地涌の菩薩の
使命を果たす時!
断じて勝つと
強き一念で進め!
日興遺誡置文 P1618
『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』
◇希望の明日へ
仏法も人生も、大切なのは事実である。現実の証拠である。『道理証文よりも現証にはすぎず』(P1468)−−(仏法では、道理(理証)と証文(文証)が大切である。そのうえで)道理や証文よりも現証が第一である−−と大聖人は仰せである。どんなに立派なことを言っても、またすばらしい話を闘いたとしても、自分自身が現実に満足と勝利の実証を示さなければ、意味がない。観念論、抽象論になってしまう。それでは、仏法ではないし、実像の人生でもない。
☆人間革命 第1巻より
──獅子は伴侶を求めず
──これまで、彼を襲った異様な孤独感は、暗々裡に伴侶を求めていたことから来ている。彼の弱い心の仕業であったかも知れぬ。獅子は、伴侶を求めず、伴侶を心待ちにした時、百獣の王、獅子は失格する。
獅子には、絶対、孤独感はない。伴侶は求めずして、ついて来るものだ。広宣流布の実践は、獅子の仕事である。自分が、獅子でなければならぬなら、伴侶は断じて求むべきではない。自分が真の獅子ならば、伴侶はみずから求めて、自分の後に蹤(つ)いて来るに違いない。
要は、自分が真の獅子であるかどうかにかかっている。まことの地涌の菩薩であるか、否かだ。
──俺は、獅子でなければならない。獅子だ。百獣はいくらでもいる。