2012年3月16日金曜日

2012.03.16 わが友に贈る

青年こそ希望。
未来を開く原動力。
さあ新たな挑戦の峰へ
誓いの大行進を!
栄光と勝利あれ!

土篭御書 P1213
法華経を余人のよみ候は口ばかりことばばかりはよめども心はよまず心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ

◇希望の明日へ
仮に試験がうまくいかなかったとしても、それで落胆することはない。歴史上の人物をみても、一度や二度の試験の失敗など、数多くある。失敗しなかったから、人間的に"偉い"とか、失敗したから"ダメだ"と決まるものではない。学ぶということは、そうした表面的な姿では測れない深さと広がりをもっている。"働きながら学ぶ"という方たちの向学の道には、人知れぬ苦労が大きいに違いない。しかし苦労が大きければ大きいほど、自らが体得する成果も大きいのである。
昭63・8・16

☆我らの勝利の大道No.69 東北福光の春
福島県のある女子部の友は、原発事故で散り散りになったメンバーと一人ずつ連絡を取り、希望の励ましを送り続けている。
宮城県の男子部の友は、自宅が流された敷地に、地域社会の皆に大いなる勇気を送る看板を打ち立てた。
"復興のシンボル"ともなった、この大看板の前に、三月十一日の朝、決意も新たに青年たちが集った。
その雄姿の写真を拝見し、私は胸を熱くした。
震災の日、岩手県の病院で、研修医としての最終日を迎えていた青年もいる。わが創価学園に学んだ彼は、幼き日に弟を亡くした経験から医師を目指した。被災地での医療活動に献身し、今、県内で小児科医として活躍している。
英語教師として東北に赴任していた、アメリカ創価大学(SUA)卒業の女性は、あえて被災地にとどまり、生徒を励ましながら、ボランティアとして尽力した。国際交流の仕事に携わる経験を生かし、通訳として在日外国人の支援に奔走した東北出身のSUAの同窓生もいる。
震災直後、東北各地はもとより、信越や関西からも、さらに北海道、東京、関東などからも、真心の救援物資が届けられた。学会本部がその支援の中軸となり、会館を拠点として、多くの青年部の勇者たちが献身的に奮闘してくれた。
かつて阪神・淡路大震災(一九九五年)や新潟県の中越地震(二〇〇四年)、中越沖地震(二〇〇七年)を乗り越えてきたからこその、迅速な行動であった。
さらに、全国、全世界の友から寄せられた、言葉に尽くせぬ励ましも、断じて忘れることはできない。
わが息子、わが愛娘である青年部の皆さんの不撓不屈の勇舞を、私は感涙とともに、最大の誇りをもって胸奥に刻みつけている。

青春に
 つみし福運
  生涯に
 薫るはたしかと
  今日も指揮とれ

自分も苦しい。悲しい。辛い。その涙も涸れるような悲嘆の中で、自分だけではない、自分は一人ではないと、周りに目を向ける。
「同苦」──それは、人間の最も強い生命の絆に気づかせ、蘇らせてくれる。苦しみを共にする。そこから、共に立ち上がる力が生まれるのだ。
今、被災地では、多くの青年部の友が、個人の悲哀を「人を支える力」「人を救う力」に変えて戦っている。幾重にも襲う生活の辛苦を、新たな社会を構築する力に変えゆこうと心を合わせている。
現実に向き合い、渾身の勇気で踏み出したその一歩こそが、新しい未来の道を開いていく。
アルゼンチンの人権の闘士であるエスキベル博士は厳然と語ってくださった。
「私は、この未曽有の危機のなかにあっても、こう強く叫びたいのです。
『希望』はある──と。それは、いったい何か。創価学会です。そして、師の薫陶を受けた青年たちです」
私は訴えたい。大震災を乗り越えゆくなかで、幾多の同志が地域の方々と共に紡いできた軌跡を、人類史、なかんずく、広宣流布の不滅の歴史に、断じて刻印すべきである、と。そして、永遠に語り継いでいくべきである、と。
東北の激闘を、青年の力闘を、創価の底力を、日本中、世界中の友の真心の支援を、尊極の宝として残していかねばならない。
この凛々しき青年たちが希望なのだ。この不撓不屈の民衆こそが希望なのだ。