2013年7月15日月曜日

2013.07.15 わが友に贈る

平和原点の地・沖縄に
師弟共戦の同志あり。
永遠の楽土建設へ
さあ勇気の語らいを!
地涌の使命に生き抜け!

経王殿御返事 P1124
『いかなる処にて遊びたはふるともつつがあるべからず遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし』

◇今週のことば
我らは平和の柱なり。
我らの勝利が
世界の希望の光だ。
悔いなく戦い切って
広布と人生の金字塔を!
2013年07月15日

◇希望の明日へ
子どもは、本来、"伸びよう""成長しよう"という生命の勢いをもっている。「三日見ぬまの桜」というが、何かのきっかけで、ぐんぐん伸びていくときの子どもの成長の速さは、まことに目覚ましい。私は子育てとは、基本的には、この子どもの生命力の流れを正しく導き、成長をはばむものを取り除いてあげることだと思っている。
『主婦と生活』昭63・1月号

☆女性に贈ることば 七月十五日
富める家に生まれたから、幸福ではない。
貧しい家に生まれたから、不幸ではない。
名声の一家に育ったから、幸福ではない。
さまざまな苦しみのなかを、泣きながら生き抜くなかに、普遍の幸福が築かれていくのだ。
大勢の悩める人に希望を贈れる生命が輝いていくのだ。

☆今日のことば 七月十五日
海外への憧れも、その底流にはなんらかの確固たる目的観があって然るべきだと思う。それなくしては、青春の輝かしい思い出になるひとときも物見遊山で幻影におわってしまう場合もあろう。

☆我らの勝利の大道No.109 わが弟子の胸に誓いあり
◇闘魂を忘れるな!
御聖訓には、『聴聞する時は・もへたつばかりをもへども……』(P1544)と、初心の亡失を戒められている。
闘魂を失えば、師子の子ではない。師は激怒し、叱咤された。「戦う覚悟なき者は去れ!」
私は猛省し、祈った。吼えるが如き気迫で、御本尊に向かった。この失敗を必ずや変毒為薬して、師の願業を実現しゆく本物の青年の陣列を、断じて築かねばならない!−−と。
その日、昭和二十八年六月十六日の日記には、こう綴っている。
「夜、水滸会。先生、ひどく怒らる。我等悪し。全く、魂なく、意気地なきことを反省する」「この転換は、信心。信心の力以外に、解決と前進の道なし」
信心とは、惰性との間断なき戦いである。
日蓮大聖人は『水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり』(同P)と仰せになられた。
常に学会精神の源に立ち返り、清冽なる水の流れの如き不退の信心で、日々、一歩でも前に進んでこそ、魔を破ることができる。

◇新生の誓願に燃え
私の人選によって、「水滸会」が四十三人の陣容で新出発したのが、六十年前の七月二十一日であった。その日が、今に輝く「水滸の日」となったのである。
新たな出陣に当たり、私たちは厳粛に三ヵ条の誓いを立てた。これが「水滸の誓」である。
第一に、"御本尊に対する誓い"である。
第二は、"師匠に対する誓い"だ。
そして第三に、"会員同志の誓い"である。
この三ヵ条は、六十年の歳月を重ねた今も、広宣流布の開拓において、最重要の心構えといってよい。
我らの一切の戦いは、根本尊敬の当体であられる御本尊に、広布を誓願することから始まる。
ゆえに、ありとあらゆる諸天善神を揺り動かして、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の道を、そして「大法興隆所願成就」の道を、必ず開いていけるのだ。
我らは、この世で最も光輝ある師弟の誓願に生き抜いている。
だから、行く手にどんな障壁が立ちはだかろうとも、断じて屈しない。師の如く戦い切り、師と共に勝ち抜いていくのだ。
そして我らには、絶対に同志を裏切らない「異体同心」の誓いがある。
大聖人は、いかに人数が多くても「同体異心」であれば物事を成就することはできないと喝破なされた。
我らは、久遠からの不思議な絆で結ばれた創価家族と共に、いついかなる時も苦楽を分かち合い、絶対の信頼と絶妙の呼吸で、大事を成じていくのだ。

かつて、関東の広宣のリーダーとして戦った懐かしき友も、信義に厚い「水滸会」の一員であった。
あの大阪事件で私か不当逮捕された折には、戸田先生の愛弟子を思う心情を伝えるため、東京から大阪の拘置所に駆けつけてくれた忘れ難き同志である。
昭和三十三年の「三・一六」の儀式の時、衰弱された戸田先生のために、私が用意した車駕を担いでくれた青年の一人でもある。
常々、彼が固く誓っていたことがある。
それは「広宣流布に戦う同志を、仏の如くに尊敬し、大切にすること」だ。
この心のままに、青年たちの中に分け入り、皆で力を合わせて汗を流した。
そうした人知れぬ「陰徳」が、自他共に偉大な「陽報」となって輝き渡るのが、仏法の世界である。信心の労苦には、いささかも無駄がないのだ。