会って語ることだ。
目と目を合わせ
心を通わせてこそ
信頼の花園が広がる!
佐渡御書 P957
『肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし』
◇希望の明日へ
いつもテレビを見ていたい、遊んでいたいと思うかもしれない。でも、それで人生の、本当の幸せが築けるわけではない。たとえていうなら、その喜びは、ホタルの光のように、はかないものである。少年時代、青年時代に、がまん強く自分に挑戦し、自分に負けなかった人が、大きく自分を広げていける。また、最高の人生の思い出、財産をつくることができる。
平2・3・20
☆若き君へ 新時代の主役に語る「人間を結べ!つながりは力」
──今月は、春季彼岸勤行法要が、全国の主要な会館、墓園・納骨堂などで厳粛に行われました。
震災で犠牲になった全ての方への追善とともに、被害を受けた方々の安穏、被災地域の復興を真剣に祈念する会座となりました。
名誉会長 「常彼岸」「常盆」と言われるように、私たちは毎日の勤行・唱題で、朝な夕なに、亡き家族も先祖も追善しております。これほど深い孝養はありません。
私と妻も、東北の同志の健康と長寿と勝利、そして1日も早い復興を強盛に祈り抜いています。
大聖人は、家族を亡くした門下に、温かな励ましを贈り続けてくださいました。
南条時光の弟である七郎五郎が16歳の若さで亡くなった時には、母の上野尼御前に真心の手紙を送り、共に悲しまれ、同苦された。亡くなってから1年以上、大聖人が、御自身の最期まで、一人の青年を追悼された御手紙は、分かっているだけで、十通近くになります。肉親を亡くした悲嘆、とりわけ、わが子を亡くした母の悲しみは、時とともに薄れたりはしないことを、ご存じだったと拝されてなりません。
最も苦しんでいる人、最も苦労している人の心に、ずっと寄り添う。これが御本仏のお心です。学会精神であり、東北の心意気です。
「上野殿母御前御返事」では『(七郎五郎殿は)南無妙法蓮華経と唱えて仏になられたのです』(P1570、通解)と断言されるとともに、こう綴られています。
『悲母であるあなたがわが子を恋しくお思いなら、南無妙法蓮華経とお唱えになって、亡き夫の南条兵衛七郎殿、亡き子の七郎五郎殿と同じ一所に生まれようと願っていってください。(中略)三人が顔をお揃えになる時の、そのお悦びは、どれほどか嬉しく思われることでしょう』(P1570、通解)
妙法に生き抜いていくならば、生前、苦楽を共にした家族と必ず会えるとの仰せです。死をもってしても、妙法の家族の絆は断ち切れない。たとえ先立たれることがあっても、生命はつなかっています。三世永遠の妙法の絆で、親子一体、夫婦一体です。わが胸中に厳然と生きて、見守ってくれています。いつも一緒です。
夫の高橋殿を亡くした妙心尼には『ご夫君は、誰も訪れない草葉の陰で、この娑婆に残した幼子らの行方を聞きたがっているでしょう。しかし、あなたが唱えている題目の妙の文字が仏の使いとなり、娑婆のことを冥途に伝えているから大丈夫です』(P1483、趣意)とも仰せになっています。
ですから、御本尊を拝すれば、いつでも心の対話ができます。題目を唱えれば、"無線"のように生命は通じます。
亡くなった家族や友人のためにも、広宣流布のために生きて、生き抜いて、これまで以上に自分が幸せになっていただきたい。それが、最高の追善となるからです。