2011年11月29日火曜日

2011.11.29 わが友に贈る

正義の学会は
世界に大発展!
破邪顕正の言論光る
教宣部の検討に喝采!
御本仏が御賞讃だ。

兄弟抄 P1082
設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入つて法華経と申す妙覚の功徳を障へ候なり

◇希望の明日へ
現実の人生は、悩みの連続である。婆婆世界とは、そうした苦悩を耐えていく世界という意味である。この悩みの世界にあって、すべての悩みを喜びに変え、いっさいを楽しみ、悠々と生き抜いていく−−それが成仏という常楽我浄の境涯である。

☆豊島、台東、墨田、目黒区合同総会「真の人間組織こそ宗教の基盤」S62.12.12
◇社会は「心」のネットワークを志向
さて、近年における社会の変貌の一側面として、従来のいわゆる「大衆社会」の崩壊が指摘されている。つまり、均質的・画一的な「大衆」が姿を消して、より個性的で多様な志向性をもつ個別の集団が生まれてきた。
こうした現象をいちはやく「分割された大衆」、すなわち「分衆」ととらえて話題を呼んだのが『「分衆」の誕生』(博報堂生活総合研究所編、日本経済新聞社)である。同じような意味で、大衆ならぬ「少衆」、さらには「微衆」「超微衆」「孤衆」なる言葉まで生みだされている。これらは、主として商品市場への企業戦略の立場から考案された用語であり、主に商品のニーズ(需要)に基準をおいた分析であるゆえに、社会の全体を総合的にとらえたものではないことも事実である。
それはともかく、人々の「心」の動向を知ることは、組織というものを考えるうえでも大切な点であろう。
ちなみにこの本では、「分衆」の背景として、戦後社会の人々の志向が、復興期の「量的満足の志向」から、高度成長期の質的満足の志向」へ、そして現在の「感性満足の志向」へと変化してきたとみている。
これを「人並み」志向から「自分並み」志向への変化として、他の人と共通の価値観に従うよりも、自分の感性、あるいは、わが家の感性にあった暮らし方をしたいと願う人々が増加しているというわけである。
このように、大衆社会が「バラバラになった生き方、暮らし方を志向し始めている」一方で、組織への「帰属意識の希薄化」が進んでおり、組織に所属はしていても、構成員としての自覚は、きわめて薄いのである。積極的に何かをしようということも少なく、とくに青年屑にその特徴が強く見られる。したがって、号令や、人々の帰属意識に訴えるかたちで、多数の人を動員することは、多くの組織において困難になってきている。これは先進諸国を中心とした世界的傾向であり、そうした組織のあり方の変化は、象徴的に、ピラミッド型の「ヒエラルキー(上下の秩序)」から、横のつながりを中心とする「ネットワーク」への変動にあらわれているとも指摘している。
それではどうするか。これが問題であるが、ともすると、自由な創造性を抑圧しがちであった上意下達のピラミッド型の組織にかわって、おたがいの打ち合いのなかで、各人が創造性を発揮していけるような小集団が、職場や地域で重視されるのも、その一つのあらわれである。大学では、気軽な同好会が人気の主流となってきているという。また、他のさまざまな人材のグループと幅広く交流し、人格を磨いていこうとする動きもある。
「ネットワーク」をはじめ、「創造性」「小グループ」「交流」と続くと、なんだか聞きなれた言葉ばかりである。まさに私どもがかねてより主張し、実践してきた組織の方向性が、どれほど時代を先取りしているかの一例といえよう。いいかえれば、いよいよ私どもの時代であり、たくわえた力を大きく社会に輝かせていく時代に入ったと申し上げておきたい。
そのうえで私は、もっとも大切な一つは「対話」であると強調しておきたい。もはや命令や"ねばならぬ"式の訴えで、人が動く時代ではない。
心から納得しなければ、だれも行動しない時代である。また逆に、自分が納得すれば、思いもよらぬすばらしい力を発揮する可能性も大きい。ゆえに、充実した「協議会」が、いよいよ大切であり、一対一の「対話」が限りなく重要となる。
かつての大組織の多くが停滞と行き詰まりに苦しむなかで、学会が青年をはじめ多くの人々をひきつけ、発展している要因の一つがここにある。また、この実践は未来も変わらず重要な原則である。
「分衆」「少衆」といった分析は、当然、恒久的なものではない。今後も、刻々と変化していくにちがいないし、現に、現代社会はむしろ管理化が進行し、価値観そのものも物質中心のものに、ますます両一化してきているとする論者もいる。
これもまた別の観点から、社会の一面をとらえているといえよう。そうした強まる管理社会の圧迫のなかから、「分衆」等が誕生してきた一背景をみることもできるかもしれない。
見のがしてならないことは、社会を分散化・個性化とみるにせよ、管理化・画一化とみるにせよ、どちらの観点からも求められているのは、個性豊かな「人間中心の社会」であり、創造性を存分に発揮できる「人問中心の組織」にあるという一点である。

かつてトインビー博士と対談した折も、現代における「組織」のあり方が話題になった。
私は、組織の時代といわれる現代にあって、問題の核心は"組織が主であって、人間は従である"という観念にあると主張した。そして「常に組織は個人から出発し、個人に帰着する、そして個人を守るという原点に立ちもどることだ」「(組織は)高度な有機的生命体と見るべきである」、「個人は組織の部分でありながら、組織全体よりも尊い。個は全体のなかにあり、全体は個のなかにおさまる」と述べたものである。
そのときトインビー博士が、「イエス、イエス」と大きくうなずいておられた姿が忘れられない。とりわけ、組織の変革というより、人間の心の内面からの精神革命による以外に、現代社会の病根、社会的病弊は治せない、と語っておられたことが心に残っている。
ともあれ、この対談もまた、未来のために、未来を見すえてのものであったが、そこで論じた「一人を徹底して大切にする人間組織」の方向性を求めて、時代は刻々と動いていると確信する。また、そうした方向へとリードしていくことが、私どもの使命である。その先駆の存在こそ学会の広布の組織であり、なかでも、とりわけ模範となる組織を、わが地域に見事に築ききっていただきたい。