2013年3月1日金曜日

2013.03.01 わが友に贈る

青年が躍動する
師弟の月がスタート!
いよいよの決意で
わが人間革命の劇を!
誓いの「3・16」を飾れ!

大悪大善御書 P1300
『大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずともまいをもまいぬべし、舎利弗にあらねども立つてをどりぬべし』

◇希望の明日へ
これまで、数えきれぬほどの人々の生と死のドラマを見守ってきた。幾千、幾万の臨終の姿を見、また報告も受けてきた。その経験に照らして、断言できることは、たとえ一見、短命のように見えたとしても、必ず「更賜寿命(更に寿命を賜え)」(法華経P四八五)の経文のままの功徳の実証が、何らかの形で厳然と現れているということである。いわゆる世間の眼や肉眼だけではわからない。信心の眼から見るとき、そのことは、おのずから感じられるものである。
昭63・11・3

☆女性に贈ることば 三月一日
若い時に安逸を余り、苦労しないのは、不幸な青春である。
自分では自由なつもりでいて、結局、最後は不自由な敗北者となってしまう。
苦労すべき時に苦労し、勉強すべき時に勉強するのが、幸福な青春である。それが、一生涯の幸福の礎となる。

☆今日のことば 三月一日
いかなる場合でも積極的に発言すべきである。そう明にして要をえた言々は、黄金であり沈黙は銀である。

☆100文字の幸福抄
人間の能力を引きだすのは自信である。
その自信を子どもに与えるのが、
心からの褒め言葉であり、
温かい励ましである。
母親は、体ばかりか、心も産む。
才能の芽は、母親の愛情で、
どこまでも大きく広がっていくのである。

☆我らの勝利の大道No.096 前進!希望の春へ(上)
◇青春の川越講義
昭和二十八年(一九五三年)二月──。約一年半にわたって続けた埼玉・川越地区での最後の御書講義に、私は臨んだ。
埼玉は、私が青春時代から何度も何度も足を運んだ、あまりにも懐かしき思い出の天地だ。
あれから六十年になる。
私がこの時、五十数人の受講者と共に学んだのは、大難の渦中に認められた「佐渡御書」であった。
その末尾には、『此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ』(P961)と記されている。
同志が集い合い、一文一句でも一緒に拝し合う大切さを強調されているのだ。
ここにこそ、人材育成の要諦があるといってよい。
当時、私は、日記に書き留めた。東西冷戦という世界分断の不幸に終止符を打つ日が、必ず到来すると確信しつつ──。
「次第に、人材、人物が、哨出して来た様子。
共産主義国対自由主義国、世界の二大陣営の激突に苦悩する。
吾々の前進が、その第一段階の橋渡しか。…………
時を待て。時を待て。同志よ。民衆よ。人類よ」
学会が「貧乏人と病人の集まり」と侮蔑されていた時代である。しかし、庶民が立ち上がることが、歴史を転換していくのだ。
何よりも、共に生命尊厳の極理を学び合った、埼玉をはじめ各地から、平和と友情の懸け橋となり、世界を結びゆく若き人材群が躍り出ると信じていたのだ。
それから二十年後の昭和四十八年(一九七三年)の二月十二日。
私は、川越市で行われた埼玉県幹部会に出席した。会合の直前、青年と懇談し、陸続と育ちゆく後継の姿を頼もしく見つめた。
この日の会合で、私は呼びかけた。
団結と雄弁の埼玉たれ!
歌を口ずさむ埼玉たれ!
全員が人材の埼玉たれ!
この心のままに埼玉には今、鉄桶の団結も固き、世紀を担う大人材たちが、ここかしこと育っている。
勝利、勝利の前進──それが、私の祈りである。

◇青年が福光の更新
「青年学会 勝利の年」の本年、わが後継の青年部は、五十五周年となる「三・一六」を拡大で荘厳しようと、「大躍進月間」を胸張り奮闘している。
二月には「創価青年セミナー」や、各地で有意義な対話の集いを開き、正義と幸福の陣列を広げてきた。青年の逞しい挑戦こそ、創価の未来である。
東北をはじめ、厳寒の雪深き北国でも、壮年部・婦人部の先輩方が、自ら模範を示しながら、わが地域の男子部・女子部・学生部と一体になって、新たな拡大のうねりを起こしてくれている。
何と尊く、麗しい福光の行進であろうか。
あらゆる苦難をはね返し、堂々と勝ち越えゆく、誇り高き青年の大躍進と、民衆の大連帯を見よ!
この大切な、大切な創価の同志の皆様方が、一人も残らず、人間勝利の模範の勇者として、三世永遠に仰がれゆくことを、私は確信してやまない。