友の奮闘には
即座に激励の手を!
時を逃すな!
そこに信頼が生まれ
勇気が広がるからだ。
崇峻天皇御書 P1173
『返す返す今に忘れぬ事は頚切れんとせし時殿はともして馬の口に付きてなきかなしみ給いしをばいかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし』
◇希望の明日へ
真実の仏法は、この刻々と進歩・変化する社会、荒れ狂う現実から離れたところにあるのでは絶対にない。むしろ経済・政治・生活・文化等々と不可分であり、それらすべてに、つねに生き生きと活力を与え、価値の方向へリードしていく。そこに仏法の重要な使命もある。
平4・10・14
☆我らの勝利の大道No.75 青春の華 幸福の太陽
◆皆が健康・長寿で! 勝利の人生を!
この世をば
力のかぎりの
蛍光舞
六月といえば、蛍が舞い飛ぶ季節である。
大阪・交野市の関西創価学園では、今年も九日に、学園生たちが真剣に育てた蛍の観賞の夕べが、地域の方々と共に優雅に行われた。
東京・八王子市の創価大学の蛍桜保存会による伝統の「ほたるの夕べ」も、本年で三十回の佳節となる。
蛍の光の芸術は「平和」と「共生」のロマンであるといってよい。
「やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただひとつふたつなど、ほのかにうちひかりて行くもをかし」−−清少納言は『枕草子』の中で、蛍の美しさをこう讃えた。
蛍の成虫の寿命は、わずか一、二週間。しかし、その間、自らの命を燃やして光り続ける。
「蛍の光」の歌で知られる中国の「蛍窓」の故事は、苦学の青年・車胤が夏の夜、蛍を集めて灯とし、勉強したと伝えている。
たとえ小さくとも、生命を明々と燃焼させたところには、大事を為しゆく力が必ず生まれゆくものだ。
日蓮大聖人は、『千里の野の枯れたる草に螢火の如くなる火を一つ付けぬれば須臾に一草・二草・十・百・千・万草につきわたりてもゆれば十町・二十町の草木・一時にやけつきぬ』(P1435)と仰せである。
必死の一人がいれば、その情熱は、燎原の火の如く伝播する。
とりわけ、御聖訓には、『竜女が成仏此れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす』(P223)と示されている。
家庭にあっても、地域にあっても、社会にあっても、女性の力ほど偉大なものは決してないのだ。
今、わが関西創価学園の女子同窓生の集い「蛍会」の友も、あの地この地で、力の限り光り舞っている。
蛍といえば、満月輝く鳥取県の米子文化会館の思い出が蘇る。
昭和五十三年の七月二十日。友の笑顔と蛍の光に包まれながら、私も大好きな中国方面の歌「地涌の讃歌」は完成したのである。あの名画の光景は、終生、瞼から離れることはない。
その名も「山光」と謳われる鳥取県と島根県は、日本の心の故郷として名高い。名曲「ふるさと」の調べを生み出した作曲家・岡野貞一氏も鳥取の出身である。
いにしえより「花の王」と讃えられる牡丹の日本一の産地は、島根の中海に浮かぶ「大根島」である。
東対岸の米子空港とは、目と鼻の先。私も機上から、島の同志に題目を送ったことが懐かしい。
この島から学会本部へ、毎年、地域の広宣流布の前進の様子とともに、名産の牡丹の便りを送ってくださってきた母がいる。
半世紀近く前に、この地に嫁がれた。いまだ学会への偏見も根強い時代から、一歩も退かずに、題目根本に頑張り抜いてこられた。
高齢の家族・親族三人を抱え、娘さんと共に「うちは時代の最先端だ!」と、朗らかに介護を続けられた。
見事に一家和楽の模範を築かれ、地域に信頼を勝ち取ってきた母の口癖は、「地域を歩くことが大事よ」であった。
今は亡き母の「希望の哲学」は、女子部時代から一緒に広布に進み抜いてきた娘さんが立派に継承されている。
牡丹の花言葉は「誠実」である。いかなる勝利も、誠実な一歩、また一歩の歩みから生まれる。
共に行動し、共に成長す"婦女一体"の「人間革命」の前進は、未来永遠に福徳と友情の花を、咲かせ広げゆくに違いない。
可憐なる
母と娘の
牡丹かな
◎きょうは「スティッチの日」で〜す!(^^)!