大自然と格闘する
農漁光部の友に感謝。
皆様こそ地域の太陽!
わが使命の天地で
福徳と勝利の舞を!
富木尼御前御返事 P975
『設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり』
◇希望の明日へ
人生を山に例えれば、臨終は山頂といえよう。山頂からは、広々とした下界が見渡せる。死の頂から見て初めて、生涯の幸・不幸の光景も、勝利と敗北の実相も見えてくる。また死後すなわち来世という新しい出発を望むこともできる。荘厳な大光につつまれた山頂もあろう。噴火口のような地獄への山頂もあろう。さまざまであるが、必ずそこにいたることだけは、間違いない。人生は、この頂への登攀である。ゆえに山頂(死)を見つめずに歩む人は、目的地から目をそらして山登りするようなものであり、道に迷うのはむしろ当然かもしれない。ここに死の解決を教えゆく正しき信仰が必要となる一つの理由がある。
平2・11・16
☆女性に贈ることば 三月十日
生きることは戦いである。人生は、自分自身との戦いである。負ければ、この人生を存分に生きたとの喜びはない。悔いと苦悩と不幸を残すだけである。
私は、私らしく勝ったと、自分に胸を張れる人生でありたい。
☆今日のことば 三月十日
瞬間々々 時は流れる
過去 現在 未来へと----
創造と建設
敗退と惰性
その人 その国に
さまざまな運命 歴史を
渦巻きながら----
☆100文字の幸福抄
どの子も、幸福になるために
生まれてきた。
どの子も、人生に勝利するために
生まれてきた。
子どもたちに、どんな試練も勝ち越えて
幸せになる力を贈ってくれるのが、
母の真剣な心であり、深き愛情である。
☆未来対話 第11回「使命の翼を広げよう!」
−−「自分から大きな役割を担うのは気が引けるし、自由を奪われる気がする」「責任を負うのは重い」という人もいるようです。
名誉会長 たしかに、「責任」と言われると、重く感じてしまうかもしれない。
でも実は、「責任」を担った時こそ、自分自身のカラを破る最高のチャンスなんだ。
皆さんは、実業家の松下幸之助さんを知っているかな。「松下電器産業株式会社(現・パナソニック)」の創業者で、「経営の神様」と呼ばれました。私も何度もお会いしました。会えば4時間、5時間と、人生の万般にわたって語り尽くしたことが懐かしい。共に対談集も発刊しました。
松下さんは、人を育てる名人でした。
こんなエピソードがあります。昭和の初め、電気アイロンは便利なものでしたが、庶民には手の届かない高級品でした。そこで松下さんは、一人の若い技術者を呼んで、こう言われました。
「できるだけ安いアイロンをつくり、その恩恵に誰もが浴せるようにしたい」
若い技術者は、賛成した上で、「しかし、誰がそれを担当するのでしょうか」と尋ねます。
「君だよ。君ひとつ、このアイロンの開発を、ぜひ担当してくれたまえ」
若い技術者は、アイロンをつくるのに必要な電熱関係の知識や経験がありませんでした。そこで、「私一人では、とても無理です」と断ってしまった。
すると間髪を入れず、松下さんは、こう言い切ったのです。
「いや、できるよ。君だったら必ずできる」
この松下さんの期待に応え、青年は懸命に創意工夫を重ねていった。そして、これまでの性能を落とさず、価格を下げたアイロンを完成させたのです。「国産優良品」にも指定されるほどの高品質の製品です。
−−若き技術者の力を、松下さんは見抜いていたのですね。
名誉会長 その通りです。それは、技術者自身も気づいていなかった「自分の中に秘められた力」だったんだ。
のちに、この技術者は会社の重責を担うリーダーになりました。
そして、あの日の松下さんとのやりとりについて、「あの『君ならできるよ』という小さな言葉が、私の心に火をつけたのです」と回想されています。
松下さんは、青年を信じて使命を託した。その信頼が、若き心の中の「責任感」に火をつけた。
青年は、「自分がやる。必ずやり遂げてみせる」と腹を決めることだ。一念が定まれぱ、自分自身も気づかなかった力が、どんどん湧いてくる。
今回は、この松下さんの言葉を、皆さんに贈りたい。
「"失敗するかもしれない"とか"おそらくできないだろう"ということでなく、"やれば必ずできる""もし転んでも、そこに転がっているものをつかんでやり直そう"という積極性、根性をもつ」
「成功するためには、成功するまで続けることである」
松下さん自身、何度も経営の危機に陥ったが、そのたびに立ち上がった。事業は人で決まると考え、仕事を託すなかで、粘り強く人を育てた。体が弱かったが、あきらめなかった。会社のため、そこで働く人や、その家族のため、さらに、日本と世界の繁栄のために−−。
責任感とは、「自覚」と「執念」の異名なのです。
−−松下幸之助さんは、創価大学にも、関西創価学園にも、来られました。
名誉会長 教育に力を入れておられました。私より30歳も年長で、わが師・戸田城聖先生と同世代の方です。私は恩師をお迎えする思いで、ご案内しました。
関西創価学園では、歓迎演奏が終わると、満面の笑みで鼓笛隊に歩み寄り、温かな関西弁で、「よろしゅうおますなあ−−。ほんまにおおきに」と何度も言われていた。
学園生たちと交流した後、松下さんが、かみ締めるように語られた言葉が忘れられません。
「きょうは、10歳も20歳も若返りました。青春の若さをもう一度得られるなら、自分は全財産を投げ出してもいいと思うてます。でも、それはできません。かわりに学園生の皆さんから、若さのエネルギーをいただきました」
皆さんは、何ものにも勝る「青春の若さ」という財宝をもっています。若いということは、それだけで素晴らしいのです。何も恐れる必要はありません。
戸田先生も、心から青年を愛してくださいました。
理想へ向かうまっすぐな純粋さ、正義を貫く大情熱、そして、無限に成長しゆく未来性を絶対的に信じてくださったのです。