人生の原点となる。
決して諦めるな!
「いまだ こりず候」と
不屈の心で進みゆけ!
衆生身心御書 P1595
『設いこうをいたせどもまことならぬ事を供養すれば大悪とはなれども善とならず』
◇希望の明日へ
女子部時代こそ、人生の基礎を築きゆくときである。未来の成長と幸福のために、現在の大いなる労苦を避けてはならない。広布のため、法のため、また人々のための活動は、すべて自らを飾りゆく幸の冠となる。一時の人気や財産、華やかさなどを追う青春からは、人生の幸福の実像は絶対につかむことはできない。三世永遠に崩れることのない福運の王女の境涯を築くためにも、広布の庭で悔いなき青春乱舞の日々であっていただきたい。
昭62・12・19
☆勝利の人間学第3回 法華経の兵法--祈って勝つ!
・祈りから始めよ
まず祈ることだ。真剣に祈ることから始めるのだ。なぜ祈るのか。自分を最も強くし、自身の力を最大に出すためである。
日蓮大聖人は『法華経の剣は信心のけなげ(勇)なる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼう(鉄棒)たるべし』(P1124)と仰せである。
手を抜いて楽をしようという油断や、自分の小手先で何とかなると思う慢心を排し、自らの壁を破って、一心不乱に戦う。「広宣流布のために必ず勝つ」という誓願の祈りほど、強いものはないのだ。
祈る青年には、後退はない。祈れば、勝利への前進が始まる。
最後は、祈って戦った者が勝つ!
・一番いい方向にいく
祈りの力用について、「顕祈顕応(けんきけんのう)」「顕祈冥応(けんきみょうおう)」「冥祈冥応(みょうきみょうおう)」「冥祈顕応(みょうきけんのう)」と説かれる(P1242)。直ちに祈りが叶う場合もあれば、はっきり見えない場合もあるだろう。どうであれ、疑うことなく題目を唱え抜いていくことだ。真剣に祈り抜き、祈り切ることだ。
たとえ叶わないように見えても、最後には、自身にとって、一番いい方向にいく。「頑張り抜いてよかった!」と、自らが叫べる大歓喜の人生を築くことができる。これが妙法の偉大なる力である。
・祈りは具体的に
弓矢だって、的を定めなければ当たらない。祈りも同じである。目標を明確にして、懸命に努力する──その延長上に祈りは叶う。
ただ拝んで、目先の幸運を欲するという浅い次元の信仰ではない。祈って努力し、努力して祈る──その時に、諸天善神は動くのだ。
戸田先生は言われた。
「一丈の堀を越えられないものが、二丈、三丈の堀を越えられるわけがない。一つ一つ、やりきっていくんだよ」と。
目標を忘れた時に空転は始まる。
今日の目標を具体的に祈るのだ。
そして、青年らしく、思う存分、ベストを尽くして行動するのだ!