煩悩即菩提の仏法だ。
題目を根本に
悩み挑んだ分だけ
境涯は大きく開く。
粘り強く前へ進もう!
種種御振舞御書 P917
『日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信法師には良観道隆道阿弥陀仏と平左衛門尉守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ』
【通解】
日蓮が仏になるための第一の味方は、(大聖人を憎み、命をねらった)東条景信であり、僧侶では(権力と結託し、大聖人を陥れようとした)極楽寺良観、建長寺道隆、道阿弥陀仏であり、また(権力を発動して大聖人を迫害した)平左衛門尉、北条時宗殿である。彼らがおられなかったならば、日蓮はどうして法華経の行者になれたであろうかと悦んでいる。
名字の言 「法華経は随自意なり」 2022年5月27日
「なぜ山に登るのか——。そこに友の家があるからです」と笑顔で語る壮年は、宮崎県北部の山間部で活躍している▼旧習深い地域で57年前に入会。当時は学会の話をすると、塩をまかれ、罵声を浴びせられたという。だが壮年は地域の人の幸せと繁栄を懸命に祈り、仏法対話に挑み続けた。「悪口や圧力があると、かえって闘志が湧いてね。御書の仰せ通りだ。これで宿命転換できるって」▼一人また一人、弘教を実らせた。入会した友は病や家庭不和などを克服し、信仰の功力を確信した。皆で"日本一心豊かな場所にしよう"と誓い、集落のさまざまな役を担い、住民に尽くした。そして対話を繰り広げ、今では「聖教新聞を一生読ませてもらいます」「学会員さんがいれば未来は明るい」など理解と称賛の声が続々と寄せられるように▼御聖訓に「法華経は随自意なり」(新2059・全1437)と。対話する際、相手の意見を聞くことは大切だが、心からその人のことを思うのなら、慈悲を根本に自らの信念を堂々と語ることだ。そうすれば確かな信頼が残る▼人からどう思われるかよりも、相手の幸福をどれだけ真剣に思い行動するか。それを自身に問いながら、誠実に勇気を出して対話に挑もう。
寸鉄 2022年5月27日
「目的なしの行動は暗中模索」牧口先生。明確な目標を定め一日一日勝利
常勝兵庫が破竹の攻勢! 師子は強い。断じて勝つ。全ての創価家族が大応援
神奈川女性部の日。勇気と確信の対話広げる広布の太陽。さあ栄光の峰へ
来年、広島でG7。公明が要請。被爆の実相伝え核なき世界へ日本が旗振れ
首都直下地震、対策次第で被害大幅減少と。初期消火等の訓練を日頃から
☆異体同心の信心は不敗——各部代表者会議行う
第16回各部代表者会議が25日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田先生はメッセージを贈り、新しい力の脈動を広げた常勝関西大躍進大会(今月10、11日)の大成功を改めて祝福。1956年(昭和31年)に雨の大阪球場(当時)で開かれた「大阪・堺二支部連合総会」以来、関西に脈打つ"目立たない、陰での辛抱強い行動が大きな仕事を成就する"との誇り高き大確信で、今再び威風堂々と跳躍しようと呼び掛けた。
次いで、1275年(建治元年)5月25日、御本仏が女性門下のたゆみない信心をたたえ、贈られた「この功徳は、父母・祖父母、乃至無辺の衆生にもおよぼしてん」(新1705・全1231)を拝読。広布のため、社会のために行動した分だけ、縁する一人一人に無量無辺の功徳を及ぼし、幸の仏種を広げていけると強調した。
さらに、戸田城聖先生の「異体同心の信心が強ければ強いほど、いかなることがあっても、青年は敗れることはない」との指導を紹介しつつ、宝の全同志の健康と福運を祈り抜きながら、いよいよ燃え上がる異体同心の信心と団結で、険路を勝ち越えよう!と述べ、メッセージを結んだ。
原田会長は、「人々すくなく候えども、大事を成じ」(新2055・全1463)を拝し、いかなる環境の変化にも、師弟を根幹に団結第一で進む中に広宣流布の勝利はあると語り、師弟の月・7月を民衆の凱歌で飾ろうと訴えた。長谷川理事長、池田主任副会長、新福総福岡男子部長、野中総埼玉青年部長、力武総神奈川男子部長があいさつした。
☆みんなで学ぶ教学 第28回 五十展転
◇自らが歓喜の"起点"に
どの地域でも、創価学会の会合は、信心の素晴らしさを実感した"喜びの声"にあふれています。今回の「みんなで学ぶ教学」は、「五十展転」がテーマです。地区の会合で体験発表を聞いた新入会者のカツヤくんは、ユタカ支部長に感動を伝えているようです。
カツヤ 信仰の素晴らしさを語る、学会員の体験発表や活動報告は、感動的ですね! それに、聞いた自分も、誰かに信心の偉大さを語りたくなるから不思議です。
ユタカ そうだね。信心の功徳を実感し、歓喜している姿は、仏法の偉大さの証明といえるんだ。その信仰の喜びは、必ず周囲に伝わっていくんだよ。
カツヤくんは、「五十展転」という法理を聞いたことはあるかな?
カツヤ 「五十展転」ですか……。初めて聞きました。
ユタカ 法華経の随喜功徳品第18に、記されているんだ。"法華経を信じる人々が、法華経を聞いて随喜、つまり喜ぶならば、どれだけの福徳を得るだろうか"との問いから始まるんだ。その問いに対する、釈尊の答えとして語られるのが「五十展転」なんだよ。
カツヤ どのようなことが、説かれているのでしょうか?
ユタカ その内容は、"仏の滅後に、法華経を聞いて喜んだ人が、その喜びを人に伝え、さらに、それを聞いて喜んだ人がまた他の人に喜びを伝える。そのようにして、法を聞いた喜びを伝え広げていき、50番目の人になったとする。その50番目の人の功徳ですら莫大なものである"というものなんだ。
法華経を聞くことによる歓喜は、どこまでも広がり続けていくんだね。
カツヤ すごいことですね。
ユタカ 経文の文字通りに読めば、50番目の人は喜んだだけで、誰かに法を説いていないといえるんだ。それでも、莫大な功徳があると記されているのは、法華経を聞いて喜ぶことにも、大きな功徳があることを表しているんだよ。
カツヤ 仏法を聞いて喜ぶだけでも、素晴らしいことなんですね。
ユタカ でも、"最初に語る人"がいなければ、50人どころか、誰にも伝わっていかない。そして、日蓮大聖人が、「『喜』とは、自他共に喜ぶことなり」(新1061・全761)と仰せのように、心から仏法に歓喜したならば、必ず誰かに語って、共に喜びたくなるものだよ。
「五十展転」は、50番目の人の功徳を説いた上で、"まして、最初に法華経を聞いて歓喜して法を説いた人の功徳は計り知れない"ということも表しているんだ。
カツヤ 最初に法を説く人には、とてつもない功徳がありそうですね。
ユタカ だから、自らが歓喜の"起点"となって仏法を語り広げていくことが大事なんだね。
その"喜びの声"は、"自身の人間革命を成し遂げる声"となっていくんだよ。
カツヤ 朗らかに対話に挑戦している、地区の皆さんが輝いて見える理由が、分かった気がします。
ユタカ 池田先生は「『随喜』とは喜びです。私たちの立場でいえば、南無妙法蓮華経という最高の法を聴いて湧き起こる喜びであり、大歓喜です。(中略)歓喜と躍動の生命は、既に大幸福境涯といってよい。そして、随喜すれば、人びとに妙法を語らずにはいられなくなり、おのずから折伏・弘教の実践が始まる。それが、ますます大功徳を積んでいくことになる」と、つづられているんだ。
"信心の素晴らしさを語らずにはいられない"——学会員一人一人の歓喜の姿が、世界広布を進める原動力となってきたんだね。
カツヤ なるほど……。僕も誰かに信心の喜びを伝えたくて、うずうずしてきました。これから友人に連絡を取って、会いに行ってきます!
ユタカ カツヤくんの姿を見て、私もそうしようと思っていたところだよ。