師弟の歴史が輝く
広布の本陣・大東京よ!
完勝の頂を目指して
心一つに前進だ!
栄光の人生を共に!
千日尼御前御返事 P1310
『此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし空飛ぶ者の王たり鷲のごとし』
◇希望の明日へ
信心は、知恵として現れる。聡明になり、賢明に生きるための信仰である。信仰者が、自分の子どもの心もつかめず、自分の家庭の建設もできないのでは、人々を救うといっても、観念論になってしまう。学会活動に戦った親の福運は、必ず子どもを守っていく。それを確信したうえで、"忙しいのだから、仕方がない"とか"何とかなるだろう"と、放っておくのではなく、対話のための具体的な努力をすることである。そうでなければ、親として無責任となり、無慈悲となってしまう。形ではない。心である。心がつながっているかどうかである。
平5・2・3
☆女性に贈ることば 七月十一日
自分は、自分自身の使命を帯びて生まれてきた。
それを、人のうわべの姿だけを見て、人と自分を比べ、あの人は幸福そうで、私は貧しいと比較する。それは、最も愚かなことだ。
☆今日のことば 七月十一日
青年たちの純真な心は、邪悪との対決に燃えていたのである。青年の心は、けっして卑劣な妥協を許さぬものだ。そこに、青春の崇高さがあるといえよう。
☆我らの勝利の大道No.108 七月に翻る正義の旗
◇偉大な模範の庶民
「すぐれた人たちの範例ほど私を感動させるものはありません」──これは、七月が生誕の月に当たる、イタリアの桂冠詩人ペトラルカの至言である。
誠実一路に生き抜く人生、苦難に屈せず信念を貫く人生、自他共の幸福のために骨身を惜しまず戦う人生……そうした偉大な創価の庶民の「範例」すなわち模範の姿が、イタリアをはじめ世界中で輝いている。
一人の勇気が友の勇気を呼ぶ。自分が壁を破れば、皆の前進の突破口になる。
この学会の伝統のまま、壮年部・婦人部の皆様は、立正安国の連続闘争に懸命に挑んでくださっている。
過日も、東京の九十九歳になられる宝寿会の母が、ご近所の百歳の友人をはじめ、尊い尊い友好を広げておられる様子を伺った。
この母は毅然と語る。
「"生きる"のと"生き切る"のとは違うと思います。一日一日を"生き切る"との思いで、師恩に応えていきたいのです」と。
◇広布の歌高らかに
三十五年前の昭和五十三年(一九七八年)夏──。私は、学会の各部、各方面・県の歌を作成していった。
七月に入ると、三日に「友よ起て」(男子部)、五日に「星は光りて」(女子部・白蓮グループ)、八日に「人生の旅」(壮年部)……と次々に発表した。
今日は埼玉、明日は山梨、東京に戻ると次は神奈川、さらに西日本へと駆けた。約二週間、各地を転戦しながら、先手先手で歌を作っていったのである。
「常勝の空」(関西)も、「地涌の讃歌」(中国)も、「我等の天地」(四国)も、「この道の歌」(中部)も。訪問先で劇的に披露されたことは、ご存じの通りだ。
火の国・大九州にも、誓願の北陸にも、師弟の信越にも、凱歌の人が集う青葉の東北にも、三代城・北海道にも、歌を贈った。
そして、東京の歌「ああ感激の同志あり」、神奈川の歌「ああ陽は昇る」も、この夏に生まれた。
夏から秋にかけて、関東の各県や、富士を仰ぐ山梨、静岡の歌、また婦人部への「母の曲」も仕上げた。
声高らかに、広布の山を断固、勝ち越えるのだ!
関西では今、「常勝の空」を歌いながら育った友が、常勝魂を痩らせ、「いざや前進」と奮闘している。
今月、大阪の支部長大会で、壮年部の共戦の友が、皆で肩を組みながら、意気軒昂に、この歌を大合唱してくれたと聞いた。
かつて、昭和三十一年の「大阪の戦い」に臨んで、私と関西同志が心肝に染めた法華経の文がある。
一つは『魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る』(P1242)、もう一つは『病即消滅して不老不死ならん』(同P)であった。
悪戦苦闘の只中でこそ、あらゆる人びとの仏性を呼び起こし、共に広宣流布に連なることができる。
そして、一人ひとりが不老不死の大生命力を発揮しながら、健康長寿の人生を開いていくことができる。
ともあれ、病と闘う友の平癒を、私は一心不乱に祈り続ける日々である。
◎きょう、男子部結成記念日! 青年の心で前進、前進(元男子部(^.^)/~~~)