「いよいよ強盛の御志
あるべし」御聖訓。
仏法は惰性との戦いだ。
朝晩の勤行を真剣に!
今日の課題を明確に!
(新1690・全1221)
四信五品抄 P339
『信を以て慧に代え信の一字を詮と為す』
【通解】
信をもって智慧に代え、信の一字を究極としている。
名字の言 「台詞」と「科白」の違い 2022年5月6日
「せりふ」には2通りあると、劇作家・別役実氏は言う。言葉だけの「台詞」と、それにしぐさが加わった「科白」である▼例えば、煙草を吸う演技。「それでね(と煙草を出し)言ってやったんだよ、私は(と一本くわえ)あっちへ行けってね(と火をつける)」。すると、「台詞」は、質感のある「科白」となり、「一度身体をくぐらせてきたもののように、手触りのあるものに変質している」(日本経済新聞2013年8月18日付)。行動によって、言葉は真実味を増す▼ある男子部員の父母は、耳が全く聞こえない。父は酒だるを作る職人として黙々と働いた。母はいつも御本尊の前に座る"題目の人"だった▼そんな両親から「言葉以上に教わるものがあった」という彼は"障がい者を法律の分野で守りたい"と、創価大学法科大学院へ進学。昨年、司法試験に合格し、学会の庭では男子部大学校5期生として成長を刻む▼池田先生は「親が前向きに懸命に生きる姿を、子どもは、見ていないようで、きちんと見ているものです。百の言葉よりも、一の行動です」と。子どもは親の背中を見て育つ。だからこそ、言葉にも行動で責任を持つ生き方を貫きたい。それが、わが子を使命の道へ導く力になると確信して。
寸鉄 2022年5月6日
「いずれもいずれも功徳にならざるはなし」御書 広布の闘士は希望の長者(新1494・全1098)
人類の未来思う池田博士の思想こそ世界結ぶ力—インド識者。信念の行動に続け
悩みがあるから人を救えるんだ—戸田先生。「願兼於業」の崇高なる菩薩道
「みずがめ座η流星群」が見頃に。宇宙のドラマに思いを馳せて心広々と
交通事故は夕暮れ時に多数。絶対に起こさない、遭わない。心の隙排して
☆御書と未来へ 第15回 広布の人生こそ最上の誉れ
〈御文〉
『あまつさえ、広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えんことは、大地を的とするなるべし。ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし。』〈諸法実相抄、新1791・全1360〉
〈通解〉
そればかりか、広宣流布の時は、日本中が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは大地を的とするように確かなことである。ともかくも、法華経に名を立て、身を任せていきなさい。
〈池田先生が贈る指針〉
広宣流布は必ず実現できる。いな、断固として実現する。この大確信、この大誓願こそ、「5・3」を貫く創価の師弟の魂である。
大地を的とするごとく、我らの信心に不可能はない。全てを希望へ、幸福へ、勝利へ、断じて転じていくのだ。
学会と共に、同志と共に、真剣に祈り、勇敢に動き、明快に語りゆこう!
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第9回 共戦の同志
◇生死一大事血脈抄
『金は大火にも焼けず、大水にも漂わず、朽ちず。鉄は水火共に堪えず。賢人は金のごとく、愚人は鉄のごとし。貴辺あに真金にあらずや。法華経の金を持つ故か。(中略)
過去の宿縁追い来って、今度日蓮が弟子と成り給うか。釈迦・多宝こそ御存知候らめ。「在々諸仏土、常与師倶生(いたるところの諸仏の土に、常に師とともに生ず)」、よも虚事候わじ。』(新1776・全1337)
◇勇気の指標
師弟とは、弟子が自ら決意してこそ成り立つ「魂の結合」です。
一般的にも、師弟が人生を豊かに深くする——これは、私が世界の識者と語らう中で深く一致した一つの結論です。(中略)
仏法の師弟に生きることは、深遠であり峻厳です。そして、永遠であり、無窮なのです。
◆◇◆
師と弟子が、いかなる場所をも仏国土へと変えるため、また全民衆の宿命転換のために戦っていく。そのことは、久遠(遠い昔)からの約束であり、自らの誓願にほかなりません。まさしく、妙法を根本とした「師弟の絆」は、生死を超えて、三世永遠にわたるのです。
◆◇◆
地涌の菩薩は、妙法の偉大さを証明するために、それぞれの時を選んで生まれてくるのです。皆さんの先輩たちは、一人一人が師弟の絆を自覚し、強い使命感に生きるがゆえに、現実の困難にも負けることなく、経済苦や病気といった宿命も転換し、最高に価値ある人生を歩み、今日の壮大な広布の道を開いてきたのです。(中略)
皆さんは、その晴れ舞台で勇んで舞いゆくのです。皆さんが立ち上がることで、人類の未来を照らす希望の連帯は、いよいよ地球を大きく包んでいくのです。
◇勝利を開く正義の陣列を 鈴木貴博 東海道青年部長
目前に迫った「5・3」、そして「青年の月」7月へ。東海道青年部は、弾む生命で拡大へ駆けています。
2009年(平成21年)4月14日、池田先生は全国代表協議会の席上、「共戦」の御揮毫を初めて披露してくださいました。脇書には、「五十四年 五月三日夜 生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」と。
1979年(昭和54年)の5月3日、神奈川文化会館に来館された池田先生が、「誓」の揮毫とともに認められていたのです。
衝撃にも似た感動を覚えたことを鮮明に記憶しています。以来、自分自身が、共戦の弟子であろうと祈り、戦ってきました。
今回、「生死一大事血脈抄」を拝し、共戦の同志として生き抜く誓いを新たにしていきたいと思います。
◇魂の結合
御文では、金と鉄の譬えを通して、苦難があろうとも法華経の信仰を貫く賢人こそ、真金であることを教えられています。
金か鉄か、賢人か愚人か——。苦難に直面した時こそ、その人の真価、信心が明らかになります。
本抄を頂いた最蓮房は、法難の渦中に大聖人の弟子となり、自らも難に屈せず、弟子の道を貫きました。先生はこのことに触れ、「師弟とは、弟子が自ら決意してこそ成り立つ『魂の結合』」と講義されています。
私自身、苦境の中で、池田先生、学会にしがみつくようにして戦ってきました。
男子部のリーダーとして全力で戦っていた数年前、妻が流産。さまざまな悩みも重なり、苦しい日々が続きましたが、"今こそ師匠に心を合わせ、信心で勝負する時"と夫婦で懸命に広布に奔走しました。その後、長男が誕生。今、3人の子宝に恵まれ、感謝は尽きません。
困難の壁にぶつかり、乗り越えるたびに、師弟の「魂の結合」が強固になるのだと、体験を通して、教えていただきました。
◇勝ってこそ正義
「勝ってこそ正義」——。
東海道の青年部は、この先生の指導通り、立正安国の勝利を開きゆく"正義の陣列"を構築するため、対話拡大、訪問・激励に全力を注いでいます。私自身も自らの体験と実践を通して一対一の励ましに取り組んでいます。
私が日々勝負していることは、「朝の祈り」です。仕事で多忙を極める青年時代。毎日の難局を乗り越えていく鍵は、何にもまして生命力です。
仕事や家庭の悩みと格闘している方をはじめ、男子部メンバーと語り合う際は、朝の祈りの大切さを共有。題目根本のリズムを刻む中で、共に広布拡大と人間革命に挑んでいます。
また、もちろん信頼関係があることが前提ですが、友が自らの課題と向き合い、乗り越えていけるよう、表面的な対話ではなく一歩踏み込んで、目標や悩みを共有できるように心掛けています。真実の絆で結ばれた同志の連帯を広げていきます。
◇"師の側"に
「魂の独立」から30年を迎えた昨年、静岡で、極悪との戦いを貫いてきた多くの方々からお話を伺う機会がありました。
皆が口々におっしゃっていたことは、宗門の堕落した醜い実態と"私たちは池田先生と学会に信心を教えていただき、幸せになることができた"ということです。
30年を経た今、皆が勝利と幸福の実証を示されています。ある女性部の方が語られた、"この極悪との闘争があったからこそ、師匠と共戦できました"との言葉に、「共戦」の2文字に込められた意味の深さを学ばせていただきました。
師弟共戦とは、"師の側"に立ち、先生の心をわが心として、心の師と対話しながら、自分の振る舞い、行動に落とし込んでいく不断の闘争ではないでしょうか。
不思議な縁で、今この時を選んで偉大な師匠のもとに生まれてきた私たちです。
師匠との共戦、同志との共戦に生き抜く中で、広布と人間革命のドラマは生まれます。
私たち青年部が、破邪顕正の師子吼を放ち、東海道の天地に正義の勝利の旗を、断固と打ち立ててまいります。
◇メモ
「生死一大事血脈抄」は、文永9年(1272年)、佐渡・塚原で認められ、同じく佐渡に流罪中の最蓮房に与えられたとされる。生死一大事血脈という成仏の要諦に関する法門についての質問に答えられた書。最蓮房は天台宗の学僧だったが、何らかの理由で佐渡に流され、そこで日蓮大聖人の弟子になったと伝えられている。