「信心即生活」の
賢明なリズムこそ
人生勝利の直道!
強き祈りで進め!
閻浮提中御書 P1589
『仏法を信じて今度生死をはなるる人のすこし心のゆるなるをすすめむがために疫病を仏のあたへ給うはげます心なりすすむる心なり』
◇希望の明日へ
大聖人と釈尊の仏法の違いは、あえて、たとえれば、釈尊の仏法では、ロッキー山脈の高峰をめざすように仏界の高みへ一歩一歩登っていく。特別に優れた人が仮にたどりついたとしても、それだけで人生が終わってしまい、他の人を救うこと、社会への貢献などは難しくなってしまう。大聖人の仏法は、足元のわが身、わが生命の大地を開拓して仏界の宝を掘り出していく。仏界の"宝の蔵"を開いていく。そのカギが題目であり、信心の一念である。また山でいえば、ただちにヘリコプター等で山頂に到着し、そこから悠々と下界を見下ろしながら、仏界の風を社会に送っていくのが、大聖人の仏法であるとたとえられるであろう。
☆我らの勝利の大道No.63 東北は人類の希望の光(2/5)
東北には、創価学会の折伏精神の源流がある。
東北には、三代の師弟が築いた人材の城がある。
愛する大東北よ!
宮城、岩手、青森、秋田、山形、そして、福島の誉れの友よ!
あの東日本大震災から八ヵ月……。
わが東北の同志は、いずこにあっても、信心という「心の財」を抱きしめ、生きて生きて、生き抜いてくださっている。
一人の友のため、地域のため、郷土のため、未来のために、戦って戦って、戦い抜いてくださっている。
大難に負けない東北の「勇気の人びと」「不屈の人びと」を仰ぎ見よと、世界中が感嘆している。
東北の「負げでたまっか!」は、関西の「負けたらあかん!」と共に、世界の同志の共通語となった。
まさに「試練の中で人間は断固と立ち上がる」という希望の法則を、人類史に実証されているのが、尊き東北の皆様方である。
なかんずく、東北の健気な母たちのご苦労が偲ばれてならない。私の胸には、日蓮大聖人の御賞讃の仰せが迫ってくる。
「大風が草をなびかし、雷が人を驚かすような世の中にあって、貴女が今まで信仰を貫き通されてきたことは、不思議なことです。
根が深ければ葉は枯れず、泉に玉があれば水が絶えないというように、貴女の信心の根が深く、いさぎよき玉が心に輝いておられるからでしょう。何と尊いことでしょうか」(御書一四七九ページ、通解)
この御文さながらの東北の母たち、女性たちの深く強く清らかな信心を、蓮祖が御照覧であられることは、絶対に間違いない。
留学中の仙台で、生涯の宝とする師弟の出会いを刻んだ中国の文豪・魯迅は、「深くねばり強い戦いに勝るものはありません」と語っていた。
仙台での魯迅の記念碑設置に際し、足を運んだ許広平夫人も述懐している。
「世の中に難しいことなどありません。それは人間の心が堅忍か否かにかかっているのです」と。
その「粘り強さ」と「人間の心の堅忍さ」を、我らの東北の友は、何と神々しく発揮されていることか。
東北だからこそ、耐え抜くことができた。
そして東北だからこそ、勝ち抜くことができる。
後世の歴史に、必ずや希望の鑑として刻印されるであろう。
「人々が重大な難問に立ち向かう決意を固めると、最大の歴史形成力が始動する」──これが、英国の慧眼の歴史家トインビー博士の洞察であった。
ゆえに私は信ずる。
前代未聞の試練に屈せず、雄々しく応戦する大東北から、新しき偉大な民衆世紀が開かれゆくことを!