所とは一閻浮提なり日本国は閻浮提の内なり』(四条金吾殿御返事、P1143)
◇解説
一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外に遊楽はない。寿量品には「衆生の遊楽する所なり」とある。この文は「自ら法楽を受ける」ことを言っているのである。「衆生」の中に、あなたが漏れることがあろうか。「所」とは一閻浮提(全世界)であり、日本国は、その閻浮提の内にある。
◇同志への指針
人は何のために生まれてきたのか。それは、幸福を勝ち取るためである。その究極の力が信心である。
「貴殿もれ給うべきや」——一人も漏れなく、衆生所遊楽の境涯を開くことができる。
「所とは一閻浮提なり」——地球上のいずこであれ、人間革命の勝利を広げていける。
妙法を唱え抜き、歓喜の中の大歓喜の人生を、朗らかに、勇んで進もう!
2016年5月10日火曜日
2016.05.10 わが友に贈る
打てば響くような
報告と連絡の流れを!
反応のスピードから
信頼と団結は生まれる。
電光石火で勝て!
妙密上人御消息 P1241
『又上一人より下万民に至るまで法華経の神力品の如く一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん、木はしづかならんと思へども風やまず春を留んと思へども夏となる』
☆四季の語らい
リーダーとは、いわゆる「上に立つ」人ではない。ましてや、「自分は特別」とし、民衆を見下すなどということは、論外である。皆の中に入っていこう、皆を尊敬していこう、皆から謙虚に学んでいこうと思った瞬間から、偉大な指導者への第一歩がはじまる。
☆女性に贈ることば 五月十日
細やかな情愛がにじみ出ている夫婦や家庭には、不思議と、ほめ上手の奥さんがいるようだ。身近な家族同士では、意外に不平や欠点の指摘に終始していることも多い。そうしたなかで、ほんのちょっとした励ましの言葉が、相手の心をほぐし、会話を円滑にする。自信をもたせる。
☆今日のことば365 五月十日
梅は梅、桜は桜、菊は菊。花にもそれぞれ個性がある。人もまたおなじである。さまざまな個性の人が集まり、しかも、それが調和を保っていくのが、人生であり、社会といえよう。
☆御書と歩む 第13回 立宗の大精神を胸に
『南無妙法蓮華経と高声によばはりて二十余年をふる間・或は罵られ打たれ或は疵をかうほり或は流罪に二度死罪に一度定められぬ、其の外の大難数をしらず』(妙密上人御消息、P1240)
◇解説
(日蓮は)南無妙法蓮華経と高声に題目を唱えて、二十余年を経た。その間というものは、あるいはののしられ、あるいは打たれ、あるいは傷を受け、また流罪には伊豆、佐渡と二度あい、さらには一度、竜の口の法難という死罪に定められたのである。それ以外の大難は数知れない。
◇同志への指針
立宗のその日から、妙法流布に一身を捧げ、幾多の大難を越えられた大聖人の御振る舞いが偲ばれてならない。
「末法の一切衆生を救う」との大誓願。「民衆を不幸にする邪悪は許さない」との大情熱。「いかなる苦難にも屈しない」との大確信——。我らには、この宗祖の大闘争に連なる誇りがある。「師子王の心」で世界広宣流布と立正安国の万年の大道を開きゆくのだ。
報告と連絡の流れを!
反応のスピードから
信頼と団結は生まれる。
電光石火で勝て!
妙密上人御消息 P1241
『又上一人より下万民に至るまで法華経の神力品の如く一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん、木はしづかならんと思へども風やまず春を留んと思へども夏となる』
☆四季の語らい
リーダーとは、いわゆる「上に立つ」人ではない。ましてや、「自分は特別」とし、民衆を見下すなどということは、論外である。皆の中に入っていこう、皆を尊敬していこう、皆から謙虚に学んでいこうと思った瞬間から、偉大な指導者への第一歩がはじまる。
☆女性に贈ることば 五月十日
細やかな情愛がにじみ出ている夫婦や家庭には、不思議と、ほめ上手の奥さんがいるようだ。身近な家族同士では、意外に不平や欠点の指摘に終始していることも多い。そうしたなかで、ほんのちょっとした励ましの言葉が、相手の心をほぐし、会話を円滑にする。自信をもたせる。
☆今日のことば365 五月十日
梅は梅、桜は桜、菊は菊。花にもそれぞれ個性がある。人もまたおなじである。さまざまな個性の人が集まり、しかも、それが調和を保っていくのが、人生であり、社会といえよう。
☆御書と歩む 第13回 立宗の大精神を胸に
『南無妙法蓮華経と高声によばはりて二十余年をふる間・或は罵られ打たれ或は疵をかうほり或は流罪に二度死罪に一度定められぬ、其の外の大難数をしらず』(妙密上人御消息、P1240)
◇解説
(日蓮は)南無妙法蓮華経と高声に題目を唱えて、二十余年を経た。その間というものは、あるいはののしられ、あるいは打たれ、あるいは傷を受け、また流罪には伊豆、佐渡と二度あい、さらには一度、竜の口の法難という死罪に定められたのである。それ以外の大難は数知れない。
◇同志への指針
立宗のその日から、妙法流布に一身を捧げ、幾多の大難を越えられた大聖人の御振る舞いが偲ばれてならない。
「末法の一切衆生を救う」との大誓願。「民衆を不幸にする邪悪は許さない」との大情熱。「いかなる苦難にも屈しない」との大確信——。我らには、この宗祖の大闘争に連なる誇りがある。「師子王の心」で世界広宣流布と立正安国の万年の大道を開きゆくのだ。
2016年5月9日月曜日
2016.05.09 わが友に贈る
◇今週のことば
足どり軽く友のもとへ!
これが広布の王道なり。
「仏種は縁に従って起る」
快活に語り合い
仏縁も境涯も拡大を!
2016年05月09日
下山御消息 P349
『余法華経の第五の巻の勧持品を拝見したてまつれば末代に入りて法華経の大怨敵三類あるべし其の第三の強敵は此の者かと見畢んぬ、便宜あらば国敵をせめて彼れが大慢を倒して仏法の威験をあらはさんと思う』
☆四季の語らい
立派な生き方とは何か。第一に、今の信念の心を一生涯、変えないことである。どんなに、いい条件であっても、悪い条件であっても、我が道をまっすぐに歩むことである。背伸びする必要もないし、何があっても恐れる必要もない。状況に紛動されてはならない。
☆女性に贈ることば 五月九日
世間では、富や名声をもつ人ばかりが、もてはやされがちだ。しかし、本当の人間の価値とは、物質的な豊かさや名声のなかにあるのではない。
もちろん、誰もが裕福で、健康であってほしい。しかし、心の豊かさにこそ、最高の価値があることを忘れてはなるまい。
☆今日のことば365 五月九日
青春時代の友情は、ある意味で、恋愛の序曲であり、自らも人格を傾けるし、相手にも全人格的信頼を期待する。人間の尊さを知る上での貴重な一歩であり、それ自体は、かりにはかなく消えても、その経験は、一生を左右するほどのものである。真実の友情の経験をもたない人は、人間として不具となるといっても、私は、決して言いすぎではなかろうと思う。
☆5・3「創価学会の日」記念特集〈上〉
5・3「創価学会の日」を記念し、本紙では3回にわたり特集を行う。第1回は、ハーバード大学名誉教授で、著名な文化人類学者のヌール・ヤーマン博士にインタビュー。半世紀以上にわたり対話の力で人々を結んできた池田SGI会長の行動と、世界宗教として飛翔するSGIの運動の意義を聞いた。
——池田SGI会長はこれまで、世界規模で平和・文化・教育への貢献を続けてきました。その一つに、海外の大学・学術機関で行った32回の講演があります。博士はハーバード大学で文化人類学部長を務めていた1993年9月、SGI会長を招へいし、同大学での2度目の講演(「21世紀文明と大乗仏教」)の実現に尽力されました。
ヤーマン博士 当時、池田会長はすでに、世界の多くの知識人と対談をされていました。あれほど異なる思想家たちと語り合うことができる人物は、池田会長をおいてほかにいませんでした。
ゆえに私は、会長を再びわが大学に招待し、仏教が未来に果たす役割について伺いたいと考えたのです。事実、講演は深い思慮に富み、聴衆の胸を打つものでした。
ここで忘れてはならないのは、当時は創価学会が日蓮正宗と離別した直後であったということです。〈91年11月、宗門は学会に対し「破門通告書」を送付してきた〉
SGIが志向するヒューマニズム(人間主義)の確立において、転換点の時期であったといえます。
SGIが権威の鎖から解放され、完全な在家の団体へと発展を遂げたことは大きな意義を持つものです。私は2500年の仏教史における、新たなページの幕開けであったと思っています。その重要性は、時を経るごとに増していくでしょう。
——93年は、サミュエル・ハンチントン博士の「文明の衝突」論が国際社会を席巻していました。そうした状況下で、SGI会長が仏法の英知に光を当てた意義を、どうお考えですか。
博士 池田会長は、人類が争いや対立を避けねばならないことを明確に示しました。当時のアメリカの指導者たちが、その講演を聞かなかったことを誠に残念に思います。
「文明の衝突」論の影響もあり、社会には好戦的な雰囲気が生まれました。アメリカは後にアフガニスタンやイラクで武力を行使しましたが、その影響は今も残っています。中東の国々を破壊し、新たなイスラム過激組織の出現を招いたのです。
もしあの時、アメリカの指導者たちが池田会長の講演に真剣に耳を傾けていれば、こうした事態は避けられたかもしれません。現在の世界の状況を見るにつけ、会長が講演で語った、開かれた心による文明間対話がいよいよ大切になっているのです。
相手に耳を傾け、対話する努力を失ってしまえば、人間はいとも簡単に暴力の方向へと進んでしまいます。そして暴力は、新たな暴力の原因となります。
ガンジーが言ったように、目的は手段を正当化するのではなく、使用された手段こそが、達成された目的の性質を決定づけるものなのです。
◇比類なき業績
——SGI会長はヤーマン博士をはじめ、異なる文化や宗教を背景に持つ識者と対話を重ねてきました。
博士 池田会長ほど宗教間対話を実践してきた人物は、世界に類を見ないでしょう。各分野の巨人たちと、人類が直面する諸問題について語り合ってきた功績は大きい。
その中でも私は、イラン出身のテヘラニアン氏との対談を高く評価しています。国際社会で今、存在感を増すイランの知識人との語らいは他に例を見ないものであり、そこに先見性を感じるのです。
私自身、池田会長との出会いを通して、会長の聡明さと崇高な目的観、そして強靭な意志に感銘を受けた一人です。驚くべきは、偉大な知性の人である池田会長が、SGIという世界的な団体を自らの生涯のうちに築きあげたことです。
優れた知性と開かれた心に、これほど世界規模の行動が伴うのは、極めてまれなことです。
——SGI会長は教育を「最後の事業」と語り、創価教育の学舎を各地に創立しました。博士はこれまで、日本の創価学園や創価大学、アメリカ創価大学を訪問し、学生たちと交流されました。
博士 真に平和を目指すのであれば、そのプロセスは教育に基づくものでなくてはなりません。私は創価学会が、教育団体として出発した点を高く評価しています。
学生たちとの交流は心温まるものでした。創価学園では、生徒が流暢な英語で質問してくれましたが、とても知的で啓発に満ちたものであったのを覚えています。
創価の学舎には、対話の気風があふれていました。対話が平和建設に不可欠であることは、歴史を見ても明らかです。争い合っている相手にも怒りや憎しみの理由があり、それに国家のリーダーが耳を傾けていれば、20世紀の戦争の歴史は、違うものになっていたはずです。
私は、池田会長の世界への貢献は「対話」「平和」「核兵器廃絶」の3つの分野に顕著であると考えますが、創価の学舎には、その精神がはっきりと脈打っています。
教育それ自体が、今日のテロリズムをはじめとする暴力に対する、最も確かで唯一の解決の方途を指し示しているといえるでしょう。
◇仏教史上の壮挙
——SGIの活動の根幹は、目の前の一人を大切にする対話の実践にほかなりません。その実践を自ら示してきた池田SGI会長のリーダーシップのもと、SGIの連帯は192カ国・地域にまで発展しました。
博士 驚くべき事例であり、仏教史における壮挙です。
日蓮正宗との決別によって、SGIは、より民衆に開かれた団体となりました。伝統に縛られるのではなく、宗教間対話を重んじ、他の信条の人々をも包み込む存在へと発展を遂げてきたのです。
言い換えれば、たとえキリスト教徒であろうと、イスラム教徒であろうと、その人はSGIを通じて仏教を理解し、そのなかで自らの思想と仏教との共通性を見いだすことができるのです。他者から学び、自らを深めるそのプロセスは、地球規模の「教育プロジェクト」であるともいえるでしょう。
——博士は、他の宗教を尊重し、手を取り合おうと努力する世界宗教の姿を「崇高なヒューマニズム」と表現され、SGIに期待を寄せられています。
博士 ヒューマニズムは、全ての宗教が持っています。しかし同時に、どの宗教にも"部族性"は存在し、ともすれば排他的になってしまうのです。
「崇高なヒューマニズム」とは、特定の宗派を超えたヒューマニズムです。私たちは地球規模で、このヒューマニズムを高めていかねばなりません。
かつて世界には、紀元前200年から紀元後600年ごろの中央アジアなどを例として、異なる宗教が共存した時代がありました。キリスト教、仏教、イスラム、ヒンズー教などが、互いに影響を与え合っていた時代です。
しかし、やがて中央アジアでは人々や思想の交流が途絶え、シルクロードは衰退していきました。宗教の共存の時代は、植民地主義に取って変わられることになったのです。
今また、SGIの発展によって、新たな時代に至りました。それは宗教と宗教が出あいを結ぶ対話の時代、平和の時代といえます。ここにSGIの最も重要な貢献があります。
池田会長によって築かれたSGIの運動が、幾世代にもわたって発展しゆくことを念願してやみません。
足どり軽く友のもとへ!
これが広布の王道なり。
「仏種は縁に従って起る」
快活に語り合い
仏縁も境涯も拡大を!
2016年05月09日
下山御消息 P349
『余法華経の第五の巻の勧持品を拝見したてまつれば末代に入りて法華経の大怨敵三類あるべし其の第三の強敵は此の者かと見畢んぬ、便宜あらば国敵をせめて彼れが大慢を倒して仏法の威験をあらはさんと思う』
☆四季の語らい
立派な生き方とは何か。第一に、今の信念の心を一生涯、変えないことである。どんなに、いい条件であっても、悪い条件であっても、我が道をまっすぐに歩むことである。背伸びする必要もないし、何があっても恐れる必要もない。状況に紛動されてはならない。
☆女性に贈ることば 五月九日
世間では、富や名声をもつ人ばかりが、もてはやされがちだ。しかし、本当の人間の価値とは、物質的な豊かさや名声のなかにあるのではない。
もちろん、誰もが裕福で、健康であってほしい。しかし、心の豊かさにこそ、最高の価値があることを忘れてはなるまい。
☆今日のことば365 五月九日
青春時代の友情は、ある意味で、恋愛の序曲であり、自らも人格を傾けるし、相手にも全人格的信頼を期待する。人間の尊さを知る上での貴重な一歩であり、それ自体は、かりにはかなく消えても、その経験は、一生を左右するほどのものである。真実の友情の経験をもたない人は、人間として不具となるといっても、私は、決して言いすぎではなかろうと思う。
☆5・3「創価学会の日」記念特集〈上〉
5・3「創価学会の日」を記念し、本紙では3回にわたり特集を行う。第1回は、ハーバード大学名誉教授で、著名な文化人類学者のヌール・ヤーマン博士にインタビュー。半世紀以上にわたり対話の力で人々を結んできた池田SGI会長の行動と、世界宗教として飛翔するSGIの運動の意義を聞いた。
——池田SGI会長はこれまで、世界規模で平和・文化・教育への貢献を続けてきました。その一つに、海外の大学・学術機関で行った32回の講演があります。博士はハーバード大学で文化人類学部長を務めていた1993年9月、SGI会長を招へいし、同大学での2度目の講演(「21世紀文明と大乗仏教」)の実現に尽力されました。
ヤーマン博士 当時、池田会長はすでに、世界の多くの知識人と対談をされていました。あれほど異なる思想家たちと語り合うことができる人物は、池田会長をおいてほかにいませんでした。
ゆえに私は、会長を再びわが大学に招待し、仏教が未来に果たす役割について伺いたいと考えたのです。事実、講演は深い思慮に富み、聴衆の胸を打つものでした。
ここで忘れてはならないのは、当時は創価学会が日蓮正宗と離別した直後であったということです。〈91年11月、宗門は学会に対し「破門通告書」を送付してきた〉
SGIが志向するヒューマニズム(人間主義)の確立において、転換点の時期であったといえます。
SGIが権威の鎖から解放され、完全な在家の団体へと発展を遂げたことは大きな意義を持つものです。私は2500年の仏教史における、新たなページの幕開けであったと思っています。その重要性は、時を経るごとに増していくでしょう。
——93年は、サミュエル・ハンチントン博士の「文明の衝突」論が国際社会を席巻していました。そうした状況下で、SGI会長が仏法の英知に光を当てた意義を、どうお考えですか。
博士 池田会長は、人類が争いや対立を避けねばならないことを明確に示しました。当時のアメリカの指導者たちが、その講演を聞かなかったことを誠に残念に思います。
「文明の衝突」論の影響もあり、社会には好戦的な雰囲気が生まれました。アメリカは後にアフガニスタンやイラクで武力を行使しましたが、その影響は今も残っています。中東の国々を破壊し、新たなイスラム過激組織の出現を招いたのです。
もしあの時、アメリカの指導者たちが池田会長の講演に真剣に耳を傾けていれば、こうした事態は避けられたかもしれません。現在の世界の状況を見るにつけ、会長が講演で語った、開かれた心による文明間対話がいよいよ大切になっているのです。
相手に耳を傾け、対話する努力を失ってしまえば、人間はいとも簡単に暴力の方向へと進んでしまいます。そして暴力は、新たな暴力の原因となります。
ガンジーが言ったように、目的は手段を正当化するのではなく、使用された手段こそが、達成された目的の性質を決定づけるものなのです。
◇比類なき業績
——SGI会長はヤーマン博士をはじめ、異なる文化や宗教を背景に持つ識者と対話を重ねてきました。
博士 池田会長ほど宗教間対話を実践してきた人物は、世界に類を見ないでしょう。各分野の巨人たちと、人類が直面する諸問題について語り合ってきた功績は大きい。
その中でも私は、イラン出身のテヘラニアン氏との対談を高く評価しています。国際社会で今、存在感を増すイランの知識人との語らいは他に例を見ないものであり、そこに先見性を感じるのです。
私自身、池田会長との出会いを通して、会長の聡明さと崇高な目的観、そして強靭な意志に感銘を受けた一人です。驚くべきは、偉大な知性の人である池田会長が、SGIという世界的な団体を自らの生涯のうちに築きあげたことです。
優れた知性と開かれた心に、これほど世界規模の行動が伴うのは、極めてまれなことです。
——SGI会長は教育を「最後の事業」と語り、創価教育の学舎を各地に創立しました。博士はこれまで、日本の創価学園や創価大学、アメリカ創価大学を訪問し、学生たちと交流されました。
博士 真に平和を目指すのであれば、そのプロセスは教育に基づくものでなくてはなりません。私は創価学会が、教育団体として出発した点を高く評価しています。
学生たちとの交流は心温まるものでした。創価学園では、生徒が流暢な英語で質問してくれましたが、とても知的で啓発に満ちたものであったのを覚えています。
創価の学舎には、対話の気風があふれていました。対話が平和建設に不可欠であることは、歴史を見ても明らかです。争い合っている相手にも怒りや憎しみの理由があり、それに国家のリーダーが耳を傾けていれば、20世紀の戦争の歴史は、違うものになっていたはずです。
私は、池田会長の世界への貢献は「対話」「平和」「核兵器廃絶」の3つの分野に顕著であると考えますが、創価の学舎には、その精神がはっきりと脈打っています。
教育それ自体が、今日のテロリズムをはじめとする暴力に対する、最も確かで唯一の解決の方途を指し示しているといえるでしょう。
◇仏教史上の壮挙
——SGIの活動の根幹は、目の前の一人を大切にする対話の実践にほかなりません。その実践を自ら示してきた池田SGI会長のリーダーシップのもと、SGIの連帯は192カ国・地域にまで発展しました。
博士 驚くべき事例であり、仏教史における壮挙です。
日蓮正宗との決別によって、SGIは、より民衆に開かれた団体となりました。伝統に縛られるのではなく、宗教間対話を重んじ、他の信条の人々をも包み込む存在へと発展を遂げてきたのです。
言い換えれば、たとえキリスト教徒であろうと、イスラム教徒であろうと、その人はSGIを通じて仏教を理解し、そのなかで自らの思想と仏教との共通性を見いだすことができるのです。他者から学び、自らを深めるそのプロセスは、地球規模の「教育プロジェクト」であるともいえるでしょう。
——博士は、他の宗教を尊重し、手を取り合おうと努力する世界宗教の姿を「崇高なヒューマニズム」と表現され、SGIに期待を寄せられています。
博士 ヒューマニズムは、全ての宗教が持っています。しかし同時に、どの宗教にも"部族性"は存在し、ともすれば排他的になってしまうのです。
「崇高なヒューマニズム」とは、特定の宗派を超えたヒューマニズムです。私たちは地球規模で、このヒューマニズムを高めていかねばなりません。
かつて世界には、紀元前200年から紀元後600年ごろの中央アジアなどを例として、異なる宗教が共存した時代がありました。キリスト教、仏教、イスラム、ヒンズー教などが、互いに影響を与え合っていた時代です。
しかし、やがて中央アジアでは人々や思想の交流が途絶え、シルクロードは衰退していきました。宗教の共存の時代は、植民地主義に取って変わられることになったのです。
今また、SGIの発展によって、新たな時代に至りました。それは宗教と宗教が出あいを結ぶ対話の時代、平和の時代といえます。ここにSGIの最も重要な貢献があります。
池田会長によって築かれたSGIの運動が、幾世代にもわたって発展しゆくことを念願してやみません。
2016年5月8日日曜日
2016.05.07 わが友に贈る
友のために尽くす
祈りと行動の中に
負けじ魂の真髄は
最大に発揮される!
励ましの連帯を広げよ!
南条殿御返事 P1578
『釈迦仏は我を無量の珍宝を以て億劫の間供養せんよりは末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は百千万億倍過ぐべしとこそ説かせ給いて候』
☆四季の語らい
人を育成するには、大きな責任をもたせ、実際にやらせてみることが大切である。人は責任を自覚し、真剣になることによって、力を増すものである。また、現実に物事に取り組むことで、机上の計画では予想もしなかった事態や、困難に直面することもある。そうした体験が、真実の力を培う、貴重な財産となる。
☆女性に贈ることば 五月七日
お金や栄誉を得ることよりも、人間としていちばん大事なのは、学ぶことです。
いくら有名人でも、学ぶ心のない人は尊敬できません。一生涯、学び続ける−−−その人を尊敬すべきです。
☆今日のことば365 五月七日
幸福は、外からやってくるものと思いこんではいけない。特に青春時代には、そのような追随主義や消極性、あるいは付和雷同の人であってはいけない。自らを革命し、さらに、自分の境遇を改革しきっていこうという積極主義とその勇気なくしては、悩みを切り開くことはできないのである。
☆本紙創刊65周年を記念 無冠の友へのメッセージ
「聖教新聞」さながら「無冠の友」、「無冠の友」さながら「聖教新聞」——これが、私の偽らざる真情であります。
幾多の障魔の風雪を越えて、人間主義の言論城たる聖教新聞は、晴れ晴れと創刊65周年の佳節を飾ることができました。
これも、ひとえに、わが「無冠の友」の皆さま方の偉大なる奮闘あればこそです。創価の言論闘争の最大の功労者であられる皆さま方に、私は心から深謝の意をささげたいのであります。誠に誠に、ありがとうございます。
◇
聖教新聞は、恩師・戸田城聖先生の最大の苦境を突破する中で、誕生しました。
当時の日記をひもとくと、先生のご自宅での企画会に勇んで参加した23歳の私は、こうつづっております。
「日本一、世界一の大新聞に発展せしむる事を心に期す。広宣流布への火蓋は遂にきられた。決戦に挑む態勢は準備完了——」
聖教の創刊日・4月20日は、戸田先生の第2代会長就任の13日前のことです。それは、世界と未来を見つめて、「平和」「文化」「教育」の民衆の大行進へ打って出る、師弟の出発の暁鐘となりました。
そして、この生命覚醒の暁鐘を、毎日毎朝、たゆまず高らかに打ち鳴らしてくださっているのが、他の誰でもない、「無冠の友」の皆さま方なのです。
日蓮大聖人は、佐渡流罪の渦中、ご自身を支える門下へ、「是れ偏に法華経の文字の各の御身に入り替らせ給いて御助けあるとこそ覚ゆれ」(御書1132ページ)と感謝なされました。
「法華経の文字」が生命に入って、御本仏のお心のままに広宣流布を推進する働きをする——わが「無冠の友」を讃えられる仰せとも、私には拝されてならないのであります。
◇
聖教新聞が週3回刊から日刊になって翌年の1966年(昭和41年)7月1日、私の発案で生まれたのが、本紙「無冠」であります。
「無冠」とは、「無冠の王」の意義であります。
発刊を祝した一文に、「『無冠』とは配達員各位の境涯を象徴するものといっても過言ではない」と、私は記しました。さらに、「吾、地涌の菩薩なり。言論界の王者なり」との信念と勇気と希望をもって生き抜いていこう、と強く念願しました。
私たちの本来の姿は「地涌の菩薩」であります。末法の衆生を幸福にして、平和の楽土を築くという広宣流布の聖業を果たすため、あえて苦悩渦巻く、この乱世に出現してきた誓願の同志です。
なかんずく、わが配達員の皆さま方こそ、最も誇り高き広布の先駆王であります。妙法の言論王の一人一人であります。
仏法では、「無学」という言葉も、学を究め、煩悩を断じ尽くして、もはや学ぶべきものが無くなった仏の大境涯のことを言います。
それと同じように、「無冠」の王とは、まさしく権力や財宝や名声といった虚栄の「冠」を悠然と見下ろして、最高無上にして永遠に色あせぬ、正義と人格と福徳の「冠」が輝きわたる生命の王者のことなのであります。
◇
思えば、1966年3月、本紙「無冠」の発刊に先駆けて、私が訪れた南米のブラジルでは、軍事政権のもと、根も葉もない中傷や偏見が渦巻いていました。私も、地元の言論界に創価の真実を語り、誤解を解く努力を重ねました。
しかし、軍政の圧迫は長く続きました。次にブラジルの土を踏むまでには、実に18年の歳月を要したのです。
その苦難の時代に友の心を支えた力は、新聞でした。前年に創刊されていた機関紙が、私の訪伯の翌月、「ブラジル・セイキョウ」の名で新出発しました。ブラジルに続いて訪れたペルーでも、「ペルー・セイキョウ」が誕生します。さらに、この年は、香港でも「黎明聖報」がスタートしています。
いずれも、「無冠」とともに、今年50周年を晴れ晴れと迎えました。
◇
小さな苗木も、一年また一年と年輪を刻めば、立派な大樹と育ちます。世界各国の機関紙も、見事な発展を遂げています。今やブラジルSGIは、国家からも、社会からも、最大に賞讃され、信頼される団体となり、これほど誇らしいことはありません。苦労したところが強くなる。忍耐強く前進し抜いたところに、不滅の城が出来上がる。これが仏法の厳然たる因果の理法です。
忘れ得ぬブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁も語られていました。
「どんなに不正な迫害があろうと、来るべき世紀に、高い精神的秩序を創造しゆく、使命をもった人間たちの勇気を打ちくだくことはできません」と。
我らの聖教魂とも相通じます。まさに、不屈の勇気から溢れ出た同苦する励ましと慈愛の言葉こそが、人々の心を温め、生きる力を贈りゆくのではないでしょうか。
偉大な言論勝利の歴史を世界の同志と刻んでこられた「無冠の友」の皆さま方の尊き歩みは、いかなる宿命も使命に変え、自他共の幸福を創り広げゆく「広布即栄光」の大叙事詩に他なりません。
◇
昨年の11月29日、新・東北文化会館の定礎式の折、配達員を代表して、この日の聖教新聞を埋納された偉大な広布の母上は、一家の試練を毅然と勝ち越えてこられました。現在は、娘さんも嫁ぎ先で無冠の大道を歩み始めている、と感銘深く伺いました。
御書に『陰徳あれば陽報あり』(P1178)と仰せの通り、「無冠」の使命に生きる果報は計り知れません。親から子へ、先輩から後輩へ、この広布の黄金のバトンを受け継ぎ、担いゆく大功徳は、自身のみならず一家眷属、そして地域や社会をも照らす光源となることは、断じて間違いありません。
年度始めの4月は、進学や就職、転居など、多くの人が動く時期です。配達も、転出先や転入元との連絡、新しい購読者への応対など、とりわけ、ご苦労も重なっていることでしょう。皆さまの大誠実を尽くす心遣いによって、信頼が生まれ、共感が広がり、一つ、また一つと友好の道が開かれていきます。
配達する人を見ていて、新聞を取りたくなった!——こうした、あまりにも尊く、あまりにもうれしい声が、たくさん寄せられています。皆さまの生き生きとした爽やかな振る舞いこそが、人間主義の拡大につながっています。
私と妻は、かけがえのない宝の皆さまのご健康と絶対無事故を、毎日、真剣に祈り抜いています。どうか、聡明に工夫をされ、できる限り早く休まれて、疲れをためないようにお願いいたします。
最も信頼してやまない「無冠の友」の皆さま、これからも、共に、共々に、そして楽しくにぎやかに、我らが勝利の光道を大前進してまいりましょう!
祈りと行動の中に
負けじ魂の真髄は
最大に発揮される!
励ましの連帯を広げよ!
南条殿御返事 P1578
『釈迦仏は我を無量の珍宝を以て億劫の間供養せんよりは末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は百千万億倍過ぐべしとこそ説かせ給いて候』
☆四季の語らい
人を育成するには、大きな責任をもたせ、実際にやらせてみることが大切である。人は責任を自覚し、真剣になることによって、力を増すものである。また、現実に物事に取り組むことで、机上の計画では予想もしなかった事態や、困難に直面することもある。そうした体験が、真実の力を培う、貴重な財産となる。
☆女性に贈ることば 五月七日
お金や栄誉を得ることよりも、人間としていちばん大事なのは、学ぶことです。
いくら有名人でも、学ぶ心のない人は尊敬できません。一生涯、学び続ける−−−その人を尊敬すべきです。
☆今日のことば365 五月七日
幸福は、外からやってくるものと思いこんではいけない。特に青春時代には、そのような追随主義や消極性、あるいは付和雷同の人であってはいけない。自らを革命し、さらに、自分の境遇を改革しきっていこうという積極主義とその勇気なくしては、悩みを切り開くことはできないのである。
☆本紙創刊65周年を記念 無冠の友へのメッセージ
「聖教新聞」さながら「無冠の友」、「無冠の友」さながら「聖教新聞」——これが、私の偽らざる真情であります。
幾多の障魔の風雪を越えて、人間主義の言論城たる聖教新聞は、晴れ晴れと創刊65周年の佳節を飾ることができました。
これも、ひとえに、わが「無冠の友」の皆さま方の偉大なる奮闘あればこそです。創価の言論闘争の最大の功労者であられる皆さま方に、私は心から深謝の意をささげたいのであります。誠に誠に、ありがとうございます。
◇
聖教新聞は、恩師・戸田城聖先生の最大の苦境を突破する中で、誕生しました。
当時の日記をひもとくと、先生のご自宅での企画会に勇んで参加した23歳の私は、こうつづっております。
「日本一、世界一の大新聞に発展せしむる事を心に期す。広宣流布への火蓋は遂にきられた。決戦に挑む態勢は準備完了——」
聖教の創刊日・4月20日は、戸田先生の第2代会長就任の13日前のことです。それは、世界と未来を見つめて、「平和」「文化」「教育」の民衆の大行進へ打って出る、師弟の出発の暁鐘となりました。
そして、この生命覚醒の暁鐘を、毎日毎朝、たゆまず高らかに打ち鳴らしてくださっているのが、他の誰でもない、「無冠の友」の皆さま方なのです。
日蓮大聖人は、佐渡流罪の渦中、ご自身を支える門下へ、「是れ偏に法華経の文字の各の御身に入り替らせ給いて御助けあるとこそ覚ゆれ」(御書1132ページ)と感謝なされました。
「法華経の文字」が生命に入って、御本仏のお心のままに広宣流布を推進する働きをする——わが「無冠の友」を讃えられる仰せとも、私には拝されてならないのであります。
◇
聖教新聞が週3回刊から日刊になって翌年の1966年(昭和41年)7月1日、私の発案で生まれたのが、本紙「無冠」であります。
「無冠」とは、「無冠の王」の意義であります。
発刊を祝した一文に、「『無冠』とは配達員各位の境涯を象徴するものといっても過言ではない」と、私は記しました。さらに、「吾、地涌の菩薩なり。言論界の王者なり」との信念と勇気と希望をもって生き抜いていこう、と強く念願しました。
私たちの本来の姿は「地涌の菩薩」であります。末法の衆生を幸福にして、平和の楽土を築くという広宣流布の聖業を果たすため、あえて苦悩渦巻く、この乱世に出現してきた誓願の同志です。
なかんずく、わが配達員の皆さま方こそ、最も誇り高き広布の先駆王であります。妙法の言論王の一人一人であります。
仏法では、「無学」という言葉も、学を究め、煩悩を断じ尽くして、もはや学ぶべきものが無くなった仏の大境涯のことを言います。
それと同じように、「無冠」の王とは、まさしく権力や財宝や名声といった虚栄の「冠」を悠然と見下ろして、最高無上にして永遠に色あせぬ、正義と人格と福徳の「冠」が輝きわたる生命の王者のことなのであります。
◇
思えば、1966年3月、本紙「無冠」の発刊に先駆けて、私が訪れた南米のブラジルでは、軍事政権のもと、根も葉もない中傷や偏見が渦巻いていました。私も、地元の言論界に創価の真実を語り、誤解を解く努力を重ねました。
しかし、軍政の圧迫は長く続きました。次にブラジルの土を踏むまでには、実に18年の歳月を要したのです。
その苦難の時代に友の心を支えた力は、新聞でした。前年に創刊されていた機関紙が、私の訪伯の翌月、「ブラジル・セイキョウ」の名で新出発しました。ブラジルに続いて訪れたペルーでも、「ペルー・セイキョウ」が誕生します。さらに、この年は、香港でも「黎明聖報」がスタートしています。
いずれも、「無冠」とともに、今年50周年を晴れ晴れと迎えました。
◇
小さな苗木も、一年また一年と年輪を刻めば、立派な大樹と育ちます。世界各国の機関紙も、見事な発展を遂げています。今やブラジルSGIは、国家からも、社会からも、最大に賞讃され、信頼される団体となり、これほど誇らしいことはありません。苦労したところが強くなる。忍耐強く前進し抜いたところに、不滅の城が出来上がる。これが仏法の厳然たる因果の理法です。
忘れ得ぬブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁も語られていました。
「どんなに不正な迫害があろうと、来るべき世紀に、高い精神的秩序を創造しゆく、使命をもった人間たちの勇気を打ちくだくことはできません」と。
我らの聖教魂とも相通じます。まさに、不屈の勇気から溢れ出た同苦する励ましと慈愛の言葉こそが、人々の心を温め、生きる力を贈りゆくのではないでしょうか。
偉大な言論勝利の歴史を世界の同志と刻んでこられた「無冠の友」の皆さま方の尊き歩みは、いかなる宿命も使命に変え、自他共の幸福を創り広げゆく「広布即栄光」の大叙事詩に他なりません。
◇
昨年の11月29日、新・東北文化会館の定礎式の折、配達員を代表して、この日の聖教新聞を埋納された偉大な広布の母上は、一家の試練を毅然と勝ち越えてこられました。現在は、娘さんも嫁ぎ先で無冠の大道を歩み始めている、と感銘深く伺いました。
御書に『陰徳あれば陽報あり』(P1178)と仰せの通り、「無冠」の使命に生きる果報は計り知れません。親から子へ、先輩から後輩へ、この広布の黄金のバトンを受け継ぎ、担いゆく大功徳は、自身のみならず一家眷属、そして地域や社会をも照らす光源となることは、断じて間違いありません。
年度始めの4月は、進学や就職、転居など、多くの人が動く時期です。配達も、転出先や転入元との連絡、新しい購読者への応対など、とりわけ、ご苦労も重なっていることでしょう。皆さまの大誠実を尽くす心遣いによって、信頼が生まれ、共感が広がり、一つ、また一つと友好の道が開かれていきます。
配達する人を見ていて、新聞を取りたくなった!——こうした、あまりにも尊く、あまりにもうれしい声が、たくさん寄せられています。皆さまの生き生きとした爽やかな振る舞いこそが、人間主義の拡大につながっています。
私と妻は、かけがえのない宝の皆さまのご健康と絶対無事故を、毎日、真剣に祈り抜いています。どうか、聡明に工夫をされ、できる限り早く休まれて、疲れをためないようにお願いいたします。
最も信頼してやまない「無冠の友」の皆さま、これからも、共に、共々に、そして楽しくにぎやかに、我らが勝利の光道を大前進してまいりましょう!
2016.05.06 わが友に贈る
新聞休刊日
上野殿御返事 P1539
『大魔のつきたる者どもは一人をけうくんしをとしつればそれをひつかけにして多くの人をせめをとすなり』
☆四季の語らい
"自分がやらなければ、だれがやる"−−この責任と使命に立った人は強い。
これが、信仰の真髄である。
☆女性に贈ることば 五月六日
木も大きな花を咲かせ、皆の心を楽しませてくれる。
人間も、何か人のためにならねばならない。
☆今日のことば365 五月六日
ちょうど、人生は、マラソンのようなものである。はなばなしく、五千メートルまでトップを走っていても、倒れてしまっては意味がない。九千九百メートルまで一番で拍手を送られていても、そこで失格すれば負けである。最後まで走りつづけた人だけが、人生の勝利者といえる。一番、二番ということは問題ではなくて、ゴールを目ざして、最後までがんばりきることである。
☆人間革命の舞台 伊丹空港(大阪国際空港) 2016年4月18日
◇「常勝の空」へ舞い上がれ
兵庫県の伊丹市、大阪府の豊中・池田市にまたがる伊丹空港(大阪国際空港)。開港は1939年(昭和14年)で、年間旅客数は約1400万人を数える。
広布史にとっても、忘れることのできない舞台だ。
1カ月で1万1111世帯の弘教を成し遂げ、また、参院選・大阪地方区の勝利で、「"まさか"が実現」と世間を驚かせた「大阪の戦い」。この56年(同31年)の大金字塔から、今年で60周年を迎える。
その指揮を執ったのは、若き日の池田SGI会長(当時、青年部の室長)。8000人の同志と会って励ましたその姿に触れて、同志は、師弟の偉大な力、広布に生きる喜びを知った。頭で理解したのではない。命に刻み込んだ。ここに、関西の強さがある。
開票日の7月9日。室長は勝利を確認すると、午後、伊丹から戸田第2代会長の待つ東京へ飛び立った。
「飛行機が、空遠く消え去った時、その存在感は、巨大な柱のように思えた」と、見送った同志は述懐している。
この機中の模様が描かれるのが、小説『人間革命』第10巻「展望」の章。"雲海の着想"の場面である。室長は、勝利の余韻に浸る間もなく、広布を阻む障魔の嵐を予感していた。
その予感は的中した。そして弾圧の刃は、室長自身にも向かった。翌57年(同32年)の「大阪事件」。公職選挙法違反の容疑による全くの不当逮捕である。
7月3日。北海道にいた室長は、大阪府警の出頭要請を受け、羽田空港を経由して、伊丹空港に向かう。
羽田では、弟子の身を案じ、戸田会長が待っていた。「もしも、お前が死ぬようなことになったら、私も、すぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」。そして、できたばかりの自身の小説『人間革命』を手渡した。
伊丹への機中、小説を読み進めた池田室長。師が出獄した日も、この日と同じ「7月3日」であった。
後に詠んだ。
「出獄と 入獄の日に 師弟あり」
7月17日。2週間の勾留を解かれ、その足で向かったのも伊丹であった。「大阪大会」に出席する戸田会長を迎えるためである。
空港で、戸田会長は語った。「戦いは、これからだよ」「勝負は裁判だ」
恩師亡き後の62年(同37年)1月25日、SGI会長は大阪地裁の無罪判決を勝ち取る。この日もまた、伊丹空港から帰京した。
伊丹は、SGI会長にとって、対話の十字路ともなってきた。ここからしばしば世界平和旅に出発した。
75年(同50年)と78年(同53年)、同空港から中国へたつ際には、見送りに来た実業家の松下幸之助氏と語り合っている。
きょうも伊丹空港から飛び立つ翼——。そこに、関西の同志は、今再び「常勝の空」へ舞い上がらんとの誓いを重ねるのである。
※伊丹空港(大阪国際空港)をめぐる場面が描かれるのは、小説『人間革命』第10巻「展望」の章、同第11巻「大阪」の章など。
上野殿御返事 P1539
『大魔のつきたる者どもは一人をけうくんしをとしつればそれをひつかけにして多くの人をせめをとすなり』
☆四季の語らい
"自分がやらなければ、だれがやる"−−この責任と使命に立った人は強い。
これが、信仰の真髄である。
☆女性に贈ることば 五月六日
木も大きな花を咲かせ、皆の心を楽しませてくれる。
人間も、何か人のためにならねばならない。
☆今日のことば365 五月六日
ちょうど、人生は、マラソンのようなものである。はなばなしく、五千メートルまでトップを走っていても、倒れてしまっては意味がない。九千九百メートルまで一番で拍手を送られていても、そこで失格すれば負けである。最後まで走りつづけた人だけが、人生の勝利者といえる。一番、二番ということは問題ではなくて、ゴールを目ざして、最後までがんばりきることである。
☆人間革命の舞台 伊丹空港(大阪国際空港) 2016年4月18日
◇「常勝の空」へ舞い上がれ
兵庫県の伊丹市、大阪府の豊中・池田市にまたがる伊丹空港(大阪国際空港)。開港は1939年(昭和14年)で、年間旅客数は約1400万人を数える。
広布史にとっても、忘れることのできない舞台だ。
1カ月で1万1111世帯の弘教を成し遂げ、また、参院選・大阪地方区の勝利で、「"まさか"が実現」と世間を驚かせた「大阪の戦い」。この56年(同31年)の大金字塔から、今年で60周年を迎える。
その指揮を執ったのは、若き日の池田SGI会長(当時、青年部の室長)。8000人の同志と会って励ましたその姿に触れて、同志は、師弟の偉大な力、広布に生きる喜びを知った。頭で理解したのではない。命に刻み込んだ。ここに、関西の強さがある。
開票日の7月9日。室長は勝利を確認すると、午後、伊丹から戸田第2代会長の待つ東京へ飛び立った。
「飛行機が、空遠く消え去った時、その存在感は、巨大な柱のように思えた」と、見送った同志は述懐している。
この機中の模様が描かれるのが、小説『人間革命』第10巻「展望」の章。"雲海の着想"の場面である。室長は、勝利の余韻に浸る間もなく、広布を阻む障魔の嵐を予感していた。
その予感は的中した。そして弾圧の刃は、室長自身にも向かった。翌57年(同32年)の「大阪事件」。公職選挙法違反の容疑による全くの不当逮捕である。
7月3日。北海道にいた室長は、大阪府警の出頭要請を受け、羽田空港を経由して、伊丹空港に向かう。
羽田では、弟子の身を案じ、戸田会長が待っていた。「もしも、お前が死ぬようなことになったら、私も、すぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」。そして、できたばかりの自身の小説『人間革命』を手渡した。
伊丹への機中、小説を読み進めた池田室長。師が出獄した日も、この日と同じ「7月3日」であった。
後に詠んだ。
「出獄と 入獄の日に 師弟あり」
7月17日。2週間の勾留を解かれ、その足で向かったのも伊丹であった。「大阪大会」に出席する戸田会長を迎えるためである。
空港で、戸田会長は語った。「戦いは、これからだよ」「勝負は裁判だ」
恩師亡き後の62年(同37年)1月25日、SGI会長は大阪地裁の無罪判決を勝ち取る。この日もまた、伊丹空港から帰京した。
伊丹は、SGI会長にとって、対話の十字路ともなってきた。ここからしばしば世界平和旅に出発した。
75年(同50年)と78年(同53年)、同空港から中国へたつ際には、見送りに来た実業家の松下幸之助氏と語り合っている。
きょうも伊丹空港から飛び立つ翼——。そこに、関西の同志は、今再び「常勝の空」へ舞い上がらんとの誓いを重ねるのである。
※伊丹空港(大阪国際空港)をめぐる場面が描かれるのは、小説『人間革命』第10巻「展望」の章、同第11巻「大阪」の章など。
2016.05.08 わが友に贈る
勢いのある組織は
副役職の友が元気だ。
中心者は自ら声を掛け
意見や応援を求めよ!
正副の共戦で勝て!
御義口伝巻下 P801
『御義口伝に云く此の菩薩は法華弘通の菩薩なり故に卅四身を現じて十界互具を顕し給い利益説法するなり』
☆四季の語らい
リーダーが独善で自己中心、皆が互いに人の批判ばかりしている − そんなところに勝利はない。しつかりと、皆で打ち合わせをし、呼吸を合わせて戦う。そこから勝利は生まれる。
☆女性に贈ることば 五月八日
お母さんへ感謝を忘れてはいけません。母への感謝を忘れた時、人は倣慢になる。大切な何かを見失ってしまう。
母に最敬礼する心から、正義も平和も生まれる。
☆今日のことば365 五月八日
目的のある、苦労は、張り合いがある。目的なく、苦労して、死んでいく人は、奴隷のように見える。
☆御書の解説 2016年4月30日
Q 部員さんをやる気にさせたい
A どこまでも相手に寄り添う気持ちが大事
地区リーダーとして部員のもとに足しげく通う伊藤くんですが、元気がないようです。
小林男子部本部長 どうしたんだい?
伊藤くん 訪問激励を続けているんですが、なかなかメンバーが会合に参加してくれなくて。
小林 みんな、仕事や家庭が忙しい時もあるから、そう落ち込まなくていいんじゃないかい。
伊藤 だけど、時間があっても「僕は行きたいと思いませんので」って言われることもあるんです。
小林 率直だね(笑い)。
伊藤 いったいどうすれば、部員さんを"やる気"にさせられるんでしょう……。
小林 日蓮大聖人は『人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて進みやすくするように教えるのである』(P1574、通解)と仰せだ。大事なことは"なぜ車が重いのか""どうしたら船が進みやすくなるか"を知るということだよ。
伊藤 つまり、相手の話をまず聞くということですか。
小林 相手が何を求めているかを知らないと、信心の実践の素晴らしさを伝えることはできないよね。
伊藤 確かに……。僕も男子部の先輩といろんなことを話して時間を過ごしているうちに、つい自分の悩みや達成したいことを伝えていた気がします。
小林 僕もそうだった。何か上から教えるような態度ではなくて、どこまでも相手に寄り添って、一緒に成長しよう、一緒に信心で幸せになろうという姿勢が大事なんだ。
伊藤 そういえば地区リーダーの面接の時に、「"わが地区のメンバーは自分以上の人材に必ずなる!"と確信して祈ろう」って、言われました。
小林 その上で大事なのは、御書に「随喜する声を聞いて随喜し」(1199ページ)とあるように、やっぱり自分が率先して信仰を実践し、人間として成長して、その歓喜を伝えることだと思う。
伊藤 まず「自分」なんですね!
小林 池田先生はかつて、"シビレエイが相手をしびれさせることができるのは、自分がしびれているからだ"とのソクラテスの教えを通して、「人間の心を動かすものは、人間の心以外にありません」と語られた。情熱と歓喜の心で、誠実に接していけば、その真心は必ず伝わるよ。
副役職の友が元気だ。
中心者は自ら声を掛け
意見や応援を求めよ!
正副の共戦で勝て!
御義口伝巻下 P801
『御義口伝に云く此の菩薩は法華弘通の菩薩なり故に卅四身を現じて十界互具を顕し給い利益説法するなり』
☆四季の語らい
リーダーが独善で自己中心、皆が互いに人の批判ばかりしている − そんなところに勝利はない。しつかりと、皆で打ち合わせをし、呼吸を合わせて戦う。そこから勝利は生まれる。
☆女性に贈ることば 五月八日
お母さんへ感謝を忘れてはいけません。母への感謝を忘れた時、人は倣慢になる。大切な何かを見失ってしまう。
母に最敬礼する心から、正義も平和も生まれる。
☆今日のことば365 五月八日
目的のある、苦労は、張り合いがある。目的なく、苦労して、死んでいく人は、奴隷のように見える。
☆御書の解説 2016年4月30日
Q 部員さんをやる気にさせたい
A どこまでも相手に寄り添う気持ちが大事
地区リーダーとして部員のもとに足しげく通う伊藤くんですが、元気がないようです。
小林男子部本部長 どうしたんだい?
伊藤くん 訪問激励を続けているんですが、なかなかメンバーが会合に参加してくれなくて。
小林 みんな、仕事や家庭が忙しい時もあるから、そう落ち込まなくていいんじゃないかい。
伊藤 だけど、時間があっても「僕は行きたいと思いませんので」って言われることもあるんです。
小林 率直だね(笑い)。
伊藤 いったいどうすれば、部員さんを"やる気"にさせられるんでしょう……。
小林 日蓮大聖人は『人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて進みやすくするように教えるのである』(P1574、通解)と仰せだ。大事なことは"なぜ車が重いのか""どうしたら船が進みやすくなるか"を知るということだよ。
伊藤 つまり、相手の話をまず聞くということですか。
小林 相手が何を求めているかを知らないと、信心の実践の素晴らしさを伝えることはできないよね。
伊藤 確かに……。僕も男子部の先輩といろんなことを話して時間を過ごしているうちに、つい自分の悩みや達成したいことを伝えていた気がします。
小林 僕もそうだった。何か上から教えるような態度ではなくて、どこまでも相手に寄り添って、一緒に成長しよう、一緒に信心で幸せになろうという姿勢が大事なんだ。
伊藤 そういえば地区リーダーの面接の時に、「"わが地区のメンバーは自分以上の人材に必ずなる!"と確信して祈ろう」って、言われました。
小林 その上で大事なのは、御書に「随喜する声を聞いて随喜し」(1199ページ)とあるように、やっぱり自分が率先して信仰を実践し、人間として成長して、その歓喜を伝えることだと思う。
伊藤 まず「自分」なんですね!
小林 池田先生はかつて、"シビレエイが相手をしびれさせることができるのは、自分がしびれているからだ"とのソクラテスの教えを通して、「人間の心を動かすものは、人間の心以外にありません」と語られた。情熱と歓喜の心で、誠実に接していけば、その真心は必ず伝わるよ。
2016.05.05 わが友に贈る
友情こそ宝。
古き友を大切に
新たな出会いを結ぼう!
誠実と爽やかな笑顔が
心の扉を開く!
四条金吾女房御書 P1109
『夫婦共に法華の持者なり法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ』
☆四季の語らい
リーダーとして、誰が陰で頑張っているのか、誰が最も苦労しているのかを、常に見抜いていかなくてはならない。華やかな表舞台にばかり目がいき、表面だけしか見ないリーダーでは、後輩がかわいそうです。そうなれば、やがて、皆が見せかけだけを考え、要領よく立ち回るようになってしまう。結局、組織をつくっていくといっても、人間としての思いやり、心遣いである。
そこに人は心を打たれ、頑張ろうという気持ちにもなる。
☆女性に贈ることば 五月五日
どんな子であれ、その人にしか見たせない使命がある。誰しも、何かの才能の芽をもっている。
その芽を伸ばすための最高の養分は、信じてあげることです。
人によって、早く芽吹く人もいれば、時間がたってから、急に伸びだす人もいる。
しかし、いつかは必ず才能の芽が伸びることを信じて、温かく見守り、根気強く励ましを重ねていくことです。
☆今日のことば365 五月五日
希望に燃えて 怒濤に向かい
たとい貧しき 身なりとも
人が笑おが あざけよが
じっとこらえて 今に見ろ
まずは働け 若さの限り
なかには あなどる者もあろ
されどニッコリ 心は燃えて
強く正しく わが途進め
苦難の道を 悠々と
明るく微笑み 大空仰ぎゃ
見ゆる未来の 希望峰
僕は進むぞ また今日も
☆勝利の人間学 第94回 正義の大言論戦を
◇言葉の力で時代を動かせ
御聖訓には、『仏は文字に依って衆生を度し給うなり』(P153)と記されている。
希望の言葉が人を動かし、時代を動かす。
戸田先生は、『言論戦で広宣流布を切り開こう』と語り、聖教新聞を創刊された。この4月20日で、満65年である。『日本中、世界中の人に読ませたい』との恩師の願いもまた、後継の君たちが受け継いでもらいたい。
『建設を また建設と 若人が 人のためにと 平和のためにと』
わが青年部の機関紙『創価新報』の創刊号に寄せて、私が贈った一首である。
青年が『非暴力の武器』『文化の武器』である言論を勇敢に放ち、人のために献身しゆく日々こそ、平和の建設に直結するのだ。
◇勇気の対話が信頼を広げる
日蓮大聖人は、女性の門下に、『法華経をいくら謗ろうとも、宝石が石にならないように、法華経の偉大さは少しも損ずることはない』(P1114、趣意)と仰せである。
真実は真実だ。正義は正義だ。誰が何と言おうと、恐れることはない。
誤った認識や偏見は、聡明に正して、善に目覚めさせていくことが、本当の慈悲である。
悪や嘘がまかり通れば、人の心は濁り、社会は乱れる。惑わされてはならない。
青年ならば、鋭く見破ることだ。胸を張って正義を言い切ることだ。
その勇気が真の信頼を広げることを忘れまい。
◇前進!破邪顕正の精神で
『立正安国論』は、客と主人が、相次ぐ災害や飢饉、疫病に苦しむ人々を目の当たりにして、共に憂慮するところから始まる。
途中、客は顔色を変えて反発し、席を立とうとするが、主人は『咲みを止めて』(P24)笑顔をたたえて悠然と対話を続ける。
破邪顕正の精神は、朗らかにして粘り強い確信の対話となって表れる。納得と共感を勝ち取る語らいは、こちらの一念にかかっている。強盛な祈りで生命力を満々と漲らせ、一人一人を味方にする対話に打って出よう!
古き友を大切に
新たな出会いを結ぼう!
誠実と爽やかな笑顔が
心の扉を開く!
四条金吾女房御書 P1109
『夫婦共に法華の持者なり法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ』
☆四季の語らい
リーダーとして、誰が陰で頑張っているのか、誰が最も苦労しているのかを、常に見抜いていかなくてはならない。華やかな表舞台にばかり目がいき、表面だけしか見ないリーダーでは、後輩がかわいそうです。そうなれば、やがて、皆が見せかけだけを考え、要領よく立ち回るようになってしまう。結局、組織をつくっていくといっても、人間としての思いやり、心遣いである。
そこに人は心を打たれ、頑張ろうという気持ちにもなる。
☆女性に贈ることば 五月五日
どんな子であれ、その人にしか見たせない使命がある。誰しも、何かの才能の芽をもっている。
その芽を伸ばすための最高の養分は、信じてあげることです。
人によって、早く芽吹く人もいれば、時間がたってから、急に伸びだす人もいる。
しかし、いつかは必ず才能の芽が伸びることを信じて、温かく見守り、根気強く励ましを重ねていくことです。
☆今日のことば365 五月五日
希望に燃えて 怒濤に向かい
たとい貧しき 身なりとも
人が笑おが あざけよが
じっとこらえて 今に見ろ
まずは働け 若さの限り
なかには あなどる者もあろ
されどニッコリ 心は燃えて
強く正しく わが途進め
苦難の道を 悠々と
明るく微笑み 大空仰ぎゃ
見ゆる未来の 希望峰
僕は進むぞ また今日も
☆勝利の人間学 第94回 正義の大言論戦を
◇言葉の力で時代を動かせ
御聖訓には、『仏は文字に依って衆生を度し給うなり』(P153)と記されている。
希望の言葉が人を動かし、時代を動かす。
戸田先生は、『言論戦で広宣流布を切り開こう』と語り、聖教新聞を創刊された。この4月20日で、満65年である。『日本中、世界中の人に読ませたい』との恩師の願いもまた、後継の君たちが受け継いでもらいたい。
『建設を また建設と 若人が 人のためにと 平和のためにと』
わが青年部の機関紙『創価新報』の創刊号に寄せて、私が贈った一首である。
青年が『非暴力の武器』『文化の武器』である言論を勇敢に放ち、人のために献身しゆく日々こそ、平和の建設に直結するのだ。
◇勇気の対話が信頼を広げる
日蓮大聖人は、女性の門下に、『法華経をいくら謗ろうとも、宝石が石にならないように、法華経の偉大さは少しも損ずることはない』(P1114、趣意)と仰せである。
真実は真実だ。正義は正義だ。誰が何と言おうと、恐れることはない。
誤った認識や偏見は、聡明に正して、善に目覚めさせていくことが、本当の慈悲である。
悪や嘘がまかり通れば、人の心は濁り、社会は乱れる。惑わされてはならない。
青年ならば、鋭く見破ることだ。胸を張って正義を言い切ることだ。
その勇気が真の信頼を広げることを忘れまい。
◇前進!破邪顕正の精神で
『立正安国論』は、客と主人が、相次ぐ災害や飢饉、疫病に苦しむ人々を目の当たりにして、共に憂慮するところから始まる。
途中、客は顔色を変えて反発し、席を立とうとするが、主人は『咲みを止めて』(P24)笑顔をたたえて悠然と対話を続ける。
破邪顕正の精神は、朗らかにして粘り強い確信の対話となって表れる。納得と共感を勝ち取る語らいは、こちらの一念にかかっている。強盛な祈りで生命力を満々と漲らせ、一人一人を味方にする対話に打って出よう!
2016年5月4日水曜日
2016.05.04 わが友に贈る
「師弟相違せば
なに事も成べからず」
師弟の精神こそ
全ての勝利の源泉だ。
心を合わせて前へ!
乙御前御消息 P1220
『一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』
☆四季の語らい
人ではない。自分である。自分が成長すれば、周囲も変わる。自分を見つめず、自分を教育せずして、何を論じ、何を行っても、無責任であるし、大きな価値は生めないであろう。
☆女性に贈ることば 五月四日
笑顔は、幸福の結果というよりも、むしろ幸福の原因だともいえよう。
☆今日のことば365 五月四日
よく読め よく書け
そして 雄弁たれ
それが 偉大なる発展への推進力だ
☆勝利の人間学 第92回 富士の如く威風堂々と!
◇生命の福光で社会を照らせ
あの未曽有の大震災から5年。愛する東北の若人が、日本一の対話の拡大を成し遂げ、歴史的な青年音楽祭を飾ってくれた。
けなげな父母たちも、社会のリーダー方も、全世界の同志も、涙を浮かべて賞讃の大拍手を送っている。
『日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮の空・皆明かなり大光を備へ給へる故なり』(P883)と説かれる。
妙法に生きゆく君たち、あなたたちの生命にこそ、希望の『福光』は輝きわたっている。
朗々たる題目で、今日も、わが生命に太陽を昇らせ、友を照らし、社会を照らす勇気の大光を、朗らかに広げゆくのだ。
◇『私が創価学会』との気概で
日蓮大聖人は、『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ』(P1589)と仰せである。
創価の青年は、一人ももれなく師子である。
臆病な師子はいない。退く師子はいない。叫べない師子はいない。
広宣流布と立正安国の大運動にあって、民衆の幸福と安穏を開く『正義の師子吼』を、自信満々と轟かせていくのだ。
『私が創価学会である』との気概で、勇気凜々といこう!誇り高き後継の師子なれば!
◇悩みの烈風に負けるな
戸田先生は、『3.16』の式典で、富士を仰ぎつつ、青年に広布の未来を託された。
恩師は若人に、『富士の如くあれ!富士の如く、堂々と生きよ!悠然と戦え!』と語られていた。
富士は、常に烈風にさらされている。
青春にも、悩みの烈風がある。試練の風雪がある。しかし、恐れてはならない。怯んでもならない。深き祈りで『断じて負けない』と一念を定めれば、大山のように不動の境涯が築かれていくのだ。
創価の三代と『不二』の君たちよ、『富士』の如き自分自身を創り上げてくれ給え!
『堂々と 富士の如くに 青年山』
なに事も成べからず」
師弟の精神こそ
全ての勝利の源泉だ。
心を合わせて前へ!
乙御前御消息 P1220
『一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』
☆四季の語らい
人ではない。自分である。自分が成長すれば、周囲も変わる。自分を見つめず、自分を教育せずして、何を論じ、何を行っても、無責任であるし、大きな価値は生めないであろう。
☆女性に贈ることば 五月四日
笑顔は、幸福の結果というよりも、むしろ幸福の原因だともいえよう。
☆今日のことば365 五月四日
よく読め よく書け
そして 雄弁たれ
それが 偉大なる発展への推進力だ
☆勝利の人間学 第92回 富士の如く威風堂々と!
◇生命の福光で社会を照らせ
あの未曽有の大震災から5年。愛する東北の若人が、日本一の対話の拡大を成し遂げ、歴史的な青年音楽祭を飾ってくれた。
けなげな父母たちも、社会のリーダー方も、全世界の同志も、涙を浮かべて賞讃の大拍手を送っている。
『日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮の空・皆明かなり大光を備へ給へる故なり』(P883)と説かれる。
妙法に生きゆく君たち、あなたたちの生命にこそ、希望の『福光』は輝きわたっている。
朗々たる題目で、今日も、わが生命に太陽を昇らせ、友を照らし、社会を照らす勇気の大光を、朗らかに広げゆくのだ。
◇『私が創価学会』との気概で
日蓮大聖人は、『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ』(P1589)と仰せである。
創価の青年は、一人ももれなく師子である。
臆病な師子はいない。退く師子はいない。叫べない師子はいない。
広宣流布と立正安国の大運動にあって、民衆の幸福と安穏を開く『正義の師子吼』を、自信満々と轟かせていくのだ。
『私が創価学会である』との気概で、勇気凜々といこう!誇り高き後継の師子なれば!
◇悩みの烈風に負けるな
戸田先生は、『3.16』の式典で、富士を仰ぎつつ、青年に広布の未来を託された。
恩師は若人に、『富士の如くあれ!富士の如く、堂々と生きよ!悠然と戦え!』と語られていた。
富士は、常に烈風にさらされている。
青春にも、悩みの烈風がある。試練の風雪がある。しかし、恐れてはならない。怯んでもならない。深き祈りで『断じて負けない』と一念を定めれば、大山のように不動の境涯が築かれていくのだ。
創価の三代と『不二』の君たちよ、『富士』の如き自分自身を創り上げてくれ給え!
『堂々と 富士の如くに 青年山』
2016年5月3日火曜日
2016.05.03 わが友に贈る
わが地域から
新たな人材の輩出を!
青年を育ててこそ
広布の未来は輝く。
祈りと団結で道を開け!
御義口伝 P721
『御義口伝に云く大悲とは母の子を思う慈悲の如し今日蓮等の慈悲なり』
☆四季の語らい
真のリーダーは、威張らない。「自分には厳しく」「友には温かく」。「自分は真剣勝負」「皆の心を軽くしてあげる」。「まず自分が動く」「皆を優しく励ましてあげる」。「自分が率先して苦労する」「皆の疲れを取ってあげる」。「自分が悪と戦い、叫びきっていく」「皆には安心を与えていく」。これが、まことの指導者である。
☆女性に贈ることば 五月三日
母の力は大地の力である。
大地が、草木を茂らせ、花を咲かせ、果実を実らせるように、母は、いっさいを育む創造と教育の大地である。その大地が、ひとたび動けば、すべては変わる。
母が家庭を変える。
母が地域を変える。
母が社会を変える。
母が時代を変える。
そして、母が世界を平和へと変えていくのだ!
☆今日のことば365 五月三日
いかなる時も
いずこにあろうとも
燦爛たる太陽のごとく明朗に
天空を翔る若鷲のごとく闊達に
大海のごとく包容力豊かに
然して時来たらば
決然として起ち
疾風怒濤のごとく邪悪と戦う青年であれ
☆勝利の人間学 第91回 感謝の心が希望前進の力
◇笑顔で親孝行を!
感謝の人には笑顔がある。喜びがある。成長がある。そして、福運が集まる。
とりわけ、一番、身近で大切な父母と家族に感謝する心から、幸福も平和も生まれる。
親孝行していこう!この一念で、明るく賢く温かな振る舞いを心がけてもらいたい。御聖訓には、『法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり』(P1528)と仰せである。
親が信心していても、いなくても、君たちが感謝を込めて唱える題目は、最高の孝養となる。仏道修行の功徳は、全て一家一族に流れ通っていくのだ。
◇人間の中へ 民衆の中へ
日蓮大聖人は、若き南条時光に『父母の恩』とともに、『一切衆生の恩』を示された。『生々世々に、皆、恩ある衆生であるのだから、『皆が仏になってほしい』と願うべきである。(P1527、通解)と御指南されている。
陰に陽に自らを支えてくれている人々の恩を感じられることが、境涯の深さだ。
仏法の眼で見れば、人間の縁を、永遠にして無辺の広がりで捉えていくことができる。
広宣流布とは、『一切衆生の恩』に応えゆく最善の活動である。ゆえに、縁する人を皆、救っていくのだとの菩薩の誓願に立って、人間の中へ、民衆の中へ飛び込んでいくのだ。
◇拡大と勝利こそ報恩の道
わが師・戸田先生は、悠然と言われた。
『本当の偉さとは、たとえ人にしてあげたことは忘れても、してもらったことは一生涯忘れないで、その恩を返していこうとすることだ』と。
人間として、最も尊く、最も気高い宝冠は、恩を知り、恩に報いていく人の頭上に輝く。
私も、正しき人生の道を教えてくださった戸田先生の大恩に、生涯かけて報じゆく闘争を、今も同志と共に貫いている。
後継の君たちが限りなく続いてくれることが、私の何よりの誇りである。
広宣流布の拡大と勝利こそ、最高無上の『報恩』の道であるからだ。
新たな人材の輩出を!
青年を育ててこそ
広布の未来は輝く。
祈りと団結で道を開け!
御義口伝 P721
『御義口伝に云く大悲とは母の子を思う慈悲の如し今日蓮等の慈悲なり』
☆四季の語らい
真のリーダーは、威張らない。「自分には厳しく」「友には温かく」。「自分は真剣勝負」「皆の心を軽くしてあげる」。「まず自分が動く」「皆を優しく励ましてあげる」。「自分が率先して苦労する」「皆の疲れを取ってあげる」。「自分が悪と戦い、叫びきっていく」「皆には安心を与えていく」。これが、まことの指導者である。
☆女性に贈ることば 五月三日
母の力は大地の力である。
大地が、草木を茂らせ、花を咲かせ、果実を実らせるように、母は、いっさいを育む創造と教育の大地である。その大地が、ひとたび動けば、すべては変わる。
母が家庭を変える。
母が地域を変える。
母が社会を変える。
母が時代を変える。
そして、母が世界を平和へと変えていくのだ!
☆今日のことば365 五月三日
いかなる時も
いずこにあろうとも
燦爛たる太陽のごとく明朗に
天空を翔る若鷲のごとく闊達に
大海のごとく包容力豊かに
然して時来たらば
決然として起ち
疾風怒濤のごとく邪悪と戦う青年であれ
☆勝利の人間学 第91回 感謝の心が希望前進の力
◇笑顔で親孝行を!
感謝の人には笑顔がある。喜びがある。成長がある。そして、福運が集まる。
とりわけ、一番、身近で大切な父母と家族に感謝する心から、幸福も平和も生まれる。
親孝行していこう!この一念で、明るく賢く温かな振る舞いを心がけてもらいたい。御聖訓には、『法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり』(P1528)と仰せである。
親が信心していても、いなくても、君たちが感謝を込めて唱える題目は、最高の孝養となる。仏道修行の功徳は、全て一家一族に流れ通っていくのだ。
◇人間の中へ 民衆の中へ
日蓮大聖人は、若き南条時光に『父母の恩』とともに、『一切衆生の恩』を示された。『生々世々に、皆、恩ある衆生であるのだから、『皆が仏になってほしい』と願うべきである。(P1527、通解)と御指南されている。
陰に陽に自らを支えてくれている人々の恩を感じられることが、境涯の深さだ。
仏法の眼で見れば、人間の縁を、永遠にして無辺の広がりで捉えていくことができる。
広宣流布とは、『一切衆生の恩』に応えゆく最善の活動である。ゆえに、縁する人を皆、救っていくのだとの菩薩の誓願に立って、人間の中へ、民衆の中へ飛び込んでいくのだ。
◇拡大と勝利こそ報恩の道
わが師・戸田先生は、悠然と言われた。
『本当の偉さとは、たとえ人にしてあげたことは忘れても、してもらったことは一生涯忘れないで、その恩を返していこうとすることだ』と。
人間として、最も尊く、最も気高い宝冠は、恩を知り、恩に報いていく人の頭上に輝く。
私も、正しき人生の道を教えてくださった戸田先生の大恩に、生涯かけて報じゆく闘争を、今も同志と共に貫いている。
後継の君たちが限りなく続いてくれることが、私の何よりの誇りである。
広宣流布の拡大と勝利こそ、最高無上の『報恩』の道であるからだ。
2016.05.02 わが友に贈る
「法華経の中には
女人成仏第一なり」
創価の女性の連帯こそ
人類照らす太陽だ。
母に感謝の「5・3」を!
如説修行抄 P504
『哀なるかな今日本国の万民日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑ふとも昨日は人の上今日は身の上なれば日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし』
☆四季の語らい
民衆のために、死をも覚悟して行動を貫いた古今東西のリーダーたちには、不撓不屈の信念がある。そして、「革命」に人生を捧げた人たちには、深き哲学、理念がある。内から発光する"何か"を持っている。
☆女性に贈ることば 五月二日
人生にあって師をもてることは幸せであり、大きな喜びである。自らが決めた師弟の道を人生の誇りとして貫き通すところに、人間としての美しさ、尊さがある。
☆今日のことば365 五月二日
真実の幸福を願うものは、自らの幸福ばかりでなく、他の人の幸福のためにも働く人でなければならないと思う。その人こそ、真の平和を愛する人であり、また真実の幸福を与えきれる、偉大な力を持った人であると信じてよいであろう。
☆本紙創刊65周年 記念特集 池田SGI会長と聖教新聞�
◇編集スタッフを全力で育成
「聖教新聞を、日本中、世界中の人に読ませたい」——これが戸田第2代会長の熱願であった。
この心を胸に、SGI会長は、新聞の制作に携わる記者や職員の育成にも全力で取り組んできた。
小説『新・人間革命』第18巻「師子吼」の章には、1973年(昭和48年)、記者からの質問に答え、記事を書く際の精神について話す様子がつづられている。
「結論からいえば、私たちの"文"の根本は、折伏精神です。
権力の横暴など社会悪や、人間生命に巣くう魔性を、絶対に許さぬ心です。そして、断じて広宣流布し、人びとの幸福と平和の道を開き抜くぞという一念です。
この燃え上がるような学会魂をもってペンを握れば、たとえ表現は稚拙でも、それだけのものが必ず文に滲み出てくる。ちゃんと人の心を動かすものだよ。これが境涯で書くということです」
また時には若手の記者と懇談し、一人一人の生活や信心の状況にも心を配りながら、温かな励ましを送った。記事の内容や見出し、紙面のレイアウトについてアドバイスを送ることもあった。
ある時は、このように語っている。
「新聞は見出しで決まるといってよい。一本の見出しで鋭い刻印を押せないようでは、いかに記事がよくても80%勝って、最後に負けたのと同じです」
「見出しにしても、割り付け(紙面のレイアウト)にしても、現状で満足していたのでは読者に飽きられてしまう。もっと発想の転換をしていくんだ」
また、記者の心構えについても、具体的に教えている。
「創価学会は価値創造の団体なんだから、言葉にしても新しいもの、それでいて、読者の心の奥底に響いていくものを創造していかなくてはいけない。同じ言葉を何度も繰り返していたのでは、紙面はよくならない」
聖教は、正義と真実を叫びゆく民衆の「言論城」である。
ゆえにSGI会長は、世界一流の新聞たれ、とエールを送り続けている。
◇写真撮影へのアドバイスも
SGI会長は、聖教に掲載される写真についても、さまざまな観点から助言を送ってきた。
関西で行われた文化祭でのこと。聖教のカメラマンが撮影した写真は、生き生きとした参加者たちの表情を、アップで撮影したものが多かった。
SGI会長は、それらを見て、「いい写真なんだけどね。聖教には、できるだけたくさんの人を出してあげたいんだ」と。
同志が喜び、希望にあふれて前進できるようにと、常に心を配っていたのだ。
SGI会長の海外平和旅に同行してきたカメラマンは言う。
「池田先生は激務の中でも、私たちが撮った写真を毎日見てくださいました。その中で、撮影についてのアドバイスをいただくこともありました」
「"遠く離れた地で待つ会員・読者に、世界広布前進の息吹を届けたい。紙面を通して、皆に勇気と希望を送るのだ"との一念を強く感じました」
東西冷戦の最中の1974年(昭和49年)9月、SGI会長はソ連を訪問。ノーベル賞作家のショーロホフ氏と会談した。
同行したカメラマンは振り返る。
「氏のアパートに着き、池田先生は1階からスタッフの方と一緒にエレベーターに乗られました。私も乗ろうと思ったのですが、狭くて無理だと思い、階段に向かおうとしたのです。その時、先生が『乗りなさい!』と叫ばれました」
「4、5人乗りのエレベーターに肩をすぼめて乗り込みました。4階で扉が開くと、そこにショーロホフ氏が待っていたのです。
私は、お二人の一期一会の出会いの瞬間を、カメラに収めることができました。もし自分の判断で階段で駆け上がっていたら間に合わず、この瞬間を写真に残すことはできなかったと思います」
自らもカメラを握るSGI会長は語る。
「写真は戦いです。二度と来ないこの一瞬を、永遠にとどめる。これは戦いです」と。
その心は、聖教の紙面を飾る写真の中に脈打っている。
◇尊き配達員に最大の感謝
SGI会長は、広告や印刷、運搬の業務、また販売店など聖教に携わる、あらゆる人々のために心を砕いてきた。中でも配達員に対しては、「学会の宝」と心からたたえ、最大の感謝を表してきた。
「配達員・販売店制度」が発足したのは1955年(昭和30年)6月。配達員の手によって全国の隅々に聖教が届くようになった。
日刊化1周年の66年7月には、配達員の機関紙が発刊。SGI会長はその名前を「無冠」と命名した。それは「無冠の王」との言葉に由来し、「権力も、王冠も欲することなく、地涌の菩薩の誇りに燃え、言論城の王者として、民衆のために戦い走ろうとする」配達員の心意気を表したものだった。
SGI会長は、配達員のことを、深き敬意を込めて「無冠の友」と呼ぶ。
73年12月には、配達員の功労をたたえ、聖教本社で「広布使者の像」の除幕を。翌年1月の「無冠」の1面は"私の最も好きな像と共に"と、広布使者の像の肩を抱きかかえる会長の写真が飾った。
かつての「聖教グラフ」でカラーページを設ける際のこと。編集部では「海外の写真」や「美しい風景写真」を大きく掲載しようとの案が出された。しかし、SGI会長が真っ先に提案したのは、全国の「無冠の友」を紹介する企画だった。
また、ある年の4月の朝、突風が吹き荒れたことがあった。
配達員の苦労に思いをはせ、会長はすぐさま「春嵐の中、完璧に配達してくださった無冠の友に深く感謝。幸福勝利あれ」との言葉を贈った。
SGI会長はつづった。
「目が覚めると、最初に確認したくなるのは全国の天気模様。晴れならば一安心。雨や雪だと、聖教新聞の配達員さんのことを思い、胸が痛む」
また「私は聖教を手にすると、『新聞受け』のほうに向かって合掌しつつ、すべての『無冠の友』に、心からのお題目を送らせていただくのが、常であります」と。
その思いは、今も全く変わらない。
女人成仏第一なり」
創価の女性の連帯こそ
人類照らす太陽だ。
母に感謝の「5・3」を!
如説修行抄 P504
『哀なるかな今日本国の万民日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑ふとも昨日は人の上今日は身の上なれば日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし』
☆四季の語らい
民衆のために、死をも覚悟して行動を貫いた古今東西のリーダーたちには、不撓不屈の信念がある。そして、「革命」に人生を捧げた人たちには、深き哲学、理念がある。内から発光する"何か"を持っている。
☆女性に贈ることば 五月二日
人生にあって師をもてることは幸せであり、大きな喜びである。自らが決めた師弟の道を人生の誇りとして貫き通すところに、人間としての美しさ、尊さがある。
☆今日のことば365 五月二日
真実の幸福を願うものは、自らの幸福ばかりでなく、他の人の幸福のためにも働く人でなければならないと思う。その人こそ、真の平和を愛する人であり、また真実の幸福を与えきれる、偉大な力を持った人であると信じてよいであろう。
☆本紙創刊65周年 記念特集 池田SGI会長と聖教新聞�
◇編集スタッフを全力で育成
「聖教新聞を、日本中、世界中の人に読ませたい」——これが戸田第2代会長の熱願であった。
この心を胸に、SGI会長は、新聞の制作に携わる記者や職員の育成にも全力で取り組んできた。
小説『新・人間革命』第18巻「師子吼」の章には、1973年(昭和48年)、記者からの質問に答え、記事を書く際の精神について話す様子がつづられている。
「結論からいえば、私たちの"文"の根本は、折伏精神です。
権力の横暴など社会悪や、人間生命に巣くう魔性を、絶対に許さぬ心です。そして、断じて広宣流布し、人びとの幸福と平和の道を開き抜くぞという一念です。
この燃え上がるような学会魂をもってペンを握れば、たとえ表現は稚拙でも、それだけのものが必ず文に滲み出てくる。ちゃんと人の心を動かすものだよ。これが境涯で書くということです」
また時には若手の記者と懇談し、一人一人の生活や信心の状況にも心を配りながら、温かな励ましを送った。記事の内容や見出し、紙面のレイアウトについてアドバイスを送ることもあった。
ある時は、このように語っている。
「新聞は見出しで決まるといってよい。一本の見出しで鋭い刻印を押せないようでは、いかに記事がよくても80%勝って、最後に負けたのと同じです」
「見出しにしても、割り付け(紙面のレイアウト)にしても、現状で満足していたのでは読者に飽きられてしまう。もっと発想の転換をしていくんだ」
また、記者の心構えについても、具体的に教えている。
「創価学会は価値創造の団体なんだから、言葉にしても新しいもの、それでいて、読者の心の奥底に響いていくものを創造していかなくてはいけない。同じ言葉を何度も繰り返していたのでは、紙面はよくならない」
聖教は、正義と真実を叫びゆく民衆の「言論城」である。
ゆえにSGI会長は、世界一流の新聞たれ、とエールを送り続けている。
◇写真撮影へのアドバイスも
SGI会長は、聖教に掲載される写真についても、さまざまな観点から助言を送ってきた。
関西で行われた文化祭でのこと。聖教のカメラマンが撮影した写真は、生き生きとした参加者たちの表情を、アップで撮影したものが多かった。
SGI会長は、それらを見て、「いい写真なんだけどね。聖教には、できるだけたくさんの人を出してあげたいんだ」と。
同志が喜び、希望にあふれて前進できるようにと、常に心を配っていたのだ。
SGI会長の海外平和旅に同行してきたカメラマンは言う。
「池田先生は激務の中でも、私たちが撮った写真を毎日見てくださいました。その中で、撮影についてのアドバイスをいただくこともありました」
「"遠く離れた地で待つ会員・読者に、世界広布前進の息吹を届けたい。紙面を通して、皆に勇気と希望を送るのだ"との一念を強く感じました」
東西冷戦の最中の1974年(昭和49年)9月、SGI会長はソ連を訪問。ノーベル賞作家のショーロホフ氏と会談した。
同行したカメラマンは振り返る。
「氏のアパートに着き、池田先生は1階からスタッフの方と一緒にエレベーターに乗られました。私も乗ろうと思ったのですが、狭くて無理だと思い、階段に向かおうとしたのです。その時、先生が『乗りなさい!』と叫ばれました」
「4、5人乗りのエレベーターに肩をすぼめて乗り込みました。4階で扉が開くと、そこにショーロホフ氏が待っていたのです。
私は、お二人の一期一会の出会いの瞬間を、カメラに収めることができました。もし自分の判断で階段で駆け上がっていたら間に合わず、この瞬間を写真に残すことはできなかったと思います」
自らもカメラを握るSGI会長は語る。
「写真は戦いです。二度と来ないこの一瞬を、永遠にとどめる。これは戦いです」と。
その心は、聖教の紙面を飾る写真の中に脈打っている。
◇尊き配達員に最大の感謝
SGI会長は、広告や印刷、運搬の業務、また販売店など聖教に携わる、あらゆる人々のために心を砕いてきた。中でも配達員に対しては、「学会の宝」と心からたたえ、最大の感謝を表してきた。
「配達員・販売店制度」が発足したのは1955年(昭和30年)6月。配達員の手によって全国の隅々に聖教が届くようになった。
日刊化1周年の66年7月には、配達員の機関紙が発刊。SGI会長はその名前を「無冠」と命名した。それは「無冠の王」との言葉に由来し、「権力も、王冠も欲することなく、地涌の菩薩の誇りに燃え、言論城の王者として、民衆のために戦い走ろうとする」配達員の心意気を表したものだった。
SGI会長は、配達員のことを、深き敬意を込めて「無冠の友」と呼ぶ。
73年12月には、配達員の功労をたたえ、聖教本社で「広布使者の像」の除幕を。翌年1月の「無冠」の1面は"私の最も好きな像と共に"と、広布使者の像の肩を抱きかかえる会長の写真が飾った。
かつての「聖教グラフ」でカラーページを設ける際のこと。編集部では「海外の写真」や「美しい風景写真」を大きく掲載しようとの案が出された。しかし、SGI会長が真っ先に提案したのは、全国の「無冠の友」を紹介する企画だった。
また、ある年の4月の朝、突風が吹き荒れたことがあった。
配達員の苦労に思いをはせ、会長はすぐさま「春嵐の中、完璧に配達してくださった無冠の友に深く感謝。幸福勝利あれ」との言葉を贈った。
SGI会長はつづった。
「目が覚めると、最初に確認したくなるのは全国の天気模様。晴れならば一安心。雨や雪だと、聖教新聞の配達員さんのことを思い、胸が痛む」
また「私は聖教を手にすると、『新聞受け』のほうに向かって合掌しつつ、すべての『無冠の友』に、心からのお題目を送らせていただくのが、常であります」と。
その思いは、今も全く変わらない。
2016年5月1日日曜日
2016.05.01 わが友に贈る
理想に生きる人は
いつも若々しい。
清流のごとき信心で
今日も新たな挑戦を!
栄光の自分史を綴れ!
妙密上人御消息 P1240
『此等の経文は日蓮日本国に生ぜずんば但仏の御言のみ有りて其の義空しかるべし、譬へば花さき菓みならず雷なりて雨ふらざらんが如し』
☆四季の語らい
リーダーは、生き生きとした探求心で、常に学んでいくことである。リーダー自らが、瑞々しく学んでゆくところに、触発が生まれる。新しい発想が広がる。前進の息吹が漲る。知ったかぶりをしたり、わかったつもりでいるのではなく、万般にわたって自ら学び、人々を啓発していくことが大事である。
☆女性に贈ることば 五月一日
日々新たにして日に日に新たなり−
今日も生まれ変わった生命の息吹で
全力で走りゆくことだ
今日の満足と、明日への飛躍と
☆今日のことば365 五月一日
民衆の声ほど 強きものはない
民衆の怒りほど 恐ろしきものはない
民衆の叫びほど 正しきものはない
☆大白蓮華巻頭言 2016年5月号 地涌の若人と常勝歓喜の舞を!
いかなる試練の時代、いかなる苦難の社会にも、生命尊厳の希望の哲理を掲げ、正義のため、民衆のため、平和のため、喜び勇んで戦おうではないか!
時を超え、国を超えて、「法華経」が呼びかけてやまない、この魂のメッセージに応えて立ち上がった「地涌の菩薩」の群像こそ、わが創価学会である。
日蓮大聖人の仰せの如く、一問浮擬が打ち乱れる闘じょうの只中で、牧口常三郎先生、戸田城聖先生は、身命を賭して広宣流布の道を開いてくださった。
両先生が最大に信じ期待されたのは、青年である。
青年にこそ、強く正しく清らかな地涌の生命が躍動するからだ。創価の師弟が広げてきた「歓喜踊躍」の青春の舞は、今やこの地球を包み始めている。
地涌の若人の涌出は、待つものではない。先頭に立って呼び出すのだ。一緒に戦い、育て鍛えるのだ。
思えば、大聖人御自らが、こよなく青年を慈しまれ、相次ぐ法難の中で、薫陶し、鍛錬なされていた。
ある年の五月三日、若き南条時光へのお手紙には、「大事だと思っている人たちが信心を制止し、大難が来る時がある。その時こそ、まさに諸天の守護が厳然と現れると確信し、いよいよ強盛に信心に励んでいきなさい」(P1512、趣意)と仰せである。
吹き荒れる烈風に怯まず、勇敢に思い切って広布の大願に挑みゆく若人の色心には、妙法と一体不二の無限のエネルギーが漲るのだ。その正義の丈夫たち、乙女たちを、仏天は必ずや守らずにはおかない。
六十年前、愛する関西の天地で、私は、いまだ入会まもない青年たちと、新たな民衆勝利の歴史を開きゆかんと、未聞の拡大に挑戦していった。
私はリーダーに語った。「一人の百歩前進も尊いが、それ以上に百人の一歩前進こそ大切だ。そのためにも、一人一人の名前を思い浮かべて祈ろう」と。
この時、共に奮闘した兵庫の青年は、口下手に悩み、夜遅く郵便ポストを相手に対話の練習を重ねた。
そうした誠実な努力を私は讃えた。「一人の青年にここまで」という学会の励ましに涙した彼は、恩返しの心で一生涯、後輩を大切に励まし抜いてくれた。
「信心で人生が変わる−−この溢れんばかりの歓喜で活動して、結果が出ないわけがありません」と。
「広宣流布」「立正安国」は、人間群に飛び込み、現実の社会を変えていく大闘争である。その行動の中で、一人一人の「人間革命」の歓喜の劇が広がる。
女子部の友が研鑽する華陽会御書三十編の一つ、一生成仏抄には、「皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」(P383)と記される。
仏道修行は人の何倍も忙しく苦労も多い。心ない悪口を浴びせられることも、人知れず悔し涙を流すこともある。しかし、だからこそ、無量無辺の「心の財」が積まれ、福徳は計り知れないのだ。
創価の民衆運動は、金剛不壊の信念を持つ地涌の人材を、社会へ世界へ未来へ送り出す大地である。
さあ、若人と共に、若人の心で、常勝歓喜の舞を!
わが胸に
広布の炎は
烈々と
地滴の誓いを
青年と果たさむ
いつも若々しい。
清流のごとき信心で
今日も新たな挑戦を!
栄光の自分史を綴れ!
妙密上人御消息 P1240
『此等の経文は日蓮日本国に生ぜずんば但仏の御言のみ有りて其の義空しかるべし、譬へば花さき菓みならず雷なりて雨ふらざらんが如し』
☆四季の語らい
リーダーは、生き生きとした探求心で、常に学んでいくことである。リーダー自らが、瑞々しく学んでゆくところに、触発が生まれる。新しい発想が広がる。前進の息吹が漲る。知ったかぶりをしたり、わかったつもりでいるのではなく、万般にわたって自ら学び、人々を啓発していくことが大事である。
☆女性に贈ることば 五月一日
日々新たにして日に日に新たなり−
今日も生まれ変わった生命の息吹で
全力で走りゆくことだ
今日の満足と、明日への飛躍と
☆今日のことば365 五月一日
民衆の声ほど 強きものはない
民衆の怒りほど 恐ろしきものはない
民衆の叫びほど 正しきものはない
☆大白蓮華巻頭言 2016年5月号 地涌の若人と常勝歓喜の舞を!
いかなる試練の時代、いかなる苦難の社会にも、生命尊厳の希望の哲理を掲げ、正義のため、民衆のため、平和のため、喜び勇んで戦おうではないか!
時を超え、国を超えて、「法華経」が呼びかけてやまない、この魂のメッセージに応えて立ち上がった「地涌の菩薩」の群像こそ、わが創価学会である。
日蓮大聖人の仰せの如く、一問浮擬が打ち乱れる闘じょうの只中で、牧口常三郎先生、戸田城聖先生は、身命を賭して広宣流布の道を開いてくださった。
両先生が最大に信じ期待されたのは、青年である。
青年にこそ、強く正しく清らかな地涌の生命が躍動するからだ。創価の師弟が広げてきた「歓喜踊躍」の青春の舞は、今やこの地球を包み始めている。
地涌の若人の涌出は、待つものではない。先頭に立って呼び出すのだ。一緒に戦い、育て鍛えるのだ。
思えば、大聖人御自らが、こよなく青年を慈しまれ、相次ぐ法難の中で、薫陶し、鍛錬なされていた。
ある年の五月三日、若き南条時光へのお手紙には、「大事だと思っている人たちが信心を制止し、大難が来る時がある。その時こそ、まさに諸天の守護が厳然と現れると確信し、いよいよ強盛に信心に励んでいきなさい」(P1512、趣意)と仰せである。
吹き荒れる烈風に怯まず、勇敢に思い切って広布の大願に挑みゆく若人の色心には、妙法と一体不二の無限のエネルギーが漲るのだ。その正義の丈夫たち、乙女たちを、仏天は必ずや守らずにはおかない。
六十年前、愛する関西の天地で、私は、いまだ入会まもない青年たちと、新たな民衆勝利の歴史を開きゆかんと、未聞の拡大に挑戦していった。
私はリーダーに語った。「一人の百歩前進も尊いが、それ以上に百人の一歩前進こそ大切だ。そのためにも、一人一人の名前を思い浮かべて祈ろう」と。
この時、共に奮闘した兵庫の青年は、口下手に悩み、夜遅く郵便ポストを相手に対話の練習を重ねた。
そうした誠実な努力を私は讃えた。「一人の青年にここまで」という学会の励ましに涙した彼は、恩返しの心で一生涯、後輩を大切に励まし抜いてくれた。
「信心で人生が変わる−−この溢れんばかりの歓喜で活動して、結果が出ないわけがありません」と。
「広宣流布」「立正安国」は、人間群に飛び込み、現実の社会を変えていく大闘争である。その行動の中で、一人一人の「人間革命」の歓喜の劇が広がる。
女子部の友が研鑽する華陽会御書三十編の一つ、一生成仏抄には、「皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」(P383)と記される。
仏道修行は人の何倍も忙しく苦労も多い。心ない悪口を浴びせられることも、人知れず悔し涙を流すこともある。しかし、だからこそ、無量無辺の「心の財」が積まれ、福徳は計り知れないのだ。
創価の民衆運動は、金剛不壊の信念を持つ地涌の人材を、社会へ世界へ未来へ送り出す大地である。
さあ、若人と共に、若人の心で、常勝歓喜の舞を!
わが胸に
広布の炎は
烈々と
地滴の誓いを
青年と果たさむ
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