2012年3月11日日曜日

2012.03.11 わが友に贈る

一番苦しんだ人が
一番幸せになれる!
友を幸せにできる!
それが信心だ。
さあ希望の一歩を!

種種御振舞御書 P925
法華経を持つ者は必ず成仏し候、故に第六天の魔王と申す三界の主此の経を持つ人をば強に嫉み候なり

◇希望の明日へ
恋愛も結婚も自由であり、だれにも束縛する権利はない。だからこそ、自分がしっかりしなくてはならない。聡明に自分を律していかねばならない。特に、女子部は、まだ人生経験が少ない。ゆえに当然、そうした問題で迷うこともあろう。そのときには、一人で悶々と悩んでいてはいけない。必ず、親や信頼できる先輩、友人に相談していくべきである。多くの体験に照らして、そうした"良き友""良き人々"の輪のなかにいる女性は、大きく守られていく。このこと自体、大変に幸せなことなのである。また、この点、婦人部の方々にも"人生の先輩"として、遠慮なく女子部のメンバーに、温かなアドバイスと配慮をお願いしたい。
平2・10・10

☆我らの勝利の大道No.69 東北福光の春
断固して
 この世の使命と
  東北に
 凱歌の道を
  いざや開けと

苦難に耐え、前へ進み抜く青年の勇気が凛と光る。
喜びも悲しみも分かち合い、共に乗り越えゆく励ましの絆が幾重にも広がる。
そして試練の風雪にも、偉大なる信仰を貫き通す民衆の連帯が、未来を照らす希望の太陽と昇る──。

これこそ、我らが誇りと仰ぐ"東北の凱歌の人びと"である。
古代ローマの哲人セネカは不屈の人に感嘆した。
「苛酷極まる不幸にも雄々しく立ち向かって、他の人ならば屈服されるような災いを打倒する人は、その苦難そのものを、あたかも名誉の記章のように身に帯びているのです」と。
東北健児なればこそ、ここまで耐えられたのだ。
東北家族なればこそ、ここまで復興できたのだ。

真実の信心とは、何か。それは、難を越え、宿命を越え、さらに悠々と堂々と、広宣流布に前進しゆく負けじ魂のことである。
その真髄を、東北の同志が示し切ってくれている。
すべて御本仏・日蓮大聖人が、また三世十方の仏・菩薩が御照覧であることは絶対に間違いない。

厳寒の東北にも、まもなく春が来る。忍耐の冬を勝ち越え、満々たる「福光」の春が必ずやって来る。
三月十一日。東日本大震災から一年──。
あの日、午後二時四十六分、マグニチュード九・〇の大地震が起こり、大津波が続いた。東日本、特に東北の太平洋沿岸を中心に甚大な被害を受け、死者は一万五千八百五十四人、行方不明者は三千百五十五人(十日現在)に上った。さらに深刻な原発事故を併発した。
この震災で突然、愛する家族や友人を失った方々の苦衷はいかぽかりか。生活基盤を奪われた方々、避難生活の方々、故郷を離れざるを得なかった方々の辛労はいかぽかりか。筆舌に尽くすことはできない。
だからこそ、私も妻も、被災者の皆様方のことを、いつも、心の一番真ん中に置き、どこまでも、共に共に生き抜く決心である。
今、あらためて、亡くなられたすべての方々に哀悼の意を捧げるとともに、深く深く追善回向の題目を送らせていただきたい。
そして、苦闘されている皆様の健康を案じない日はない。諸天よ諸仏よ、わが宝の友を守りに護れと、強盛に祈り抜いている。

妙法の功徳は『生生に失せじ世世にくちざらむかし』(P968)と説かれる。
「心の財」は不滅である。妙法流布に戦い抜いた歴史は、何かあっても消えない。その福徳は一家眷属を包み、『冬は必ず春となる』との希望の法理が爛漫と証明されていくのだ。
宮城県石巻市のある母は、最愛の娘さんを津波で亡くされた。遺品を整理するたび、あふれる涙を止めることができなかった。
だが唱題を重ね、母は、やがてある結論に至った。
──自分は娘の「後継者」なのだ。人に勇気を贈れる明るい女性になりたいと語っていた娘の分まで、断じて生き抜くのだ、と。
日蓮大聖人は、わが子を亡くした母に、『南無妙法蓮華経と申す女人の・をも(思)う子に・あわずという事はなし』(P1576)と約束してくださっている。