近隣との絆を大切に。
地域行事への参加
親子での交流などで
有意義な日々を!
良き友は生涯の宝だ。
道場神守護事 P979
『又城の主剛ければ守る者も強し城の主おずれば守る者忙る』
◇希望の明日へ
両親が、そろって子どもを責めてはいけない。それでは子どもは行き場がなくなってしまう。畏縮してしまう。出せる力も出せなくなってしまう。何の価値もない。
平5・11・28
☆女性に贈ることば 七月二十八日
自然も、世界も、宇宙も、一瞬として止まってはいない。向上心を失った瞬間から、すでに人生の退歩が始まる。
☆今日のことば 七月二十八日
万葉集が千年の歴史に耐えて、今も生気を脈々とたたえているのも、ホイットマンが、国境を越えて、その自我の叫びを力強く訴えかけているのも、形式や虚飾にとらわれない、人間の血脈ともいうべき息吹きがそこにあるからだと思います。
☆学園抄第6回 栄光の誓い
創立者が権力と戦った舞台、大阪。関西校でも主に7月に「希望祭」「白鳳祭」「学園祭」を開いた。
出獄の後、創立者が「7・17」を大阪で過ごしたのは1度。78年(同53年)だ。17日に関西の歌「常勝の空」を発表し、翌日は創価女子学園(当時)の第6回希望祭へ。
愛唱歌「この道」を歌い上げた集会の後、創立者は野点を訪れた。木漏れ日が涼を演出する風流なひととき。
「皆で俳句を詠もう!」
創立者が一句。
「この風も
緑も光も
希望祭」
ある生徒は「涼風に きらめく緑 父娘の詩」と詠む。
「『きらめく緑』か……。素直でいいね!」
若々しい感性を讃えた。聡明な女性リーダーを育むため、一瞬一瞬に真剣だった。
◇力をつけるんだ
79年(同54年)4月、創立者は創価学会会長を辞任。
"嫉妬うず巻く日本を去って、外国に行ったほうがいいのでは"との声もあった。
創立者に夫人は語った。
「あなたには、学園生がいます。学園生は、どうするのですか。きっと寂しがりますよ」
聖教新聞に詳しい動静が載らない日々。そのなか栄光祭実行委員たちを招き、励ます。
一人一人が、しっかりしていくんだよ」
辞任後に初めて出席した学園行事も、同年7月17曰の栄光祭たった。
「創立者・池田先生が、ご入場されます!」
88年(同63年)7月17日の第21回栄光祭。開始前、突然の入場に拍手が湧いた。
低俗な一部メディアが卑劣な中傷を書き連ねた時代。記者が興味本位で学園に押し寄せた。そんな状況に憤り、創立者の出席のことを心配していた生徒たち。だが今、創立者は目の前に立っている。
「将来に向けて、今は力をつけるんだよ!」
生徒はグループごとに演技を準備してきた。しかし下宿生の「男子栄光会」(当時)の演目は難航した。
創立者は僕たちに、よく手品を披露される。その御礼に今回は僕らのマジックで喜んでいただこう−−最終案が固まったのは前日だった。
舞台の上。生徒が入った大きな箱に、1本また1本と剣を刺していく。創立者も笑顔で見つめている。
いよいよ、剣だらけの箱を開く。息をのむ瞬間。出てきたのは無傷たった生徒!………ではなく、串刺し姿に扮した生徒。予想外の結末に、場内は爆笑に包まれた。
よし! 創立者が立ち上がる。下宿生と握手し、自らも手品。真心が通うステージ。
創立者は、なんて悠然と、堂々とされているのか−−皆の胸に焼き付いた。