2022年5月10日火曜日

2022.05.10 わが友に贈る

いかに社会が激動しても
我らは信念の対話を!
眼前の一人と心を結ぶ
地道で弛まぬ実践こそ
平和を築く確かな力だ!

法華初心成仏抄 P557
『一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏一切の法一切の菩薩一切の声聞一切の梵王帝釈閻魔法王日月衆星天神地神乃至地獄餓鬼畜生修羅人天一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳無量無辺なり』

【通解】
ひとたび妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神ないし地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性をただ一声によびあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である。

名字の言 祈りがかなうとは…… 2022年5月10日
新年度が始まって1カ月。清新の志で社会人になったものの、「理想と現実の差」に翻弄され、それでも歯を食いしばって奮闘中の友も多かろう▼思い出す話がある。大手外資系企業の内定を勝ち取った学生部員。"実社会で縦横無尽に活躍し、実証を示す人材に成長する"と決意の唱題を重ね、入社式を迎えた。彼の赴任地は、希望と異なる場所だった。落胆する彼に多宝会の壮年が語った。「祈りがかなうとは『欲しいもの』ではなく、『人生に必要なもの』が手に入るということだ。期待してるぞ」▼その後も、思い通りにいかない苦闘の日々が続く。だが彼は、どんな小さな仕事も必死にやり抜いた。学会では男子部のリーダーとなり、広大な地に点在する部員の激励に奔走。こうした八面六臂の活躍で、願った通りの見事な実証と大きな信頼を築いた▼「煩悩即菩提」「変毒為薬」といった仏法の法理を示す言葉の"順序"に思うことがある。「煩悩」や「毒」が先で「菩提」や「薬」が後である。眼前に悩みや苦難があるからこそ、強盛な信心で、それを成長の糧に転換し、偉大な境涯を開いていけるのだ▼新社会人の友だけでなく、先輩たちも心をリフレッシュして、自己の開拓と前進の日々を!

寸鉄 2022年5月10日
題目で「無明・煩悩の闇をてらすべし」御書。希望と蘇生の哲理を地域へ拡大(新1269・全903)
「頭を使え、智慧を出せ」戸田先生。幹部は勝つ為の名指揮を。将の将たれ
悪を憎めぬ者は善を愛さない者—文豪ロラン。男子部よ破邪顕正の声で時代開け
友と笑い合える高齢者は要介護リスク低く—研究 逞しき楽観主義の賢者に
電動自転車事故が10年で2倍。漕ぎ始めや段差で均衡崩す傾向。安全第一

☆御書と未来へ 第16回 自他共に充実と歓喜の舞を
〈御文〉
『法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。「現世安穏、後生善処」とは、これなり。』〈四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)、新1554・全1143〉

〈通解〉
法華経を受持する以外に遊楽はない。法華経薬草喩品第5の「現世安穏にして、後に善処に生じ」とは、このことをいうのである。

〈池田先生が贈る指針〉
妙法を信受した人は、誰もが一念三千の当体の生命を輝かせていける。仏の力を自在に発揮し、いかなる宿命も必ず転換できる。三世に揺るがぬ安穏福運の境涯を、自他共に勝ち開ける。
この衆生所遊楽の人生と社会を娑婆世界に築き広げるのが、我らの立正安国の対話である。ここにこそ真の充実と大歓喜の舞があるのだ。

☆5月度座談会拝読御書 開目抄
◇御文
『我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なきことを疑わざれ。現世の安穏ならざることをなげかざれ。我が弟子に朝夕教えしかども、疑いをおこして皆すてけん。つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし。』(御書新版117ページ7行目〜9行目、御書全集234ページ7行目〜9行目)

◇[池田先生の指針から]不退の信心を貫く
「我並びに我が弟子」「自然に仏界にいたるべし」(全234・新117)と言われているように、大聖人の生命に本来的に具わる元初の仏の境涯は、私たち一人一人にも具わっているのです。
しかし、衆生は、自身の生命を覆っている迷いや苦悩にとらわれている限り、奥底の仏の境涯に気づくことができないのです。
そこで大聖人は、御自身のお姿、お振る舞いや御教示を通し、また、門下と対話するように手紙を書き続け、一人一人が御自身と同じ仏の境涯を開いていけるように激励を重ねてくださっています。
それは、門下が師子王の心を取り出して、どこまでも不退の信心を貫いた時に、本来自身が持っていた仏と同じ智慧と勇気と慈悲の大境涯を現していけるということです。(2021年9月号「大白蓮華」〈世界を照らす太陽の仏法〉)
◇ ◇ ◇
自分の仏性を信じ、人々の仏性をも信じて行動し抜いていく。
このような精神革命の時代を築いていくこと自体が、実は、広宣流布にほかなりません。私たちは、その偉大なる人類の宿命転換に率先して戦っているのです。
学会員は、自他共の幸福を目指して、広宣流布への「信心」を貫きます。大聖人が仰せのままの「信心の二字」「信の一字」です。(中略)
学会員の「信」には、大いなる真理に生きる智慧、不幸を根絶しようと戦う勇気、そして、"万人が皆、仏なり"との確信に満ちた慈悲が備わっています。永遠の幸福境涯を開いていく「信」が確立されているのです。(『信仰の基本「信行学」』)

◇仏性を呼び覚ます 人間革命の劇を
[キーワード�]苦難は"生命鍛錬"の好機
人生は、順風満帆な日ばかりではありません。宿命の嵐に遭った時には、"なぜ?""自分にはどうすることもできない"と、疑いや諦めの心が生じることもあるかもしれません。
我ならびに我が弟子……。厳しい現実を前に、心が折れそうになった時。困難の壁を前に、信心の前進を止めてしまいそうになった時。多くの学会員が、自身の心を奮い立たせるように拝してきたのが、この御文です。
日蓮大聖人は、命に及ぶ大難を勝ち越え、末法の全民衆を救う妙法を弘められました。本抄には、諸天の加護を求めたり、難を避けたりするような生き方を突き抜けた、大聖人の、末法の御本仏としての大境涯がつづられています。
法華経の経文に照らせば、末法に正法を実践する人には、必ず三障四魔が競い起こります。その障魔に打ち勝つからこそ、自身の生命が鍛えられ、宿命転換していくことができるのです。つまり、法華経の行者にとって、苦難とは"避けるべきもの"ではなく、"生命鍛錬"の好機となるのです。
だからこそ、大聖人は門下に、いかなる難に遭ったとしても、妙法を信じ切っていくように呼び掛けられているのです。仏道修行を貫くならば、「自然に仏界にいたる」と仰せのように"誰でも""必ず"仏の境涯を開くことができるとの御断言です。
学会員一人一人が、この一節を身で読んできました。何があっても朗らかに人間革命のドラマをつづる姿は、初夏の太陽のようにまばゆく、自他の仏性を呼び覚まします。

[キーワード�]常に誓いに立ち返る
人生勝利の歩みを止めるのは、自分自身です。厳しい環境や、難しい境遇ではありません。自身の内に巣くう、不信や臆病の心によって人生を諦め、いつしか、自ら足を踏み出すことをやめてしまうのです。その根底には「元品の無明」があります。
「元品の無明」は、生命に対する根本的な迷いのことです。さまざまな形で法華経の行者の修行を阻み、責め立てる「第六天の魔王」の働きとなって現れるため、簡単に打ち破ることはできません。
御書には「元品の無明を対治する利剣は、信の一字なり」(新1047・全751)とつづられています。無明との戦いに打ち勝つには"信の利剣"が必要であるとの仰せです。
私たちに即していえば"必ず成仏の境涯を開く""絶対に幸福になってみせる"という、強き一念といえます。
今回の拝読御書につづられている「約束せし事」とは、広布に挑む一念を合わせた"師弟共戦の誓い"と拝することができます。
その師との誓いを忘れてしまった時、無明に生命を侵され「つたなき者」となってしまうのです。
どんな人にも"無明の闇"は生じます。それを払うには、常に"師弟共戦の誓い"に立ち返り、広布への一念を、より深く強くしていくことです。その繰り返しが、自身に具わる仏界の生命を必ず輝かせていくのです。
師と共に生きる喜びを胸に、同志と励まし合いながら、きょうも心新たに前進を開始していきましょう。