先駆・大九州の友よ!
火の国の師弟の
スクラムは無敵なり。
信念の声高らかに
栄光の山を登りゆけ!
聖愚問答抄上 P497
『只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき、真実なり甚深なり是を信受すべし』
◇今週のことば
堂々と一生涯
勝ち通す人生であれ!
そのために
今の戦いがある。
痛快に壁を突破せよ!
2013年07月01日
◇希望の明日へ
法華経には"父子一体の成仏"と説く。親子一体であり、親の信心で子どもが、また子の信心で親が救われていく。ゆえに何より自分自身の強盛なる信心が大切なのである。
平3・7・5
☆女性に贈ることば 七月八日
いかに現実が多事多難であろうとも、ここから離れて、幸福の大地はどこにもない。
ゆえに断じて、今、自分がいる場所で勝つことだ。
☆今日のことば 七月八日
星と人生−−そこには限りないロマンがあった。
特に上古の人々は星座の輝きを見て、そこに神話の調べを聞いた。
それはあるいは、大宇宙の懐に抱かれた人間の存在を考え、変転きわまりない日々を止揚しようとしたのかもしれない。
☆学園抄第5回 自然の中で学ぶ
◇蛍を呼び戻す
都心から電車で約30分でも、自然が美しい交野。
創立者の初訪問は1957年(昭和32年)4月。庶民が主役となる民衆運動のため、大阪中を駆け回っていた。無実ながら7月3日に不当逮捕される「大阪事件」の2月半前だ。
「権力の魔手を感じながらの、激闘の連続であった。関西の共戦の友は、三世永遠の家族である。そのお子さんやお孫さんが胸を張って学びゆく理想の学園を、この佳き地につくりたいと、私は遠大な夢を、人知れず広げていた」
創価女子学園(当時)の開校は16年後の春。
「交野の地は、歴史的にみても古いし、環境がいい。環境に負けてはいけないが、良い環境には支配されていいんだよ」
自然を眺め生徒に語る。
「こんな素晴らしい環境で育った人は、40代、50代で違いが出てくるんだよ」
78年(同53年)4月、創立者が提案した。
「かつて『蛍川』があったこの地に、蛍を呼び戻したらどうだろう」
−−3年前に卒業生の集いを「蛍会」と命名。第1回卒業式では「蛍の池」の完成を祝った。だが蛍を育てる取り組みはなかった。
皆が初心者。各地の養殖場を訪ねた。夜に蛍のすむ川で観察していると職務質問を受けた。カワニナを求め歩きに歩く。泥まみれで「蛍の川」を掘る。
保存会の皆が創立者に応えたい一心だった。翌年、"学園蛍"が飛んだ。
86年(同61年)6月20日。関西小で児童と記念撮影の後、創立者は交野へ。
「もう出てるかな?」
夜。「蛍の光」を口ずさみ「蛍の川」へ向かう。
静かな暗闇。光が走り、消える。満天の星のように蛍が乱舞していた。
アサガオの絵のうちわを前に差し出す創立者。一匹の蛍が、すーっと舞い降り、止まった。
「きれいですね」と創立者夫人。
「きれいだね」と創立者。
「平安朝時代に戻ったようたね。"平安蛍"と名前をつけてあげたいね。本当に、見事だ!」
蛍保存の協力は、今や関西校から全国に広がる。今年も研究者が来校した。
保存会の中心者は語る。
「蛍には、創立者と代々の先輩の思いがこもっています。『今』が『未来』につながるので、これからも大切に育てていきます」