2013年3月2日土曜日

2013.03.02 わが友に贈る

「仏になるみちは
善知識にはすぎず」
支えてくれる人を大切に。
自らも支える人に。
学会は善き友の集いだ。

太田入道殿御返事 P1012
『書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん』

◇希望の明日へ
自身の死を見つめ、それに対峙できるのは、ただ自分だけである。死は、決してごまかしのきかぬ人生の総決算であり、赤裸々な"一生"の証である。仏法者の立場から見れば、価値ある生を生ききったか否か。妙法流布という至上の生き方を貫いたかどうか。それは、例外なく、臨終の姿に如実に現れる。ゆえに、信心だけは、まじめに、真剣に実践していく以外にない−−。それが、数千、数万の死の現実に触れてきた、偽らざる実感であり、結論である。
昭63・11・11

☆女性に贈ることば 三月二日
母は、わが家の太陽である。いな、世界の太陽である。
いかに暗く厳しい状況になっても、母がいれば、笑顔満開の光が消えることはない。

☆今日のことば 三月二日
家庭の平和は、千金に勝る。一国の指導者というものは、家庭の幸福を築き、与えてゆくものでなくては、その資格はない。

☆100文字の幸福抄
一つの言葉から、人生は大きく動き始める。
忙しい日々だからこそ、
家族に思いやりの心を響かせ、
よき言葉をかけていきたい。
「育児」は「育耳」と青われる。
子どもの耳に豊かな言葉を
聞かせることが成長の力になる。

我らの勝利の大道No.097 前進!希望の春へ(下)
◇寒風の2月 創価の友が躍動

いついつも
 南無し感謝の
  創価班

「創価班」の友が、寒風にも怯まず、着任してくれる場所。それは、華やかな檜舞台ではない。
しかし日々、同志のため、学会を護るために、不二の道を決然と歩んでくれている。その陰の奮闘は、すべて仏天が御照覧である。自身の生命に福徳として厳然と刻まれている。
私も、一人ももれなく見守り、一生涯、題目を送り続けていきたい。これが、偽らざる決心である。

あな嬉し
 若き地涌の
  牙城会

この二月は、愛する「牙城会」の結成の月である。
私は数多くの厳護の丈夫たちを思い出す。正義に生き抜く青年たちのことは、忘れることはできない。
そのなかに、関西牙城会の委員長を務めた快男児がいた。私も楽しみに見つめていたが、十数年前、不慮の事故に遭い、彼は家族を残して帰らぬ人となった。私は直ちに、彼の追善回向をさせていただいた。
その後、男の子三人を抱えて奮闘していた夫人を、私と妻は関西を訪れた折に直接、励ましたのである。
「今日は、あなたに会うために来ました」──こう申し上げて、息子さんに宛てた手紙を託した。
「大好きなお父さんは、君の心の中に生きている。大切な大切な、お父さんは、お母さんの心の中に生きている。断じて負けるな! 絶対に負けるな! お父さんは御本尊様の中から、君を毎日、見ている」と。
後継の一家が希望に燃えて勝ち栄えていくことが、必ずや亡き父の勝利の証しとなり、親子一体の栄光になっていくのだ。
そのお母さんは今、関西で婦人部のリーダーとして活躍され、三人の息子さんも、私が創立した関西創価学園に学び、父にも勝る俊英と育ってくれている。
我ら創価家族の絆は、生死を超えて永遠に、「常楽我浄」という希望と勝利の劇を創造していくのだ。
さらに今、青年部時代に中核として戦い、壮年部に進出した精鋭たちが、「王城会」となり、若き「牙城会」とスクラムを組んで、法城の厳護に当たってくれている。私は、金剛不壊の大城を仰ぎ見る思いだ。

天晴れて
 勝利の柱の
  王城会

明日で生誕四百八十周年となるフランスの思想家モンテーニュは、名著『エセー』の中で綴った。
「言葉はわれわれの意志や思想を伝える唯一の手段であり、われわれの心の代弁者である。これがなければ、われわれはもはや互いに結び合うことも、知り合うこともできない」。
心から言葉が生まれる。その心を乗せた言葉が人の心に響き、人と人とを結びつける。言葉を発していかなければ、思いは伝わらない。
だからこそ、私は一対一の対話を、何よりも大事にしてきた。