創価の偉大な歴史は
「青年」が開いた!
「師弟」で勝った!
さあ出発だ。さあ前進だ。
人類史の希望の朝へ!
上野尼御前御返事 P1580
『法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り口に唱ふれば其の口即仏なり』
◇希望の明日へ
人生にあって、本物の人物と会う喜びは何ものにもかえがたい。なかでも文学者との出会いは、文学を愛する一人として、深い喜びである。
昭63・10・9
☆女性に贈ることば 三月十六日
師弟というのは、師匠に弟子が仕えきっていくことだ。弟子が力をつけ、立派になり、偉くなって、師匠にお応えするのだ。
そして師匠に勝利を報告するのだ。
☆今日のことば 三月十六日
友情は、善悪共に通ずることも知らなくてはならない。悪友は得やすく、善友は得がたい。ほんとうの善友とは、ときに自分の欠陥や、誤りを、厳しく指摘してくれる人である。偽り親しむのは、かえって身を滅ぼす悪友である。
☆100文字の幸福抄
私は「生涯青春」という言葉が好きである。
いわゆる若さとは、
年齢によって機械的に
決まるものではない。
むしろ、自らの目標に向かって、
たくましく生き抜く情熱の炎によって
決定されていくと、私は確信している。
☆我らの勝利の大道No.098 福光燦たる東北(上)
◇わが使命をここで。
福島県の浪江町から干葉県に避難されている婦人部の友がおられる。原発事故によって、家族と離れ離れになり、娘さんとの二人暮らしになった。
不慣れな環境のなかで、言うに言われぬ孤独を抱えながらも、このお母さんは「同じように苦しむ人のために何かできないか」と、千葉へ避難している同郷の方々に呼びかけて、十数人のささやかなお茶飲みの催しを行った。
その後も、お会いした方々のもとへ足を運んでは、悩みを聞き、寄り添い続けている。
「大したことは何もできないんですけど」と言われながら、自分にできる取り組みを見つけ出して、全力を尽くしておられる。そこから、一人また一人と、元気を蘇らせ、希望の挑戦が連鎖している。
先行きが見えないなかにありながらも、このお母さんは毅然と語っていた。
「この地を自分の使命の場所と決めて、思う存分、楽しく頑張りたい! 『今』という時を精いっぱい、輝かせていきます!」と。
頭を上げて胸を張る、この地涌の賢者たちの「心の財」にまさる輝きが、いずこにあろうか。
◇勇気凛々と前へ。
七百五十年前の弘長三年(一二六三年)三月にお認めとも伝えられる「持妙法華問答抄」には、仰せである。
『寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき』(P467)
苦悩の渦巻く悪世の社会である。しかし、この現実の場所を離れて、仏の国土はどこにもない。
ゆえに、日々どこまでも題目を唱え抜きながら、自らの生命の仏界を涌現し、勇気凛々と眼前の環境を切り開いていくのだ。
希望の方へ、成長の方へ、団結の方へ、さらに勝利の方へ、変えていくのだ。
そして人間の一念の偉大さを、「今ここ」で、断固と証明していくのである。
幾度も東北に足を運び、苦楽を分かち合ってきた婦人部のリーダーが、感動を込めて報告してくれた。
−−最愛の長女と実母、祖母の三人を大津波で失った悲しみから気丈に立ち上がってきた、福島・相馬のお母さんがおられる。
女子部の乙女たちを我が娘の如く慈しみ、多宝の先輩方を我が母、我が祖母の如く守りながら、健気に戦い抜いて、今回の本部幹部会・東北総会を迎えられた。
その心境を、こう語っておられたというのである。
「大震災の後、ここ福島で、このような会合が行われるようになるとは、夢にも想像できませんでした。しかし、それが二年で見事に実現しました。
だから、私たちは、これからも、今は想像できないくらい、もっともっと幸福になれると
かくしん確信できます。いえ、必ず皆で幸福になります!」
と−−。
そうだ! その通りだ!
私か共に対談集を発刊したブラジルの天文学者モウラン博士の言葉が蘇る。
「私の夢は、絶望や闇から立ち上がる人間の魂や精神が、空で最も明るく輝くシリウスのように、最も強く輝いてほしいということです。そうすることによって、私たちの地球という世界が、今とは違ったものになるかもしれないからです」と。
この東北総会を「新生」の原点として、私たちは、いやまして一人ひとりが最も明るい「生命尊厳の宝塔」として輝き、地域に、社会に、世界に、未来に、広大無辺な福光を燦々と贈
っていくのだ。
この一生
東北家族と
総仕上げ