2022年5月4日水曜日

2022.05.04 わが友に贈る

誓願の人生ほど
美しく尊いものはない。
苦難の壁にもひるまず
乗り越えゆく挑戦の姿は
周囲の希望と輝く!

富木入道殿御返事 P956
『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』

【通解】
命は限りあるものである。これを惜しんではならない。ついに願うべきは仏国土である。

名字の言 「世界を我家」と思って交流を 2022年5月4日
初代会長・牧口常三郎先生が『人生地理学』に記している。"自身の身辺を見回すだけで世界中から恩恵を受けていることに驚く"。例えば靴の革、ランプの燃料なども海外で産出されたもの。"乳児が着ている綿着を見ると、炎天下で汗を拭きながら綿花を栽培するインドの人が偲ばれてならない"とも▼同書が出版された1903年当時、日本は近隣国家と争い、帝国主義が強まっていた。その中で牧口先生は、地球上の人々はつながり合って生きていることを示し、皆が「世界を我家」「世界万国を隣家」と思って交流するべきだと訴えた▼在日韓国人の女性が体験を語っていた。幼い頃、日本人の女子を「お嬢さん」と呼ばされた。お嬢さんより勉強や運動ができるといじめられた。いつしか卑屈な生き方に▼だが学会に入り、変わった。何の差別もなく家族のように支え合う同志と触れ合い、自信が持てるように。教育者になった彼女の胸には熱い思いがあった。「互いの個性を尊び、個性を愛し、個性を喜び合う"世界市民の心"を持った青年を育てたい」▼『人生地理学』の発刊から119年。今や世界同時進行で、あらゆる差異を超えて人間主義の連帯を広げる創価の友。その使命は限りなく大きい。

寸鉄 2022年5月4日
「一日の命は三千界の財にもすぎて候」御書。黄金の共戦譜を悔いなく綴れ(新1309・全986)
広布とは万人の幸福を勝ち取る人権闘争—恩師。創立100周年へ共々に邁進
万物躍動の季節が到来。我らも深き祈りで生命力満々と。今日、みどりの日
他者と比べて得た優越感は劣等感にもなる—医師 昨日の自分に勝つ日々を
昨年のサイバー犯罪被害者は7人に1人—調査。ソフトウエア更新は必ず

〈社説〉 2022・5・4 トインビー対談開始50周年
◇生命尊厳の「中道」の精神
50年前の1972年5月5日、歴史学者アーノルド・J・トインビー博士と池田先生の初対談が実現。語らいは、対談集『21世紀への対話』に結実した。
対談の最終日、先生は博士に、自身へのアドバイスを求めた。博士は「(両者は)人間がいかに生きるべきか、見解が一致した。あとは、あなたが主張された中道こそ、今後、あなたが歩むべき道なのです」と語った。
対談集の中で、両者が中道について意見を交わした箇所がある。
博士は国際事情の年報を執筆する際、普段は公平無私を心掛けていたが、独裁者の蛮行を記述する時には「心に正しいと感じたままの立場をとった」という。そのことによって非難され、難しい状況に置かれたが、これが自分にとっての中道だったと振り返った。
先生は共感を示しながら「人間とは理想を追う存在であるということを踏まえ、しかも現実性を重んじていく——この両方を包含していくのが中道」であると述べた。
理想の重要性と、それを現実に貫く難しさが示された対話は、さまざまな二分法が存在する世の中にあって、中道の精神が、一方に縛られることなく、その双方を求め、生かしていくものであることを教えてくれる。
先生は中道について、後年、「どちらか一方を切り捨て、犠牲にする発想は持ちえません。なぜならば、いずれの一方にも、そこに『人間』がいるからです。真の仏法は円教です。一切を生かして新たな価値を創造する生き方が、『中道の大道』なのです」と指摘した。
人間の尊厳性に立脚することで、そこから新たな価値を生み出していく——東西冷戦の中、イデオロギーや国家体制の違いを超えて東西両陣営のリーダーと対話し、世界に確かな"平和の橋"を架けた池田先生の行動こそ、その範であろう。
コロナ禍、出口の見えない紛争——混迷の時代に、人類社会の亀裂と対立は深刻さを増している。
人類が直面する難局を乗り越え、共生と平和の社会を築きゆくために、今こそ、対談の中で博士が望み、先生が貫いてきた中道の精神に学ぶべきである。
そして、極端な意見にとらわれることなく、全てを包み込み、より高次の立場から人類益に貢献するという中道の根幹にある「生命尊厳」を一層強く訴えていきたい。

☆Switch——共育のまなざし 自閉スペクトラム症の華陽の友と
◇関西家族が築いた安心の居場所
大阪市平野区の瀧佳子さん(池田華陽会メンバー)は、町のちょっとした有名人です。仕事の行き帰りや、家族と一緒に買い物に向かう道すがら、地域の人たちから「佳子ちゃん」「佳子ちゃん」と、笑顔でよく声を掛けられます。彼女が発達障がいである自閉スペクトラム症(ASD)と診断されたのは3歳の時。幼少期は多動の傾向が強く、周囲から「困った子だ」と見られることも少なくありませんでした。それが今では……。佳子さん一家に温かなまなざしを注いできた創価家族の歩みを紹介します。(記事=大宮将之)

◇毎日が運動会
佳子さんが"有名"になった最初のきっかけ——それは彼女が保育園、小学校に通っていた頃に、近隣住民の多くが自宅に"突然の訪問"を受けたことにある。
ドアをドンドンたたかれたり、家の敷地内で大声を出されたり……母・早苗さん(地区副女性部長)が何度、頭を下げに行ったか分からない。
わが子の障がいが分かって間もなく、夫は家族のもとを去っていた。平野区の実家に戻った早苗さんにとって、娘と自身に向けられる近隣の視線がどれほど肩身を狭くさせたことだろう。
両親である箕村文子さん(地区副女性部長)・正治さん(壮年部員)のサポートなくしては「とても前を向ける状態ではありませんでした」。佳子さんや長男・陸さん(男子部員)の面倒を両親に見てもらいつつ、早苗さんは全く経験のない老人介護施設の現場に飛び込み、家計を支えるため連日連夜、働いた。
佳子さんの小学校の登下校には文子さんが付き添った。当時は「毎日が運動会のようでした」と振り返る。授業中にパニック状態になったと聞き、慌てて迎えに行ったことは数知れず。家でもじっとしていられず、少し目を離した隙に外へ飛び出してしまう佳子さんを、汗だくになって追い掛けた。
創価家族がいなければ、心が折れていたかもしれない。自宅の目の前に住む川上智津子さん(白ゆり長)や、裏手で美容室を構えている有川照代さん(支部女性部長)は、佳子さんからの"突撃訪問"を「元気があっていいじゃない!」と、むしろ歓迎した。保護者としての言うに言われぬ悩みや苦労も、全て分かってくれた。
毎月の座談会にあっても、「皆さんに迷惑を掛けてしまうから……」と佳子さんの参加を控えようとした早苗さん・文子さんを、地域の同志は「かまへんよ!」「一緒に来て」「佳子ちゃんは、"宝の子""使命の子"や」と優しく受け止めてくれたのである。
どうすれば、座談会が佳子さんにとって"安心と成長の居場所"になるか。地区の皆で検討した末、松本和子さん(地区女性部長)が提案した。
「未来部コーナーとして、『大白蓮華』に掲載される池田先生の巻頭言を毎月、朗読してもらうのはどうかしら」。無理なく、少しずつでいい。「その挑戦を、みんなで応援していきましょうよ!」

◇座談会を通して
もともと、言葉の発達に遅れが見られた佳子さんにとって、それは文字通り"挑戦"だったに違いない。座談会の日が近づくと、祖母・文子さんが付きっきりで練習を共にした。一字一字、指でゆっくりなぞりながら唱和する。
小学校高学年の頃に、佳子さんが本番で読めた分量は、1段落がやっと。読み終えるや他の未来部員にバトンタッチして、パッと自宅に帰ってしまう。それでも同志の皆が「佳子ちゃん、ありがとー!」「良かったよ!」「また来月も楽しみにしてるね!」と、見送る背中にありったけの拍手と声援を届けた。
座談会に参加できるのは冒頭の数分。創価家族は、その一分一秒に祈りにも似た思いを込めて関わった。「学会の庭で、佳子ちゃんとご家族が少しでも自信を育んでいけますように」——と。
皆が気付いたことがある。座談会における佳子さんの役割が明確になったことで、彼女自身に少しずつ"落ち着き"が生まれ始めたのだ。
自閉スペクトラム症の特徴として、「いつから」「いつまで」「何をするのか」といった"見通し"が立たないと不安を感じてしまう——というものがある。「座談会の冒頭から」「未来部コーナーが終わるまで」「巻頭言を読んだら帰る」という"見通し"がハッキリと立てられることで、佳子さんも安心したのかもしれない。
何より同志が喜んでくれる姿に感じるものがあったのだろう。月々日々に、1年2年と佳子さんは努力を重ねた。
中等部の頃には全4ページのうちの半分まで読めるようになり、高等部の時にはついに「全ページ朗読」を達成したのである。その時の座談会の盛り上がりようといったらない。文子さんと早苗さんの目にも、光るものがあった。

◇開いた分だけ
佳子さんが少女部時代から高等部時代に重ねた"挑戦"と歩調を合わせるように、母・早苗さんも"共戦の歩み"を進めた。
それは「自閉スペクトラム症への理解を地域に広げること」。とはいえ、何度も頭を下げてきた近隣に対して"分かってもらおう"との思いで語るのは勇気がいる。
ここでも同志にどれほど支えられたか。佳子さんの姿を外で見掛けるたび、「こんにちは!」「この前の座談会も頑張ったねえ」と声を掛け、楽しそうにおしゃべりを始めてくれる。そんな光景が日常的に近隣の目に映ることで、"心の距離"も縮まったことは間違いない。
早苗さんは日頃の学会活動を通して創価家族の温かさを語りながら、わが子のさまざまな言動にも必ず意味や理由があることを伝えた。
佳子さんが通う小学校にも足を運んだ。教員の協力のもと、わが子の特性をまとめた自作の「紙芝居」を児童たちに披露したのである。
人の気持ちを理解することが苦手だったり、人混みや暗い所では不安になったりすること。佳子さんに何かを伝えたい時は、なるべく短い言葉で説明してもらえると助かること。一方で興味を持ったことには時間を忘れるほど熱中できたり、手先が器用だったりする長所もあること……。
「自閉症の人たちが安心して過ごせる"優しい世界"は、他のみんなも笑顔で暮らせる"幸せな世界"になる」。そんなメッセージを託しながら。
わが子の障がいを恥じたり隠したりする必要なんてない——自ら心を開いた分だけ、理解も進むことを実感した。
佳子さんと積極的にあいさつを交わしてくれる人が増えたことも、そう。佳子さんが家を突然飛び出した時に、近隣の人や学校の友達が「あそこの公園で見たよ!」「私も一緒に捜すね!」と、力を貸してくれる"助け合いの輪"が広がったことも、そう。次第に佳子さんも、近隣の人たちとコミュニケーションをとるようになる。
思ったことをそのまま口に出す特性も相まって、家の中でのことをすぐに話してしまう。前日の夕食のテーブルに大好物が並んだことであったり、大好きな弟・陸さんとの会話の内容だったり。「陸に彼女ができたことまで話していた時には、"さすがに、それは……"と苦笑いしましたけど」(早苗さん)
陸さんにはたくさん我慢をさせていたと思う。にもかかわらず、佳子さんを思いやる優しい人に育ってくれたことが、母として、涙が出るほどありがたかった。
佳子さんの存在が、家族の絆を強めてくれた。地域の人と人とをつないでくれた。

◇幸福博士に!
未来部を卒業してからも、佳子さんの挑戦は続いた。
2016年に「教学部任用試験」の受験を同志から勧められた時、まず早苗さんと文子さんは2人そろって「佳子は大の勉強嫌いやから、それは無理!」と首を横に振ったという。それでも、「いやいや、佳子ちゃんの可能性を、大人が勝手に決め付けたらあかん!」との先輩の言葉に背中を押された。
佳子さんの"やる気スイッチ"を「ON」にした一言がある。「教学は、家族を幸せにできる佳子ちゃんになるために、学ぶものだよ」。有川照代さん(支部女性部長)が掛けた言葉だった。
佳子さんの目の色が変わった。「私、みんなを幸せにする!」。それは、自分を育ててきてくれた家族への"恩返し宣言"でもあった。
自閉症の特性だろうか。ひとたび"納得"したら強い。"合格責任者"を引き受けた有川さんの自宅で、佳子さんは研さんに励んだ。「勉強時間は1日30分。時間厳守で、絶対に延長はしない」とルールを決めて。
試験当日。池田先生の伝言に、佳子さんは耳を傾けた。
「受験された全員が、合否を超えて偉大な幸福の博士です。幸福博士とは、皆を幸福にできる博士です。どうか、ご家族にも、友人にも、地域にも、妙法の智慧と希望と勇気の光を、大きく朗らかに広げていってください」
そして——結果は「合格」! 試験後に行われた座談会では、華陽の「幸福博士」の誕生に、かつてないほどの喜びが広がった。

◇これからは私が
佳子さんは一昨年から、テーマパークの清掃員として働き始めた。仕事の行き帰りには、近隣の人たちへのあいさつを欠かさない。「行ってまいります!」「ただ今、帰りました!」——職場で学んだ"敬語"をそのまま使ってしまうこともご愛嬌。誰もが思わず笑顔になる。彼女を昔から知る人に「立派になったねえ」と声を掛けられることも。
朝晩の勤行や座談会への出席も欠かさない。今では会合も最初から最後まで参加できるようになった。「同志のおかげです」と、早苗さんや文子さんの感謝は尽きないが、当の創価家族も「佳子ちゃんがいてくれたから、『一人を大切にする心』を学ぶことができたんだよ」と口をそろえる。佳子さんとの交流を通して、特別支援教育の道を志した女子学生部員もいる。
「桜梅桃李の己々の当体を改めずして」(新1090・全784)——誰もが自分にしか咲かせられない「個性の花」「使命の花」がある。その花々を爛漫と開花させゆく大地こそ、学会という人間共和の世界にほかならない。
早苗さんは良縁に恵まれて再婚。仕事においても施設長を任され、活躍の舞台を広げている。佳子さんも苦労を重ねた母が幸せになってくれたことが、うれしくてうれしくて、たまらない。現在は、祖父母の文子さんと正治さんを献身的に支える日々だ。
彼女の口ぐせがある。
「これからは私が、おばあちゃん・おじいちゃんを守るからね」