2012年6月6日水曜日

2012.06.06 わが友に贈る

一番苦労した人が
一番幸せになる信心!
「苦境」が新たな力を
呼び覚ます。
さあ勇気の一歩を!

二乗作仏事 P594
『師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん』

◇希望の明日へ
大切なことは最後に勝つことである。今はどうであれ、その人が真の幸福者である。それまでは歯を食いしばっての、努力また努力である。
平2・7・8

☆我らの勝利の大道No.74 使命の大地 平和の島
「悲惨に打ちひしがれうとも、その人びとには、希望がある。強い人びとには、信仰がある。善の人びとには、慈悲がある」とは、南米ボリビアの大詩人タマーヨの叫びである。
このボリビアでも、沖縄出身の多くの先人たちが不屈の開拓に携わってきた。詩人の讃嘆は、沖縄に脈打つ負けじ魂と重なり合う。
どんな苦難があろうと、どんな障害があろうと、沖縄の友は絶対に屈しない。
『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ。仏種は縁に従って起る』(P1467)
この御聖訓のままに、自分自身が「希望の灯台」との決心で地域を照らし、幸福の仏縁を力強く広げてこられた。
その誠実にして勇敢、そして粘り強い「三変土田」の信心と実践が、「宝の島」「幸福の島」「平和の島」へと転換させゆく実証となったのだ。
私か対談したオーストラリア「シドニー平和財団」のリース理事長は、沖縄は「人間が平和を創造できるという"象徴の地"」と強調されていた。
理事長は、私が撮影した写真を執務室に飾ってくださっている。
写っているのは沖縄研修道場の「世界平和の碑」−−そこには、かつて米軍のミサイル発射台があった。
「発射台の上には、平和の象徴になるようなブロンズ像を建てよう!」
私はそう提案し、発射台の廃墟は、あえて残した。それは、戦争の悲惨を忘れず、永遠の平和を築きゆく決意の表明でもあった。
嬉しいことに、恩納村の沖縄研修道場に近接する敷地には、今年の秋、沖縄科学技術大学院大学が開学する。世界最高水準の研究・教育機関として、各界から大きな注目を集めている。
「恩を納める」という心ゆかしい名前を持つ天地より、新たな「創造」と「共生」の英知の光が、いやまして輝きわたることを、私たちは心から祈りたい。

沖縄の心は、青い海のように広々としている。
「イチャリバチョーデー(出会えばみな兄弟)」という言葉はあまりにも有名だが、その後に続くフレーズも、また素晴らしい。
「ヌーフィダティヌアガ(何の隔てがあろうか)」−−人と人との間には何の壁もないのだと。
琉球王国の時代、「万国津梁」の誇りを掲げ、交易と文化交流の豊かさを誇った沖縄は、当時の中国から「守礼の邦」の尊号を贈られている。
沖縄には、開かれた友情の心があり、鷹揚な寛容の心があり、さらに恩義を重んじる報恩の心がある。
「ヂムグリサン(他人の苦しみは我が苦しみ)」
この言葉も、同苦と慈愛の仏法の教えに、なんと深く共鳴することか。
海を超え、四十九もの有人島が、仲睦まじく繋がり合っているのも、「一人を大切に」という思いが奥底に光っているからであると、私は思う。