2013年3月27日水曜日

2013.03.26 わが友に贈る

時代を動かすのは
生命力みなぎる声だ。
「どんな人にも
理解を広げてみせる」
その烈々たる気迫だ。

最蓮房御返事 P1341
『日蓮末法の初の五百年に生を日域に受け如来の記文の如く三類の強敵を蒙り種種の災難に相値つて身命を惜まずして南無妙法蓮華経と唱え候は正師か邪師か能能御思惟之有る可く候』

◇希望の明日へ
"苦難が、眠れる力、新しい力を呼びさまし、発揮させるチャンスとなる"ことは、古今東西の歴史に広く見られる。また、現在のいかなる会社や組織、さらには個人にあっても、あてはまる一つの真理といえよう。妙法を持った青年たちの人生、広布の舞台にあっても例外ではない。いわんや妙法こそ、苦難を成長・飛躍へのバネとしゆく最大の原動力である。困難と労苦の時こそ、新たな向上と成長への好機ととらえ、前進していただきたい。
昭62・7・21

☆女性に贈ることば 三月二十六日
恩を知り、恩に報いていくことが、人間の歩むべき道である。
親を愛し、親に心の底から感謝できるようになっていくことが、人間としての深まりであり、成長の証と言ってよい。
そのように人間として成長していってこそ、自らもよい親となり、和楽の家庭を築いていける。そうした心が、子育てにも大きな影響を与えていく。

☆今日のことば 三月二十六日
たとえ苦手な科目があったとしても、自分の輝かしい未来を築くための勉強、財産だと思って、真剣に取り組んでいくことが大切です。

☆100文字の幸福抄
老いを、衰えの時期と見るのか、
人生の完成へ向けての総仕上げの時ととらえるのか。
同じ時間を過ごしても
人生の豊かさは天と地の違いとなる。
他人と比べる必要はない。
自らの目的に向かって、
たゆまず歩み続けることである。

☆我らの勝利の大道No.100 「3.16」は永遠なり
式典当日、戸田先生は、モーニング姿であったが、足元はスリッパ。既に革靴が履けないほど、体は衰弱されていたのである。
それでも青年のもとへ!
最後まで青年と共に!
これが師の心であった。万代のために指揮を執られる大将軍の英姿であった。
私は、ただ戸田先生の体調だけが心痛であった。
先生に安心して動いていただけるよう、手作りの「車駕」の製作を進めた。
念頭にあったのは、あの三国志の「五丈原の戦い」で、病篤き大英雄・諸葛孔明が車に乗って指揮を執った故事である。
青年部の有志が、私の心を心として、全力で、立派に車駕を作り上げてくれた。
先生に御覧いただくと、厳しい叱責が飛んだ。
「大きすぎる。これでは、戦闘の役には立たぬ!」
冷ややかに笑うだけの先輩幹部もいた。
けれども、私には、先生のお心が痛いほど、わかった。本当は涙が出るほど喜ばれていたのである。
だが、それでは訓練にならない。あえて「こんな重いものを担ぐ青年がかわいそうではないか。軽くて、どこへでも飛んでゆけるものが必要なんだ」と言われ、最後まで厳愛で将軍学を教えてくださったのである。
私がお詫びして、「弟子が真心で作ったものです。どうか、お乗りください」と申し上げると、先生は、にっこり頷いて乗ってくださった。
式典後にも、「体が良くなったら、あの車駕に乗って全国を回りたいな」と、語られる先生であった。

歴史的な式典で、恩師は烈々と師子吼された。
「創価学会は、宗教界の王者である!」
御書には、一切経の王・法華経は『地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし』(P1310)とある。
まさしく、師の叫びは、この偉大な仏法を行じゆく誇りを胸に、全人類に希望を送る「人間の王者」たれとの大宣言であった。
そして「不惜身命」「死身弘法」という炎のバトンを託してくださった。
ただただ「広宣流布の誓願」に生きる、直系の青年に託されたのだ。
この師匠と共に、生涯、広宣流布へ!──青年たちの顔は燃え輝いていた。
午前中、春霞で頂を隠していた富士も、午後二時半、戸田先生が車駕で会場を後にされる時、その堂々たる姿を現していた。
あの秀麗な富士は、瞼に焼き付いて離れない。

◎きょうから希望の明日へは「苦難」です。