「納得」から
共感の波動が広がる。
身近な一人を大切に
じっくり語り合おう!
誠実に。心を尽くして。
種種御振舞御書 P916
『依智にして二十余日其の間鎌倉に或は火をつくる事七八度或は人をころす事ひまなし、讒言の者共の云く日蓮が弟子共の火をつくるなりと』
【通解】
依智に滞在すること二十余日、その間、鎌倉で、あるいは放火が七・八度あり、あるいは殺人が絶えなかった。讒言の者どもが「日蓮の弟子どもが火をつけたのである」と。
名字の言 意味が全く異なる「なぜ? どうして?」 2022年5月12日
経験のない出来事に遭遇した際、好奇心旺盛な子どもは驚きながらも目を輝かせ、きっとこう言うだろう。「なぜ? どうして?」。一方、経験豊かな大人でも不条理で想定外の窮地に陥ると、落胆してこんな言葉を発してしまう。「なぜ? どうして?」▼文字にすれば同じでも、意味合いは全く異なる。また、こう口にした後、前進するか、あるいは後退してしまうかによって、未来は大きく変わってこよう▼ある男子高等部員は教員になる夢を抱き、猛勉強の末、大学進学を勝ち取った。だが、在学中に父が急逝。一家に多額の負債がのしかかった▼"大学を辞め、長男の自分が働いて返済しよう"と夢を諦めかけた。そんな彼を、同志は温かく励まし続けた。「全てに意味がある。将来、さまざまな事情に悩む児童を全力で支える教師になるための試練だと腹を決めよう」。彼は奨学金とアルバイトで学費を工面し、晴れて大学を卒業。念願の小学校教諭となり、後年、負債も完済した▼拙速に結論を出す近視眼的、皮相的な判断からは、仏法の冥益は実感できない。"なぜ自分が? どうしてこんなことに?"という、理不尽とも思える苦難を、納得のいく勝利劇で決着させる。その力が信心には厳然とある。
寸鉄 2022年5月12日
「ちかいし願いやぶるべからず」御書。共に広布誓願の山を勇敢に登攀!(新114・全232)
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〈社説〉 2022・5・12 国際家族デーに思う親のあり方
◇人生の土台は無条件の愛情
今月15日は国連の「国際家族デー」。家族に関する問題への認識と理解を深め、解決に向けた行動を促すために定められた。最も身近な家族を見つめることは、人が人となる土台を見つめることだ。
現代にあって、親(もしくは親代わりとなる存在)と子どもの関係を考えさせられる言葉が、「機能不全家族」や「毒親」だ。子どもの心身を傷つけ、悪影響を与えてしまう家庭環境や親を指す。
児童精神科医の故・佐々木正美氏は、親の愛情が子どもに伝わっていない状況を示し、警鐘を鳴らした。親としての理想や子どもへの願望はあるだろう。しかし、佐々木氏は「子どもが望む『いい親』になるのではなく、親が望む『いい子』にさせてしまう生き方」は不幸を招き、それは子への愛情ではなく、親の自己愛を大きくしてしまっている状態と指摘した(『はじまりは愛着から』福音館書店)。
安定した愛着が育めないことは子の空虚感や自己否定につながり、心身に影響を与えるとも指摘される。精神科医の岡田尊司氏はそれを「愛着障害」と呼び、そこには「ありのままの自分を受け入れることができない」という課題があると語る(『愛着障害の克服』光文社新書)。一番大切にされたい存在に大切にされることが、子どもには欠かせないのだ。
仏法の哲理とは——小説『新・人間革命』で戸田先生は語っている。「簡単にいえば、『皆宝塔』『皆仏子』なるがゆえに、人間の生命は尊極無上であり、誰もが皆、幸福になる権利をもつというものだ」。仏子であるための条件などない。どういう状況であろうと、そのまま生きているだけで最高に価値ある存在であるとたたえるのが、私たちの運動である。
親子で歩む道に、平たんなものはない。次から次に課題があり、時にすれ違い、ぶつかり合うもの。そんな時、心と行動が、子への"否定"になるか"肯定"になるか、そこが大事であろう。
子は、親に"無条件に"愛されている実感を基盤にして、自分を信じ、人を信じられるようになる。何があろうとも"いい方向に変えていける""また絆が強まる"という親の確信は、積極的な受容となって子を包み込み、未来を開く力となる。親も仏であり、子も仏——信じ合い、価値を創造し合う"成長家族"でありたい。
☆英知の光源 希望の哲理に学ぶ テーマ:中道とは
◇池田先生の指導から
「中道」とは、単に極端な考えや行動を排することではなく、"道に中る"と読むように、自分の判断や行動が「人間としての道」に反していないかどうか、常に問い直しながら、自分の生きる証しを社会に刻み続ける生き方に本義があるといえます。
その意味では、釈尊が最晩年の説法で"ダルマ(法)を洲とせよ"と強調した際、"一人一人が自分自身を拠り所とせよ"と同時に促していた点は、「中道」の本義を示唆したものとも解されましょう。(中略)
一人一人が、自分の行動によって影響を受ける人々の存在を思い浮かべ、その重みを絶えず反芻しながら、「本当の自己」を顕現する手掛かりとし、人間性を磨いていく。
その営みが積み重ねられる中で、政治や経済のあるべき姿への問い直しも深まり、再人間化に向けた社会の土壌が耕されていく——。
「中道」の真価は、この変革のダイナミズムにこそあると、私は強調したいのです。(第40回「SGIの日」記念提言)
◇Q1:右でもなく、左でもない——仏法の中道思想は「折衷案」ですか。
「中道」とは、単に物事が両極端に偏らない「真ん中の道」という意味でも、また両端の間のほど良いところを取るという「折衷」でもありません。
仏教の創始者である釈尊は、人間の根源的な苦悩の解決を目指して、欲望を充足させることが中心の世俗生活から離れ、修行中に苦行に励みましたが、十分な意義を見いだしませんでした。そこで、快楽主義と苦行主義という二つの極端な思想・実践的な立場を超えた、正しい思想・実践のあり方を立て、それを「中道」と称しました。
この中道思想は、大乗仏教において発展します。
日蓮大聖人は「一生成仏抄」で、「有」「無」でもなく、しかも「有」「無」でもあるという、不可思議なあり方をとる一念の心を「中道一実の妙体」(新318・全384)と示されています。
私たちの心は、「有る」と言っても色や形を見ることはできません。しかし、色や形がないからといって、「無い」と言おうとしても、さまざまな心は現れます。
「有」「無」という二つの概念ではとらえられず、しかし、必ず「有」「無」いずれかの姿をとる——。
このようなあり方をとる究極の真理を指して、大聖人は「中道」と言われているのです。
いわば、現象の一つの側面だけにとらわれるのではなく、現象の全体を包みながら、より普遍的な視座に立つことを促すのが、仏法の「中道」の思想です。
◇Q2:生命の全体像を正しく捉えた哲学ということですか。
そうです。「中道」に関して天台大師は「空仮中の三諦」を立てました。「諦」とは「詳らか」「明らか」という意味で、「三諦」とは、あらゆる現象の真のあり方を、三つの次元で捉えたものです。
小説『新・人間革命』第11巻「常勝」の章では、これを生命論の観点から、次のように展開しています。
「『空諦』とは、目に見えない性分であり、主に心、または精神作用にあたる。心や精神は『空』であって、有でもなければ無でもない。冥伏していて、縁に触れて現れる不可思議な実在である」
「『仮諦』とは、主に物や肉体、姿、形、その活動の面をいう。それは種々の条件の組み合わせにより、仮に成立し存在している」
「『中諦』すなわち『中道』とは、生命の本質、本体、または生命の全体をいう。人の生命は、心という『空』の面と、肉体という『仮』の面を兼ねそなえながら、どちらにも偏らずに存在しており、それらを貫く、生命の本源、本質が『中』なのである」
「爾前経では、この『空仮中の三諦』を別々に説いていたが、法華経に至って、『円融三諦』、すなわち三諦のそれぞれが他の二諦を具え、融合し、一体となっていることが明かされる。つまり、完全無欠なる生命の真実の姿が説かれたのである」
この生命観を自在に展開されたのが、日蓮大聖人です。生命の全体像を偏りなく、正しく捉えた日蓮仏法こそ、あらゆる思想・哲学を包みながら高次へと止揚する、最高峰の中道思想といえます。
◇Q3:私たちにとって、どのように実践していくべきですか。
「中道」の思想を、私たちの日々の営みにみれば、(1)極端に走らない、(2)固定的な考えにとらわれない、(3)調和と前進を目指す生き方、ともいえましょう。
私たちは、時に、自分の置かれた状況や相手の考えを固定したものと捉えて、「だから変えられない」と思い込むことがあったりする面があります。
しかし、自分や相手の性分も「それは一つの側面にすぎない」と捉えた上で、「誰しも必ず変わっていける」と信じて、自他共の生命に内在する"無限の可能性"を開くための行動に徹するところに、中道主義の生き方があります。
そこに、大局的見地から全体を大きく包み込む、仏法の寛容の精神も輝きを放ちます。
また、地域・社会をより良くしていくことを願う仏法者として、イデオロギーに左右されず、民衆の幸福を第一義とする中道主義を根底にした政治を実現していくことも、欠くことのできない社会的使命であるといえます。
池田先生は、小説『新・人間革命』第12巻「天舞」の章で、「今や、資本主義も、社会主義も行き詰まり、日本も、アジアも、さらに世界も、大きな歴史の流れは、一日一日、一年一年、この中道主義に向かっている」とつづっています。
現代で言えば、さまざまな状況を的確に把握した上で、安穏と調和の世界を目指して、現実を中道主義へと向けていく智慧の創出と不断の努力が求められています。
生命の全体像に立脚した中道主義の哲理を掲げ、対話によって自他の生命を変革するという具体的な実践を通して、日夜、真の世界平和を実現するために戦っているのが、創価学会なのです。