2011年9月30日金曜日

2011.09.30 わが友に贈る

太陽の大仏法は
真実の中の真実なり。
御書を学べば学ぶほど
無限の勇気と希望が
胸中に湧き上がる!

一生成仏抄 P383
都て一代八万の聖教三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとはゆめゆめ思ふべからず

◇希望の明日へ
学会もつねに難の連続であった。しかし、その難と戦い、乗り越えてきたがゆえに、今日の大発展がある。"幸福の中の幸福"は戦う信心にある。いっさいが"人間革命"のチャンスである。そう決めれば、石ころが金に変わる。瓦が宝石に変わる。苦しみが全部、福運に変わる。

☆随筆 人間世紀の光 No.052「君よ 青春の無限の力を!」
「半年で倍増」という大結集を実現するために、私は、勝利から逆算して、周到に準備し、戦いを起こした。
何のために戦うのか、広宣流布の崇高な使命を訴え抜いた。そして全幹部が一丸となって、共戦の同志の拡大、折伏の拡大に全力を注いだ。
さらに真剣な個人指導、御書講義を通して、新たな人材を見つけ、人材を育て、人材を登用していった。
若き勢いは、早くも八月中に一万人結集の展望を開き、十月は破竹の驀進となった。
寝ても覚めても、思うことは、ただ「広宣流布」!
何をしていても、奥底の一念には、必ず一万人結集をやりきってみせるとの炎が、消えることなく燃えていた。
当時の仲間たちの思いも同じであった。青春を乱舞する充実と歓喜が光っていた。
「人間は溌剌たるものに好意をよせる。青年は青年によって、相互に人間形成を促す」
これは、大文豪ゲーテの意味深い名言である。
形式的に人数を集めるのではない。
偉大な師匠と共に戦う、若き弟子の陣列を、厳然と勢揃いさせてみせる!
まことの師弟の魂の結合があるならば、恐れるものは何もない。

この師弟不二の溶鉱炉から、必ずや、広宣流布という人類未到の勝利、勝利の山が完成されていくであろう。
なぜ、戸田先生は、あれほど青年に期待されたのか。
それは、戦時中の弾圧による学会壊滅の原因として、教学がなかったという一点とともに、もう一つ、重大な、戸田先生の痛恨の思いがあったのだ。
つまり、ご自身と同じ決心で牧口先生を護り、学会を護り抜く、真の青年がいなかったということである。

臆病な保身の幹部が何人退転しようが、なぜ歯を食いしばって、宗教革命の旗を掲げ抜く青年がいなかったのか!

♪捨つる命は 惜しまねど
旗持つ若人 何処にか……

「同志の歌」に歌われた如く、先生は、青年を待っておられた。生死を共にする不二の青年を待っておられた。
だからこそ、卑怯な性根の青年を見つけられると、烈火の如く叱られた。
「この嘘つきめ! お前は、いつからキツネになったのか!」
「臆病な青年など、戸田の弟子ではない!」

広宣流布は、三障四魔、三類の強敵との熾烈な戦いだ。そのためには地位も財産もいらぬ、命も惜しまぬ、そういう本物の革命児でなければ、広宣流布はできない。
戸田先生は、そのような本物の弟子を見つけ、育てていきたかったのだ。
多くの青年は深い自覚もなく、師の深き決意も知らなかった。
信仰という厳粛なる生死の問題も軽々しく考え、流行の新興の宗教の如き思いをもって集まってきた若者も多かったようだ。
彼らは、難とともに、風の如く、いっせいに消え去った。
しかし、私は、「たった一人になっても、断じて勝ってみせる!」と覚悟していた。
その激闘の渦中、「青年よ国士たれ」(国士訓)の指針をいただいたのだ。
「青年よ、一人立て!
二人は必ず立たん、
三人はまた続くであろう」

一万人結集は、まさに師が死力を尽くして叫んだ、広宣流布の基礎の原理の実践であった。
そして弟子たちが、その原理を実証してゆくべき、不二の儀式であったのだ。
秋晴れの十月三十一日——師・戸田先生のもとに大結集した、若き弟子の人数が発表された。
男子部、六千三百八人。
女子部、四千八十二人。
男女合計、一万三百九十人。そして、この大先輩の青年たちの推進の力が発火点となって拡大され、今や——
男子部、二百七十三万人。
女子部、百六十七万人。
男女合計、四百四十万人の若き陣列となった!

2011年9月29日木曜日

2011.09.29 わが友に贈る

リーダー自らが
弘教や個人指導に
真っ先に取り組むのだ!
必死で道を拓いてこそ
同志は勇み続く!

上野殿後家尼御返事 P1505
法華経の法門をきくにつけてなをなを信心をはげむをまことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりもなをそむればいよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきはいよいよあをきがごとし

◇希望の明日へ
どれほど迫害され、どれほどたたかれようとも、大聖人は喜びの大境界であられた。これが仏の御境界である。だれもかなわない。だれも壊せない。人間として最高の生き方であり、人生である。何も苦しみがないのが幸福なのではない。どんな苦しみをも喜びに変えられる自分自身の境涯に幸福はある。その鍛えのなかに充実があり、価値がある。苦労が大きい分だけ、成長も大きい。悩みが深い分だけ、乗り越えた喜びも大きい。難は即悟りであり、大難即仏界である。

☆随筆 人間世紀の光 No.052「君よ 青春の無限の力を!」
五十年前(昭和二十九年)の秋、私は、師弟不二である創価の青年部の一幹部として、連日連夜、怒濤のような戦いの渦中で指揮を執った。その思い出は、一生涯、忘れることは断じてできない。
ことに、この年の十月末から十一月上旬にかけて、三つの大きな学会行事が控えていた。
その一つは、十月三十一日の「青年部一万人の総登山」であった。
次に、十一月三日に開催される、意義深き「本部の総会」である。
さらに十一月七日は、創価の広布の躍動と躍進を示しゆく、初めての歴史的な東京・世田谷の日大グラウンドでの「大体育大会」であった。

日本中の同志が見つめていた。
多くのマスコミもまた、学会に注目し始めていた。
この大きな一つ一つの山の登攀を、私たちは見事に天下に証明し、厳として永遠の歴史を飾った。
日本中の目が、新しい学会の実像を、新しい目で見つめ始めた。

この年の五月、沛然たる豪雨のなか、男女青年部五千人の本山での結集を大成功裏に終えた直後のことであった。
戸田先生が、私に力強く言われた。
「下半期にもう一度、やろうじゃないか。青年部の実質的な"総会"だ。
秋十月に、今度は一万人の大結集で、学会の実力を天下に示してくれないか」

師の瞳は、輝いていた。師の弟子を思う瞳は、微笑みと同時に涙ぐんでおられた。
わずか半年で、倍増の一万人の結集である。多くの幹部連は、唖然として、私の顔を見つめていた。
戦いには「時」がある。
青年部の大躍進のために、今、必要なのは前進また前進だ。今、休んでしまえば、力が衰える。目的が乱れる。向上心が消える。断固として、もう一歩前進して、創価の広布の大地盤を築く時だ。
師と若き弟子は、一致した心であった。
今こそ、青年を鍛える時だ。青年を立派な指導者に育てゆく時である。
それには、訓練だ。苦労だ。機敏な行動を教えゆくことだ。多くの人を結合させ、前進させる指導力を、身をもって教えることだ。 牧口先生とも親交の厚かった新渡戸稲造博士は、「人の力は出せば出す程ふえる」と訴えた(『自警録』)。
「十分に力を出す者に限って、おのれに十二分の力があり、十二分の力を出した者がおのれに十五分の力あることがわかってくる」(同)と。
これは、有名な話である。
私は、全くその通りだと思った。
戦いのみが、青年の力を鍛える。
惰弱な青年が、いくら名門校を出て偉そうに見えても、人間としてそれだけでは負けである。自らの戦いがなければ、人はつかない。自分自身も、魂の自滅である。
青年は鍛えねばならない。責任を持たせ、活動の戦野を広げていくことだ。多くの人びとの心を知り、薫発させていく源泉となっていかなければ、力ある境涯はできあがらないからだ。

2011.09.28 わが友に贈る

交通ルールを守れ!
夕暮れ・夜間の運転は
特に注意せよ!
自転車はライトを点灯。
断じて無事故を!

閻浮提中御書 P1589
願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕せ師子は値いがたかるべし

◇希望の明日へ
難を乗り越えてこそ成仏がある。すなわち、難はチャンスなのである。喜び勇んで立ち向かうとき、信心によって打ち勝てない難などない。越えられない山などない。要は"必ず勝つ"との一念である。勝つための行動の持続が大事である。

☆随筆 人間世紀の光 No.052「君よ 青春の無限の力を!」
「断じて、この一生を悔いなく勝利して飾れ!」
これは、戸田先生が、若き最優秀の人材の集う「水滸会」で、最後に言われた言葉である。
聡明に振る舞い、聡明なる行動をとる者は、社会の信用と勝利の道を飾るのだ。
堪忍の限度を超えた、中傷迫害の輩に対しては、一生涯、戦い続けることだ。
断じて許さず、勝利することだ。

たまには、君たちと気晴らしをしながら、大いなる希望の歌を歌いながら、あの荘重なる誓いを確認し合って、誓約の魂の交歓をしようではないか。
善人である君よ!
勝利者である君よ!
勝ち誇っていく青春を生き給え!
君よ、来る日も来る日も、聡明に振る舞え!
賢明に戦い、勝ちゆくのだ。

あの恩知らず、あの裏切り者たち! 彼らは、策士である。陰謀家である。人の苦しみを、せせら笑う畜生の如き連中だ。
我らを散々、騙した罪は、永遠に業苦の炎となって、彼自身を焼き苦しめていくことは、間違いない。
あの卑劣な、煩悶絶叫して苦しみながら倒れる輩たちよ。
盗人よりも悪い、卑怯な、正義を破壊せんとする、忘恩の大悪人の末路を、容赦なく見届けるのだ——と、戸田先生は誠に厳しかった。
若き君よ、正義の堂々たる道から、悲惨な地獄に行くような迷路に入るな!
若き君よ、生きるのだ。生き抜くのだ。意義ある人生を生きていくのだ。
己が、勝利と幸福と栄光を、悔いなく歴史として留める人生を歩むことだ。

「青年・拡大の年」——
これが、学会創立七十五周年となる、輝かしき明二〇〇五年のテーマである。
無限の希望の未来を歩みゆく「青年の年」であり、無限の勝利と栄光の大広場で、愉快に語り、舞い、生き抜く、「拡大の年」である。
なんと希望にあふれ、力のみなぎるテーマであろうか!
邪悪に包まれた、この我らの生きゆく世界にあって、青年は、正義の血脈の連帯と、尊き鉄の団結をもって、大勝利の歴史を綴りゆくのだ。
我らは、わが無限の青年の力で、未曾有の「創価の威光勢力」を拡大し抜く一年を築き上げていくのだ。
未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』(P231)と、開目抄に引かれた経文は、我らの明確な指標である。
我らがめざすのは、創立八十周年の二〇一〇年!
さらに、「次の五十年」の栄光である。
その勝利を決するのは、仏勅を胸にした永遠の勝利の指導者たる、そしてまた、晴れ晴れと天空を愉快に飛び舞いゆく、偉大なる青年の決意であり、一日一日の行動であり、世紀の今の戦いだ!

2011年9月27日火曜日

2011.09.27 わが友に贈る

副役職の同志が
元気な組織は強い。
中心者は積極的に
意見や応援を求めよ。
総合力で勝て!

法華証明抄 P1586
いかなる過去の宿習にてかかる身とは生るらむと悦びまいらせ候上の経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が法華経計りをば用いまいらせず候いけれども仏くやうの功徳莫大なりければ謗法の罪に依りて貧賎の身とは生れて候へども又此の経を信ずる人となれりと見へて候

◇希望の明日へ
広宣流布の険難の道にあって、臆病にも信心を捨て、卑しき"奴隷の道"を選ぶか。それとも勇気をもって、誇り高き"王者の道"をゆくか−−。その一点で"大聖人直系"の信心か、否かの命脈が、決するのである。

☆質問12 毎日、学校やクラブ、塾で忙しく、自由がありません

「力」をつけずして、本当の自由はない
自由とは、遊ぶことではない。浪費することではない

自由といっても、自分が心の底から「何を」したいと願っているのか。
自由とは、遊ぶことではない。浪費することではない。時間があることではない。休日が多いことではない。気分のまま、気ままに生きるのは「放縦」であって「自由」ではない。
自由とは、いかに、自分自身を高揚させていくか、自分自身の目的に向かっていくか──そのなかにこそ、黄金のような「自由」がちりばめられ、光っているのです。

じつは、自由があるからこそ、勉強できる。自由があるからこそ、学校へも行ける。
自由があるからこそ、勤行もできるし、高等部の活動もできるのです。

それを不自由ととらえるところに、人生の大きな錯覚がある。
学校に行くのを、権利ととるか、義務ととるか。自由か、不自由なのか──自分自身の哲学、智慧をもっているかどうかで、すべてが変わってくる。
「受け身」になったら、どんなに自由な環境であっても「不自由」な自分になる。「攻め」の一念になれば、どんなに不自由な環境であっても、「自由」な自分になれる。
病気の人は、学校に行けない。戦争中の国の子どもも、学校に行けない。
行ける人は、行ける自由がわからない。行けることは最大の自由なんです。勘違いしてはいけない。

自由とは「自律」のなかにある。
現実の社会・生活は、何かに縛られている。放縦ではない。無軌道ではない。
太陽も、朝出て、夕方には沈む。星も夜だけ輝く。皆、それぞれの役目をもっている。それぞれの軌道にのっとって、運行している。その意味では自由ではない。
朝起きて学校に行ったり、高等部の活動をすることは、今の諸君たちが歩むべき「軌道」なのです。絶対に、すべきだと思う。
それをやらずして本当の自由はない。「力」をつけずして、強くならずして、本当の自由はない。
知力、体力、精神力、生活力、経済力──力があれば「自由」になれる。その最高の力が「精神の境涯」なのです。

自由とは、自分の生きる価値で決まる。自分の心・境涯で決まる。
そこに自由があるのに、自分はそれをわからずに、不自由と思っている場合もあるだろう。
同じ場所にいる人が、大いなる自由を感じている場合もあるだろう。
同じ「自由」を、立派に価値創造に使う人もいれば、気ままに浪費して不価値・反価値にしてしまう人もいる。自由の名を叫びながら、自由を破壊する人もいる。"自由"のなかに、価値と不価値を含んでいる。
結論は、自分自身を支配できた人こそが、本当の自由なのです。
(『青春対話2』から)

2011年9月26日月曜日

2011.09.26 わが友に贈る

青春の誓いを
断じて忘れるな!
原点を持つ人は
絶対に負けない。
さあ新たな出発だ!

孝子御書 P1100
其の上貴辺の御事は心の内に感じをもう事候、此の法門経のごとくひろまり候わば御悦び申すべし

◇今週のことば
伝統の教学試験だ。
「行学たへなば
仏法は あるべからず」
御書を心肝に染め
若き友よ 広布に走れ!
2011年09月26日

◇希望の明日へ
難は正義の証明である。迫害を受ければ受けるほど、正法の大力用は強く、深く、広く、発揮されていく。個人の宿命転換も、国土の変革もなされていく。これが、法華経の重要な原理である。大聖人が教えられ、身をもって示された「立正安国」への軌道である。

▽国立ザンビア大学からSGI会長に名誉法学博士号。「世界をリードする平和の指導者」と

☆我が地区こそ勝利の本陣なり(平成23年10月号)
断固して
 一人も漏れなく
  幸福の
 人生飾れや
  今世を歩めや

若き弟子・南条時光のお母さんへ、日蓮大聖人は仰せになられた。
此の経を持つ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成る』(P1580)
一人の人間の生命は、どれほど尊く、どれほど偉大であるか。その一人が、最大に幸福に光り輝いていくために、仏法はある。信心はある。
ゆえに、徹して一人のために!
そして、断じて一人も残らず!
この仏法の真髄の魂が最も熱く、最も生き生きと脈打つ世界こそ、我らの築き上げてきた地区である。
わが地区で、一人一人が正しき信行学を会得し、成長していくのだ。
わが地区で、一人一人が難を乗り越え、一生成仏していくのだ。
わが地区から、一人一人が広宣流布の闘士として打って出るのだ。

御義口伝には、『法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり』(P781)と明かされている。
一番身近で根本の道場を離れて、仏道修行の成就はない。
仏の「毎自作是念」とは、一人でも多くの衆生を、いかにして成仏させていくかにある。
地区を大切にし、顔の見える一人のために祈り、奔走し続けるからこそ、仏の一念に合致して、仏の智慧と力が逃り出るのだ。
わが師・戸田城聖先生は、地区に足を運ばれながら、よく言われた。
「地道と努力の積み重ねなくして、『師弟不二』の盤石な民衆の組織は築けない。学会の強さは、最前線の地区から盛り上がる民衆の力だ!」
この方程式は永遠に変わらない。
あの昭和三十一年、関西本部での朝の勤行会に勇んで駆けつけてくれたリーダーの中に、看護師として活躍する女性の地区部長がおられた。
病苦や経済苦と戦う友も多かった。皆を懸命に励まし、指揮を執る健気な彼女をねぎらい、私は言った。
一人一人の同志を、わが一念の中に入れて祈り抜くのです
私自身、何度も応援に飛び込んだ。
「『男女はきらふべからず』(P1360)です。皆さんの地区部長を、戸田先生とも思って、守り、支えてください)と申し上げたこともある。
地区の皆で心を合わせて唱題するなか、団結の力は深く張っていつむ。
その五月、彼女の地区は三百八十世帯の本尊流布を実らせてくれた。そうした一つ一つの地区の奮闘が、一ヵ月で一万一一一一世帯という、大折伏の金字塔を打ち立てたのだ。
地区こそ師弟の勝利の本陣であり、偉大な歴史を創る電源地である。
一人一人がその人にしか出来ない変化をもたらすことのできる存在であり、皆で力を合わせれば、不可能と思われるようなことも成し遂げることができる
これは、アフリカの環境の母・マータイ博士の揺るがぬ確信である。
不慮の災害などへの備えからも、地域に根差した市民のネットワークが切望されている。創価の地区は、かけがえのない安穏と希望の柱だ。
御聖訓には、『法華経の行者は日輪と師子との如し』(P1219)と仰せである。
わが地区は、幸福の太陽のスクラムであり、勝利の師子の陣列である。
さあ、地区から新しい人材を励まし育て、青年学会の拡大だ!


あな嬉し
 あの人この人
  勇敢に
 人生勝ち抜く
  誇りは無限と

2011年9月25日日曜日

2011.09.25 わが友に贈る

友情は
喜びを倍にする!
時代を動かす
大きな力となる!
良き友こそ宝だ。

善無畏三蔵抄 P890
仮令強言なれども人をたすくれば実語軟語なるべし、設ひ軟語なれども人を損ずるは妄語強言なり、当世学匠等の法門は軟語実語と人人は思食したれども皆強言妄語なり、仏の本意たる法華経に背く故なるべし

◇希望の明日へ
飛行機は空気のない真空状態では飛べない。空気は飛行機の抵抗にもなる、やっかいなものである。空気の抵抗と戦いながら、飛行機は飛んでいる。その同じ空気が、じつは飛行機を浮かばせ、飛ばす力にもなるのである。人生も、仏道修行も、何の抵抗もない真空状態の中では、楽なように思えるかもしれないが、そのじつ、大空に飛翔することはできない。空気の抵抗のなか、飛行機が前へ前へと飛び続けてこそ、空気も味方し、持ち上げる力となるのである。前へ、ただ前へ−広宣流布もまた、勢いある前進を続けるかぎり、苦難をも上昇の力に変えていける。「難即安楽」「煩悩即菩提」の"即"とは、何があっても"いよいよ"と奮い立つ強盛なる信心を指すと拝される。

☆折々の指導No.012 題目の光は全宇宙を照らす(各部の友に)
永遠に、これ以上ないという無上の幸福の人生を歩んでいけるのが、この信心です。
わが身を惜しまず広布に戦った人は、皆、仏の生命と輝く。
それが、どれほど偉大な境涯であるか。
有名な御書がある。
南無妙法蓮華経と唱え、退転せずに修行して、最後の臨終の時を待ってごらんなさい。妙覚の山に走り登って、四方をキッと見るならば、なんと素晴らしいことであろうか、法界は寂光土で、瑠璃をもって地面とし、黄金の縄をもって八つの道を仕切っている』(P1386、通解)
妙覚の山の頂に到達できるのだ。見渡すかぎりの世界は、まばゆいばかりである。
周囲も燦たる光にあふれ、自分も黄金の生命となる。
そういう世界に必ず行くのだ。絶対に心配ないよ──そう日蓮大聖人は約束してくださっている。
妙法は全宇宙を動かす力だ。根源の法則である。その妙法に則って生きる時、最も幸福な生命となる。本当にすごいことである。
大聖人は『(もしも)今、霊山にまいられたならば、太陽が昇って、十方の世界を見晴らすようにうれしく』(P1480、通解)と仰せになり、温かく門下を励ましておられる。
妙法は絶対である。
生々世々、常楽我浄の光に満ちた境涯となる。
大聖人の深き御心を抱きしめて、『生も歓喜』『死も歓喜』という生命の軌道を歩んでいきたい。
我らが唱える題目の光は、全宇宙を照らす。その大いなる光は、亡くなった全ての家族も、友人も、必ず包んでいくのです

★世界創価青年大会へのメッセージ
一閻浮提の壮大な広宣流布の歴史に輝きわたる「世界創価青年大会」、誠におめでとう!
万難を排して尊き求道の研修に来日してくれた、海外の若き偉大なリーダーの皆さん方に、私は重ねて心の底から感謝します。
三世十方の仏菩薩も、皆さん方に大拍手を送っているに違いありません。その大拍手は、皆さん方の胸から一生涯、消えないでありましょう。
さらに、新時代を開拓しゆく、日本の精鋭の諸君も、本当にご苦労さまです。

きょう、私が皆さんにお願いしたいことは、一人も残らず、この信心で、不動の自分自身を創り上げ、楽しく充実した、価値ある一生を送っていただきたい。そして、永遠の常楽我浄の大生命を勝ち開いていただきたいということであります。
その深き大境涯の確立こそが、人類にとって、かけがえのない偉業であるからであります。
日蓮大聖人は、「御義口伝」に仰せになられました。
始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(P788)と。
何ものにも壊されない、何ものにも崩されない「歓喜の中の大歓喜」の生命を生き抜いていくための根本の智慧──これが法華経の魂であります。
皆さん方は、若くして、この金剛不壊の生命を感得していくために、仏法の絶頂の哲学である法華経を選び、信じたのであります。法華経の真髄に敵うものは、永劫にどこにもないでありましょう。
それを知り、それを学び、それを実践し、弘めていける幸福は、最高無二の人生の境涯であります。
全宇宙の中で、これほど尊く、これほど誇り高き栄光はあり得ないのであります。

大聖人は厳然と示してくださっております。
夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり』(P1091)
どんな試練が襲いかかってきても、皆さん方は勇気を奮い起こして、崇高な使命の人生を生き抜いてください。
若き生命をなげうって、人類の永遠の幸福と平和を建設する広宣流布のために、戦い、勝ち抜いていってください。

自他共に、滅びざる仏の生命を築きながら、このうえない「所願満足」の人生を、強く正しく朗らかに飾っていっていただきたいのであります。
皆さんの健康を、皆さんの幸福を、そして皆さんの未来永遠の勝利を祈ってやみません。
わが若き同志、万歳!
創価の青年、万歳!
世界の青年学会、万歳!

2011年9月24日土曜日

2011.09.24 わが友に贈る

さあ友好拡大の時!
生命が輝く季節だ。
最高の祈りと
細心の注意で
健康・無事故の日々を。

富木殿御返事 P978
尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり

◇希望の明日へ
御本仏が厳然とおられた当時も、苦難の連続であった。"幸せになるために信仰したのに、どうして……"と思う門下もいたに違いない。しかし、"仏法は道理"である。空想的な魔術か何かのように、ひとたび祈れば、たちどころに何もかもうまくいく!そんな道理はない。広布は、どこまでも現実のなかで、一歩また一歩、善を広げていく戦いなのである。現実の社会には、複雑な人間模様が渦巻いている。「三類の強敵」と説かれるごとく、真の法華経の実践者であるほど、敵も多く、攻撃も激しい。

☆「復興へ創造的応戦を」(国際通信社IPSのウェブサイト)
人間の心は、妙なる力を秘めている。それは、いかなる絶望からも、「希望」を生み出す力である。最悪の悲劇からさえも蘇生し、「価値」を創造する力である。3月11日に東日本を襲った大震災においても例外ではない。
大地震・大津波の発生後、世界中の方々から、ありとあらゆる形で励ましのお見舞い、真心あふれる救援、支援をいただいた。私たち日本人は、この恩義を決して忘れることなく、道は遠くとも、未来を見つめて、復興への歩みを断固として進めていきたい。それが、世界の皆様から寄せていただいた無量の善意への御恩返しと確信するからだ。

歴史家アーノルド・トインビー博士は、「挑戦と応戦」という法則を強調されていた。
「文明というものは、つぎつぎに間断なく襲いきたる挑戦に対応することに成功することによって誕生し、成長するものである」
人類にとって、こうした苦難との戦いは今後も止むことはあるまい。未曾有の甚大な被害をもたらした大震災に対し、私たちはいかにそこから立ち上がり、「応戦」していくか。試練が大きいからこそ、一つ一つの課題に真摯に粘り強く立ち向かう中で、創造的な人間の英知と前進の軌跡を、後世に示し残せるはずだ。

そこで私が強調したいのは、崩れざる人間の共同体の建設である。
想像を絶する大地震と大津波の襲来から、九死に一生を得た体験の多くには、近隣住民のとっさの「助け合い」があった。さらに、通信・水道・電気・ガス等のライフラインが断たれたままの数日間から数週間、被災者の方々の命をつないだ大きな力も、日常生活圏に存在する地縁や地域の共同体の「支え合い」であった。
自ら被災し、家族を亡くされ、家や財産を失いながら、手元のわずかな食糧等を惜しまず分かち合い、他者の救援や生活再建のため奮闘する気高き方々を、私も数多く存じ上げている。いざという時に発揮される崇高な人間性の真髄の光に、あらためて感動を禁じ得ない。

私ども創価学会も被災地の全会館を避難所として開放し支援に当たってきたが、そこにも無数の善意の協力があった。震災直後、首都圏からの交通網が混乱する中、新潟の有志が別ルートから被災地へ支援物資を即座に届けてくれたことも、忘れ難い。中越地震(2004年)、中越沖地震(2007年)と度重なる震災と戦ってきた方々は、被災者に何が必要かを痛いほどわかっている。水、おにぎり、非常食、発電機、重油、簡易トイレ等が、夜を徹して準備され、迅速に続々と運ばれた。「新潟の地震の際も、多くの人の支えによって復興できました。今度は私たちが応援する番です」と、友は語っていた。
いうまでもなく、災害は忌まわしい惨禍に他ならない。しかし、近年のスマトラ島沖地震・インド洋大津波(2004年)、中国・四川省地震(2008年)、ハイチ地震(2010年)なども含め、幾多の災害に際して、世界のいずこでも、勇敢にして思いやりに満ちた民衆による相互援助の共同体が現出することは、何と荘厳な光景であろうか。ここに、人間生命に本源的に内在する誇り高き善性を見出すのは、私だけではあるまい。

行政による「公助」は、当然、復興支援の大動脈である。とともに、地域共同体による「共助」が、最前線の現場にあって、隅々に至るまで人々を救う命脈となることを銘記したい。
被災地で復興への努力が続く中、「心のケア」がますます重要となっている。その意味においても、常日頃から、草の根のレベルで、一人一人を大切にし、相手の心の声に耳を傾け、励まし合う庶民の連帯にこそ、不慮の災害にも崩れぬ人間の安全保障の起点があるといって、決して過言ではないだろう。
大災害への応戦は、まさしく「悲劇からの価値創造」である。そのためには、人間の幸福に対する価値観の深化が欠かせないだろう。それは、エネルギー政策も含めた人類の未来像にも影響を与えるに違いない。

あの チェルノブイリ原発事故(1986年)は、人類に多くの教訓を投げかけている。今回の福島の原発事故もまた、世界に大きな衝撃を与えた。
今後の具体的な選択は、それぞれの国で多岐にわたるであろうが、再生可能エネルギーの積極的な導入や、一層の省エネルギー化を図るための技術開発や資源の節約など、新たな歴史の潮流が生まれていることは確かだ。
そこには、持続可能な社会の建設へ、人間の欲望の肥大化を抑え、聡明にコントロールし、昇華させゆく価値観の確立が強く要請されている。

「生活の復興」「社会の復興」「文明の復興」、そして、その一切を支える基盤となる「人間の心の力強い復興」に向けて、私たちは、いやまして衆知を結集し雄々しく応戦していきたい。

2011年9月23日金曜日

2011.09.23 わが友に贈る

わが地区から
新しい人材を!
座談会の勢いが
広布拡大の力だ。
希望の明日へ出発!


上野殿御返事 P1574
人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり、仏になりやすき事は別のやう候はず、旱魃にかわけるものに水をあたへ寒冰にこごへたるものに火をあたふるがごとし

◇希望の明日へ
正義を実践するゆえに、世間から迫害を受ける。それが真の宗教人である。法難も入獄もなく、形だけの仏道修行でわが身を安楽に養っているのは、宗教屋である。広宣流布の偉業も、苦難また苦難があってこそ、完成に向かって進むのである。

▽信心が深ければ、生活は一変する−恩師。一念を定めよ。強き祈りで進め
▽少年少女部の結成記念日皆が使命の王子・王女。創価家族の励ましで育成


☆質問11 自分の性格が嫌です。変えたいのですが

生命力が強ければ、性格はよい方向に!
幸・不幸は、どう生きたかという「内容」で決まる


「性格は運命なり」という言葉がある。だれもが自分の性格で悩む。悩むからこそ進歩がある。
その反面、悩んでいるだけでは、どうにも変わらない自分という現実がある。
性格は「人さまざま」だが、桜梅桃李の原理です。桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、その人その人に価値がある。内向的だからだめだとか、せっかちだから価値はないとか、そんなことはありません。自分は自分らしく生きていけばいいのです。そうなれることを目的としているのが仏法なのです。
たとえば一本の川があるとする。ある地点では、その川の幅は変わらない。同じように、その人自身というものは変わらない。
しかし、「質」はさまざまである。
浅いか深いか、濁っているか清らかか、魚がたくさんいるかいないか。「内容」は違う。
人生も同じです。性格によって幸・不幸が決まるのではなく、どう生きたのかという「内容」によって決まっていく。その内容を立派にしていくために仏法があり、教育がある。一切の努力・向上・進歩がある。それが人生です。

題目をあげていけば、必ず濁ったものは浄化されます。全部、幸福の方向へと進んでいきます。
たとえば、内向的な人は思慮深さとなって、それが生きる。せっかちの人は、何でもスピーディーに進める力となって表れる。
また、川は、蛇行しながら流れ、行き詰まらない。それが自然です。性格も努力すれば、蛇行しながらもよくしていけるのです。だから、ともかく前へ前へ流れ続けなければいけない。

性格(キャラクター)というのは、ギリシャ語の「彫刻」とか「印象」という言葉から出ている。「刻みつけられたもの」です。
性格も、体質も、医学的に見れば遺伝的に刻みつけられ、決定されている部分もあるかもしれない。しかし、それがわかったからといって何になるものでもない。今、現実に生きているなかで、どのように向上していくかが問題です。
仏法は「現当二世」です。現在と未来が大事なのです。「現在から未来へ」、また「現在から未来へ」と挑戦していくのが仏法の信仰です。

絶対に自分を卑下する必要はない。自体顕照と言って、自分らしく自分の個性を最高度に発揮し、伸ばし、輝かせていける大法なのです。そのためには「生命力」です。生命力が強ければ、自分の性格がよい方向に出ていく。
川それぞれに違いはあっても、海に向かって、ともかく前へ前へ進んでいくことです。そうすれば、いつか必ず、"自他ともに幸福"という大海にたどりつく。
周りの人たちの個性を喜び、生かしながら、自分も輝いていける、広々とした人生となるのです。
(『青春対話I』から)

2011年9月22日木曜日

2011.09.22 わが友に贈る

何があろうとも
学会活動で築いた
「心の財」は壊れない。
わが生命の福徳は
三世永遠に輝けり!

如説修行抄 P503
鷄の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪なり、権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪にあらずや

◇希望の明日へ
現実は、さまざまな、いやなこと、苦しいことの連続かもしれない。しかし、それらがあるからこそ、成仏への大境涯を広々と開くことができる。あたかも、ジェット機が高速で急上昇していくように、苦難を糧として、境涯を急速に高めていけるのである。大聖人が仰せのように"難即安楽"である。また"難即解脱"であり、"難即前進"なのである。

▽御書「御仕官(おんみやづかい)を法華経とをぼしめせ」。職場は人間修行の場。断固勝ち抜け

☆折々の指導No.011 正義の哲人とそびえ立て 〈青年研修会に集ったSGIの友に〉
大きな功徳の人生を、力強く朗らかに、何ものにも負けず、進んでいってください。
その人が、仏です。世界広宣流布の勇者です。
いくら苦しいことがあっても、朗らかに人生を生き抜き、偉大な歴史の人生を歩んでください。今日も元気で、大功徳の人生の道を、ともに力強く歩んでいきましよう!」
「今、私は、わが弟子が自分たちで道を開けるように、また、いやまして偉くなるように、すべてを見守っています。創価学会をより大きくし、より鋼鉄のごとく盤石に建設するためです。
私から訓練を受けたリーダーたちが率先して、今までの百倍、千倍、万倍の力を出せるように見守っている。
未来永遠に永続しゆく、創価という最高に価値ある人材の陣列を創ってください。皆さんの力で、すべてが発展し、大成するように祈っています」
皆さんは、一人一人が大きな心の人間に育ってもらいたい。巨大な正義の哲人とそびえ立ってもらいたい。
そして、広宣流布の『師弟不二』『異体同心』の仲間を創り、さらに大きく強く広げていっていただきたい

2011年9月21日水曜日

2011.09.21 わが友に贈る

大雨・土砂崩れ、
洪水等に厳重警戒!
断じて油断するな。
百千万億倍の用心を
互いに呼び掛けよ!


御義口伝巻下 P769
鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり

◇希望の明日へ
難というものは、世間の罪など何も犯していないにもかかわらず、起きてくる。しかも、多くの場合、"世間の事"に寄せて起こるものである。大聖人も、今日の目から見れば、法難であられたことは明らかであるが、当時の多くの人々には国法を犯した犯罪者のようにしか見えていなかった。難は、なぜ世間の事に寄せて起こるのか。それは、正法それ自体を誹讃して信心を退転させることは難しいが、正法の実践者を「社会的な悪事を犯した」等と中傷することによって、他の人々に疑いを起こさせることは容易だからである。

☆「青年訓」
新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である。
吾人らは、政治を論じ、教育を勘がうる者ではないが、世界大哲・東洋の救世主・日本出世の末法御本仏たる日蓮大聖人の教えを奉じ、最高唯一の宗教によって、人間革命を行い、人世の苦を救って、各個人の幸福境涯を建設し、ひいては、楽土日本を現出せしめんことを願う者である。
この事業は、過去においては、釈迦の教団が実行し、近くは、日蓮大聖人の教団が、勇ましく戦ったのである。釈迦教団の中心人物たる舎利弗にせよ、阿難にせよ、みな若き学徒であった。
日蓮大聖人の門下もまた、みな若き学徒によって、固められていたのである。日興上人は、大聖人より二十四歳も若く、日朗もまた、二十一歳の年のひらきを持っていた。西より東に向かった仏教も、青年によって伝承せられ、東より西に向かう大聖人の仏法も、青年によって基礎づけられたのである。
吾人らは、この偉大なる青年学徒の教団を尊仰し、同じく最高唯一の宗教に従って、人間苦の解決・真の幸福生活確立・日本民族の真の平和・苦に沒在せる東洋の浄土化を、弘宣せんとする者である。
諸兄らは、この偉大なる過去の青年学徒群と同じ目的、同じ道程にあることを自覚し、これに劣らぬ覚悟がなくてはならぬ。霊鷲山会に、共々座を同じうしたとき、「末法の青年は、だらしがないな」と舎利弗尊者や、大聖人門下の上人方に笑われては、地涌の菩薩の肩書きが泣くことを知らなくてはならない。
奮起せよ!青年諸氏よ。闘おうではないか!青年諸氏よ。
しからば、だれ人と、いかなるいくさを、吾人らは、なすものであろうか。
第一は、無智の者に永遠の生命を教え、日蓮正宗の本尊の絶対無二なる尊貴を知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯する、自在の境涯を会得せしむるために、忍辱のよろいを着、慈悲の利剣をひっさげて戦うのである。
第二は、邪智、邪宗の者に、立正安国論の根本義たる、邪宗、邪義は一切この世のなかの不幸の原因であり、それがために、諸天善神は国を捨て去り、聖人は所を去って、世はみな乱れるなりと教え、邪智、邪宗をひるがえすよう、智慧の鎧を身にまとい、かれらが執着の片意地を、精進勇気の利剣をもって、断ち切る戦いである。
第三は、衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人が愛せようか。
その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境涯を会得する、人間革命の戦いである。
しこうして、吾人はさらに、諸兄らの行動について、望むところをもつものである。
第一に、絶対的確信にみちたる信仰の境地立脚し、信行において微動だにすることなく、唯一無二の御本尊を、主・師・親と仰ぎ、日蓮大聖人と共にいますのありがたさにあふれて、地涌の菩薩の後身を確信することである。
第二に、行学に励み、御書を心肝にそめ、大聖人の仏法に通達して迷いなく、今はいかなる時かを凝視して、大聖人のみ心を心とし、日興上人のご遺誡をわが命として、努むべきである。
第三に、その行動の態度たるや、真摯にして暴言を用いず、理をつくして指導の任に当たり、威厳と寛容の姿の中に、邪義、邪宗、邪師に対しては、一歩も退かぬ勇気あるべきことである。
第四に、部隊長および班長の命を奉じて、学会精神を会得して、同志の士気を鼓舞し、広宣流布大願の中心人物たることを、自覚されたきことである。
しかも、広宣流布の時は近く、日蓮正宗の御本尊流布の機は、今まさにこのときである。
ゆえに、三類の強敵は、まさに現れんとし、三障四魔は勢いを増し、外には邪宗、邪義に憎まれ、内には誹謗の声ようやく高し。驚くことなかれ、この世相を。これは、聖師の金言なり。
されば諸君よ、心を一にして難を乗り越え、同信退転の徒の屍を踏み越えて、末法濁世の法戦に、若き花の若武者として、大聖人の御おぼえにめでたからんと願うべきである。
愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。
大聖にほむるるは、一生の名誉なり。

心して御本尊の馬前に、屍をさらさんことを。

昭和二十六年十一月一日

2011年9月20日火曜日

2011.09.20 わが友に贈る

「ほむれば
弥功徳まさる」
同志の尊き奮闘を
皆で讃え合おう!
幸の花園を広げよ!

法華証明抄 P1587
鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまにのむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこあなかしこ、此の人のやまいを忽になをしてかへりてまほりとなりて鬼道の大苦をぬくべきか

◇希望の明日へ
魔が競い、難にあうということは、それ自体、"成仏への瑞相(良い兆し)"であると大聖人は教えられている。難は即成仏に通ずる。これが仏法の根本精神である。悪人に責められ、難にあうということは、大聖人の御書を正しく行じている証である。逆に、難がないということは、仏法を真に行じていない証拠となる。現実社会の真っただなかで弘法をしなければ、難など起こるはずはない。

▽全国の「新聞長」の奮闘に感謝。学会正義を広げる言論の英雄に福徳は無量

☆随筆 我らの勝利の大道No.60 信心練磨の教学
今回、一級試験を受験する若き友も、講義を担当してくださる先輩幹部の皆様も、本当に大変であろう。
しかし、教学の研鎖は、皆が仏になりゆくための仏道修行である。合否を超えたものだ。この甚深の意義に思いを馳せながら、青年らしく、学会っ子らしく、勇敢に、聡明に、忍耐強く、勝負強く、挑戦していただきたい。
大仏法を学び、行ずる尊い努力に、功徳は無量無辺であり、子孫末代まで流れ通うことは、絶対に間違いない。
ともあれ、二〇一三年、そして、創立百周年の勝利を開く重要なこの秋──。
勇んで御書を幡(ひもと)き、人生勝利の劇を綴りゆこう!
学んだ歓喜を心広々と語りながら、日本社会に、そして世界に、勇気と希望の哲学の柱を打ち立てていこうではないか!

我が人生
 大聖人に
  包まれて
 朗らか王者と
  勝利の長者と

2011年9月19日月曜日

2011.09.19 わが友に贈る

仏法は「人の振舞」。
人格の輝きは
言葉や挨拶に表れる。
大誠実が光る
広布模範の将たれ!


四恩抄 P938
只法華経の故に罵詈毀謗せられて刀杖を加えられ流罪せられたるを以て大聖の臂を焼き髄をくだき頭をはねられたるになぞらへんと思ふ、是れ一つの悦びなり

◇希望の明日へ
信心の途上で起こってくる苦難は、すべて意味がある。時がたち、長い目で見ていけば"なるほどそうだったのか""このためにあったのか"と、必ず分かるものである。目先の出来事に一喜一憂する必要はない。永遠に続く嵐はないように、永遠に続く苦難はない。大事なことは、どこまでも御本尊を信じ、強い信・行・学を貫いていくことである。信心さえあれば、どのような苦難も、宿命転換の機会としていける。福徳と幸福の人生の宮殿を、さらに盤石に築いていくことができる。一家、一族の繁栄の大道を開くことができるのである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.60 信心練磨の教学
今、青年部は十月に行われる「青年部教学試験一級」を目指し、向学の汗を流している。そして、学んだ歓喜を友に語り、友情を大きく広げている。

大鵬の
 空をぞかける
  姿して
 千代の命を
  くらしてぞあれ


この和歌は、「開目抄」の講義録が発刊された折、戸田先生が、その第一号に揮毫して、私にくださったものである。
今回の一級試験の範囲にもなっている「開目抄」は、私も青年時代から生命に染め抜く思いで拝してきた。
入信して数年後、青年部の友人宅に泊まり、月の光が差し込む中で、夜半まで学び合ったことも、金の思い出である。
詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(P232)
今こそ一国の罪障を消滅させ、人類の無明を断ち切るのだとの、御本仏の不惜身命の大精神が胸に迫る。
私も第三代会長に就任した日に、この御文を命の奥底に刻印し、広宣流布のために身を捧げてきた。そして、牧口先生、戸田先生の遺言の一切を実現した。
牧口先生は軍国主義に立ち向かい、過酷な取り調べと劣悪な獄中生活を強いられた。しかし、入獄三ヵ月後の昭和十八年十月、クマ夫人と嫁である貞子さんに宛てた書簡で、こう綴られている。
「一個人から見れば、災難でありますが、国家から見れば、必ず『毒薬変じて薬となる』という経文どおりと信じて、信仰一心にしています」
「開目抄」には、『今日蓮・強盛に国土の誘法を責むれば此の大難の来るは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし』(P233)等とある。
この御文のままに、先師は、国土に充満する謗法と命を賭して戦う覚悟であられた。そこに自身の宿命転換があり、その先に、平和な社会を展望されていたのだ。
「開目抄」は、大聖人が御命にも及ぶ流罪の佐渡で認められた重書中の重書である。
三代の会長は死身弘法の精神で、色読してきた。
戸田先生は言われた。
「妙法のゆえに、牢獄に入り、難を受け切ってきたからこそ、大聖人の仏法を本当に会得できた。ここに学会教学の原点がある。
この魂を伝えていかねばならない。わが青年部は、時間を惜しんで、真実の師弟の教学を身につけよ!」

2011年9月18日日曜日

2011.09.18 わが友に贈る

仏法を語れば
歓喜が湧き上がる!
いよいよこれからだ。
進み続ける人こそ
最高の幸福者なり!

兄弟抄 P1087
行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ

◇希望の明日へ
難は一生成仏への飛躍台である。人生にあっても、何の苦労もなく、平々凡々と生きていては、成長の高山に登ることはできない。偉大な仕事もできない。偉大な人生も築けない。難に耐え、戦っていってこそ、一生成仏の大道を歩み、幸福の人生を開いていくことができる。数々の大難を受けられた御本仏・日蓮大聖人の門下として連なった学会員である。その緑に、どれほど深い意味があることか。強盛な信心を貫いていけば、成仏は絶対に間違いない。それを思えば、今日の少々の難など、雨が広く全体に降るようなものである。草木も雨が降れば喜び、生長する。各人にあっても、すべてを一生成仏への糧とし、幸福境涯への追い風としていけばよいのである。

▽自分は陰にいて人を立てる人が偉い−恩師。後輩を励まし伸ばす先輩たれ

☆随筆 我らの勝利の大道No.60 信心練磨の教学
御書には無限の希望があり、勇気が湧き、未来がある。人生勝利の智慧が湧き、確信が深まり、戦う心が燃えてくる。
ただ御書を身で拝してこそ、いかなる不可能をも可能にしゆく利剣を持つことができるのだ。
あの「"まさか"が実現」の大阪の戦い──。
私たちは最初に拝した。
何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(P1132)
この御金言を皆が深く命に刻みつけ、揺れ動く時代に、大確信の祈り、強盛なる信心から出発した。
仕事をはじめ、経済苦に悩む友とは法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』(P1253)を拝した。
今は冬のごとき生活であっても、まじめに信心を貫けば、必ず春のような悠々たる未来が開けると励ました。そのように、個人個人の状況や行動に当てはまる御書を拝読し、実践の教学の重要性を伝えていった。燃え上がる求道の心。そして戦う師弟の教学が、勝利を開いたのだ。
この昭和三十一年に行った教学試験も、試験のための試験などではない。幸福勝利のための試験であった。一騎当千の闘士を鍛えるための試験であった。
大聖人は、法華経の文字について『肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持仏身とは是なり』(P1025ジ)と教えられている。
同じ御文であっても、拝する境涯や一念の作用によって深さが変わる。
御書根本に戦おう!
そう決めて、学び抜く人には、無限の力が涌現するのだ。

戸田先生は、昭和二十五年の暮れ、御書を学ぶ姿勢を教えてくださった。
「太平洋のような境涯で、この御書を拝していくことだ。そうでなければ、御本仏の御心に近づくことはできない」
当時、戸田先生の事業は破たんし、学会の理事長も辞任。多大な負債を抱えて苦闘の渦中であった。
しかし、明日をも知れぬ苦境の中でも、恩師は、悠々たる大境涯であられた。
私たちも、御書を開くたびに、この師の指導の如く、大聖人の御精神を、「仰せの通り」「御文の通り」と、深き信心で拝していくことである。

2011年9月17日土曜日

2011.09.17 わが友に贈る

焦点は青年!
若き人材の活躍を
皆で応援しよう!
その心があるところ
広布は勢いよく加速!


遠藤左衛門尉御書 P1336
左衛門殿は梵天釈天の御使にてましますか、霊山えの契約に此の判を参せ候、一流は未来え持せ給え霊山に於て日蓮日蓮と呼び給え、其の時御迎えに罷り出ず可く候

◇希望の明日へ
悪は善の敵となり、善は悪に攻撃される。これは永遠に仕方のないことである。その意味で、人生は覚悟する以外ない。「愚人にほめられ、大聖に叱られる道をとるか」「愚人に迫害され、大聖にほめられる人生を選ぶか」−−中間はない。また善をなす勇気がなければ、悪を助長し、結局は悪に通じよう。釈尊も、天台も伝教も、そして御本仏・日蓮大聖人も、あれほどの攻撃を受けられた。それは"何か悪い点があったから"であろうか。断じて、そうではない。反対に、絶対に"正しいからこそ"悪に迫害されたのである。この道理が腹に入れば、何も恐れる必要はない。いっさいは霧が晴れたように、明瞭に見えてくる。また向かい風すら、心地よいそよ風に、そして成仏と広宣流布への追い風にと変えていけるのでおる。

☆随筆 我らの勝利の大道No.60 信心練磨の教学
すりはむどく(須梨槃特)は三箇年に十四字を暗にせざりしかども仏に成りぬ提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ』(P1472)と、御書には峻厳に警告されている。愚鈍といわれた須梨槃特は弟子の道を貫いて成仏し、膨大な経を知っていた提婆達多は仏に背き、無間地獄に堕ちた。
要するに、教学ができるから偉いのではない。よく知っているというだけなら、世間の知識とどこが違うのか。
教学ができることと、信心があることとは、そのままイコールではない。これまでも教学を得意にふりかざしながら、退転したり、反逆した愚かな増上慢が出たではないか。
我らの人生の根本目的は、一生成仏であり、広宣流布である。それは「法華経の兵法」をもって、信心一筋で怒濤の中を戦い抜いていくしかないのだ。
偉大な信心の行者、信行の勇者に成長するための教学である。ここをはき違えては、絶対にならない。
戸田先生は、「学問的な研究の教学」と「信心で掘り下げていく教学」があると言われたことがある。
不二の師弟として、戸田先生も私も、「信心で掘り下げていく教学」で戦ってきた。だから学会は勝った。実践のなかで教学を学んだ学会員が堂々と勝ってきたのだ。

先日も、九十五歳の多宝のお母様が、慈愛と大確信で仏法を語り、八十四歳の後輩の方を折伏されたという報告を伺った。このお母様は、幼い頃から奉公働きの毎日で、十分に学校に通う機会もなかった。
しかし、学会という民衆大学で、実践の教学を身につけてこられた。
だから強い。
お子さんやお孫さん方も皆、世界広布、地域広布の立派なリーダーに育っておられる。
「諸法実相抄」は、有名な御文で締め括られている。
行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらは一文一旬なりともかたらせ給うべし』(P1361)
この精神に徹しゆくなかにこそ、学会の未来永劫にわたる勝利はあるのだ。

2011年9月16日金曜日

2011.09.16 わが友に贈る

奮起せよ!
わが創価の青年よ。
本物の一人が立てば
正義の炎は広がる。
勇敢に勝ちまくれ!

立正安国論 P29
是の禿人の輩正法を護持するを見て駈逐して出さしめ若くは殺し若くは害せん

◇希望の明日へ
信心のゆえに競い起こってくる苦難は、すべて各人を成仏へと導いてくれる。宿命を転換し、幸福の人生を開いていく"緑"となるのである。そうなってこそ、強盛な信心である。仏法では「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」と説く。苦しみの"毒"を喜びの"薬"に変える力が生命には本来ある。その生命の力をかぎりなく引き出し、証明しゆくのが信仰者の人生ドラマである。

▽勝つと腹を決め、十人前の戦いをせよ!−恩師。リーダー率先こそ広布の王道

☆随筆 我らの勝利の大道No.60 信心練磨の教学
科学技術によって発展してきた現代文明も脆く崩れやすいことを、今、皆が痛感している。文明の在り方、人びとの生き方を足元から見直し、社会全体で、もう一歩、万全の備えを心していく時であろう。
蓮祖は仰せになられた。
賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く』(P969)
重大な御聖訓である。
指導者は、人びとの尊厳なる生命を断じて守り抜くため、『安きに居て危きを歎く』という透徹した責任感に立たねばならない。
創価学会が、ここまでの大発展を成し遂げたのも、御書の仰せに寸分違わず、三代の師弟が『一念に億劫の辛労』(P790)を尽くし抜いてきたからである。それを甘く考えて、慢心を起こせば、崩されてしまう。
ゆえに後を継ぐリーダーは、広宣流布のため、創価学会のため、もっともっと苦労してもらいたい。そして、もっともっと力をつけ、成長してもらいたい。

2011年9月15日木曜日

2011.09.15 わが友に贈る

厳しい残暑。
熱中症に注意!
寒暖差にも配慮し
万全の体調管理を!
健康こそ前進の力だ。

兵衛志殿御返事 P1108
設い妻子等の中のたがわせ給うとも二人の御中不和なるべからず、恐れ候へども日蓮をたいとしとをもひあわせ給へ

◇希望の明日へ
何の波風もない、苦労のない平凡な生涯で、本当に幸福な人生が築かれていくのだろうか。決してそうだとはいえない。さまざまな苦難と戦い、波また波を越えていくなかで、自身が鍛えられ、境涯を深めていくことができる。そして、波風のない平凡な人生より、千倍も価値ある人生を生きていける。仏法では、煩悩即菩提であり、難即功徳である。信心さえあれば、悩みや苦しみをバネとして、必ずや幸福な境涯が開かれていく。また、さまざまな難にあうたびに、功徳は薇郁と薫っていくのである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.60 信心練磨の教学
大聖人が、繰り返し、戒めておられたことがある。それは「用心」という一点である。
かまへて・かまへて御用心候べし』(P1133)
心にふかき・えうじんあるべし』(P1176)
よるは用心きびしく』(P1164)
さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし』(P1169)
大聖人は、人生の試練と戦う門下を、断じて勝たせるために、絶対に油断しないよう、何度も何度も厳しく注意してくださっていると拝されてならない。
人間とは、残念ながら、どうしても油断してしまう生き物である。だからこそ師匠は弟子を甘やかさない。あえて、厳愛の指導を重ねて、勝利への正道を歩ませてくださるのだ。
法華経の兵法』といっても特別のことではない。
それは『前前の用心』(P1192)を怠らず、油断を排し、たゆまず題目を真剣に唱え抜き、行動していくことが、一切の根本であることを忘れまい。
賢善の人は希に愚悪の者は多し』(P493)
この「賢善の人」として、賢く正義の人生を全うしていくための道が、御書には完璧に示されている。

2011年9月14日水曜日

2011.09.14 わが友に贈る

リーダー率先こそ
組織発展の源。
「断じて私がやる」と
対話に先駆を!
勇猛果敢に挑め!

八幡宮造営事 P1105
此の七八年間が間年年に衰病をこり候いつれどもなのめにて候いつるが、今年は正月より其の気分出来して既に一期をわりになりぬべし、其の上齢既に六十にみちぬ、たとひ十に一今年はすぎ候とも一二をばいかでかすぎ候べき

◇希望の明日へ
"不軽の跡を紹継する"と言われた大聖人の御生涯は、その御言葉どおり、大難の連続であられた。そして、末法万年にわたって一切衆生を救済しゆく妙法の大道を開かれたのである。その崇高なる御精神を挿し、御遺命のままに広布に進む学会に、いわれなき非難や迫害があるのは当然である。ゆえに、どのような理不尽な攻撃を受けようとも、学会員は何とも思わない、との覚悟をもつべきである。経文に照らしてみるならば、これほどの名誉と誇りはないのである。むしろ攻撃されればされるほど、広布発展の道が大きく開かれていくことを確信し、勇んで前進していきたい。

☆随筆 我らの勝利の大道No.60 信心練磨の教学
今日もまた
 強く明るく
  生き抜かむ
 大聖人と
  共に共にと

今日も、御書を開き、御書を拝し、御書を学ぶ。
それは、御本仏であられる日蓮大聖人と常に御一緒に、この人生を歩み、戦えるということである。
大聖人は、若くして夫に先立たれ、幼子たちを育て上げてきた南条時光の母に語りかけておられる。
夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり、もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ』(P1504)
最も深遠な生命哲理が、最も簡明に説かれている。ありがたい仏法である。
たとえ、いかなる地獄の苦しみの淵にあろうと、わが胸に仏の命を厳然と顕現していける。今いる現実のこの場所で、妙法を唱え抜き、断じて寂光の都を築いていくのだ。絶対に誰人たりとも、自他共に永遠に崩れざる幸福の境涯を開いていけるのだ。
そのための信心である。
そのための教学である。


☆大白蓮華 巻頭言「折伏精神で勝ち開け!」
いついつも
 優れて妙なる
  声あげて
 この世の人生
  無限にはばたけ

「深く、激しく真実を示せ」と、フランスの芸術家ロダンは言った。
「やがて友は汝のもとに来るであろう。なぜなら、一人の人にとって深く真実である事柄は、すべての人にとって真実であるからだ」というのである。その通りであろう。
真実を曇りなく見つめ、真実を臆さずに語り切れる人生は、清々しい。
日蓮大聖人は明言なされた。
真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり』(P1170)と。
人間は皆、幸福になるために生まれてきた。勝つために生まれてきた。人を幸福にするために生まれてきた。それを妨げんとする、ありとあらゆる宿命の苦悩をいかに打開していくか。ここに万人の挑戦がある。
どんな悲嘆のどん底であっても、必ず立ち上がれる。どんな絶望の暗闇であっても、絶対に打ち破れる。
この究極の幸福勝利の力たる妙法を、御本仏は、全人類に惜しみなく開き示してくださったのである。
世界が『前代未聞の大闘評』(P259)に突入しゆく、まさにその時に、仏勅の創価学会は誕生した。
「法華の折伏は、権門の理を破す」
この仏法の正統の大精神に則り、初代・牧口常三郎先生と二代・戸田城聖先生は、民衆の安穏と世界の平和を願い、臆病な邪宗門を正しながら、折伏行を開始したのである。
折伏──それは人間を不幸に陥れる生命の本源の魔性に立ち向かい、「折って伏せる」精神闘争である。正義が弱ければ、邪悪は増長する。それでは、永劫に民衆は救えない。ゆえに「師子王の心」で戦うのだ。
戸田先生は、よく言われた。
「御書に『自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり』(P1022)とあるのだから、本当に題目を唱えれば、折伏したくなるものだよ」と。
一言でもよい。唱題で湧現した仏の勇気の命をもって、信心の歓喜と仏法の素晴らしさを、ありのままに語っていけば、それが仏縁となる。
法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり』(P552)と仰せの通り、真剣に語った分だけ、相手の心に仏の種が蒔かれる。今は信心しなくとも、発心の芽が出て、幸の花を咲かせる時は必ず来る。
たとえ無量の財宝を贈っても、その人を永遠に幸福にすることはできない。それができるのが折伏である。それをしてきたのが学会員である。
第三代の私も、若き日から折伏行に徹し抜いてきた。その一切が『今生人界の思出』(P467)である。
昭和三十年、北海道の夏季折伏を、私と心を一つに戦ってくれた青年は、卑劣な村八分にも負けなかった。病にも勝った。弘教は三百世帯を超え、卒寿を迎える今、笑顔で語る。
「私は学歴も財もありませんでした。しかし人生を、折伏で勝ち開くと師に誓ったのです。折伏のお陰で万人の幸福に尽くせました。折伏の祈りは必ず叶います」
ブラジルでは一昨年の総会で誓いを立てた一万三千人の青年が皆、折伏を達成した。誇り高き有言実行だ。
「創価の声よ、世界にもっと響け」とは、ロシアの知性の叫びである。
大仏法の真実を声高らかに語り、人類の常楽我浄の道を勝ち開こう!

晴ればれと
 世界も見つめむ
  折伏王
 三世の果てまで
  功徳は確かと

2011年9月13日火曜日

2011.09.13 わが友に贈る

新会員を大切に!
共に祈り共に動く
これが育成の基本!
一人一人に心を砕き
励ましの光を送れ!

法華取要抄 P333
当世日本国の一切衆生弥陀の来迎を待つは譬えば牛の子に馬の乳を含め瓦の鏡に天月を浮ぶるが如し

◇希望の明日へ
学会員の一人一人は凡夫である。信心しているからといって、何もかも思うように進むわけがない。前進を妨げる予期せぬ事件や問題も当然ある。むしろ、乱難に耐え、乗り越えてこそ、大聖人に連なりゆく門下の誇りがあり、人間としての如融の即断がある。

☆随筆 我らの勝利の大道No.59 信心練磨の教学
教学研鎖の波は、各大陸で活発であり、この夏、欧州では九度目となる教学研修会がイタリアのミラノで開催された。
二十九力国から集った同志のうち、実に六割が青年部であったそうだ。
教学を通し、人材を育てる。学会の伝統は、世界にあっても変わらない。
研修会では、四条金吾に与えられた二十二編の御消息文とともに、「諸法実相抄」が学ばれた。
「諸法実相抄」といえば、ちょうど三十年前、私が欧州を訪れた折、メンバーと共に学び合ったことも懐かしい。
その際、「ヨーロッパをどう発展させていくべきでしょうか」と、一人の女性リーダーが質問された。
私は、即座に、「信・行・学が根本です」と申し上げた。
強盛なる信心、すなわち御本尊への絶対の「信」。
自行化他の唱題、折伏を実践しゆく「行」。
大聖人の民衆救済と忍難弘通の大精神が脈打つ御書を、心肝に染め抜く「学」。

この「信・行・学」のたゆみなき精進こそ、広宣流布を伸展させゆく根本の機軸である。

ともあれ、信心は一生であり、その信心を深めるために教学がある。
大事なことは、教学を学ぶなかで、「この信心はすごい」という喜びと確信が深まることである。
朝晩、勤行・唱題に臨む姿勢が変わることである。
悩みや苦難にぶつかった時、御聖訓を思い起こして、負けない「師子王の心」を奮い起こすことである。
そして、広宣流布の同志と「異体同心」で歩む尊き使命を知り、誇り高く胸を張っていくことである。
わが青年部よ、「信・行・学」という生命の最極の向上のリズムに則って、黄金の青春を走り抜け! と、私は祈ってやまない。

大聖人
 君等を見つめて
  讃えなむ
 広宣流布の
  魂光ると

☆新時代第51回本部幹部会・全国青年部幹部会へのメッセージ
黄金の魂の光を放つSGIの青年研修会、また日本全国の青年部幹部会、そして本部幹部会、誠におめでとう! 本当にご苦労さまです。
日蓮大聖人は、『法(ほう)自(おのずか)ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し』(P856)と仰せになられました。ただ今の一節は、御本仏の御言葉であります。
この大聖人の仰せのままに、私たちは尊く一生を飾っていくのであります。
これほど幸福な正義の人生はない。皆さん方は、その最上第一の集まりです。
皆さんの宿縁はあまりにも深く厚く、そして福運は無量無辺であることを、晴れ晴れと大確信し、胸を張っていってください。

世間は多事多難であります。
自然災害が相次ぎ、経済の不況も、いまだ深刻です。
かのトインビー博士が喝破されたごとく、人類は、生存を脅かすさまざまな「挑戦」に、いやまして雄々しく「応戦」していかねばならない時を迎えています。
だからこそ、私は声高らかに宣言したい。
「世界に、わが創価の青年あり」 「人類に、我ら青年学会あり」と。
私が青春時代、わが生命に刻みつけた「開目抄」の一節があります。
難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし』(P202)
日蓮仏法の真髄が、ここに鮮烈に明かされております。
それは、いかなる苦難があっても、絶対に負けない。どんな迫害にも耐え抜いていく忍耐であり、どんな強敵も打ち破っていく勇気であります。
さらにまた、いかなる不幸の人であっても、断じて見捨てない。どんな苦難も一緒に乗り越え、どんな宿命も共々に勝ち越えていく大慈悲であります。
大聖人の正統の尊き門下として、創価の三代の師弟は、この生命の極致の大道を断固と進み抜いてきました。一歩も退かず、一度もぶれておりません。
最も苦労した人が、最も幸福になれる。最悪の試練に打ち勝った生命が、最善の仏の生命となれる。
この妙法の「変毒為薬」の大功力を、創価の師弟は一人一人の勝利の無数の実証をもって、人類に示し切ってきました。
そして今、時は来たり、時は満ちて、全世界で若き地涌の菩薩が歓喜踊躍し、希望の光、平和の光を、いよいよ新鮮に放ち始めてくれている。
私はうれしい。何よりもうれしい。
一閻浮提広宣流布の未来は、盤石だからであります。

多彩にして麗しい「桜梅桃李」の世界の青年同志と共に、私は万感の思いを込めて、「異体同心事」の一節を、ここにあらためて拝したい。
日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし』(P1463)との仰せであります。
どうか、この永遠に崩れざる、永遠に破れざる青年学会の「異体同心」の陣列を、一段と強く、一段と仲良く生き生きと拡大していってください。

今月は、あの戸田先生の「青年訓」の発表から満60年になります。
「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」と始まり、「奮起せよ! 青年諸氏よ。闘おうではないか! 青年諸氏よ」と呼びかけられております。
この60年、私は、その通りに師匠と共に奮起し、同志と共に闘い抜いてきました。
今再び、私は、「奮起せよ! わが創価の青年よ。勝ちまくろうではないか! 我ら青年学会よ」と叫んで、メッセージといたします。
皆、健康第一で、何かあっても楽しく朗らかに生き抜いていってください。

2011年9月12日月曜日

2011.09.12 わが友に贈る

新聞休刊日

日女御前御返事 P1245
石に矢のたつ是れ又父のかたきと思いし至信の故なり、何に況や仏法においてをや

◇希望の明日へ
大事なことは「魔来り鬼来るとも騒乱する事なかれ」(P500)との仰せのごとく、いかなる事態に直面しても、信心の心だけは破ってはならないことである。むしろ、あらゆる苦難を成長への滋養として、自分自身の輝きを増していく、たくましき勇敢な信心であらねばならない。これが信心の証である。

☆随筆 我らの勝利の大道No.59 信心練磨の教学
東北の深さ魂が燃ゆる詩人・宮渾賢治は訴えた。
「われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」
民衆の幸福を築く智慧の宝典こそ、大聖人が残してくださった御書である。
恩師・戸田城聖先生は、広宣流布のために、会長就任直後の六月、真っ先に『御書全集』の刊行を発願された。私も、御書の発刊に向け、懸命に師の大偉業を支えた。
先生は烈々と叫ばれた。
「学会精神というものは、日本の国、世界の国を救わんがためにやっているのです」「民衆救済の大責務は、創価学会の肩にかかっている」
この大宣言のまま、私たちは御書を根本に、世界百九十二力国・地域へ大法を弘通してきた。明年で御書発刊から六十周年となる。

思えば、大聖人が民衆のために、わかりやすく「かな文字」で書き留められた御手紙を、見栄っ張りな五老僧らは軽視していた。
しかし、その御書が、いつの日か、必ず翻訳され、世界で拝読されていくことを展望しておられたのが、日興上人であられる。
その通りに、御書は今、英語、中国語、韓国語、スペイン語など、多くの言語で翻訳されている。
大聖人も、日興上人も、いかばかりお喜びくださることか。
黙々と陰徳を積むが如く、真剣に奮闘してくださっている、現代の羅什三蔵というべき尊き最優秀の翻訳陣・通訳陣の方々に、私は心から御礼を申し上げたい。
さらに教学試験も、本年は、日本の「青年部教学試験一級」、また、世界四十一力国・地域でも十五万人が受験して実施される予定である。

2011年9月11日日曜日

2011.09.11 わが友に贈る

うれしきかな!
世界広布の時に
生まれあわせた我ら。
大難をも乗り越え
師弟勝利の前進!

西山殿御返事 P1474
夫れ雪至つて白ければそむるにそめられず漆至つてくろければしろくなる事なし、此れよりうつりやすきは人の心なり、善悪にそめられ候、真言禅念仏宗等の邪悪の者にそめられぬれば必ず地獄にをつ、法華経にそめられ奉れば必ず仏になる

◇希望の明日へ
例えば、マラソンでチャンピオンの栄冠を得るためには、血のにじむような努力とともに、さまざまな障害に耐えていかねばならない。ましてやSGI(創価学会インタナショナル)の妙法流布の活動は、世界の平和と各国の繁栄、そして各人の一生成仏という永遠なる幸福のための法戦である。大小さまざまな風波があることは、当然のことであり、それを乗り越えてこそ、信心の目的を達成することができるのである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.59 信心練磨の教学
東日本大震災で、座談会の会場であったご自宅も、家財道具も、一切合切、奪われてしまった多宝会のご婦人がおられる。
信心五十年、常に拝してきた御書も流されてしまった。しかし、「御書の二百三十四ページ」とページ数まで諳(そら)んじ、「開目抄」の一節を朗々と暗誦される。
我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし
かつて、私が全同志へ、「共々に心肝に染めよう」と呼びかけた御金言である。その通り、ご婦人は目をつぶってでも書けるほど覚えてこられた。そして「まことの時」の今、この御文を毎日毎日、わが命に刻みながら、「縁の下の力持ち」となって、地域の方々に尽くしておられるのだ。
こういう尊き母たちこそが、大聖人から、まさしく「自然に仏界にいたるべし」と讃嘆される方々であると、私は声を大にして叫びたい。
これが、創価の民衆による、生きた教学運動の奥深さである。
九月十二日は、「開目抄」に記された通り、竜の口の法難に遭われた大聖人が「発迩顕本」された日であり、民衆仏法の太陽が昇った日だ。
この日は、わが学会の「教学部の日」である。

2011年9月10日土曜日

2011.09.10 わが友に贈る

未来のために
今日を勝つことだ。
今を勝つことだ。
不撓不屈の信心で
さあ挑戦の一歩を!

撰時抄 P288
日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一?一微塵のごとし、法華経を二人三人十人百千万億人唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ

◇希望の明日へ
障害も何の苦闘もない人生は、ただの木切れや鉄くずのように冷たく味気ないものだ。いずこの世界においても、困難に挑戦し、戦い抜いた人でなければ、現実の勝利の冠と喜びを獲得することはできない。いわんや、広宣流布という未聞の大事業においては、あらゆる困難を乗り越える覚悟と勇気がなければならない。それなくして勝利もなく、栄冠の歓喜もなく、人生の前進も発展もありえない。また難との戦いがあってこそ、成仏への直道も、広布の道も、洋々と開かれていくのである。この「難即発展」「難即前進」の厳然たる道理を、深く銘記していくべきである。

☆随筆 我らの勝利の大道No.59 信心練磨の教学
御聖訓
 ひたすら信じて
  励みゆけ
 大悪起これは
  大善来たると

このたびの台風十二号は、日本列島に激しい暴雨の爪痕を残しました。
とくに紀伊半島の和歌山県・奈良県・三重県、また中国の岡山県・鳥取県、四国の香川県・徳島県など、甚大な被害を受けた地域の皆様方に、心より御見舞いを申し上げます。
これまでも幾たびとなく拝してきた御聖訓ですが、日蓮大聖人は『大悪は大善の来るべき瑞相なり』(P1467)と御断言であります。
いかなる災難があっても、永遠の幸福を勝ち開くための試練と転ずるのが、「変毒為薬」の妙法です。
どうか、ますます「異体同心」の同志と励まし合い、支え合いながら、断固と乗り越えていってください。
私も妻も、強盛に題目を送り続けてまいります。
また悪天候の日も、聖教新聞を配達してくださる無冠の友の皆様方に、あらためて感謝申し上げるとともに、決して無理をせず、絶対に無事故第一でありますよう、重ねてお願いします。

我らには
 不滅の哲理
  持つ故に
 三世の財宝
  胸にかがやく

「思想はなんという宝であろうか!」
英国の著名な作家ブロンテ姉妹の一人、シャーロットの感慨である。
宝石や邸宅も、美貌や肩書も、大切な宝であろう。しかし、それらは無常の移ろいを免れないものだ。
思想という心の宝は揺るがない。朽ちない。
なかんずく、『法華経は三世不壊の経』(P149)である。この大法と共に生き抜く人生も、「三世不壊の生命」とならないわけがない。
『英雄伝』の著者として名高い、古代ギリシャのプルタークは綴っている。
「哲学を通じて、哲学と共にあってこそ、何が美であり何が醜いことであるか、何が正義であり何が不正であるか、要するに何を選ぶべきか何を避けるべきかを知る」
人は苦難に直面した時、その人の底力、さらには、その人が信ずる精神の柱の真価が明らかになる。
それを、現実の大地にあって証明し抜いている、真の哲人たちは誰か。
あの阪神・淡路大震災や東日本大震災、また今回の記録的豪雨、さらに世界各地の幾多の災害にも勇敢に立ち向かう、創価の誉れの友である。
人がこの世に生まれてきた大きな目的は、人のために尽くすことにある。
自己の名声や利益のためだけではないのであって、生まれてから死に至るまで、自分の周囲の人が少しでもよくなれば、それで生まれてきた甲斐があったというものである」

岩手県盛岡市出身の偉人・新渡戸稲造博士の信条は、そのまま、わが同志の人生哲学である。
日蓮大聖人は、「立正安国論」の中で、こう認められている。
世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る』(P17)
大聖人が戦われた「悪」の本質とは、何か。
それは、人間の生命を蔑視して、現実から逃避させる諦めの思想であり、民衆を隷属させ、人間を分断する権力の魔性であったといっても過言ではあるまい。
人びとを不幸に陥れる邪義を打ち破るために、大聖人はただ御一人、万人が「善」の生命に目覚め、引き出す方途を示してくださった。そして、民衆が強く賢くなって、「善」の団結を広げゆく道を開いてくださったのである。
大聖人が「立正安国論」を認められた契機は、鎌倉を襲った正嘉の大地震であった。
時移り、今なお社会は、確たる哲学を痛切に欲している。大聖人に直結する、我ら創価学会が共生の仏法哲理を、いやまして勇気凛々と叫ぶ時なのだ。
人間の孤立化という風潮を打ち破り、地域に密接なつながりを築き、利他の精神を涜らせゆく時なのだ。

2011年9月9日金曜日

2011.09.09 わが友に贈る

世界の青年たちの
友情のスクラム万歳!
共に栄光の未来へ!
新たな人材の力で
偉大な勝利を築け!

日女御前御返事 P1244
かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人現在には幸をまねぎ後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈の如く険難の処に強力を得たるが如く彼こへまはり此へより日女御前をかこみまほり給うべきなり

◇希望の明日へ
難が来たとき、いよいよ強盛に信心に励めば、亡き父も成仏し、三世の福徳に輝いていく。むろん、それは父にかぎらない。母をはじめ、亡くなった親族も、すべてその通りとなる。ゆえに、障魔の嵐のときこそ、一家、一族の如融の安穏、幸福を開いていく絶好のチャンスである。反対に、難のときに逃げたり、臆病になったりすれば、自身の福運のみならず、亡等父、親族の福徳をも消してしまう。これほどに、仏法は峻厳である。

☆質問010 自分が何になりたいか、わかりません

天分を生かせ! 誰でも何かの天才だ
大切なのは「限界まで努力する」習慣をつけること

人間は一生涯、自分自身の宝石を掘り出し、磨いていくべきです。学校時代にはあまりぱっとしなかった人が、社会に出てから、いろいろ経験をするうちに、今まで掘り当てていなかった自分の鉱脈を発見する例は無数にある。
だから就職は自分を発掘するための「スタート」であって、決して「ゴール」ではない。
あせる必要はない。あせらず、休まず、へこたれずに、大切な自分の一生の坂を上っていくのです。

「だれでも、何かの天才である」という言葉がある。音楽や文学やスポーツの天才だけが天才ではない。
人と話す天才、友だちをつくる天才、人を和やかにする天才、看護の天才、ジョークの天才、物を売る天才、節約の天才、時間を守る天才、忍耐の天才、地道の天才、優しさの天才、チャレンジの天才、楽観主義の天才、平和の天才、人を幸福にする天才……。
「桜梅桃李」です。桜は桜、梅は梅です。自分らしく咲けばよいのです。
自分の宝石、自分の天分が必ずある。それがわかるためには、どうすればいいか。限界まで努力するしかない。勉強でもスポーツでも何でも、限界まで全力疾走して初めて、自分の力が引き出される。
いちばん大切なことは、そうやって「限界まで努力する」習慣を身につけることなのです。

人間は一生涯、生活をしていかなければならない。生活をしていくために職業がある。これが社会であり、現実です。どのような職業を選ぶかは本人の権利であり、自由です。だからといって、たくさんの職業のなかには、それなりの学歴・力がなければ就職できない職業も多い。
家庭の事情や、自分の意志で、高校を卒業して就職する人もいるだろうし、大学を出てから就職する人もいるだろう。家の手伝いをする人もいるだろうし、官僚の道をめざしたり、技術を習得しようとする人もいる。さまざまであるし、一切、自由です。

戸田先生は、まず、自分がいる場で「なくてはならない人」になれと言われた。自分の希望と違っても、それを嘆いているのではなく、その場で第一人者になれ、と。そうすれば、次の道が開ける。そして次もまた頑張る。これを繰り返していけば、最後に必ず「好きで、得で、善の仕事」につけるのだと。

諸君には、ありとあらゆる世界で、ありとあらゆる分野で活躍してほしい。
「活躍」こそ「幸福」の異名です。自分の天分を思うぞんぶんに発揮することです。ありったけの自分を輝かせて生きるのです。それが本当に「生きる」ということです。
君たちが、それぞれの分野で「一流の人」になることが世界平和の道であり、それが「広宣流布」なのです。
(『青春対話1』から)

2011年9月8日木曜日

2011.09.08 わが友に贈る

広宣流布は
女性の力で決まる!
婦人部・女子部を
最大に讃えよ!
そこに平和と繁栄が。

曾谷殿御返事 P1059
命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候

◇希望の明日へ
広布に進めば、難がある。それは避けられない、成仏への必然の道程である。その山を登りきれば、広々とした自身の境涯が開けてくる。その、繰り返しが仏道修行である。いわば成仏させてくれるための苦難の山なのである。

☆質問008 友だちはいますが、心から話せる親友がいません

友情は「自分の生き方」で決まる!
「いい友人をつくる」には「自分がいい友人になる」こと

人生において最も美しく、強く、尊いもの。それが友情です。友情が諸君の財産です。
どんなに偉くなり、金持ちになっても、友人のない人生はわびしく、寂しい。
また独りよがりの偏頗な人生になってしまう。

友情にも、いろいろある。
生涯の友情もある。20年の友情もある。5年くらいの友情もある。1年の友情もある。友情という自分自身の気持ちが変わらなくとも、相手が変わる場合もある。
友情を一生涯と決める必要はない。
「一生の友だち」じゃないから大切でないとも言えない。その時、その時、自分なりに誠実に接していけばよいのです。
クラスメートは、同級生・同窓生と思って、悠々と接していけばいい。
深い友情をもてる相手というのは少ないものだ。
たくさんの草木を育てるのと、一本の大樹を育てるのでは、育て方が違うようなものです。
いつも誠実な自分で生きぬけば、いつか自然のうちに、よい友人が周囲に集まっていく。そのなかから、大樹のような生涯の友情もできるでしょう。あせらないことです。まず自分をつくることです。
君たちには、これから、数限りないすばらしい出会いが待っているのだから。

友情というのは自分で決まるのです。相手じゃない。自分がどうかです。
いい時はいいが、何かあるとすぐに別れてしまうというのではなくて、自分は変わらない。貫いていく。
卒業する時も、「僕は一生、君を忘れない。どんなことも相談してくれ。僕も相談したいんだ」という度量というか、心のゆとりを忘れないでもらいたい。

友人の影響は、ある時には、親よりもだれよりも強い。いい友だち、向上しようとしている人と付き合えば、自分も向上する。
鉄鋼王カーネギーは、自分のことをこう呼んでいたという。「自分より優れた者を周りに集めた者」と。これが彼の人生観であったのでしょう。
結局、「いい友人をつくる」には、「自分がいい友人になる」以外にない。いい人の周りには、いい人が集まるものです。

信念の人、一人立つ人、「わが道を行く」人であってこそ、信じられる「よき友人」になれるし、本当の友人をつくれるのです。
秋の竹林は美しい。あの竹たちも、一本一本がまっすぐに天に向かって伸びている。そして、目には見えない地下の根っこでつながっている。
その姿のように、真の友情とは、たがいにもたれあうのではなく、自立です。自立した同士で、目には見えない魂と魂を、がっちりと結びあわせていくのが友情です。
友情も、自分自身の生き方で決まっていくのです。
(『青春対話1』から)

☆新・人間革命 福光6
広宣流布とは、未踏の原野の開墾作業だ。苦労して、苦労し抜くんだ。楽をしようなんて思ってはだめだ。保身、臆病、姑息、手抜き、インチキがあれば大成はできないよ。
折伏や個人指導をはじめ、一つ一つの課題に、全力で真っ先に取り組み、自ら勝利の結果を示していくんだ。一人ひとりの同志に、誠実に、真剣に、体当たりでぶつかっていくんだ。それが師子王の生き方だよ

2011年9月7日水曜日

2011.09.07 わが友に贈る

「我もいたし
人をも教化候へ」
仏法を学び 語り抜け!
徹して挑戦すれば
宝の原点ができる!

種種御振舞御書 P921
病の起りを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべし

◇希望の明日へ
信心を強盛に貫けば、大なり小なり、必ず難がある。三障四魔があり、三類の強敵が出現することは経文と御書の仰せの通りである。じつは、その激しき"風"によってこそ、わが生命を覆う暗き宿命的な"雲"が、すべて吹き払われる。そして晴れわたる胸中の大空を、妙なる名月が煌々と照らしゆく。また自由と幸福の太陽が力強く昇っていく。ゆえに学会員は、大いなる"風"に、かえって感謝すべきである。御書には「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(P1448)とある。大きな難が来れば、強盛な信心の人は、いよいよ喜んでいくべきである、と仰せである。何があろうとも、"難即安楽""難即成長"の証を、堂々と、朗らかに示しきっていける一生でありたい。

☆随筆 我らの勝利の大道No.57 8月24日の誓い
ホイットマンの生誕百周年の日(一九一九年五月三十一日)、六十歳になっていた弟子トローベルは、眼前に師匠がいるかの如く詩に詠んだ。
「(私トローベルは)あなたと倶に今でも種を播いているのです、播いて播いているのです」と。
これが師弟である。
これが弟子の道である。

私もまた恩師・戸田先生にお会いし、求めて弟子となって六十四年間、片時も先生を忘れたことはない。
「師弟不二」の大道を、「常随給仕」の弟子の道を、まっすぐに歩み通してきた。そして今、従藍而青の弟子たちが続いてくれている。一点の悔いもない、我らの誇り高き大道である。

青年部の秋の教学試験(一級)に向け、真剣な研鑽の息吹も伝わってくる。
教材の一つ「撰時抄」は、私も入信してすぐに拝読した重書である。
法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ』(P288)
この仏勅の通り、壮大な世界広宣流布の未来を開くために、私は全力で、あらゆる障魔を乗り越え、三類の強敵を打ち破ってきた。
これからも、いやまして、創価の偉大な人材を育てゆくために!
そして広布の尊貴な全軍が思う存分、勝利勝利の歴史を打ち立てていくために!

毎日毎日、仏法勝負の真髄に立って、祈り、戦い抜いていく決心である。あの十九歳の誓いのままに!

師弟不二
 仏法勝利の
  法理なぱ
 断固勝ち抜け
  勝ちまくれ

2011年9月6日火曜日

2011.09.06 わが友に贈る

迅速な対応こそ
リーダーの責務。
会員のため 広布のため
誠実で温かな
行動の人であれ!

千日尼御返事 P1319
故阿仏房の聖霊は今いづくにかをはすらんと人は疑うとも法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候

◇希望の明日へ
相撲にしても、柔・剣道にしても、万事にわたり、強敵に勝ってこそ、力も磨かれ、段もあがっていく。いわんや、何の"苦難"も"試練"もない仏道修行などありえない。さまざまな難に勝ってこそ、悪しき宿命の生命も磨かれ、成仏への大道を進むことができる。大聖人の御聖訓通りの法戦であれば、難があることはむしろ当然である。それによって成仏ができ、広宣流布が進んでいくことを思えば、何も恐れることはない。むしろ、これほどありがたいことはない。

▽「地区」こそ広布拡大の要!地区部長・婦人部長の皆様の健康と勝利祈る

☆随筆 我らの勝利の大道No.57 8月24日の誓い
六十四年前、あの最初の出会いの折、私は戸田先生に感謝を込めて、即興の一詩を捧げた。
「夜明け前の混沌に
光 もとめて
われ 進みゆく……」

プライス博士は、この詩を通し、「一つの状況から、よりよき状況へ向かおうとする明白な希望」を感じ取ってくださった。
博士は語っておられる。
「混沌を前にして不安を覚え、歩みをとめてしまうか。あるいは、未来を信じて前へと進みつづけるか──その差は、自身の可能性に対する信があるかないか、にかかっております。
さらに、善は必ず悪に勝つ、と信ずることができれば、また一歩、前進できるのです」

深く、また温かなご理解をいただき、光栄である。
法華経には、「地涌の菩薩」が登場する。
敷衍すれば、いかなる混沌の世にあっても、人間生命の可能性を信じ、正義の勝利を信じ抜いて、民衆の大地に勇んで躍り出る希望の存在といってよい。
重苦しい無力感や窮屈な閉塞感が漂う時代だからこそ、我らは地涌の生命力を呼び覚ましていくのだ。
なお、この六月には、ホイットマン生家協会のウィリアム・ウォルター会長をはじめ先生方が、この大詩人の名前を冠する尊き「文学の英雄賞」を贈ってくださった。私は、この栄誉を敬愛するアメリカをはじめ世界百九十二力国・地域の同志と分かち合わせていただきたい。ホイットマンの雄々しき獅子吼を胸に!
「試練が大きければ勝利も大きい」
と。

ホイットマンが若さ弟子ホラス・トローベルに語った言葉が蘇る。
「私は、いつもは表に現れない、忘れられたような陰の人びとに、大きな尊敬の念を持っている。
結局は、そのような目立たない無名の人たちが一番偉いんだよ」

誰が見ていようが、いまいが、人のため、法のため、社会のために、尊き汗を流しながら歩き、働き、戦う。正義を叫びに叫び、一人また一人と、平和の連帯を広げていく。
その庶民に勝る「偉人」はいない。
この庶民が勝つ時代、庶民が凱歌をあげる時代こそ、ホイットマンも夢見た未来ではないだろうか。
その未来を、弟子のトローベルも、共に見つめていたに違いない。
ホイットマンは彼に全幅の信頼を寄せた。
「私はいよいよ君の若いはつらつたる肉体と精神に、私自身を任せようという心持ちになっている」
「(その重要な理由は)君が私を理解しており、単に熱心だけでなく、権威をもって私を代表してくれることを頼めるからだ」
トローベルが五十代半ばのホイットマンに初めて出会ったのは、十五歳の頃であった。そして交友を深めるにつれ、師匠の手足となって、喜び勇んで東奔西走した。さらに無数の悪口や無理解に晒され続けている師を支え、その真実を宣揚するために奮闘していったのである。
"師のために"行動することを最大の誇りとし、誉れとして──。その誠実一路の生き方は、詩人の逝去後も全く変わらなかった。

2011年9月5日月曜日

2011.09.05 わが友に贈る

台風で被災した皆様に
心からお見舞い。
引き続き警戒を。
大善へと転換しゆく
強き祈りを皆で共に!

松野殿御返事 P1389
命終りなば三日の内に水と成りて流れ塵と成りて地にまじはり煙と成りて天にのぼりあともみえずなるべき身を養はんとて多くの財をたくはふ、此のことはりは事ふり候ぬ但し当世の体こそ哀れに候へ

◇今週のことば
妙法は蘇生の活力なり。
生き生きと戦う
リーダーの勢いが根本だ。
不屈の生命で
さあ 友のもとへ!

2011年09月05日

◇希望の明日へ
いかなる立場にある人でも、難があったときに"師子王のごとき心"を出して戦い抜かなければ、宿命転換も、一生成仏もない。難の渦中にあって、もっとも大変なときに、保身や名聞のために退いていった人もいた。まさに、いざというときにこそ、その人の本当の姿が如実に現れるものだ。臆病にも戦いを避けたり、心を動かした人は、あとで後悔し、苦しんでいる。世間一般でも、苦難を乗り越えてこそ、人間は成長し、より大きくなっていける。何の苦労も、風波もなければ、心を鍛え、生命を磨いていくことはできない。信心の世界にあってはなおさらである。"難即成長""難即安穏"が仏法の方程式である。

☆折々の指導No.010 師弟の心で勝ち進め (各部の代表に)
「世界広布の勝利の本陣たる総本部が完成する2013年。
それまでの2年間がとくに大事だ。
リーダーが生き生きと戦う。それが勝利の根本だよ。
皆、大きな使命があって、今を生きているのだから。
師匠のため!
同志のため!
学会のため!
これを合言葉にして戦っていくのだ。
私は『戸田先生のために!』を合言葉にして、真実の同志とともに戦い、勝ってきた。
師弟の心で戦えば、限りない勇気と智慧がわいてくる」
広宣流布の大情熱を燃やして戦うのだ。
リーダーの熱き心に皆が奮い立ち、『さあ、やろう!』と意気が高まっていかなくてはいけない。
それには題目だ。信心の大確信で激励、指導をするんだよ。気取りや見栄をかなぐり捨てることだ」
「心に隙があってはいけない。油断大敵だよ。物事を甘く見て慢心になり、油断が生ずるんだ。
不測の事態に対する備えを怠ってはならない」
立派な後継者を育てるのが、真の指導者だ。優れた人材を見つけるんだ。
自分よりも優秀な人材を育てていく。そして信頼して任せていくことだ

☆随筆 我らの勝利の大道No.57 8月24日の誓い
あの八月二十四日──。
十九歳の青年の私が戸田先生のもとに飛び込み、正義と平和の闘争に踏み出した時、先生は四十七歳。まさに「壮年」──壮んなる働き盛りの師子であられた。
「師弟不二」の共戦は、いわば「壮青一体」の共戦でもあったのだ。
壮年の鍛え抜かれた力と、青年の疲れを知らぬ力とが絶妙に合致して、学会の金剛の強さが生まれた。
この歴史の上からも、八月二十四日が「壮年部の日」と定められている意義は、誠に深い。
この日を節として、全国、全世界の壮年部も、力強く前進してくれている。
経済不況や円高など、壮年を取り巻く環境は、何重にも厳しい。日々、人知れぬ苦労の連続である。
その中で一人ひとりの友を励まし、奮い立たせゆく対話を、地道に粘り強く積み重ねてくれている。青年のために、青年と共に汗を流しながら、新時代の拡大へ奔走してくれてもいる。その不禎不屈の闘魂に、私は最大の敬意を表したい。
「男、最も確かな男には、根性がなければいけない」──アメリカの民衆詩人ホイットマンの叫びが、わが壮年部の心意気と重なり合って迫ってくる。

ホイットマンが、人間的にも思想的にも、大いなる成長を遂げたのはいつか。
研究の第一人者であるケネス・プライス博士は、ホイットマンが四十代の半ば、南北戦争で負傷した兵士たちのために、身を粉にして働き続けた二年間に焦点を定めておられた。
ホイットマンは当時を振り返り、こう語っている。
「僕はあの野戦病院で、多くの仕事をこなしたよ。ある意味、あれが僕の人生で、最も真実なる仕事だったかもしれない」
今の学会でいえば、ヤング壮年部の年代に、民衆の中に飛び込み、生と死の狭間で悩める人びとに、手を差し伸べていったのだ。
プライス博士は、そうした経験によって「民衆の持つ力、可能性を深く感じ取ったホイットマンの確信は、いやがうえにも強まっていったのです。それは、詩のスタイルの変革のなかに、明らかに見て取ることができます」と洞察される。
わが壮年部も、来る日も来る日も、庶民の真っ直中で一歩も退かずに、勇戦を続けている。
だからこそ、人間として、信仰者として、正真正銘の実力を錬磨し、発揮していけるのだ。
「ついぞ気落ちすることを知らず、断固として戦うことをやめぬ人間の魂」とホイットマンは歌った。
この魂が誰よりも光る、人間の英雄、民衆の英雄たる、わが壮年部の同志よ、万歳!と、私は声高らかに申し上げたい。


2011年9月4日日曜日

2011.09.04 わが友に贈る

地域の強い絆こそ
防災・防犯の力!
近隣とのあいさつ
日頃の交流を大切に。
支えあう社会を築け!



道妙禅門御書 P1243
只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候、法華第三に云く「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」第七に云く「病即消滅して不老不死ならん」との金言之を疑う可からず


◇希望の明日へ
学会員には、大聖人御在世当時のような身命におよぶ大難はないかもしれない。しかし、御聖訓のうえから、信心の途上に、さまざまな難が競い起こるのは必定である。苦難にあってこそ、本物の信心になっていく。学会員は、久遠の昔、それぞれの使命の場に出現し、難に耐えて弘教に進むことを誓った一人一人である。難こそ、自ら願い求めた地涌の信仰者の誉れなのである。ゆえに、苦難を恐れてはならない。難にあい、どのような苦悩の暗闇に包まれたとしても、各人の胸中には"福光の太陽"が必ず昇りゆくのである。"十の苦悩"があれば"百の福光の太陽"が昇る。厳しき"百の宿命"との戦いは、"千の歓喜の福徳の太陽"と輝く−−これが信心である。


☆折々の指導No.009 偉大な歴史をつくれ (同志のもどへ激励に向かう幹部に)
学会活動ができること自体、ありかたいことではないか。
『学会員のため、広布のために戦える。こんな偉大なことはない』と感謝すれば、功徳は無量無辺なんだ。
私は戸田先生のもとで、このことを誰よりも実感し、実践してきた。だから今日の学会があるんだ」
「それはそれは大変なこともあった。
民衆のため、正義のために戦い、かえって世間から焼きもちを焼かれたこともある。
けれども、恩師の教えを根本に、平和と幸福の大法を世界に広げてきた。御書に照らして、その功徳は計り知れないと確信する。
青春時代、肺病で苦しみ、30歳まで生きられないと医師に言われたこの私でさえ、不二の弟子として、歴史をつくってきたんだ。
皆も、そうなれ! しっかり戦って、その誉れの歴史を永遠の宝としていけるように、今こそ頑張れ!


☆随筆 我らの勝利の大道No.57 8月24日の誓い
仏勅の
 誇りも高き
  同志かな
 三世の使命の
  尊き地涌と



先日、山陽新聞に、岡山市で行われる「わたしと地球の環境展」に寄せた、私の一文を掲載していただいた。
その同じ紙面に、NASA(アメリカ航空宇宙局)が公開した鮮やかな「二つの銀河」の写真が報道されていた。
それは、地球から四億五千万光年離れた宇宙空間にある「初期段階の衝突銀河」──いわば二つの銀河の遭遇の映像である。銀河同士が接する衝撃は大きく、そこでは新しい星々が爆発的に誕生していく。
この二つの銀河は、幾百万年を経て、一つへと融合していくという。
星々は、それぞれの軌道をたゆみなく回転する。その活動によってエネルギーを漲らせながら、壮大な生生流転を繰り返している。
この大宇宙のロマンをめぐって、私はブラジルの天文学者モウラン博士とも、縦横に対談を広げた。
語らいの中で、「星に軌道がある如く、人間にも道がある」というのが、私たちの一致した点てあった。
博士が力説された。人間の進むべき最も正しき軌道は何か。それは師弟である。
日蓮大聖人は、御自身が一年また一年と重ねられた法戦の歩みを、『退転なく申しつより候事月のみつるがごとく・しほのさすがごとく』(P1332)と仰せである。
毎年毎年、八月二十四日を一つの起点として、地涌の人材の大連帯を、成長する大星雲の如く一段と広げてきたことは、私たち創価の師弟の誉れの歴史である。
また、この日は、二〇〇一年、新世紀の人間主義の指導者を育成しゆく、アメリカ創価大学(SUA)の第一回入学式が挙行された日でもある。
本年は十一期生が、希望に燃えて新出発している。


2011年9月3日土曜日

2011.09.03 わが友に贈る

台風・大雨に伴う
急激な増水、土砂災害、
高波などに警戒せよ!
無冠の友の皆様も
無事故第一で!



道妙禅門御書 P1242
祈祷に於ては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷有りと雖も只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候


◇希望の明日へ
いかなる難があろうとも、大聖人ほどの大難を受けるわけではない。比べるのももったいないほどの小さな難である。しかも、仏道修行の途上における苦難は、すべて自身の宿命転換につ一ながり、いっさいが自分のためである。それらのすべては、光輝満つ"栄光の人生"の完成への滋養であり、吃立した"勝利の人生"の軌道を進むための推進力になっていく。これが妙法を持った青年たちの大いなる特権であり、生涯をかけて証明していくべき課題である。


☆随筆 我らの勝利の大道No.57 8月24日の誓い
先日、東北のある分県の女子部のリーダーが、尊い真心のアルバムを学会本部まで届けてくれた。
そこには、多くの乙女たちが、それぞれに「華陽宝冠賞」のメダルをかけた、じつに晴れがましい笑顔のスナップが並んでいた。
七月の本部幹部会の折、代表として、この賞を授与された県の女子部長は、苦楽を共にする、わが県の女子部全員に頂いたと受け止めた。そして衛星中継の会場に集ったメンバーなど、一人ひとりに、この賞のメダルをかけ、写真を撮って差し上げたのである。
家を流され、最愛の家族を失った友もいる。言葉にならぬ悲しみを乗り越えて前進する、いじらしい乙女たちである。
「生命の栄光の勲章」「民衆の讃嘆の勲章」を胸に微笑むスクラムは、気高く神々しかった。
アルバムには、「私たちの福光しゆく姿を通し、全世界の人々に希望と勇気を送り続けて参る決意です」と綴られてあった。
ここに、この六十四年間、師と共に、同志と共に、皆で創り上げてきた創価の世界の光彩がある。
かつて、創価女子短期大学の第一期の卒業生の門出に、私は和歌を詠んだ。
その一首を今、新たな期待と願いを込めて、華陽の乙女たちに贈りたい。


青春の
 英智の朝日は
  昇りける
 嵐の時にも
  笑顔たたえて


2011年9月2日金曜日

2011.09.02 わが友に贈る

東北の前進こそ
全世界の希望!
試練に立ち向かう
不屈の「みちのくの魂」に
勝利と栄光あれ!

光日上人御返事 P934
何に況や今の光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給ふ、母と子と倶に霊山浄土へ参り給うべし、其の時御対面いかにうれしかるべきいかにうれしかるべき

◇希望の明日へ
当然のことながら、御本仏が受難されるのと、凡夫が難を受けるのとでは、次元が異なる。しかし門下にとっても、難に耐え、難と戦うなかに信心の深化と開花があり、広布への前進があることは変わらない。仏意仏勅の団体である創価学会の歴史にあっても、大難にあうごとに、成長の節を刻み、発展してきたことは事実である。

★質問007 自分は頭がよくないから、将来は知れています

自分で自分をあきらめてはいけない
今は一生涯にわたる「学び」のエネルギーを蓄える時!

私が戸田先生に、頭のよいのと悪いのと、どのくらいの差があるのかと、うかがったことがある。
戸田先生は、そこにあった筆に墨をつけ、半紙にサッと一本の横線を書かれ、「この線の上と下くらいの差しかないよ」と、おっしゃった。
皆、同じように脳を持っている。差など、ほとんどない。どのくらい「努力」をしたか。この二字によって決まる、と。
今もって、その言葉が忘れられません。

ともあれ、自分で自分を悪く決めつけてはいけない。人間の可能性というのは不思議なもので、自分は頭が悪いんだと決めつけると、本当に頭が動かなくなってしまう。
「自分の頭脳は、ほとんど使っていないんだ。眠っているんだ。だから、努力すれば、いくらだって自分はできるんだ」と確信することです。事実、そうなのだから。
頭は使えば使うほどよくなる。いわんや、お題目をあげて、努力しぬいていけば、青年に不可能はないのです。

「何のために学ぶのか」
いい学校へ、いい会社へと、先へ先へ追いかけていっても、それだけでは「幸福」はない。
ただ安楽に暮らすためだけなら、必ずしもそんな苦労をする必要はない。
しかし本当は、勉強は、有名な大学に行くためにあるのではありません。
自分自身の頭脳と心を耕すためにある。自分自身が豊かな人間になって、「生きた証」を、この世に刻みつけるためにある。
自分でしかできない自分の使命を果たすのです。不幸な人のために働くのです。そのためには「力」がいる。「人格」がいる。
だから「努力したほうが得だよ」と言うのです。

「学ばずは卑し」という言葉があるが、人間の人間らしさというものは、「学ぶ」ところにある。
しかも今は高度な情報社会です。一生涯、つねに学んでいかなければ、すぐに遅れてしまう。
一生涯、勉強。一生涯、学ぶ。これが、これからの指導者の要件です。
今の世の中の行き詰まりは、じつは指導者自身の行き詰まりにある。「学ばない」からです。
たとえば、若い世代の意見を、じっくり聞いて学ぶ。学んだら実行する。そういうゆとりというか、幅というか、人間としての度量がなくなっている。
10代の今こそ、一生涯にわたる「学び」のエネルギーを蓄える時です。頭脳の鍛錬の土台づくりである。だから「人と比べてどうかではない。自分らしく、精いっぱいに、学びに学べ」「バカにされても、悔しい思いをしても、へこたれないで進め」と重ねて言っておきたい。
そういう「心」のある人は、もう半分、勝っているのです。
(『青春対話1』から)

☆随筆 我らの勝利の大道No.57 8月24日の誓い
「如説修行抄」には、
此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし』(P501)と厳しく戒められた箇所がある。
それは、『真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり』(P501)という大難への覚悟である。
戦時中の法難で投獄された牧口常三郎先生に、愛弟子である戸田先生は最大の感謝をもってお供された。
そのあまりにも崇高にして峻厳な師弟に、命を賭して続くのだ
──こう私は、決心していた。
ゆえに戸田先生の事業が最悪の苦境に陥り、他の弟子たちが悉く逃げ去ろうと、私の心にはいささかの迷いもなかった。
私の入信満三年の日となる昭和二十五年の八月二十四日、戸田先生は学会の理事長を辞任する意向を発表された。悔しさに歯を食いしぼり、私は巌窟王の如く誓った。
──このどん底を何としても打開して、絶対に先生に第二代の会長に就任していただくのだ、と。
聖教新聞の創刊の構想を先生と二人で語り合ったのも、同じ八月二十四日であった。広宣流布の未来を開く言論城、聖教の「創刊原点の日」だ。
ともあれ、最も苦難の時にこそ、最も偉大な勝利の因が刻まれる。これが、変毒為薬の妙法である。
この因果の理法に照らして、今、復興に向かって懸命に戦い続けておられる東北の被災地の同志に、必ず必ず大勝利の時が来ないわけがない。
私も、小説『新・人間革命』の「福光」の章を書き進めながら、妻と共に、さらに強盛に祈り、題目を送り続ける日々である。


2011年9月1日木曜日

2011.09.01 わが友に贈る

進の9月だ。
新しい決意に燃え
新しい挑戦を始めよ!
我ら青年学会こそ
世界の柱なり!

四条金吾殿御返事 P1192
さてもさても敵人にねらはれさせ給いしか、前前の用心といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給い目出たし目出たし

◇希望の明日へ
難こそ、信心を鍛え、成長の発条となる。私一人では指導できる青年の数にもかぎりがある。だが学会全体に競う難は、多くの青年の信心を鍛え、育ててくれる。難と戦い、乗り越えていくなかに、真実の信仰の勇者がつくられていくことを忘れてはならない。

☆折々の指導No.008 教学は最高の勝利の武器 〈教学の研鎖に励む友に〉
「教学は絶対に必要である。教学は即、行動である。
御書に『行学た(絶)へなば仏法はあるべからず』(1361ページ)と仰せの通りだ。
教学は最高の勝利の武器である。
とくに青年時代に、教学に取り組んでもらいたい。あらゆる工夫をして。これが学会の伝統だからだ
「皆さんが、大変な中、教学試験(青年部教学試験1級)に挑戦し、御書を心肝に染めている姿を、日蓮大聖人が喜んでおられる。
若い時から教学を研鎖していくことが、一生の幸福の土台となる。その人は、永遠に生命哲学の博士だよ。
子孫末代までの功徳になっていくことを確信してください」
信心とは、御聖訓を勇敢に実践することだ。
信心とは、心の勝利のためにある。
心の勝利とは、永遠の勝利ということだ。
健康で、和楽で、わが人生を飾り、職場にあっては模範となっていくことだ。社会で接する人たちには誠実に、明るく、そして誰からも信頼されていくことだ」

☆随筆 我らの勝利の大道No.57 8月24日の誓い
戸田先生との出会いから十日後の八月二十四日は、日曜日であった。当時の記録を繙くと、東京の最高気温は、この日、三十五・三度となっている。暑い暑い一日であった。入信の儀式の勤行は長くゆっくりで、慣れない正座も辛かった。今も苦しい記憶が蘇る。
しかし私は、戸田先生の人格を信じて前へ進んだ。
世情は騒然としていた。この翌日の朝刊には「収入だけで暮らせない家庭」が九割と、深刻な世論調査の結果が報じられている。
厳格にヤミ食糧を拒否し、配給のみで暮らした東京地裁の判事が餓死するという衝撃的な事件が起きたのは、二ヵ月後である。
地震や台風、浅間山の噴火など、自然災害も相次いだ。東西冷戦の対立が深まり、「核戦争」の危機も忍び寄っていた。
戸田先生が座談会で「立正安国論」を講義され、訴えておられた通り、戦後の混乱の闇を照らし晴らしていくために、いまだ小さな学会であったが、我ら師弟は正法正義の旗を、高々と掲げていったのである。
思えば、日蓮大聖人が、「立正安国論」を提出し、国主諌暁を行われた文応元年七月十六日は、当時の西暦であるユリウス暦では、一二六〇年の八月二十四日に当たっているようだ。
戸田先生は、厳然と叫ばれた。
「人間にとって大切なのは、いかなる思想を持ち、いかなる行動をしているかだ。ゆえに人類最高の思想を学び、人々の幸福のために行動している創価の青年は、どんな人に対しても、胸を張って、堂々と、わが信念を語っていくのだ」
この立正安国の闘争が、十九歳の八月二十四日から、私の一貫した青春、そして人生となったのである。